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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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第21話 公用語が壊れた日

応接室へ向かう途中で、蒼汰はもう一度だけ腕の中の荷物を見下ろした。


兵站局の黒箱。

商隊旗。

大勲章。

削られた勲札。

宮旗。

裂かれた婚約書類。

銀の燈。

祭壇布。

学監棒。

教育日誌の複写。

夜紋。

盟約写し。

羅針儀。

消えた線の地図。

引き直された地図。


増えすぎだろ、と小さく思う。

なのに、どれも下ろしづらい。

父の外側を少しずつ受け取っている感覚があるからだ。


その横を、リュシエラが静かに歩く。

夜の姫は、相変わらず眠たげな顔で、でも足音ひとつ立てずに蒼汰の半歩後ろを取っていた。


冬城が先に歩きながら言う。


次の方は、少し特殊です


毎回言ってません?


はい

ですが今回は、本当に少し毛色が違います


国境線の次は何だっけ


守様に、一つの公用語を壊された通訳官の方です


蒼汰は無言になった。



何だ


公用語って壊れるもんなのか


壊れる

正確には、壊した方が通じる時がある


その言い方、もう信用ならないんだよな


たいてい結果は良かったぞ


たいてい、って言う時点で怖いんだよ


リュシエラが横で小さく言う。


言葉は、血より面倒ですから


それはちょっと分かるかも


蒼汰が返すと、リュシエラはほんの少しだけ目を細めた。

笑ったらしい。


応接室の扉が開く。


今度の部屋の空気は、乾いた紙とインクの匂いが強かった。

地図師の部屋とも少し違う。

もっと多くの声が、紙の上で均されたあとの匂いだ。


中央に立っていたのは、男だった。


年は四十代後半ほどだろうか。

背は高くない。

黒の礼装を着ているが、襟元の形が独特で、何枚もの布が重なるように仕立てられている。胸元には徽章ひとつない。代わりに、首から小さな銀の笛のような飾りを下げていた。髪は濃い茶色で短く整えられ、口元には薄い疲れが残っている。だが目だけが、ものすごくよく人を見る目だった。


その後ろには若い女性が一人。

両手で細長い箱と、何冊もの薄い冊子を束ねた紐包みを持っている。


冬城が告げる。


環海会盟、中央通詞院主席通訳官、ユリウス・レムナー様です

守様に、公用語を壊されたご当人でもあります


男――ユリウスは、蒼汰を見て深く頭を下げた。


奏多蒼汰殿


声は穏やかだった。

ひどく聞き取りやすい。通訳官だと一声で分かる声だ。


私はユリウス・レムナー

十五年守ってきた会盟公用語を、守殿に一夜で台無しにされた者です


蒼汰は数秒黙ってから言った。


その自己紹介、みんな流行ってるんですか


ユリウスの口元が少しだけ動く。


守殿の被害内容は、先に述べた方が誤解が少ないもので


いや、もう誤解じゃなくて事実が重いんだよな……


守が頭の奥でぼそりと言う。


ユリウスは固いが、悪い奴じゃない


公用語壊された人って時点で、だいぶ気の毒なんだけど


半分はそうだな


半分なんだな


冬城に促され、蒼汰は椅子へ座る。

ユリウスも向かいへ腰を下ろした。

座り方が妙に整っている。複数の文化圏の前で座り方ひとつ気をつけ続けてきた人の姿勢だった。


ユリウスは、まず細長い箱ではなく、冊子の束を机へ置いた。


環海会盟には、公用語があります

三十七港、九つの王国、四つの宗派、二つの遊牧連合が、最低限の外交と交易を回すために作られた共通語です


蒼汰は黙って聞く。

国と国の間には通訳が必要だ。それは分かる。


それは人工語なんですか


半分は

既存の七言語を均した妥協語です

文法は簡素、敬称は限定、契約語彙は厳密、感情表現は少なめ

誤解を減らすために作られました


ユリウスは一度、冊子の表紙を撫でた。


私はその整備と運用を十五年担当しました

語尾ひとつ、助詞ひとつ、条文中の曖昧さひとつを減らすのが仕事です

会盟の平和は、だいたいそういうところで保たれるので


守が頭の奥で言う。


そこまでは正しかった


そこまでは?


