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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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第13話 借金を踏み倒された男

ブクマ、評価、感想、等々読者の皆様からの反応が在るとモチベに繋がるので宜しければお願いします。

応接室へ戻る前に、蒼汰は一度だけ足を止めた。


左腕には、さっき受け取った黒箱。

中には、兵站局の計算尺が入っている。

飯が回れば人はまだ持つ。

そんな父らしすぎる言葉が刻まれた道具を、いまも脇に抱えている自分が少しおかしかった。


冬城が隣で言う。


次の方は、少しにぎやかです


借金踏み倒されたって言ってた人?


はい

ただし、礼を言いに来られています


意味が分からない


私も最初はそう思いました


最初ってことは、いまは分かるんですか


七割ほどは


残り三割が怖いんだけど


その三割が守様らしいとも言えます


蒼汰は反論をやめた。

もう父に関しては、意味が分からないことの方が正しい気がしてきた。


応接室の扉が開く。

今度の空気はさっきと少し違っていた。


香辛料の匂いがする。


重くはない。

乾いた果実と、焙煎した種子みたいな、遠い市場を思わせる香りだ。

葬儀場の白い壁と不釣り合いなのに、不思議と嫌ではない。


部屋の中央に立っていたのは、小柄な男だった。


年齢は五十代前後だろうか。

背は低いが、腹は出ていない。痩せてもいない。質のいい黒衣の上に、喪章代わりなのか深い青の細帯を斜めにかけている。指には何もはめていないが、その代わり袖口や襟元の縫い取りが細かい。商人だ、と一目で分かる格好だった。


その後ろには、無表情な従者が一人。

両手で古い革帳簿と、黒布に包まれた細長い何かを持っている。


男は蒼汰を見ると、ぱっと顔を上げた。

目が細い。

だが笑っているわけではない。

商売人が値踏みをするときの目に似ていた。


冬城が簡潔に告げる。


こちら、砂海回廊商盟、第七外港所属の商人、サディーク・ハルーン様です


男は一歩前へ出て、驚くほど深く頭を下げた。


奏多蒼汰殿

初めてお目にかかります

私は、守殿に借金を踏み倒された男です


蒼汰は黙った。


一拍置いてから、思わず言う。


それ、最初に言うことですか


はい

もっとも分かりやすいので


サディークは顔を上げた。

真顔だ。

真顔なのに、どこか妙に楽しそうでもある。


冬城がごく小さく咳払いする。


蒼汰様、言葉がやや極端なだけで、敵意はありません


極端すぎません?


