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王宮の玉座の間は、ひとつ息をするだけで胸が引きつったように錯覚するような張り詰めた空間だった。


高く聳える天井には聖獣の紋章が描かれ、赤絨毯がまっすぐ王の玉座へと続いている。

荘厳な静けさが支配する中、その中央にひとり立つユリウス・セイラン・アルフレート第二王子の姿があった。


父であり、王国の頂点に立つ人物――

アレクシス・セイラン王は、老獪ながらも揺るがぬ威厳を湛えた男だった。


その視線が、玉座の上からユリウスを射る。


「聖女の件、聞いておろう」


低く、重い声が石の間に響いた。


「離宮にて発見された娘は、“異世界より来た者”と見なされ、神殿より“聖女”の名を与えられた。年若く、翻訳魔動機を渡してはいるものの、未だこの世界の言葉すら覚束ない。……その扱いは極めて慎重でなければならぬ」


ユリウスは無言で頷いた。


「……異界の客人に無礼を働いた国は、いずれ滅びる――そういう言い伝えがあることを知っているな」


その言葉に、玉座の間に微かなざわめきが走った。


「はい。存じております。父上」

「よって、王命をもって命ずる。ユリウス・セイラン・アルフレート。お前を、“聖女の後見人”に任ずる」


一瞬、時が止まったように感じた。


「……私が、ですか」


ユリウスの声は落ち着いていた。だが、その奥底に戸惑いが混じる。


「第一王子は現在来年の立太子にむけての準備で他のことをする間がない。また、余や王妃では、聖女を萎縮させてしまうだろ。お前は年の頃も一番近い。しっかりと王族としての責務を果たせ」

