第3話 愛するマリアよ永遠に
土を擦る車輪の音が遠くで聞こえる。ガタン、ガタンと不規則な振動が身体を襲い、鈍い痛みを感じる。振動と共に徐々に意識を取り戻した。
辺りを見ると、年齢が様々な男女数人がボロキレのような布の服を着て虚ろな目で座っている。自身の身体を見ると、縄で完全に縛られており身動きが取れないように馬車の席に括り付けられている。焦って縄を取ろうとすると、隣に居た男に声をかけられる。
「…やめておけ、無駄だよ」
隣を見ると、黒髪の男が虚ろな目で座っていた。男は俺と同じように縄で括り付けられており、あちこちに打撲跡がある。
「…これは…何なんだ?」
「お前は今から奴隷に昇格だ、この俺もな。そして周りにいる奴らも全員奴隷さ」
「……奴隷……」
ああそうだ。思い出した。俺はマリアを見て真相を知って……それからは覚えていない。
「そんな顔するなよ、俺たちは騙されたんだよ。まぁお前がどうやって騙されたかは知らないけどな。大方この馬車は道中で“商品”を回収しているんだろう」
「…っなんでこの状況で冷静でいられるんだ!?」
「…さあな。もう諦めたからかもしれねえな」
男はそう言ってから興味をなくしたかのように、黙ってしまった。
…奴隷商売。この国の裏に確かに存在する「違法商売」だ。詳しくは知らなかったが、今回のことではっきりした。マリアはそれに関与していた。そして俺はまんまと彼女の策略に騙されたというわけだ。どれだけ彼女は俺のことを間抜けと思いながら過ごしていたのだろうか。彼女が心底面白そうに笑っていた理由が分かった。
もう今となっては、気づいたところで全てが遅い。怒りすら湧かない。これは絶望だ。
ただただ自身を襲う絶望感……言葉にすることすらできなかった。
「…っぐす……うっ……」
突然女の泣き声が耳に入る。目の前の小さな少女が泣いていた。あんな小さな子供ですら、商品にさせられたのか。その少女の隣に座っていた赤毛の女が必死に慰めようとしている。
泣き声で包まれていた馬車内は、何処からか聞こえた男の罵声によって静まり返った。
「黙れよ!!!さっきからぐずぐずうるせえよ!!!俺たち皆同じだろ!?奴隷だよ!奴隷!ああ……ただ“女”は別か!ベッドに座ってただ待ってりゃいいもんな。ご主人様が可愛がってくれるだろうよ、男と違ってな!」
三つ隣の男が興奮したまま叫んでいる。見ると小柄の男だった。目は危険な薬でもやっているかのように、ギラギラと不自然に輝いている。
男の怒声に、少女はさらに大声を上げて泣き始め、隣に居た赤毛の女は負けずと大声を出した。
「―――っ何ですって!?女はベッドに座ってりゃいいですって!?よくもこの状況でそんなこと言えるわね?!」
「そうだろう!?女はただベッドに座って男が満足するまで“ご奉仕”してりゃいいんだろ!?男は肉体労働だぞ!?食事も与えられずこれから地獄が待っている。女は満足するほど食事が与えられるかもしれねえがな!男を喜ばせる身体にならなきゃいけねえもんなあ!?」
「……っな!?まさか貴方…男ばかりが苦労すると思っているの!?」
赤毛の女は唖然として、口をパクパクさせる。何でこいつらはこの状況下で女はどうだだの、男はどうだだの話しているのだろうか。
そんな話をした所でどうしようもないじゃないか。ここの全員が“奴隷”だ!
今縄に縛られて、商品として売られようとしている。その状況下でよくそこまでくだらないことを話せたものだ。うるさくて、たまらない。人の声すら今は聞きたくなかった。
気づけば、俺すらも大声を出してしまっていた。
「何なんだよお前らは!今ここで、男と女どちらがより苦労するか何ていう解決もしねえ馬鹿みてえな話をしている場合か!?奴隷なんだぞ!?俺たちは………もう逃げられねえ奴隷なんだよ!!!」
「でもこの男が言ってきたのよ!?」
「知らねえよ!そんなこと!二人とも黙れ!もう……俺たちはおしまいなんだ」
俺がそう言うと、言い合っていた二人とも押し黙ってしまった。ガタンガタンと馬車の車輪の音が無機質に響く。外は見れない。完全に布で覆われてしまっているからだ。息苦しい空気が馬車内に漂う。
馬車がどこかに乗り上げたような感覚がしてから、ガタガタガタと揺れる感覚が強くなる。隣の男がボソリと呟いた。
「…今は橋の上だな」
「分かるのか?」
俺が男を見ると、男は軽く頷いた。まるでこのような状況を今までに経験したことがあるようだ。しかし男は再び押し黙ってしまったため、俺もそれ以上追及はしなかった。
暫く揺れる音が続いてから、突然馬の鳴き声がけたたましく聞こえた。それと同時に、馬車が大きく揺れる。自身に繋がれた縄が大きくきしんだ。
「きゃー!!!」
前に居た赤髪の女性の悲鳴が上がり、周りに居た全員が大きく声を上げる。この感覚は…馬車が大きく傾いている!隣に居た男の話が真実だとすれば、橋からこの馬車は落ちているんだ!隣の男が悲鳴のように声を上げた。
「くそっ!!!最悪だ!皆、自分の縄に掴まれ!!!ここまで来たら賭けるしかない!!!自分の命を信じるんだ!」
男の声と共に全員が咄嗟に縄を掴む。赤髪の女性は何とか隣の少女を守ろうとしている。しかし大きく馬車は傾き、空中を落ちているような感覚が襲う。ここがどれだけの高さの橋なのかは分からない。だがこのままだと恐らく全員が助からない。
俺は目をつぶって、ただ自分の命の無事を願った。このままだと死にきれない。あの女に騙されたままで、俺の命は簡単に終われそうにない。
神よ、今まで貴方を信じたことはなかったが、もしもいるならば、どうか俺の命を助けてくれ!あの女をこのままにはしておけない!どうか……俺に復讐をさせてくれ!!!
