表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/31

第26話 血統名簿の余白

棺のある広間へ戻る前に、蒼汰は腕の中の荷物を見下ろして、とうとう小さく呻いた。


兵站局の黒箱。

商隊旗。

大勲章。

削られた勲札。

宮旗。

裂かれた婚約書類。

銀の燈。

祭壇布。

学監棒。

教育日誌の複写。

夜紋。

盟約写し。

羅針儀。

消えた線の地図。

銀の主席笛。

規定集。

巨大な解除鍵。

河渠院旗。

帰還優先灯の運用標。

統制塔旗。

鐘槌。

礼楽院旗。

真鍮札。

図書院旗。


もう遺族の持ち物ではない。

世界のあちこちから、父の知らない顔だけが物の形になって押し寄せてくるみたいだった。


冬城が静かに言う。


広間脇の卓を、もう一段増やしました

いったん並べましょう


助かる……


蒼汰は素直にそう言った。

リュシエラが横でごく小さく頷く。


今夜だけで一族の宝物庫みたいになっていますね


やめてくれ

自覚はある


棺の脇に設けられた長卓へ、一つずつ置いていく。

黒箱、旗、小箱、紙片、地図、札。

並べるたびに、父が何をしてきた人間だったのかが、物の組み合わせで少しずつ輪郭を持っていく。


蒼汰は最後に手を離し、深く息を吐いた。


……よし

次、行ける


冬城が一礼する。


次の方は、王家の血統名簿に一本、余計な名前を書き加えられた紋章官の方です


言い方がもう嫌なんだよなあ


守が頭の奥でぼそりと言う。


余計ではない

必要だった


その説明、もう先に信用しないことにしてるから


好きにしろ


好きにするよ


リュシエラが静かに言う。


血統名簿は、夜の側でも厄介です

一つ名前が増えるだけで、何十年も揉めますので


慰めになる情報が一個もないな


慰めてはいません


蒼汰は小さく呻きつつ、応接室へ向かった。


扉が開く。


今度の部屋の空気は、蝋と革と古い羊皮紙の匂いがした。

図書院の紙の匂いとも違う。

もっと血筋や誓約や、長く消えずに残る名前の匂いだ。


中央に立っていたのは、男だった。


年齢は六十代前半ほど。

痩せているが、背筋は一切曲がっていない。黒の礼装に深紅の細い縁取りが入り、その上から灰金の短い肩章布をかけている。軍人でも貴族でもない。だが一目で、王家そのものの記録へ触れることを許された人間だと分かる静かな重みがあった。

白髪はきっちり後ろへ撫でつけられ、右手には細い手袋。左手の人差し指だけ、インクの色が薄く残っている。長く筆記具と封蝋を扱ってきた指だった。

後ろには若い従者が二人。

一人が平たい木箱を、もう一人が巻かれた系譜図と、赤い布包みを抱えている。


冬城が告げる。


王家紋章院首席紋章官、アウグスト・レイヴェン様です

守様に、王家の血統名簿へ一本、余計な名前を書き加えられたご当人でもあります


男――アウグストは、蒼汰を見て深く礼をした。

それは宮廷礼に近いのに、どこか職人の礼でもあった。

名前を記す者が、名を受ける者へ払う敬意だった。


奏多蒼汰殿


声は低く、澄んでいる。

宣言文を読み慣れた人間の声だ。


私はアウグスト・レイヴェン

王家紋章院首席紋章官

そして、守殿に王家血統名簿へ一本、余計な名前を書かれた者です


蒼汰は一拍置いてから言った。


余計じゃなかったんですよね、たぶん


アウグストの目がほんの少しだけ和らいだ。


ええ

結果的には


冬城に促され、蒼汰は椅子へ座る。

アウグストも向かいへ腰を下ろした。

座り方まで整っている。名簿の一行を乱さぬように息をする人の動きだった。


アウグストは、まず巻かれた系譜図を広げた。


王家血統名簿は、単なる家系図ではありません

相続権、継承権、婚姻権、封土権、儀礼列席順位

国の骨組みのかなりの部分が、そこにぶら下がっています


蒼汰は黙って聞く。


ある年、王家は継承の谷間に入りました

先王の嫡流が絶え、分家筋の二系統が互いに継承権を主張し始めた

どちらも完全には正しく、どちらも完全には足りない

最悪の時期でした


守が頭の奥で言う。


放っておくと内戦だった


またそういうやつか


だいたいそういう時しか呼ばれん


アウグストは細い指で系譜図の一か所を示した。

そこだけ、後から追記されたような赤い細線がある。


問題は、この空白でした

第二王弟殿下の婚姻欄です


空白?


