第三章 その1 秘密任務
あの夕日の丘での出会いから三日が経った。
俺たちは表面上はいつものギルド活動を続けながら、密かに本物のセリス王女——いや、セリス様からの指示を待っていた。
ギルドホールでいつものように依頼書を眺めていると、ティナが小声で話しかけてきた。
「アキト、あの人から連絡があったよ」
ティナが振り返ると、ギルドの片隅に質素な商人の格好をした女性が座っていた。だが、その上品な立ち居振る舞いは隠しきれない。
セリス様だった。
俺たちは人目につかないよう、ギルドの奥の個室に移動した。
「お疲れ様です、皆さん」
セリス様が商人の外套を脱ぎながら挨拶する。
「変装、似合ってるよ♪」
リーネが俺の肩で微笑む。
「ありがとう、リーネ」
セリス様も微笑み返す。
「さて、早速ですが皆さんにお願いがあります」
彼女の表情が真剣になった。
「あの黒い核——正式名称を『虚核』と呼ぶのですが、その流通ルートを調べていただきたいのです」
「虚核……」
クロエが腕を組む。
「やっぱり名前があったのか」
「はい。そして、これは偶然ばら撒かれているものではありません」
セリス様が重い声で続ける。
「組織的に、計画的に配布されているのです」
ヴァネッサが驚いた表情を見せる。
「組織的に……?一体誰が……」
「それを突き止めるのが、今回の任務です」
セリス様がテーブルに簡単な地図を広げる。
「これまでに虚核による事件が発生した場所を調べたところ、ある共通点が見つかりました」
地図には赤い印がいくつも付けられていた。ミルフォード村、カルセア商業都市、そして他にもいくつかの街や村。
「全ての場所に、『エイドリアン商会』という商団が立ち寄っています」
「商団……」
ルカスが地図を見つめる。
「怪しいな」
「エイドリアン商会は表向きには普通の交易商団です」
セリス様が説明を続ける。
「しかし、彼らが訪れた場所で必ず虚核事件が発生している。偶然にしては出来すぎています」
俺は腕を組んで考えた。
「つまり、その商団が虚核をばら撒いているってことか?」
「可能性は高いです。ですが、まだ確証がありません」
セリス様が俺たちを見回す。
「そこで皆さんに、エイドリアン商会の調査をお願いしたいのです」
「どうやって?」
ティナが尋ねる。
「彼らは現在、ヴァルクライン連邦の『バルトール街道』を北上中です」
セリス様が地図の一点を指差す。
「冒険者として、偶然彼らと遭遇したという設定で接触してください。そして、可能な限り情報を集めてほしいのです」「分かりました」
クロエが立ち上がる。
「いつものように、依頼として受けさせてもらうぜ」「ありがとうございます。ですが……」
セリス様の表情が一層深刻になった。
「この任務は非常に危険です。相手が本当に虚核を扱っているとすれば、並の敵ではありません」
ライラがクロエの腕の中から口を開く。「虚核を扱う者たちか……厄介だな」
「気をつけろよ、みんな」
メロディアもヴァネッサの肩で心配そうに歌う。
「無理は禁物です。情報収集が第一目的です」
セリス様が念を押す。「もし危険を感じたら、すぐに撤退してください」
俺は頷いた。
「分かった。虚核の正体や目的についても、何か分かったことがあったら教えてくれ」
「はい」
セリス様が深く息を吸う。
「虚核は……『ヴォイド・ソース』と呼ばれる存在が作り出したものです」「ヴォイド・ソース……」
リーネが俺の肩で身を震わせる。
「その名前……確かに聞いたことがある」
ライラもクロエの腕の中で険しい表情を見せた。
「忌まわしい名前だ。私たちが……命をかけて封印した相手」
メロディアも歌うような声で呟く。
「昔、みんなで戦った相手……でも、確かに封印したはずなのに」
「詳しいことはまだ分からないのですが、この世界を征服しようとする異世界の存在のようです」
セリス様の言葉に、俺の胸がざわついた。
ヴォイド・ソース——それは、俺がプレイしていたゲーム『ソウルレイブ物語』のラスボスとまったく同じ名前だった。
「ヴォイド・ソースの目的は『争い』です」
セリス様が続ける。
「人々を争わせ、憎悪や絶望などの負の感情を集めることで、自らの力を回復させようとしているのです」
「それで虚核を使って、人々を操ってるってわけか」
クロエが拳を握りしめる。
「許せねぇな」
「アリエルが調べたところによると、ヴォイド・ソースの封印が弱くなってきているとのことです」
セリス様の声が震えていた。
「このまま争いが続けば、いずれ完全に復活してしまうでしょう」
「リーネ」
俺が小声で呼びかけると、リーネが俺の肩で小さく頷いた。
