やり直せるならどちらの愛を選ぼうかしら?
モニカ・アーモンド伯爵令嬢は料理好きだった。
大した理由なんてない。
ただおいしい食べ物が好きなだけ。
料理長の手ほどきを受け、玄人はだしの腕前を手に入れたが、まだまだ先を目指していた。
貪欲というか求道者というか。
そんなモニカも一二歳。
神の祝福を授かる聖成式を受ける年齢となった。
◇
――――――――――聖成式にて。モニカ視点。
「時戻しのスキル、ですか?」
「そ」
聖成式を受けておりましたら、突然意識が特殊な部屋に移されました。
目の前にいらっしゃる、服に着られているような男の子が神様だそうです。
私より年下に見えますね。
可愛いです。
「あのう、時戻しのスキルとはどういうものですか?」
「その前に、聖成式の際にスキルをもらえることがあるってのは知ってるよね?」
「はい」
聖成式とは、神様に人間と認めてもらう式のことです。
その際に神様にスキルと呼ばれる、特殊な力を稀にいただけるとか。
私はスキルをもらえることになったので、神様の部屋に呼ばれたらしいです。
「信仰心が篤い者こそがスキルを授かると聞いています。光栄です」
「いや、誰にどんなスキルが配られるかって、完全にランダムなんだよ」
「そうなのですね?」
「うん、信仰度調査とか面倒……信仰をスキルで釣るなんて間違ってると思うから」
ぺろっと舌を出す神様はあざといですね。
「で、モニカちゃんに授けた時戻しのスキルというのは、将来一度だけ現在の一二歳の年齢に戻ることができるというものだよ」
「ええと、人生をやり直せるということでよろしいでしょうか?」
「そゆこと。左手の掌にホクロがついてるでしょ?」
あ、本当です。
目立たないですけど、掌の真ん中にホクロがありますね。
「そのホクロを押さえて、強く時よ戻れと念じれば能力は発動するよ」
「わかりました。ありがとうございます」
「一度しか使えない力だよ。御利用は計画的に」
神様の表情が、急に大人びて見えます。
思いつきで使ってはいけないスキルだと、肝に銘じました。
「時を戻したとしても、経験や記憶はそのままなんだ」
「なるほど……」
経験を積んでから使うべきなのでしょうか。
いや、使わない選択だってありますよね?
「明らかに人生の岐路を選び間違えた時、命を落とすピンチになる前に使うといいよ。人は油断してるとすぐ死ぬからね」
意味深に笑う神様。
でももっともなことですね。
使い惜しんで死んでしまっては何にもなりません。
「じゃあモニカちゃんを聖成式会場に戻すよ。スキルについては内緒にしといた方がいいかもしれない。それからここにいても時間は経ってないから注意ね」
◇
――――――――――三年後。モニカ視点。
婚約しました。
私も一五歳とお年頃になりましたからね。
お相手はウィルマー・スプリング伯爵令息です。
家格もちょうどいいくらいです。
婚約って、公認の恋人ってことですよ。
甘酸っぱいですね。
得意の料理をウィルマー様に食べさせたく思うのは、当然の成り行きだったでしょう。
ウィルマー様は凝り性な方です。
私が料理を作っていると興味を持ったらしく、一緒に作るようになりました。
料理は貴族らしい趣味とは言えませんが、とても楽しいです。
いえ、楽しかった、ですね。
過去形です。
ウィルマー様は料理について結構な才能をお持ちでした。
上達するのがかなり早かったのです。
そして拘りも強かった。
『ここは甘みを際立たせるため、隠し味的に使うべき調味料でしょう?』
『違う。逆だ。スパイスの風味を生かすんだ』
どうしてわかってくださらないのでしょう?
