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悲劇のパラノイア  作者: エデン
第1章
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第5話 歌姫アーデル

それから練習場に向かって歩いていたが、練習をする気にもなれずに、何処か別の場所に行こうかと思考する。暫く何も考えずに歩き続けて、気づけば夕方になっていた。

ふと気づいて周りを見渡すと、教会からも練習場からも大分離れた場所に来たらしい。


(ここら辺は、来たことが少なかったな)


平民街の中心地まで気づけばやってきていたようだ。中心地は人通りも多く、小さな酒場が点々とある。これから人で賑わう時間帯となる。人が多いところが好きでない僕は、あまり寄り付きたくない場所だ。舞台の上と、普段の日常生活の考えは全く別である。プライベートの時間くらいゆっくりと静かに過ごしたいものだ。


(……帰るか)


丁度いい散歩にはなっただろう。後ろを振り向こうとすると、突如前から声が聞こえてきた。


「おっ!さっきのちんちくりんじゃないか!」


振り向こうとしていたのをやめて、前に向き直ると今朝教会の前に居た赤毛の派手男、エダンがブンブンと馴れ馴れしく手を振ってくる。この男は何故こんな場所に居るのか。警戒をしていると、エダンは笑顔のまま駆け足で此方までやってきた。


「よう!……ありゃ?アーデルは?」

「……いない。別にお前と親しく話すような仲ではないように思えるが」

「名前を言い合った仲なら、もういいだろう?お前、今暇なのか?」

「……暇じゃない」

「よし、暇だな。最高に楽しめる店に連れて行ってやるよ」


全く話を聞かないエダンに、突然肩を組まれて歩き出される。まさかこの男は僕と友人にでもなった気でいるのだろうか。生きていることに全力で楽しむような男に作り笑いをする必要もない。思い切り顔を顰めて返してやる。


「ふざけんな、暇じゃないって言ってんだろ!」

「ほほー?なら行かなくていいのか?すばらしいほど、胸がでかくて美人な女が沢山いる店に連れて行ってやるぞ?」

「……そういう店は好きじゃない」

「またまた!そうは言っても、目は興味深々って顔をしているからバレバレだ」


(そもそもそんな店行ったことねえよ)


大体男のために提供する店の女どもなど、金のことしか考えていないじゃないか。典型的な女の例だ。そういう系統の女は最も嫌いであり、そもそも人混みは好きじゃない。

エダンはニヤリと笑っている。まぁ……ほんの少しだけ興味はある。別にそこに居る女の胸が大きいとか、美人だとかを気にしているわけではない。単純に役者としての興味として、着いて行ってやっていいのかもしれない。



エダンと少し歩き、派手な装飾のされた看板の店に着いてから、自分が今日酔っ払い男に全て金を持っていかれたことをようやく思い出した。


「そういえば今、金がないんだった。だから無理だな」

「おいおいここまで来てかよ?何で金がないのかは知らないが、俺が奢ってやるよ」


エダンはそのまま僕の肩を掴んだまま、店の中にとっとと入っていく。駄目だ。この男は何を言っても聞きやしない。人の話を聞く気はあるのだろうか。

店の中にエダンが入った途端、黄色い声があちらこちらから聞こえだす。

それと同時に、エダンの言う通り顔が良くて胸がでかい女が、わらわらとエダンの周りに群がりだした。


「あら!エダンさん!いらっしゃい!」

「お待ちしていたのよ!ほらほら早くこっち!」


エダンの腕を胸に押し付けるようにして、エダンはあっという間に女に囲まれてしまった。それを呆然と眺めていると、その中の女の1人がようやく僕に気が付く。


「あら?そちらの小さい坊やは?」

「俺の友達だよ。こいつはこういう店が初めてなんだ、最初はお手柔らかにな?」


(いつこういう店が初めてってお前に言ったんだよ……まぁ本当だが)


この男に全て見透かされたようで、ムカついてくる。そりゃあお前のように遊び歩くようなタイプじゃないから、初めてに決まっている。僕は何も悪くはない。

女はそれを聞くなり、黄色い声を再び上げた。


「きゃっ!小さくて可愛いわね!最初弟さんかと思ったわ!」


(おい、ここでもそれかよ)


どいつもこいつも誰かの弟にしたがるらしい。背が小さいから幼く見るという、甘い考えはそろそろ取り払ってくれないだろうか。


「はは、俺に兄弟はいないさ。さぁセリオン来いよ」


エダンは僕に声を掛けると、さっさと女に囲まれたまま奥に入って行ってしまう。奥からやって来た女が僕の目の前にくると、胸の谷間を見せつけるようにして優しく微笑んできた。


「貴方はここが初めてなのよね?ふふ、可愛いわね。さぁいらっしゃい?」


女は突然僕の手を優しく掴むと、ゆっくりと歩きだす。別に手を振りほどく気もしなかったため、そのまま着いて行く。こういう女の特徴はよく分かっている。相手の懐の金貨袋しか見えていない。それを意識していれば、僕は僕を保てるだろう。


エダンと一緒の席に着くと、エダンは両腕に女を抱えたまま布のソファに座っていた。ちゃっかりとエダンの手は女の尻にあり、さりげなく揉んでいる。


「エダンさん、最近お店に来ていなかったわよね?もー寂しかったんだ・か・ら」


両腕に抱えたうちの、左の女がエダンに小突くようにしてもたれかかる。エダンはやけに上機嫌で、女に話しかける。


「そんなに俺が来なくて寂しかったのかい?子猫ちゃん」

「そうよぉ!貴方に会いたかったんだから!飼い主がペットを放置しちゃ駄目でしょ?」

「そうだな。寂しい想いをさせて悪かったよ、ハニー」


(本当に女のことを子猫とか言う男って実在したのかよ…)