「嫌な予感がするよ……でも、今度は負けない」
彼女の声には、過去の辛い記憶と、それでも戦う決意が込められていた。
「だからこそ、虚核の流通を止めなければならないのです」
セリス様が俺たちを見つめる。
「皆さんの力が必要です」
「任せてください」
ヴァネッサが凛とした声で答える。
「平和のために、必ず成功させます」
こうして、俺たちは新たな任務を受けることになった。
エイドリアン商会の調査——それは、ヴォイド・ソースとの戦いの始まりでもあった。
翌日、俺たちはバルトール街道に向かった。
この街道は商人たちがよく利用する主要な交易路で、多くの隊商が行き交っている。俺たちが冒険者として現れても、不自然ではないだろう。
「情報によると、エイドリアン商会は大型の馬車を10台ほど連ねてるらしいな」
クロエが馬上から周囲を見回す。
「目立つから、すぐに見つかるだろう」
街道を北上して半日ほど経った頃、前方に大きな隊商の姿が見えてきた。
「あれかな?」
ティナが双眼鏡で確認する。
「馬車の数も合ってるし、旗に『EA』って書いてある」
「エイドリアン商会だな」
ルカスが頷く。
俺たちは彼らに追いつくように歩調を合わせた。
隊商の警備は思ったより厳重で、武装した傭兵たちが馬車の周りを警戒している。普通の商団にしては、少し物々しい雰囲気だった。
「おーい、そこの冒険者さんたち!」
隊商の先頭から、一人の男性が手を振ってきた。 豪華な服装をした初老の男性で、恰幅がよく、商人らしい愛想の良い笑顔を浮かべている。
「私はエイドリアン商会の会長、マクシミリアン・エイドリアンと申します」
男性は馬車から降りて、俺たちに近づいてきた。
「冒険者の皆さんも、北の街へ向かわれるのですか?」「はい、そうです」
クロエが代表して答える。
「アタイたちは《鉄の絆》ってギルドの者です」
「おお、《鉄の絆》!最近、各地で活躍されているという」
マクシミリアンの目が輝いた。
「実は、うちの商団も護衛を探していたところなんです。もしよろしければ、一緒に旅をしませんか?報酬もお支払いしますよ」
俺たちは顔を見合わせた。
これは思わぬ好機だった。内部から調査するには絶好のチャンスだ。
「分かりました」
クロエが答える。
「喜んで護衛をさせていただきます」
「素晴らしい!では、早速契約を」
マクシミリアンが嬉しそうに手を叩く。
だが、その瞬間——
「旦那、本当にこいつらでいいんですか?」
隊商の警備責任者らしい男が、マクシミリアンに耳打ちした。
男の目は鋭く、俺たちを値踏みするような視線を向けている。
「大丈夫だ、ガルス」
マクシミリアンが手を振る。
「《鉄の絆》の実力は折り紙付きだ」
だが、ガルスという男の視線は変わらず警戒的だった。
俺は直感的に感じた。
この隊商には、何か秘密がある。
そして——俺たちが調査に来たことを、もしかしたら既に勘づかれているかもしれない。
「リーネ」
俺が小声で呼びかけると、リーネが俺の肩で小さく頷いた。
「何か変な感じがするよね」
彼女も同じことを感じているようだった。
こうして、俺たちはエイドリアン商会の隊商に合流した。
だが、この決断が新たな危険の始まりであることを、この時の俺たちはまだ知らなかった——。
エイドリアン商会の隊商と合流してから三日が経った。
表面上、俺たちは護衛として馬車の周りを警戒しているが、実際は隊商の秘密を探っていた。
だが、今のところ怪しい動きは見つかっていない。
「何か分かったか?」
休憩中、クロエが小声で尋ねてくる。
「まだだ」
俺は首を振る。
「警備が厳重すぎて、馬車の中身を確認できない」
リーネが俺の肩で小さく呟く。
「でも、確実に何か隠してるよ。嫌な感じがずっとしてる」
その時、マクシミリアン会長が俺たちに近づいてきた。
「皆さん、お疲れ様です」
いつもの愛想の良い笑顔だが、その目の奥に何かを隠しているような気がする。
「今夜は久しぶりに街に泊まりますので、ゆっくり休んでください」
「ありがとうございます」
ヴァネッサが丁寧に答える。
マクシミリアンが去った後、俺たちは顔を見合わせた。
「チャンスだな」
ルカスが小声で言う。
「街に泊まるなら、夜中に馬車を調べられる」
「でも、警備はどうする?」
ティナが心配そうに尋ねる。
「任せろ」
クロエが自信ありげに答える。
「夜中の見張りはアタイが引き受ける。その隙に調べてくれ」
その夜——
街の宿屋で一泊することになった俺たちは、深夜を待って行動を開始した。
クロエが見張りを交代し、他の警備兵を遠ざけている間に、俺とルカスが馬車の荷台に忍び込んだ。
