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第一章 那未と、冴江と、鷹雅

 昔、まだ私が胸元に紅い宝石をつけていた頃。あなたに出会った。

 宝石は薄汚れ、服にはいくつもの返り血がこびりついている。三ヶ所に受けた傷はついさっきの物で、あなたは私を見た瞬間――。

「生きてる」

 そう言った。


揺らぐ空-A deep red killer-


 日本国を治める巫女は夢見の力を持っている。巫女は国民に慕われ軍に守られ生きてきた。それが今までの常識だった。

 しかし一ヶ月前の戦争で親衛隊という名の一番隊が巫女を守りきれなかった瞬間、その常識は崩れ去ったのだ。

「だから那未は強いのね」

 それまでの話を梨依菜はそうまとめた。間違った答えではなかったのだが那未が少し顔をしかめたので梨依菜は不安になってしまった。

 違う訳では無いが、ここで頷けくのは何か違う気がする。那未のそんな思いに果たして梨依菜はそれに気付くのか。

「強くないよ」

「私これでも一個上なんだけどな」

 那未の一瞬の迷いに梨依菜は気付いたようだった。那未は肩をすくめると、座っていた縁側から立ち上がって、庭へ出た。

「ね、それよりさ。名前を変えるって話は?」

 じゃりじゃり。

 履き物が庭の小石を踏む音。ひとつはゆっくりと、もうひとつは飛び跳ねるように軽快な足音で、どちらも重苦しくはなかった。

 紅色の桜の花がちらちらと舞っている。庭の神木が今年花を咲かせてから、まだ一度も雨は降っていない。それ故に美しい――梨依成は神木の元へ歩く那未を見て、そう思った。

「成る、という字にどんな意味があるか知っている?」

「知らない」

 那未は小さく笑った。

「芸術」

「私の名前」

 梨依成の成。字は人によって異なる意味を持つが、一般的に言われるこの字の意味というのがこれだった。

「そしてやはり、あなたにとってのこの字の意味もある」

「六月」

 それはかつて両親がこの名をつけた時の由来。

「つまり過去」

 那未は未来を知っていた。

 じゃりじゃり…じゃり。

 神木の真下で那未が振り返る。数歩手前で梨依成も足を止めた。

 桜の下の那未は、やはり綺麗だ。

「未来の私」

「あなただけじゃない」

 いつか出会う大切な誰か。その人と、いや、その人達と運命を共にする成の字。

「梨依成の成は生成の成。貴女がいつか遣える方に、その成(名)は返しておきましょう」

「私は那未にしか仕えないよ」

 梨依成は那未の方へ手を伸ばした。那未は深く微笑んだ。

「うん」

 那未は頭上から舞い落ちる桜の花をひとつ拳へ収めると何か小さく呟いた。最後の方に記憶と聞こえたが、学舎で習った初歩的な術しか使えない梨依成には、その意味がわからなかった。

 呪文を唱え終えた那未の拳が光り輝く。指の間から漏れる紅い光は確かに桜の色だった。

「芸術の成(名)を美しき者へ返し、春の菜(名)を彼に授けん。我は彼を一と認めん」

 梨依成の目を見据えながら那未は拳を開く。そこには紅い宝石があった。

「梨依菜はたった今、一番隊一番になったの」

 那未はにこりと笑った。梨依菜は彼女に近付き宝石を受け取り、彼女を抱きしめた。

「絶対に守る」

 その時運命は始まっていた。

 その日から梨依菜は日本城の一室を自室として与えられた。同時に従者と、日本軍全体の十分の一の戦力も彼女の物となった。

 かと言って梨依菜が子供で無くなった訳ではなく、翌日から従者の長である女性から厳しい教育を受ける事となった。

「先代の巫女様」

「春の名を持つ者」

 学舎とは程遠く美しい木の机に肘を着け脱力する梨依菜とは裏腹に、教師の役割を担うその女性――百合は、片手に冊子を持ちながらにこやかな笑顔を振りまいている。

「正解」

「誰でも知ってるよ、こんな事!」

 百合がまるで小さな赤ん坊を褒めるように言ったものだから、梨依菜はついつい大声を出してしまった。これではその赤ん坊と同じではないか、とすぐに顔を真っ赤にする彼女を一目見ると百合は小さく囁いた。

「梨依菜様。あなたは賢いけれど知識は無い。わかるでしょう?」

 バツが悪そうに梨依菜は顔をそらした。

 確かに大きい顔をしているが、所詮民間の学舎に三年間通っていただけ。卒業すらしていない梨依菜が知った情報などたかがしれていた。

 しかし三年間で得た情報も確かにある。それを今わざわざ百合が再確認しているのは、これからその応用を教えるのだという前触れだったのだが、それを理解し切るのにはまだ梨依菜は幼すぎた。

「巫女様の事くらい…」

「そうね」

 たかが三年。されど三年。そして梨依菜は生まれてから十年の月日をこの日本国で過ごして来たのだ。信者のように巫女を崇めるこの国で。そんな梨依菜が、ついこの前まで巫女の座にいた人を知らないはずもない。

