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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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第22話 地下水路が開いた夜

棺のある広間へ戻る前に、蒼汰はまた一度だけ立ち止まった。


腕の中にあるものが、もう普通ではない。


兵站局の黒箱。

商隊旗。

大勲章。

削られた勲札。

宮旗。

裂かれた婚約書類。

銀の燈。

祭壇布。

学監棒。

教育日誌の複写。

夜紋。

盟約写し。

羅針儀。

消えた線の地図。

銀の主席笛。

汚れた議事文書。

規定集。


父が死んでから、たった一晩で増えた品だ。

しかもそのどれもが、父の武勇そのものではなく、父が誰かの暮らしや人生や制度へ乱暴に手を入れた痕跡みたいなものばかりだった。


蒼汰は深く息を吐いた。


冬城さん


はい


次、王都の地下水路を勝手に開放された土木卿だっけ


はい


嫌な予感しかしないんだけど


そうでしょうね


否定しないんだな


できませんので


リュシエラが横で静かに言う。


地下水路は、放っておくと腐りますから


それ、慰めになってない


慰めではありません


守が頭の奥でぼそりと言う。


まあでも、あれは正しかった


あんたがそう言う時は、大抵説明が足りないんだよ


必要なところは、たぶん向こうが言う


その向こうってのが毎回重いんだよなあ……


応接室の扉が開く。


今度の部屋の空気は、湿っていた。


いや、正確には、水の匂いがした。

地下の石壁、濡れた鉄、藻の気配まではない、ちゃんと管理された水路の匂い。

そこへ古い紙束と土木用具の油の匂いが混じっている。


中央に立っていたのは、男だった。


年齢は六十を少し過ぎたくらいに見える。

背は高くないが、肩幅がある。腹は出ていない。長年、現場と机の両方に立ってきた人間の体だった。

黒の礼装の上から、濃い灰青の短い外套を重ねている。袖口には王都土木院の紋章らしい、水門と橋梁を組み合わせた刺繍。顔は四角く、髪は白く短い。右手の指が二本ほど少し曲がったままなのは、古い怪我だろう。

