表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/30

第12話 最初に頭を下げたのは、名も知らない兵站士官だった

旧校舎から戻った蒼汰を、葬儀場の空気はほとんどそのままの濃さで迎えた。


増えた車列。

増えた黒服。

増えた花。

それなのに、時間だけは本当に三十分しか進んでいないらしい。


現実時間では、旧校舎に入ってからまだ三十分ほどです


冬城にそう言われても、蒼汰はいまひとつ実感がなかった。

母の声を聞いて、父の遺した部屋を見て、もう一人の蒼と会って、それでも外ではコンビニの灯りも月の位置も大して変わっていない。


世界の方が、ずっとおかしい。


葬儀場の裏口を通ると、若い黒服の男がすぐに深く頭を下げた。


蒼汰様

お戻りをお待ちしておりました


何かあったんですか


いえ、大きな混乱はございません

ただ、守様との関係上、どうしても蒼汰様へ先にご挨拶を申し上げたいという方が、すでに十数名ほど


十数名


蒼汰はその数字をそのまま繰り返してしまった。


いま何人って言いました


十七名です

ただし、冬城様の判断で本日は三名までに絞る予定です


絞って三名なんだ……


はい

それでもかなり少ない方かと


何が少ない方なんだよ。


思わずそう言いかけて、やめた。

きっとここでは、その「何が」からして自分の知らない基準で動いている。


冬城が歩みを止めずに言う。


本日最初の方だけ、先にお会いください

比較的、蒼汰様が受け止めやすい相手を選んでいます


比較的って便利な言葉ですね


はい

守様関連では非常に重要です


守が頭の奥で小さくぼやいた。


真琴はそういう言い方をするとき、大抵ろくでもない連中を後ろに回してる


聞きたくないんだけど


聞かなくても、たぶんそのうち会う


蒼汰は額を押さえたくなった。

だがそれすら面倒で、ただ冬城の後をついて歩く。


案内されたのは、棺のある広間ではなく、会館の一番奥にある小さな応接室だった。

控室というには質素で、会議室というには柔らかい。

長机が一つ、椅子が四つ、壁際に茶器の載ったワゴン。

本来なら親族が少し息をつくための部屋なのだろう。


そこに、一人の女が立っていた。


年は三十代後半か、四十前後にも見える。

背は高くない。

肩で切った黒髪はきっちりと後ろで束ねられていて、喪服の上からでも分かるくらい姿勢がまっすぐだ。

だがその礼服は日本のものではない。黒を基調にしてはいるが、襟元の形も袖の留め方もどこか軍服に近い。左手には古傷があるのか、手袋をしていない右手に比べて、動きが少し硬い。


人間だ。

少なくとも見た目は。


だがこの場にいるというだけで、普通ではないと分かる。


冬城が静かに告げた。


お待たせいたしました

こちら、エルミナ・ヴァレイス様です

守様より救援を受けた側の関係者で、今日は個人として弔問に来られています


女は蒼汰を見た。

見定めるようではない。

まっすぐで、少しだけ緊張している目だった。


エルミナと申します


その声には、妙な硬さがあった。

日本語としては通じる。

だが抑揚の置き方が少し違う。冬城か誰かが後で整えたのかもしれない。


蒼汰はぎこちなく頭を下げた。


奏多蒼汰です


次の瞬間、エルミナは深く腰を折った。


蒼汰は思わず固まる。


あの


我が都市、灰壁市連邦第二環区兵站局を代表し

まずご子息へ、礼を申し上げます


兵站局。


聞き慣れない単語なのに、なぜか父には似合う気がした。


蒼汰がどう反応すればいいか分からずにいると、エルミナは頭を上げた。

その顔は冷静だったが、目の奥だけがひどく真剣だった。


守殿は、我々の都市を二度救いました

一度目は包囲戦で

二度目は、その後の冬で


蒼汰は瞬きをした。


二度目の冬?


はい


エルミナはゆっくりと言葉を選ぶ。


一度目は、分かりやすい救いでした

外敵による封鎖を破り、城門を開かせ、指揮系統の崩壊を止めた

英雄譚として語るなら、そちらが適切でしょう


そこまで言って、彼女は少しだけ口元を硬くした。


ですが、我々兵站側の者間で、本当に命を救われたと認識しているのは二度目です


蒼汰は椅子を勧められ、そのまま座った。

冬城も壁際へ下がる。

応接室の空気は静かだった。

外では世界の要人だの異界の代表だのが集まっているのに、この部屋だけ、変に地に足がついている。


エルミナも座る気配はなかった。

立ったまま、報告書でも読み上げるみたいな整然さで話し続ける。


戦のあと、都市は救われました

ですが倉庫は半壊し、食糧配分は乱れ、上下水の系統も壊れていました

指揮官たちは皆、戦勝の処理と次の外交で頭がいっぱいだった

当然です

普通はそうなります


守殿だけが、違いました


守の声が頭の奥で小さく溜息をつく。


やめろ

その先は大した話じゃない


蒼汰は心の中で即座に返した。


黙ってろ


エルミナは、そんな守の気配など知らないまま続けた。


守殿はまず、凱旋式典を止めました

三日後に延期しろ、と

市議会と将軍と聖堂が全員反対しましたが、全部に怒鳴って回ったそうです


……父さんが?


