第四章 その3 沈黙の救済
リーネを救出してから二日後——
俺たちはルセリア神聖国の会議室に集まっていた。
リーネは子ライオンの姿に戻り、俺の肩に乗っている。虚核の影響から完全に回復したが、まだ少し元気がないようだった。
「申し訳ありませんでしたぁ」
マディアが深刻な表情で切り出す。
「虚核集合体の出現はぁ、私たちの警戒不足でしたぁ」
「いえ、マディア様のおかげで助かりました」
俺が答える。
「それより、問題はヴォイド・ソースの動きです」
法王リゼリアが重い口を開く。
「実は、最近になって不穏な情報が入ってきています」
法王が一枚の書類を取り出した。
「『無響教団』という組織をご存知ですか?」
「無響教団……?」
イリーナが眉をひそめる。
「聞いたことがありません」
「表向きは新興宗教ですが……」
法王の表情が険しくなる。
「彼らはヴォイドの奇跡の力で死者を蘇らせると謳い、信者を集めています」
「死者を蘇らせる!?」
クロエが驚く。
「そんなこと、できるわけねーだろ!」
「ええ、もちろん本当の蘇生ではありません」
シビラがゆっくりと説明する。
「ヴォイドの力で作られた〜、魂のない偽物ですね〜」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
偽セリス王女のことを思い出したのだ。
「そして、その教団を率いているのが……」
法王が別の書類を見せる。
「エイドリアン商会会長、マクシミリアン・エイドリアンです」
「やはり……」
俺が苦い表情を浮かべる。
「前にキャラバンに潜入した時、虚核を密売していることは分かっていたが……」
「まさか宗教団体まで作っていたとは」
ヴァネッサが驚きと怒りの入り混じった声を上げる。
「あの時は単なる密売組織だと思っていましたが、これほど大規模な活動をしていたなんて」
クロエが拳を握りしめる。
「くそっ、もっと早く叩き潰しておけば……」
「表の顔は商会会長ですがぁ」
マディアが説明を続ける。
「裏では無響教団の大導師として、虚核を使った布教活動をしているようですぅ」
「密売だけじゃなく、宗教まで……」
ティナが青ざめる。
「じゃあ、各地で虚核の被害が増えているのは……」
「我々が把握していた密売ルートだけでなく、教団の信者たちも虚核を広めているからでしょう」
法王が頷く。
その時、リーネが小さく呟いた。
「……許せない」
全員の視線がリーネに集まる。
「虚核の恐ろしさを……あんな思いを、他の人にもさせるなんて……」
小さな前足が震えている。
俺はそっとリーネの頭を撫でた。
「大丈夫だ、リーネ」
「アキト……」
リーネが俺を見上げる。
「ボク、戦いたい。あの教団を止めたい」
小さな瞳には、強い決意が宿っていた。
「分かった」
俺は頷く。
「一緒に戦おう」
クロエも立ち上がる。
「当然だ!『鉄の絆』の出番だな!」
「そうですね」
ヴァネッサも同意する。
「虚核の被害をこれ以上広げるわけにはいきません」
セリス様も決意を込めて言う。
「私も参加します。偽物を作り出す者として、見過ごせません」
法王リゼリアが地図を広げる。
「無響教団の本拠地は、ここから北東へ一日の距離にある廃都市です」
地図上の一点を指差す。
「かつては栄えた都市でしたが、五十年前の災害で放棄されました」
「廃都市……」
ヴァルトが考え込む。
「確かに、秘密の活動には最適な場所ですね」
「ただし、警戒が必要です」
法王が警告する。
「教団には多くの信者がおり、皆が虚核に汚染されている可能性があります」
「それに〜、マクシミリアンという人は〜」
シビラが付け加える。
「とても危険な能力を持っているらしいですね〜」
「危険な能力?」
俺が尋ねる。
「他者の喪失感に共鳴して〜、精神に干渉する能力だそうです〜」
シビラの言葉に、皆が緊張する。
精神攻撃は、防ぐのが難しい。
「でも、行くしかない」
俺が決意を込めて言う。
「このまま放っておけば、もっと多くの人が犠牲になる」
「そうだな」
ルカスも珍しく真剣な表情で頷く。
「影の魔法で、できる限り支援するよ」
こうして、俺たちは無響教団の本拠地へ向かうことになった。
翌日、俺たちは廃都市の入り口に立っていた。
かつては美しかったであろう街並みは、今や瓦礫と化している。
しかし、その中心部には異様な気配が漂っていた。
「あれは……」
ティナが指差す先に、巨大な聖堂が見えた。
廃墟の中で、その聖堂だけが不気味なほど綺麗に保たれている。
