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それから少しの説明やら何やらを受けて昨日と同じように扉を潜ると渋谷に着いていた。
季節外れになるとは分かっていたが少し厚着してきていて良かった。昨日に比べて……いや、同じクリスマスの日に飛んできてるんだ、気温が変わるはずもないか。まぁなんにせよ寒いんだ。
直ぐにエレナに腕を捕まれ浮遊が始まる。
「俺へのサンタ服の支給はないのか?」
とはいえ所詮厚めの春服じゃあ、真冬の気温は堪える。サンタ服が暖かいのかは知らんが、まさか寒いってこともないだろう。
「もう少し研修が進んだらな、コストがかかるんだ」
「あと当然だが空も飛べないけど。いや、というかサンタってトナカイとソリで空を飛ぶもんじゃ?」
『サンタクロースが乗っているものはなんでしょう?』なんて10回クイズがあるくらいだ。そのイメージは切っても切れない。
「莫迦じゃないのか。トナカイが空を飛ぶわけないだろ」
「人が空を飛ぶわけないだろ」
「実際飛んでるんだから仕方ない。これも改造班の技術の結晶だ」
「えっと……」
てっきり俺はサンタクロースが空を飛べるのはサンタ服に何かしらのメカニズムがあるのかと……いや正直言うとちゃんと考えてはいなくて、出来ればそうであって欲しかっただけなんだけど。
ただ実際のところ半ば察してはいた。サンタ服と飛行を別々のものとして考えていたし、改造班なんて物騒な名前を聞けばまぁある程度は……。
「つまり改造人間ってこと?」
「飛行能力と身体能力の強化、衝撃耐性までついた便利な身体だよ」
「要素モリモリだな」
思い返せば鉄パイプへし折ってたし、生身で出来るわきゃないな。
「当然、能力があるからといって自由に使いこなせるわけじゃないから特訓が必要だが」
「それは……結構楽しみ、かもしれない」
俺とて心はいつまでも男子中学生。舞空術にはいつまでだって憧れてる。
身体にメスが入ることに恐怖はあるし、なんならネジすら入りそうだけど我慢するしかない。エレナを見る限り普段の生活に不自由することも多くは無いだろう。
恐怖を誤魔化す意味を含めて、期待に膨らむ胸のままに尋ねる。不謹慎かもしれないが、この仕事にワクワクしたって仕方がないだろう。
「それで、今日はどんな子の家にいくんだ?」
そう尋ねると、少し困ったように間を置いて話を変えられてしまう。
「んー、いや。その前にひとつ問題だ。『サンタクロースに会う』と言って寝ようとしない子どもがいたとき、私たちはどうすればいいと思う?」
「どうもなにも……そんなん何をするまでもないだろ。待ってりゃ勝手に眠りこけてるさ」
俺だってガキの頃サンタクロースに会うと意気込んで夜更かししようとしたことがある。それでもサンタクロースを信じてる年齢の覚悟なんて大したことは無い。クリスマスのご馳走を腹いっぱい食べて、更にはケーキまで食べてしまった愚かな少年は、幸せなままベッドに潜って気がつけば枕元のプレゼントに目を輝かしていた。
「半分正解で半分不正解だな。普通の子どもが持ち合わせる生半可な覚悟ならそれで全く問題がない。どんなに遅くても日付が変わる前にはちゃんと帰れるだろうな」
「随分と引っかかる言い方をするな……」
『普通』のだとか『生半可』なだとか。それは言外に半分の不正解は『異常』や『本気』の子どもを含有してるってことだ。
「さて、それで今日どんな子どもの家に行くかだったな」
そう言ったエレナの手に力が強く込められたのは気の所為では無いだろう。掴まれた腕の骨が軽く悲鳴をあげる。
「今日行くのは小学3年生のくるみちゃん。死因は撲殺。父親に殴り殺されたみたいだ」
「……え?」
撲殺? 父親に?