役どころではそういう男のことを演じたことはあるが、実際に居るとは思っていなかった。

呆然とそれを見つめていると、突然胸の大きい女が僕の横に座って、もたれかかってきた。


「貴方はどういう女がお好み?私でも大丈夫かしら?」

「あー……別になんでもいい」

「あら?寛大な心をお持ちなのね!良かったわ」


女の方をなるべく見ないようにして、僕は淡々と呟く。別にこういう場所であろうと僕は冷静沈着だ。エダンのように楽しむタイプではない。


「さぁ何を飲みます?基本的なお酒はあるわよ」


女はもたれかかったまま囁くように、話してくる。僕は女の方を見ないようにしたまま、呟いた。


「僕は人と酒を飲むタイプじゃない…酒以外で頼む」


僕がそうつぶやくと同時に、何故かそれを聞いていたエダンが此方を見た。


「酒を飲まないのか?じゃあお子様の牛乳でも飲もうってか?ここで?」

「…別に牛乳は飲まない」

「はは!この店で酒を飲まないやつは初めてだ!変なところにこだわるやつだな?」

「人と酒を飲んでも美味くないからだ。1人で飲む方がいいだろう。お前には一生分からないだろうがな」


きつく視線を向けて言うと、エダンは笑ったまま傍に居た女に「俺はいつもので頼む」と話す。僕の横に居た女はボソリと耳元で囁いた。


「貴方の考え、クールで素敵よ。簡単なジュースなら作れるわ。持ってくるわね」


うっかりと女の方を見てしまうと、女は片目を瞑って立ち上がる。本当に豊満な胸だ。ここは男を喜ばせるための店であり、通常の男の好みを分かっているのだろう。しかしまぁ…真逆な好みも居ることは様々な人の話を聞いた僕にはよく分かっている。

少し経ち先にエダンの飲み物が運ばれてきて、机に置かれる。

エダンは運んできた女を見た途端、どういう訳か立ち上がり、にやけ顔のまま女の傍に行く。


エダンは女の耳元で何かを囁くと、突然女の尻を音が鳴るように一回叩きだした。


「ああっ、もうエダンさんったら!」

「そうは言っても、これがいいんだろう?」

「もう…分かっているく・せ・に」


女は恥じらい顔でエダンに小突く。僕は一体何を見せられているのだろうか。呆然とそれを見ていると、エダンは僕に向かって片目まで瞑ってきた。


「ほら、“尻を叩けば女はよがる”っていうだろ?それを俺は実行したまでだ」

「……はぁ」

「はぁって何だよ、覇気のない返事だな。そこは僕もやってみます!と席を立って、自分でもやってみるところだろ!」

「……言っている意味がよく分からない」


僕が真顔で呟くと、エダンは何処かつまらなさそうに女から離れて再び席につく。


「ノリ良く遊ぶ店だぜ?ここは。もっと楽しまないと駄目だろ」


エダンが不満そうに呟いている中、僕の飲み物が運ばれてくる。もうエダンに何か返事するのも面倒になってきたため、飲み物を受け取って一口飲むと、エダンは「ああそうか」と声を上げる。


「お前…さてはアーデルに手を出そうとして振られたな?それでここらに遊びに来たんだろ?」

「……ごほっ!」


思わず飲み物を吹いてしまう。エダンは「はは、図星か」と笑っているが、図星なわけがないだろう。この男は一体どこからそういう発想が生まれるのか。


「……んなわけねえだろ!お前は馬鹿か!」

「ああ、分かっているともセリオン。エダン様には全て見えているよ。さては女の胸を最初に触ろうとしただろ。胸は駄目だ。女は警戒する。まずはそうだな…尻からにしろ」

「胸も尻もあるか!何なんだよお前は!」

「胸も尻も男のロマンだろう?どちらも最高の触り心地だ」


エダンは心底嬉しそうに語りだす。確かに言いたい意味はよく分かるが、それでもこのような男のタイプには、此方が抱えている思いなど分かるはずがない。だがまぁ…その意見は同意見ではあるが。


「この店は楽しむためにある。だから楽しまないと損だって言ったんだ。そして彼女たちは俺たちから金が貰える。そういう仕組みだ」

「……お前、普段は何の仕事をしている?」


この男が女の居る店で楽しむほどの金額を、稼いでいるようなタイプには見えない。しかしこういう男のことだから、上手いこと言って女を操って金を稼いでいるのかもしれない。


「あ?働いてなんかねえよ。俺は商人の息子だからな。金なんて稼がなくても、たんまりと入ってくる」

「……は?そんなに動けるのに働いていないって?」

「ああ、そうだ。女のためにしか動かねえな。後は好き勝手に遊んでいる。案外楽しいぞ?そういうのも」


エダンは調子に乗った表情のまま話しているが、その発言は我慢ならなかった。僕は立ち上がって、声を大きく出す。


「いや、働けよ!仕事ならいっぱいあるだろ!よく親の金なんて貰っていられるな?」

「は?貰えるもんは貰うだろ。息子に金を惜しまないタイプの人たちだからな、向こうは向こうで息子のために金を渡すことが嬉しいのさ。俺は善意で貰っているし、それで生活もできている」

