第一章 その2 新ストーリー
歩き出すたび、靴裏に土の感触が伝わってくる。頬を撫でる風、漂う木々の匂い、遠くで鳥の声。どれもが異様なほど鮮明で、生々しい——
「夢じゃ……ないんだな」
震える指先を見つめる。
俺は確か…ゲームをクリアして——そしてここにいる。どこかの異世界。ゲームの中みたいな光景。リーネ、ソウルフォージ、核。ぜんぶ、ゲームの中で知ったそれらは目の前にある現実だった。
「ふふっ♡ 今さら何言ってるの? ちゃんと生きてるじゃん♡」
肩に乗ったリーネが、くすくすと耳元で囁く。柔らかい声、冷たい言葉。
「でも、なんで……俺は……どうしてここに……」
答えは、どこにもなかった。生きている——それ以外のことは、すべて霧の中だ。
帰れるのか。いや、そもそもここはどこなのか。誰も教えてはくれない。
「大丈夫だって♡ ボクがついてるし♡」
リーネの声は妙に楽しげだった。
「……俺はどうすればいいんだ。これから……」
「んふふ♡ そーだね♡ とりあえずは——生きること、かな♡」
呆然としたまま歩き続ける俺の前で、突然人影が現れた。
「おっと。迷い子発見っと!」
大斧を担いだ女戦士——豪快な笑顔。彼女は一瞬で魔物を叩き伏せ、血しぶきさえ気にせず振り向いた。
「アタイはクロエ=ハートフォード。《鉄の絆》ってギルドの団長さ」
差し出された手。戸惑う俺。
帰れないのかもしれない。
でも、このままじゃ死ぬだけだ。
震える手で、彼女の掌を掴む。
「よろしくな、兄ちゃん!」
温かい掌が俺を引き上げる。その瞬間——この世界で生きることを、心のどこかで決めていたのかもしれない。
ギルド《鉄の絆》は、木と石造りの温かな建物だった。中では冒険者たちが談笑し、火が灯る暖炉が優しく揺らめく。
だが、心は落ち着かなかった。
「ここで……生きていくのか、俺は……」
クロエは笑い、リーネは肩でふわふわ揺れる。けれど胸の奥には、帰れないかもしれないという不安と、異世界の現実がじわじわと滲み込んでいく。
剣を握った手が、まだ微かに震えていた——
「……あれは夢じゃなかったんだな」
あのゴブリンの生臭い返り血、震える指先。全てが現実だった。
「まあ、そりゃそうでしょ♡ 夢だったら、ボクこんなに可愛く喋ってないし♡」
リーネは肩の上で小さく欠伸をする。その尾はふわふわ揺れ、飾りリボンが揺れるたび、どこか妖しい光が瞬く。
「こいつは……何なんだ、ほんとに……」
いや、俺はこいつを知っている。
——リーネ。
ゲーム内で語られる聖獣。
白銀の子ライオンの姿と、少女の声。意志を持つ獣としてプレイヤーに語りかけ、時に戦い、時に心を支えてくれる、特別な存在。
そして何より——
"リーネは、ゲームの中の主人公の妹"
正確には、妹の姿と魂を聖獣に変えられた存在。悲劇的な過去と、兄への強い執着、そして隠された真実。その切ない物語を、俺は確かに覚えている。
そうだ——間違いない。これは、ゲームの中で俺が知っていた"リーネ"だ。
「ざぁこ♡ そのうち分かるって♡ だってボク、キミの“核”だもん♡」
リーネはくすくすと笑いながら、俺の指輪をちょんと指差した。
「核——?」
「そう、核。魔物の魔力を吸って固めた、魔石のコア。ほら、武器に変わったでしょ? あれ、ソウルフォージっていうんだし」
リーネは得意げに胸を張る。
「核はね、武具とか防具とか、ボクみたいに相棒みたいな形で憑くこともあったりなかったり、ボクは“精霊核”ってやつ!レアなんだよぉ?」
指輪の内側が微かに輝き、リーネのしっぽが揺れた。
「……じゃあ、お前は……」
「そう♡ キミだけの、特別な核♡ それにボクはね——」
リーネは少しだけ声を潜め、囁く。
「キミにだけ、すっごくイイこと、してあげたいの♡ んふふ♡」
ぞくりと背筋が粟立つ。無邪気さの裏に潜む、何か——甘い毒のような気配。
「おっとぉ、色っぽい声出してるけど、こっちは真面目な話ね」
クロエが肩を叩き、僕を現実に引き戻す。
「核の扱いはちゃんと覚えな。魔核がなきゃ、この世界じゃ“冒険者”にもなれないんだよ。そいつが命の証さ」
彼女のブレスレットは眩く輝き、姿を斧へと変えた。重たい斧を片手で持ち上げ、にっと笑う。
「ま、最初は誰だって怖い。けどさ——生きるか死ぬかの瀬戸際で、踏ん張れるかどうかが、未来を決めるんだ。アタイはそう思う」
クロエの言葉は、炎のように熱く、芯を貫く強さがあった。
俺は拳を握る。
「やってみるよ……!」
「いい返事だ!」
ぱんっと背中を叩かれる。
「まずは初依頼だ。近くの森で魔物の討伐。お手並み拝見といこうじゃないか、働かざる者食うべからずだ!新入り!」
ギルドの扉が開かれる。朝焼けが眩しく、空は蒼く澄んでいた。
正直何がなんなのか、わからないことだらけ。
でもここがあのゲームのクリア後の世界だというのならエンディング後の平和な世界ってやつを俺は楽しもうと思う。
俺はこの時、ゲームをプレイするような感覚。つまりは軽い気持ちだった。
「じゃ、行こう。死なないようにねぇ♡」
リーネのからかう声と共に、俺の新しい物語が、静かに動き出す——。