その後ろには随員が二人。

ひとりは長い箱を、ひとりは巻かれた図面束と、深い青の布包みを抱えていた。


冬城が告げる。


王都河渠院終身土木卿、ガスパール・エーレンフェスト様です

守様に、王都の地下水路を勝手に開放されたご当人でもあります


男――ガスパールは蒼汰を見て、深く一礼した。

軍人の礼でも、役人の礼でもない。

長く都市そのものを支えてきた人間が、個人へ向ける最大限の礼だった。


奏多蒼汰殿


声は低く、よく響いた。

石造りの地下でもよく通りそうな声だ。


私はガスパール・エーレンフェスト

王都地下水路を二百年の慣例ごと、守殿に一夜で勝手に開けられた男です


蒼汰は一拍置いてから言った。


それ、やっぱりかなりひどいですよね


はい

かなり


ガスパールは即答した。

だが怒ってはいない。

むしろ、何度もそう言ってきた人の慣れた声だった。


冬城に促され、蒼汰は椅子へ座る。

ガスパールも向かいへ腰を下ろした。

座るというより、現場監督が打ち合わせ卓につく時の姿勢だ。


ガスパールは、まず図面束を机の上へ置いた。

一番上の図面だけを広げる。


それは王都の断面図だった。

地上の街路、建物、その下に何層も走る地下水路と排水路。あまりに複雑で、蒼汰には一目で分からない。

だが中央部のある区画だけ、赤い印が集中していた。


王都東区旧層水路群です

古い時代の導水路で、本来は非常用に残されていました

ですが、実際には長年、閉じたままにされていた


なぜですか


蒼汰が聞くと、ガスパールは少しだけ鼻を鳴らした。


慣例です

もっと正確に言えば、責任の所在が面倒だった

古い水利権、貴族区の井戸利権、修道院側の浄水権、下町側の排水費

触るたびに誰かが怒る

だから誰も開けなかった


守が頭の奥で言う。


詰まってたんだよ

水も、責任も


蒼汰は心の中で返した。


またその理屈か


だいたい合ってるだろ


ガスパールは続ける。


その年の夏、王都では雨が偏りました

南区は渇き、東区は逆に溢れ、西区では地下水が濁った

病も出始め、井戸の閉鎖も相次いだ

我々土木院は、新しい導水管を引く案、浄化槽を増やす案、配水制限を強める案、あらゆる案を出しました

ですが遅かった

予算も、決裁も、権利調整も、全部


蒼汰は黙って聞く。

これもまた、父が嫌いそうな詰まり方だと思った。


守殿が来たのは、その時です


またか


蒼汰がぼそりと言うと、ガスパールの目にごく小さな苦笑が浮かぶ。


ええ

しかも、最悪の形で


守が頭の奥で言う。


最悪ではない

速かっただけだ


それが最悪なんだよ


ガスパールは図面の赤印を指先でなぞった。


守殿は最初に現場を見て、二つだけ聞きました

東区の水はどこで詰まり

南区の井戸はどこまで生きている、と


私は答えました

東区は旧層導水路が閉じられたままだから流れず

南区は浅層井戸が枯れ始めている、と


すると守殿は、では繋げればいいと言った


蒼汰は思わず聞き返す。


繋げればいいって

そんな簡単に


簡単ではありません


ガスパールは即答する。


だから我々は二十年やれなかった

ですが守殿は、その場で旧層水路の封鎖図を取り上げ

鍵庫へ行け、と私に命じました


命じたんですか


はい

私に

王都河渠院終身土木卿に


その言い方にだけ、ガスパールの長い自負が少し滲んだ。


私は拒否しました

封鎖解除には王印が要る

修道院印も要る

東区貴族会の承認も要る

何より、旧層は崩落の危険がある

そう申し上げた


すると守殿は、こう返しました

崩れる前に人が腐る、と


蒼汰は、少しだけ目を閉じた。

あまりにも父だ。


ガスパールは低く続ける。


私はその返答を無礼だと思いました

今でも少しは思っています

ですが、守殿はその直後、勝手に地下へ降りました


止めなかったんですか


止めました

河渠兵六名で

私も降りました

ですが守殿は聞かない

旧層封鎖門の前まで行き、こう言った


閉じた理由が古いなら、開ける理由は今で十分だ、と


守が頭の奥で言う。


いいこと言ったな


自分で言うなよ


蒼汰が心で返すと、守は少しだけ黙った。


ガスパールは随員から長い箱を受け取った。

机へ置き、留め具を外す。


中に入っていたのは、大きな鉄の鍵だった。

古い。黒く、重そうで、歯の形も複雑だ。単なる鍵というより、水門そのものの一部みたいに見える。

持ち手のところに、王都河渠院の刻印と、その上から新しく入れられた細い傷があった。


これは旧層封鎖門の解除鍵です

本来なら院の地下庫から出ません


蒼汰は目を見開く。


そんなの持ってきていいんですか


いけません

本来は


ガスパールは静かに答えた。


ですが守殿が、封鎖門の前で私からこれを奪い

開けた以上

今日ここへ持ってくるのが筋だと判断しました


蒼汰は少しだけ呻いた。


本当に開けたんだ……


はい

しかも、ただ鍵で開けたのではありません


ガスパールは図面の別頁を開く。

そこには地下水路断面と、魔力流線の図が重ね書きされていた。


旧層封鎖門は、長年の魔力沈殿で半ば固着していました

普通に開ければ崩落する

守殿は、それを見て

門の周囲の水圧と魔力の澱みだけを、局所的に切った


蒼汰は少しだけ身を乗り出す。


どういうことですか


魔法の武力行使です


ガスパールの声は乾いていた。

だがそこに、技術者としての正確さがあった。


攻撃魔法ではない

しかし構造体へ明確に介入し、封鎖を破り、水流を強制再開させた

旧層門は半壊しました

水は一気に走り、東区の滞留は消え、南区への補助導水路が復活した

同時に、二百年積み上がった慣例も吹き飛んだのです