俺が目を瞑りながら必死に祈ると、大きく何かにぶつかるような音が聞こえたと同時に、意識を完全に失った。
鳥のさえずり音が遠くで聞こえる。ここは何処なのか、あの世かこの世かそれすらも分からなかった。ただただ全身が痛い。痛みを感じるということは……まさか俺は生きているのか。
倒れこんだ上に重みを感じる。暗くて何も見えなかった。しかし手足は動かせるようだ。ゆっくりと這いずりながら前に動く。徐々に光が見えてきた。
(あと…少しだ!)
全身が酷く痛かった。だが身体を動かせない程ではない。何とか木片の隙間から顔を出すと、草が見えた。草をしっかりと両手で掴み這い上がるように身体を引きずった。何とか全身が地上に出てから、後ろを振り返る。
「……っうっ……」
直ぐに前を見た。辺りが血まみれだったからだ。それと馬車のような破片から人の手のようなものが沢山見えた。辺りを見回しても俺以外に人の姿は見えない。咄嗟に上を見た。遥か上に橋のようなものが真っ二つに割れてぶら下がっているのが見える。これ程高い場所からこの馬車は落ちてしまった。助かるはずもない。なのに何故、俺だけほぼ無傷で助かったのか。前に馬車に繋がれていたであろう、馬の死体が見えた。恐らく馬を操っていた者の死体も傍に……
「……っくそ……こんな……」
後ろはもう振り返れなかった。地面を叩いて必死に込みあがる吐き気に耐える。妙な血液の匂いが鼻についた。何とか立ち上がってから、足を引きずるように歩く。自分の足を怪我したようで血まみれになっていた。だがそんな自分の怪我どころではない。これほどの事故で人が俺以外死んだ。隣の男も、前の少女も女も、騒いでいた男も全員………
現実味を感じなかった。現実だと思いたくはない。俺は前だけを見た。泣きそうだった。でも泣くことすらできなかった。
全て、全てはあの女……マリアが原因だ。
いや、マリアのような奴隷商人に商品を引き渡す仲介者全てが!そうでなければこの人たちは死ななかった。落ちるとき、咄嗟に俺だけの命を神に願った。全員の命を願えばこの人たちは助かったのだろうか?……いや、あの時は俺だけのことしか考えられなかった。恐らく全員それぞれがそうだろう。そして俺だけ神に願いを聞き入れられたことになる。
このことが意味する意味は何か?俺にだけ復讐する機会を与えられたということだ。
この世界が、俺にチャンスを与えたんだ。
足を引きずり続けた。意識が再び朦朧としてくる。男の声が遠くで聞こえた。
「……っ大丈夫か!?」
その声と同時に、俺は再び倒れこんだ。意識はもう保っていられなかった。
花の香りがする。この匂いはマリアからいつもしていた匂いと同じだ。今ではこの世で最も最悪な匂いとなってしまったが。少しずつ目を開ける。高級そうな天井が視界に映った。
身体をゆっくりと起こすと、高価な家具が揃った豪華な部屋が見える。
(ここは……何処だ?)
朦朧とする視界のまま、俺は自身の身体を見た。高級な質の服を着せられて、足には包帯が丁寧に巻かれている。これが意味することは、俺は誰かに助けられたのだろうか?