 百合はすっかり背中を丸めてしまった梨依菜を一瞥すると溜息を吐いた。それに肩をびくつかせる梨依菜を、百合はひどく愛しく思うのだ。

「さあ、続けるよ」

「続き?」

 梨依菜は一番隊一番。本来ならこの国で一番強い人物が与えられる地位だ。彼女にはどんなに辛くても知らなければならない事がたくさんあった。

 百合は那未が梨依菜に教えるような事は一つも教えなかった。那未が教えられない事を梨依菜に伝えるのが百合の役目だから。

 その中でも今から梨依菜が知る事は酷く衝撃的な事だろうと百合は思った。その場に居合わせた自分でさえその事実をまだ信じ切れていないのだから。

「現状、日本国は那未様の物であるという事は分かるわね?」

「先代の巫女様が亡くなられて巫女の座が那未に移った時、那未が日本国の主になった」

「そう、私達日本人は那未様に着いていく義務がある」

 梨依菜はそろそろ百合の言わんとしている事がわからなくなりかけていた。那未に着いて行くのは日本国の常識だし、先代がいなくなれば第一継承者にその座が譲り渡されるのは世界の皇位の常識だった。

 先程より百合の話に興味を持ち始めた梨依菜は背筋を伸ばして椅子に座り直した。その様子に机の横に立っていた百合は頬を上げる。梨依菜のそれは子供ならではの好奇心なのだろうと思ったからだ。

「桃様がどうやって死んだか知ってる?」

 百合のその一言に梨依菜は敏感に反応した。質問に対してではない。百合がさりげなく発した桃という名前に動揺したのだ。梨依菜は百合を信じられない、とでも言いたげな目で見つめた。

「私は那未様の教育係でもあった。しきたりを知らない訳じゃないわよ」

「じゃあ何で…!」

 梨依菜は恐ろしかった。幼い彼女は、しきたりを守らなければ何が起こるのか知らなかったからだ。

 しきたり。異界へ渡った死者がこの世へ戻る為の扉を探し迷わないよう、その者の名を決して呼んではならない。代わり名として「春の名」等という呼び方をするのが日本国の決まりだった。

「桃様はこの世へ戻って来れない」

「…どうして?」

 百合の言い方だと、やはり名を呼んでしまうと死者はこの世へ戻ろうとするのだという事を示しているようだ。

 百合は梨依菜に手を差し伸べた。梨依菜は素直に手を重ねた。百合に施されて椅子から降りると、二人は横にあるこたつの周りに向かい合うように座った。

「桃様は二度とこの世に戻れないように殺されたの」

 先代の巫女は殺された。その事実を知るのは百合のように巫女の直属に値する者達と、その場に居合わせた者だけだった。

「そう、私達民間人には教えてもらえなかった」

 梨依菜は囁いた。なんだか小声で話さなければならないような気がしたのだ。息を呑む。異常な程の緊張が体の動きを支配していた。

「戦争中、一番隊の十人はだんだんと仲間を減らしていっていた」

 百合の脳裏には一ヶ月前の出来事が浮かんでいた。

 一ヶ月前の最終決戦で残った一番隊の人数は一人、三番暁海だけだった。腰にある赤い石はもう既に輝きを失っていて、その光は暁海の残りの生命を指しているようだった。

 最終決戦とは名ばかりで、明らかに敵国であるハンドレット公国が優勢。はなから日本国に、いや暁海と桃に勝目など無かった。

 敵の大将ハンドレット公国王は、桃、暁海、那未を極刑の丘へ引きずり出した。そこには百万の敵兵と、皇族らしき子供が三人いた。

 ハンドレット公国王エタミティ・ハンドレットは桃達の目の前で異界から日本国の伝説の武器を取り出した。それは日本国で、一番重い罪を犯した時に行われる処刑に使う物だ。日本国の伝説、その武器を用いて愛する者、近親に処刑されると、この世に再臨する事は決して無いという。

 エタミティが桃に武器を振り下ろす瞬間、暁海を捕まえていた兵士が彼女を貫いた。那未は目の前で母親と、その従者が殺されるのを見たのだ。

「私の道も、そうなのかな」

 涙が零れそうになるのを堪えながら話を終えた百合を見て梨依菜が言った。それがあまりにも以外すぎて百合は思わず、はたと彼女を見据えてしまった。

「一番隊の運命は必ずしも悲しい道って訳じゃないよね?」

 その時、百合は梨依菜の顔が夕陽に照らされるのを見た。緋色の光は彼女によく似合う、場違いにもそんな事を思った。一息ついて、涙を拭うと百合は微笑んだ。

「そうね」

「それよりもエタミティの事を教えてよ」

 梨依菜がこたつに身を乗り出す。その顔はもうつい先程までと同じ、好奇心の塊のような表情だった。拍子が抜けてしまい百合は思わず噴出してしまう。

「なあに?」

「何でもないわ。エタミティはね、一国の王でありながら桃様と通じていたのよ」

 それは詰まる所、不倫だ。これも驚くかと思っていた百合だが、梨依菜は予想に反して冷静だった。先程の話から読み取れた、というなら前々から思っていたが彼女は本当に賢い。

 黙ってしまった百合の表情を見て梨依菜は満面の笑みでこう言った。

「大丈夫。私の姉は不倫相手だから。春の名を持つ者と同じよ」



「梨依成様ー!」

 畑の横に小さな小屋があり、そこで二人の少女がじゃれ合っていた。片方が梨依菜を呼んだので那未と共に近辺の偵察に来ていた彼女は振り返った。

 梨依菜が一番隊になり今日で一ヶ月が経とうとしていた。

「冴江、警備は?」

「してますよう!」

 一番隊は公式の場で発表という物をされないし、今は戦後の復興に忙しかったが、民は那未の隣に現れた人物の事を気にしていた。"私達の那未様"を守ってくれる人が現れた、と。

