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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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第23話 発着規約が消えた夜

棺のある広間へ戻る前に、蒼汰は一度だけ足を止めた。


腕の中の荷物が、もう限界に近い。


兵站局の黒箱。

商隊旗。

大勲章。

削られた勲札。

宮旗。

裂かれた婚約書類。

銀の燈。

祭壇布。

学監棒。

教育日誌の複写。

夜紋。

盟約写し。

羅針儀。

消えた線の地図。

銀の主席笛。

規定集。

巨大な解除鍵。

河渠院旗。


父が死んだ夜に、どうしてこんなものを抱えて歩くことになるのか、自分でも分からない。

だがどれも置いていけない。

置いたら、また父の知らない顔をどこかへ落としてしまう気がした。


リュシエラが、半歩後ろで静かに言う。


そろそろ、いったん預ける棚を作った方がよいのでは


それは今、俺も思ってる


蒼汰が小さく答えると、冬城が前を向いたまま言った。


広間脇に専用卓を増やしてあります

守様の弔問品として、一時的に整理を進めていますので


専用卓って

もうそういう規模なんだな……


はい

かなり


守が頭の奥でぼそりと言う。


悪い


蒼汰は思わず足を止めた。


いま何て


悪いと言った


珍しいな


珍しい自覚はある


その返しが妙に素直で、蒼汰は少しだけ言葉を失う。

謝るなら最初からやるな、と思う。

でも謝らない父よりは、少しだけましだった。


冬城が振り返る。


次の方は、かなり特殊です


毎回聞いてるんだけど、それ


今回は、本当に世界が違います


星間航路だっけ


はい

中央星間航路統制院より、主航路監が来られています


蒼汰は小さく息を吐いた。


父さん


何だ


今度は本当に宇宙かよ


必要だった


その一言に、もう驚きより先にため息が出る。


応接室の扉が開く。


今度の部屋の空気は、乾いていた。

地図師の部屋とも通訳官の部屋とも違う。

金属、古い油、焼けた石、そして冷たい星図板みたいな匂い。

夜空の下にずっと置かれた観測台を、そのまま室内へ持ち込んだような匂いだった。


中央に立っていたのは、女だった。


年齢は五十前後だろうか。

背は高い。痩せているが弱くは見えない。黒の礼装の上から、濃紺の長外套を羽織っている。外套の縁には銀糸で細かな星図のような刺繍が走り、肩だけが少し硬い。長年、重い装備か制服を着続けた人間の肩だ。

髪は白銀に近い灰色で短く整えられ、右耳には小さな青い補助具がついていた。視線は鋭いが、怒気ではない。遠くの光を何十年も見続けてきた人の目だった。


その後ろには随員が二人。

一人が細長い金属箱を、もう一人が黒い筒と、厚い透明板を何枚か重ねたケースを抱えている。


冬城が告げる。


中央星間航路統制院、第一環主航路監、エレノア・シェーフェル様です

守様に、発着規約第十一条をその場で消されたご当人でもあります


エレノアは、蒼汰を見て深く礼をした。

軍礼でも宮廷礼でもない。

長く管制卓に立ち、数えきれない出港と帰還を見送ってきた者が、個人へ示す最大限の敬意だった。


奏多蒼汰殿


声は低く、明瞭だった。

雑音の多い管制室でも通るように鍛えられた声だ。


私はエレノア・シェーフェル

中央星間航路統制院主航路監

そして、守殿に発着規約第十一条を消された者です


蒼汰は一拍置いてから言った。


……もうちょっと穏やかな自己紹介できません?