「おや!?目を覚ましたかね?」
声のした方を勢いよく見る。豪華な服を着て背筋を伸ばした老人の男が立っている。目は優しそうに笑っていた。しかし一体どういう人物か検討もつかない、俺は咄嗟に身構える。
「大丈夫だ…安心していいんだ。怪我をしていた。君は……ああ、あの事故は本当に悲惨だった。私の孫が君を見つけたのだよ」
「……貴方が…助けてくれたのですか?」
掠れた声で老人に話す。思ったより声が出なかった。老人は優し気な瞳のまま何度か頷いた。
「正確には私の孫がだがな!血相を抱えながら君を抱えて走ってきたとき、私は心臓が止まるかと思ったよ。老いぼれにはそういうことは心臓に悪いからの」
そう言って、老人は自分で愉快そうに笑っている。老人は静かに俺に近づいて、ベッドの横に合った椅子に腰かけた。
「…さて、聞かなければならないな。君の乗っていた馬車について」
「……あの馬車は…」
「ああ、分かっているとも。奴隷達が乗っていた馬車で間違いないね?」
俺が小さく頷くと、老人の目はゆっくりと細められた。
「……そうか。すまないね。実は君に確認せずとも分かっていたんだよ。あの馬車には我々にとって大切な人が乗っていたはずだからね」
「……大切な人?」
俺が聞き返すと、老人は両手を握りしめたまま、首を横に振った。
「…もう一つ君に聞きたい。黒髪の男で、落ち着いた態度の男が居たはずだ」
老人の言葉ですぐに思いつく。隣に座っていた男……奴隷の立場だというのに、妙に落ち着いていた。
「…居ました。俺の隣に…黒髪の男でした。あんな状況で最後に馬車が落ちるとき、俺たちに指示したんです。自分の命を信じろと…」
「……ああ、そうか。やはりそうだったか……手違いで乗っていなければ良いと思ったが…」
老人は押し黙って、静かに涙をこぼした。あの男は、それほど老人にとって大切な人物だったのだろうか。俺が何と言えばいいか迷っていると、老人はゆっくりと顔を上げた。
「すまないね。彼は我々の調査に協力してもらっていたのだよ」
「…調査?」
老人はそう言ってから、立ち上がってこちらに背を向けた。窓の方へ静かに歩き、淡々と語りだす。
「君に教えるべきかは分からないが、君は知りたいだろう。だが他言はしてはいけないよ、絶対に」
「……何か、重要なことなんですか?」
「ああ、そうだ。今から話すことは、決して他人には言わないと約束できるね?」
老人は振り返った。先ほどの優しい目つきとは打って変わって射貫くような真剣な目つきに思わずたじろいでしまった。俺がようやく頷くと、老人はまた優しい瞳に戻った。
「我々は、とある理由から、この国にはびこる奴隷組織の裏を探し続けている。むろん秘密裏にな。ここアラルド王国にある奴隷組織はたった1人の人物から成り立つことまでは突き止めた……しかし一向にその人物にたどり着かない。彼らの拠点が何処なのかすらもね」
「何故…探しているのですか?」
「1つは正当な裁きを受けさせて、君のような被害者を無くすためだよ。他の理由もあるが……それは私たちの家に関わっている問題だ。そして君の知った黒髪の男は我々のためにようやく馬車に乗りこめた人物なのだ…潜入調査をして、彼らの本拠点を突き止める。それが彼の目的だった……だが…」
そこまで老人が語ると、突然部屋の扉が開いて、男が入ってきた。絵画に出てくるような端正な顔立ちをしており、金髪で、背は自分よりずっと高かった。どこか焦ったような表情で俺を少し見てから、すぐに老人の方へ向き直った。
「閣下。ご報告があります」
「ここで良いぞ」
「…しかし…」
「怪我をした彼にはどのみち協力してもらうことになるかもしれない。話しなさい」
老人が言うと、ようやく男は諦めたかのようにため息をついた。
「…わかりました。あの橋を調査したところ、不自然に細工された跡が数か所ありました。閣下がお話された通り…我々の潜入に気づかれた可能性が高いかと思います」
「やはり…そうだったか」
「…っ申し訳ありません。馬で慎重に奴隷馬車を追跡していたつもりでしたが、奴らは簡単に見破った。まるで…我々が潜入することを分かっていたかのように。奴らは下劣だ。商品…つまり人の命よりも、我々に調査させないことを選んだのです」
「……報告は分かった。潜入に気づかれたことにより、今後はより慎重に事を進める必要がある。さて…いいかね?私の名はカーティス・ベアリング。そしてこの態度が堅苦しい男が、君を助けた私の孫、クロード・ベアリングだ。簡単な自己紹介だよ」
突然こちらに振られたため、咄嗟にどう返すべきか悩んでいると、老人は愉快そうに笑った。
「…こういった自己紹介には慣れていないかね?」
「……ああ…えっと…俺はセリオン…です」
とりあえず自分の名前を返す。老人がわざわざフルネームで名乗ったということは、この男たちは貴族だろう。平民の間では普通フルネームは使わない。
貴族のことには詳しくはないから、この男たちが果たして有名な家系がどうかは分からない。カーティスが紹介した、俺を助けたという孫の方を横目で見てみると、孫は丁寧に礼をした。
「私はクロード・ベアリングだ。先ほど話した通り、我々のせいで君を事故に巻き込んでしまったことになる。すまなかった…といってももう遅いかもしれないが」
「…いや…貴方が俺を助けてくれたと聞きました……ありがとうございます」
とりあえず礼を言う。お貴族様には、盾つかないのが平民たちにとっての正解だ。
クロードは頷いてから、眉間にしわを寄せた。
「君の乗っていた馬車は…君以外全員…亡くなっていた。馬車に乗っていた正確な人数は分かるか?」
「いや、あまり…俺もあの時は動揺していて…ただ横に乗っていた男と喧嘩していた男女、前に座っていた少女なら覚えています。他にも数人くらいは居たかと…」
「…そうか。彼らの身元が分かればいいと思ったのだが。我々が彼らの親族に罪を償う必要がある」
「何だって?償う?」
話していた通りの内容だとすれば、奴隷商人側が貴族の潜入に気づいて橋を故意に落としたことになる。確かにきっかけは貴族たちのせいだったかもしれないが、明らかに悪いのは奴隷商人だろう。
「…我々のせいで彼らを巻き込んだ。そして君もだ。私が金銭的にですまないが、保障しよう」
「待ってくれ、転落事故は貴方が起こした事故ではなく、奴隷商人側のせいなんだろう?それに俺は…そのせいで奴隷になる前に解放されたんだ」
貴族のあまりの正直な正義感に面食らってしまった。貴族と下手な関わりを持つと、後から平民側が責められるかもしれない。しかしクロードは納得いかないのか首を振る。
「君は我々のせいで死ぬところだった。それに私が気づかれずに馬車を追跡できていれば、いずれ君は助けられただろう。首謀者さえ捕まえれば奴隷制度はなくなる。だからこそ我々に保証させてくれ」
「あー……そこまで言うなら…」
部屋の中を見渡して、適当な物を頂こうかと思考する。今は一文無しだからこそ、すぐに自分にとって役に立つものを考えたところ、ある物で目が止まった。目を見開いて“それ”を一心に見つめる。
あれは……あれはマリアが散々探していた宝石の首飾りじゃないか!?
