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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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第10話 蒼と呼ぶ声

識別管理室の中央卓に浮かぶ立体地図の中で、小さな影だけが動かなかった。


旧校舎と新校舎をつなぐ渡り廊下。

夜の学校の、風の通り道みたいな場所。

そこにいる輪郭の曖昧な小さな影だけが、こちらを見ている。


もちろん、本当に目が合っているわけじゃない。

ただの投影だ。

ただの観測点だ。


なのに蒼汰は、あれが間違いなく自分を見つけているのだと分かった。


旧称保有個体、対話要求

指定呼称:蒼

拒否時、外縁固定観測へ移行


壁の赤い文字が、淡々とそう告げ続けている。


冬城が中央卓の縁に手を置いた。


蒼汰様、対話を受けた方がいいです


受けた方がいいって、相手が何かも分からないのに?


拒否した場合、向こうは観測を固定します

固定観測に入ると、この保管路ごとマーキングされる可能性が高いです

そうなる前に、対話窓を開いて相手の意図を確認した方がまだましです


ましってだけで、良くはないんだな


はい

まったく良くはありません


守が頭の奥で低く言う。


だが冬城の判断は正しい

子供型が先に話しかけてくるなら、まだ交渉の余地はある


子供型って何だよ


古い観測体の一種だ

形だけ子供に寄る

本当に子供なわけじゃない


蒼汰は地図の中の小さな影を見た。

たしかに人の子の輪郭に見える。

だが、そう見えるだけだと分かる。

人間の子供なら、あんなふうに夜の渡り廊下の真ん中で、影だけを安定させて立っていたりしない。


冬城が操作卓の一部を開く。

白い光の輪が立ち上がり、部屋の中央に薄い膜のようなものが展開した。


簡易対話窓です

音声のみ優先、像は必要最低限に絞ります

蒼汰様、最初にお伝えしておきますが、旧称で呼ばれても応じる必要はありません

呼称を訂正してください

今のご自身の名前で話すべきです


蒼汰は少しだけ冬城を見た。


それ、大事なんですか


かなり

名前は識別でもあり、境界では位置の固定にも使われます

相手が蒼と呼ぶなら、それは蒼汰様を今のあなたではなく、古い痕跡として扱おうとしている可能性があります


守がすぐに続ける。


最初に言え

今の俺の名前は奏多蒼汰だ、と

絶対にそこを曖昧にするな


蒼汰は小さく息を吸った。


父と冬城の意見がここまで即座に揃うのも珍しい。

それだけ重要だということなのだろう。


中央の薄膜へ、文字が浮かぶ。


対話要求を受理しますか


蒼汰は一瞬だけ迷って、それから答えた。


受理する


薄膜が波打った。


立体地図の中の小さな影が、すっと輪郭を濃くする。

輪郭の内側に、ぼんやりと人の顔らしいものが生まれた。

年の頃は十歳前後に見える。

髪の色も、目の形も、はっきりしない。

古い写真の上に水を垂らしたみたいに、像が不安定だ。


だが、その口元だけは笑っていた。


やっといた

やっぱり、蒼だ


蒼汰は一歩も引かなかった。


違う


影が首を傾げる。


違う?


俺の名前は、奏多蒼汰だ


一拍の沈黙。


それから、影は少しだけ嬉しそうに笑った。


そう

そっちでは、もうちゃんと名前があるんだね


そっちでは、という言い方に、蒼汰の背中が冷える。


お前は誰だ


影はすぐには答えなかった。

渡り廊下の手すりに、子供みたいに腰をかける。

本当の体がないくせに、その仕草だけが妙に自然で不気味だった。


守はいる?


いる


蒼汰が短く返すと、影の顔が少しだけ上がる。


久しぶり

って言うべきなのかな

それとも、はじめまして?


守の声が硬くなる。


お前、どこの観測体だ


ひどいな

そんな聞き方する?

君の方が、僕をよく知ってるくせに


知らない

少なくとも、今の照合結果では特定できていない


嘘だ


子供の影は、笑ったまま言う。


君は僕を知ってる

巴も知ってた

だから閉じたんでしょう


蒼汰の視線が揺れる。

巴の名が出た瞬間、部屋の空気が変わった。


お前、母さんを知ってるのか


影は蒼汰を見た。

その見方が嫌だった。

懐かしむようでいて、距離の測り方が人間じゃない。


知ってるよ

だって、あの人はすごくきれいに怒ったから


冬城が低く問う。


記録照合、初期境界鳴動事案との一致率は


中央卓の表示が走る。


照合中

一致候補を検出

分類仮称:未分離残響体


守が息を止めるみたいに黙った。


冬城がわずかに眉を上げる。


まさか

その分類、まだ残っていたんですか


蒼汰は中央卓と影を交互に見た。


何なんだよ、それ


誰もすぐには答えない。


代わりに、影がくすくすと笑った。


ああ

やっぱり、まだ教えてないんだ


君、ほんとにこういうの下手だよね


守の声が低く、ほとんど唸るようになる。


名乗れ


名乗るほどの名前はないよ

だって君たち、最後までつけなかったから


影はそこで、初めて少しだけ寂しそうな顔をした。


でも、呼び方ならあった

君たちは僕を、ずっと蒼って呼んでた


蒼汰の心臓が一つ、重く鳴った。


その瞬間、管理室の空気がまるで薄くなる。

呼吸がうまく入らない。


蒼、は俺の仮称だろ


うん

君の仮称でもあった


影はあっさり肯定した。


でも、僕の呼び名でもあった


冬城が中央卓に手をつく。


未分離残響体……

生体識別の分岐前に、境界側へ取り残された情報塊……

そんなもの、理論上はあっても個体性までは


あるよ


子供の影は、冬城の言葉をやわらかく遮る。


だって、僕はいま、ここにいる


蒼汰は自分の指先が白くなるほど拳を握っていた。



ああ


何だよ、それ


頭の奥の守は、珍しくすぐに答えなかった。


蒼汰には、その沈黙だけで十分嫌な予感がした。

父がここまで言葉に詰まるときは、大抵、本当に隠していたことだ。


やがて守が、低く、苦い声で言う。


お前が生まれる前

境界が一度だけ、想定以上に深く接触した

私は閉じたつもりだった

だが完全には閉じ切れていなかったらしい


影が、渡り廊下の手すりの上で足をぶらつかせる。


そう

君は閉じた

巴は拒否した

それで、君は生まれた


蒼汰の喉が動いた。


それじゃあ、お前は


影は、笑った。


僕?

簡単だよ


立体地図の中の小さな影が、すっとこちらへ一歩近づく。

投影のはずなのに、距離感だけが急に現実になる。


僕は、君が生まれるとき

向こう側に残された、もう一人の蒼だよ


部屋のすべての音が、そこで止まった気がした。

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