「お前…何歳だよ?」

「20歳だな」

「おい、それこそ働け!十分な年齢だろ!」


僕が思わず言うと、エダンは「ははは」と笑って此方の意見を聞こうともしない。それを周りで聞いていたエダンの横の女が、ようやく僕たちの話に間を挟んできた。


「せっかくここに来たのに、どうしてお二人で話しちゃうの?もーつまらない!」

「ああ、ごめんな子猫ちゃん。ハニーの可愛い尻が一番さ」

「もう、エダンさんったらお上手ね!」


そのままエダンと女が話し始めると、何故だかどうでもよくなってきた。こういう男は一生このまま救われないままだろう。親が生きているうちはいいが、親が居なくなったらどうするつもりなのか。そんな先のことを考えるほどの男にも見えないが。


「ねぇ、お隣宜しいかしら?」


突然女に声を掛けられて見上げると、ここらでは見たこともない淡い水色の髪色を長く垂らした女が隣に座ってくる。


「貴方を見た途端……手相占いをしてみたくなっちゃったんだけど、してもいいかしら?」

「……は?」

「手相占いよ。私の本業は占いなの」

「セリオン、ラモーナのは、良く当たるぞ。変な術でも使ってんじゃねえかってくらいにな」


女に夢中だったはずのエダンがまたも声を掛けてくる。ラモーナと呼ばれた女は「エダンさんったら」と軽くあしらってから、再び此方に向き直る。


「無料か?」

「もちろん無料よ!いつもならお金を取るんだけど……貴方のをとても見たくなったの」

「…何でだ?」

「あー……えっと、勘よ!見ないといけないって思ったの」


ラモーナは何処か濁すように答える。占いは基本信用していない。ああいうのは女が好むものだし、一回もやってみたことはない。どうせ占い詐欺かとも思ったが、無料だと言うのなら一回くらいは体験してみてもいいかもしれない。


「まぁ、いい。本当に無料なんだろうな?」

「ええ!さぁ手を差し出して…」


僕が片手を差し出すと、ラモーナは手相を見ると言ったにも関わらず両手で挟み込むように僕の手を包み込むと、目を瞑って意識を集中させている。


「…手相を見るんじゃなかったのか?」

「…静かに。意識を集中させているの」

「……全く手など見ていないから、言ったんだがな」


僕が呆れて言うと、ラモーナは首を振ってから何かをぶつぶつと呟いている。まさかまずい系統の女だったのだろうか。


「……ああ、やっぱりそうね」

「結果は出たのか?」

「……とても苦しい思いをしてきたのね。あなたは……でもこれからも…そう。女性関係ね。ずっと付きまとうわ……これは…貴方自身の問題ね」

「……適当なことを言っているんだろう?」


ラモーナの方を見ると、ラモーナは目を瞑ったまま静かに首を振った。


「適当ではないわ。あなた自身の問題は、あなただけの問題じゃない。あなたはずっと…過去に犯した罪のことを背負っている。でもあなたの「罪」は、とても重要な役目を果たした。そうよ。あなたは……」

「……おい。まさかお前は僕の罪を……知っているのか?」

「…だからあなたの罪は…」

「まさか、殺したことを知っているんだな!?だからこんなまどろっこしいことをしてきたのか!?」


それを言った途端ラモーナは目を開け、周りで聞いていた女は途端に静かになった。

エダンは途端に静かになった女たちのことを不思議そうに見ている。

僕は女の手を振り払い、ソファから勢いよく立ち上がって女を見下ろした。


「はっきり言えよ!知っているんだろう?お前はマリア側の人間か?ああ…それか前の演劇のお客の1人か?」

「おいセリオン、突然何をそんなに興奮してんだ?」

「お前は黙っていろ!僕はこの女に用がある!!!」


大声を出すと、エダンは途端に顔を顰めて此方に歩いてくる。突然僕の肩を掴むと、ぽんぽんと軽く叩いてくる。


「落ち着け。殺しだとか何だとか、その系統のジョークを言う場所じゃない」

「……はっ。ジョークわけないだろ。見ろ!この女は僕を追い詰めようとしているんだ。エダン。お前は…殺しをしたことがあるか?勿論ないだろう?だから僕の気持ちは分からない!」

「ああそりゃ…女を別の意味では天高く“昇天”させたことはあるがな。確かに殺しの専門じゃあない」


エダンがそう言うと、何故か場がさらに静まった気がしたが、僕はそれでも気分が静まらずに話し続ける。


「ラモーナだとか言ったな。マリア側の人間なんだろう?僕を今更になって、捕まえに来たのか?気づくのが…遅すぎるんじゃないか?どれだけお前たちは馬鹿なんだ」

「……セリオン」


エダンの低い声が聞こえる。しつこい奴だ。いい加減黙れ。今はラモーナという女の正体を暴こうとしている。絶対に僕を捕まえに来たに決まっている。しかし、僕の怒りに気づかないエダンはやれやれと肩をすくめた。


「お前の頭の中のシナリオがどうなっているかは知らないがな。まだ夜のプレイには早いぞ?美人な女が、罪を犯した男を捕まえに来たプレイ中か?中々お前も想像力豊かなやつだな!酒も入ってねえのに、よくぞ思いついたものだ」