俺はゆっくりとベッドから立ち上がって、驚くクロードとカーティスの間を通り過ぎ、その首飾りに吸い込まれるかのように、歩き出す。
その首飾りは壁のショーケースに飾られていた。赤色の輝きを持ち、マリアの書いた説明と姿形がそっくりだった。書籍に出てきた話とも完全に一致する。
俺は首飾りに手を伸ばしながら、やっとの思いで声を出した。
「これは………この首飾りは……」
「何かと思えば、そのジョークアイテムが気になったのかね?ほっほ!目の付け所が違うな」
カーティスは笑いながら、俺の隣に立つ。すぐに懐から鍵を取り出して、ショーケースから首飾りを取り出し、自然と俺の首にかけた。
「なかなか似合っているの!気になったということは、その首飾りの逸話を知っているのかね?」
「……人を操ることができるんですよね?」
「そうだ…ほれ!踊りなさい!」
カーティスは俺に命令するかのように言葉を放ったが、俺はそれが貴族式命令なのか、単なるジョークなのかわからなくなる。困惑した様子に気づいたのか、カーティスは再び腹を抱えて笑った。
「ジョークだよ!ジョーク!その顔は中々…それにしても君はよくあのおとぎ話を知っていたね。これは妻が、話に出てくる首飾りのレプリカを特別に作らせたものなのだよ。噂が噂を重ね、さも現実にあるかのように思わせた…この罪深い首飾りをね」
「…これは単なる人の噂話だったのか」
「おっ?君もこの首飾りの力を信じたのかね?もしもそんな物があれば、権力者を操れば何でも思いのままだろう!例えば…この私とかね」
そう言ってからカーティスは片目をつぶる。それも老人なりのジョークだったのだろう。再び自分で自分のジョークに大笑いしている。
しかし俺は別のことで頭がいっぱいだった。マリアに騙され俺は奴隷商人に売られた。その後助けられた貴族の屋敷でマリアが探し求めていた、首飾りを見つけた。マリアはただの妄想癖女で、この世に絶対に存在しないものを必死に金までかけて探していた。
そして、今目の前にその首飾りの「レプリカ」がある。これが意味することは…
(―――復讐だ。マリアに復讐する機会をこの世界は与えてくれた)
頭の先から、復讐の為の計画が全身に流れ込む感覚が襲う。
これで……これでマリアを……!
(ははは!!!恐怖を与えながらぶっ殺すことができる!!!あの蔑んだような目を、目を!!!もう二度と開けられねえようにしてやる!!!)
俺は笑みを抑えきれずに、自身にかかった首飾りを力強く掴んだ。冷たい宝石の温度が肌に伝わった。
「……保証はこの首飾りがいいです」
「おや?こんなものがいいのか?ほとんど価値はないぞ。妻も存在を忘れているくらいだ」
「…はい。でもこれがいいんです」
はっきりと伝えると、カーティスは首をかしげる。後ろで聞いていたクロードが俺の隣に立った。
「そんな玩具がいいのか?それは見たところ安物で出来ている。保証にはならないだろう。金は別で用意しよう」
クロードという男はどこまでも自分の正義感としての「保証」を押し付けないと気が済まないようだ。そこまでお貴族様が保証したいというのなら、貴族の意見を聞いておくことが賢明かもしれない。
「…分かりました。なら“これ”と、貴方が思う金額でいいですよ」
「よし、直ぐに手配させよう。さて、まず私が聞きたいことは君を売った仲介人の存在だ。それは誰か分かるか?一刻も早く捕えなければならない。徹底的に尋問をする必要がある」
クロードの真剣な表情を見て、一瞬のうちに思考する。
俺を売ったマリア…偽名かどうかは今となっては分からない。だがあの屋敷の場所は、マリアの真実の居場所で間違いないだろう。
そしてこの国の貴族制度では、貴族は無条件に罪を犯したとしても「法」に守られている。
例えこの男に真実を、マリアの居場所を伝えて最終的にマリアを捕えることになったとしても、必ず金の力でマリアは牢獄から解放される。
そうなってしまえば、俺がマリアを殺せない。マリアも罪を償わない。
……今から行うことは、マリアが贖罪する機会を与える俺からの贈り物だ。
「…覚えていないんです。全く…姿は見えない誰かに眠らされて、そのまま…」
「…っくそ!そうか…」
クロードは悔しそうに表情を歪めた。貴族が一体奴隷商人と何の因果関係があるかは知らないが、よっぽど奴隷商人と何かがあるのだろう。
クロードは首を少し振って、ため息をついた。
「……安心していい、君への金は手配させよう。これで失礼する」
バタバタと足音を立ててクロードは去っていった。それを見たカーティスがやれやれと肩をすくめる。
「仕方ない奴だの…あやつは堅苦しいだろう?君にとってはどうかね?」
「……正直に言えば、貴族はああいうイメージが強いです」
「ほっほ!そうか!」
カーティスは再び笑ってから、首飾りを付けた俺を見て一言呟いた。
「君がその首飾りを選んだということは、君にとって今必要な物だったのだろう…その首飾りは思いもしなかった方向へ君を変えるかもしれないぞ?」
