夢か現か幻か、耳を傾け流離うのみ。
ふらふらと彷徨いながら、俺が見つけたのは、こじんまりとした家の縁側だった。
ちょうど雨が降り出したところだったので、少し雨宿りさせてもらおう。
そう思って縁側に上がり、身体を丸めていた。
歩きっぱなしで疲れていたこともあり、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。
目を覚ますと、隣には知らない爺さんが座っていた。
いつからいたのかは分からない。
どうやら何か思い詰めているらしい。
顔を見れば、それくらいのことは分かった。
けれど、爺さんは何も話しかけてこない。
俺も別に興味はない。
もう一眠りしようと身体の向きを変え、ちょうどいい場所を探していたところだった。
「お前さんは、どこから来たのかい?」
……なんだ。
もう少しで、いい頃合いを見つけられそうだったのに。
俺は爺さんを一睨みした。
そして、もう一度身体を動かして、ようやく落ち着く場所を見つける。
「まぁ、そうか。いい頃合いを見つけたのか」
爺さんは小さく笑った。
「自由じゃのう。羨ましい限りじゃ。この頃は身体の調子も思うようにいかなくての」
そう言って、自分の膝をさする。
「ここ最近は、家の中を歩くのも億劫になってきておる。どうしたもんかの」
どうやら、身体の調子が悪いらしい。
言われたところで、俺にはどうすることもできない。
それでも、しゃがれた声と寂しそうな手を見ていると、なんとなく放っておけなかった。
俺はそっと、その手を撫でた。
一度だけ。
それだけで、爺さんの顔が少し綻んだ。
……なんだ。
こんな一撫でで嬉しそうにするなんて。
よほど疲れているらしい。
「わしが生きてきた人生は、なんだったのかのう」
爺さんは、ぽつりと呟いた。
「最近、よく考えるようになった。ただただ前を見て、時には泥水を啜りながら生きてきた。ここまで来たからには、最後まで足掻きたいと思っておる」
爺さんは遠くを見る。
雨が、庭の木々を濡らしていた。
「どうすればよいのか。あとひとつ……あと一息のところまでは来ておるのだがな」
そこで言葉を切る。
「最後の締めを失敗してはならぬ。ここをどう締めるか。それを悩んでおるのよ」
……なんだ。
死ぬ前に、何か決めておきたいらしい。
息子か孫にでも、何かをしっかり引き継ぎたいのだろう。
好きにすればいい。
死ぬ間際なんだから、言いたいことがあるなら言えばいい。
そんなことを思った。
けれど、何がこの爺さんの最後の一歩を止めているのか。
少しだけ気になった。
俺は爺さんの顔を見つめ、そっと袖を引いた。
もちろん、それだけで何かが伝わるとは思っていない。
けれど――
「おぉ、どうした?」
爺さんがこちらを見る。
「わしの話を、もっと聞きたいと申すか?」
俺は黙ったまま、爺さんを見つめる。
「最近は仕事の話はしても、気持ちの話など、とんとしてこなかったからのう」
爺さんは少し笑った。
「お前になら、話してやってもよいかもな」
そして、ぽつぽつと話し始めた。
「息子は、ようやっておる」
「だが、あとひとつ食い足りぬところがある。この前の戦でも、捨て置けばよい城に掛かり切りになって、時を無駄にしてしまった」
「まぁ、それ自体に不満があるわけではない」
「ただ……あれは、わしを恐れておるからの」
爺さんは苦笑した。
「引け目に感じておるのだろうよ」
しばらく黙ったあと、また口を開く。
「それに最近は、大坂の方も芳しくない」
大坂。
その言葉に、俺の耳が少しだけ動いた。
「関ヶ原では勝てた。だが、太閤様の影響は、まだ残っておる」
「どうやって、ここを切り崩すか。それを悩んでおるのよ」
俺は爺さんの顔を見た。
なんだか、急に話が大きくなってきた。
「東と西に分かれたままでは、天下は安定せぬ」
爺さんは庭を眺めながら続けた。
「いずれ、大きな戦が起きるじゃろう」
「それが、わしの生きている間なのか。それとも、もうわしが居らぬ頃なのか……」
そこで一度、言葉を止めた。
「秀忠が、もう少し頼りになればのう」
……秀忠?
俺は頭の中で、その名前を転がした。
どこかで聞いたことがある。
いや。
知っている。
少しずつ、記憶の中のものが繋がってきた。
関ヶ原。
大坂。
太閤。
秀忠。
そして、この爺さん。
まさか。
俺は爺さんの顔をじっと見つめた。
この爺さん――
徳川家康じゃないのか?
そう考えると、全部が繋がる。
関ヶ原の後。
大坂の豊臣家。
そして、その先にある大坂の陣。
確か、どこかの寺の鐘に刻まれた言葉に難癖をつけて、豊臣家を攻めたんじゃなかったか。
高校の教科書で見た記憶がある。
戦国時代が好きで、いろいろ調べたこともあった。
でも、目の前にいる爺さんが、あの徳川家康だなんて。
俺は何とも言えない顔で、爺さんを眺めた。
すると爺さんも、俺の顔を見ていた。
「……なんじゃ?」
手持ち無沙汰になったのか、爺さんが俺の頭を撫でる。
ちょっと鬱陶しい。
そう思ったが、さっきまでの悩んだ顔に免じて、されるがままになっておく。
「どうしたものかのう」
爺さんは、俺の頭を撫でながら呟いた。
「何もしないでおれば、わしはただただ干からびていくだけじゃ」
「……だが、まぁ、それもよいのかもしれぬの」
その声は、さっきまでより少しだけ穏やかだった。
「お主が、また来てくれるのならな」
「それまでは、このまま生きるとしようかのう」
そう言って、爺さんは立ち上がった。
ゆっくりとした足取りで、家の中へ戻っていく。
俺は、その背中を見つめた。
なんだか、寂しそうだった。
俺は十分に寝させてもらった。
雨も、いつの間にか上がっている。
誰かに見つかる前に、俺は縁側から庭へ降りた。
そして、また気の向くままに旅をすることにした。
*
それから、しばらく経った。
風の噂で聞いた。
大坂にある大きなお城が、燃えたらしい。
どうやら、大きな戦があったようだ。
あの爺さんは、大坂に勝ったらしい。
……まぁ。
猫には関係のない話だ。
俺はまた、あてもなく歩き出した。