脳が、情報を拒否する。言葉は、理解できる。内容も。ただ、だからこそ、そんなわけが無いと、理性が否定する。しなきゃいけない。しないと、倫理が崩壊する。
「児童虐待を受けている少女だよ。サンタクロースの存在を信じているんだ。そしてサンタクロースが助けてくれると信じている。信じてしまっているんだ」
それは……何も、何も言えない。
聞こえてくる話の重さに俺は少し現実を信じられなかった。
俺が平和な場所で生きているだけで、そんな生活を送る少女も存在しているのか。存在して、許されてしまっているのか。
そんな俺の心情を知ってか否か、少し矢継ぎ早にエレナが言葉を続ける。
「それで、話を戻そうか。お前の言う通り基本的には子どもが寝るまで待てば正解だよ。ただ、くるみちゃんのようにサンタクロースが自分の持ちうる希望の全ての場合は話が別だ。必ず起き続ける。待ち続ける。経験則的にそうなんだ」
「経験則……か」
ってことはそんな事例が今までも何件かあったってことだ。見たこともない会ったこともない、話に聞いただけの怪しい爺さんが希望の全てだなんて……認めたくない事実だが、サンタクロースよりはまだよっぽど現実的だ。
「だとしたらプレゼントを渡さないのが正解なのか?」
「まさか、そんなわけが無いだろう」
「じゃあ、どうやって……」
「何も気にしないさ。何も気にせずに部屋に入って枕元にプレゼントを置く。何も無いところからプレゼントが現れるよりは私たちも見えた方がいいだろうから透明化は解除してな。それで、話しかけられたら応えるし堂々としていればいい」
「そんなことしたらサンタクロースの存在がバレるんじゃ」
「本人にはね。それでも、そんな環境にいる子どもは誰に話せばいい、誰に信じてもらえばいい?」
はぁ、と少し息を吐いて
「だからね、問題が無いんだ」
悲しそうに、そう言った。
「それにそんな子どもが大人に成長したとしても、当時のことはきっと信じないものさ。少しの希望に幻を見たと考えるか、あるいは忘れてしまうかもしれない。多分、それが一番幸せだ」
俺には祖父がいた。すぐ近所に住んでいた祖父の家に幼い俺はよく遊びに行っていたし、痛いぐらいに溺れるぐらいに俺を可愛がってくれた……らしい。というにも俺が4歳の頃には亡くなったのだ。
当時の記憶は他には一切ない。ただ、祖父の膝の上で話をしたことや、祖父が好きだったアーモンドチョコレートを食べたことは覚えている。
自信が無い。多分、その記憶は俺の記憶じゃない。祖母の家に飾られた白髪の爺さんの膝の上に座る幼い俺の写真が、祖母や母親が何度も話してくれた祖父との思い出が、虚構の記憶を作り出していると言われても俺は否定できない。何しろ、その写真を見なければ祖父の顔すら思い出せないのだ。
記憶は改竄される。刷り込みや思い込みでも、防衛本能でも。
くだらない与太話、現実逃避だ。必死に余所見をしなきゃまともでいられない。色々と、俺には向き合うことが出来ない。
ふと気づくとエレナが速度と高度を落とし始めている。
「着いたぞ。ここがくるみちゃんの家だ」
そう言って降ろされたのは白い一軒家の二階ベランダ。大きな家ではないかもしれないが、手入れされた庭やガレージの車から成功者の住処だと分かる清潔な外装をしていた。
エレナが部屋の中を覗いて確認をすると、担いでいた袋からサンタ服を取り出してこちらへと寄越す。
「やはりくるみちゃんは起きているな。姿を見せることになるだろう、今日は貸してやるから着ておけ」
「あいよ」
エレナの予備なんだろう。渡されたサンタ服に袖を通すと明確に暖かい。
「サイズ的にも問題が無さそうだな。着いてこい」
そう言って当然のように窓を通り抜けるエレナに困惑するも、俺が差し出した手はなんら抵抗なく窓ガラスをすり抜けて部屋に侵入できてしまった。
ただ、些事だ。そんなことは些細な、本当にどうだっていいことだ。
全体的にピンク色に彩られた部屋には折り紙のクリスマスツリーと長靴が飾られている。そんな部屋のベッドに居たのは、顔全体を痣に腫らした幼い少女。よっぽど眠いのか何度も瞼を手の甲で擦る健気な姿が、余計に……惨い。
