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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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第25話 禁書棚の空白

棺のある広間へ戻る前に、蒼汰はまた一度だけ立ち止まった。


腕の中の重みが、もう完全に葬儀の常識を超えている。


兵站局の黒箱。

商隊旗。

大勲章。

削られた勲札。

宮旗。

裂かれた婚約書類。

銀の燈。

祭壇布。

学監棒。

教育日誌の複写。

夜紋。

盟約写し。

羅針儀。

消えた線の地図。

銀の主席笛。

規定集。

巨大な解除鍵。

河渠院旗。

帰還優先灯の運用標。

統制塔旗。

鐘槌。

礼楽院旗。


世界のあちこちから、父の知らない顔が物の形を取って蒼汰の腕へ積み上がってくる。

そしてどれも、見たこともないくせに、不思議と父らしかった。


蒼汰は深く息を吐く。


冬城さん


はい


次、王立図書院の禁書分類を一つ消された司書長だっけ


はい


……その時点でだいぶやばいんだけど


そうですね


少しは否定しようよ


難しいかと


守が頭の奥でぼそりと言う。


あれは消した方がよかった


またそれかよ


死ななかったからな


その理屈、毎回言うよな


毎回だいたい同じだからな


リュシエラが横で静かに言う。


本を閉じるのは簡単ですが

閉じたまま人を腐らせるのは、だいたいもっと悪いです


それ、フォローのつもり?


いいえ

ただ、守殿はそういう基準だろうと思っただけです


蒼汰は少しだけ目を閉じた。

本当にもう、父の周りにいた人間たちは、父の面倒くささの通訳が上手い。


応接室の扉が開く。


今度の部屋の空気は、乾いた紙と革、それから古い木棚の匂いがした。


図書館そのものだ、と蒼汰は思った。

静けさの質が他と違う。

礼楽院の静けさは鐘の前の沈黙だった。

ここは、言葉が積まれすぎて自然と静かになった場所の匂いだった。


中央に立っていたのは、女だった。


年齢は六十代の半ばほどだろうか。

背は高くない。痩せている。だが小さくは見えない。長く本棚の間を歩き、言葉を選び、記録を守ってきた人間の密度がある。

黒の礼装の上から深緑の長衣を羽織り、胸元には何もつけていない。装飾の代わりに、細い鎖の先へ小さな鍵を下げていた。髪は白く、きっちりと後ろへ束ねられている。目は灰色で、驚くほど静かだった。