はい

正確には、怒鳴るというより、呆れていました

祝うのは勝手だが、配給が崩れたまま民を凍えさせる気か、と


蒼汰は目を伏せた。

言いそうだった。

ひどく言いそうだった。


エルミナの声に、初めて少しだけ熱が乗る。


守殿は戦後三日間、都市政府の席につかず、兵站局の地下倉庫に詰めました

記録の再計算、配給線の再構築、保存食の選別、井戸水の消毒手順、仮設炊き出しの導線、火の番の交代まで全部見直した


蒼汰の頭に浮かぶのは、世界を救う英雄ではなかった。

台所の冷蔵庫の詰め方に文句を言う父だった。


これ、下段に葉物入れるなって言っただろ

火の通りが均一じゃない

水は一回沸かしてから冷ませ

鍋を二つ回せ、待ち時間が無駄だ


本当に、やりかねない。


蒼汰は小さく尋ねた。


……それで、冬を越えたんですか


エルミナは静かに頷いた。


はい

死者数は想定の三分の一以下に抑えられました

飢えと病の流行を最低限で止められた

軍略ではなく、配給表と薪の積み方で救われた命が、あの都市には多くあります


そこで初めて、彼女の声が少しだけ揺れた。


私は当時、兵站局の下働きでした

守殿に最初に言われた言葉は今でも覚えています


蒼汰は顔を上げる。


何て


エルミナは一拍置いて、少しだけ呆れたように、でも大事そうに言った。


戦は勝って終わりじゃない

鍋が回って、便所が詰まらず、子供が朝に泣かないところまで持っていって、やっと終わりだ


蒼汰は思わず息を漏らした。


……うわ、言いそう


はい

とても言いそうでした


冬城が壁際でごく小さく頷いている。

どうやら本当に守らしいらしい。


エルミナはそこで、初めて少しだけ目元を緩めた。


あの方は兵站を軽んじる者を嫌いました

剣で救ったと誇る者より、翌朝の粥を用意する者の方を、ずっと高く評価した

ですから私のような下働きにも、対等に怒鳴りました


対等に怒鳴るって何だよ


蒼汰が思わず言うと、エルミナの目にほんの少しだけ笑いが差した。


守殿は、身分で叱り方を変えない方でした

だから怖かった

ですが、公平でした


守の声が頭の奥でぼそりと返す。


怒鳴ってない

確認の声音が少し強かっただけだ


あんた、自覚ないのかよ


だいたい真っ当なことしか言ってない


蒼汰は心の中でため息をついた。

たぶん、こういうところも含めて父だったのだろう。


エルミナはそこで少しだけ姿勢を正した。


本日の礼は、そこにあります


そう言って、彼女は持っていた細長い黒箱を机の上へ置いた。

派手さはない。

だが丁寧に磨かれているのが分かる。


蒼汰は眉を寄せた。


これは


守殿が兵站局地下で使っていた計算尺です

正式な贈答品ではありません

本来、我々の規定上は都市章か勲札をお持ちすべきでした

ですが、守殿はそういうものを最も嫌いましたので


守が即座に言う。


その判断は正しい


蒼汰は箱を開けた。


中に入っていたのは、古い道具だった。

金属と木でできた折り畳み式の計算尺。何度も使われた痕があり、角は丸く擦れている。側面には細かい数字の刻みと、目盛りの間に守らしい少し崩れた文字がいくつか走っていた。


一つは、こう書かれている。


粥は濃くするな。回らなくなる。


蒼汰は思わず黙った。


その字だけで、父が見える。

ひどくはっきり見える。


エルミナが言う。


守殿はそれを毎日のように使われていました

兵数、薪、保存食、水、病人、移送距離

何でもこれで計算していた

紙が足りないときは床にも書いたし、人の腕にも書いた

私の手甲にも三度ほど直書きされました


そんなことある?