「っ……」
喉がひゅっと鳴った。
ふと隣のエレナを見ると、呼吸が上がり目の焦点があっていない。声を投げかけようとするも、口元を覆うように抑えた手と反対の手のひらで制止されてしまう。
それから数十秒、何度か深呼吸をしてようやく呼吸が落ち着いたのかエレナがこちらに向き直りアイコンタクトを取ってくる。
首肯で返すと一瞬無表情に変わり、そしてにこやかな表情を浮かべエレナが声をあげる。
「やぁくるみちゃん、メリークリスマス! サンタクロースのお姉さんがプレゼントを届けに来たよ」
そんなエレナに対しくるみちゃんが呆気にとられポカーンと口を広げる。エレナと、エレナの服装と、そして俺と。幾度となく視線を動かしどうにか意味と状況が理解できたのか、表情が少しずつ和らぎ気づけば満面の笑みへと変わる。
「ほんとに! ほんとにサンタさんなの!?」
「あぁ、そうだよ。ほら見てご覧。プレゼントだってもちろん用意してるからね」
少し早口にそう言ったエレナが袋から綺麗に包装されたプレゼントを取り出す。
「ほら、いい子にしてたくるみちゃんにはこれをあげよう」
ビクッと肩が震え、くるみちゃんの伸ばしかけた手が止まる。表情が凍る。
「……? どうしたの?」
「その……ね」
くるみちゃんの声が涙に溺れる。
「くるみね、いい子じゃないの」
「そんなことないよ、くるみちゃんは1年間いい子にしてたでしょ?」
「でも……でも、パパは私を悪い子だって。ダメな子だって」
あぁ……そうか、そうだ。そりゃそうだ。
暴力を振るう親だろうと、世界が狭い極めて幼い少女にしてみりゃ、やっぱり親なんだ。いきなり現れた知らない人間の言うことよりはよっぽど信じられる。
「ううん、それは違うよ。くるみちゃんがいい子にしてたところはちゃんとお姉さん達が見てたからね」
「でも、パパはくるみが悪い子だって……」
「あんなパパの言うことなんて気にしないで……だってくるみちゃんを、くるみちゃんのことを」
「エレナ!」
我慢できず、声を荒らげてしまう。
それはダメだ。やっちゃいけない。……くるみちゃんに向けられている感情は、俺らが気安く伝えていいことじゃない。
エレナを押しのけて、くるみちゃんに向き合う。
俺の方がまだマシだ。
「くるみちゃんのパパはね、くるみちゃんが悪い子だって言うのかもしれない。くるみちゃんが失敗しちゃうこともあるのかもしれない」
「うん……」
「それでもね、くるみちゃんが本当にずーっと悪い子ならお兄さん達は今日ここに来ていない。そうじゃない?」
「……」
「だって1年間でいい事もいっぱいしたんじゃない? 学校で先生に褒められたりとか『ありがとう』って言われたりとかしなかった?」
「それは……あったかも」
「そうでしょ。だからね……ううん、それでもね、もし辛かったら我慢せずに泣いていいんだよ」
「でもパパは絶対泣いちゃダメだって……」
既に泣きそうになっているくるみちゃんがそう吐露するが……反吐が出る。こんな健気な子どもを都合よく支配しようなんて、許せねぇよな。
「そんなことないよ、泣かないとずっと心がもやもやしちゃうでしょ? 好きなだけ泣けばいいんだよ」
「いいの? 我慢しなくて」
「いい。今日だけは頑張らないでいいんだ」
俺がそう言うとくるみちゃんはうわーん、と声をあげて俺に抱きついてくる。
泣き方すら、甘え方すら知らずに育ったんだろう。俺の服を汚さないようにと顔が少し浮いている。優しく、それでも強く、浮いた頭を後ろから俺の胸に押し付ける。子どもが遠慮なんかするんじゃねぇよ。
エレナに肩を叩かれくるみちゃんをそっと覆い耳を塞ぐと、小声で囁いてくる。
「余計なことを言うなよ。それが後々くるみちゃんにとってどんな傷になるか分かったもんじゃない」
「わかっているさ。それでも、本当のことを伝える残酷さより、俺はまやかしの希望を選びたい」
正しいことじゃないだろう。他に正解があるんだろう。
