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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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第2話 父の鍵

奏多守から遺された鍵は、蒼汰の掌に収まると妙に重かった。


見た目は古びている。 銀とも鉄ともつかない鈍い色。表面には細かな傷が走り、持ち手の部分には、見覚えのある擦れがあった。 幼い頃、守が首から下げていたのを見たことがある。 何の鍵なの、と聞いた蒼汰に、守は笑ってこう答えた。


そのうち分かる。そういうのは、早く知っても面白くないんだよ


何が面白いんだ、と当時は思った。 いまはもう、そんな軽口に文句を言う相手もいない。


黒髪の女性は、蒼汰の手の中の鍵を一度だけ確認すると、静かに言った。


こちらへ


どこへですか


守様が、あなたにだけ残されたもののところへ


その言い方が気に入らず、蒼汰は眉を寄せた。


さっきから、あなたたちが何者なのかも聞いてないんですけど


失礼しました


女性は会館の廊下、白い壁を背にして、あくまで穏やかに頭を下げる。


私の名前は冬城真琴です。守様の関係各所との連絡、調整、儀礼管理を担当していました


関係各所って何ですか


広い意味での、守様に恩義のある方々です


広すぎるだろ、と蒼汰は思ったが、口にはしなかった。 会館の空気がすでにそんな軽い突っ込みを許さないものに変わっている。


外の車列はさらに増えていた。 窓越しに見えるライトは途切れず、会館の前にはいつの間にか規制線のようなものまで張られている。報道のヘリが上を旋回している気配もあったが、不思議なことに騒音はひどくない。むしろ妙に静かで、音そのものが押さえ込まれているようだった。


蒼汰は棺を振り返った。 父の周囲には花が増え続け、見たこともない服装の弔問客が、誰一人声を荒らげることなく列を作っている。 長い耳を髪で隠しているように見える女。 片目を黒布で覆った老紳士。 人間には見えない、と思ったさっきの二人組。 それでも誰も異物として扱わない。 まるでこの世界の常識のほうが、蒼汰だけ取り残されているみたいだった。


冬城が歩き出す。 蒼汰は鍵を握り直して、その背を追った。


会館の裏手にある、普段は使われない搬入口まで連れていかれた。 そこには黒いケースが一つ、金属製の台の上に置かれていた。 棺ほど大きくはない。旅行鞄よりは大きい。武器箱のようにも見える無骨な形で、表面には一切の装飾がない。 ただ中央の鍵穴だけが、蒼汰の持つ鍵とぴたり合いそうな形をしていた。


これ、何ですか


守様の個人保管庫です


個人、って


あの方は、あまり物を持たれない方でしたから


そう言いながら冬城はほんの少しだけ、困ったように笑った。


残された数少ない私物です


蒼汰はしばらく箱を見つめた。


こんなもの、家にあったか。 見たことがない。


守の部屋は散らかっているわけでも、整理されているわけでもない妙な空間だった。着替えは少ないくせに、用途不明の小物がときどき増える。古びた紙片、何語か分からないメモ、変な石、どこの通貨かも分からない硬貨。だがこんな仰々しい箱を置いていた記憶はない。


鍵を差し込んでください


冬城に促され、蒼汰は無言で近づいた。 手がわずかに汗ばんでいる。 差し込んだ鍵は、驚くほど滑らかに入った。 重い手応えもない。まるで最初から蒼汰の手の形を知っていたみたいに、すんなりと。


回した瞬間、かちりという音がした。


それだけだった。 光も出ない。風も吹かない。魔法陣もない。 そんなものがあるはずもないのに、蒼汰はなぜか少しだけ警戒していた自分に気づく。


箱の蓋を開ける。


中に入っていたのは、三つだけだった。


一つは、擦り切れた革の手帳。 一つは、巴の字で名前が書かれた薄い封筒。 そしてもう一つは、小さな録音機だった。


蒼汰の呼吸が止まる。


母さんの……字だ


はい


冬城の声が、少しだけ遠く聞こえた。


守様は、これを必ず蒼汰様へ渡すようにと


蒼汰は封筒を取ろうとして、やめた。 指先が震えていた。


巴の字だ。 見間違えるはずがない。 買い物メモや学校への連絡帳に何度も見た、角がやさしく丸い字。


蒼汰へ。


たったそれだけで、喉が詰まる。


巴が死んだとき、蒼汰はまだ高校生だった。 病気だった。長くはなかったが、短すぎもしなかった。 覚悟する時間だけはきちんと与えられて、それでも足りなかった。


母の遺品は、ほとんど整理したはずだった。 写真も、服も、食器も、本も。 泣きながら箱に詰めて、泣きながら片づけて、泣かなくなるまで何年もかかった。


なのに、見たことのない母の封筒が、父の遺品箱から出てくる。


どういうことだよ


思わず零れる。 怒っているのか、戸惑っているのか、自分でも分からなかった。


冬城は一歩引いた位置のまま答えた。


巴様から守様に託されたものです。渡す時期を、守様が決めることになっていました


じゃあ、何で今なんですか


守様が、先延ばしにし続けたからです


あまりにも容赦のない答えで、蒼汰は顔を上げた。 冬城の表情に皮肉はなかった。ただ事実を言っているだけだった。


先延ばし。 それはひどく守らしいと思った。


大事なことほど、あの人は妙なタイミングまで抱え込む。 昔もそうだった。運動会に来ると言って来なかったくせに、一週間後にふらっと現れて、悪い悪い、別の空から帰るのに時間がかかった、などと笑っていた。 その日、蒼汰は本気で殴りそうになった。 守は怒られるのを分かっていて、なぜか少し嬉しそうだった。