はい

正式記録上は未婚

ゆえに子もなし

だが実際には、地方巡察の折に一度だけ正式誓約を交わした相手がいた


蒼汰は少しだけ眉を寄せた。


隠し子とか、そういう話ですか


半分だけ近いです


アウグストは静かに答えた。


相手は辺境施療院の女院長

身分が低いわけではない

ただ、王都貴族から見れば都合が悪かった

誓約は地方法では成立していたのに、中央登録が止められた

結果として、婚姻も、その娘の名も、王家血統名簿から消された


蒼汰は少し黙る。

見えてきた。

父が嫌いそうな匂いだ。


娘は?


生きていました

ただし名前のないまま


アウグストの声が少しだけ低くなる。


その娘を名簿へ入れれば、分家二系統の争いは止まります

なぜなら彼女は直系に近く、しかも幼い

誰もすぐ王位にはつけられない

だからこそ中継ぎの摂政体制が組める

逆に彼女を消したままにすれば、成人した分家同士が武力で決めるしかない


蒼汰は思わず息を吐いた。


つまり、名前が一つ増えるだけで戦争が止まる


はい

そしてその一つを、王都は何年も見ないふりをした


守が頭の奥で言う。


空白が人を殺す時がある


蒼汰は心の中で返す。


それで、父さんが出てきた


アウグストは頷く。


守殿は最初、私へ名簿の原本を見せろと言いました

当然断りました

王家血統名簿は、王と紋章官と、ごく限られた法務官しか触れられない

すると守殿は、では写しでいい、空白の理由だけ見せろと言った


見せたんですか


見せませんでした

ですから守殿は、その日のうちに地方誓約簿と施療院洗礼録と、誓約立会人二名を王都へ連れてきました


蒼汰は思わず顔をしかめる。


行動が早いんだよなあ……


はい

ひどく


アウグストの声に、ごくわずかな呆れが混じる。


守殿は王家評定の場で、それらを机へ叩きつけ

空白にしていたのは記録の不備ではなく、王都の都合だと断じました

そして私へ問いかけたのです

紋章官、お前は血を守っているのか

都合のいい棚を守っているのか、と


蒼汰は目を伏せた。

また父だ。

父はいつも、その手の問いを真正面から投げる。


アウグストは続ける。


私は激怒しました

紋章院は都合で筆を折りません

証がなければ書けない

そう返しました

すると守殿は、証はある

ないのは書く覚悟だけだ、と


部屋が静かになる。


蒼汰は、もう反論できない自分に少しだけ苦笑した。

父の言葉は、いつも嫌なくらいそこを突く。


で、書いたんですか


いいえ

私は最後まで拒みました


アウグストは一拍置く。


だから守殿が書きました


蒼汰は思わず目を閉じた。


……やっぱりか


王家血統名簿の補筆権は本来、紋章官にしかありません

守殿にはありません

ですがあの方は、空白欄の前で私の筆を取り

その娘の名を一行、書き加えた


それが余計な名前、ですか


はい

ただし、その一行が余計だったのは書いた瞬間までです

その後、法が追いつき、記録が追いつき、王が追認した

結果として、余計ではなくなった


守が頭の奥でぼそりと言う。


最初から余計じゃなかった


手順が余計なんだよ


蒼汰は心の中で返す。


アウグストは木箱を机上へ置く。

開くと、中には細い銀筆が入っていた。

装飾は少ない。だが握りのところへ王家紋章院の刻印と、極小の王紋が入っている。長く使われてきた筆だと一目で分かった。


これは、王家補筆筆です

血統名簿へ名前を加える時にだけ使う筆

本来、院の外へ出ません


そんな大事なものを


はい

大事なものです


アウグストは頷く。


守殿は勲章より、こちらの方が近い

あの方は王冠に興味はなくとも

王冠のせいで消される名には、異様にうるさかった

ですから


さらに、赤い布包みが開かれる。

現れたのは旗だった。

王旗ではない。紋章院旗だ。

深紅地に金と白で王家樹形紋と書記羽根が刺繍されている。

血と名を守る側の旗なのだろう。


本式の日

王家紋章院は、この旗を半旗とします

また血統名簿の原本は閉じません

守殿が書き加えたその一行を含む頁だけ、一夜、封を解いておく

それが我々の弔意です


蒼汰は、その情景を想像した。

閉じられているはずの王家血統名簿が、その一頁だけ開かれたまま夜を越す。

父のせいで、いや父のおかげで、書き加えられた一つの名を外へ向けたまま。


