第三章 その2 帝国の進撃
エイドリアン商会の隊商から命からがら脱出した俺たちは、急いでセリス様のもとに向かった。
商会が虚核をガルゼル帝国軍に大量供給していることを突き止めた以上、事態は一刻の猶予もない。
隠れ家として使われている廃教会で、俺たちは緊急会議を開いた。
「ガルゼル帝国軍に虚核が…」
セリス様の顔が青ざめる。
「それは最悪の展開です」
アリエルも深刻な表情を見せている。
「帝国軍は元々好戦的ですが、虚核の影響でさらに攻撃的になっているでしょう」
「だが、それだけじゃない」
俺は商会で見たものを思い出す。
「あの虚核は普通のものとは違った。何か特別な仕掛けがあるように見えた」
「特別な仕掛け?」
ヴァネッサが眉をひそめる。
「どういうことですか?」
「見た目は普通の虚核なんだが、内部で何かが脈動していた」
俺は手を動かして説明する。
「まるで何かのきっかけで爆発する爆弾のような…」
その時、教会の扉が勢いよく開いた。
飛び込んできたのは、汗だくの伝令兵だった。
「セ、セリス様!大変です!」
「何があったのですか?」
セリス様が立ち上がる。
「ガルゼル帝国軍が国境を越えました!しかも、兵士たちの様子がおかしいと…」
伝令兵は震え声で続ける。
「兵士たちが…化け物のようになって…」
俺たちは顔を見合わせた。
遂に始まったのだ。
ソリス王国とガルゼル帝国の国境地帯——
そこは既に地獄と化していた。
数日前から続く両国の戦争は、もはや人間同士の戦いではなくなっていた。
ガルゼル帝国軍の兵士たちは、確かに人間の姿をしていた。だが、その目は血走り、口からは黒い涎を垂らしている。
虚核の影響で、完全に正気を失っていた。
「うおおおおおッ!」
帝国兵士の一人が、ソリス王国軍の騎士に斬りかかる。
だが次の瞬間、彼は味方であるはずの帝国兵士にも襲いかかった。
もはや敵味方の区別もついていない。
斬られた兵士は重傷を負い、恐怖に震えた。
その瞬間——
胸に埋め込まれていた虚核が、不気味に光り始めた。
「あ、あああああああッ!」
兵士の絶叫が戦場に響く。
そして次の瞬間、彼の理性は完全に消失した。
目は虚ろになり、傷の痛みも感じないまま、ただひたすらに戦い続ける。
まるで、死ぬまで戦うことを運命づけられた亡者のように。
この現象は、戦場のあちこちで発生していた。
恐怖を感じた兵士から順番に、虚核が発動し、彼らを戦闘マシンに変えていく。
ソリス王国軍の騎士たちも、この異常事態に困惑していた。
「これは一体……」
「帝国軍の兵士たちがおかしい……」
「まるで化け物のようだ……」
当初は普通の戦争だったはずが、いつの間にか得体の知れない恐怖との戦いに変わっていた。
そして、そんな異様な光景を、一人の女性が丘の上から見つめていた。
イリーナ=ガルゼル・ルドルフ——ガルゼル帝国の皇女だった。
銀色の髪を風になびかせ、氷のように美しい青い瞳で戦場を見下ろしている。
その表情は、悲しみと怒りに満ちていた。
「父上…なんてことを…」
イリーナの声は震えていた。
「これが、父上の望んだ『勝利』なのですか…」
彼女の背後には、一人の騎士が控えていた。
帝国騎士団の団長、エルヴィン=ハルトマン。
歴戦の騎士らしく傷だらけの顔をしているが、その瞳は澄んでいる。
「皇女様…」
エルヴィンが重い口を開く。
「この戦争は、もはや戦争ではありません。虐殺です」
「分かっています」
