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目が覚めれば、リディアの王城の生活は一変していた。
自分がラルフの番であると記憶している者が一人もいなくなっていたのだ。
共に療養に出かけた侍女達も例外ではなく、リディアを皇后として扱うが、番という認識はなくなっていた。
もっとも、常に番に関する話題が出るわけではないから、彼女たちがいつから『そう』なっていたのかはわからない。
ラルフに会おうとしても「今は番様とお会いしています」と阻まれる。
自分も番だと主張しても、皇后なので口には出さないが、何を言っている?という空気が流れる。
大臣達はあけすけに「皇后は狂ったのでは?」と言う始末だった。
ようやくラルフに会えた時に彼にすがった。
「私はあなたに選ばれた番なのよ」
それに、ラルフが困惑しながら答える。
「私の番はリアだけだ。君とは国の発展のために結んだ縁談だろう?」
「違います!あの時!初めて会ったときに私を番だと選んでくださったじゃないですか!」
涙を流しながら叫ぶリディアを、ラルフはかわいそうな目で見るだけだった。
ラルフと会えるのは、王と皇后としての時間だけだ。つまり、臣下達もいる前でしか話をすることが出来ない。
だが、リディアはなりふり構っていられなかった。彼と話をしたい。何かがおかしい。
けれど、おかしいのはリディアとされてしまう。
分不相応ながらも皇后として尽力していたのに、欲深くも番の座まで狙おうとしている。
周りからはそう思われるようになった。
心も体も弱り切ったリディアも、自分自身が狂って、本当は番ではなかったのではないか?という思いに取り憑かれるようになった。
震える手で皇后の仕事をこなし、ラルフと話そうとするが断られる。
どうすればいいかわからず、極力部屋に閉じこもるようになった。
そうすればラルフとリアの笑い合う姿を見なくて済むから。
ある日、開け放たれた窓から黒猫がやってきた。
休養から戻ってきた時に見た子だろう。聞けば、リアと共に来たのだという。
本来なら『まがいもの』として王城からは出される存在だが、リアが可愛がっていたということで特別に滞在許可が出ているのだという。
最も、可愛がっていたという過去形なので、リアはもう黒猫に興味ないようで城の使用人達から残飯をもらったりしながら今までは気ままに過ごしていたようだ。
それが、静かに過ごすリディアとの時間を気に入ったのか、彼女の部屋に居着くようになった。
皇后宮は王の愛を表して城の中で最も日の光が入り暖かく、庭園の緑や花の香りが漂う場所だ。猫にとっても過ごしやすいのかもしれない。
最初は距離を置いていたが、何も反応しないリディアに警戒を解いたのかいつの間にか膝の上で寝るまでになっていた。
彼?の艶やかな体をなでていると、ラルフを思い出してしまう。
ラルフは黒豹の獣人だった。めったに獣の姿になることはなかったが、子供のころは気を抜いたり王に怒られて泣いた時などに黒豹の姿になることがあった。
その姿になることを恥じているようだった。
そうなると、決まって裏庭の隅に隠れていた。
隠れると言っても、大きな尻尾がはみ出していてすぐにリディアは見つけることが出来た。
「ラルフ様、どうしたのです?」
「王に……父様に怒られてしまったんだ。皇太子としての自覚がないって」
そう言って、自分の体に顔を埋める。そうなると黒い毛皮の塊のようになる。
リディアは隣に座り、彼の体をなでる。
「ラルフ様は立派ですわ。この国のためを思ってたくさん努力なさっています」
「……そうかな」
「えぇ。隣で見ていた私が言うのですから、間違いないです。私は、そんなラルフ様が大好きです」
そう言って、リディアがラルフの体に寄り添うと、尻尾が恥ずかしそうに揺れた。
気がつけば、ラルフは人型になってリディアを抱きしめていた。
「やっぱり君は僕の番だ。ただ一人の、かけがえのない僕だけの。失ってしまったら、僕はきっと気が狂ってしまう」
「私はずっとラルフ様のもとにいます」
そう言って、リディアは羽織っていたレースをラルフにかけた。自分の力はラルフに比べて弱いが、それでも彼を少しでも守ってあげたかったから。ラルフもその意図をくみ取ったようで、レースに口づけて、二人で微笑みあった。
そんな、在りし日の記憶がよみがえり、涙がこぼれそうになる。
黒猫は彼女がいつもと違い感情的になっているのことに気がついたのか、落ち着かなくなり周りを右往左往し始めた。
やがて、そばにあったレースを咥えてやってきた。
それは休養中に編んだものだった。ラルフの思いが戻ってほしいと願いながら編んだもの。
黒猫は彼女を慰めようと持ってきたのか、遊んでほしくて持ってきたのかはわからないが、リディアはそれを受け取った。
そのとき、裏庭のほうからリアの笑い声が風に乗って聞こえてきた。
あの場所に、今はリアといるのだろう。
リディアはもう限界だった。けれど、最後に、もう一度だけラルフに話そうと立ち上がった。