健太君は賢さが上がった!
ある日、健太君というお子さんが担任の先生から職員室に呼び出されました。
一ヶ月前に野球をしていて校内の窓ガラスを割ったことが今頃バレたのでしょうか。
それとも、クラス内の好きな女の子のスカート捲りをして泣かせた件でしょうか。
やんちゃな年頃だった健太君は両手の指では足りないほど心当たりがありました。
ところが、健太君を待っていたのは身に覚えのない濡れ衣でした。
担任の藤原先生は健太君を自分の椅子に座らせました。
そして、健太君の両肩に手を乗せて優しく諭すように声を掛けました。
「健太君? 貴方、クラス内の交換日記誰かに代わりに書いて貰ったでしょう。駄目じゃないの、ズルしちゃ!」
「ええ? 僕そんなことしてないよ! ちゃんと自分で書いたもん!」
健太君は何が何だかわからない、といった様子で首を振ります。
「そんな言い訳は聞きません。嘘言っても先生にはちゃあんとわかっちゃうの。途中から絶対に大人が書いているもの」
「そんな! 先生、僕嘘付いてないよ! 本当だよ!」
「強情ねぇ……、じゃあこれ全部読んでみなさい。一字一句間違えずによ」
そう言って先生は机の上の本棚に立ててあった学級日誌を健太君に手渡しました。
その日誌にはこう書いてありました。
―――今日は、学校の花だんにあったへんな木が女の子になってはなしかけてきました。小さいけれど目がクリクリとしてかわいい女の子です。いちばん上のお兄ちゃんがもっている【ふゅぎあ】とかいうやつとおなじくらいの大きさでした。なんだかはなすことばがおかしいけれどかわいかったのできにしないことにしました。女の子はぼくにみっつのタネをくれました。その子がいうにはこれをのむと五分だけあたまがよくなるというのです。しんじられなかったけれど今さっきのんでみました。しかしぜんぜんききめはありません。やっぱり、それは出まかせだったのだろうか。
まぁ、確かに省みれば信じ難い話ではある。そもそも植物が自らの意思を以って歩き出すなどという童話紛いの出来事は古今東西、どのような記録を掘り下げた所で出て来ることはあるまい。やはり疲れているのかも知れない。クラスでの立ち位置を模索する友人たちとの息詰まるやり取り。そんな子供社会を知りもしない、教師が容赦なく出す宿題の数々。そして家族の潤滑油となり、夫婦仲を拗れさせぬ様にさり気なく配慮する毎日。
あぁ、何と無駄な労力を強いられているのだろう。欝だ、ポケモンでも集めていた方がまだ建設的というものではないか。そんな生活をしていれば下らぬ戯言に流されてみたくなる日もあるというものだ。生憎と期待に添う結果は得られなかったが。まぁいい、金輪際そんな与太話をしんじることはないとおもいます。きょうはこれでおしまいです。あしたはだいすきなたいいくの日だからとってもたのしみです。
「し、しんじ……〝むずかしい〟だ!」
健太君は胸を張りましたが、先生は頭を抱えて首を振ります。
「違います。それは〝しんじがたい″と読むの。ほら御覧なさい、自分で書いたという割には読むことすら出来ないじゃないの。大体、途中まで句読点も使っていないでしょ。ちゃんと正直に言えば先生も怒らないから」
「嘘じゃないよ! ほ、本当に自分だけで書いたんだってば」
健太君は涙目になって抗弁します。
それを見て藤原先生は溜息を付きました。
「あのね、健太君? 先生をあまり怒らせると親御さんに連絡しなくちゃいけなくなるわ。そうなったら先生も凄く悲しいなぁ」
「え……パパ達に?」
「健太君には自分の過ちを認められる大人になって欲しいの。わかってくれるわよね?」
健太君は一生懸命に考えています。
間違いなく自分の書いたものであることは事実です。
しかし、先生はちっとも信じてくれません。
もしパパとママにも信じてもらえなかったらどうしよう。
そう考えた健太君は、凄く怖くなりました。
「……はい。……その、ごめんなさい」
健太君は【妥協】を覚えました。
「宜しい。これからはこんなことをしては駄目よ。あと、物語ならまだしも日記にこういうことを書いてはいけないわ。そもそも日記と言うのは―――」
健太君は俯いたまま拳を握っています。
大人が子供の言葉を信じてくれることなんかない。
ならば、疑われたら自分が悪くなくてもとりあえず謝ろう。
そうすれば溜飲が下がるのだから、とでも思っているのでしょう。
彼の涙の滲む目には決意の光が宿っていました。
室外機の上に乗って窓の外からそれを見守っていた私は大変満足いたしました。
「健太ー、強くいきろー」
私の慈善行為によって健太君は見事、大人への階段を一足飛びに駆け上がったのです。
彼はきっと将来、立派に接客販売業をこなすことでしょう。