「遊んでるようにしか見えないよ?」

「まっさかぁ」

 冴江は軍人だ。年齢は梨依菜と一緒で強さもそこそこあり、梨依菜に最初に馴染んだ人物だった。

 冴江のとぼけ顔に四人は笑った。ひとしきり笑った冴江は改めて梨依菜に向かい合った。

「改めまして一番隊一番梨依菜様、巫女那未様。こちらが警護対象の"畑"でございます」

 言葉は丁寧だがおちゃらけている事に代わりはない。そんな様子にくすくすと笑いをこぼしていた少女が、梨依菜の目線に気付き俯いた。

「人見知り?」

「輝愛」

 梨依菜の質問には答えず、少女輝愛は名乗った。彼女に見張りを着けよとの命令は梨依菜経由で那未から下った物だ。その理由は那未以外誰も知らなかった。この頃の梨依菜はそんな事はさして気にしなかったので、それが問題になる事もなかった。

「そういえば梨依菜様たちはどうしてここへ?」

 輝愛の隣からひょいと顔を出し冴江が問うた。その質問に梨依菜はぎくりと目をそらす。那未は面白そうに笑った。冴江と輝愛は頭に疑問符を浮かべる。

「理由ならいっぱいあるもんね」

「復興支援、秘密調査、仲間探し、それから…」

「ああ、勉強イヤになったんですね」

 冴江のその一言を聞いた時、梨依菜は大きなくしゃみをした。きっと日本城で百合が走り回りながら梨依菜を探していたからだ。四人はまた笑い合った。

「でも仲間探しってのも嘘じゃないんだからね」

 弟が泣くから、と輝愛は小屋の中へ入った。彼女は二人の兄弟を此処で育てている。

 三人は少し歩き田んぼのあぜ道までくると腰を下ろした。

「一番隊ですか?てっきり再編成した時に見つけたと思ってた」

 半月前、梨依菜と那未の力でやっと壊滅状態にあった軍を再編成した。人数は半数以下、冴江のような子供の多い軍隊になってしまったが、彼らの親の年代は優秀な人材が多く、子供達の中には術や武器の扱いが上手い者もいた。

「それでも一番隊になるには弱い」

「でも此処に来たって事は、当てがあるんでしょ?」

 冴江が立ち上がりながら言った。彼女の視線の先には田んぼと、その向こうに大木がある。おそらく樹齢何千年といった物だろう。

 そこからふいに羽ばたく音が聞こえた。音に反応しそちらを向いた二人は見た。大木の茂みの中に人が降り立つのを。

「子供?」

「私の通っている教舎は優れている者を集めて二つ目の教室で特別な授業をやらせています。彼はこの春やって来て早速そこに入りました。しかもその中でも抜群の順位を取っているんです」

 元からそこにいた冴江にしてみれば面白くない話だった。しかし彼が梨依菜と同じ一番隊に匹敵する程の実力を持っているとするなら別の話だ。

 梨依菜が立ち上がって言った。

「私達はこの村に飛翔術を得意とする者がやって来たと聞いて来たの」

「それはきっと正解でしょうね」

 那未も立ち上がった。三人は大木を見た。神木に次ぐ力を持つ「年樹」涼。それに触れる事のできる飛翔術使い。彼はきっと――

「一番隊三番、手に入れたかな?」

 鳥が羽ばたいた。



「雅!」

 三人が年樹の近くまで行くと冴江が彼を呼んだ。驚いた鳥が大きな音をたてて逃げていく。年樹の中に残された雅は去り行く鳥達を見ながらポカンとしていた。

「冴江ちゃん、誰?」

 梨依成達の気配を感じたのか雅はそう言って年樹から飛び降りた。タン…と軽い音を立てて地面に着地する。

 その時やっと梨依成の宝石に目がいき、彼はまたもポカンとしてしまった。

「巫女様、それから一番隊の梨依菜様だよ」

「那未です」

 那未が雅に握手を求めた。洗礼された動き。本来なら巫女に触れられるのは一番隊のみ。もし彼が年樹のように那未と手を合わせる事が出来れば…。那未も冴江も内心では不安と期待が入り交じっていた。

 しかしいつまでも雅は動かない。先からずっと梨依菜を見つめているのだ。

「梨依菜…?名(成)を変えたのか」

「飛翔術、得意だったっけ」

 お互いに質問なのか独り言なのか計りかねる言葉の紡ぎ合いをしている。那未は手を差し出したまま思わず突っ立ってしまった。

「雅、知ってるの?」

「前の教舎で」

 冴江の質問に答えながら二人はやっと視線を外した。

 那未はだんだん嬉しくなってきた。こんなはしゃぎ心はとうに捨てたと思っていたが、どうにも高揚する心を抑えられない。

――梨依菜の昔馴染み。きっと彼は当たりだわ!

