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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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第8話 生まれる前の約束

子供の笑い声は、扉が開いた直後にふっと途切れた。


蒼汰は思わず足を止めたまま、第二区画の中を見渡す。


そこは、帰還室とはまるで違う空間だった。


広さは半分ほどしかない。

けれど空気はやわらかかった。石造りの壁は同じはずなのに、照明の色が暖かいせいか、地下の保管庫というより、小さな私室みたいに見える。床には薄い絨毯。壁際には背の低い棚。卓上には写真立てがいくつも並び、本棚には児童書と分厚い記録簿が混ざっていた。


そして部屋の中央、天井から小さなモビールが吊るされている。


星。

月。

小鳥。

見覚えのある、木でできた素朴な飾り。


蒼汰は息を呑んだ。


それ、うちにあったやつだ


はい


冬城が静かに答える。


蒼汰様が小さい頃、お部屋に置かれていたものと同型かと


同型じゃない

これだ


蒼汰はゆっくり近づいた。


覚えている。

自分の部屋の天井近くで揺れていた。風が入るたびにかすかに鳴って、夜中に目が覚めると、それをぼんやり見上げていた記憶がある。


でも、あれは母が片づけたはずだ。

引っ越しもしていないのに、いつの間にかなくなっていた。



頭の中で呼ぶと、守は少しだけ間を置いた。


……それは、元は二つあった


二つ?