「……は?」
咄嗟に聞き返すと、カーティスはニコニコと笑ったままだった。まさかカーティスは俺がこれからマリアに復讐しようとしていることに気づいているのだろうか?しかしこの温厚な老人からは微塵もそうだとは思えない。
「そう、深く考えることはない。ただ…そうだな。私自身が孫へ言えないことを君に言わせてもらおうか。君の経験はまだ浅い。これから沢山のことを経験していくだろう。君の人生で君が何を思い、何を感じ、何を見たか。鮮明に記憶していくことは難しい。いつか自分の信じていたものさえ分からなくなる時がくるかもしれない。だが…必ず答えは自分の中にある。そう信じなさい」
カーティスの発言の意味は分からないが、老人は時々人生的な知識を言うことがある。長く生きたものにしか分からない知恵を披露したいのだろうか。
カーティスは俺の反応に笑いながら俺に肩を置いた。
「ほっほ!君にはまだ早かったかな?いやもう十分だろう!今日は喋りすぎたな、若者が来るとどうにもお節介が働いてしまう。誰か君のために係を呼んでこよう。君は何日でもこの屋敷で休んでいいからの」
カーティスは笑顔のまま、部屋から出て行った。カーティスが居なくなったのを見計らって、俺は近くに合った豪華な鏡に向かって自身の姿を見る。
服は貴族に着せられ高価な服ではあるが、目はやつれ、顔色は蒼白だ。そして不自然に光る首飾りを身に着けている。
マリアへの復讐のためには、貴族の言う通り身体を休め念入りに準備をする必要がある。
俺はもう一度首飾りを掴むと、俺自身に決意した。
必ず……必ず復讐をやり遂げると。
それからは一瞬だった。俺はカーティスの屋敷で一週間ほど休み、怪我で失った体力を癒した。その途中で部屋から抜け出しては屋敷の召使の女に、新たに自分で描いたマリアの屋敷までの地図を見せて屋敷にいる人物がどのような家系の人物か、念入りに聞き出した。
まずマリアの名前は偽名ではなかった。マリアの実名は、マリア・カーライル。貴族間では有名な家系らしい。…悪い意味でだが。マリアの父と母が何か悪い輩と絡んでいるのではないかとの噂だ。マリアは1人娘であり、父と母に激愛されている。
マリアは我儘放題に育ったせいで社交界での評判は最悪、彼女は元々どこかの貴族と結婚が決まっていたのだが、自分が気に入らないという理由で断った。
それから彼女はさらに社交界での立場は危うくなり、自分でも気づいているからか、裏で自分の評判を上げるための取引をしているらしい。
何故ただの召使がそこまで詳しいのかそれとなく聞いてみたが、召使の女はあいまいに笑って、「この屋敷にいると、色んな情報が入るのですよ」と笑っただけだった。
もう少し情報を聞き出すため、クロードから貰った金貨の中から金貨を一枚取り出すと女は微笑んで屋敷の中がどうなっているかまで教えてくれた。
構図を描いた地図まで書きだしてから、召使の女は再び「実は、マリアお嬢様の元で働いていた経験があるんです。ベアリング家の皆様には内緒ですよ」と悪戯気に笑って去っていった。
女はマリアの部屋にまでどう行けばいいか、どうすればカーライル家の私兵に見つからないか、事細かく教えてくれた。普通の召使として働いていれば、分からないようなことまでだ。女の正体は盗賊か何かかと思うほどに。
だが、おかげで必要な情報が全て手に入った。あとは簡単な舞台を演じるだけだ。
カーティスに礼を言ってから屋敷から出てきた。カーティスは馬車で家まで送るとまで言ってきたが、丁重にお断りをして、鼻歌を歌いながら俺はマリアの屋敷に向かっている。
カーティスから、貴族の地域に自由に入っても良いと「特別なバッジ」を貰った。
それを衣服に身に着けていると、平民でも無条件で貴族区間に立ち入りできるらしい。
何故カーティスが俺にここまで良くしてくれたかは分からないが、自分にとっては好都合なことばかりであった。
自然と笑みが出る。豪華な衣服を身に着けて堂々と貴族区間を歩いていると、ちょっとした貴族気分だが、何もそれで盛り上がっているわけではない。俺が今考えていることはマリアのことだけだ。
マリアをどう殺そうか?カーティス家の厨房から拝借したナイフで刺すのもいい。そして彼女の苦痛に歪める表情を最後まで見下ろしながら観察しているのもいいだろう。
これから人一人殺そうとしているのに、気分は高鳴って仕方なかった。マリアの屋敷までずっと歩くと、マリアの屋敷に着いた頃には夕方になっていた。
(まだ早い……)
人目につかない場所を探して、草むらに身を隠す。懐に在るマリアの探していた首飾りを取り出すと、ほくそ笑む。
(今夜は俺にとって最高のショーになる。ずっと演じたかったことを…できるのだから)
自分に酔っているのだろうか?笑みが出て仕方ない。彼女の苦痛の表情を想像すると、心臓が高鳴りだす。早く…早く、早く!彼女を殺したくてたまらない。高鳴る心臓を抑えて、俺は夜がくるまでひたすら待った。