「シナリオじゃない!本当のことだ!」

「はいはい、そうだな。よく分かったよ。さて美人なハニーたち。連れの友人が俺よりも先に興奮しきってしまったので、ここらで友人と一緒に失礼するよ。せっかくハニーたちと、もっと戯れられるかと思ったが、仕方ない」


エダンは金貨を無造作に傍のテーブルに置くと、僕の両肩を掴んだまま強制的に押して歩き出す。僕はそれに抵抗しようとしたが、エダンの力は思いのほか強く逃れられない。イラついて、思い切り身体を動かそうとするが全く効かない。エダンは後ろを振り向くと、軽く声を掛ける。


「ラモーナ!すまなかった!お前の占いは良く当たるよ!」

「……エダンさん。ごめんなさい…私はその…好奇心で」

「いいから!お前に悪気はないんだ!こいつのことを思ってやったんだろ?また今度俺のも見てくれよ!前のようにではなく、今度はお手柔らかな言葉でな!」


ラモーナはそれに頷くとエダンは笑顔のまま、僕の両肩をしっかりと掴んで出口の方に押してくる。


「おい離せ!まだあの女に話がある!」

「しつこい男は嫌われるぞ?」

「お前が言うことか!いいから離せ!」


抵抗する間もなく、店の外まで追い出されてしまった。再び店の中に戻ろうとするが、エダンは一向に離そうとしない。エダンは僕の後ろで、何故か呼吸を吸うような仕草をしてくる。


「落ち着け……そう。深呼吸だ。どうだ?外に出ると気分が変わるだろ?」

「何も変わらない!あの女は…」

「いいか。実はラモーナは“特殊な女”だ。不思議な術が使える。他人の…簡単に言えば「人生の課題」だな。それが見える」

「何だって?そんなこと分かるはずないだろう」


僕が言うと、ようやくエダンは僕から手を離した。エダンは笑顔のまま、わざとらしく深呼吸をする。


「そうだ。深呼吸だ…男は興奮すると女の尻以外見えなくなるがな、たまには落ち着けることも必要だ。お前には特にな」

「……何でそこで尻の話が出てくる」

「怒りで興奮した時と、夜に興奮した時は全く同じだろう?周りが見えなくなる。そいつのことしか見えないんだ。周りが見えないからこそ、俺はご自慢のご立派なブツを、夜の誘いが成功した女に…」

「おい。僕はそんな話をしたいわけじゃない」


きつく睨みつけると、エダンはふぅとため息をついて、やれやれと肩をすくめる。


「いいだろう?簡単なジョークは人を豊かにする。お前には少し心のゆとりってものが必要に見える。最近になって、大笑いしたことはあるか?」

「おい。質問に答えろ」

「質問よりも先にな、お前はもっと気持ちを楽にした方がいいだろう。深く考えすぎるな。

それが生きるコツだ。年上からのアドバイスさ」

「いいからラモーナの正体を教えろ!あの女は何なんだ!」


僕が掴みかかりそうになるほどの勢いで話すと、エダンは「あー駄目だこりゃ」と呟く。

何が駄目なのか、こいつが一体何をしたいのか分からない。


「ラモーナのことは俺もよく知らない。不思議な術を使える女だとしかな。お前が何を思ったかは知らないが…お前の思うような女ではないことは確かだ」

「そんなこと分からないだろう。僕を捕まえに来たに決まっている!」

「あーそう思っておけばいいかもな。ほら、次の店に行くぞ。いやお前のは…もっと発散させた方がいいかもしれない。ああそうだ。運動もいいかもな?公園でも走ってみるか?」

「何?公園を走る?お前は馬鹿か?」

「本当は美人な女が一緒に走ってくれれば、目の保養で良かったんだがな…俺が精神統一するときによく使う技だ」


そりゃあ生きることに全力で楽しむお前のような男がしていて楽しいのは、運動だろう。僕の場合は1人で居る方が、よっぽど楽しいが。

エダンは「よし決まりだな」と言って歩き出す。勿論エダンに着いて行くわけがない。再びラモーナの正体を探るため店の中に戻ろうとすると、エダンは大声を出してきた。


「おい!だからもう戻るな!何でそんなにラモーナに執着するんだよ?」

「ラモーナは、何かを知っているからだ!」

「だからラモーナについては説明したろ!いいから着いてこい!もっとお前は騒がねえと駄目だ。完全に凝り固まりす……おっ……アーデル?」


エダンは突然止まって僕の後ろを見る。それに釣られて後ろを見ると、本当にアーデルが僕の真後ろに居た。その後ろにフィオナが遠慮がちに此方を見ている。


「……あら、セリオン。どうやら、とっても“お楽しみ”みたいね」

「あ………アーデル?何でここに?」

「フィオナちゃんと一緒に、私が知っている酒場に来ていたのよ。丁度ここら辺にあったから。へぇ?私の誘いを断って、貴方はその可笑しな男とこのお店に遊びに来ていたの」


アーデルは淡々とした口調で話す。口元は笑っているが、目は笑っていない。これはまずい。非常にまずい。何でこんなことになるんだ。


「ふーん。楽しそうね?このお店って女の人がたくさん居るお店よね?そう。あなたも結局そうだったのね。いつ、その男とお友達になったのかは知らないけど、随分と楽しそうね。女性の名前まで言ってお店に戻ろうとしちゃって。あらまぁ」