巴が気に入ってな

一つは家に、もう一つはここに置いた


なんでここに


また沈黙。

だが今度は短かった。


帰ってくる場所を、家の匂いに近づけたかった


蒼汰はそれ以上何も言えなかった。


部屋の奥には、小さな木箱と、丸いテーブルが一つ。

壁には写真が数枚飾られている。


一枚目は、若い守と巴だ。

蒼汰が知るより少し幼い顔の二人が、夜空を背にして並んでいる。守は今より少し細く、巴は笑っていた。見たことのない表情なのに、すぐに分かる。ああ、父と母だ、と。


二枚目は、まだ赤ん坊の蒼汰。

巴に抱かれて眠っている。

その横で守が妙にぎこちない顔をしていて、写真を撮った誰かが吹き出した気配まで伝わってきそうだった。


三枚目で、蒼汰の足が止まる。


そこに写っていたのは、この部屋だった。


同じ棚。

同じモビール。

同じ小さなテーブル。

そして、巴に抱かれた幼い蒼汰と、その横に立つ守。


蒼汰は写真立てを手に取った。


……俺、来たことあるのか、ここ


守の声が低く返る。


一度だけだ


いつ


一歳になる前

巴と一緒に


蒼汰は写真を見つめる。

もちろん覚えていない。

覚えていないのに、写真の中の母の抱き方や、守の立ち位置に、妙に胸がざわつく。二人とも、蒼汰を真ん中に置いている。


冬城が部屋の中央を見回しながら言う。


共同保管区画というより、家族用の待機室に近いですね

守様お一人の設計では、こうはならないかと


巴が作ったのか


おそらく、かなり


それは何となく分かった。

帰還室には守の癖しかなかった。

けれどこの部屋には、母の整え方がある。物の配置、空気のやわらかさ、写真の並べ方。誰かがきちんと、ここを「部屋」にしていた。


そのとき、ポケットの中の指輪が温かくなった。


モビールが、かすかに回る。


誰も触れていないのに、小さな星と月が揺れて、やわらかな音が鳴った。


同時に、部屋の中央へ薄い光が浮かぶ。


蒼汰は思わず身構えたが、冬城が低く言う。


記録再生です

巴様の認証が続いています


光はゆっくりと形を取った。


そこに現れたのは、まだ若い守と巴だった。


幻のようでいて、輪郭ははっきりしている。

守は椅子の背に中途半端にもたれ、巴はテーブルの上に紙を広げている。二人とも、蒼汰の知る父母より少し若い。写真の中と同じくらいだろうか。


記録の中の守が言う。


本当にやるのか


やります


巴は即答だった。


蒼汰は思わず、小さく息を呑む。

生きている母の、迷いのない声だった。


でも巴、それだと


それでもです


記録の中の巴は、守をまっすぐ見ていた。


この子が生まれる前に、決めておきたいんです

後からだと、守さん絶対に曖昧にするから


そんなことは


あります


守が口を閉じる。

そのやり取りだけで、二人の空気が少し見える気がした。


巴は机上の紙を守の方へ寄せた。


もしこの子に、あなたの側の適性があったとしても

もし向こうから見つかりやすい子だったとしても

それでも最初に与えるのは、普通の生活です


守は視線を落とす。


分かってる


分かっていても、書いてください


巴の声はやわらかいのに、譲らなかった。


蒼汰は記録の中の紙に目を凝らす。

文字は見えない。

けれど、これが「約束」なのだと分かる。


守が低く言う。


もし普通でいられない側だったらどうする

そのとき困るのは


私たちです


巴はそこで少しだけ笑った。


蒼汰ではなく、私たちが困るんです

だから先に決めましょう

守さんが必要以上に準備しないように

私が感情だけで止めすぎないように


記録の守は、しばらく黙ったあと、観念したみたいに息を吐く。


……拒否権、だな


はい

お互いに一本ずつ


そこで蒼汰の胸がどくりと鳴った。


拒否権。


巴の記録で出た言葉だ。


記録の巴がうなずく。


守さんが、この子をこちら側へ引き入れようとしたら、私が止めます

私が感情に流されて、この子から知る権利まで奪おうとしたら、守さんが止めてください


守はゆっくり顔を上げる。


……知る権利は残すのか


残します


巴は一度も迷わなかった。


この子が自分で扉を開けたなら

そのときは、もう止めません

でも、それまでは普通でいていい


その一言に、蒼汰は目を伏せる。


まただ。

母は、蒼汰が生まれる前からそれを言っていた。


守が苦く笑うように言う。


普通でいていい、か

お前は簡単に言うな


簡単じゃないです

でも、大事です


巴は少しだけお腹に手を置いた。

その仕草で、蒼汰は初めて理解する。

この記録は、本当に自分が生まれる前のものなのだ。


私は、この子に最初から何かを背負わせたくない

守さんの功績も

向こう側の事情も

私たちの都合も


守は視線を逸らしたまま、低く問う。


それでも、向こうから見つかったら


巴の声が少しだけ沈む。


そのときは、仕方がありません

でも、だからこそ条件を決めておきたいんです


記録の中で、巴が紙の一か所を指で押さえる。


見つかったとき

もしくは、この子が自分で知ろうとして扉を開いたとき

そのときだけ、この約束は開きます


守は目を細める。


つまり、それまでは閉じる


そうです


巴がはっきり言った。


守さんの世界は閉じる

でも、この子の未来まで閉じるわけじゃない

そこは間違えないでください


蒼汰は喉の奥が熱くなるのを感じた。


父の世界を閉じる。

でも未来は閉じない。


それは、いまここにいる自分のために残された言葉みたいだった。


記録の守が、ようやく紙を手に取る。


……分かった

書くよ


そして少しだけ、情けない声で続けた。


でも巴

たぶん私は、そのうち様子を見に行く


ええ、知っています


止めないのか


止めますよ

でも、たぶん行くんでしょう


蒼汰は思わず、写真の前で立ち尽くしたまま小さく息を漏らした。

母は知っていたのだ。

父が遠くから見に来る男だと、最初から。


記録の巴が少しだけ笑う。


だから、そこも書いておきましょう

見守るのはいい

でも、勝手に決めない

勝手に連れていかない

勝手に守った気にならない


守が小さく顔をしかめた。


最後のは余計だろ


余計じゃありません


巴は即答した。


守さん、あなたはすぐ、黙って一人で頑張った気になりますから


蒼汰の頭の奥で、いまの守が小さく咳払いした。

図星らしい。


記録の中の守は、やがて紙へ何かを書き込み始めた。

巴も続けて署名する。


二人の名前が並んだ瞬間、光景が少し揺れた。


記録の最後に、巴がまっすぐ前を見た。

まるで、未来の蒼汰へ向けるみたいに。


もし蒼汰がこの部屋まで来たなら

そのときは、もう誰かの都合ではなく、蒼汰の意思で選んでください


記録はそこで途切れた。


光が消える。

部屋に静けさが戻る。


蒼汰はしばらく声が出なかった。


生まれる前から、決めてたのか


ああ


守の返事は短かった。


巴と一緒に


ああ


蒼汰は壁の写真、モビール、棚の絵本を見た。

どれも、ただの家族の品にしか見えない。

でもその全部が、父と母が「普通」を守ろうとした証拠みたいに見えた。


冬城が棚の下から、薄い紙束を一つ取り出した。


蒼汰様

おそらくこちらが、約束の原本かと


蒼汰は受け取った。


紙は少し古い。

だが保存状態はいい。

一枚目の表題には、守の字でも巴の字でもない、整った記録文字でこう書かれていた。


家族間限定継承保留契約

対象個体:未出生児一名

暫定呼称:蒼


蒼汰は目を止める。



名前、もう考えてたのか


頭の中で守が、少しだけ照れたみたいに黙る。

代わりに冬城が紙面を見て答えた。


おそらく仮称でしょう

正式名の決定前の、識別用かと


蒼汰は二枚目をめくる。


条文は硬かった。

けれど内容は、さっき見た記録の通りだった。


未成年期間における継承誘導の禁止。

一方的な準備行為の制限。

関与拡大時の相互拒否権。

本人が自発的に到達した場合の開示義務。


そこまで読み進めて、蒼汰の指が止まる。


最後の条項だけ、文字が違った。


これは巴の手書きだ。


例外条項

対象個体が先に境界側から識別された場合、本契約の保留は失効する

その場合、両名は速やかに防衛と説明へ移行すること


蒼汰はその一文を見つめた。


先に境界側から識別された場合。


嫌な言い回しだった。

他人事じゃない。

むしろ、いまの自分に近すぎる。



ああ


これ、どういう意味だ


守は少しだけ低く答えた。


お前が自分で扉を開く前に

向こう側の何かに見つかった場合の話だ


見つかったら、どうなる


場合による

だが大抵は、普通では済まない


冬城の表情がわずかに変わった。


守様

その例外条項ですが


ああ

私も見えてる


頭の奥の守の声が、今までで一番鋭くなる。


蒼汰

その紙の下を見ろ


蒼汰は眉を寄せた。

契約書の最後のページ、そのさらに下に薄い封筒が一枚、挟まっている。

裏面には守の字。


例外が起きたときだけ開けろ


冗談みたいなタイミングだった。


蒼汰は嫌な予感を覚えながら封筒を取る。

持ち上げた瞬間、鍵が白く光った。


同時に、部屋の壁へ赤い文字が走る。


外縁警戒線異常

第一保管路外部に識別反応

対象照合中


冬城が即座に振り返った。


外部反応?


青い番人が区画入口へ剣を向ける。


識別照合を開始

対象個体の外部観測を確認


蒼汰の背中が冷える。


まさか


守の声が低く言った。


最悪の方だ

お前、見つかった


部屋の照明が一瞬だけ落ちる。

次に灯ったとき、壁の赤い文字はさらに増えていた。


識別完了

対象個体:奏多蒼汰

境界側より観測開始


蒼汰は封筒を握りしめたまま、動けなかった。


生まれる前に決められた約束は、いま、目の前で失効しようとしていた

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