第二章 その3 村に潜む闇
ギルドに戻ってから数日後、不穏な知らせが届き始めた。
「ねぇ、これを見てよ」
ティナが慌ただしくギルドホールに駆け込んできて、手にした依頼書を振りかざす。
「隣の村で争いが起きてるらしい。しかも、ただの喧嘩じゃない」
依頼書を受け取って読んでみると、そこには信じがたい内容が書かれていた。
《緊急依頼:ミルフォード村にて住民同士の武力衝突発生。原因不明の激しい憎悪により、村が二つに分かれて戦闘状態。仲裁及び事態収拾を求む。報酬:金貨50枚》
「住民同士が……戦闘状態?」
クロエが眉をひそめる。
「普通、村の争いってのは、せいぜい口論程度だろ?なんで武力衝突なんてことになるんだ?」
「それが分からないんだよ」
ティナが困ったような顔をする。
「依頼書によると、昨日まで仲の良かった隣人同士が、突然憎み合うようになったって」
「アキト……」
リーネが不安そうに呟く。
「なんか、嫌な感じがする」
俺も同じことを思っていた。あの謎の魔物の件といい、今回の村の争いといい——何か大きな異変が起き始めているような気がしてならない。
「どうする?受けるか?」
クロエが俺たちを見回す。
「……受けよう」
俺は頷いた。
「放置しておいて、事態が悪化したら大変だ」
こうして俺たちは、ミルフォード村へ向かうことになった。
だが、この時の俺には、この依頼が更なる謎の始まりになるとは、想像もできなかった——。
ミルフォード村に着いた時、俺たちは言葉を失った。
のどかな農村だったはずの村は、まるで戦場のような有様になっていた。
家々の壁には無数の矢が突き刺さり、石や瓦礫が道に散乱している。畑は荒らされ、井戸の周りには血痕が残っていた。
そして何より異様だったのは——村が真っ二つに分かれていることだった。
村の中央を流れる小さな川を境に、北側と南側で完全に敵対している。それぞれの側には粗末なバリケードが築かれ、村人たちが武器を手に睨み合っていた。
「これは……ひどいな」
クロエが重い声で呟く。
リーネは俺の左手の指輪の中にいた。
『アキト……この村、なんかおかしいよ』
リーネの声が心配そうに響く。
『村の人たち、目が……』
言われて注意深く見ると、確かに村人たちの目つきが異常だった。血走り、憎悪に満ちて、まるで理性を失っているかのようだ。
「おい、そこの冒険者!」
北側のバリケードから、一人の男性が俺たちに向かって叫んだ。
「お前たちは南側の回し者か!?」
手には錆びた剣を握りしめ、その表情は敵意に歪んでいる。普通の農民だったはずの男が、まるで歴戦の戦士のような殺気を放っていた。
「違います!俺たちは仲裁のために来たギルドの冒険者です!」
俺が大声で答えると、今度は南側から別の声が飛んできた。
「嘘をつくな!北の連中の仲間だろう!」
こちらも同じように武器を構えた村人たちが、俺たちを警戒している。
「ちょっと待ってください!」
クロエが両手を上げて歩み寄る。
「俺たちは《鉄の絆》のメンバーだ。村長さんから依頼を受けて来たんだよ」
「村長?」
北側の男が鼻で笑う。
「あの腐れ爺が何だって?奴らは南側についたんだ!もう村長なんて認めない!」
「何を言ってる!村長は俺たちの味方だ!」
南側から怒声が飛ぶ。
「お前たちこそ、勝手に新しい村長を立てただろう!」
村人たちの怒号が交錯し、一触即発の雰囲気になる。
『アキト……』
リーネの声が震えていた。
『この人たち、本当におかしい。昨日まで仲良しだった人たちが、こんなに憎み合うなんて……』
俺も同感だった。これは普通の村の争いじゃない。何か別の力が働いている。
「クロエ、一旦下がろう」
俺がそう提案すると、クロエも頷いた。
「そうだな。まずは状況を整理しないと」
俺たちは村の入り口近くまで戻り、作戦を立てることにした。
「で、どうする?」
ティナが困ったような顔をする。
「あの様子じゃ、話し合いで解決するのは無理そうだね」
「原因を探るのが先決だな」
ルカスが冷静に分析する。
「何か外的要因がある可能性が高い」
『アキト』
リーネが俺の心に語りかけてくる。
『あの村の奥、なんか嫌な感じがする。あの謎の魔物の時と似てるような……』
あの黒い核を持った魔物。まさか、同じような何かがここにも?