 それは相当の部分がカンだが、今の彼女には関係なかった。那未は勢いにまかせて梨依菜に飛びついた。

「梨依菜!」

 驚いた梨依菜は那未を抱き留めたが、あやうく落っことしそうになった。

「やったね!」

 那未は一言にっこり笑ってそう言った。あまりの無邪気さに呆れて笑いが零れた梨依菜は、那未を一度強く抱き締めてすぐ離した。その時にはもう那未と同じくらい満面の笑みに変わっていた。

「うん」

 冴江はやれやれと言った様子で雅に目線を向けた。これから自分はこの、何が起こっているのかわからないといった表情をしている雅の部下になるのだと考えると、面白い。

 梨依菜は那未を離すと雅に向かい合った。彼の手を取り、そして那未の手を取る。二人の手を重ね合わせた。

「我守十紅石。鳥名三目彼授。記憶解放」

 雅は先程までの困惑した表情とは打って変わって、今はもう何かを悟ったような顔をしていた。 一番隊になる人間は、なるべくしてなる。きっとそういう事なのだろう、と冴江は一人納得した。

「貴方の新名は、鷹雅」

「よろしく。一番隊三番鷹雅!」

 その日二人目の一番隊が見つかった。新名を与えられた彼は以後、鷹雅と名乗り日本城に移り住んだ。

「で……何で鷹雅は訓練で私は勉強!?私も訓練したいー!!」

「梨依菜様、運動嫌いじゃなかったっけ?」

 教科書片手に仁王立ちの百合が血管を浮き上がらせながら言った。駄々をこね始めた梨依成にやる気を戻させるには相当の時間と体力と精神力を費やさねばならない。

「一番の仕事は地上戦と日本術。地上戦はまだしも術なら座ってでも訓練出きる」

 何て素敵!と、そのまま外に飛び出してしまいそうな勢いの梨依成を他の従者達に押さえつけさせ、百合はもの凄い剣幕でまくし立てた。

「良いですか。訓練ならスケジュールに盛り込んであります。それよりも今やらなきゃいけないのは知識を蓄える事!鷹雅様は戦って守るお方だけど梨依成様は政治をしなくちゃいけないの、わかる?」

 それに鷹雅様も他の時間に同じ勉強をしてますよ、と付け加えられては流石の梨依菜も言い返せなかった。自分がしょっちゅう逃げ出すせいで勉強が遅れている事も少しは自覚していたからだ。

「わかりましたよー」

 梨依成は文句を垂れながらも机に向き合った。ならばさっさとやって終わらせてしまおうという梨依成の切り替えは目覚ましい物だった。

 百合は思う。初めはこんなに素早く切り替えられる子では無かった。それだけでも成長と言えるだろう、と微笑んだ。

「鷹雅、か…」

 百合が五月蝿くなくなったので梨依菜はちらりと外にいる鷹雅を盗み見た。早速、与えられた部下と訓練をこなす彼の姿は少し前では考えられない程大人びていた。

「百合、人が変わるのってどんな時?」

 梨依菜の素朴な質問に百合は少し考えると答えた。

「大切な物が出来た時、失った時、変わろうと思った時」

 本当に変われるのはこんな所じゃないかな?と百合は笑った。梨依菜はそれに気の無い反応を示した。

 もし百合の言う事が正しいとしたら自分も変わった、もしくは変われる可能性があるという事だろうか。

「それよりも、さあ。禁忌の話は重要よ。さっき梨依菜様が叫んで中断させたから、もう一度初めからやりましょうか」

「そんな!」

 百合の悪戯な表情に梨依菜はうなだれる。禁忌の勉強は昔話が入って来るので多少面白いが、まだ勉強と名のつく物には抵抗があった。

 何だ、まだ全く変われてない。

「日本の禁忌は?」

「一、死者の名を言魂にしてはならない。一、地獄の扉を開いてはならない。一、人を蘇らせてはならない。一、伝説の武器を手にしてはならない」

 死者の名を口に出すと魂が死界から戻って来てしまう。地獄の扉を開けば鬼が現に広がってしまう。蘇った人は地獄へ落ち、伝説の武器を手にした人間は浸食され死に至る。そして最終的に、禁忌を犯した人間は破滅する。

「変だよね」

「え?」

 記憶した禁忌の事柄を全て言い終えると梨依菜はそう言った。

「禁忌なら、どうして術で地獄の扉が開けたり、人を蘇らせたり出来るんだろう」

 天照大神は人間に術を与えた時、何故、禁忌を作ったのか。戒めなければいけないのなら、初めから出来なくても同じ事の筈だ。

 そう質問を投げかければ百合は少し困った顔をしてから言った。

「人はね、やれば出来るとわかっていると、ついやりたくなってしまうの」

「でも、これだけ恐ろしい事が起きるっていうのに、やる人がいるのかな」

「もし禁忌を犯さないと、どうしようもない事が起こったら?梨依菜様だって犯すかも」

「その時はあきらめるよ。…たぶん」

 いくら百合が言っても梨依菜は引かなかった。彼女は時々、引き返せない程に頑固になる時があるが、今度もそれだった。

 百合がどうしてこんな事を言うのかわからない。理解出来ない物があるという事を認めるのが梨依菜にはまだ怖かった。

「じゃあ心配いらないね。梨依菜様は禁忌を破らない」

 百合の言葉は皮肉のように思えたが、その言い方は酷く優しい響きだった。梨依菜はそれに頷く事しか出来なかった。



 縁側に二人は座っていた。那未と鷹雅だ。部下がバテてしまったので鷹雅は休憩を取っているのだった。同じ時刻に見学に来ていた那未と話して時間を潰していた。

「一度だけ父に教えてもらったんです。その後、戦死しましたが飛翔術だけは続けていました」

「年樹に触れられるようになったのは?」

 鷹雅は側に置いた小汚い刀を手に取って唸った。

「実はあれが初めてだったんです」

「まあ。年樹だって事はわかってたんでしょ?」

「…知りませんでした」

 年樹と名の付く木はこの国に七本存在する。珀、翠、沁、涼、遺、栞、蓮の七つ。それぞれに意味があり名に沿った在り方をしている。鷹雅が触れた年樹は涼、寂しさを象徴する木だ。

