第二章 その5 セリス=アストリア
俺たちは急いで残りの黒い核を処理した。
クロエの新たな力——雷を纏った双戦斧は、核の破壊に非常に効果的だった。リーネの炎とライラの雷、二つの精霊核の力で、設置されていた三つの核は完全に浄化された。
核が破壊されると同時に、街中に響いていた怒号や戦闘音が次第に静まっていく。
地上に戻った俺たちが見たのは、困惑しながらも正気を取り戻した住民たちの姿だった。
「あれ……俺は何を……?」
「なんで剣なんて持ってるんだ……?」
住民たちは互いに謝罪し合い、壊れた街の復旧作業を始めていた。魔物化していた者たちも人間の姿に戻り、記憶を失ったまま倒れていたが、命に別状はなかった。
「本当にありがとうございました!」
商人組合のマルコが深々と頭を下げる。
「皆さんがいなければ、この街は本当に終わっていました」
「いえいえ、俺たちも勉強になりました」
クロエがライラを抱きながら答える。
「それより、復旧作業、手伝いますよ」
俺たちが瓦礫の片付けを手伝っていると、街の入り口の方から蹄の音が響いてきた。
振り返ると、白い馬に跨った騎士が一人、こちらに向かってくるのが見えた。
青い外套に身を包み、胸元にハートのマークが輝いている。
「あれは……」
ティナが目を細める。
「ロイヤル・ナイトじゃない?」
騎士は街の中央で馬を停め、周囲を見回した。そして俺たちを見つけると、まっすぐに歩いてきた。
「失礼いたします」
兜を脱いだその人物は、式典で見た女性騎士——ヴァネッサ=ローレンスだった。栗色の髪を後ろで結い、凛とした表情を浮かべている。
「私はソリス王国ロイヤル・ナイト、ヴァネッサ=ローレンスと申します」
彼女は丁寧に一礼した。
「セリス王女殿下の命により、この街の暴動鎮圧に参りました。皆さんが既に解決してくださったようで、何よりです」
「一人で鎮圧に?」
クロエが驚く。
「はい。殿下は『民同士の争いには、大軍で威圧するより、一人の騎士が誠意を示す方が効果的』と仰いました」
ヴァネッサの声には、王女への敬意が込められていた。
「殿下は民の心を深く理解しておられます。『力で抑えつけるのではなく、心に訴えかけることで真の平和が生まれる』と常々仰っています」
その言葉に、俺は微かな違和感を覚えた。
「支え合い、助け合って」——あの王女がそんな言葉を使うだろうか?
「それより、この街の復旧作業、私もお手伝いさせていただきます」
ヴァネッサは外套を脱ぎ、作業着に着替え始めた。
「え、でも……ロイヤル・ナイトが復旧作業なんて……」
マルコが慌てる。
「構いません」
ヴァネッサは微笑みながら答えた。
「民と共に汗を流すことこそ、騎士の務めです。王女殿下もそう仰っています」
リーネが俺の肩で小声で呟く。
「この人、なんか前に会った時と雰囲気が違わない?」
確かに、式典の時のヴァネッサは堅い印象だったが、今の彼女からは温かみを感じる。
その後、ヴァネッサは俺たちと一緒に復旧作業を手伝った。
彼女の魔術は実用的で、崩れた建物の修復や瓦礫の移動に非常に役立った。そして何より、住民たちに対する接し方が丁寧で優しかった。
「ヴァネッサさんって、思ってたより気さくな人ですね」
休憩中、ティナが話しかける。
「王女殿下の影響ですね」
ヴァネッサが微笑む。
「殿下は『真の平和とは、支配ではなく支え合いから生まれる』と常々仰っています。その教えを胸に、私も騎士として成長したいと思っています」
その時、俺の胸に強い衝撃が走った。
「支配ではなく支え合い」——
あの王女が、そんな考えを持っているとは到底思えない。
まるで、別人の言葉のようだ。
「あの……ヴァネッサさん」
俺が恐る恐る尋ねる。
「王女殿下は、最近何か変わったりしませんでしたか?」
「変わった……?」
ヴァネッサが首をかしげる。
「そうですね……以前よりも、民のことを深く考えるようになられた気がします。特に最近は『戦争のない世界』について、よく話されています」
戦争のない世界。
それは確かに素晴らしい理想だが——
「でも」
ヴァネッサの表情が少し曇る。
「最近、他国との関係が悪化していて……陛下や重臣たちは『断固とした処置を』と主張されています」
彼女は心配そうに続ける。
「殿下も『平和のためには時として力も必要』と仰いますが……『民が正しく導かれることで、争いのない世界が実現できる』と信じておられます」
その言葉に、俺は強い違和感を覚えた。
「正しく導かれる」——それは支配ということではないのか?
