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第89話 今日から俺はビレージ士爵⁉

「では、わたくしの執務室へどうぞ。サインなど必要なところをしたためてくださいな」


「わかりました」


 俺はエスコルヌ女子爵の執務室へ行くと、俺を平民から貴族へと変えてしまう数枚の書類にサインと血判を押した。


「お預かりしますわ」


 それをエスコルヌ女子爵が封筒に入れ、エスコルヌ子爵家の緻密な文様の封蝋で綴じる。


「こんな数枚の紙切れだけで平民から貴族になるだなんて、不思議なものですね」


 正直、実感は全くなかった。


 当然だ。

 俺は何も変わっていないのだから。


 なんとも言えない座りの悪さ感じてしまう俺に、エスコルヌ女子爵が冗談交じりに言う。


「どうぞ、今日からはビレージ士爵とお名乗りください」


「勘弁してくださいよ。俺は俺ですから」


「そうですか。でしたらわたくしのことも、そろそろ親愛を込めて『クラリス』とお呼びいただけますか?」


 エスコルヌ女子爵のフルネームは、クラリス・アン・エスコルヌ女子爵という。


 俺が貴族になってもビレージ士爵と名乗りたくないのなら、エスコルヌ女子爵も貴族然とした呼び方ではなくクラリスと呼んでくださいなと。

 そう言っているのだ。


 なるほど、まったくな提案と言える。


「わかったよ、クラリス」


 俺は敢えて、リーリアにするような砕けた口調とともにその名を呼んだ。

 そっちの方が親近感があって、エスコルヌ子爵は喜ぶと思ったからだ。


 あまり色恋沙汰には(さと)くないと自負する俺でも、それくらいはわかるんだぞ。


 するとエスコルヌ女子爵がポッと顔を赤らめた。


「は、はぅ……」

 さらには小動物の鳴き声のような、可愛らしい声まで聞こえてくる。


 普段の清楚で慎み深い妙齢の女性から、初心(うぶ)な乙女にでもなってしまったかのようだった。


 その強烈なギャップに、俺は何とも言えない胸のときめきを感じてしまう。


 可愛く懐いてくる系のリーリアとはまた違って、エスコルヌ女子爵はものすごい美人だ。


 そんな2人から好意を寄せられている俺という男は、冷静に考えてものすごく幸運なのではなかろう?

 

 まぁ、それはそれとしてだ。


「あとは封書を王都に届けるだけか」


「すぐに早馬を出しますわ。街道の整備も進んでおりますし、なんとか今日中に王都まで届けられるかと」


「いや、ここはシノビを使おう。早馬よりもシノビの方が速いはずだから。そういやシノビは今、どこにいるんだっけかな――」


「ここにおります」


「うぉぅ!? ビックリしたぁ!?」


 いつの間にか、俺のすぐ隣にシノビがいた。


「あら、シノビさん。いったいいつの間に……」


 エスコルヌ女子爵も驚いたように目を丸く見開いている。


「呼ばれたので参りました」


「前も言ったが、イチイチ気配を殺して近づかないでくれな?」


「申し訳ありませんギルマス。しかしこれは職業病にて、どうかご理解いただきたく。それでどのようなご用件でしょうか?」


「この封書を王都に届けて欲しいんだ」


「王宮の衛兵に、わたくしエスコルヌ女子爵から国王陛下に宛てた書簡を預かってきたと伝えれば、後は向こうが取り次いでくれるはずですわ」


「御意」


 まず俺に、ついでエスコルヌ女子爵に、シノビはコクコクと小さく頭を下げた。


「王都まではかなり距離がある。途中には山もあるし、今日中に届けられるか?」


「もちろんにございます。そうですな、日が落ちるまでには届けられるかと」


 いつものようにシノビは淡々と答えた。


 しかも早馬でも日が変わるまでになんとか届けられる距離を、日没までに届けると言ってのける。


「OK。頼んだぞシノビ」

「御意」


 シノビは封書を受け取ると、またもや音もなく部屋から出て行った。


 シノビができると言って、できなかったことはない。

 ゆえに、後はシノビに任せれば問題はない。


 ってわけで、これで今の俺にできることはもうなくなった。

 今度こそ、俺は肩の荷が下りた気がした。


「これで打てる手は全部、打ったかな」


「ええ。後はリーリアちゃんが目を覚ますのを待つだけですわ」


 俺はエスコルヌ女子爵と今後のことを少しだけ話してから、リーリアの病室に戻った。


 ベッド脇のイスに座って、いまだ眠るリーリアの左手をそっと両手で握る。


「早く元気になるんだぞ。それでまた俺にリーリアの素敵な笑顔を俺に見せてくれよな」


 俺の問いかけにリーリアは眠ったまま答えない。


 だけど眠った顔が少しだけ笑みを浮かべたような気がした。

 明らかに快方に向かっている。


 そのことに改めて安心した俺は。


「ふぁ……いかん、眠くなってきた……」


 日々の疲れが溜まっていた&暗殺者との戦いの疲れなどもあって、そのままの体勢でいつの間にか眠りに落ちていたのだった――

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