いつものことです


そうらしい。


蒼汰は仕方なく椅子へ座った。

サディークも座るのかと思ったが、彼は立ったままだった。背筋が妙にきれいで、商人というより法廷で証言する人間みたいだった。


守が頭の奥でぼそりと言う。


ああ、サディークか

そいつは帳簿を武器だと思っている


借金踏み倒されたっての、本当なのか


半分だけな


半分って何だよ


蒼汰が心の中で返したところで、サディークが従者から革帳簿を受け取った。


では、まず証拠をご覧に入れます


いや証拠って


本件は証拠が重要です


帳簿が机に置かれる。

重い。

閉じたままでも何年も積み重なった紙の厚みが分かる。


サディークは慣れた手つきで数ページをめくり、一か所で止めた。

そこには細かな数字と品目がびっしり並んでいた。

蒼汰にはすぐ読み切れない。

だが最後の欄だけは分かった。


返済 未了


守殿からの借受けは、金貨三百二十四枚

乾燥果実八樽

塩蔵肉五樽

水袋五十

駄獣六頭

荷車二台

さらに夜間通行許可証の無断転用一件

以上です


蒼汰は思わず帳簿とサディークの顔を見比べた。


いや、結構ちゃんと借金じゃないですか


はい

ですので私は、借金を踏み倒された男です


サディークはきっぱり言い切った。


守の声が頭の奥で小さく訂正する。


踏み倒してない

返済方法を変えただけだ


先に言えよ


言う暇がなかった


蒼汰はため息をつきそうになった。

だがサディークは待ってくれない。


私は当時、砂海回廊の西端で交易をしておりました

冬季の移動商隊に食料と水を流し、高値で売る

それが仕事です

そしてあの年、私は戦後特需で一儲けするつもりでした


戦後特需


はい


サディークの声はひどく実務的だった。


灰壁市連邦が包囲を耐えたあと、周辺都市は混乱します

道は荒れます

備蓄は不足する

ならば、食料と水を持つ者が強い

私はそのつもりで倉を抱えていた


そこへ守殿が来た


サディークは、そこだけ少しだけ顔をしかめた。

嫌悪ではない。

思い出すだけで胃が重くなる相手の顔をした。


あの方は、まず私の相場表を見て、ひどい顔をしました

次に倉を見て、もっとひどい顔をしました

最後に私を見て、いちばんひどい顔をした


蒼汰は少しだけ想像できてしまう。

たぶん父は、本当にそういう順番で顔をしかめる。


そして言いました

人が凍える時期に、値札の方だけ元気だな、と


……言いそう


はい

非常に言いそうでした


冬城が壁際でわずかに目を伏せる。

どうやら全員同じ感想らしい。


サディークは続ける。


私は当然断りました

市場価格だ、と

戦後の需要を読むのは商人の仕事だ、と

すると守殿は、分かった、と言って一度引いた


蒼汰は少し意外に思った。

父ならもっとその場で揉めそうだったからだ。


だが引いたのは、本当に三時間だけでした


サディークの口元がわずかに引きつる。


夜、守殿は戻ってきた

兵站局の者を数名連れて

それから、よく分からない図面と計算を持って


守が頭の奥で言う。


あれは必要な交渉だった


交渉?


ああ

比較的平和なやつだ


比較的の基準が嫌なんだよ


サディークは帳簿の横へ、もう一枚、薄い紙を置いた。

数字と線ばかりの図だ。

地図なのか経路表なのか、蒼汰には分からない。


守殿は私にこう言いました

いま倉を開けて物を出せ

代金は後だ

ただし金では返さないかもしれない

だが、お前が生き延びる道は作る


蒼汰は目を瞬かせた。


いや、それで貸すんですか普通


貸しません

ですので私は断りました


当然だ。


しかし守殿は、断られる前提で話をしていました

次に、こちらをご覧に入れたのです


サディークが紙を指先で軽く叩く。


閉鎖されていた旧回廊の再開通計画です

正確には、再開通できると守殿だけが思っていた無茶な案ですが


守がぼそりと言う。


無茶ではない

計算上は可能だった


計算上は、ってのが嫌なんだよなあ


蒼汰は心の中で返した。


サディークは少しだけ肩をすくめた。


砂海の旧回廊は、十年以上閉ざされていました

魔獣、流砂、崩落、略奪

使い物にならない死に道です

ですが、守殿はそこを三日で最低限通せると言った

しかもそのための食料と水を、私に出させた


蒼汰は思わず帳簿の未了欄を見た。

なるほど、たしかに借金だった。


私は断り続けました

商売にならない、と

守殿は言いました

商売にしてやる、と


サディークは、そこで初めて少し笑った。

皮肉と感心が半分ずつ混ざった顔だった。


失礼ながら、私は半分詐欺師の口上だと思いました

ですがあの方は、本当に三日で回廊を開けた


どうやって


蒼汰が尋ねると、サディークは即答した。


人を使って

靴を履かせて

荷重を分けて

進む順番を決めて

井戸を三つ掘り当てて

近道を一つ潰し

遠回りを最短に変えました


それは英雄譚ではなかった。

どちらかと言えば土木と現場の話だった。

でもだからこそ、守らしい。


蒼汰は少しだけ身を乗り出した。


それで儲かったんですか


サディークの目が細くなる。


大変に


従者が、そこで初めてほんの少しだけ誇らしそうな顔をした。


回廊再開通により、我が商盟は冬季交易の独占ではなく、先行権を得ました

守殿の条件は簡単です

独占するな

先に通れ

その代わり、飢えている街を飛ばすな

必ず最初の荷の三分の一は救援に回せ

残りで好きに儲けろ、と


守は頭の奥で小さく言う。


あれはかなり譲歩した方だ


譲歩って何だよ


普通なら半分を先に救援へ回させる


蒼汰は黙った。

父の感覚はやっぱり少しおかしい。


サディークは帳簿を閉じた。


結果として、私は借りた物資の何十倍も稼ぎました

商隊は生き残り

港は太り

商盟旗は冬でも降ろされなくなった


そして守殿は、最後まで返済を更新しなかった


それで踏み倒されたって言ってるのか


はい


サディークは一切迷わず頷いた。


私は返済完了として帳簿を閉じるべきだと何度も申し上げました

ですが守殿は、その必要はない、と

あれは元手だと思え、と

儲けが出たなら、そのまま回せ、と


蒼汰は父の声で脳内再生されるその言い方に、少しだけ苦くなる。


あの人、そういう言い方しますね


はい

腹が立つほど


サディークはそこで、初めて人間らしく肩を落とした。


ですが同時に、よく分かってもいました

あの方は、恩を恩の形で返されるのが嫌いだった

勲札も、都市章も、商盟からの正式顕彰も全部断った

ならばこちらは、借金を返せないままの商人でいた方が都合がよかったのです


蒼汰は少しだけ眉を寄せた。


都合?


