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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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第11話 もう一人の蒼は、敵じゃなかった

部屋の空気は凍ったままだった。


僕は、君が生まれるとき

向こう側に残された、もう一人の蒼だよ


子供の影――いや、少女の輪郭は、そう言ってから少しだけ首を傾げた。

投影はまだ不安定なのに、その仕草だけがやけに人間らしい。肩口までの髪がふわりと揺れ、細い顎の線と、少し大きめの目元が、ようやくはっきりしてきた。


女の子、なのか。


そんなことを考える余裕が自分にあるのかと、蒼汰は半歩遅れて気づく。


冬城が先に口を開いた。


蒼汰様、すぐに敵対判断はなさらないでください

未分離残響体が対話を優先している場合、接触目的は回収か統合、あるいは確認です


敵対してるようには見えないもんな


蒼汰がそう言うと、少女は小さく笑った。


よかった

いきなり斬られたらどうしようかと思ってた


その口調は、思っていたより軽い。

軽いのに、古い水面の底から響くみたいな妙な深さがある。


蒼汰は地図の中の彼女を見た。


……お前、本当に敵じゃないのか


うん

少なくとも、君を壊しに来たわけじゃないよ


少女は渡り廊下の手すりからひらりと降りた。

影のくせに、その足取りはひどく軽い。


むしろ逆

壊される前に、先に来た


守の声が低くなる。


誰に


君たちがさっき言ってた観測者たちに

あれは見つけたものの値段を測る

君がどれくらい使えるか

どれくらい危ないか

どれくらい奪う価値があるか


蒼汰の背中に、嫌な冷たさが這った。


子供みたいな姿で、そんなことを静かに言うのが余計に不気味だった。

けれど敵意はない。

少なくとも、声にはない。


冬城が卓の表示を確認しながら問う。


あなたの目的は何ですか

対象個体への接触と対話を要求した理由を、明確に


少女は冬城を見て、それから蒼汰へ視線を戻した。


確認

それから、返却


返却?


うん


彼女は少しだけ困ったように笑う。


僕、ずっと持ってるものがあるんだ

本当は君の側にあるべきものを


蒼汰は思わず眉を寄せた。


何を


名前の端っこ

あと、見つかりやすさの偏り


意味が分からない


分かるように言うとね


少女は指を一本立てる。

子供っぽい仕草なのに、その説明の組み立てだけ妙に落ち着いていた。


君が生まれる前、境界が深く触れて

君になるはずの情報の一部が、こっちに引っかかった

守は閉じた

巴は拒否した

その結果、君はちゃんと君として生まれた


そこまではさっき聞いた


うん

で、そのときに全部きれいに戻りきらなかった

余りみたいなものが、僕として残った


余り。


その言い方に、蒼汰は少しだけ顔をしかめる。

だが少女はすぐに首を横に振った。


ごめん

言い方が悪かった

いらないものって意味じゃないよ


その声が、意外なくらいまっすぐだった。


僕はたぶん

君の取りこぼしで、君じゃない

でも、君に関係あるものではある

そういう半端なやつ


蒼汰は黙った。

何と返せばいいのか分からない。


少女は少しだけ肩をすくめた。


巴はね

半端なまま放っておくの、嫌いだった


守の気配が、頭の奥でわずかに揺れる。


……巴に会ったのか


会ったよ

直接は一度だけ

でも何度か声は届いた


蒼汰はすぐに聞き返した。


母さんは、お前のこと知ってたのか


知ってた


少女はあっさり答える。


すごく怒った

守に

それから僕にも少し


僕にも?