「つまり……王女殿下は、民を導いて平和を作ろうとしている、ということですか?」
俺の問いに、ヴァネッサは頷いた。
「はい。殿下は『民が迷わないよう、王族が正しい道を示すことが重要』と仰っています。『秩序ある統治こそが、真の平和をもたらす』と」
その時だった。
街の外れから、一人の人影が現れた。
深いフードを被った人物が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
その人物が顔を上げた瞬間——
俺たちは息を呑んだ。
そこにあったのは、紛れもなくセリス王女の顔だった。
だが、その瞳には、俺たちが王城で見た王女とは全く違う光が宿っていた。
温かく、優しく、そして強い意志を秘めた瞳——。
「ヴァネッサ」
王女——セリスが静かに呼びかける。
「お疲れ様です。皆さんも、この度は本当にありがとうございました」
ヴァネッサが驚いて立ち上がる。
「せ、セリス王女殿下!?なぜこのような場所に……!」
「民の様子を、この目で確かめたかったのです」
セリスは穏やかに微笑む。
「書面の報告だけでは分からないことも、たくさんありますから」
その微笑みは、王城で見た王女のものとは全く違っていた。
心からの優しさと、人々への愛情に満ちている。
「皆さん」
セリスが俺たちに向き直る。
「改めて、感謝申し上げます。あなた方のおかげで、多くの命が救われました」
彼女は深々と頭を下げた。
その瞬間、俺は確信した。
この人は——王城にいた王女とは、別人だ。
だが、同じ顔、同じ声。一体どちらが本物で、どちらが偽物なのか——?
「王女殿下……」
ヴァネッサが困惑したような声を上げる。
「あの……先日、王城でお会いした時とは……少し……」
「ヴァネッサ」
セリスが静かに言う。
「あなたに、お話ししたいことがあります。大切な話を」
彼女の瞳が、真剣な光を放っていた。
セリスの提案で、俺たちは街外れの静かな丘に移動した。
夕日が美しく沈む中、セリスは重い口を開いた。
「皆さん、そしてヴァネッサ」
彼女は深く息を吸う。
「これからお話しすることは、王国の存亡に関わる重大な秘密です」
ヴァネッサが緊張した面持ちで頷く。
「何でも承ります、王女殿下」
「まず、これを見てください」
セリスが懐から小さな角笛のような物を取り出した。それは純白で、美しい螺旋状の角だった。
その瞬間、角が淡く光り、小さなユニコーンが現れた。
雪のように白い毛、銀色のたてがみ、額には小さいながらも神々しい角。瞳は深い青色で、知性と慈愛に満ちている。
「私はアリエル」
小ユニコーンが静かに語りかける。
「知恵と癒しを司る聖獣です」
「せ、聖獣……?」
ヴァネッサが驚愕する。
「ですが、聖獣はとっくに絶滅したと……」
「いえ」
リーネが俺の肩から飛び降りて、アリエルに近づく。
「アリエル!久しぶり!」
「リーネ……そしてライラも」
アリエルが嬉しそうに微笑む。
「皆、随分と小さくなってしまったのですね」
「事情が複雑でさ」
ライラがクロエの腕の中で答える。
「だが、また共に戦える日が来るとは思わなかった」
ヴァネッサは完全に混乱していた。
「あの……一体どういうことなのでしょうか……?」
「ヴァネッサ」
セリスが彼女の手を取る。
「実は……今、王城にいる『セリス王女』は……私ではありません」
「え……?」
「私が本物のセリス=アストリア。そして王城にいるのは……私に成りすました偽物なのです」
ヴァネッサの顔が青ざめる。
「そんな……でも、どうして……?」
「詳しい経緯は後でお話しします」
セリスが続ける。
「重要なのは、あの偽物が目指している『平和』と、私が目指している『平和』が全く違うということです」
セリスは夕日を見つめながら語り始めた。
「あの偽物は『支配による平和』を目指しています。民を統制し、王の意志に従わせることで争いをなくそうとしている」
「それは……確かに殿下がよく仰ることですが……」
ヴァネッサが困惑する。