「違う……これはその……手違いだ」

「そうよね。今頃あなたは練習場で劇の練習に励んでいるはずですもんね?私が見たのは幻覚だったのかしら……ねぇフィオナちゃん」


フィオナを見ると、フィオナすら曖昧に笑っている。駄目だ。どう反論すればいいか分からない。考えろ…考えるんだ。あの男と来たわけではないと話すか?いやそれでは何の解決にもなってはいない。1人能天気な男エダンだけが心底嬉しそうに駆け寄ってきた。


「ああ!美しいアーデル!貴方に会いたかった…セリオンのことを知っていますか?色々と凝り固まりすぎているようです。どうです?俺のこともほぐしてほしいですが、貴方の手でこいつのことも……」

「ふざけんじゃないわよ」


アーデルは再びこの世の底から出したような声を出した。今度は明らかに僕へ向かっての言葉だということが、伝わる。身体の奥底から冷えたような感覚になり、アーデルの作られた笑顔を恐る恐る見つめる。


「セリオン。あなたのことは良く分かったわ。それじゃあフィオナちゃん行きましょう?」

「美しいアーデル?ちょっと待って下さい。何処に行こうとしているんです?」

「あなたになんて最初から話していないわよ。この裏切り男に私は言ってんの」


エダンに向かってぴしゃりと言い放つと、アーデルは僕を冷たく見下ろしてから歩き出す。


(まずい……このままだと、まずい)


僕はどういう訳か、そんな行動など起こすつもりもなかったのに、アーデルの左腕を掴んでいた。アーデルは顔を顰めて振り向く。


「―――何?」

「……その……申し訳なかった。貴方の食事の誘いを断ってこの店に来て……この店に来るつもりはなかったんだ。ただその…成り行きだ」

「あらそう。成り行きで楽しんでいたわけね」

「……確かにそういうことにはなるが……本当にすまない」


僕は謝るために頭を下げる。今まで女に謝るためにこんな丁重に礼をしたことがあっただろうか。いやこれは人生史上初めてかもしれない。アーデルは驚いた顔をして僕を見つめる。


「まぁ…もういいわ。あなたも男だもの。私は昨日も今日もあなたに助けられたし、これでお互い様ね」

「……もういいのか?」

「私の誘いを断ってこんな店に行っていたことは、記憶から抹消したいくらいだけど。でもあなたが助けてくれたことは……事実だから。まぁ…私は勝手にあなたの友達になった気分でいたけれど、あなたはそう思ってはいなかったことが、残念だわ。まさかよりにもよってその男と友人になったのね?」

「全く持ってこの男とは友人じゃない。それならアーデルの方が………友人だ」


僕がそう言うと、アーデルは「あら?そうなの?」と驚いた表情を浮かべ、後ろのエダンは「さっきから俺の扱い酷くないか?」と文句がましく呟いている。


「なら良かったわ。私たちこれから帰るの。もうこんな時間だから……途中まででいいから、着いてきて貰えると嬉しいのだけど。あ、セリオンの後ろの馬鹿男は来なくていいからね」

「…分かった。この時間は危ないからな」

「ええ……ありがとう」


アーデルはようやく冷たい瞳を解いて、優しく笑った。アーデルとフィオナと一緒に歩き出すと、案の定エダンは後ろから着いてくる。アーデルは振り返ってきつい視線を送る。


「だから来なくていいって言ったわよね!」

「そんな酷いことを言わないで下さいよ、美しいアーデル……俺も貴方の家まで送りましょう。アーデルの友人はセリオン。そしてセリオンの友人は俺。これは貴方とも何か繋がりがありますよね?」

「……お前と友人になった覚えはないが?」


僕も振り返ってそう言うと、エダンは「そこは合わせろよ!」と話してくる。

アーデルを見ていると急に冷静な気分になってくる。確かにラモーナは、注意しておいた方がいい女には違いないが、もし何かあったのなら店の中の時点で僕に行動を起こしてきたはずだ。そうだ。冷静に考えればそうだった。僕は僕自身のことを見失いそうになっていたんだ。


エダンの悲痛の叫びの声を後ろで永遠と聞きながら、僕とアーデルとフィオナは夜道をゆっくりと歩いて、アーデルの家まで歩いて行った。



***



エダンと夜の店に行ってから、気がつけば一週間程経っていた。今、僕は自分の家で思考し続けている真っ最中だ。アーデルを家に送り届けてからは此方のスケジュールが忙しくなってきたため、アーデルとは会えていない。

そして、今度エキストラ劇団が初めて庶民向けの劇を大々的にやることになったために、僕の目の前の机には明日の僕が公演する予定の庶民向けの鑑賞チケットが一枚ある。

このことが示すことは何か?そう。またアーデルを自分の公演に誘うか否かだ。

別にあの女のことを気にしているわけではないが、一応形は「友人」となったわけだし友人として「観に来るなら観に来ればどうだ」という気持ちで渡すのもいいのかもしれない。


「そうだ。これは友人としてだ…友人として…そうすれば、アーデルに会う口実が…いや、そうじゃねえだろ!」


自分自身にノリ突っ込みしてから、机から一歩引き下がってみる。腕を組んで、自分の公演のチケットを睨みつけてから、机に近づく。


「別に口実じゃない…友人としてこれは…そうだ。親切心だ。まぁ…僕にもたまには親切心はあるからな」


言い聞かせるように頷いてから、チケットを取ってみる。それを近くにあった鞄に入れアーデルの元に出かけようかと振り向いた瞬間、玄関の方からけたたましく扉を叩く音が聞こえた。