うん

君を困らせる形で残るなって


その言い方が少しおかしくて、蒼汰はこんな状況なのに、少しだけ力が抜けた。


母さんらしいな


でしょ


少女が笑う。

やっと、そこではじめて、彼女が年相応の女の子っぽく見えた。


投影の輪郭も少し安定してきた。

肩の線は細く、声も高めだ。けれど一人称は僕で、そのアンバランスさが妙に自然だった。


蒼汰はふと尋ねた。


お前、女の子なんだな


少女はぱちりと目を瞬いた。

それから少しだけ口元を緩める。


うん、たぶん

少なくとも僕はそのつもり

巴が、女の子みたいでかわいいって言ったから、たぶんそうなんだと思う


守が頭の奥で小さく咳払いした。


巴はそういうことを勝手に言う


でも君、否定しなかったじゃん


守は黙る。

珍しく分かりやすい沈黙だった。


蒼汰はようやく少しだけ息を吐いた。


……それで

返すって何を返すんだ


少女は地図の向こう側で、自分の胸元に手を当てた。


君の識別の揺れ

僕が持ってる分だけ、返せる

そうすれば、君は今の名前で固定されやすくなる

観測者にも、古い蒼じゃなくて、奏多蒼汰として見せられる


冬城の目が明確に変わった。


可能ですか


完全には無理

でも、かなりましになる

本当はもっと早くやりたかった

でも守が生きてる間は、君の側へ寄る方が危なかった


守が低く言う。


……だから今日来たのか


うん

君が死んで

偽装が薄れて

鍵が起きて

巴の認証も通って

それで、ようやくこっちから触れた


少女は蒼汰を見た。


君がここまで来たから

やっと、君自身に返せる


蒼汰は中央卓に手をついた。

まだ全部を飲み込めてはいない。

だが少なくとも、彼女が自分を奪いに来たわけではないことだけは分かる。


返したら、お前はどうなる


少女は少しだけ考えるように首を傾げた。


薄くなる

たぶん、かなり

でも消えるっていうより、ちゃんと位置が決まる感じかな


それって


蒼汰は続けられなかった。

代わりに彼女が笑う。


心配してくれてる?

やさしいね


うるさい


蒼汰が反射で返すと、少女はくすっと笑った。


大丈夫

僕、消えるのは嫌だけど

半端なままで君を見つかりやすくしてる方がもっと嫌だ


その言葉に嘘は感じなかった。


冬城が確認する。


必要な媒介は何ですか


少女はすぐに答えた。


巴の指輪

守の鍵

それから、君の同意


蒼汰のポケットの中で、指輪がかすかに熱を持つ。


守が低く言う。


蒼汰

選べ

無理にやる必要はない

ただ、これを逃すと次はかなり面倒になる


面倒の基準が信用ならないんだけど


今回は本当にそうだ


冬城が珍しく、すぐに補足した。


守様に同意します

穏便に済ませるなら、最良に近い機会かと


穏便に。

その言葉に、蒼汰は少しだけ救われた。


戦いたいわけじゃない。

母のこと、父のこと、そして目の前のよく分からない女の子のことも、まだ整理できていない。

それでも今は、とにかく壊れない形で終わらせたかった。


蒼汰は少女を見た。


……やる


少女の輪郭が少しだけやわらかく揺れる。


うん

ありがとう


中央卓の上に、新しい円環が浮かぶ。

冬城がすばやく対話窓の設定を変更し、青い番人が区画入口で警戒を続ける。


蒼汰様、指輪を左手に

鍵は右手で握ってください

それから、今のお名前をはっきり宣言してください


蒼汰は言われた通りにした。

巴の指輪を左手に通す。

驚くほどぴたりと馴染むわけではない。少しだけ大きい。けれど、外れそうでもなかった。

右手では、守の鍵がまた白く光り始める。


少女が渡り廊下の真ん中で両手を胸の前に合わせる。


僕は、境界側に残った未分離残響

仮称、蒼

返却と整理に同意する


冬城が蒼汰を促す。


蒼汰様


蒼汰は息を吸った。


俺は、奏多蒼汰

返却と整理を受けることに同意する


その瞬間、鍵と指輪が同時に光った。


管理室の中央卓から細い光の糸が伸び、地図の中の少女と蒼汰の間を結ぶ。

痛みはない。

だが胸の奥を何かが静かに引かれる感覚がある。


少女の輪郭が、少しずつ透け始めた。


彼女はその中で、なぜか安心したように笑っていた。


これで、たぶん大丈夫

君は君の名前で立てる


蒼汰は思わず言った。


お前は


僕?

僕はまあ

向こうで少し薄くなる

でも、たぶんゼロにはならないよ


彼女は片目を細める。


巴に、ちゃんと怒られたから

簡単には消えるなって


蒼汰は、そこで初めて少しだけ笑った。


ほんと、母さんらしい


うん


少女の声がやわらかくなる。


それとね

最後に一つだけ言っとく


何だよ


彼女は少しだけ真面目な顔になった。


君は、僕の代わりに生きる必要はない

僕は僕で、半端なままでも、ちゃんとここにいた

だから君は、君の方をちゃんとやって


蒼汰は返事ができなかった。


そういう言葉はずるい。

ずるいのに、たしかに救いでもあった。


光が強くなる。

壁の赤い文字が次々に消えていく。


旧称観測、再編中

識別更新を確認

対象名称:奏多蒼汰

古称照合を切断します


冬城が小さく息を吐いた。


成功です

固定観測が外れます


中央卓の地図の上で、校庭や渡り廊下にいた他の影も、少しずつ輪郭を失っていく。

小さな少女の影だけが最後まで残って、それからゆっくり蒼汰を見た。


じゃあね、蒼汰


その呼び方は、不思議と自然だった。


蒼汰は思わず一歩前に出る。


おい


ん?


