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悲劇のパラノイア  作者: エデン
第4章
25/34

第25話 ルシファー

ルシファーのおかげで、門の周りに居た警備兵達は全員居なくなったため、堂々とクロードの屋敷に門から入ることが出来た。

中に居る人物に気づかれないように、隠れながら裏に回る。パーティが開催されるからか、裏口は召使の出入りが激しく、人で賑わっていた。

パーティの開催は夕方からだが、敢えて昼にやって来た。貴族の出入りが多い時間帯だと余計見つかる確率が高くなるため、敢えてこの時間にしたのだ。

暫くは人の目につかない場所で隠れる必要がある。人気が全くない場所に移動する。草むらの方に全員で移動してから、僕はルシファーに声を掛けた。


「ルシファー、逃げる時に荷物を落としてしまったじゃないか。入る時には召使の恰好をする予定だったのに!」

「ははは、大丈夫だよ。重い荷物なんていらないよ。中に入ったらちゃんと用意されているからさ」

「用意だって?」

「今回の舞台に必要な小道具がだよ!とっくのとうに僕が用意してあったのさ!優しい僕だからね。目的地にはちゃんと用意してあるよ。サプライズを楽しんで貰おうかなって」


ルシファーはニコニコと笑顔になる。僕はそれを見て、曖昧に笑っておく。


「……そうか……おもちゃが出せるなら召使の服も出せるって訳か?」

「この場では出さないよ?僕は基本、おもちゃか薔薇しか出したくないんだよね。楽しい物と美しい物しか出したくないからさ!」

「こだわりが強いんだな……」

「うん、そうだよ。こだわる所はこだわりたいタイプだからさ。世界を作る時も、色んな所にこだわったんだ!人間の構造から、君たち天使の姿形何から何までね!あー作る時は楽しかったな。でも不思議だよね。僕から生まれた者達は、神のように創造したいって僕の真似事ばかりするんだ。最初は微笑ましく見ていたけれど、段々行き過ぎちゃったかなあ……」

「行き過ぎただって?」

「うん、そうだ!行き過ぎたんだよ。人々はね。楽しい物を創造する力を、別の用途に使ってしまった。挙句の果てには自分で世界そのものを作ろうとしたり、折角楽しい創造の力だったのに、神になろうとしてしまった。君がまだ知らない、「人間が行った研究」が沢山あるんだ。僕は全てを知っているからね。どうして僕が傍に居るのに、別の方向ばかり行ってしまったのかなあって、ずっと見ていたよ」


ルシファーは淡々と呟いていく。何かを創造する力を別の方向に使ってしまった人間のことは、庶民には見えない世界なのだろう。

このことは「そんなことあるわけない!」と庶民には笑われるかもしれない世界だ。だが、この世界には隠れている者が居ることは確かだ。こっそりと隠れて見えないように……神様なんてどうせ見ていない……だから大丈夫!見つかることはない!と微笑んでいても、ルシファーには全てバレバレなのだ。


「そうか……人間ってやつは、間違った方向にばかり行きやすいのかもしれないな」

「正解も間違いもこの世にはないよ?僕は観察し続けてきた。君を含めてすべての者達をね。色んな事があった。時には神である僕すらも怒ったりしたこともあるけれど、人々はそれでも聞かなかった。だからこそ最後に僕は、「楽しい幻影」を夢の中に残る人々に見せてこの世界から元の楽園に戻ろうって思ったんだ。それは愛でもあり、僕のちょっとした反抗心でもあるかな」

「今回のことを決定するまでは、時間がかかったのか?」

「うん。そりゃあね。人間達の時間では考えられないくらいの時間をかけて決めてきたよ。でも同時にこのことは「決まっていたこと」でもあった。さてさて、夕方まで暇だね。皆でゲームでもしないかい?」

「いや……騒いだらバレるだろ……」


冷静に突っ込みを入れると、ルシファーは「それもそうか!ははは!」と楽しそうに笑い出す。それからルシファーはアヒルのおもちゃを手の上に出して、「ぐわっぐわっ」と1人で鳴きまねしながら遊び始めてしまった。

