赤色の悪役令嬢に転生しました
目が覚めた瞬間、まず思った。
――天井、高くない?見知らぬ天蓋付きベッド。絹のカーテン。ふわっと香る薔薇の匂い。嫌な予感がして、私はゆっくりと自分の手を見る。
白い。いや、白すぎる。
慌てて近くの姿見に飛びついた。
「……は?」
鏡の中には、赤がいた。
燃えるような赤い髪。宝石みたいな赤い瞳。作り物めいた赤い唇。
そして、不健康なほど白い肌。
――ちょっと待って。この配色、見覚えありすぎるんだけど?私はごくりと唾を飲み込む。
「……もしかして、これ……《双子の王子と聖なる乙女》じゃない?」
頭の中に、次々と情報が蘇る。乙女ゲーム。学園。聖女ヒロイン。攻略対象たち。
そして――
「悪・役・令・嬢」
よりにもよって、あの赤尽くしの悪役令嬢に転生とか、聞いてない。
この子、確かルート次第で――よくて国外追放。最悪、公開処刑。
「……詰んでない?」
いや、まだだ。まだ慌てる時間じゃない。
私は深呼吸して、拳をぎゅっと握った。
「目標変更」
断罪回避? ヒロインと仲良く?そんな高難易度プレイ、やるわけないでしょう。
「狙うのは――国外追放」
どうせ悪役令嬢なら、潔く追い出されてやる。その代わり、しっかりお金を持って、自由に旅立つのよ。
そう、これは――処刑エンド全力回避、追放上等人生逆転計画の始まり。
「さて。まずは資金確保からね」
赤い悪役令嬢は、にやりと笑った。
食事をしようとして、ふと手が止まった。
……あれ?
ナイフとフォークを前にして、私は固まる。順番は? どっちがどっち?というか。
「……普通さ、こういうのって身体が覚えてるんじゃないの?」
前世の私でも、最低限のテーブルマナーくらいは反射で出てくる。なのに、この身体は――何も、覚えていなかった。
ぞっとして、自分の中を探る。
記憶。知識。癖。あるのは全部、私自身のものだけ。
「……ちょっと待って」
周囲を見渡す。広い屋敷。長い廊下。豪華な調度品。でも、私は――使用人の後ろを、ずっとついて行ってるだけ。
ここがどこで、どの部屋が何で、誰が誰なのか。何一つ、わかっていない。
胸の奥が、ひゅっと冷えた。
「……不味くない?」
不安を振り払うように、私は書斎に入る。
本棚にぎっしり並ぶ背表紙の中から、一冊を適当に抜き取った。
――読めば、思い出すかもしれない。文字を見た瞬間、何かが戻ってくるかもしれない。そう思って、ページを開く。
「……」
沈黙。
「……あ、これ」
全然、読めない。文字は文字だ。
見たことはある……気がする。
でも意味が、まったく頭に入ってこない。
日本語でもない。英語でもない。
当然、ゲーム内で見慣れた表示とも違う。
「……アウトでは?」
本を閉じて、そっと棚に戻した。
作法はできない。屋敷のことも知らない。
文字も読めない。つまり――
「……詰みですね」
私は天井を仰いで、小さく息を吐いた。
国外追放を目指す以前に、この世界で生きるための基礎が、何一つない。
赤い悪役令嬢の人生、開始早々、難易度が高すぎる。
結論。私は――わざと、階段から落ちた。
はっきり言って、無茶だった。怖かった。ものすごく怖かった。もう二度としない。お金を積まれても、命を賭けろと言われても、絶対にしない。
……本当に、痛かったから。
全身が悲鳴を上げる。背中も、腕も、脚も。そして、最悪なことに――頭も、打った。
「……う、っ」
視界がぐらりと揺れて、私はそのまま床に転がった。その瞬間、思った。
(あ、これ、やりすぎたかも)
でも、引き返せない。私は歯を食いしばり、意識を失った“振り”をした。
そして、私は柔らかなベッドの上にいた。
白い天蓋。カーテン越しの光。
そして、周囲に漂う、薬草の匂い。
私は、ゆっくりと目を開ける。
「……」
数秒、間を置いてから――
演技開始。
「……私、は……?」
掠れた声で、そう呟く。
「……誰? ここは……どこ……?」
周囲が、ざわりと揺れたのがわかった。
誰かが息を呑み、誰かが名前を呼んでいる。
(よし……)
心の中で、小さくガッツポーズ。
そう、これこそ――題して、《記憶喪失戦略》。
身分?家のこと?作法?文字が読めない?
知らなくて当然。
覚えてなくて当然。
これで、私は堂々と「何もわからない」を貫ける。
(……多分)
……多分、ね。
正直、賭けだ。
かなり無茶な賭けだ。
「……なんとか、なるよね?」
胸の奥で、そう呟きながら、赤い悪役令嬢は、不安をごまかすように、もう一度、か弱く目を閉じた。
両親――らしき人たちが、私のベッドのそばに立っていた。
気品のある服装。滲み出る威圧感。
そして、こちらを見る目に混じる、戸惑いと不安。
「……覚えて、いないのか?」
私は、少し考える素振りをしてから、ゆっくり首を振った。
「……わかりません」
場の空気が、凍った。
次に現れたのは――どう見ても、王子だった。
整った顔立ち。無駄に輝く金髪。
立っているだけで「重要人物です」と主張してくる存在感。
(あ、これ婚約者だ)
私は直感で察した。
「……私、あなたに、何か……?」
私は、か細い声で言った。
王子は、息を詰めてから、深く頭を下げて言った。
「申し訳、ございません」
……はい、完了。
完全にフラグ、折れましたよ。
さらに追撃。今度は、年頃の少女。
親しげな距離感。たぶん、女友達。
「ねえ……私のこと、わかる?」
私は、にこりともせず、首を傾げる。
「……誰でしょう」
――完璧。
(ふはははは)
心の中で、高笑い。
楽勝。これはもう、楽勝よ。
婚約解消?上等です。
学園?辞めますわ。
勉強?しません。
結果として告げられたのは、
「静養のため、郊外の別荘へ」という、最高の処置。
人里離れた、少し寂れた別荘。療養名目。
事実上の、自由時間。――そして。
「別荘には、専属の使用人を一人つけます」
そう告げられて、現れたのは、一人の若い男性だった。
……若い。
どう見ても、若い。
女性使用人ばかりでは危険かもしれない、という判断らしい。
理屈は、わかる。わかるけど。
(……おじいさんじゃ、ダメなのかしら)
いや、ほら。その方が、無難じゃない?
色々と。
(若い男って……問題でしょうに)
一瞬、口に出しかけて――
慌てて、飲み込んだ。
だめだ。
ここは、何も言ってはいけない。
私は今、記憶喪失の令嬢。大人しく、か弱く、流される存在でなければならない。
「……よろしく、お願いします」
精一杯、それらしい態度で、そう言った。
使用人の青年は、恭しく頭を下げた。
――結局。
この判断が、この人選が、後に大問題になる。
この時の私は、まだ知らない。別荘で待っているのが、のんびり静かなスローライフではなく――波乱万丈の日々の始まりだということを。
ああ、なんてこと。
これは完全に――フラグだった。