……名前、ないのかよ


少女は一瞬、きょとんとした。

それから少しだけ嬉しそうに笑う。


ないよ

最後まで、つかなかった


蒼汰は言葉を探す。

でも何も思いつかない。

こんな場面で気の利いた名づけなんてできるほど、自分は器用じゃない。


少女はそんな蒼汰の顔を見て、小さく肩をすくめた。


いいよ

無理しなくて

僕、そういうのは、また今度でもいいと思ってる


今度?


うん

縁がまだ残るなら、たぶんいつか


そう言って、彼女は本当に女の子らしい、やわらかい笑みを浮かべた。


次に光が弾けたとき、影はもういなかった。


管理室の中央卓に残るのは、旧校舎周辺の通常地図だけ。

赤い警告文字はすべて消え、白い表示が淡く流れている。


外縁警戒線、安定化

識別更新完了

旧称観測、消失


冬城が姿勢を緩めた。


……穏便に済みましたね


蒼汰はその場でしばらく立ち尽くした。

右手の鍵は温かい。

左手の指輪も、もう光ってはいない。

けれど、何かが確かに自分の中へ戻ってきた感覚だけは残っていた。


守が頭の奥で、ひどく静かに言う。


蒼汰


何だよ


……ありがとう


蒼汰は思わず顔をしかめた。


父さんが言うと重いんだよ、それ


そうかもしれん


珍しく、守は言い返さなかった。


冬城が管理卓を閉じ、こちらを見る。


蒼汰様

旧校舎周辺の観測は外れました

第一保管路も最低限の安定を取り戻しています


つまり?


今なら、葬儀場へ戻れます


その言葉で、蒼汰ははっとした。


そうだ。

父の葬儀の途中だった。

旧校舎の裏へ来て、母のことを知って、もう一人の蒼と会って、色々ありすぎて感覚が麻痺していたが、時間はちゃんと進んでいる。


今、何時ですか


冬城が確認して答える。


現実時間では、旧校舎に入ってからまだ三十分ほどです

保管路内は認識が伸びやすいので、体感とはずれます

明朝の本式には十分間に合います


蒼汰は小さく息を吐いた。


三十分……


いろいろありすぎて、もっと長くいた気がした。

母の声を聞いて、父の言葉を受けて、もう一人の蒼と話して、それでも外ではまだ三十分しか経っていない。

その事実が、逆にこの場所の異質さをはっきりさせる。


帰るか


はい


守が頭の奥で、少しだけ軽く言った。


帰れ

そういうための場所でもある


蒼汰はその言葉にだけ、すぐ返さなかった。


管理室を出る。

第二区画を抜けるとき、モビールがかすかに鳴った。

第一区画では運動会のプログラムと駄菓子の袋が静かに揺れていた。

どの部屋も、父と母の残したものに満ちている。


でも今は、全部を持ち帰る必要はない。

それは分かった。


旧校舎へ戻る黒板前で、蒼汰は一度だけ振り返った。

暗い通路の先には、もう誰もいない。

それでも、さっきの少女の笑顔だけは妙に鮮明だった。


また今度でもいいと思ってる。


その言葉が、胸のどこかに引っかかっている。


黒板を抜け、旧校舎へ戻る。

湿った夜の空気と、学校特有の匂いが現実を連れ戻してきた。


校庭を横切る頃には、月の位置もほとんど変わっていなかった。

黒塗りの車へ向かう足取りは、来たときより重いはずなのに、不思議と少しだけましだった。


車に乗り込む直前、蒼汰は夜の校舎を見上げた。


旧校舎の渡り廊下。

そこにはもう何もいない。

ただ風だけが通っている。


どうかされましたか


冬城の問いに、蒼汰は首を横に振った。


いや

ただ、ちょっとだけ

もう一人、見送り損ねた気がして


冬城は何も聞き返さなかった。

ただ静かに後席のドアを押さえてくれる。


車はまた、音を抑えて夜の町へ戻っていく。


窓の外にはコンビニの灯り。

交差点。

静かな住宅街。

どこまでも普通の世界。


けれど蒼汰はもう知ってしまっている。

父が何度も帰ろうとしていた現実の重さを。

母が守ろうとした普通の意味を。

そして、自分が一人だけではなかったことを。


葬儀場の前に着くと、規制線の向こうの気配は来たときよりさらに増えていた。

それでも、いまはもう、ただの圧ではなかった。


蒼汰は車を降りる前に、左手の指輪へ一度だけ触れた。

それから右手の鍵を握り直し、低く言う。


……戻ったぞ、父さん


頭の奥で、守は小さく答えた。


ああ

おかえり


その一言だけで、蒼汰はなぜか少しだけ泣きそうになった。

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