その後ろには若い司書らしき男女が二人。

ひとりが平たい木箱を、もうひとりが分厚い書冊と、長細い布包みを抱えている。


冬城が告げる。


王立図書院総司書長、エウラリア・ヴェストフェル様です

守様に、禁書分類第七種を一つ消されたご当人でもあります


女――エウラリアは、蒼汰を見て深く一礼した。

それは宮廷礼でも軍礼でもなかった。

書物と知識に仕える者が、一人の遺族へ払う、静かな最大敬礼だった。


奏多蒼汰殿


声は低く、澄んでいた。

一語一語が過不足なく選ばれている。


私はエウラリア・ヴェストフェル

王立図書院総司書長

そして、守殿に禁書分類第七種を一つ、その場で消された者です


蒼汰は一拍置いてから言った。


……最近、もう驚くのを諦め始めてるんですけど

それでもだいぶひどいですね


はい

かなり


エウラリアは即答した。

だがその目に怒りはない。

長く考えた末に、怒るだけでは済ませられなかった相手を思う目だった。


冬城に促され、蒼汰は椅子へ座る。

エウラリアも向かいへ腰を下ろす。

座る動作の一つまで無駄がない。だが軍人のそれとは違い、机上の本へ失礼がないように自然と重心を整える人の動きだった。


エウラリアは、まず分厚い書冊を机の上へ置いた。

革表紙。金箔の背表紙。王立図書院禁書目録と記されている。

そして、その中央にだけ、明らかに違う手癖の文字が一行、乱暴に追記されていた。


蒼汰は見覚えのある字に、思わず目を細める。


守の字だ。


第七種の中に、一冊だけ人を殺すのではなく黙らせてる本が混じってる


蒼汰は思わず小さく息を漏らした。


本当にどこでも勝手に書き込むんだな、あの人


守が頭の奥でぼそりと言う。


気づいたからな


書き込みで済ますなよ


最初はそれで済ませた


エウラリアはそのやり取りが聞こえていないはずなのに、どこか似たような疲れをにじませて続ける。


王立図書院には禁書分類があります

第七種は、その中でも特殊です

危険だから禁じるのではない

公にすれば国家や宗教や秩序そのものを揺らすため、管理下に置く

そういう類の本です


危険じゃないのに禁書なんですか


危険です

ただし、剣や呪いの危険とは少し違う


エウラリアの灰色の目が静かに蒼汰を見る。


読んだ人間を変える本があります

一人を発狂させるのではなく

一つの時代の物の見方を変えてしまう本です

そういう本は、ときに刃より厄介です


蒼汰は黙って聞く。

父がそこへ口を出したという時点で、嫌な予感しかしない。


守殿が来たのは、北方飢饉の翌年でした

表向きは救援経路の監査

だが実際には、あの方は図書院に用があったのでしょう


守が頭の奥で言う。


あの本が棚に入ってるのを聞いた


聞いた、って誰に


色々だ


その色々が嫌なんだよな


エウラリアは続ける。


問題の本は、第七種禁書棚の一番奥にありました

書名は、公には伏せます

今もなお、伏せるべきだと思っています

ですが内容だけ申し上げるなら、古い自治都市群の運営記録と、市井の救済台帳です


蒼汰は少しだけ眉を寄せる。


それ、禁書になるような本なんですか


本そのものは、地味です

呪文もなければ、預言もない

ただ、ある時代に

王でも教団でも軍でもなく、複数の町と職能組合だけで、数十年人を食わせ続けた仕組みが細かく記録されていた


エウラリアはそこで、ほんの少しだけ息を吐く。


その本が表へ出れば、現在の正統性に傷がつくと判断されたのです

国家だけでなく、聖堂も、貴族会も、古い学派も

多くが困る


蒼汰は少し黙った。

だんだん見えてくる。

父が嫌いそうな匂いだ。


守殿は最初、その本の禁書指定理由を読んで

ひどく機嫌が悪くなりました


やっぱり


蒼汰がぼそりと言うと、エウラリアは小さく頷いた。


ええ

そして私へこう言いました

これ、人を殺す本じゃない

今の偉い連中が困る本だろう、と


蒼汰は思わず顔を覆いたくなる。

あまりにも父だ。

あまりにも、言いそうだ。


私は当然反論しました

図書院は、好き嫌いで分類を決めません

本を守るためにも、時に隠す必要があると

すると守殿は、では誰から守ってるんだ

読まれたら困る側か、読めないまま困る側か、と聞いた


応接室が少し静かになる。


蒼汰はその言葉を胸の中で繰り返した。

まただ。

父はいつも、その区別を嫌う。

誰のための線か。

誰のための制度か。

誰のための時間か。

誰のための言葉か。

今度は本だ。


それで、どうしたんですか


蒼汰が問うと、エウラリアは平たい木箱を机へ引き寄せた。


守殿は、禁書棚の施錠符に触れました

止めました

私が

副司書長が

保管司が三名

ですが、守殿は聞かない


守が頭の奥で言う。


あの符、やたら重かった


そこかよ


蒼汰が心の中で返す。


エウラリアの声は変わらず静かだった。


禁書分類は、ただ札を付けるだけではありません

棚そのものに、分類術式が刻まれている

第七種は特に重い

守殿は、その術式のうち

問題の一冊へ繋がる分類線だけを消したのです


蒼汰は少しだけ前のめりになる。


分類線?