「承知いたしました。必ず、後見人として、聖女様を支えます」


うやうやしく礼をするユリウス。

中身が別人だとは思えない。


関わることになるだろう人の情報や気を付けるべきところ、礼儀作法などは昨日アイリーンが徹夜で教えた。

付け焼き刃なんて、継ぎ目さえ見えなければ問題ない。


「なんでも、聖女は“ニホン”という国から来たらしい」


心臓が、ひとつ強く打った。


“ニホン”。


王の口からその名を聞くのは、初めてだったが、アイリーンはここ数日でニホンに詳しくなっていた。


フジサンという高い山があって、タワーと呼ばれる細長くて光る建物があり、人がヒコウキというのに乗って空を飛ぶ。

そんな国をニホンというらしい。







謁見の間をでると、すぐに2人は聖女の待つ離宮へと向かうことになった。


宮とつけられているとはいえ、離宮は馬車での移動になる。


「ねぇ。あなたの国の方なのかしら?」

「そうかもしれないね。いや、そうだよな……」


ユリウスの瞳が揺れている。






その少女の姿を見たとき、ユリウスの中に眠っていた何かが揺り起こされるような気がした。

堅牢な織に無理矢理に閉じ込めていたゆりかごの中から、穏やかな優しさや寂しさが出てくる錯覚をして、ユリウスはふるりと首を振った。


離宮の東棟、その奥まった回廊を抜けた静かな応接室に、柔らかな日差しが差し込んでいた。

白いレースのカーテンが風に揺れ、春の香りを運んでくる。


窓辺の椅子に、ひとりの少女が座っていた。


まっすぐな黒髪は腰のあたりまで長く、ピンク色のリボンできっちりとハーフアップにしている。

膝までのスカートと、白い襟のある紺色の服――それは“セーラー服”というものだと、ユリウスは知っていた。


静謐な応接室の中、まるで桜の頃に咲いたまま時間を止めたような姿だった。


彼女の名は、文月ふづきだという情報しか教えてもらえなかった。

いや、ニホン生まれだということも、情報か。


この世界では“聖女”と呼ばれる存在。

けれど、その面差しにあるのは威厳ではなく、どこまでも控えめで静かな優しさだった。


扉が開いた音に、彼女は小さく顔を上げた。


「……失礼します」


彼女は、はにかむように立ち上がって、一礼をした。


「……こんにちは。……えっと、はじめまして……橘文月と申します」


その声は柔らかく、透き通るようだった。

少しだけ緊張しているのか、姿勢を正す仕草がどこか古風で――


ユリウスの胸に、懐かしいものが流れ込んだ。


「文月…さん……ですね」


彼はそっと前に出て、問いかけるように微笑む。


「君は……日本から来たの?」


彼女の瞳がふわりと揺れた。


「……はい。気がついたら森の中にいて……そこから、ここの方々に助けていただいて……」


文月はそっと緑色の石が埋め込まれたチョーカーを撫でた。

言葉を翻訳する機能を持つ石だ。

元は違う言葉を話すのだろう。


「……あの、私、帰りたくて……家に、母がひとりでいるので……心配してるんじゃないかと思って……」


その言葉に、ユリウスの顔が変わる。


「……そっか。……俺も、同じだよ」


アイリーンは、ふたりの空気が少しだけ近づくのを感じた。


けれど、そこに浮かんだのは、明るく弾けるものではなかった。

むしろ、似た傷を持つ者同士が、そっと触れ合ったような――静かな、共感だった。


「私は……いや俺は蓮見はすみ 悠真ゆうまです。こっちの世界では“ユリウス”って呼ばれてる。なんというか……たぶん、君と似たような立場だ」


文月は、小さく目を丸くした。


「そうなんですか……あの、でも……」

「朝起きたら、この体になってたんだ。本当は日本人なんだよ」

「そんなことが、本当に?」

「本当だよ。ああ、まさか日本人に会えるなんて」


ユリウスがあからさまにうれしい声を上げる。

彼女はおずおずとユリウスを見て、困ったように首を傾げた。


「……王子様に見えます。とても、立派で……」

「あはは、立派なのは中身じゃなくてこの体だけ。中身は平凡なアニメ好きの日本人だよ、俺は」


控えめに笑ったユリウスに、文月はふふっと微笑んだ。

その笑みを、アイリーンは一歩下がった位置から見ていた。


この数日間でユリウスとは、いや、悠真とは仲良くなったつもりでいたが、こんな数分で軽く超えられてしまったような気分だ。


ふと文月がアイリーンのほうを見た。

この世界の人間として、国の代表として、アイリーンは精一杯美しく見えるようカーテシーをした。


「はじめまして。聖女様。私はグレイスフィール公爵家のアイリーンと申します。お目もじ叶いまして光栄ですわ」

「固いよ。アイリーン」


ユリウスが笑う。


“彼女ならば、心を許しても不思議ではない”


――アイリーンは、そう、どこかで思ってしまった。


(私は――)


ただその場に立ち尽くし、ふたりの言葉が紡ぐ“故郷の記憶”を、聞きながら微笑んでいるしかなかった。


ふたりは、日本のことを語り合った。

学校のこと、。


アイリーンの心に、小さな孤独が生まれた。

それが膨らみ、やがて胸を満たしていく。


彼女は、ただ静かに、礼儀正しく微笑んでいた。

公爵令嬢として。

婚約者として。

この物語の、外側に立つ者として――





柔らかな赤い絨毯のひかれた回廊。

午後の陽がゆるやかに差し込み、葉陰が床に優しい模様を描いていた。


ユリウスと文月は、窓辺のカフェスペース。

出会いから数日経ち、二人は昔からの友人のように打ち解けていた。


「文月さんの学校って共学? 女子校?」


ユリウスが気さくな調子で訊ねると、文月は少し考えてから、恥ずかしそうに答えた。


「……女子校です。毎朝、校門で先生が立っていて……少し憂鬱でした」

「ああ、うちも校門指導やってたよ。共学だったんだけど、ちょっと校則がきびしくて。靴下の色まで決まってたなあ」

「ユリウスさんはもうご卒業されているんですか?」

「だいぶ昔にね。いまはしがない会社員だよ。……いや、いまは王子サマか」


ユリウスが肩をすくめると、文月はふふふと小さく笑った。


ひとつひとつ故郷の姿を確かめるように、ユリウスはたくさんの話をした。


「白米が食べたいなあ。ここってリゾットくらいしかないし。パンもおいしいんだけどね」

「わかります。やっぱり主食といえばお米ですよね。どうしても食べたくなっちゃいますよね」


ふたりの笑い声が、風に溶けていく。


「テレビとか見たいなあ。ここは本くらいしかないし」

「そうですね」

「テレビ?」


アイリーンはティーカップを置いて、そっと文月を見た。


「はい。えーと…そういう箱があって、中で人とかが動くというか、活動写真というか」

「活動……シャシン……」


アイリーンは必死に想像してみたが、うまくいかない。


「それでいうと、洗濯機とかほしいよね。ここってメイドさんが手洗いしているんでしょ。大変だよね」

「センタクキ……」

「そういう箱があって、中に洗濯物を入れると自動で洗ってくれるんだよ」

「なるほど。ニホンは箱が発達している国ですのね」


アイリーンの言葉に、二人は同時に噴出した。



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