「おーい!!!セリオン!!!いるんだろ!ほら、エダン様だ!どっかいこうぜ!」


(くそ…また来やがった)


エダンはアーデルのストーカーを諦めて、何と僕のストーカーになった。

おめでとう!くそったれ!と言えば分かりやすいか。

一週間前、アーデルの元に送り届けた後、僕が家に帰ろうとするとエダンが何故か着いてきたため完全に無視して家に帰った所、僕のことを友人と勘違いしているエダンは、こうして毎日家に来るようになってしまった。勿論扉は一度も開けていない。僕が家に居る時間帯、早朝を狙ってやってきている。暫く何もしないで待っていると諦めて帰るのだが、今日ばかりは早くアーデルの元に行かないとならない。


仕方なしに扉を仏頂面で開けると、エダンは僕を見下ろしてからニヤリと笑った。


「お前が扉を開けずに一週間だ!よっしゃ!粘り勝ちだな」

「…………」

「よーしセリオン。何処か行く気にやっとなったか?適度に遊んだほうがいいということを俺は伝えたくてな」


僕は息を吸った。発声練習をする時のように長く長く。エダンが首を傾げた途端、全てを吐き出した。


「毎日毎日くそ野郎が!!!何なんだよお前は!?馬鹿か!?馬鹿なんだろう?強引にも程があるだろ!誰がお前と親しくなったって言った?言ってないよな?」

「……おお。落ち着けよ」

「落ち着けねえ!!!うるせえ!!!」

「今はお前の方がうるせえよ…」


エダンは耳を塞いで僕の声に耐えている。こちとら素人の劇団の役者じゃないんだ。声の大きさには自信がある。


「いいか。お前の扉を叩く音はそれほど雑音だった。僕にとってな。ただの知り合いの家に毎日来る奴がいるかよ。よし、分かったならさっさと帰れ」


僕は冷静になってから、本当は出かける予定だったがわざと扉を閉めようとする。しかしエダンは扉を手で掴んで制してきた。


「待てよ。確かに毎日来たのは悪かったが、何で一度も扉を開けなかったんだ?」

「は?人と関わるのが煩わしいからだ。特にお前のような輩とはな」

「アーデルから聞いたが、お前…劇団の役者なんだろう?それなのに人と関わりたくないって?どうしてだ?」

「何?まさかアーデルに会ったのか?……まぁいい。僕が役者をしているのは、人と関わりたいからじゃない。単純に商売として儲かるからだ。いいか?僕の場合は、特殊な話題ばかりを演じている」


この頭の悪い男に一度教えてやるのもいいかもしれない。どうせ働いてもいないのだから、この国がどのような話題を好み、民衆どもがどのような話に目が食いつくのかも知らないのだろう。


「人というものはな、不幸話が大好きだ。それか、特定の名声の持つ人物を攻撃する話題だな。勝手に民衆どもは周りと気持ちが同調した気持ちになって、そいつをそれ見たことか!と攻撃する。きっかけは何だっていい。自分の薄っぺらい正義感さえ披露できればな。はは。面白いだろう?」

「あー……それがいいのか?変わっているな」

「お前には分からないだろうが、人というものはそういうものだ。それと庶民は上にのし上がる話が大好物で、貴族は逆に他の貴族が落ちぶれる話が大好物だ。更に庶民は金の話題には食いつくな。後はくだらない不倫関係もか?男が浮気すれば女が、面白いほど怒り狂う。何にしろ、悪者を攻撃しろ!攻撃することで私たちの団結力を高める!とか何とか。此方から見たら「馬鹿」そのものだが、馬鹿な状態でいることが心底幸せらしい」

「セリオン。お前って結構人を見下すタイプだな?」


エダンはハハっと笑う。人を見下すも何も、民衆どもはいつも同じことの繰り返しで、そういった話題ばかり好んでいるのだから、見下す気持ちになっても仕方がないだろう。実際にお馬鹿な民衆どもしか居ないのは事実だ。


「まぁ、お前にはどうせ分からないだろうと思ったよ。少しは人を観察したことがあるか?いいか。まずは「目」を見ろ。目は人をよく現すからな。怒り狂った時の目、何かに同調した時の目、あれほど分かりやすい物はないな」

「目ねぇ…あっちの時はいつも女の尻しか見ねえからな」

「だから直ぐ尻の話題にすり替えるのはやめろよ!」


思わず突っ込みを入れてしまう。駄目だ。こいつと真面目な話題をしようとした僕が間違いだった。こいつはどうせ尻のことしか考えていない。


「もういい。分かったならそこをどいてくれ。僕はこれから出かけるんだ」

「ほう?アーデルの元に行くんだろ?俺も着いて行くよ。美しいアーデルに会いたいからな」

「……アーデルの元には行かない。練習場だ」

「俺を騙そうたって無駄だ。お前のそうだな…「目」は分かりやすいからな」


エダンは敢えて「目」を強調して話してくる。それにイラついたが、もうこいつは無視して出かけようと、扉から外に出てしっかりと戸締りをしてから、エダンの方を見ずに歩き出す。

しかしエダンは並行線で僕に着いてくる。


「アーデルに昨日会ったんだが、心底嫌われたようで、散々だったよ。あの女は中々一筋縄でいかないぞ?お前も狙うなら肝に銘じた方がいい」

「おい、着いてくるな」

「アーデルの美貌を、俺の手で暴きたかったんだがな…この俺が初めて無理かもしれないと思ったよ。大体粘れば女はいつか落ちるんだが…そう。この俺の顔を見ればな!ハンサムで金持ち、それにこの男らしい魅力…全てをアピールしても落ちない女は初めてだ」