蒼汰はしばらく黙った。


……国境線の次は、水門か


守が頭の奥で言う。


詰まってたからな


それで全部片づけるなよ


ガスパールは続ける。


私たち土木院は、あの夜、守殿に怒鳴りました

勝手に開けるな

崩れたらどうする

権利が飛ぶ

責任が飛ぶ

予算が死ぬ

あらゆる言葉を投げました


すると守殿は、水の音の中で一言だけ返した


責任も予算も、朝まで生きてる人間がいれば後で拾える

だが今夜の水は、今夜しか動かせない、と


蒼汰はゆっくりと息を吐いた。


ひどい

でも、たぶんその場で言われたら、止められない言葉だ。


結果はどうだったんですか


東区の滞留水は抜けました

南区の浅井戸は三日で持ち直し

流行病も広がりきる前に抑えられた

死者は出ましたが、想定の半分以下で済んだ

そして、旧層封鎖を前提にした水利権の大半は見直されました


ガスパールの目が、少しだけ遠くを見る。


私は二十年、正しい手順で王都を守ろうとしました

守殿は一夜で、その正しい手順の一部を壊した

ですが、そのおかげで、王都は本当に守られた


蒼汰は机の上の鉄鍵を見つめる。

重く、冷たく、でも妙に現実的だ。

父が世界を救った証拠として、あまりにも似合っている。


ガスパールは、深い青の布包みを開いた。

現れたのは旗だった。

王都河渠院の旗だろう。濃い青地に銀糸で水門と橋梁が刺繍され、縁にだけ薄い白線が走っている。

旗というより、院の塔に掲げる仕事の印だ。


本式の日、王都では国旗ではなく、河渠院旗を半旗にします

また、第一導水塔では、夜明けの初水門開放を半刻遅らせます

王都で最も嫌われる遅延ですが、守殿にはそれがいちばん伝わるでしょう


蒼汰は少しだけ目を瞬かせた。


水門開放を遅らせるのが、礼になるんですか


はい

王都の朝の水は、守殿に一度、勝手に開けられましたので


そこで初めて、蒼汰は少しだけ笑いそうになった。

笑うところではないのに、その理屈だけが妙に父らしい。


ガスパールはさらに、分厚い紙片を一枚差し出した。

王都河渠院印が押されている。

だが本文の端へ、明らかに父の字で走り書きが入っていた。


蒼汰はそれを読む。


水は高いところから低いところへ流れる

人間の都合は、たいていそのあとでいい

ただし飲む分まで止めるな

それをやると、街ごと腐る


蒼汰は紙を見たまま、小さく言った。


本当に、どこでも同じこと言ってるな


守が頭の奥でぼそりと返す。


だいたい同じだからな


何が


詰まり方が


ガスパールはそのやり取りこそ聞こえないはずなのに、どこか察したような顔をした。


守殿は、制度を嫌ったのではありません

閉じたままの制度を嫌った

水路も同じです

閉じる理由が過去なら、開ける理由は今で足りる

あの方は、そういう方でした


蒼汰はゆっくり頷く。

父がまた一つ、形になっていく。

世界を股にかけた英雄ではなく、目の前の詰まりを見て、開けずにいられない男として。


ガスパールは立ち上がった。


奏多蒼汰殿

私は守殿に、王都地下水路を勝手に開放されました

そしてそのおかげで、二十年守れなかった朝を守れた

ゆえに礼を申し上げます


蒼汰は鉄鍵と院旗を見てから、静かに答えた。


……預かります


ありがとうございます


ガスパールは深く礼をし、それから去り際に一度だけ振り返る。


守殿は、たぶんご家庭でも

流しの詰まりや風呂の水位にはうるさかったでしょうね


蒼汰は即答した。


めちゃくちゃうるさかったです


でしょうね


ガスパールの口元が、初めてほんの少しだけ緩んだ。


あの方は、水の流れを見る時だけ

王も貴族も平民も、区別が消えますから


それだけ言い残して去っていく。

扉が閉まる。


応接室に静けさが戻る。


机の上には、巨大な解除鍵、河渠院旗、父の走り書き入りの院文書。

蒼汰は鉄鍵へそっと触れた。

冷たい。

重い。

でも不思議と、持っていていい気がする。



何だ


あんた、本当に勝手に開けるの好きだな


詰まってたらな


もう聞き飽きたよその理屈


だが合ってるだろう


冬城が静かに近づいてくる。


かなりお疲れかと


うん

でも……

何か、父さんの見てる順番が見えてきたかも


どういう順番でしょう


蒼汰は鉄鍵を見下ろした。


制度とか線とか権利とかより先に

朝まで持つか、水が回るか、飯があるか

そういう順番で見てるんだろうなって


冬城が小さく頷く。


ええ

守様は、ほぼ常にそうです


リュシエラが横で静かに言う。


夜の側でも同じです

血統や格式より先に、今夜を越えられるかを見ていた

だから母上は、最後まで腹を立てながら借りを認めたのでしょう


蒼汰は少しだけ笑った。


腹立てられながら借りを作るのが得意なんだな、父さん


守は少しだけ黙った。

それから低く返す。


そうかもしれん


冬城が机上の品を整える。


少し棺のおそばへ戻られますか


うん

戻りたい


蒼汰は新しく増えた鉄鍵と旗を抱え直す。

もう腕の中は限界に近い。

だが、やはりどれも置いていけない。


扉へ向かいながら、何となく聞く。


次は?


冬城は少しだけ考えた。


守様に、星間航路の発着規約を一つ消された航路監の方です


蒼汰はその場で止まった。


……父さん


何だ


今度は宇宙かよ


必要だった


本当にどこでも同じことしてるな!


蒼汰は深く息を吐いた。


父、奏多守は、死んでからもなお、地上の水路から空の航路まで、詰まりを見つけては勝手にほどいた痕を並べていた。

最後までお付き合いいただき感謝します。

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