できます

ですが、守殿絡みは被害内容から入った方が正確です


またその流れか……


守が頭の奥でぼそりと言う。


エレノアは真面目だ

だが腕は確かだ


規約消された人を腕が確かって褒めるの、だいぶ変だぞ


半分は私も被害者だからな


半分なんだな


冬城に促され、蒼汰は椅子へ座る。

エレノアも向かいへ腰を下ろした。

無駄がない。

着席の一つで、規律に守られた現場の人間だと分かる。


エレノアは、まず透明板のケースを机上へ置いた。

中から一枚だけ取り出す。


それは、紙ではなかった。

薄い発光板だった。

青白い線で描かれた円環、航路、発着点、待機域。星図と港湾図が重なったようなものだ。

蒼汰には複雑すぎて分からない。

だが中央の一行だけは見えた。


発着規約第十一条

環嵐時における同時進入禁止


エレノアがその文字を指でなぞる。


青環港。

環海第三星域の主中継港です

人も物資も軍も難民も、全てがいったんここへ寄る

ゆえに規約は厳格でした


環嵐って何ですか


星間航路に生じる磁気と魔力の乱流です

港の外縁リングが荒れる

通常なら、出る便も入る便も片側ずつ、順番に処理します


蒼汰は小さく頷いた。

よく分からないが、危ないということだけは分かる。


その年、外縁植民環のひとつで炉心事故がありました

避難船団が青環港へ戻る一方、軍の補給艦隊も外へ出なければならなかった

しかも環嵐が来ていた

規約第十一条は正しかったのです

同時進入を許せば、衝突と連鎖事故の危険が跳ね上がる


守が頭の奥で言う。


規約そのものは間違ってなかった


蒼汰は少しだけ眉を上げる。


じゃあ何で消したんだよ


エレノアが先に答えた。


時間がなかったからです


彼女の声は、そこで少しだけ低くなった。


避難船団の一部には、低温維持を切った医療ポッドがありました

子どももいた

高齢者もいた

港外待機をもう二時間続ければ、かなりの数が落ちる見込みだった


蒼汰は喉の奥が少し重くなる。


軍の方は?


補給艦隊の発進遅延は、前線二拠点の維持率を下げます

つまり、どちらを優先しても誰かが死ぬ状況でした


部屋が静かになる。


父はそういう場面で現れる。

それはもう、この夜だけで嫌というほど分かっていた。


守殿は、中立補給監査の名目で港へいました

本来なら、物資配分の査定だけで終わる立場です

ですが、管制卓の前で待機時間の数字を見て

最初に言いました


エレノアは一拍置く。


これ、帰る方を待たせてるな、と


蒼汰は目を閉じたくなった。

まただ。

あまりにも父らしい。


私は規約第十一条を示しました

環嵐下での同時進入は禁止

青環港の最重要安全規程です

守殿は一度うなずいて、こう返しました

安全規程が正しいのは分かる

だが、いま死ぬ側が帰る便なら、それは規程の負けだ、と


蒼汰は少しだけ身を乗り出した。


で、どうしたんですか


守殿は、管制卓の中央盤へ手を触れました


止めなかったんですか


止めました

私が

副監が

技師が二名

守衛が一名

ですが守殿は、聞かない


エレノアの目が、少しだけ遠くを見る。


そして、発着規約第十一条の表示だけを、中央盤から消したのです


蒼汰は一拍止まる。


……表示だけ?


最初は、です


守が頭の奥でぼそりと言う。


規約は盤に映るからな

まず目の前から消した


視界から消すなよ


混乱してる時は、正しい言葉ほど邪魔になる時がある


エレノアは続けた。


ただし、守殿は無謀ではありませんでした

表示を消したその場で

外縁リングの導灯角度を変更し

入港船のベクトルを二度折り

補給艦隊側へ、通常より狭いが直線に近い緊急発進路を作った


蒼汰は少し黙る。


つまり?