一刻、二刻と過ぎ、辺りが闇に包まれたころ、ようやく俺は草むらから立ち上がった。
無言のまま、彼女の屋敷の裏口に忍び込む。マリアと駆け落ちするために行った場所だ。
カーティス家の召使の女は「入るとしたら裏口からだよ」と教えてくれた。普段鍵は閉まっているが、横にある木の一か所を引っ張ると、扉が開く仕組みになっているらしい。女に言われた通りの場所を掴んで引っ張ると、扉は音をかすかに立てて、ゆっくりと開いた。
一歩、足を室内に踏み入れる。前に入った時とは打って変わって部屋の中は蝋燭の灯りが数か所ついていた。なるべく音を立てないように足を進めると足に何かにぶつかる。
俺は咄嗟に置いてあった燭台を取り、床を照らす。
「…………」
そこには無造作に床に捨てられたドレスがあった。でかでかと「廃棄」とまで書かれた紙まで添えて。
一番上にはマリアと駆け落ちの約束をした時の、マリアが着ていたドレスが見える。ドレスを手に取ると、下にはその前に会ったときのドレスが、また下にはその前のドレスが順々に置いてある。そして最後には最初に会った時の白いドレスがあった。
マリアと会ったときのことは鮮明に覚えている。彼女の服は会う度に違うドレスだった。
俺はマリアを一心に見つめるうちに着ていた服まで二か月分覚えている。だからこそ…この廃棄場所に置かれたドレスは全て、俺が会った時にマリアが着ていたものだということが分かった。
まるで汚いものを捨てるかのように、無造作に置かれている。
それだけではない。ドレスの横には俺が殆ど無い給料からプレゼントした簡単なアクセサリー類が無造作に散らばっている。その中に人形劇のネタのため、マリアに似ていると思って購入し、マリアにプレゼントした布の人形が落ちていた。
ゆっくりと拾い上げて、布の人形の首を力強く持つ。
「……そうか」
人形を見つめて、人形と目が合う。俺は人形に向かって作り笑顔をしてみせた。人形は何も話さない。
笑顔だ、笑顔が次々とあふれ出る。俺は人形を持ったまま再び歩き出す。人が通りづらい区間を召使の女は教えてくれた。そこを堂々と歩きながら、笑顔を崩さない。マリアの部屋の前に居る見張りの交代時間まで女は教えてくれた。俺はただその時を待った。
交代時間が来ると、部屋の前に居た見張りはどこかに行ってしまう。交代までのわずか1分間、これがマリアの部屋に入るチャンスだ。
静かに扉を開き、マリアの部屋の中に入る。
(……居た)
マリアだ。奥の方でマリアが机に向かって椅子に腰かけて、何かを熱心に書いている。その表情は遠く離れたここからでも分かるほどに、笑顔だった。
俺は笑顔を崩さず人形を持っていた鞄に隠して、ゆっくりと忍び寄る。マリアはようやく人の気配に気づき俺を見ると、まるでこの世の者ではないものを見たかのように、目を見開いて軽い悲鳴を上げた。
「……っ!?なぜ貴方が……っ…私兵!部屋に……」
「落ち着いてください、マリア様」
俺は丁寧に礼をしてみせる。彼女は俺が何も襲い掛かっていないことに疑問を思ったのか、眉をしかめる。
「……どうやって逃げてきたというの!?」
「それはマリア様のご想像にお任せいたします。驚いたんですよ?貴方のサプライズは…僕にとってね」
「……どういうこと?」
俺は、懐から首飾りを取り出した。宝石が不気味な赤色に光り、マリアは一瞬見惚れたように首飾りだけを見つめた。
「…それは…!?何故貴方が持っているのよ!?」
「僕もまた貴族と関わりが合ったとでも言いましょうか。貴方にはずっと隠していましたが、秘密裏にこの特別な首飾りを探していたんです。貴族の協力者の力を借りて…貴方にお渡しするために。僕はそれほど貴方を愛しているのです」
俺は礼をして、彼女にそれを差し出した。彼女の手は震えて、首飾りを受け取る。
本当にこの世に存在していると思い込んでいるようだ。彼女は笑みをうっすら浮かべる。
「……本当に貴方は馬鹿ね。あんなことをされたというのに、それでも私が好きなの?」
「ええ、そうです!僕はマリア様の…貴方のお傍に居たいだけだ。その願い、首飾りをお渡しすることによって、叶えてくださいませんか?」
「…まだこの首飾りの出所が信じられないわ。偽物かもしれないじゃない」
マリアは見惚れたように、首飾りを一心に見つめているがそれでも尚疑い深いようだ。
俺はカーティスから貰った、衣服の胸に着けた特別なバッジを指さした。
「これを見てください。本当に僕は貴族と関わりがあるのですよ?平民でも…特別に」
「なぜ貴方ごときがそれを!?」
マリアは突然立ち上がった。ゆっくりと俺に近づいて、そのバッジを見つめる。彼女からはいつもの花の匂いが香った。
「…本物ね、なら本当に貴方は…」
「そうです。貴方の家系には直接関わりはありませんが。僕は平民地区の中で、貴族に任命されたスパイなのです。お判りいただけましたか?」
「スパイ?貴方が?とてもそうは見えなかったけれど…」