イリーナが拳を握りしめる。
「でも、私にはまだ…止める力がない…」
その時、戦場の向こうから巨大な爆発音が響いた。
見ると、一人の男が虚核兵士たちを次々と薙ぎ倒している。
ガルゼル帝国軍の将軍、ヴェルナー=ブラッドハウンド。
彼もまた、虚核を体に埋め込んでいたが、まだ理性を保っていた。
だが、その戦い方は既に人間のものではなかった。
「うおおおおおッ!もっとだ!もっと戦わせろ!」
ヴェルナーが大斧を振り回す。
一振りで複数の敵兵を吹き飛ばし、血しぶきが舞い上がる。
その様子は、まるで戦いに酔いしれた野獣のようだった。
「将軍!味方を攻撃しないでください!」
部下の兵士が叫ぶが、ヴェルナーの耳には届かない。
彼にとって、敵も味方も関係なかった。
ただ戦い、破壊し、勝利することだけが全てだった。
そんな地獄のような戦場に——
突如として、美しい歌声が響いた。
「♪ 争いをやめて、心を静めて…」
メロディアの歌声が、戦場に響き渡る。
その瞬間、虚核兵士たちの動きが一瞬止まった。
歌声の主は、空中に浮かんでいた。
青い光に包まれたヴァネッサが、メロディアと共に戦場の上を舞っている。
「水流よ、癒しの調べとなれ!」
ヴァネッサが杖を振ると、美しい水の流れが戦場を駆け抜ける。
その水に触れた兵士たちは、一時的に正気を取り戻した。
「あ…俺は…何を…」
だが、それも束の間だった。
虚核の力は想像以上に強く、すぐに兵士たちは再び暴走し始める。
「くっ…効果が続かない…」
ヴァネッサが歯噛みする。
その時、戦場の反対側から雷鳴が響いた。
「雷よ、道を切り開け!」
クロエが雷を纏った双戦斧を大きく振り上げる。
空中で一回転し、遠心力を利用して斧に雷の力を集中させる。
そして——
「雷神断!」
クロエが技名を叫びながら、地面に向かって斧を叩きつけた。
轟音と共に、雷の稲妻が地面を走り、一直線に敵陣を貫いた。
雷に打たれた虚核兵士たちは、一瞬で気絶する。
確かに、クロエの攻撃で一時的に戦闘不能になった兵士たちも、すぐに立ち上がり始める。
虚核の力で、痛みも疲労も感じないのだ。
そこへ、俺とリーネが上空から降下してきた。
「アキト!上から行くよ!」
リーネが俺の肩で叫ぶ。
「ああ!」
俺はソウルフォージを発動し、紅蓮の大剣と炎の鎧を纏う。
空中で大剣を両手で構え、炎の力を集中させる。
剣身が眩いばかりに光り、まるで小さな太陽のようになった。
「燃え尽きろ!」
俺は急降下しながら、大剣を地面に向かって突き刺した。
着地と同時に、剣から炎の衝撃波が四方八方に広がる。
炎の波は地面を這い、半径百メートルにわたって虚核兵士たちを呑み込んだ。
だが、これは攻撃ではない。
浄化の炎だった。
炎に包まれた兵士たちの体から、黒い瘴気が立ち上る。
虚核の毒が、少しずつ浄化されていく。
「今だ!」
俺の合図で、ティナが魔法の詠唱を始めた。
「風よ、仲間たちに力を与えよ!」
ティナの周りに風の渦が巻き起こる。
その風は俺たちの元に届き、疲労を癒し、魔力を回復させてくれた。
ルカスも影のように戦場を駆け抜ける。
双剣を逆手に持ち、虚核兵士たちの足首を的確に斬りつけて転倒させる。
直接的な攻撃ではなく、相手の動きを封じる戦い方だった。
「みんな、いいぞ!」
クロエが嬉しそうに叫ぶ。
俺たちの連携攻撃により、虚核兵士たちは一時的に動きを止めた。
だが——
「面白い…」
低い声が戦場に響いた。