「だから貴方は何かを求めてあの木に降り立った筈」

「俺は、ただ」

 小鳥が可愛かったから。親鳥のいない巣から自分を見つめ鳴いていた小鳥がとても可愛くて、どこか惹かれた。

 空を見上げながら鷹雅はそう言った。そこには鷹雅が落とした羽根が一枚、風に乗って舞っていた。

「これからは寂しくないわ」

 那未の声に振り向く。その顔があまりにも空元気の笑顔に見えて鷹雅は息を呑んだ。

「貴方には梨依菜がいるもの」

 そして今度は綺麗に笑った。

 そんな二人を梨依菜は背後の襖の向こうから見ていた。少しだけずらした障子から漏れる光の中に大切な二人がいる。複雑な気分だった。

 那未は私だけの人。鷹雅は大切な人。どっちも選べないし、どっちに対しても嫉妬してしまう。

 それはただ、あの二人の中に自分も入っていたい、という単なる疎外感なのだが梨依菜には自覚が無かった。

「梨依菜様?」

 廊下から休憩室の一つを覗く梨依菜の姿は異様だ。不思議がってか心配してか恐る恐るといった様子で少女、冴江は声をかけた。梨依菜はその声にゆっくりと襖を閉めながら振り返った。

「何だ、冴江か」

「そうですよ。そんなところで何やってるんですか?」

 背中に大きく「伍」と書かれた冴江の隊服は梨依菜の物とは違い胸に宝石を付けていない。それが何だか新鮮だった。目を細めて冴江を見つめる梨依菜に見つめられた本人はきょとんとする。こんなに呆っとした上司兼友人を見るのは初めてだ。

「冴江こそ何してるの?」

 輝愛の事をほのめかすように梨依菜が静かに言った。冴江は表情を緩めながら答えた。

「任務終了ですよ。何だか知らないけど」

 突然の護衛解除はやはり那未が命じた物だそうだ。今回は梨依菜ではなく従者を走らせたらしい。多少の疑問を抱くが、まあ良いかと梨依菜は片付けた。

「梨依菜様は?」

 改めて、と冴江が先程の質問を繰り返した。覗き見していた事だ。

 梨依菜は観念した、とでも言うように肩を竦めると冴江を手招きした。呼ばれた冴江は梨依菜に近付き、示された襖を少しだけずらす。そこには訓練に励む隆雅と、それを見守る那未がいた。

 冴江は襖を静かに閉めると梨依菜に向き直り笑った。

「入らないんですか?」

「なんか…うん」

 目を反らして黙ってしまう梨依菜はいつもより幾分小さく見える。冴江は梨依菜の軍服の長い袖を引っ張ると襖を大きく開けて背中を押した。

「う、わ!」

 そしてもう一度、静かに襖を閉めると幸せそうに笑いながらその場を去った。百合に報告する事があったのだ。それにしても自分は幸せ者だと思う。国の、民の宝である彼等の近くで、仲の良いその人達を見ている事が出来るのだから。

 休憩室に無理矢理入れられてしまった梨依菜はと言えば、振り返った那未があまりにも可愛く笑ったので立ち止まって赤面してしまった。服の合わせ目を皺が出来る程握りしめて何も言わずに那未と視線を絡めている。

「こんなもんかァ!」

 突然の大声に二人は庭へ視線を向けた。叫んだ、というか隊員を怒鳴りつけたのは隆雅だった。梨依菜は小走りで那未の側に駆け寄ると斜め後ろに正座をし隆雅等を見守った。

「飛翔術が出来ないならまだわかる。だけどお前達は根性が無いんだろう!」

 一番隊の紋が入った刀を喉元に突きつけられたその隊員はがくがく震え出し小さな声で何度もあやまった。しばらくすると隆雅は溜息を吐き刀を引いた。隊員は腰を抜かして座り込み、他の隊員達も気が抜けたような空気が漂った。

 珍しく怒った様子の隆雅を見て梨依菜は首を傾げた。言葉のわりに落ち着いていたし、すぐに刀を引けるくらいの理性も残っていた。隊員達の不甲斐なさに怒りを持ったというよりは、何だか。

「集中できてないわね」

「それ、うん」

 むしろそう、集中出来ない自分に苛立ったという感じ。

 梨依菜が上半身を乗り出したので縁側に着いていた那未の手に梨依菜の隊服の袖が振れた。那未はそれをいじくりながら言った。

「さっきまではそうでもなかったのよ?」

「隆雅!」

 ばつの悪そうな顔をして庭の中央に突っ立っている隆雅を呼ぶと、彼は羽根を仕舞って梨依菜達の方に歩いて来た。苦笑いを浮かべる様はなんだか可愛らしい。梨依菜が縁側を指さすと何も言わず従った。