「おや?どうしても信じられないというのなら、貴方にあげた首飾りの力を僕で試してみてはどうでしょう?何でもいいです。僕に命令してみては?」
彼女は眉をしかめた。俺は彼女の首飾りを俺にかけるようにというジェスチャーまでして見せる。彼女は半信半疑の表情で、ゆっくりと俺に首飾りをかけた。彼女にかけられた首飾りをつけられた途端、俺は口を閉じた。顔は無表情になり、手は力を無くしたかのように“演じる”。まるで催眠術にかかったかのように、ぴたりと身体の動きを止めて見せた。
彼女は俺の反応を見て、恐る恐る口を開いた。
「…何よこれ、本物なの!?……本物だと言うのなら、地面に這いつくばって犬にでもなるといいわ」
(―――犬か)
何とも彼女らしい。マリアにとって俺たちは犬同然なのだろう。俺は何も言い返さず、地面に這いつくばった。その瞬間、マリアはびくりと身体を揺らした。
俺は犬に完全になりきった。彼女の周りを地面に這いつくばりながら四つん這いになって動き回り、犬特有の呼吸音までして見せる。彼女の表情は歪み、俺を唖然とした表情で見つめる。
「…っこれは…」
そろそろこのお笑いじみた演劇から解放してくれないだろうか。彼女の次の指示を演技しながら待つ。彼女は首を振ってから呟く。
「もうやめていいわ」
その瞬間、俺はそのまま動きをぴたりと止める。彼女は驚いた顔をした後に、次々と命令し始める。その場で美しく踊れ、愛の言葉を囁け、私を美しいと言え、彼女は思いのままに俺に命令し続ける。完璧に演じたことによって、本当に首飾りの効力が本物だと彼女に信じ込ませることに成功した。最初は引いていた彼女も次第に調子に乗って、笑い出す。
「あら!本物ね!本物なのね!」
箱入り娘のお嬢様は、簡単に演技に騙された。彼女は笑みを浮かべた後、息をついた。
「…本物だということは分かったわ。ほら、早く首飾りを返しなさい」
俺はその命令で、ピタリと動きを止めた。そのまま首飾りに手を伸ばした直前で、手の動きを止める。マリアは訝し気な表情をする。
「聞こえなかったの?早くその首飾りを取りなさい」
俺の手は首飾りから、肩にかけていた鞄に向けられた。鞄からマリアにプレゼントした人形をゆっくりと取り出す。
そして彼女の目の前で人形を持ち上げて見せると、無表情だった表情を笑顔に変えて俺はマリアにそっくりな人形の首に力を込めた。
人形は簡単に首が取れて真っ二つになる。彼女の目の前で綿が出た人形が無残に割れて床に落ちた。彼女は眉をしかめた。
「……何よ、そんなこと、命令してな…」
もう駄目だ。我慢の限界だ。俺は高らかに笑って見せた。彼女は目を見開いて俺を見つめる。
「もう分かったでしょう?そんな首飾りは存在しないこと……なぁ、お前にこれから起こることを想像できるか?」
彼女は一歩後ずさった。首飾りが偽物だったということにようやく気付いたのだろう。マリアは咄嗟に見張りを呼ぼうと声を上げようとする。
「…っ…!!!んぐっ!?」
彼女を両手で床に押し倒し、彼女の口を手で塞いだ。力を込めて完全に塞ぎ、彼女に声を上げる隙を与えさせない。彼女は逃げようと抵抗した。しかし鞄からナイフを取り出すと、彼女の目の色は恐怖に変わった。
「んーっ!!!」
彼女は何とか声を出そうと、俺の手から逃れようともがき続ける。俺は取り出したナイフを見つめて、首を振って床に落とした。カランと金属音が微かに音を立てる。
「こんなものじゃ生温いよな?俺の手で、殺してやりたかった。俺の両手で、お前を殺してやるよ!!!」
彼女の首に手をかける。徐々に力を入れると、彼女はもう声を出すことすらできない。
「全てお前が悪いんだ!全部……全部だ!!!お前が俺を裏切った!その罰をお前は受けなきゃならないことは分かるよな?ははは!声も出ないか?俺に謝りたいか?そうだよな?な?お前の罪は一生晴れないぞ?死ぬまでな!だから……」
俺は息を吸った。彼女の目から涙が零れ落ちた。俺は最高の笑顔を見せてやった。
「俺のために死んでくれ!!!」
彼女の首に最後の力をかけた。彼女の目の輝きは徐々に無くなり、身体の力を無くしていくと、目を見開いたまま動かなくなった。
俺は荒げた呼吸を整える。彼女の呼吸は完全に止まっていた。それを証拠にピクリとも身体を動かさない。
俺はゆっくりと首飾りを自身から取り外し、彼女の首にかけてあげた。
「僕からの…最後の贈り物ですよ、マリア。ずっと貴方が求めてやまなかった、首飾りを貴方の胸に…」
立ち上がってから、入り口の扉を見つめる。あれほど騒いだということに見張りが来る気配はない。見張りの交代期間の間で何かあったのかもしれない。どこまでも俺にとって好都合なことばかり起こるようだ。
俺は笑顔を無表情に変えて、マリアが熱心に向かっていた机の上を見る。
本が広げられている。そこには先ほどまでマリアが本に書き込んでいたのだろう文字が見えた。真っ白な紙にマリアの手書きの字がずっと記されていた。一番前のページまで戻ると、マリアの書き殴ったような字が目に入った。