僕は隠れているエダン達の方を見てから小さく呟く。


「おい、声はあまり出すなよ……ルシファーは気づかれないが、僕たちが声を出すとまずい」

「おお!!!セリオン!!!分かったぞ!!!」

「だからうるせえって!!!!!」

「おお……お前が一番だぞ?」


エダンに思い切り怒鳴ってから、それもそうだと僕は口を噤む。ジャックは辺りを怯えたように見回す。


「セリオン、本当にここで見つからないのか?もし見つかったら、牢獄行きだよな!?」

「多分見つからないだろう。万が一の時は全速力で逃げるぞ」

「多分か……」

「怖いなら帰ってもいいんだぞ?ルシファーに頼んで船までの道を出してもらってもいい」

「いやいや!ここまで来たなら、お前とエダンさんに着いて行くに決まってるだろ!?」


ジャックは何故か怒ったように話してくる。隣に居たレオはその場で寝っ転がってから呟いた。


「パーティが始まるのは夕方なんだろ?その時間まで何をするつもりだ?飯とかも鞄に入れてきたのに、結局鞄を投げ捨ててきちまったろ……」

「そうだったな……まぁ晩飯を抜いても大丈夫だろ。昼は食べてきたんだしな」

「つまり腹が空きながら、パーティ会場の豪華な食事を見ろってことか?」

「それは……確かにきついな」


僕が悩んでいると、ルシファーは笑いながら僕の方にやってきた。


「お腹が空いたら大変だよね。僕が頃合いを見て取ってきてあげようか?今ならパーティのために沢山準備をしているはずだからね!」

「パーティのために用意された食事を拝借してくるつもりか?」

「うん!そうだよ!折角だから僕もパーティの食事を味わいたいしね。勿論君が食べてくれなければ、僕は味わえないんだけどね」

「はは、ルシファーが食べてみたいだけかよ」


僕が笑ってみせると、ルシファーは笑顔で大きく頷いた。


それから時刻は経ち、途中ルシファーがパーティの食事を持って来て食べたり何なりしながらも、時間は過ぎて行った。ルシファーが1人で手品のようなショーを披露してくれて

いたから、案外退屈はしなかった。

夕方になり表が貴族の上品な声で騒がしくなった頃合いを見て、僕たちは立ち上がった。

僕は皆に声を掛ける。


「よし、作戦開始だ。まずは裏口から潜入するぞ。召使の出入りが激しいが、人が居ない時があるはずだ。そこを狙って入ろう」


僕たちはこっそりと移動して、裏口を出入りする召使たちの様子を伺う。召使は必死に食料の入った袋を持って裏口から行ったり来たりしていて忙しそうだ。だが一度食料の入った袋をたくさん抱えて入ってしまうと、戻ってくるまでに何分かの間があることは分かった。


僕はその隙を見て、身をかがめながら裏口まで移動する。辺りに誰も居ないことを確認してから、後ろで様子を伺っていたエダン達に声を掛ける。


「よし、いいぞ!来い!」


僕の合図でエダン達は静かにやって来て、僕たちは裏口から中に入る。中に入ると食べ物の匂いが立ち込めており、奥の方から人の話し声が聞こえる。ルシファーは笑顔のまま、近くにあった扉の前で手招きをしてくる。


「ほらほら、この部屋に舞台衣装は用意してあるよ!」

「ああ、分かった」


小声で返事をしてから部屋の中に入ると、中は暗く倉庫のようだった。前が見えずにあちこちにぶつかりそうになる。ルシファーは「よし」と呟いてから指をパチンと鳴らした。

すると辺りにあった蝋燭の燭台に一斉に火が点き始める。おかげで部屋の中が見えるようになり、ここは召使のための着替え場所ということが分かった。


「そうか!着替え場所か!ここなら服があるな!」


僕は直ぐに辺りを見回して、召使の服を探す。棚の中には丁寧に畳まれた召使のための服があり、僕は直ぐに取ってから後ろに居たエダン達に渡していく。


「ほら、直ぐに着替えるぞ!」


直ぐに商人の服を脱いで、全員で着替えていく。着替えている最中エダンがいつもの筋肉を見せつけるようなポーズをし始めたため「そんな時間はない!」と叫んでおく。

全員が着替え終わると、ゆっくりと扉を開けて辺りの様子を確認した。今も尚廊下はひっきりなしに召使が通っている。


「さて、どうするか……召使たちはひっきりなしにパーティの食事を運んでるみたいだ。パーティ会場にも料理を持てば紛れ込めるよな」

「うん、それがいいんじゃないかい?」


ルシファーと話しながら、僕はゆっくりと進んでいく。忙しそうに料理人が料理を作っている厨房の前まで来てから、ルシファーに小声で囁く。


「入るのはまずい。召使でないと気づかれてしまうかもしれないからな。ルシファー、料理を何品か持ってこれるか?」

「いいよ!」


ルシファーはくるくると回りながら厨房に入って行く。ルシファーが料理を4品宙に浮かせたが、忙しなく働いている料理人には気づかない。ルシファーはニヤニヤ笑いながら、料理を持ってくる。


