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リディアとラルフの距離は益々遠くなり、王と皇后としてしか二人の時間を持つことは出来なくなった。
王宮と皇后宮がそれぞれあり、前まではリディアのいる皇后宮にラルフが訪ねてきていた。けれど全く来なくなり、リディアが向かっても衛兵や執事が「本日は仕事を持ち込んでいるので」と会うことを断られてばかりだった。
それが毎日続けば、王城の末端の人間まで二人の関係に気がつく。
なんとかしなければ、と皇室主催のお茶会を開いた際、隙を見てラルフに声をかけた。
振り返ったラルフの目を見て、リディアは絶句する。
そこには熱一つ無く、冷たい視線が返ってくるだけだった。
震えながらリディアは尋ねた。
「ラルフ、私は何かあなたの気に障るようなことをしてしまったかしら?」
ラルフは淡々と答える。
「君に何の落ち度はないよ」
「……もう、名前も呼んでいただけないのですね」
それに何も答えず、ラルフは去っていってしまった。
異変が起きたのは突然だった。
リディアが16歳になった頃、突然ラルフから避暑地に休養にいくように命じられた。
今まで皇后として仕事に詰まった日々で、時折体調を崩すリディアを気遣ったのものだとラルフの執事が言っていた。
昔だったら、それは自分を思ってのプレゼントだと受け入れられただろう。けれど、今の二人の関係では厄介払いなのではと疑ってしまう。
しかし、それがわかりきっていながらもリディアはラルフの気遣いかもしれないという思いにすがった。
実際に、リディアは心も体も疲れ切っていた。
一度この場所を離れて、自分を休めるのもいいかもしれない。
王城を離れる期間は一月。湖畔の美しい皇族保有の小さな城にしばらく滞在することになった。
そこで、リディアはレースを編んだ。ラルフを思って、そして初めの頃の自分たちの気持ちが戻るようにと願いながら。
一月たって、レースが編み上がった。
離れている間に気持ちが整理されて、またお互いの関係が変わるかもしれない。
リディアは無駄だとはわかっていても、期待は捨てられなかった。
ラルフのいる王宮に向かっている時に、目の前を黒猫が通り過ぎた。
この国で黒猫は『まがいもの』と呼ばれている。王族に黒豹の獣人が多いことでついたあだ名だった。
城ではあまり歓迎されておらず、広大な面積を持つためどうしても入るこんでしまうこともあるが、見つけ次第外に追い出していた。
だから、城の深部である王宮で見たのは初めてだった。
黒猫はリディアの前を横切って、廊下の窓枠に飛び乗ってリディアを見ている。
皇后として、この子を外に出す指示をしたほうがよいのだろうか?と一瞬考えたが、今は一刻も早くラルフに会いたかった。
「ラルフ!帰ってきたわ……?」
ドアを開けて目に飛び込んできたものに驚いて、固まってしまう。
そこには、ラルフと見知らぬ女性がいた。年齢は自分と同じくらいだろうか。顔立ちはこの国のものとは違っている。目は大きくくりっとしていて、茶色い髪色と相まって小動物のようだった。
彼女がラルフに寄り添われて、キョトンとこちらを見ている。
その距離感が王に仕える侍女のものではない。リディアの頭に警告音のような音が鳴った。
「あぁ、帰ってきたのか。……休めたか?」
ラルフは一ヶ月ぶりだというのに、毎日の挨拶のような表情しかしない。しかし、リディアはそれを気にしている余裕はなかった。
ラルフのそばにいた女性が興奮しながら彼に話しかけた。
「ラルフ!彼女が皇后様よね?」
「そうだよ。私の仕事を支えてくれる存在さ」
そう言って、ラルフは愛おしそうに女性の頭をなでる。
その様子がかつての自分たちのようで、心臓が早鐘のように鳴った。
リディアは恐る恐る口を開く。
「ラルフ、彼女はどなた?」
ラルフは愛おしさを満面に表しながら答えた。
「リア・カナメ。私の番だよ!」
それを聞いて、今まで積み重ねたストレスで心が限界だったリディアは気を失った。