本棚へ刻まれた概念の線です

危険性、秘匿性、政治性、複製禁止、閲覧制限

そうした複数の線が一冊を禁書足らしめる

守殿は、その中の政治的秘匿という一本だけを、魔法で消した


蒼汰は数秒、何も言えなかった。


……そんなことできるのか


本来はできません


エウラリアが即答する。


できては困ります

分類術は、司書と王権の合意で成り立っているからです

ですが守殿は、その場で分類線だけを焼き切った

本は残り

危険性も残り

複製禁止も残り

ただ、禁書たる最大理由だけが消えた


守が頭の奥で言う。


危ない本じゃなかったからな

出した方がまだましだった


エウラリアは続ける。


私は激怒しました

図書院の権威が死ぬ

分類体系が崩れる

前例になる

あらゆる意味で最悪でした

すると守殿は、珍しく本を机へ戻してからこう言いました


死ぬのは権威だけだ

棚の向こうで死んでる町の方は、もう死んでる


蒼汰は小さく息を呑んだ。


その本には、何が書いてあったんですか


飢饉の越え方です


エウラリアはまっすぐ答えた。


どこから水を引き、どの職能へ何を任せ、王都の承認を待たずにどこまで回せるか

税をどう薄く取り、どう流すか

台所と倉庫と施療院と墓所の順番をどうするか

守殿が好みそうな、本当に地味な本でした


蒼汰は、少しだけ目を伏せた。

父は本当に、どこでも同じ匂いを嗅ぎ取っていたらしい。

鍋、水、税、帰還、そして今度は飢饉の越え方。


その本、公開したんですか


全面ではありません

守殿はそこでも厄介でした


エウラリアの目に、ようやくわずかな苦笑が浮かぶ。


全部出せとは言わなかった

ただ、今すぐ使う部分だけ抜き出せ

死人が増える前に地方へ流せ

学説は後でいい

先に井戸と粥だ、と


守が頭の奥でぼそりと言う。


だってそうだろう


蒼汰は心の中で呻いた。

本当にそうなのだろう。

だから困る。


エウラリアは木箱を開けた。


中に入っていたのは、小さな真鍮札だった。

本の背に付ける分類札に見える。数字と記号が刻まれ、その中央だけが一度削られ、そこへ新しい符号が打ち直されていた。


これは、問題の一冊の旧分類札です

第七種禁書より、第四種制限閲覧へ変更された時に外したもの

本来、図書院の分類庫から出ません


そんな大事なものを


はい

大事なものです


エウラリアは静かに頷く。


守殿は、本そのものより

その札を外した瞬間をよく見ていました

本は変わらない

変わったのは、人がその本を見ることを許される位置だけだと

ですから、これが近い


さらに、随員が長細い布包みを開く。

現れたのは旗だった。

王旗でも学旗でもない。

図書院旗だ。

深緑地に銀糸で鍵と本棚、そして小さな灯が刺繍されている。

王立図書院そのものの旗なのだろう。


本式の日

王立図書院は、この旗を半旗とします

また中央閲覧堂では、日没から十九刻だけ、問題の一冊の複写抄本を開架台へ置く

完全公開ではありません

ですが、守殿が焼き切った分類線への、図書院としての弔意です


蒼汰は、その光景を想像した。

静かな閲覧堂。

深緑の旗が半旗になり、長く閉じられていた一冊の抄本だけが十九刻だけ開かれる。

それは父への礼として、たしかに似合う気がした。


エウラリアは最後に、一枚の紙片を差し出した。

見慣れた、守の字。


禁書にして守ってるつもりの本のせいで

外の台所が空になるなら

その棚は、だいたい間違ってる


蒼汰は、それを読んで少しだけ笑ってしまった。


本当に、どこまで行っても台所なんだな


はい

守殿は、書架より先に台所を気にする方でした


エウラリアの声は、もう怒りではなかった。

腹を立て切ったあとに残る、厄介な理解だった。


私は守殿に、禁書分類を一つ消されました

ですがそのおかげで、いくつもの地方で飢えの初期対応が間に合った

図書院の権威は傷つきました

ですが、書物の役目の方は守られた

ゆえに礼を申し上げます


蒼汰は、真鍮札と図書院旗と紙片を見てから、ゆっくり言った。


……預かります


ありがとうございます


エウラリアは深く一礼する。

去り際に、一度だけ棺の方角を見る。

それから蒼汰へ向き直った。


守殿は、たぶんご家庭でも

本をきれいに並べることより

必要な時にすぐ取れることを優先されたのでしょうね


蒼汰は少しだけ目を瞬いた。


……それ、当たってます

本棚の並び、めちゃくちゃでした

でも、欲しい本だけはすぐ出してた


でしょうね


エウラリアの灰色の目が、ほんの少しだけやわらぐ。


あの方は、知識の形より

知識が生きて届く順番の方を見ていたのでしょう


それだけ言って去っていく。

扉が閉まる。


応接室に戻った静けさの中で、蒼汰は真鍮札をそっと持ち上げた。

軽い。

でも、その軽さに、焼き切られた一本の線の重みが乗っている気がした。



何だ


あんた、本までそんな感じだったのか


本も同じだ


何が


棚の中で役に立ってるだけじゃ足りん

外で間に合わないとな


蒼汰は少しだけ息を吐いた。

それがあまりにも父らしくて、もう怒るのが面倒になってくる。


冬城が静かに近づく。


かなりお疲れかと


うん

でも、何か……

父さんの基準、また少し分かったかも


どういう意味でしょう


蒼汰は真鍮札を見下ろす。


危ないかどうかより

今、閉じたままで誰が困るか

そこを先に見るんだなって


冬城が小さく頷く。


ええ

守様は、だいたいそこを見ます


リュシエラが横で静かに言う。


夜の側でも同じです

血統書より先に、今夜飢える者の数を見る

母上が守殿を嫌いきれなかった理由も、そこにあります


蒼汰は小さく笑った。


嫌われながら借りを作るの、本当に得意なんだな


守は少しだけ黙った。

そして低く返す。


そうかもしれん


冬城が机上の品を整える。


少し棺のおそばへ戻られますか


うん

戻りたい


蒼汰は新しく増えた真鍮札と旗を抱え直す。

もう本当に持ちきれない。

だがそれでも、どれも置いていけない。


扉へ向かいながら、何となく聞く。


次は?


冬城はほんの少しだけ考えた。


守様に、王家の血統名簿へ一本、余計な名前を書き加えられた紋章官の方です


蒼汰はその場で止まった。


……は?



何だ


今度は何やった


守は一拍置いてから答えた。


必要な追記だ


その言い方、もう完全に信用ならないんだよ


蒼汰は深く息を吐いた。


父、奏多守は、死んでからもなお、世界の本棚にまで勝手に線を引き直し、それでも礼を言われ続けていた。

最後までお付き合いいただき感謝します。

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