「暗いな」
俺が小声で呟くと、リーネが小さく光って周囲を照らしてくれた。
荷台には普通の商品——布や香辛料、宝石などが積まれている。
だが、その奥に不自然な木箱があった。
「あれだ」
ルカスが指差す。
俺たちは慎重に木箱に近づき、蓋を開けた。
その瞬間——
「これは……」
俺は息を呑んだ。
木箱の中には、黒い核が整然と並べられていた。
虚核だ。
しかも、ただの虚核ではない。
表面に奇妙な文字が刻まれ、内部で何かが脈動している。
「特別製の虚核か……」
ルカスが険しい表情で呟く。
「これは何に使うつもりだ?」
リーネが俺の肩で震え声を上げる。
「アキト……この虚核、すごく嫌な感じがする」
俺も同感だった。この虚核からは、今まで見たことのないほど強い負の気配が漂っている。
「他にも何かないか?」
俺たちはさらに調べを続けた。
すると、別の箱から書類らしきものが見つかった。 それは——
「納品書……ガルゼル帝国軍宛て……」
ルカスが書類を読み上げる。
「『特殊強化虚核』百個……納期は……明後日?」
俺たちは顔を見合わせた。
エイドリアン商会は、ガルゼル帝国軍に大量の虚核を供給しようとしている。
しかも、その虚核は何らかの強化が施された危険なものだ。
「これは……」
俺が言いかけた時、突然荷台の外から声が聞こえた。
「誰だ!そこにいるのは!」
警備兵に見つかってしまった。
「逃げるぞ!」
俺とルカスは急いで荷台から飛び出し、宿屋に向かって走った。
だが、既に隊商全体が騒然としている。
「泥棒だ!」
「護衛の中に裏切り者がいるぞ!」
警備責任者のガルスが剣を抜いて俺たちを追ってくる。
「ティナ!ヴァネッサ!」
俺が叫ぶと、仲間たちが宿屋から飛び出してきた。
「何があった!?」
ヴァネッサが杖を構える。
「証拠を掴んだ!でも、バレた!」
俺が答えると同時に、外周を警備していたクロエも騒ぎに気づいて駆けつけてきた。
「おい、どうした!」
クロエが重斧を構えながら合流する。
「隊商に虚核があった!ガルゼル帝国に売るつもりだ!」
俺の言葉を聞いて、ガルスが俺に斬りかかってきた。
俺は咄嗟にソウルフォージを発動し、紅蓮の大剣で受け止める。
「やはり貴様らは間者か!」
ガルスが怒りに燃える目で睨みつける。
「『大いなる目的』を邪魔する輩め!」
「大いなる目的?」
クロエが鼻で笑う。
「虚核をばら撒くのが目的かよ!」
その言葉で、ガルスの表情が変わった。
「……無知な者どもめ」
彼の声が急に冷たくなる。
「我らの崇高なる使命が分からぬか。主の復活こそが、この腐った世界を浄化する唯一の道なのだ!」
ガルスが懐から小さな核を取り出した。
虚核だった。
「まさか……」
ヴァネッサが息を呑む。
ガルスは狂気じみた笑みを浮かべながら、虚核を自分の胸に押し当てた。
「主よ!この身を捧げます!」
次の瞬間、彼の体が黒い瘴気に包まれる。
そして——
「うおおおおおっ!」
ガルスの咆哮が夜空に響いた。
彼の体は異形に変貌し、爪は刃のように鋭くなり、目は血のように赤く光っている。
完全に魔物化していた。
「みんな、気をつけろ!」
俺が叫ぶと同時に、魔物化したガルスが襲いかかってきた。
その速度は人間のものではない。
俺の大剣とガルスの爪がぶつかり合い、火花が散る。
「くそっ……強い!」
力押しでは勝てない。
だが、俺たちには連携がある。
「ヴァネッサ!」
「はい!」
ヴァネッサがメロディアと共に歌声を響かせる。
美しい旋律が魔物の動きを一瞬鈍らせた。
その隙を狙って、クロエが横から雷の斧で斬りつける。
「雷鳴斬!」
雷を纏った斧がガルスの腹部を貫いた。
だが、魔物は倒れない。
傷口から黒い血を流しながらも、なおも襲いかかってくる。
「しつこいな!」
ティナが風の刃を連射し、ルカスが影のように駆け抜けて足を狙う。
最後に、俺が炎の力を込めた一撃を叩き込んだ。
「燃え尽きろ!」
紅蓮の炎がガルスを包み込み、魔物の体は光となって消えていく。
戦いが終わると、街は静寂に包まれた。
「証拠は手に入ったが……」
ルカスが呟く。
「もうここにはいられないな」
「ああ」
俺は頷く。
「急いでセリス様に報告しよう」
こうして、俺たちは夜陰に紛れて街を後にした。 エイドリアン商会の正体は判明した。
だが、それは新たな危機の始まりでもあった。
ガルゼル帝国軍に特殊な虚核が届けられれば、取り返しのつかないことになるかもしれない。
俺たちは急いで隠れ家に向かった。
時間は、もうあまり残されていなかった——。