 梨依菜は振り返った隆雅の額に人差し指を当てると何か呟き、すぐに離してにこりと笑った。首を傾げる隆雅の頭を今度は那未が撫でる。

「おまじない。はい、訓練続行!頑張って」

 隆雅をすぐに立ち上がると一言礼を言って庭に戻った。少しだけ頬に赤みが差したのは気のせいでは無いだろう。様子の戻った隆雅が嬉しくて梨依菜はふざけたように那未の膝に頭を乗せた。

「良いな、隆雅。私も撫でて?」

「はいはい」

 二人は笑い合った。穏やかな風が吹き二人の髪を揺らした。

 しばらくそうしていると部屋の襖が静かに開けられた。従者がやって来たのだ。彼女は丁寧にお辞儀をすると通る声で言った。

「鷹雅様に、お客様でございます」

 那未の膝から起きあがると二人で首を傾げた。此処に鷹雅を訪ねて来る者など、そう居はしないと思うのだが。疑問を抱えたまま梨依菜が立ち上がると那未が言った。

「どちら様ですか?」

「新橋家の者とおっしゃっております。名は野田と」

 新橋家は日本国に四家しかない貴族の姓だ。各貴族はそれぞれ任された神を護る為、固有の軍隊を持っている。黄泉、石殷、高天、新橋の順に高位の神を守っており、その神々を束ねる主神月読を護っているのが巫女の一族、生成家だ。新橋家が護るのは月読の弟と謳われる素戔嗚。その家の者が鷹雅に何の用があるのか二人には測りかねた。

「旧友でしょうか?」

「新橋家は母墓の山裾周辺に住んでる。私が知る限り鷹雅はそんな遠くに行った事ないよ」

 梨依菜はしばらく考えてから、とりあえず自分が出ると言い出した。あからさまに怪しむのは客人に対して失礼だが、偽の新橋家を名乗る不届き者かもしれない。那未はにこりと笑い梨依菜を送り出した。

 従者の後方に着き長い廊下を歩く。もしもの為に梨依菜の腰では隊刀桜花・石切丸が刃を光らせていた。

「一番隊、飛翔術使い覚悟!」

 新橋野田がいるという客間の襖を従者が開けると髪の長い男がそう言いながら梨依菜に切りかかった。既に手のかかっていた石切丸をさっと抜き取り梨依菜は何でも無いかのように応戦する。待ちかまえた姿とは違う女の登場に野田はたじろいだ。

「なっ…誰だ!」

 野田は刀を握る手に力を込め後ろに飛び退く。その刀は新橋家特有の形と紋が入っており、どうやら偽物では無いらしい。梨依菜の胸元にある宝石に気付いたのか野田の瞳が見開かれた。

「我が名は一番隊一番梨依菜。我に刀を向ける、お前は何者だ」

 片手で刀を構えるその背後から幻覚かと思えるような赤い湯気が立ち上る。その姿に背後で尻餅をついていた従者が悲鳴をあげた。

 この頃の梨依菜は、こんな「気」を操るくらいの事なら容易に出来るようになっていた。

「俺の名は新橋野田。父は新橋の主、母は鳩羽の血筋だ」

 刀を構え直した野田は体制を低くして梨依菜の迫力に負けじと立ち向かった。その表情には、こんな筈じゃなかったのに、と後悔がありありと現れている。

 それでも向かって来た刀を梨依菜は軽く去なす。上質の畳を擦りながら野田の刀は手から離れ転がった。印を結ぼうとする野田の背後に回り刀を突きつけると彼は動きを止めた。

 数秒経ち、梨依菜は溜息を吐くとゆっくりとした動作で刀を納めた。

「梨…依菜、様」

 力が抜けたのか、野田は腰を抜かしてその場に座り込んだ。梨依菜はそんな彼の目の前に屈み込むと、やんわりと笑った。

「で、鷹雅に何の用なの?」

 困った子ね、とでも言うような梨依菜の様子にふが抜けたような表情でぽかんとしている野田。当初の目的を思い出したのか、みるみるうちに野田の瞳には涙が浮かんできた。

「う、…ふっ、ぅー」

 突然泣き出した野田に梨依菜は唖然とする。野田は自らの手を血が滲む程に握りしめながら、つっかえっかえ言った。

「な、なぜ、海夜様では駄目なのですか…!」

 野田の哀願するような瞳からは未だ大粒の涙が流れ出ている。鷹雅と同じぐらいか、それより少しがたいが良いくらいの男にこうもポロポロ泣かれては梨依菜の立場がない。慌てふためいても仕方無いか、と梨依菜はとりあえず野田の頭を撫でてみた。

「梨依菜さまぁ!」

 よけい泣かせてしまった。どうしたものかと、頭を引き寄せてあやすように背中をさすった。

 そこへパタパタとした音が聞こえた。三人の軽い足音。野田の頭を抱えたまま振り返ると刀を構えた鷹雅が目に入った。状況から見て従者が呼びに行ったのだろう。

 目を合わせようとしたが鷹雅は梨依菜を見ていなかった。そしてその瞳はどことなく怒りを帯びているようだった。

「鷹雅!」

 呼ぶと同時に一陣の風が吹き、あっと言う間に梨依菜の身体は鷹雅の腕の中にあった。那未の元に梨依菜を下ろすと刀の切っ先を立ち上がった野田へ向ける。

「こら鷹雅!」

「黙ってろ」

 鷹雅が梨依菜にこんな言葉遣いをしたのは初めてだ。彼女が驚いているうちに二人は彼女達の脇をすり抜け庭に出てしまった。間を置かずに刀を交える。

 縁側には、やれやれといった那未の溜息が静かに聞こえた。

「やめんかー!」



 一番隊は忍術、剣術、弓術、体術、日本術など、どの術においても最上位の実力を持っている。その上で精神力、忍耐力さえも極めているのが普通だが梨依菜達はまだまだ子供な故、未だ備わりきっていない面があった。それでも訓練をしている彼等は、やはり普通の子供とは違う筈だった。