ありました


彼女はきっぱり言った。


そして、その計算尺の裏面には最後にこう刻まれています


蒼汰が裏返す。


そこには守の字で、短く一文だけあった。


飯が回れば人はまだ持つ。


喉の奥が少し痛んだ。


それ、あの人が?


はい

我々の局では、いまも半ば標語のように残っています


エルミナは蒼汰を見た。


ご子息へ礼を尽くすというのは、こういうことです

守殿がこちらで遺したものを、勝手に英雄譚へ作り替えない

守殿が本当に執着したものを、そのままお返しする


蒼汰はしばらく計算尺を見つめていた。

剣でも勲章でもなく、こんなものが返ってくる。

でもたぶん、守という男を知るには、それがいちばん正しい。


どうして、俺に


気づけばそう聞いていた。


エルミナは迷わず答える。


守殿は、亡くなる少し前まで、こちらへの最終補給基準を更新しておられました

その際、明確に仰った

自分が死んだあと、もしご子息が受け取れる状態なら、記章ではなく現物を渡せ、と


蒼汰は目を上げる。


あの人が、そんなことを


はい


エルミナは少しだけ視線を落とした。


ご子息はたぶん、綺麗な称号より、使い古しの道具の方が理解できる

そう言っておられました



蒼汰が心の中で呼ぶ。


何だ


……あんた、そういうのだけは当てるんだな


たまにはな


その返事が妙に普通で、蒼汰は笑いそうになった。

だが笑いきれない。

胸の奥が熱くなる方が先だった。


エルミナは最後に、もう一度だけ深く頭を下げた。


奏多蒼汰殿

あなたが普通に生きていたことに、我々は礼を申し上げます

守殿がこちらへ残せた最後の線の一部は、たしかにそれで守られていました


蒼汰は言葉に詰まった。

礼を言われるようなことは何もしていない。

ただ知らずに生きていただけだ。


でも旧校舎で、母の手紙でも似たことを言われた。

グラディウスにも言われた。

そして今、兵站局の士官にも言われる。


守は、蒼汰が普通に生きていることに何かを見ていた。

何かを守っていた。


蒼汰はゆっくり頭を下げた。


……どうも、ありがとうございます


エルミナは少しだけ目を細めた。


本当に守殿のご子息なのですね


何でですか


礼を言うべきところで、先に戸惑う顔をされる


蒼汰は返事に困った。

冬城がわずかに視線を逸らす。

笑いを堪えているのかもしれない。


エルミナはもうそれ以上は言わず、一礼して部屋を出ていった。

その背は小さいのに、不思議とまっすぐだった。


応接室に静けさが戻る。


蒼汰は机の上の計算尺を見たまま、小さく息を吐いた。


……一人目から重いんだけど


冬城が壁際から戻ってくる。


比較的、受け止めやすい方を選んだのですが


どこがだよ


守様の人間味が分かりやすいかと


それは、まあ……


否定できなかった。

英雄譚より、鍋と粥と薪の方が、父にはしっくりくる。

それが嫌なくらい分かってしまう。


守が頭の奥でぼそりと言う。


エルミナは真面目すぎる

もう少し軽く話せたはずなんだが


十分軽くないだろ


兵站の話だからな


そこじゃない


蒼汰は計算尺をそっと箱へ戻した。

だが蓋は閉めない。

何となく、まだ閉じたくなかった。


冬城が静かに問う。


少し休まれますか

それとも、次の方へ進まれますか


次もいるんだよな


はい

二人目の方は、守様に借金を踏み倒されたと主張されています


蒼汰は顔を上げた。


は?


ただし、礼を言いに来られています


意味が分からない


私も半分ほどしか理解しておりません


蒼汰はその場でしばらく黙って、それから深く息を吐いた。


……会う


承知しました


冬城が扉へ向かう。

蒼汰はその背を見ながら、箱の中の計算尺にもう一度だけ目を落とした。


飯が回れば人はまだ持つ。


父がどこかの世界で本当にそんなことを言っていた。

それが今、自分の前に残っている。


知らない父なのに、あまりにも父らしい。


蒼汰は箱を持ち上げた。


冬城が振り返る。


お持ちになりますか


うん

これは、たぶん持っときたい


冬城は小さく頷いた。


それがよろしいかと


蒼汰は箱を脇に抱え、応接室を出る。


葬儀場の廊下は相変わらず静かだった。

けれど蒼汰の中では、さっきよりほんの少しだけ、父の輪郭が増えていた。

剣で救った英雄じゃない。

戦のあと、鍋と薪と配給表で人を救った男。


そして次には、借金を踏み倒されたのに礼を言いに来る誰かが待っている。


父、奏多守は、死んでからますます意味が分からなくなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