びみょーにすれ違ってます
人混みの中をジグザグ走行していたら益々気持ち悪くなってきました。
目に入った灰色の建物の階段をとっとこ上がっていきます。
と思ったら自動ドアで反応してくれません。
仕方ないので勢いをつけて何度となくジャンプしてみます。
あ、開きました。
屋内に脱兎の如く掛け込み、気持ち悪さを全て猫さんに押し付けて緊急離脱します。
「……ふぃー、せーふ」
幸い、建物内の空気は橙色に近い黄色でした。
本当なら緑色が望ましかったのですが贅沢は言っていられません。
先ほど感じたのは切実に酸素マスクを欲するレベル。
それくらいに空気が淀んでおりました。
その証拠に、傍らでは猫さんがげろげろやっています。
アウトー。
いやはや、猫さんもとんだ災難でしたね。
何でいきなり気持ち悪くなったのか、何でここにいるかも理解してないご様子。
でも、猫さんは普段から毛玉を口にして吐き戻します。
こういう作業は手慣れている人がやるものなのです。
「こらー! どこから入ってきやがったー!」
後ろから飛んで来た突然の声に危うく叫び声を上げかけました。
上げていたら至近距離にいた猫さんの命も危うかったでしょう。
辛うじて両手で口を塞ぐのが間に合いました。
【大の字】が【人の字】になりましたが、不審には思われなかったでしょうか。
恐る恐る振り返ると、そこには紺色の服を着た人間さん(♂)がおりました。
私の不確かな記憶によりますと、警察官と呼ばれる職種がその格好をしていたはず。
微妙にディテールが異なるので、もしやコスプレという趣向でございましょうか。
紛らわしいので勘弁して頂きたいものです。
実は、マンドラゴラはにぶちんの人間さんに対しては真の姿が視覚化されません。
仮の姿は【大の字】形をした太いゴボウのような姿に過ぎないのです。
子供に対してはこの限りでもないとのことですけれど。
ただ、昨今は私達を見ることが出来ない子供もどんどん増えてきているそうです。
第六感が失われつつあるのかも知れません。
または、夢を忘れて現に生きようとしているのかも知れません。
その辺りの曖昧な点もきっちりと観察してはっきりさせたいと思います。
そういえば、夢と現の狭間を漂う人々を妄想家と呼ぶとか。
語意はわからないですが、何だか格好いいじゃありませんか。
出来たらそういう方にも会ってお話を伺いたいですね。
案の定、人間さん(♂)は私に見向きもせず、猫さんを無造作に掴み上げました。
ちょっとだけムっとしますが、拗ねたわけではありませんよ。
私だって容姿には控えめながら自信があるんです。
何度となく『ゴラちゃんはどこにでもお嫁さんにいけるね』と言われたものです。
白磁のような艶やかな肌は水分を大量に湛えています。
赤子のもち肌を上回るほどにぷるっぷるです。
一皮向けば、ですが。
私達は気を許した相手にのみしか精霊の姿を現わしてはいけないのです。
あぁ、真の姿を明かせぬのが口惜しい。
私はそう思いつつ、足から飛び出た髯根をがじがじと噛み締めます。
―――にゃー。
猫さんのか細い声が鼓膜に炸裂します。
何この生き物、かわいい。
円らな瞳に申し訳程度の髭。
手には桃色の肉球。
三角形を象る耳が動く、動く。
正に、媚びるために生まれてきたような生き物です。
人間さん(♂)がしげしげと持ち上げた猫を見つめています。
「あん、お前何だかやたら痩せてるなぁ。長い事飯食ってねえのか」
あれ、猫さんって人語を解する事出来ましたっけ。
猫さんに喋りかけた人間さん(♂)を見て、私は記憶を手繰りながらも首を傾げます。
勿論、私ほどの精霊になれば、人語も話せますし動物に対しても感情を読み取るくらいは出来ますが。
―――にゃー。
「ったく、わかったわかった。しょうがねえ、飯くらいは食わしてやるよ」
人間さん(♂)はそう言うと、そのまま猫を連れて廊下の奥に行ってしまいました。
でも、猫さんの鳴き声からは一度目、二度目共に【困惑】が感じられました。
きっと「ここどこー?」、「あなただーれ?」等と尋ねたのだと思います。
知ったかぶりは人間さんの特技なのでしょうか。
とはいえども、怒鳴った一分後に飯をあげようという気まぐれな人間さん(♂)にちょっぴり興味が出てきたのは確かでした。
私もこっそり後を追ってみることにします。