「それが何なのこの様は」

 先のいざこざで、ありとあらゆるところに落とし穴が作られた土の庭に鷹雅と野田は正座していた。縁側の上から二人を見下ろすのは勿論、梨依菜だ。

「梨依菜もずいぶん取り乱してましたけどね」

 茶々を入れる那未の言葉を軽く無視すると梨依菜はもう一度、二人に向き直った。しょぼくれて丸くなった背中がとても似ていて、見ていると何だか可哀想になってくる。

「梨依菜様!」

 そんな事を考えていると突然、野田が叫んだ。びくりと肩を揺らすとまたも涙目の彼が梨依菜を見ていた。

「今からでも、三番の取り替えを!」

 隣にいる鷹雅が目を見張った。当の本人の目の前でそんな事を言うくらいだ。相当切羽詰まっているのだろう。野田は腰を下ろしたまま敬愛の瞳で梨依菜を見ていた。

「また…何故ですか?」

 隣の那未が進み出て言う。柔らかく笑う彼女を見た野田が眩しそうに少し目を細めた。

 それでもしっかりと胸を張り野田は言った。

「我等の次期長、海夜様は生粋の飛翔術使い。そこの姓も無き者よりも優れております」

 今度は梨依菜が溜息を吐いた。新橋海夜。名だけなら聞いた事がある。優れた飛翔術使いだという噂も耳にしていた。それは梨依菜も那未も同じだ。

 では何故、真っ先にその高貴なる人の元へ行かなかったのか。それは鷹雅の年樹と飛翔術という組み合わせに惹かれた事もあったが、それより何より新橋家には大きな欠点があるのだ。

「貴族の長が一番隊になる事は無いわ」

 梨依菜が静かに言った。野田の瞳が驚愕に見開かれる。

 貴族には神を守るという特別な役目がある。この国に生まれる者の運命は総て月読尊により定められている。巫女は月読が定めし道標を知り、一番隊がそれを作る。貴族は月読を取り巻く神を助け、神木と年樹の根がそれらを結び国を作る。それが太古より変わらないひとつの大きな定め。

「…それでは、もっとも優れた者が一の字を背負うという慣わしは偽りだと言うのですか!」

 あくまでも新橋海夜が鷹雅より優れていると言う野田。駄々をこねるように顔を伏せる彼に那未が言った。

「一度闘ってみては?」

 梨依菜が那未の名を呼ぶ。すると巫女は制するように片手を上げた。そして顔を上げた野田に向き直る。

「貴方は相当の手熟れのよう。そして海夜殿の実力をよくお知りのようですね」

 ならば鷹雅と闘って、その目で確かめてはどうかと。那未はそう言いたいのだ。結局、自らを信ずる者には自身に刻みつけるしか教える方法はないのだろう。

 野田は勢い良く頷いた。刀を交え実力を見る、簡単な話だ。読めたならわかる。読みきれなければ負ける、すなわち海夜より強い。何故なら野田は海夜の戦で勝敗を読み切れなかった事が無いからだ。

 二人は再度、広い庭で向かい合った。鷹雅はもう自分が何をすべきか理解していた。胸元の紅い石が光り背中に羽根が現れる。重たそうなそれは見た目よりも遥かに軽い。本来なら羽根は飛翔術を唱えなければ出す事は出来ないが、一番隊の証・紅石がそれを可能にしていた。

「第一に紅石」

 言いながら野田が刀を構える。鷹雅もそれに習い、隊刀涼・小鳥丸を抜き取り鞘を捨てた。

「第二に丸の名刀」

 言いながら地を蹴り、野田は勢いよく降りかぶる。受けた刀を押しやると鷹雅も地を蹴り高く舞い上がった。

「都の名に懸けて‥」

「させるか!」

 日本術を唱えようとした鷹雅に弾かれた刀をもう一度振り降ろす野田。しかし鷹雅は日本術の詠唱をいち早く止め、ただ指を印の最終型へと変えた。

「爆」

 呟きと共に野田の足下が爆発し、バランスを崩した彼は刀を落とした。すぐさまそれを拾い上げ立ち上がり構え直すが、勝敗はもう目に見えていた。

「第三に…秘術」

 悔しさに目を細めながら、まだ鷹雅に向かって走り出す。その鷹雅は突進して来た野田を軽々とかわすと、彼の背後に回り込み囁いた。

「俺は一番隊だ。なめるな」

「お前の力は全て、"一番隊だから"与えられた物ではないか…!」

 野田の叫びなど気にもせず、鷹雅はためらいなく彼のわき腹を突き刺した。



 もう夕方になっていた。柔らかな西日が日本城の小さな客間に四つの影を落としていた。

「海夜様はすばらしいお方です」

 高い位置で一つに括っていた髪を降ろした野田が、梨依成に治療されながらぽつりと呟いた。鷹雅には負けたけれど、まだ諦めはついていなかった。

「私と同じ年齢であるのに、年の数で言えばまだ子供であるのに、次期長として皆に認められている」

 海夜と野田は生まれた時から一緒だった。父親が同じだが、野田は妾の子なのだ。父親は穏和で母親も良く働く人であったので、野田への風当たりが特に強い訳ではなかった。しかし、何よりも彼を追い詰めたのは、彼自身なのだ。