守殿に礼を尽くす口実になります


机上の帳簿を、サディークはそっと撫でた。


借りは残っている

だから私は今夜、ここに来られる

礼を言うために

返済できなかったぶん、頭を下げるために


蒼汰は言葉に詰まった。


うまいこと言いやがって、と思った。

だがずるいとも思えない。

この男はたぶん、本当にそう思っている。


サディークは後ろの従者へ目配せした。


黒布に包まれていた細長いものが、机の上へ置かれる。

静かに布がほどかれた。


現れたのは、旗だった。


大きくはない。

本来なら槍の先や荷車の側面に掲げる類のものだろう。

深い群青の布地に、金糸で波と砂丘を組み合わせたような紋が刺繍されている。隅には古い擦れと、小さな裂け跡。使われていた旗だとすぐ分かった。


これは……


旧回廊が再び通った最初の冬、先頭の荷車に掲げられていた商隊旗です

本来なら商盟庫へ納めるべきものですが、今夜はこちらをお持ちしました


蒼汰は目を見開いた。


いや、そんな大事なもの


はい

大事なものです


サディークの声は静かだった。


そして今夕、砂海回廊の主立った商隊は、すべてこの旗に合わせて半旗を掲げました

守殿は商隊旗など興味も示されない方でしたが、それでも我々はそうせずにいられなかった


半旗。


その言葉が重かった。


国ではない。

軍でもない。

商隊だ。

戦場ではなく、流通と暮らしの側で生きる人々が、父のために旗を下げている。


蒼汰はゆっくりとその布へ触れた。

ざらりとした手触り。

新しい飾り物ではない。

風を受け、砂をかぶり、何度も旅をした旗の感触だった。


サディークは続ける。


守殿は、これも受け取らないでしょう

ですから、ご子息へ託します

もし迷惑であれば、商盟が保管します

ですが私は、できれば今夜はここへ置いていきたい


どうして


蒼汰が尋ねると、サディークは少しだけ視線を落とした。


守殿が一度だけ、珍しく率直なことを言ったからです

綺麗な章や札は息子に困るだろう

だが、商売の匂いがする旗なら、まだ分かるかもしれない、と



蒼汰が心の中で呼ぶ。


何だ


あんた、どこでそんなことまで言ってるんだよ


必要な時にはな


必要の範囲が広すぎるんだよ


守は何も返さなかった。

でも少しだけ、照れたみたいに黙った気がした。


サディークは最後に、もう一つだけ小さな紙片を出した。

古びた借用証だ。

守の字で、乱暴に走り書きがしてある。


回廊が通ったら勘弁しろ。最悪、干し葡萄で追加返済する。


蒼汰は数秒それを見て、それから思わず額を押さえた。


軽いんだよなあ……


はい

その軽さに何度も腹が立ちました


サディークの声には、妙に深い実感がこもっていた。


ですが、あの方が本気で人を救うとき、だいたいこの調子でした

大層な顔をせず

大層な名乗りもせず

帳簿と荷車と水袋で、都市を生かした


蒼汰は旗と借用証を見た。

国を救った英雄の遺品としては、あまりにも泥臭い。

でもその泥臭さの方が、父を理解できる気がした。


サディークは深く頭を下げた。


奏多蒼汰殿

私は守殿に返済を断られた商人として、今夜ここに礼を申し上げます

そして、守殿が最後まで受け取らなかった敬意の一部を、ご子息へ預けます


蒼汰は少しだけ迷ってから、ゆっくり頷いた。


……預かります


サディークの肩から、はっきりと力が抜けた。


ありがとうございます


その一言だけで、彼が本当にこの旗を置いていきたかったのだと分かった。


従者が帳簿を閉じる。

サディークはそれを受け取らず、机上の借用証だけを少し押しやった。


帳簿は持ち帰ります

借りはまだ残しておきたいので

ですが、その一枚だけはご子息へ


まだ残すんだ


はい

残しておけば、また礼を言いに来られます


商人らしい理屈だな、と蒼汰は思った。

でも嫌いじゃない。

むしろ、今夜の父にはよく似合う返し方だった。


サディークが去ったあと、応接室にはまた静けさが戻った。


机の上には、借用証と商隊旗。

脇には兵站局の計算尺。


蒼汰はそれを見下ろしたまま、小さく息を吐く。


……父さん、思ってたよりだいぶ面倒くさいな


今さらか


守が頭の奥で返す。


今さらだけど


冬城が近づき、旗の布を丁寧に整えた。


お持ちになりますか


うん

これも、たぶん置いていけない


それがよろしいかと


蒼汰は旗を布ごと抱え直した。

兵站局の黒箱と合わせると、さすがに両手が塞がる。


冬城が自然な動作で言う。


次の方まで少し間があります

その前に、一度棺のおそばへ戻られますか


蒼汰は頷きかけて、ふと聞いた。


次はどんな人


冬城は少しだけ考えた。


守様に、正面から勲札を突き返された方です


蒼汰は黙った。


……もう驚かない気がしてきた


それは良い傾向かもしれません


良くないだろ


たしかに


冬城は珍しく、ほんの少しだけ笑った。

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