第一章 その6 覚醒
闇の中にいた。
何も見えない。音も、痛みも、すべてが遠ざかっていく。
けれど、不思議と怖くはなかった。
やがて、微かな足音が近づく。
「よく、ここまで来たね」
男の声。
ゆらりと姿を現したその人影は、どこか懐かしく、優しい微笑みを浮かべていた。
「……誰だ?」
俺の問いかけに、彼は穏やかに微笑んだ。
「僕の名はシオン。リーネの兄だよ」
その名を聞いた瞬間、胸の奥がざわつく。
「きみは、きっと……いや、本当はもう知っているはずだよ。あの子の本当の力、そして、ソウルフォージの意味を」
「……意味?」
シオンはゆっくりと歩み寄り、そっと手を差し伸べる。
「ソウルフォージはね、ただ武器を作る技術じゃないんだ。魂と魂を重ね合わせること。想いと想いを、深く結びつけること」
彼の声は、どこまでも柔らかく、でも芯のある強さを帯びていた。
「君が戦う理由。守りたいもの。それを本当に信じたとき……リーネは、きっと本当の力を見せてくれるよ」
シオンは微笑みながら、空を見上げる。
「どうか、あの子をひとりにしないであげてほしい。君なら、きっとできると思うから」
彼の姿は、次第に薄れていく。
「待って……!」
伸ばした指先は虚空を掴み、次の瞬間、世界はまばゆい光に包まれた。
目覚めの時。
聞こえてきたのは、誰かの泣きそうな声だった。
「アキト……目ぇ、開けてよ……!」
薄く目を開けると、涙ぐむリーネの顔がぼやけて見えた。
「……おいおい……泣くなって……」
かすれた声を聞いて、リーネはびくりと肩を揺らし、潤んだ瞳をこちらに向ける。
「だ、だって……アンタ……死んじゃうかと思って……っ」
震える声。俺は胸が締め付けられるような気持ちになった。
「……俺は、簡単にはくたばらないよ」
微かに笑いかけると、リーネは涙を指で拭いながら、しっぽをふるふると震わせた。
「ボク、知ってるんだ……。ボクの"核"が、ちゃんと応えてくれるかどうかは……アンタが、ボクをちゃんと信じてくれるかどうかなんだよ」
その言葉に、胸が強く打たれた。
「……ごめん、俺……」
言葉に詰まる。どう言えばいいのか分からなくて、俺は拳を握りしめた。
「怖くてさ。こんな世界で、生きてく自信、なかったんだ。だから、お前を巻き込むのが怖くて……」
リーネは静かに微笑み、小さな手を俺の額にそっと添えた。
「ボクもね、本当は怖かったんだよ。ボクの力なんて、誰かの役に立たないんじゃないかって……」
彼女の手は温かかった。
「でもさ、アンタと一緒なら……たとえ小さくても、意味があるって、そう思えたの」
俺は目を閉じ、深く息を吸った。シオンの言葉が蘇る。本当に信じること。守りたいもの。
「俺も……」
目を開けて、リーネを見つめる。
「お前と一緒なら、戦える。もう逃げたくない。お前を……お前を守りたいんだ」
二人の視線が重なり合い、静かに、でも確かに心がひとつになるのを感じる。
その瞬間……
俺の指輪が眩い金の光を放ち、リーネの身体が淡く揺らめき、燃え上がる獅子の咆哮が世界を満たした。
「これが……!」
俺の右手に現れたのは、黄金の炎を纏う大剣。
その刃は獅子を象り、紅蓮の輝きがすべての闇を焼き払うように脈動していた。
そして、大剣と同時に俺の身体を包み込んだのは、金と紅の輝きを帯びた炎獅子の鎧。
肩から胸元にかけては燃え盛る鬣を思わせる紋様が刻まれ、背には炎を宿した獅子の翼の幻影が揺らめく。
まるで、俺の命そのものが燃え上がるかのような熱と力が、全身を満たしていく。
リーネの声が、微かに微笑んで囁く。
『これが……ボクたちのソウルフォージだよ』
握ったその手は、もう震えてなどいなかった。
目の前には、なおも蠢く魔物。歪みきった異形の巨躯が、黒く染まった大地を腐食させながら迫ってくる。その身体は半ば焼け爛れ、瘴気を撒き散らしながらも、まるで意志を持つかのように再生し、こちらを睨みつけていた。
「来る……!」
第一撃。
魔物の腕が異様な速度で振り抜かれる。空間が割れ、地面ごと抉り取られる破壊の爪。俺は瞬時に身を屈め、炎の翼の推進で横へと跳ぶ。
次の瞬間、大地が爆ぜ、飛び散る岩片が火花を上げて降り注ぐ。
「チッ……速い!」
追撃。
尾のように伸びた瘴気の鞭が、こちらをなぎ払おうとする。それを読んで、炎の翼が地面を叩く。俺は跳躍。ぎりぎりの距離でかわし、虚空を駆ける。
『アキト!反撃いけるよ!今!』
「任せろ!」
踏み込む。脚に力を込め、地を砕きながら爆発的な加速。
大剣を構え、斜めに振り抜く。紅蓮の閃光が魔物の腕を一閃し、肉と瘴気が火花と共に吹き飛ぶ。
咆哮。反撃の爪が振り下ろされる。
受け止める。剣を盾にして力の奔流を受けると、鎧に刻まれた炎の獅子が咆哮し、衝撃を相殺。
「ぐっ……重いッ!」
膝が軋む。骨が悲鳴を上げる。だが、止まらない。
剣に力を込め、押し返す。
「うおおおおおッ!」
腕が焼け、筋肉が悲鳴を上げる。だが、押し返す。押し返す……!
一瞬の隙。
跳躍。再び空へ。紅蓮の翼を広げ、魔物の背後を取る。
大剣に宿る炎が、さらに紅く輝きを増していく。
『今だよ、アキト!全部、ぶつけて!』
「ああ!!」
大剣を振りかぶる。紅蓮の獅子が俺の背中から咆哮する。
「行けええええッ!!」
地を貫き、空を焼き、魔物の胸元に灼熱の一撃を叩き込む。
衝撃波。爆音。閃光。
魔物の身体が爆ぜ、瘴気が燃え、その巨体は倒れ込むように崩れ落ちた。
だが、その中心に、黒く脈動する"核"だけが、不気味に残された。
「……っ、あれは……」
俺は剣を構えたまま、警戒を解かず睨みつける。だが、核は微かに光を放つと、ふっと淡く消え失せるように、その姿を消した。
『消えた……?』
リーネも不思議そうに呟く。
「……まあ、いい。倒せたならそれで十分だ」
安堵と疲労が押し寄せる中、俺は剣を肩に担ぎ、深く息を吐いた。
『アキト!すっごくかっこよかったよ♡』
その夜。
人知れず、静まり返った戦場の跡に、フードを深く被った影が現れた。
消えたはずの"核"が、地面の裂け目の奥から、黒く、静かに浮かび上がっていた。
その影は無言のまま、核を拾い上げる。
微かな嗤い声が、夜闇に溶けて消えていく。
「お父様、精霊核が目を覚ましたよ……」