禍福をもたらすもの
更新遅くてすみません<m(__)m>
「お、おい」
暗いから。そう、だからそう見えるんだ。だけど目は暗闇に慣れていて、はっきりと見えているんだと分かっている。
これが誰だか分かっている。
目の前にぼろ雑巾みたいに転がっているのは。
「猫又、おい返事しろ」
目を閉じたままの猫又の方へそのまま這いずって行こうとするが体が重くて急げない。ハイハイを覚えたての赤ちゃんのようなへたくそな移動で。石の角が手足に刺さるが気にしてなんかいられない。
「猫又っ、しっかりしろ。猫又ってっ」
「我を誅するだとぬかす下郎め、死んでしまえ……いや、それだけじゃ済まさぬ。妖力をもらうとしよう。これは我が喰ってやる」
「か、神さま……?」
これが神様? 喰うってなんだよ。妖力っておかしいだろ。前から神様にしては下品だと思っていたが、さっきより酷いこの口ぶりはいったい何だ?
こんなのおかしいだろ、神様なら神通力じゃないか。
「……しろ……」
そこに風に混じって聞こえた声。何? 何をしろって? 混乱する俺の頭に猫又の声が蘇る。そうだ、懐中電灯だ。気づかれないないように上着のポケットを探る。握ったはいいがどこに向けるのかは聞いていない。
どうすりゃいいんだ、勝手に決めていいんだろうか? どうしようかと迷った挙げ句、おれは懐中電灯の光を神様に向けることにした。親しんだ暗闇の中で放った光は、慣れない凶器のように目の前の神様に向かった。
やっぱ、無理でした。だって神様に光当ててどうするんだ? そうやった本人がそう思う前で「ぎゃあああ」という叫び声がする。
あまりにも動物じみていて、神様が発した声だとは思えない。こいつが神様? 大きな黒い塊に見えていたのに、光を当ててみると実体は小さい。黒い繭のような物の中にいたのは動物に見えた。
「……あんた、狸だよな」
黒い繭がゆらりと揺れた。
「無礼なっ、我を侮辱すると容赦しないぞ、小僧」
蛸みたいな触手や、蜘蛛みたいなねばつくもの……なるほど変幻自在ってわけだ。狸の神様……狐ならお稲荷さんとかあるけど。知らないだけでそうかもしれないが、俺にはそうは見えない。言動を見れば誰かに近い。
日本古来の神様は慈悲とご加護だけじゃない。福をもたらすこともあれば、厳しい試練を課すこともある。自然そのものが神というものだ。
だとしても、俺の前にいるものに感じるのは畏れなんかじゃない。自分本位な悪意だ。
「あんたさ、神様っていうより妖し寄りじゃない?」
言った途端に繭の形が変わり、長い触手がびゅっと伸びて右足を掴まれ、あっけなく倒される。頭は打たなかったが、背中を地面に打ち付けて半端無い痛みに呻いた。
「うっ……」
「我が妖しだとっ」
割れた声がして、ぐおんっと繭の形が大きく揺らぐ。
「我は……」
そう呟く言葉。だがそれは、もはや他者では無く、自分に向けられていた。『妖』、自身の口から出るたびに繭の形はそれ自体が生きもののように不規則に歪む。この空間がまるで寒天でできてでもいるかのように。
「我は誰だ? 我は……」
突起のように至るところから触手が飛び出しては引っ込む。めまぐるしく変わる繭の中で目をぎらつかせているのは神には見えなかった。繭の形が崩れ、空間が広がった瞬間に倒れていたはずの猫又の声がした。
「今だ、悠斗」
それを合図に鞄の中で握っていた鏡を取り出し、俺は突き出す。
さっきは何にも変化がなかったはずなのに、恐ろしいほどの光が目を焼く。目の前で強いフラッシュを焚かれたみたいに、俺は真っ白な世界に放り込まれた。
どれくらい経ったのか時間も分らない。気がついた時には鏡を持ったまま倒れていた。頬に石が当たって痛い。
「猫又?」
起き上がると鏡を鞄にしまって、辺りを見回す。暗い鎮守の森の中、ザクザクと誰かの足音がした。
「やったぞ、鞄の中にあるその物騒なものをあのご神木の祠に放り込んで来い」
「あ、うん」
祠にそうっと納めて扉を閉める。振り返って見上げるこの境内がなんだか透明度が増したみたいに感じた。
「上手くいったな、悠斗」
肩に手を置いた猫又に抱き付きたくなるが、ぐっと堪える。なんたって今はエセでも女の子の格好だ。やられたと思ってたのにぴんぴんしてる。
「あれで良かったのか。一体やつは何だったんだ?」
俺の問いに猫又がぱっと嫌そうな顔に変わる。言いたくないのがあからさまで、一層聞きたくなる。
「おい、なんだか後ろめたいことがありそうだな」
「ちっ」
やけに大きな猫又の舌打ちが聞える。聞えるように舌打ちしたってのが正解か。
「言うけどやっちまったことを後からいろいろ言うのは止めろよ、悠斗」
「なんかろくでもない事みたいじゃないか」
ふんと鼻を鳴らすと猫又はもう一度舌打ちをした。
「あのさ、九十九神って知ってるよな」
「う、うん……」
なんか嫌な予感がする。
「さっき倒したあれさ……」
「うわあああっ、ちょっと待てって」
猫又の話を聞くのが怖くなって遮ってしまった。もしかして、もしかして……やっぱり神殺しをしてしまったのか、俺たち?