殺傷石
「し、死んじゃう?」
「ご愁傷様」
ここは慰めるために嘘でもいいから大丈夫と言ってくれ。
「おい、寝てる場合じゃないだろ」
柔らかい肉球がふにっと俺の顔を踏む。確かにそうなんだけど、死ぬとか言われてやる気になれというほうが無理だ。
こうなったらやりたいことをやり尽くし、旨いもん食いまくって死にたい。そして辞世の句はこうだ。
「気をつけろ、イケメン先生とアップルパイ」
つい口をついた言葉に猫又の大袈裟なため息が聞こえた。
「辞世の句のつもりか悠斗。それはな、標語だ。やっぱりおまえは底なしのバカだな。いいからスマホで神社を調べるんだ」
猫又の言葉に驚く。だって妖怪とスマホってなんか合わない。
「猫又ってスマホ知ってるの? って、痛えっ」
俺の頭を足がかりにした猫又は、さっさと机の上に上がると俺を見下ろした。
「俺サマをバカにするなよ。スマホだのパソコンくらい知っている」
へええ、最近の妖怪って結構ハイテクなんだ。スマホとか操ってたら笑えるよな。あの手でどうやるんだよ。そんなことを考えていたらシャーペンの先が手の甲に押し付けられた。
「うわああああああっ?」
「余裕あるじゃないか、ニタニタ笑いやがって」
「しゃ、シャーペン……えええ?」
尻尾でシャーペンを器用に巻きつけているのはいいが使い方が違う。たかがシャーペンの先とはいえ、手の甲にめり込むと切ないほど痛い。
「痛いんだぞ」
「知ってるからやってる」
そうですか。
いててと言いながらスマホを取り上げる。好きなゲームのキャラクターの三頭身イラストのホーム画面にへっという猫又の声を聞いた気がするが無視する。
「堅州国神社……ってここだ。あったよ」
小さい神社らしく地図に印しかない。遠くだとやだなあと思っていたが案外近い。これなら自転車で三十分くらいで行けそうだ。
中学生や、高校生男子にとって足と言えば自転車だ。一時間以内なら自転車の行動範囲内といえる。だが、ほっとした俺をよそに、名前を聞いた猫又の様子は違った。
「堅州国って言ったよな」
ううむと猫又は考え込んだ。
「堅州国ってのは根の堅州国からきてる。それは黄泉のことだ。そして神木の根元の小さなお祠の中にあるのはおそらく殺傷石だ」
「さっしょうせき?」
「ああ……その力を封じ込める目的でその鏡を上に置いていたのかもな」
それで?
無言のおれに猫又は呆れたような仕草を見せた。
「今の聞こえてたか、悠斗」
「聞こえてたけど、さっしょうせきの意味分からん」
「そうか」
猫又がごろんと横になった。尻尾がふりふりと揺れている。もしかしてもうどうでもいいやとか思ったのか?
「なあ、教えてくんないの?」
「知ってどうする? ますます行きたくなくなるぞ」
猫又に言われては椅子にがたんと座り込んだ。頭をわしゃわしゃかき混ぜてみたりしたけど何か良い案がぱっと浮ぶ――なんて事は無かった。あるはずない、そんなことできるんなら定期テストで毎回悩まない。
「あんたって子は、返ってきたテストを親に見せる前に何で今回の敗因は、とか言うのよっ」
などと予防線張ったつもりが、張ってることで怒られてしまうのが俺だ。
窮地に陥ってる主人公が、咄嗟に自分の知恵で状況をひっくり返す、なんて実際できるわけない。とにかく 行きたくない。行かなくていい? だってあの女子と親しいわけじゃないし。酷い事っていったって、まさか死ぬなんてことはないだろう? 笹井先生だって人殺しまではしないよな。
だったら俺が命かけるのってどうなんだ? 知らんふりしたっていいだろ。
「ああああっ、俺ってなんて人でなしなんだあっ」
叫んだところでどうにもなりはしない。そんな事分かってるけど叫ばずにはいられなかった。だってやっぱり怖い。笹井先生が誰かに行かせようとしたのはこういうことだったのか。単なるおつかいだと思ってた俺は猫又の言う通り、本当にバカだ。
それでも自分の身を守るために他人を見殺しにする冷徹さも俺には無い。どっちにも行けず、その場でおろおろしているだけ。
項垂れる俺の横で猫又が何か言った。
「……ってことだよな」
「は? 何?」
転がっていた猫又が勢いよく起き上がる。
「この殺傷石は妖怪のなれの果てだ。ってことはだ。鏡の無い今、そいつは人に害を与えている」
「ま、まあ……」
あんなちっぽけな神社にそうそう人は行かないだろうけど、近づけば何かと障りがあるのは間違いないだろう。
「よっ」と声を上げた猫又が机の上から綺麗な弧を描いて飛び降りた。そしてやけに楽しそうな声が部屋に響く。
「って、ことは……この美少女妖怪、猫又サマの出番だな」