あんたはいつもそうだ


誰に向けた言葉か、自分でも分かっていた。 箱の向こうで眠っている父にだ。


蒼汰は封筒から目を逸らし、代わりに録音機を見た。 古い機種だった。液晶も小さい。だが丁寧に手入れされていて、側面に小さな紙が貼られている。


最初にこれを聞け。 その次に、巴を読め。 最後に、手帳を開け。


守の字だった。 驚くほど普通の、少し崩れた字。 蒼汰は奥歯を噛んだ。


死んでからまで順番決めるなよ


思わずそう漏らすと、冬城がほんの少しだけ目を伏せた。


申し訳ありません


いや、あなたに言ったわけじゃ……


分かっています


そのとき、搬入口の向こうで靴音が止まった。 黒服の男が現れ、冬城へ耳打ちする。


国外第一陣、到着しました。予定より二十分早いです。あと、北棟側に一件、認証を持たない弔問希望者が


冬城の目が一瞬だけ鋭くなる。


名乗りは


魔王、と


蒼汰は聞き間違いかと思った。


だが冬城は驚かなかった。 ごく短く息を吐いて、静かに言う。


通しなさい。ただし、単独で


男は一礼して去っていった。


蒼汰は冬城を見た。 冬城は蒼汰を見ない。


いま、なんて


冬城さん


蒼汰の声が少し裏返った。


いま、魔王って言いました?


はい


はい、じゃないだろ


蒼汰が思わず強く言うと、冬城は困ったように、それでもどこか諦めたように答えた。


守様は、その方を友人と呼ばれていました


蒼汰は数秒、本当に言葉を失った。


棺の前に並んでいた異形の弔問客。ほら話みたいな大臣と軍人と海外要人。青白く光る供花。認証を持たない魔王。


頭がおかしくなりそうだった。


それでも、不思議と完全には否定できない。 さっきから世界のほうが、無理やりこちらへ合わせに来ている。 父の嘘を、嘘ではなくしていくみたいに。


蒼汰様


冬城が声を落とした。


時間がありません。守様は、最初にご自分の声を聞かせるよう望まれていました


……これを、ここで?


本来はお一人で聞かれる予定でしたが、状況が予定を上回っています。守様の友人方は、あまり空気を読まれません


蒼汰は一瞬、変なところで納得しかけた。 あの父の友人なら、たしかにそうかもしれない。


録音機を手に取る。 小さいくせに、これもまた妙に重い。


再生ボタンを押そうとして、指が止まる。


怖かった。


ここから先で、父が本当にただの父親じゃなくなってしまうのが。 ほら吹きで、適当で、不在がちで、でもたまに変な優しさだけは残していく、そういう曖昧な父のままでいてくれた方が、まだ楽だったのかもしれない。


蒼汰様


冬城の声は急かさなかった。 ただ待っていた。


蒼汰は息を吸って、吐いて、再生を押した。


ざ、と小さなノイズが走る。 数秒の沈黙。 そのあとで、聞き慣れた声が流れた。


蒼汰。


守の声だった。 生きていた頃と何も変わらない、少し掠れて、どこか眠そうで、妙に人を食った響きの声。


もしこれをお前が聞いてるなら、たぶん私は死んだんだろう。 まず謝る。色々と遅すぎた。 たぶん、ものすごく怒ってると思う。悪かった。


蒼汰の喉がひくりと鳴る。


私はな、お前に話さなきゃいけないことを、ずっと先延ばしにした。 守るためだった、って言えば少しは聞こえはいいが、それだけじゃない。 私は父親になるのが下手だった。 世界の終わりみたいなものはいくつも見たのに、息子に何をどう話せばいいのかは、最後まで分からなかった。


録音の向こうで、守が少し息を吐く音がした。


それでも、これだけは最初に言っておく。 お前の母さんは、最後まで強かった。私なんかより、ずっとな。


蒼汰は封筒を握りしめた。


そして次の瞬間、搬入口の向こう側で、誰かが低く笑う声がした。


懐かしい声だ。相変わらず湿っぽい別れをしているな、守


その声は人間のものとは思えないほどよく通り、なのに妙に親しげだった。


冬城が静かに目を閉じる。


間に合ってしまいましたか


蒼汰は振り返る。


そこに立っていた男は、喪服のように黒い外套をまとい、夜より暗い色の髪を肩まで流していた。 整いすぎた顔立ち。人の形をしているのに、人間とは決定的に何かが違う。 それでもその男は、まるで古い知人の家に線香を上げに来たような気軽さで、蒼汰へ視線を向けた。


初めまして、奏多蒼汰


男は、ごく自然に名乗った。


私は、お前の父の悪友だ


次いで、口元だけで笑う。


お前たちが言うところの、魔王というやつだよ

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