『なぜ、クロード様は私を見てくれないの?私はこんなにも想いを伝えているというのに。何をしても貴方は私を見ない。あの女ばかり気にしている。貴方の好きな花まで把握した。私はその匂いを纏って、貴方を想い続ける。ああ、クロード様、愛しております』
クロード…その名前はどこかで聞いたことが…その瞬間、俺を助けてくれた老人、カーティスの顔が浮かび、その横に居た孫、クロードの顔が浮かんだ。まさか同名の人物だろうか?しかし次のページで徹底的なことが分かる。
「……クロード…」
カーティスの孫、クロードの顔の絵が繊細に描かれていた。一瞬、マリアが描いた繊細な宝石の絵を思い出す。
絵の横には詳細にクロードの好物は何だ、花がどうだだの書かれている。彼が行動する時間帯、彼が何処に居たかなど詳細に。
「……気色わりぃ」
吐き気を覚えたが、次のページを進める。再び彼女の怒り狂ったような文字が目に入る。
『クロード様はあの女と結婚すると公表した!そんなこと許せない!許せるはずがない!絶対に許せない、あの女をどんな手を使ってでも消してやるわ!』
『あの女が突然姿を消したと聞いた。こちらの行動に気づいたのだろうか?女の捜索隊が貴族区域をうろついている。クロード様は落胆されたらしい。ああ、クロード様。お傍に居られたら、私が慰められるのに』
それからのページはずっと“クロード様“への想いが綴られていた。それからある文字が目に入る。
『クロード様が私を見ないのなら、何としてでも振り向かせるしかない。ある力を持つ首飾りの噂を聞いた。私は必ずそれを探して、貴方に届けるわ…ずっと貴方は私の傍に…』
ここからマリアが首飾りの妄想に取りつかれたのだろう。この日記から分かることは、マリアが真に求めていたものは、首飾りではなく「クロード」本人だったということだ。
しかしクロードはマリアに騙された俺を助け、マリアは俺に殺された。何という連鎖反応だろうか。ここまで面白いネタはないだろう。それにクロードは奴隷商人と、それに関わった人物を否定していた。
俺は日記を閉じて、すぐ横にあった無地の本を手に取る。その本を広げると、驚愕した。
奴隷のこれまで商品にした人物の名前が記されている。
年齢から名前、そして取引した商品の値段まで。ページは分厚く、一体何人がマリアの犠牲者となったのか。
俺は最後のページをゆっくりと開く。
『名前「セリオン」。この男は容易な部類に入る。簡単に私の駒になった。この男は今までの商品の中で最も真剣に首飾りを探していたようだ。役には立ったが贈り物と称してゴミを毎回押し付けてきたとき、私の正体を公表したくなるほど不快であった。あの下手な人形劇も吐き気がする。この私でさえ笑顔を作るのが苦労した。しかし男には気づかせなかった。きっと良い値段になるだろう。早く買い手がついてほしい。一刻も早くまとまった金が必要なのだから』
値段の欄は空白だった。大方買い手がついてから、その何割かを利益として受け取ることになっているに違いない。ご丁寧に、本にはマリアの名前まで記されていた。この本は立派な彼女の奴隷商人の取引の証拠になる。今となっては不必要だが、他の商品のことも興味があったし、彼女の日記と共にその本も鞄に入れた。
俺は入り口の方を見る。見張りが入ってくる気配はないが、万が一見張りが居た場合まずいことになる。
横たわった彼女を見下ろしてから、笑みを作る。眠るように彼女は死んでいる。見張りか屋敷の者が部屋に入った瞬間、大層驚愕するに違いない。
横の窓を見る。この場所は二階だがバルコニーから下に行ける場所があると、カーティス家の召使女が言っていたことを突然思い出した。
窓を開けると、夜風が部屋に入り込む。俺は窓に足をかけて、バルコニーに降りた。
バルコニーから下に伝って、屋敷の外に出る。地面に足がついた途端、一心不乱に駆け出した。
「ははははは!!!やった!やってやったぞ!!!」
笑いが止まらない。彼女の真相の日記の言葉を見たが、今となってはどうでもいい。一々傷つくこともない。彼女はどうせ俺が殺したのだから。これ以上彼女の犠牲者は増えないだろう。
俺は満たされていた。それはマリアと出会い、束の間の平穏を得たときよりもずっと…
叫び出したいほど、大笑いしたいほど満たされた気分だった。
突然天気模様が変わり、雨が勢いよく降り出し全身を濡らした。
雨水が目に伝う。そのせいか、目から涙が零れ落ちた。何故こんなにも満たされているのに、俺は泣いているのか。
とめどなく涙が流れた。理由は分からない。彼女の肌の温もりがまだ両手に残っている。俺はそれを打ち消すように走り、全身で雨を受け止めた。
これから何処に行こうか?何にでもなれる自信さえ湧いてくる。
夢も、名誉も、金も!女を殺すことが成功したように、全てが俺の物になるだろう。
挫折を味わって、ようやく俺の人生は始まるのだ。
世界に認められた、1人の男としての人生が。
『閉幕』