「俺は村の奥を調べてみる」
俺がそう言うと、クロエが心配そうな顔をした。
「一人は危険だろ?」
「大丈夫だ。リーネもいるし、何かあったらすぐに戻る」
クロエは少し迷ったが、最終的に頷いた。
「分かった。でも、絶対に無理はするなよ」
俺は村人たちに気づかれないよう、村の外周を迂回して奥へと向かった。
村の最も奥には、小さな丘があった。その上には古い石碑が立っている。村の守り神を祀ったものだろう。
だが、近づくにつれて違和感が強くなった。
『アキト……やっぱりここだ』
リーネの声が緊張していた。
『あの石碑の近く……何か埋まってる』
石碑の根元を見ると、確かに土が不自然に盛り上がっていた。最近掘り返された跡がある。
俺は慎重に土を掘り始めた。
そして——
「これは……!」
土の中から出てきたのは、あの時と同じ黒い核だった。
不気味に脈動し、見ているだけで心が暗くなるような負の力を放っている。
『やっぱり!あの時の核と同じだよ!』
リーネが確信を込めて言う。
『きっとこれが原因で、村の人たちがおかしくなってるんだ!』
俺も同感だった。この黒い核が何らかの悪影響を村人たちに与えている。
だが、問題はどうやってこれを処理するかだ。
前回は魔物を倒すことで核が消えたが、今回は核だけが埋まっている。
『アキト、触っちゃダメ!』
俺が手を伸ばそうとした瞬間、リーネが慌てて止めた。
『なんか……すごく嫌な感じがするの。触れたら危険な気がする!』
確かにその通りだ。うかつに触れるわけにはいかない。
その時——
「そこで何をしている!」
背後から怒声が飛んできた。
振り返ると、両陣営の村人たちが俺を取り囲んでいた。北側も南側も関係なく、全員が俺に敵意を向けている。
「まさか……お前が村を混乱させた張本人か!」
「そうに違いない!よそ者が来てから、急におかしくなったんだ!」
村人たちの目は完全に狂気に染まっていた。
『アキト!逃げて!』
リーネの叫び声が頭の中で響く。
だが、村人たちはすでに俺を完全に包囲していた——。
「待ってください!」
俺は両手を上げて後ずさりする。
「俺は敵じゃない!村を救うために来たんです!」
「嘘をつくな!」
鍬を振り上げた農夫が叫ぶ。
「お前が来てから、村がめちゃくちゃになったんだ!」
村人たちが一斉に武器を構えた瞬間——
「そこまでだ!」
クロエの声が響いた。
彼女が重斧を地面に叩きつけると、ドンという重い音が村全体に響き渡る。
「アタイらの仲間に何をするつもりだ!」
クロエの後ろには、ティナとルカスも駆けつけていた。
「クロエ!」
俺は安堵の声を上げる。
「村人たちを傷つけちゃダメだ!何かに操られてるんだ!」
クロエは俺の言葉を聞くと、重斧を肩に担ぎ直した。
「分かってる。でも、このままじゃお前が危険だ」
ティナが杖を構えながら村人たちに向かって叫ぶ。
「みなさん!私たちは敵じゃありません!冷静になってください!」
だが、村人たちの狂気は収まらない。
「よそ者は全員敵だ!」
「村から出て行け!」
怒号が飛び交う中、俺は必死に考えた。
この状況を打開するには——
『アキト!あの核を何とかしないと!』
リーネが俺に語りかける。
『あれがある限り、村の人たちは正気に戻らないよ!』
そうだ。根本原因は黒い核にある。
「クロエ!時間を稼いでくれ!」
俺は核の方に振り返る。
「俺がアレを何とかする!」
「アレって何だ!?」
クロエが戸惑いながらも、村人たちの前に立ちはだかる。
「とにかく任せろ!でも急げよ!」
俺は核に向き直った。直接触るのは危険だが、何か方法があるはずだ。
『アキト!ソウルフォージで!』
リーネが提案する。
『ボクの炎で核を浄化できるかもしれない!』
そうか!ソウルフォージなら——
俺はリーネに意識を集中する。
「リーネ、頼む!」
『任せて!』
俺たちの絆が共鳴し、ソウルフォージが発動する。
紅蓮の大剣が俺の手に現れ、炎の鎧が身体を包む。
「行くぞ、リーネ!」
『ちょっと待って!』
リーネの声が指輪の中から響く。
『ボクの炎は破壊じゃなくて浄化に使って!間違えて村ごと燃やしちゃダメなんだから!』
俺は大剣を核に向けて構えた。
刃から紅蓮の炎が立ち上る。それは破壊の炎ではなく、浄化の炎だった。
「燃え尽きろ!」
大剣から放たれた炎が、黒い核を包み込む。
核は激しく脈動し、まるで苦痛にもがくかのように蠢いた。
そして——
パキン、という音と共に、核にひびが入る。
そのひびから、どす黒い瘴気が噴き出した。
「うわっ!」
瘴気は空に向かって立ち上り、やがて風に流されて消えていく。
核は完全に砕け散り、ただの黒い石片になって地面に転がった。
その瞬間——
「あ、あれ……?」
村人たちの声に、正気が戻っていた。
「俺は……何を……?」
鍬を握っていた農夫が、呆然と自分の手を見つめる。
「なんで武器なんて……」
村人たちは混乱しながらも、憎悪に歪んでいた表情が元に戻っていく。
「み、みなさん……」
北側の村人が、南側の村人に向かって震え声で話しかける。
「すみませんでした……なんで喧嘩なんて……」
「こちらこそ……ごめんなさい……」
村人たちは互いに謝り合い、涙を流し始めた。
クロエが俺の元に駆け寄ってくる。
「おい、大丈夫か?」
「ああ、何とかな」
俺はソウルフォージを解除し、深く息を吐いた。
『ふーん、まあまあの出来ね』
リーネの緊張の解けた声が指輪の中から聞こえる。
『アンタにしては上出来だったんじゃない?でも、もうちょっと華麗にできたと思うけど~♡』
「華麗って……命がけだったんだぞ」
俺は苦笑いを浮かべる。
「でもありがとな、リーネ。お前がいなかったら無理だった」
『ま、まぁ…当然でしょ』
リーネの声が少し照れてるように聞こえた。
あの核は明らかに普通とは違っていて、人の心を操る力を持っていた。
「とりあえず、村の人たちは無事だ」
ティナがほっとした様子で言う。
「それが一番大事だよね」
村人たちは互いに謝罪し、壊れた家や畑の修復に取りかかり始めていた。
だが、俺の胸の奥には、不安が残っていた。
このような核が他にもあるとしたら——
そして、それを誰かが意図的にばら撒いているとしたら——
「クロエ、早くギルドに戻ろう」
俺は核の石片を回収しながら言った。
「この件、詳しく調べる必要がある」
こうして、俺たちは新たな謎を抱えたまま、ギルドへと帰路についた。