「間違っているのでしょうか?」
「ヴァネッサ、あなたに聞きます」
セリスがヴァネッサを見つめる。
「今日、この街の復旧作業をして、どう感じましたか?」
「それは……」
ヴァネッサが考え込む。
「住民の皆さんが、互いに助け合い、支え合って……とても温かい気持ちになりました」
「その通りです」
セリスが微笑む。
「真の平和とは、支配によって作られるものではありません。人々が互いを信じ、支え合うことで生まれるのです」
セリスの言葉に、ヴァネッサの瞳が揺れた。
「私が目指すのは『支え合いの平和』です」
セリスが続ける。
「王は民の上に君臨するのではなく、民と共に歩むべきです。一人一人の想いを大切にし、皆が笑顔で暮らせる世界を作りたいのです」
「殿下……」
ヴァネッサの声が震えていた。
「実は私も……ずっと違和感を感じていました」
彼女は俯きながら続ける。
「『正しく導く』『秩序ある統治』……言葉は美しいのですが、どこか冷たく感じて……」
「あなたの感覚は正しかった」
セリスがヴァネッサの肩に手を置く。
「偽物は人の心を理解していません。形だけの平和、表面だけの秩序しか見えていないのです」
アリエルが静かに付け加える。
「そして、その偽物は……戦争を引き起こそうとしています」
「戦争を?」
俺が驚く。
「平和を目指しているんじゃないのか?」
「偽物の言う『平和』を実現するためには、他国を征服し、全てを統一する必要があります」
セリスが苦々しい表情で説明する。
「最終的には、世界全体を支配下に置くつもりなのです」
ヴァネッサが愕然とする。
「そんな……それでは……」
「多くの命が失われ、人々は恐怖に支配されることになります」
セリスが悲しそうに言う。
「それは平和ではありません。ただの圧政です」
しばらくの沈黙の後、ヴァネッサが顔を上げた。
「殿下……いえ、セリス様」
彼女の瞳には、強い決意が宿っていた。
「私は……私はセリス様の平和を信じます。人々が支え合い、笑顔で暮らせる世界を」
ヴァネッサが片膝をついて頭を下げる。
「どうか、お力をお貸しください。私のような未熟者ですが、セリス様のお役に立ちたいのです」
「ヴァネッサ……」
セリスが感動したような表情で彼女を見つめる。
「ありがとう。でも、これは非常に危険な道です。偽物に知られれば、命の保証はありません」
「構いません」
ヴァネッサがきっぱりと答える。
「騎士として、人として、正しいことをしたいのです」
セリスがヴァネッサの手を取って立ち上がらせる。
「では、改めて。私はセリス=アストリア。王国を、そして世界を真の平和に導くために戦います」
「私はヴァネッサ=ローレンス」
ヴァネッサが凛とした声で答える。
「セリス様に忠誠を誓い、支え合いの平和のために戦うことを誓います」
その時、アリエルが光に包まれた。
「ヴァネッサ、あなたの心に偽りはありませんね」
「はい」
「では、彼女の力を受け取ってください」
アリエルから淡い光が放たれ、ヴァネッサの胸元に小さなペンダントのような核が現れた。
「これは……」
「セイレーンの精霊核です」
アリエルが説明する。
「歌声で人々の心を癒し、真実を伝える力を持っています。あなたにふさわしい力です」
ペンダントから、美しい人魚のような小さな精霊が現れた。長い青い髪、透明感のある肌、そして何より美しい歌声を持っていそうな印象を与える。
「私はメロディア」
小さなセイレーンが歌うような声で自己紹介した。
「よろしくお願いします、ヴァネッサ」
「こちらこそ……メロディア」
ヴァネッサが感動の涙を流しながら答える。
俺は、この光景を見ながら確信していた。
これで仲間が一人増えた。
そして、王国をめぐる本当の戦いが、ついに始まるのだと——。
「さて」
セリスが俺たちを見回す。
「皆さんに、お願いがあります」
彼女の瞳が、真剣に燃えていた。
「王国を取り戻すために——偽物たちの陰謀を阻止するために、お力をお貸しください」