「お前…本当に女で成功したことがあるのかよ?しかもお前の持つ金は、親の金だろ」


真顔のままエダンに突っ込みを入れると、エダンはやれやれと肩をすくめる。


「分かってないな。親の金だろうと何だろうと俺は有名な商人の息子だぞ?いずれは俺が親の仕事を引き継ぐことが決まっている。そうしたらすぐに商売人の道だ。今でも親の仕事の手伝いくらいはやっているしな。気が向いた時にだけだが」

「この先が安泰でよかったな。お前に商売の才能があるかは微妙なところだが」

「はは。俺にできないことはないぞ?頭の良さはまぁまぁだが、力には自信があるからな。実は武術もやっている。筋肉もついていて、顔もハンサム。更に将来は商売人だ。この男を選ばない女はいないだろう。まさに完璧だ」

「…ならさっさとお前の言う“将来”を始めたらどうだ?親の仕事を気が向いたときに手伝うのではなく、本気で商売やってみろよ」


この男にまともなアドバイスなど必要もないのかもしれないが、あまりにもこれは目に余る。こいつはいつも何も考えないで生きてきたタイプだろう。それに人生も心底楽しんできたに違いない。絶望を感じたこともなく。


「将来はもう少し先でもいいだろう?商売を始めちまったら女と思うように遊べなくなるからな。ほら。忙しくなるだろ?今が俺の男としての魅力が最高潮だからこそ、もっと女にアピールをするんだ」

「そんなことを言っているうちに、お前の言う将来はあっという間に来るぞ?行動せずに後悔するのは誰よりも自分自身だ。僕は民衆を利用した考えに誇りを持っている。誰よりも上手くやってきた。少しは僕を見習え」

「……セリオン、相変わらずお堅い奴だな?そんな考えで、毎日生きていたら息がつまらねえか?あーっ!苦しい!あーっ!という感じで、いつか死ぬかもしれねえぞ?」


エダンはわざと息が詰まったようなポーズをして、からかってくる。本当にこの男は真面目に話を聞かないやつだ。完全にエダンの言葉に無視をして、歩く速さを上げていく。エダンの声が後ろに聞こえたが、もうこいつのことは無視しようと決めてひたすらに前を見て歩き続けた。



アーデルの家に着くと、アーデルは丁度家の前に居て、体操するように両手を上に伸ばしていた。僕が声を掛けようとするよりも先に、後ろから僕に追いつくために走ってきていたエダンが、大きく声を上げる。


「おお!美しいアーデル!またお会いできましたね!!!」


アーデルは此方に振り向くと、僕の後ろに居るエダンを見て分かりやすいほど顔を顰める。

それから僕の方を見て「何で連れてきたのか」と言いたげな目で見てくるが、こいつが勝手に着いてきたのだから仕方ない。振り切ろうにも振り切れなかった。

僕は弁明の意味も込めて、アーデルに話し出す。


「…アーデル。久しぶりだな。実は話したいことがある。後ろの男は気にするな」

「…気にするなって言われても、気にするわよ…何?本当に友達になったの?」

「友達じゃない。この男が勝手に僕をストーカーしているだけだ」

「はぁ?ストーカー?このイカレ男は、誰でも付け回すのね」


アーデルは顔を顰めたまま、焦ったように手招きをする。僕がアーデルに近づいてみると、アーデルは後ろのエダンにぴしゃりと言い放つ。


「ここからは私の家の領地よ!貴方が立ち入ることは許されないわ!」

「そんな寂しいことを言わないでくださいよ、アーデル」

「駄目!これ以上来るなら叫ぶわよ!」

「…そうですか…分かりました。でしたらここで待ちましょう」


エダンはため息をついてからその場で静止している。アーデルは「よし」と頷いてから、突然僕の手を掴む。柔らかい感触が僕の手に伝わった。


(手が……)