「間違いない」
ヴァルトが確信を持って言う。
「あそこが無響教団の本拠地だ」
俺たちは慎重に聖堂に近づいていく。
すると——
「ようこそ、精霊核の皆様」
突然、声が響いた。
聖堂の扉が開き、一人の男が現れる。
恰幅の良い体格に、商人らしい愛想の良い笑顔。
しかし、その笑顔の奥には、何も感じさせない冷たさがあった。
「マクシミリアン・エイドリアン……」
イリーナが身構える。
「その通りです、イリーナ皇帝陛下」
マクシミリアンが恭しく一礼する。
「遠路はるばる、ご苦労様でした」
「虚核の密売……許しません」
リーネが俺の肩から飛び降りて前に出る。
子ライオンの姿のまま、小さな体から炎の魔力を放っている。
「おや、これは……」
マクシミリアンの目が興味深そうに光る。
「虚核に触れながら、正気を保った精霊核ですか。素晴らしい」
「黙れ!」
リーネが怒りを露わにする。
「あんたのせいで、どれだけの人が苦しんでいるか……」
「苦しみ?」
マクシミリアンが首を傾げる。
「私は救済を与えているのですよ。愛する人を失った者たちに、再会の機会を」
その時、聖堂の中から一人の少女が現れた。
十歳ほどの可愛らしい少女だが——
「お父様、お客様ですか?」
少女の声には、どこか機械的な響きがあった。
「ええ、そうですよ、エリーゼ」
マクシミリアンが優しく微笑む。
「皆さん、私の娘です」
俺たちは言葉を失った。
その少女から感じる違和感——まるで、生きているようで生きていない。
「まさか……」
セリス様が震え声で言う。
「その子も……虚核で……?」
「ご明察」
マクシミリアンが満足そうに頷く。
「三年前に病で失った娘を、ヴォイド様の奇跡の力で蘇らせました」
「それは蘇生じゃない!」
俺が叫ぶ。
「ただの偽物だ!」
「偽物?」
マクシミリアンの表情が変わる。
愛想の良い笑顔はそのままに、目だけが恐ろしく冷たくなった。
「では、本物とは何ですか?魂?心?それとも記憶?」
マクシミリアンがゆっくりと歩み寄る。
「私の娘は、生前の記憶を持ち、私を父と呼び、共に過ごしています。それで十分ではありませんか?」
「でも、それは……」
ヴァネッサが言いかけるが、マクシミリアンが遮る。
「皆さんは幸運です。大切な人を失ったことがないから、そんなことが言える」
マクシミリアンの声に、異様な説得力が込められ始めた。
「喪失の痛みを知らない者に、何が分かるというのです?」
その瞬間、俺の頭に声が響いた。
——大切な人を失う恐怖を、知っているだろう?
頭が揺れる。
リーネが闇に堕ちた時の恐怖が、鮮明に蘇ってくる。
「やめろ……」
俺が頭を押さえる。
——失いたくないだろう?なら、虚核を受け入れればいい。永遠に一緒にいられる。
「アキト!」
リーネが俺の肩に飛び乗り、小さな前足で俺の頬を叩く。
「しっかりして!これは幻術よ!」
リーネの声で、俺は正気を取り戻した。
見ると、他の仲間たちも苦しそうにしている。
「これが……感応能力……」
クロエが歯を食いしばる。
「人の心の隙間に入り込みやがって……」
「素晴らしい」
マクシミリアンが満足そうに微笑む。
「皆さんにも、喪失の恐怖はあるようですね」
そして、マクシミリアンは黒銀の司祭服を翻した。
「では、お見せしましょう。虚無こそが真の恩寵であることを」
聖堂の扉が完全に開かれる。
中から、無数の信者たちが現れた。
皆、虚核を身に宿し、虚ろな目をしている。
「さあ、始めましょう」
マクシミリアンが両手を広げる。
「沈黙の救済を」
しかし——
「待て」
俺が仲間たちを制する。
「このまま突っ込んでも、勝ち目は薄い」
クロエが苛立ったように言う。
「じゃあどうすんだよ!?」
「準備が必要だ」
俺は冷静に答える。
「相手は俺たちの心の隙を突いてくる。それに、あの数の信者たち……普通に戦っては勝てない」
マクシミリアンが興味深そうに見守っている。
「ほう、賢明な判断ですね」
彼は余裕の笑みを浮かべたまま続ける。
「一週間後、月のない夜に、改めてお越しください。その時こそ、真の救済をお見せしましょう」
信者たちが道を開ける。
撤退を促すかのように。
「そのまま逃げてしまわれても構いませんよ?」
マクシミリアンが挑発的に問いかける。
「いいや」
俺は振り返らずに答える。
「必ず戻ってくる。その時は、あんたたちの歪んだ救済を打ち砕く」
こうして、俺たちは一時撤退を決めた。
一週間——それが、俺たちに与えられた準備期間だった。




