猫又はいない
それ毎回言わなきゃならないの?
「石、やっつけるのかよ?」
「もちろん」
そこには、目付きの鋭い花柄のワンピース姿バージョンの猫妖怪が腰に手を当てて大きく足を開いて立っている。
「そんな曰くつきの妖怪を退治してみろ。どんだけ徳を積めると思うんだ。ここは俺サマが、その石に隠れてやがる妖怪をぶっ殺してやる」
猫又がやる気になったのって、そこ?
ふんっと大きく息を鼻から出した猫又に若干がっかりする。いや、純粋に俺を助けたいと思って……とは思わなかったけどさ、ここは少し嘘でもいいからそんな事を言って欲しかった。
「おい、何たそがれてるんだ、悠斗。あの狐憑きから預かった物を持って来い」
「うん」
預かった文箱は漆塗りで思ったより軽い。上の箱との境に札が貼ってあった。<これを剥がせばいいのか?
「悠斗、止め……」
びりっと破った途端に勝手に上の箱が飛んで白っぽい光が目を焼いた。
「うわああっ」
あまりの痛さに暫く目が開けられない。
目を怪我した? どきどきしながら薄目を開けるとチカチカはするが何ともなってない。思わず胸を押えて猫又はどうなったのかと探すが猫又の姿はどこにも無かった。六畳の部屋だ、そんなに死角があるはずも無い。
「猫又? どこ?」
椅子の下やベッドの上、クローゼットの中。ともかくどこにも猫又はいない。
「なんなんだよ。俺さまに任せろなんて言ったくせに」
何が何だか分からないまま、俺は一人になってしまった。がっくりとその場に座り込んで、何の気なしに箱に収まっている鏡を取り上げてみる。
燻された鈍い光を放つ銀色の手鏡。おそらくそんなに古いものじゃない。それにどんな力があるのか分からなかった。
だって、
だって教えてくれるはずの猫又がいない。
「俺一人で行けっていうのかよ」
俺の文句に応えは返らない。一人になったと思い知らされてひっそりと落ち込んだ。
ため息を何回もついた。そこら中壁や椅子やドアを蹴って、大声を上げまくった。そんなことしたって何も変わらない。知っているけど止まらなかった。ひっくり返った部屋を眺めて納得したかったんだと思う。
助けてもらえること前提でいつも猫又をあてにしていた。今回のことだってバックボーンに猫又がいるから受けたようなもんだ。
「行くか」
鏡を斜め掛けした鞄の中に押し込み、自転車の鍵を引き出しから取り出した。懐中電灯を探し当ててカーゴパンツのポケットに突っ込んだ。
今だってめちゃくちゃ行きたくない。誰かが止めていいと言ってくれたら速攻止める。それでも俺は家を出た。
スマホの道案内を頼りに自転車を漕ぐとあっと言う間に神社に着く。こんなに近くにあるのにまったく知らなかった。
まあ、目の前にあったとしても見えて無かったかも。それほど俺には縁遠い場所だ。鎮守の森と言えば聞こえはいいが、ほったらかしになっているだけみたいな雑木林が続く。
脇に自転車を立て懸けて上着のポケットを探り、懐中電灯を取り出してスイッチを入れると、そこだけ丸く切り取ったかのように明るくなった。小さい神社だと思っていたが歩いていくと結構奥深い。足元の石が歩くたびに大きな音を立てて、ここに侵入者がいると教えているようだった。
ざくざく……ざくざく……もうどう足を動かしても音が鳴る。
「くそっ」
もうやけくそ気味に走った。足元の石が弾け飛んで木の幹に当たって落ちる。急に走ったせいかなんだか気持ちが悪くなってきて立ち止って胸を押えた。
俺はどこまでもヒーローになれないと分かる。現場に行く前に疲れ果ててるってどんだけ運動不足なんだ。
「き、気持ちわる……」
膝に手を置いて息を整え顔を上げると、何かがおかしい。今日は満月だ。周りに照明がまったくないとはいえ、こんなに墨を溶かしたみたいに都会の夜が何も見えないっておかしくないか?
真っ暗という言葉の次に来るような闇に見覚えがある。
漆黒の闇――去年の夏、確かに同じ闇の中にいた。思い出したら寒気が腕からうなじへそれ自体が生きもののように這い上がってくる。
似ている。闇の気質……そんなものがあるとしたら、これこそがそうだ。明らかに悪意を含んでいる暗闇。