蒼汰が心で返すと、守は少しだけ黙った。


ユリウスは続けた。


守殿と初めて会ったのは、会盟海議の冬期交渉でした

港湾封鎖を巡る四者会談

表向きは穏便な協議でしたが、実際にはかなり危うかった

一語でも取り違えれば、海上封鎖と報復関税が連鎖しかねない状況です


その場に父さんがいたのか


はい

中立補給監査という、肩書だけ聞けば地味な立場で


守がぼそりと言う。


地味でよかったんだがな


絶対地味にしてなかっただろ


結果的にはな


ユリウスは少しだけ目を細める。


会議は、最初の二日間は公用語で進みました

全員が正確で、礼も尽くし、記録上は極めて整っていた

ですが、何一つ進まなかった


蒼汰は少しだけ眉を寄せる。


なんで


全員が、間違ってはいなかったからです


ユリウスの声は静かだった。


間違っていない表現だけを選び

責任の所在が曖昧になる助詞だけを避け

相手を怒らせない敬称だけを使い

結果として、誰も本当に欲しいものも、譲れない線も口にしなかった


蒼汰は少し黙る。

分かる気がした。

間違っていないことと、話が進むことは違うのだろう。


守殿だけが、二日目の夜に私へ言いました

この言葉、便利だが腹の温度が消えますね、と


……また言いそう


蒼汰が漏らすと、ユリウスはごくわずかに頷いた。


はい

ひどく言いそうでした


私は当然反論しました

外交の言葉に腹の温度は不要だ、と

すると守殿は、不要なら何で港が閉まったままなんだ、と


守が頭の奥で言う。


だってそうだろう

あの場の全員、本音を別の言語に逃がしてた


蒼汰は思わず聞く。


別の言語?


ユリウスが答える。


会盟公用語の外に、それぞれ母語があります

王は王の言葉で怒り

商人は商人の方言で値踏みし

宗教者は祈祷語で拒絶する

でも議事録には残らない

守殿は、そこを嫌いました


それで、壊したのか


はい


ユリウスは少しだけ口元を引き締めた。


三日目の会議開始直後

守殿は発言許可も取らず、中央の翻訳魔導盤へ手を触れました


蒼汰は嫌な予感しかしなかった。


止めなかったんですか


止めました

私が

議長が

魔導技師が二名

ですが守殿は、遅い、とだけ言った


そのあと何をしたんですか


公用語補正を切りました


部屋が静かになる。


蒼汰は数秒、意味が分からなかった。


……補正?


公用語には、語義のぶれを減らすための軽い補正魔法が入っています

聞く者にとって、だいたい無難な意味へ落ちるように

怒気を和らげ、曖昧さを平均化し、通じるところだけを残す

守殿は、それを切った


ユリウスの目が少しだけ遠くを見る。


その瞬間、会議場の全員が

相手の言葉を、意味だけでなく、温度ごと聞くことになりました


蒼汰は喉を鳴らした。


つまり


王は、王の怒りのままに聞かれ

商人は、値を吊り上げたい本音ごと聞かれ

宗教者は、教義の優先順位を隠せなくなった

しかも守殿は、それだけで終わらせなかった


守が頭の奥で言う。


切っただけだと、ただの修羅場だからな


その時点でだいぶ修羅場だよ


守は無視して続けるように沈黙した。


ユリウスは冊子の束から一枚、議事録の複写を出した。


守殿は、公用語補正を切った上で

各代表へ、母語で話せと言いました

それも一番怒る言葉で話せ、と


蒼汰は思わず目を閉じた。

父だ。

本当に父だ。

面倒の作り方があまりに父だ。


で、どうなったんですか


全員が激怒しました


ユリウスは即答した。


会議場は混乱しました

通訳は追いつかない

言葉がぶつかる

議長は鐘を鳴らし続ける

私は守殿を殴りたいと思いました


蒼汰は少しだけ笑いそうになった。


思っただけで済んだんですね


通訳官ですので

ただ、守殿はその混乱の中でこう言いました

ようやく、誰が何を失いたくないか見えた

ここからだ、と


ユリウスは、そこで初めて少しだけ肩の力を抜いた。


守殿は公用語を壊しました

ですが同時に、その場で新しい通し方を作った


どうやって


蒼汰が尋ねると、ユリウスは冊子の一番上を開いた。

そこには赤いインクと黒いインクが何層にも重なった、ひどく汚い文書があった。


母語で出た本音を、一度全部拾い

それを公用語へ戻すのではなく

利害の核だけを別紙へ分けたのです


港は何日開けたいのか

どこまでの関税なら飲めるのか

どの宗教儀礼は譲れないのか

誰が誰を信用していないのか

何を言うと怒るのか


守殿は、それを全部、会議場の壁へ貼らせた


蒼汰は思わず聞く。


壁に?