アウグストは最後に、小さな紙片を差し出した。

守の字だ。


空白のまま守れる血なんて、だいたい都合のいい嘘だ

名前がいるなら書け

そのせいで揉めるなら、揉める方がまだましだ


蒼汰は、そこで少しだけ笑った。

あまりにも父らしい。

きれいな理想ではなく、揉めてもまだまし、という現実的な押し方が。


アウグストの目が、ほんの少しだけ和らぐ。


守殿は、血統そのものを重んじたわけではありません

ただ、名のないまま切り捨てられる側を嫌った

ゆえに私は、怒りながらも礼を言いに来ました


その娘は、どうなったんですか


蒼汰が問うと、アウグストは静かに答えた。


王にはなりませんでした

望まなかったからです

ですが、彼女の名が名簿へ入ったことで摂政会議が成立し

内戦は止まり

三年後、別筋の正統継承が穏当に繋がった

つまり守殿は、王を作ったのではなく

王が決まるまでの死人を減らしたのです


蒼汰は小さく息を吐いた。

やっぱりそうだ。

父は何かを奪って王冠を取るのではなく、繋ぎの朝を守る方へばかりいる。


アウグストは立ち上がる。


奏多蒼汰殿

私は守殿に、血統名簿へ余計な名前を書かれました

ですがそのおかげで、空白のために死ぬはずだった者たちは死なずに済んだ

ゆえに礼を申し上げます


蒼汰は、銀筆と紋章院旗と紙片を見てから、ゆっくり頷いた。


……預かります


ありがとうございます


去り際、アウグストは一度だけ棺の方角を見た。

それから蒼汰へ向き直る。


守殿は、たぶんご家庭でも

家族の記念日を整然と記すより

一人足りない席の方を先に気にする人だったのでしょうね


蒼汰は少しだけ目を瞬いた。


……それは、たしかに

誕生日をちゃんと覚えてる時もあったけど

来ない人の話の方を長くしてたかもしれない


でしょうね


アウグストの灰色の目が、ほんの少しだけやわらぐ。


あの方は、血筋より

席に誰がいるべきだったかの方を見ていたのでしょう


それだけ言って去っていく。

扉が閉まる。


応接室に戻った静けさの中で、蒼汰は銀筆をそっと持ち上げた。

軽い。

だが、その軽さに、一つの名前を書き足す重さが詰まっている気がした。



何だ


あんた、今度は名簿まで触ったのかよ


必要だった


その一言で済ませるなよ本当に


済む話でもある


蒼汰は深く息を吐いた。

でも怒りきれない。

父がいつも同じ場所を見ていたことが、少しずつ分かってきたからだ。


冬城が静かに近づく。


かなりお疲れかと


うん

でも……

父さんが嫌ってた空白って、何となく見えてきた


どういう意味でしょう


蒼汰は銀筆を見下ろした。


制度の空白とか

本棚の空白とか

規約の空白とか

名簿の空白とか

そういう誰かをいないことにする空白を、嫌ってたんだなって


冬城が小さく頷く。


ええ

守様は、だいたいそうです


リュシエラが横で静かに言う。


夜の側でも同じです

血筋の欠落そのものより、意図的に消された名前の方が禍根を残しますので


蒼汰は小さく笑った。


父さん、どこ行っても嫌なところ見つけるの上手すぎるだろ


守は少しだけ黙った。

それから低く返す。


上手いというより、目につくんだ


それを世間では面倒くさいって言うんだよ


否定はしない


冬城が机上の品を整える。


少し棺のおそばへ戻られますか


うん

戻りたい


蒼汰は新しく増えた銀筆と旗を抱え直す。

もう本当に持ちきれない。

それでも、どれも置いていけない。


扉へ向かいながら、何となく尋ねる。


次は?


冬城はほんの少しだけ考えた。


守様に、王立医学院の死亡判定基準を一つ書き換えられた医師長の方です


蒼汰はその場で止まった。


……父さん


何だ


今度は医者かよ


間に合う側の線だったからな


またその理屈かよ


蒼汰は深く息を吐いた。


父、奏多守は、死んでからもなお、世界の空白へ勝手に名前を書き足し、それでも礼を言われ続けていた。

最後までお付き合いいただき感謝します。

もし「続きが読みたい」と思われた方は、ページ下部よりブックマークと評価をお願いします。

なろう読者の皆さまの「いいね」こそが一番の執筆燃料です。

↓↓↓ 応援、ここでお待ちしています ↓↓↓

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