アーデルの手は柔らかく、温もりが感じられる。アーデルは僕を引っ張って、家の中へと入って行き、扉と鍵を念入りに閉めると、アーデルは僕を見てニッコリ笑った。


「ほら、これであいつは来れないわ!セリオン、久しぶりね。それで話したい事って?」

「あー…僕の所属するエキストラ劇団が…庶民向けに明日公演をするんだ。それでもし都合がついて、暇だったらでいいんだが……その……」

「あら!それには貴方も出るの?もし出るなら行きたいわ。貴方の演劇、何だかんだ言っても新鮮で興味深いしね」


此方が言うよりも先に、アーデルは僕の公演を見に行きたいと言ってくる。それに驚いてアーデルを見上げると、アーデルは「何よ?」と首を傾げる。


「公演を観に来てってことじゃないの?」

「…いや、その通りなんだが…本当に観に来たいと?」

「ええ、勿論。貴方の演技内容は何であれ、実力は本物じゃない。貴方が最初に出会ったときに言った通りにね」

「ああ…そりゃそうだな。それならアーデルの歌も……良かったよ」


僕が最後の言葉をボソリと呟くように言うと、アーデルは一瞬目を見開いてから、ふふっと笑みを見せる。


「ありがとう。そういえば私の歌の感想聞いてなかったわね。どうかしら?貴族相手にも通用しそう?」

「十分通用するだろう。君の実力は素晴らしかった……一応言っておくがお世辞じゃないぞ。僕はお世辞が嫌いなんだ」

「ふふ、分かってるわよ。あなたは到底お世辞とか言いそうにないもの。嬉しいわ、セリオン」


アーデルを見上げると柔らかく笑っている。それに心臓が高鳴りそうになったが、何とか今までの女への恨みを思い出して自分を落ち着けると、咳を1つこぼす。


「これがチケットだ。明日平民区の中心地の公園で庶民向けの演劇を行う。僕が出る時間帯は、ちょうど昼頃だ。もし観に来るならその時間帯を狙って来てくれ」


チケットを鞄から取り出して差し出すと、アーデルは嬉しそうに笑顔を見せて受け取った。


「ありがとう。チケットまで用意してくれたなんて。別に当日に買ったのに…」

「僕が誘うんだから、チケットを用意するのは当たり前だ」

「嬉しいわ。それならフィオナちゃんも誘うわね。確かセリオンはフィオナちゃんのこと、招待していたわよね?」

「…そういえば、フィオナはあれからずっとアーデルの家に居るのか?」


すっかりと忘れそうになっていたが、そういえばフィオナはどうなったのだろうか。それを聞いた途端、アーデルは悲しそうに眉を寄せた。


「…ええ。でもずっと元気がないの。元気づけようとしても、お父さんがここに来るかもしれないって怯えている…だから貴方が演劇に誘ってくれて丁度良かったわ」

「…そうか。分かった。劇団の受付にはフィオナのことは話しておくよ」

「ありがとう。フィオナちゃんを元気づけるような演技待っているわね」

「……それは無理かもしれないな。僕の演劇内容は、あまり元気づける内容じゃない。不幸話を披露しているからな」

「でも不幸話でもこう…気分が入れ替わるかもしれないじゃない。貴方は人を惹きつけるような魅力を持っているし、この前もとても惹きこまれたわ…話題は何だっていいのよ。今その時を忘れられればね」


「今その時を忘れる」僕の演劇には確かに、そういう意味も込められている。人の怒りをわざと誘ったり、興味を惹かせることによってだ。下手な恋愛話よりも、怒りに任せる方が人の心は満たされ、現実を忘れるのだ。アーデルはそれを見抜いたのだろうか?

女など本質など何も分からないと思っていたが、アーデルだけは…この演劇の本質を見抜くことができるのかもしれない。僕の実話に笑っていたことは忘れられないが、それでも何故か賢い雰囲気を感じる。女のことを賢いと思うなど、初めてのことだが。


「そうだな。その意味でなら、忘れられない演劇をすることはできる」

「良かったわ。楽しみにしてる」

「ああ……なら、今日はこれで帰るな」


僕は笑みをアーデルに見せてから、戸締りしていた扉を開けて外に出ると、何故かエダンがアーデルの家の壁に耳を当てている。エダンが此方を見てニヤリと笑った瞬間、後ろのアーデルが悲鳴のように声を上げた。


「ああ!入らないでって言ったじゃない!何?それはまさか盗み聞き?」

「アーデルは怒っても美しいな……そりゃもうバッチリと。ここの壁は薄いですね。何かと困りませんか? 防犯には気を付けた方がいいですよ。危険な奴がいるかもしれないですし」

「あなたの存在が、危険そのものよ!!!」


アーデルが悲鳴を上げていると、エダンは笑いながら僕の方に近づいてくる。肩を無理やり組んでくると、小さく耳打ちしてきた。


「明日お前の劇団が公演をやるんだって?それにアーデルが来るなら俺も行くよ。バッチリ正装してきてやるからな」

「……別にお前が正装する必要はないし、お前は来なくていい。招待していない」

「当日券はあるんだろう?庶民向けだもんな。アーデルには俺が来ることは内緒にな。来なくなったら困る」

「アーデルが来なくなるって自覚があるなら、もう諦めろよ…」

「無理かもしれねえとは思ったが、諦めるのは俺のスタイルじゃない。よし。これは男の約束だぞ。分かったな?」


何故か勝手にエダンは此方に秘密にしておけという約束を押し付けると、肩を組んでいた手をパッと離し、アーデルにへらへらとした笑顔を向ける。


「せっかく友人のセリオンが演劇をやるなら応援のために、是非とも行きたかったのですが、あいにく明日は予定があります…アーデルが俺の分も楽しんできて下さい」

「あらそう!それは何て好都合なのかしらね。それよりも、もう私もセリオンも付け回すのはやめたらどう?どれだけあなたは暇なのよ」

「俺は意外と忙しいですよ?毎日武術の訓練もしていますしね…こう見えて力もあるんです。実は貴方に見せていない筋肉もほら……どうですか?せっかくだから見てみませ…」

「―――帰って」


アーデルは低い声でエダンに言い放つと、僕の方を見て手を振ってから、家の中に入って扉をピシャリと音を立てて閉めてしまう。エダンはゆっくりと此方に顔を向けると、一言呟いた。


「何が駄目だったんだ?」

「……さぁ。全部じゃないか?」


僕はもう何かを言うのも面倒になったため、一言だけ言ってからエダンの横を素通りする。

明日は公演だ。庶民向けのネタをやるのは久しぶりだが、きっと忘れられない演劇になるだろう。頭の中で演技の構成を考えながら、練習場の方向へ歩きだした。

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