ウィルマー様と料理の完成形で対立するようになり、料理作りが楽しくなくなってしまいました。
こんなことではいけません。
どちらからともなく婚約解消の話が出、その通りになりました。
婚約していた期間は五ヶ月くらいでしたかね。
ほろ苦い経験でした。
◇
――――――――――さらに三ヶ月後。ウィルマー視点。
モニカと婚約していた期間は刺激的だった。
最初は料理のためにモニカが席を外すのが不満で、オレも料理してみるかと軽く思っただけだった。
話せる時間が長くなるかと思ったから。
しかしモニカに教わって料理してみると、ハマってしまった。
自分の好みを追求できる料理は面白いのだ。
こんなに面白いものを教えてくれたモニカには、別れた今も感謝している。
オレも一六歳。
モニカとの婚約を解消したからには次を探さねばならぬわけで。
『まあ、これウィルマー様が作ったんですの?』
『とてもおいしいです』
『才能がおありになるんですね』
掴みはオーケー。
どの令嬢に会っても、料理を出せば大絶賛なのでとてもやりやすい。
のだが……。
誰と話していても情熱を感じない。
薄っぺらいのだ。
上辺だけの言葉のやり取りは心に響かない。
モニカとの議論は熱かった。
あれほど話の通じないモニカには頭に来たが、頭の冷えた今ならわかる。
モニカにも譲れないものがあったのだと。
もちろん俺も譲れなかったのだが。
たかが料理のことだった。
されど料理のことだった。
あれほど魂をぶつけ合う経験が今後できるだろうか?
モニカとやり直せたらと考え、そして首を振る。
ハハッ、あり得ないじゃないか。
モニカとの鮮やかな思い出を胸に秘めたまま、オレは前に進まなければならない。
なあに、オレも貴族の家に生まれた者だ。
家の存続が重要なことくらいはわかっている。
上辺だけの付き合い、結構じゃないか。
◇
――――――――――その頃。モニカ視点。
「うむ、モニカの作ってくれるものは何でも美味い」
「ありがとうございます!」
新たにオズモンド・パーシヴァル伯爵令息と婚約いたしました。
オズモンド様も嫡男ではございますが、現在は騎士団に所属していらっしゃいます。
大変な健啖家で、何を作っても全部食べてくださるのです。
腕の振るい甲斐がありますね。
今度は何を作りましょう?
「ふむ、注文があるのだ」
「どうぞ、何でも作りますよ」
「若干塩味を強くしてくれんか?」
ピシリと心を打たれた気がしました。
味付けは私のプライドです。
オズモンド様は、私が至高と信じた味に文句があると?
ウィルマー様と同じなのでしょうか?
しかしオズモンド様は仰いました。
「騎士は身体を使う仕事だから、汗をかくだろう? 塩分が足りなくなるのだな」
衝撃を受けました。
その通りではありませんか。
私は自分にとって最高の味を追い求めていただけだったのです。
オズモンド様が騎士であることを考慮していなかった。
婚約者としてそれでいいわけがないです。
「申し訳ありませんでした。考えが足りませんでした」
「ハハッ、モニカの料理の美味さに文句などないのだ。これからもずっと食べたいのでな。身体の必要とするものを、モニカの料理から得たいだけだ」
心がほっこりします。
オズモンド様に愛されているのだなあ、と。
塩分だけじゃありませんね。
私はこれからもオズモンド様が必要とする料理を作り続けましょう。
……ふと、前の婚約者ウィルマー様のことを思い出しました。
ウィルマー様とは味付けを巡って激しく衝突してしまいました。
今となってはいい思い出です。
あれもまた経験だと思っていますから。
しかし私は自分の味に固執していただけではなかったでしょうか。
ウィルマー様の事情に配慮していたと言えるでしょうか?
人の数だけ事情があり、好みがあります。
そのことに今日思い当たりました。
自分で自分の料理を食べるだけならいいのです。
どこまでも自分の味で。
でも他人に食べさせる料理は違うではありませんか。
何故そんなことに気付かなかったか?
いくら腕が上がっても私はお嬢さんであって、プロの料理人ではないんだなあと、認識させられました。
ウィルマー様は熱心な方でありました。
わかり合えなかったのは、私の心が狭過ぎたせいもあったのではないでしょうか?
ああ、悔いが残ります。
ふと、左手のホクロが目に入ります。
……そうだ、私は人生をやり直せるのだった。
私はウィルマー様とオズモンド様を選べるんですね。
『一度しか使えない力だよ。御利用は計画的に』
わかっていますとも。
「む? モニカどうした」
「いえ、塩をどう使おうかと、考えを巡らせていただけです」
「そうだったか。期待しているぞ」
人懐っこいオズモンド様の笑顔は印象的です。
私が選ぶべきなのは……。
◇
――――――――――五〇年後。モニカ視点。
「これで終わり、ですね」
オズモンド様を看取りました。
笑いの絶えない毎日でした。
オズモンド様ったら、騎士団長まで務めたんですのよ。
モニカの料理のおかげだって褒めていただきました。
誇らしいです。
長男がパーシヴァル伯爵家を継いだのをはじめ、四人の子供達がそれぞれの道をしっかりと歩んでいます。
とても幸せな、悔いのない人生でした。
オズモンド様が大事にしてくださったから。
左手のホクロを見つめます。
「来年には初めての曾孫も生まれますが……」
曾孫を一目見てみたいとの思いもあります。
しかし私も健康に自信がなくなってきましたのでね。
時を巻き戻すとしたら今でしょう。
オズモンド様と手を取り合って進んできた私の人生に、心残りなどありません。
悔いがあるとしたらオズモンド様と出会う前、ウィルマー様と仲違いしたままであること。
今思い返してもウィルマー様の料理に対する真剣さと意気込みは本物でした。
当時の私は受け止めてあげられなかったのです。
私はあまりにも未熟な子供でした。
ウィルマー様と婚約解消した時、今の私の経験があったらどうでしたでしょう?