はい

しかも順番も守殿が決めました

立場順ではなく、揉めた順に


守が頭の奥で言う。


揉める順番の方が大事だ


何の会議だよそれ


本音の会議だ


ユリウスの口元が、ほんの少しだけ緩む。


結果として、会盟海議はまとまりました

三十七港の封鎖は段階解除

相互関税は限定的

宗教船の航行条件も整理された

記録上は、会盟公用語で締結されています

ですが実際には、その前段で一度、公用語は壊れたのです


蒼汰は机上の汚れた文書を見つめた。

きれいじゃない。

外交文書としてはひどい。

でもたぶん、それでしか通らなかった会議だったのだろう。


ユリウスは細長い箱を開けた。


中に入っていたのは、銀の笛だった。

いや、笛というより発声調整器具のように見える。細工は繊細で、側面に会盟通詞院の紋章が刻まれている。吹くための楽器ではなく、発音基準を合わせるための古い通詞具らしい。


これは、中央通詞院の主席笛です

公用語の発音基準を教える際、代々主席通訳官が持つもの

本来、院の外へは出ません


そんなものを


はい

大事なものです


ユリウスは頷く。


守殿は公用語を軽んじたのではありません

むしろ、言葉が人を隠す方へ回るのを嫌った

ですから、勲章ではなくこれが近い


さらに、彼は冊子の束からもう一冊だけ別に出した。

表紙には、旧会盟公用語運用規定集とある。

だが、その中央を斜めに、守の字が大きく走っていた。


通じてないのに通じた顔をするな


蒼汰は、とうとう少しだけ笑ってしまった。


ひどいなこれ


はい

本当に


ユリウスの声は、もう怒っていなかった。

長く付き合った厄介な恩人を語る声だった。


私は当時、守殿を嫌いました

十五年磨いた言葉の秩序を、一夜で壊されたのですから

ですが、そのあと理解しました

守殿は言葉そのものではなく

言葉を盾にして、人が責任を隠す構造を壊したのだと


蒼汰は頷いた。

父が見ていたのは、またしてもその先だ。

言語ではなく、その言葉の向こうで誰が何を隠しているか。


ユリウスは最後に、封書を一通差し出した。


会盟中央議事堂からの書簡です

本式の日、中央通詞院では公用語の定型弔辞を用いません

あえて各代表が、それぞれの母語で一節ずつ守殿へ弔意を述べ

最後にのみ、会盟共通語で閉じる

そのように決定しました


蒼汰は受け取った。

国旗でもなく、鐘でもなく、今度は言葉そのものが礼になるのだ。



何だ


あんた、言葉まで壊したのか


壊したというより

通じないふりをやめさせた


同じだよ


少し違う


ユリウスは立ち上がる。


奏多蒼汰殿

私は守殿に、公用語を壊されました

ですがそのおかげで、初めて本当に通じる場を一つ作れた

ゆえに礼を申し上げます


蒼汰は、銀の笛と規定集を見てから言った。


……預かります


ありがとうございます


去り際、ユリウスは一度だけ、棺の方角を見た。

それから蒼汰へ向き直る。


守殿は、たぶんご家庭では

説明の順番がひどく悪かったでしょうね


蒼汰は即答した。


最悪でした


でしょうね


ユリウスの口元がわずかに和らぐ。


あの方は、重要なことほど先に本音から入るべきと知っていた

しかし家族の前では、それができなかったのでしょう

通訳不能の相手だったのではなく

いちばん誤訳したくない相手だったのだと思います


蒼汰は返事に詰まった。


ユリウスは、それ以上は何も言わず去っていく。

扉が閉まる。


応接室に残るのは、また新しい沈黙だった。


机の上には、銀の主席笛、汚れた議事文書、規定集、会盟からの書簡。

蒼汰は守の走り書きを見つめる。


通じてないのに通じた顔をするな


父らしい。

ひどく父らしい。

でも、そのひどさで助かった人たちが確かにいたのだろう。


冬城が静かに近づく。


かなりお疲れかと


うん

でも、何か……

父さんの基準、もう一段見えたかも


どういう意味でしょう


蒼汰は銀の笛へ触れた。


線とか制度とか国とかだけじゃなくて

言葉でも、隠すなって言ってるんだろうなって


冬城が小さく頷く。


ええ

守様は、通じているふりの方を嫌います


リュシエラが横で静かに言う。


吸血種も同じです

牙を隠すのは礼儀ですが、飢えを隠しすぎると壊れますので


その例え、ちょっと怖いな


事実ですので


蒼汰は小さく息を吐いた。

怖いのに、妙に納得できる。


冬城が机上の品を整える。


少し棺のおそばへ戻られますか


うん

戻りたい


蒼汰は新しく増えた銀の笛と文書を抱え直す。

もう腕の中は限界に近い。

だが、それでも持っていたかった。


扉へ向かいながら、何となく尋ねる。


次は?


冬城は少しだけ考えた。


守様に、王都の地下水路を勝手に開放された土木卿の方です


蒼汰はその場で止まった。


……父さん


何だ


今度は何した


守は低く答えた。


詰まってたから開けた


もうその理屈しかないのかよ


たいていは、それで説明できる


蒼汰は深く息を吐いた。


父、奏多守は、死んでからもなお、世界の詰まりを勝手にほどいた痕を次々と列にしていた。

最後までお付き合いいただき感謝します。

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