振り返ると、ヴェルナー将軍がこちらを見つめている。
その目は、明らかに正気を失っていた。
「貴様らが…この戦場を台無しにしている害虫どもか…」
ヴェルナーが大斧を肩に担ぐ。
その斧身には、黒い瘴気が渦巻いている。
「虚核の力を使っている…」
ヴァネッサが緊張した面持ちで呟く。
「しかも、かなり強力なものです」
ヴェルナーが一歩前に出ると、地面が微かに震えた。
その存在感は、今まで戦ってきた虚核兵士たちとは桁が違う。
「貴様らも…血に染めてやる…」
ヴェルナーが大斧を振り上げた瞬間——
空気が割れるような音が響いた。
斧から放たれた衝撃波が、俺たちに向かって飛んでくる。
「みんな、散れ!」
俺が叫ぶと同時に、仲間たちは四方に飛び散った。
衝撃波は地面を抉り、深い溝を作りながら遠くまで飛んでいく。
その破壊力は、建物を一撃で倒壊させるほどだった。
「化け物め…」
クロエが舌打ちする。
だが、俺たちも負けていない。
今度は、連携で挑む番だった。
「みんな、いつものように!」
俺の指示で、仲間たちが一斉に動き出す。
まず、ヴァネッサが空高く舞い上がった。
メロディアの歌声と共に、美しい水の竜巻を発生させる。
竜巻がヴェルナーを包み込み、その動きを一時的に封じる。
次に、クロエが地面を雷で満たした。
足場全体が帯電し、ヴェルナーの足元に電撃が走る。
そして、ティナが風の刃を無数に発射。
空中から降り注ぐ風の刃が、ヴェルナーの装甲を削り取る。
ルカスは影のように移動し、ヴェルナーの死角から双剣で斬りつけた。
最後に、俺とリーネが空中から急降下する。
「いくぞ、リーネ!」
『うん!全力で行こう!』
俺の大剣が太陽のように光り、リーネの炎が剣を包み込む。
炎は剣の形を保ったまま、巨大化していく。
まるで、神話の英雄が振るう聖剣のようだった。
「紅蓮剣・天翔!」
俺は巨大な炎の剣でヴェルナーを斬りつけた。
炎の剣は地面まで届き、戦場を二つに分けるほどの巨大な爆発を起こす。
爆炎が収まると、ヴェルナーは膝をついていた。
だが、まだ倒れない。
「まだだ…まだ戦える…」
ヴェルナーが立ち上がろうとする。
その時——
「やめなさい、ヴェルナー将軍」
美しい女性の声が響いた。
振り返ると、銀髪の美しい女性が丘の上から歩いてきている。
イリーナ皇女だった。
彼女の左手首には、美しい水晶が嵌め込まれた銀のティアラ型ブレスレットが輝いている。
「皇女様…」
ヴェルナーが驚いた表情を見せる。
「なぜ、ここに…」
「この狂気を止めるためです」
イリーナが悲しそうに言う。
「これは戦争ではありません。虐殺です」
彼女は俺たちの方を向いた。
「お許しください、皆さん。私たちの国の兵士たちが、このような醜態を…」
「いえ、皇女様」
ヴァネッサが丁寧に頭を下げる。
「兵士たちは、虚核に操られているのです。彼らに罪はありません」
「虚核…」
イリーナの瞳が揺れる。
「やはり、父上が手を出してはいけないものに…」
その時、戦場の向こうから新たな軍勢が現れた。
ソリス王国軍だった。
そして、その先頭には——
偽のセリス王女が、白馬に跨って現れた。
「皆さん、お疲れ様です」
偽セリスが美しい微笑みを浮かべる。
「この戦争、私たちが終わらせましょう」
だが、俺たちは知っている。
この女こそが、全ての元凶なのだと。
本格的な三つ巴の戦いが、今まさに始まろうとしていた——。