 最年長の男子であるのに新橋家の次期長は自分ではない。海夜を恨まぬよう必死に生きて来た結果、少しでも彼を妬ましいと思うだけで、まるで自分が悪のように感じてしまうようになった。

 そんなある日に届いた、日本国で最高の飛翔術使いが巫女の下に着いたという知らせ。

「絶望しました。海夜様を可哀想だと思った。」

 そして、それよりも、この行き場の無い思いをどうしたら良いのかわからなくなってしまった。だから、海夜に止められても此処へ彼を認めてもらいに来たのだ、と野田は語った。

「しかし、やはり一番隊でした」

 弱々しい笑みを浮かべる彼に、那未が優しく笑いかけた。

「野田殿、先程おっしゃいましたね?紅石や隊刀は一番隊だから与えられた物だ、と」

 思い当たった野田は心得ていると言わんばかりに手を振り、那未の言葉を遮った。そして今度は、その瞳に希望の色を浮かべ話し始める。

 部屋にはいつの間にか、百合と冴江が入って来ていた。

「わかっています、わかりましたよ。例え海夜様が紅石を手に入れ、詠唱無しに翼を生やせるようになったとしても、あのような動きにはならない。丸の隊刀や、秘術も同じです」

「……やっぱり、あなたは賢い」

 梨依菜に誉められ、野田は少し頬を赤らめた。

「今はそうです。しかし海夜様はいつの日か、鷹雅殿より強くなり、日本一の飛翔術使いとはいかなくとも、巫女様が自慢に思う従者となるのです」

 どこかあどけない言葉遣いは、やはり彼等がまだ子供だという事がわかった。それでも此処に居るのは一国の中枢を担う人物達なのだ。

 巫女と貴族と一番隊。彼等はこの日、結ばれた。

 野田は海夜が待っているから、と、傷も癒えぬうちに去って行った。彼の気持ちを十分理解していたので、誰も何も言わず送り出した。

 しばらくの沈黙の後、梨依菜は振り返り側にいた那未と鷹雅と手をつないだ。少し後ろにいた冴江も呼び、四人で丸くなり向かい合う。何か噛みしめるように瞼を閉じる梨依菜に那未が小さく言った。

「大好きよ」



 それから、また三月程の月日が経った。季節は夏である。

 相変わらず学習と復興の日々を送る日本国の子等は、探索と言う名のボイコットを行っていた。相変わらず、成長していないのである。

「年樹を見つけるだけでも大変なんて、何だか変じゃない?」

「移動してるんじゃないか?」

「馬鹿言わないでよ」

 言い争いのように聞こえるが、そうでは無いと那未は知っていた。この二人は度々このような言葉の交わし合いをするようになってきたのだ。一種のユーモアのような物だった。

「年樹は一番隊と共にある。一の名を持つ者が倒れれば、年樹も枯れてしまうのよ」

 那未の知識に梨依菜と鷹雅が感心の息を漏らす。こういった知識は百合より那未に教わる事の方が多い。

 一番隊は仕える巫女と魂が繋がっている。巫女は先代の巫女と魂が繋がっているから、座を受け継ぐ事が出来るけれど、一番隊に継承という概念は無い。だから一番隊が倒れれば年樹は枯れるが、次代が居る巫女が倒れても神木は生きる。故に神木は国と共に在り続けるのだ。

「巫女が居なくなれば国は死に、神木も枯れる」

 つまり那未の命には、国の存亡がかかっていると言う事だ。理解はしていたが、根本を知るとその意味はやけに重く感じる。

「だから、那未様は強いんだな」

 幾らか思いを巡らしてから鷹雅が言った。目をまん丸にして彼を見る那未に、梨依菜がくすりと笑う。

「そうだよね」

 それから那未が笑い出し、二人はそのままクスクス笑っていた。

 しばらくして、そんな三人の前に一陣の風が吹いた。桜の花びらがひとひら舞っているところを見ると、どうやら従者のお出ましらしい。

「見つけましたよ」

 その声は冴江のものだった。この数ヶ月で彼女は随分と術を使いこなせるようになったものだ。元から教舎でも優秀な方ではあったが、軍に入ってから一段とレベルアップしたのでは無かろうか。

 そんな呑気な事を梨依菜が考えていると、冴江が鷹雅にひとつの巻物を渡した。留め具の紐に百合の絵が描かれた紙切れがぶら下がっている。紛れもなく、彼等の教師のお怒りの手紙だ。

「心当たりはあるみたいですね。ま、無かったら困るけど」

 愉快そうに言う冴江をどこか恨めしく思いながら、巻物を開け中を確認する。

 しゅるり。

――もう 帰って来なくて よろしい

「……。」

「だそうで」

 梨依菜と鷹雅の手が片方ずつ那未の腰に回ったかと思うと、一瞬にして三人の姿は消えていた。

「あらら、すごい早業。コンビネーションに移って良さそうだね」



続く

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