それでも、俺にはこれしかできることがない。救いの手を伸ばせないから、気休めの言葉しかかけられない。
「はぁ……まぁいい。それでも、私たちの仕事はそれじゃない。落ち着いたらでいい。帰れる準備はしておけよ」
「もちろん」
そう返しながらくるみちゃんの背中をポンポンと軽く叩き続ける。
しばらくして、くるみちゃんの泣き声が「すん」と鼻をすする音に変わってから、改めてくるみちゃんに向き直る。
「じゃあ、サンタさんはもう帰らなくちゃいけないからね」
そう言ってプレゼントを手渡しする。
「うん! ありがとう! サンタさんに会えて満足できたよ!」
そう言われたかと思うと視界が暗くなり、例の空間へと戻っていた。
「色々気にはなるが……ありがとうな。少し失敗した」
「いや、いいよ。俺にできる寄り添い方があれだっただけだ。そんなことより! くるみちゃんはどうなった? 未来は変わったか?」
そう尋ねると、エレナは。
スマートフォンの画面をやけに機械的に操作して、いきを飲み。わずかに、目をおよがせた。目を閉ざしたかと思うとこちらを見て、目を逸らし、それでもまたこちらを見てくる。
なんだよ、早く教えろよ。
「そう、だな。くるみちゃんは、死んだ。去年の12月25日に」
「………………は?」
………………は?
いや、いや。いや……いや、
「なんっで、そうなるんだよ。おかしいだろ。プレゼントを俺らは渡したんだろ? なんで。なんでそうなんだよ? 俺らは、くるみちゃんの命を救ったんじゃないのかよ?」
「プレゼントの中身は拳銃だ。生きるも死ぬも、自分で決められる」
「……は? 待てよ、なんでそうなるんだよ? なんでそんなものをプレゼントした? いや、だとしても、なんでくるみちゃんが死ぬことになんだよ?」
「自殺だ。その拳銃で頭を撃ち抜いた。私たちが来て、救われたと思い込んだのかもしれない。清々しい顔をしているよ。満足ってのは多分……まぁ、そういうことだろう」
「待てよ! じゃあ、俺らが行ったから……俺らが行かなきゃくるみちゃんは」
「死んでいたさ。言ったろ。撲殺されたと。それに比べれば、幸せな気持ちのまま死ねたんだ。悪くない未来だったんじゃないか?」
こいつは、何を言ってるんだ。死んでいる未来が幸せだ? ふざけるなよ。
「本気で……本気で言ってんのかよ! くるみちゃんが死ぬのが当然だって言いたいのかよ。サンタクロースの仕事は子どもたちの命を救うことじゃ無かったのかよ!」
「私を冷酷だと思って莫迦にするなよ。人が死んで当然なわけがあるか。ただな、私は何度も救いきれない命にあってきた。何度も言っただろう、私たちはあくまで選択肢を与えるに過ぎない。未来を選ぶのは自分自身だと。私たちは、正義のヒーローなんかじゃないんだ」
そう冷たく言い捨てるエレナの拳は、言葉と裏腹に強く握りこまれていた。爪を立て、手のひらから血が溢れ出すほどに。
「……保身だよ。お前は昨日勘違いしたかもしれないが私は謙遜なんかしない」
先程までの口調とは異なり、何かを吐き出すようにポツリポツリとエレナが言葉を紡ぐ。
「……そうだ、くるみちゃんは私が殺した。私が別の死という選択肢を増やしただけだ。別に私たちがプレゼントの中身を見ることは禁止されていない。ただ、私は絶対に見ない。偉そうに、神様気取りで迷ってしまう。そんな私の弱い感情で選択肢を潰したくはない」
そして、歯をギリッと鳴らして続けた。
「それで子どもに死をプレゼントすることになっても構わない。少しでもそれが彼らにとっていい未来ならば私は胸を張る。自分の仕事を誇って声高々に叫ぼう、今日も最高の仕事をした、とな! 私たちの仕事は選択肢を用意すること。無理に未来を変えることでも、命を救うことでもない。勘違いするな!」
そう吐き捨て立ち去ったエレナがいた地面は、手から零れた血に染まっていた。
「最高の仕事をしたやつがそんな顔しててたまるかよ……」
そんな俺の呟きは、誰もいない空間を虚しく谺した。
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