規約は消した

だが、その代わり、自分で新しい通し方をその場で作ったのです


エレノアの声に、ようやく少しだけ感情が混じる。


青環港の発着管理は、十七層の慣例と四十九項の規程で成り立っていました

守殿は、その中心にある一条を消し

六分で暫定運用へ切り替えた

あり得ません

だが、成功した


避難船は戻れたんですか


はい

全艇


軍の補給艦も、発進しました

損失は零ではありません

外縁リングの一部設備は焼け

補助灯は三列落ちました

ですが、待機死は出なかった


蒼汰はしばらく黙っていた。

父がまた、規約の向こうで死ぬ側を先に見たのだと分かる。


エレノアは透明板をもう一枚取り出す。

そこには、発着規約の改定版が映っていた。


事故後、中央統制院は規約第十一条を廃止しました

正確には、守殿の暫定運用を元に、新しい帰還優先規定を追加した

現在、環嵐下の緊急時は

出る便ではなく、帰る便を先に通します


守が頭の奥で言う。


あれでよかった


蒼汰は心の中で返す。


結果論だろ


結果が出たなら、それもまた答えだ


エレノアは続ける。


私はその夜、守殿に怒鳴りました

規約は血でできている

現場の癖や慣例ではない、と

すると守殿は、管制卓の焼け跡を見ながらこう言った


その血で作った規約が、いま目の前の血を捨てるなら

今日だけは、消される方が負けだ


蒼汰は、息を吐くことも少し忘れた。


ひどい。

でも言い返しにくい。

父の言葉はいつも、そういう嫌な正しさがある。


エレノアは細長い金属箱を開ける。


中に入っていたのは、小さな金属標だった。

港の発着許可灯に付ける銘板のようなものだ。銀と青の合金でできていて、中央に青環港統制院の紋章。その下に、短い文字が刻まれている。


帰還優先灯 初期運用標


これは


帰還優先規定が正式採用されるまで、最初の一年だけ使われた運用標です

本来なら、統制院の主管制卓に固定されたままのもの

ですが本日は、こちらをお持ちしました


そんな大事なものを


はい

大事なものです


エレノアは頷く。


守殿は勲章より、こういう現場の印の方が近い

それに、あの夜に消えたのは規約の文字であって

帰ってくるべき人間の命ではなかった

それを示すには、これがいちばん適切です


さらに、随員が深い青の布包みを開く。

現れたのは旗だった。

青環港中央統制塔旗。

濃い青地に銀線で環状航路と帰還灯が刺繍されている。国旗でも軍旗でもなく、港そのものの旗だ。


本式の日

中央星間航路統制院は軍旗も会盟旗も下げません

代わりに、青環港統制塔旗を半旗とします

また、外縁リングの導灯を十九拍だけ落とし

その後、帰還灯のみ先に点ける

それが、守殿への弔意です


蒼汰はその光景を想像した。

宇宙港の環状灯が、一瞬暗くなり、帰る船のための灯だけが先につく。

父には、たしかにそれが似合う。


エレノアは最後に、小さな紙片を差し出した。

守の字だ。

あまりにも見慣れてきた、少し崩れた字。


帰る便を待たせるな

出る便は文句を言う

帰る便は、だいたい言う前に死ぬ


蒼汰は、思わず少しだけ笑ってしまった。


ひどいな、これ


はい

非常に


エレノアの口元が、ようやくわずかに緩む。


ですが、私はその紙片を捨てられませんでした

腹立たしいほど、あの夜の本質だったからです


彼女は静かに立ち上がる。


奏多蒼汰殿

私は守殿に、発着規約を消されました

ですがそのおかげで、帰るべき者たちを帰せた

ゆえに礼を申し上げます


蒼汰は、運用標と統制塔旗と紙片を見て、ゆっくり頷いた。


……預かります


ありがとうございます


去り際、エレノアは一度だけ棺の方角を見た。

それから蒼汰へ向き直る。


守殿は、たぶんご家庭でも

誰が帰ってくる予定かだけは、妙に気にする方だったでしょうね


蒼汰は少しだけ目を瞬いた。


……そうかも

帰る時間そのものより

帰ってくるかどうかを、よく聞いてたかもしれない


でしょうね


エレノアは小さく頷く。


あの方は、出発の美しさより、帰還の確かさを優先する人でした


それだけ言って去っていく。

扉が閉まる。


応接室にはまた、新しい静けさが落ちた。


机の上には、帰還優先灯の運用標、統制塔旗、改定規約板、守の紙片。

蒼汰は紙片を見つめる。


帰る便を待たせるな。


父は、本当にどこでも同じことを言っている。

飯が回ること。

水が流れること。

帰る人が帰れること。

そればかりだ。



何だ


あんた、英雄っていうより

何か……

帰ってこれるようにする人だったんだな


守は少しだけ黙った。

それから低く返した。


そうかもしれん


否定しないんだな


そこは、あまり


蒼汰はその返事に、少しだけ胸が詰まる。

父はたぶん、自分が英雄かどうかには本気で興味がなかったのだろう。

ただ、帰れない人間を残すのが嫌だった。


冬城が静かに近づいてくる。


かなりお疲れかと


うん

でも、たぶん……

父さんが何を見てたか、もうかなり分かってきた


どういうことでしょう


蒼汰は青い旗を見下ろす。


線とか制度とか規約とか

そういうのを壊したかったんじゃなくて

それのせいで帰れない人とか、朝を越えられない人とか

そういうのを嫌ってたんだろうなって


冬城が小さく頷く。


ええ

守様は、だいたいそうです


リュシエラが横で静かに言う。


守殿は、居場所を守るより

帰る場所を残す方へ執着していたのでしょうね


蒼汰はその言葉を胸の中で繰り返した。


帰る場所。


それは、旧校舎の裏にあった部屋にも繋がる。

父が何度も戻ってきた現実。

母が守ろうとした普通。

そして今、自分が見送ろうとしている棺。


冬城が机上の品を整える。


少し棺のおそばへ戻られますか


うん

戻りたい


蒼汰は新しく増えた運用標と旗を抱え直す。

もう腕の中が本当にいっぱいだ。

でもまだ手放したくなかった。


扉へ向かいながら、何となく聞く。


次は?


冬城はほんの少しだけ考えた。


守様に、王宮の喪鐘時刻を一刻ずらされた礼楽卿の方です


蒼汰はその場で止まった。


……また時間までいじったのかよ


守が頭の奥で低く返す。


あれは、ずらした方が弔いとして正しかった


本当にどこでも自分の理屈で動いてるな!


蒼汰は深く息を吐いた。


父、奏多守は、死んでからもなお、地上の水路も、星の航路も、帰れなくなる前に勝手に開けていた。

最後までお付き合いいただき感謝します。

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