その思いが頭を去らないのです。
妄執に過ぎないのかもしれませんが……。
ウィルマー様とオズモンド様を比較しているわけではありません。
今以上に幸せになりたいのでもありません。
心残りを放置して死にたくない。
その一心なのです。
この執着に名前をつけるなら、一番近いのは愛だと思います。
私はオズモンド様を愛していました。
実の愛。
と同時にウィルマー様をもまた愛していたと言っていいのでしょう。
虚の愛。
「後悔は、しない」
左手のホクロを押さえ、神様に願います。
五〇年の思いを突き抜け、時よ、戻れと……。
◇
どうしたの?
過去に戻れない!
ぎゅうとホクロを押さえて念じているのに。
ああ、ようやく意識が飛ぶ……。
「やあ、モニカちゃん。久しぶり」
「あっ、神様?」
何とビックリ。
聖成式でスキルを授かった時に一度来たことのある特殊な部屋です。
時戻しのスキルを使うと、一旦神様の部屋を経由するということなのでしょうか?
ばつが悪そうな神様。
「モニカちゃん、ごめんね。ちょっと想定してなかった時戻しの使い方だった」
「どういうことでしょうか?」
「普通、人生に失敗したという実感があったら、すぐ時戻しを使ってやり直すものなんだよ。ところがモニカちゃんは目一杯人生を満喫したでしょ?」
「はい」
実に楽しく、充実した人生を過ごさせてもらいました。
「この段階で人生やり直すとすると、心の容量をオーバーしちゃいそうなんだよ。今の人生に対する思いが強く、思い出も多過ぎるから」
「……ええと、つまり、私の身体にもう一度人生をやり直すだけのキャパシティがない、ということでしょうか?」
「そ。モニカちゃんは賢いな。いや、中身の一杯詰まった人生って理想なんだろうけどね」
なるほど、私は欲張り過ぎたようです。
「本来時戻しは経験や記憶はそのまま持ち越せるんだけど、モニカちゃんの場合はムリだ。時戻しをこのまま発動させると、おそらく安全率が考慮されて経験や記憶の半分はランダムで削除されると思う」
「半分も、ですか」
大切な記憶とかけがえのない経験を半分も……。
しかもランダムですか。
「これはさすがにモニカちゃんに伝えなきゃと思って、術に干渉させてもらったんだ。ここで選択だよ。経験と記憶の半分を失っても時戻しを強行するか。あるいは術の発動を中止して、今までの生活に戻るか」
「術の発動を中止します」
苦笑いです。
こんな結末が待っていようとは。
結構覚悟して今の生活を捨てようと思ったんだけどなあ。
オズモンド様の元で培った経験や記憶は、私にとって捨てられないものなんだと気付きました。
虚は実に勝てないのですね。
「じゃあモニカちゃんをパーシヴァル伯爵家邸に戻すよ」
「はい、わざわざありがとうございました」
「いいって。特殊なケースだからね」
「……来年、初めての曾孫が生まれるんです。ただ自分の身体が弱っているのを自覚してもいまして」
「モニカちゃんは曾孫に会えるよ。保証する」
「本当ですか!」
わあ、嬉しいですね。
「男の子か女の子かを教えてあげてもいいけど」
「いえ、生まれるまでの楽しみにしておきます」
「そ」
神様がいたずらっぽく笑います。
憑き物が落ちたように頭がスッキリしました。
あれほどウィルマー様に拘ったのがウソのよう。
オズモンド様とともにあった私の人生は幸せでした。
私の人生はこれでいいのだと確信できました。
神様、ありがとうございます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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よろしくお願いいたします。