「ほら、どうぞ」

「ああ、ありがとう」


僕たちはそれぞれ料理をルシファーから受け取って、再び歩き出す。召使の男が前からやって来て、僕たちを見つけるなり眉を顰めて呼び止めてきた。


「何だ?お前たちは……見たことのない顔だな?それに料理をいつ運んでいいと言った?新人はまず倉庫整理からだろう!」


ジャックは「ひぇっ」と小さく呟いて怯えだしたが、ここは役者の僕の出番だ。僕は困ったような表情をしてみせる。


「今回開催される婚約パーティは、普段のパーティよりも沢山のお客様が来るとのことで、人手が足りないようです。厨房の責任者の知り合いの息子だったので臨時で頼まれたんですよ。料理を早く出さなければ、回転率が下がってしまうとおっしゃっていられましたよ」

「は?何だって?知り合いの息子?そんな話、何も聞かされてないぞ?」

「何しろ急でしたので、まだ伝達されていないだけだと思います。気になるのでしたら、直接厨房の責任者の方に伝えてもらいましょうか?」

「……いや、今リーダーは忙しくしているからな。その程度でお手を煩わせるわけにはいかない。俺が後で確認しておくから、お前たちはとりあえず行っていいぞ」

「ありがとうございます」


かなりこじつけた理由だったが、何とか上手くいったようだ。僕は笑顔のまま会釈してから、通り過ぎる。レオは小声で耳打ちしてくる。


「おい、そんな理由で良かったのか?責任者に確認されたらどうするつもりだ?」

「大丈夫だ。確認するとしても、パーティが終わった後だろう。基本召使たちは仕事を優先するはずだからな」

「そうかよ……」


レオは去っていた召使の男の方を見ながら呟く。廊下を進んで表に出ると、召使がひっきりなしに往復している。料理の皿を抱えて忙しなく移動している召使が見えたので、僕たちはその召使の後ろに着いて行く。

召使が向かった先は廊下を進んで階段を登った先にある大きなパーティ会場で、豪華なドレスを着た貴婦人達が沢山出入りしている。僕は小声で後ろに向かって呟く。


「よし、着いたぞ。何とか入れそうだ……いいか、ここからは何も喋るな。慎重に動けよ……バレたらおしまいだ。まずは料理をテーブルに置いてから、アーデルを探そう」


僕たちはゆっくりとパーティ会場の中に入って行く。料理を目の前の白いテーブルクロスがかかっているテーブルに置いてから、辺りを見回す。アーデルの姿はまだ見えない。

テーブルの料理の配置を直すふりをしていると、突然周りが騒めき始めた。傍に居た貴婦人が感嘆の声を上げる。


「あら、あのお方が本日の主役、公爵様の婚約者様ですわ!」


直ぐに入り口の方を見てみると、美しい黄色いドレスで身を包んだアーデルがクロードと一緒に入って来る。周りの感嘆の声が更に大きく上がり、傍に居た貴婦人は興奮したように叫んだ。


「まぁ!!!公爵様は本日も素敵でございますわ!ああ、公爵夫人になれる方は何て幸せなんでしょう!公爵様は誠実なお方で、自分にも厳しく、周りを助ける立派な方ですもの!羨ましいですわ……」


クロードのことはどうでもいいが、アーデルの方は美しく更に綺麗に見えた。思わず見入ってしまっていると、レオに小突かれる。


「おい、見入ってる場合か?そこまでお前が釘付けになってるってことは、話していた「大事なアーデル」ってのはあの女か?」

「……あ、ああ。そうだ。悪い、本来の目的を忘れるところだった……」

「いいから集中しろよな」


レオに突っ込まれて、僕は直ぐに気分を入れ替える。アーデルに来たことを示すため何とか近づこうとしても、アーデルとクロードは沢山の来客人達に囲まれてしまい、近づく隙がない。

そうこうしている内にアーデルとクロードは中央に置かれたテーブルの傍に行ったようだ。立ちながら食べるスタイルで、それぞれの来客人たちがワインと食事を楽しんでいる。

パーティの順序については詳しくは知らないが、アーデルとクロードで挨拶周りを軽くしてから、ようやく二人は食事を取って軽く食べ始めた。


僕たちがギリギリまで傍に行くと、クロードは満足そうに頷いて食事を楽しんでいる。


「料理人には細かく言っておきましたが、アーデル嬢……口に合いましたでしょうか?」

「え、ええ!!!おほほほほ!とても美味でございますわ!!!」

「ああ、それは嬉しいですね。本日の料理は、食材から気を遣いまして……食材の原産地は近くの……」


クロードが突然料理について事細かに話し始めたため、アーデルの表情が段々とひきつらせたような表情が強くなっていく。僕としてはどれだけ知識をひけらかしても、お前が作った訳ではないだろうがと突っ込みを入れたい気持ちになったが、アーデルも同じ気持ちなんだろうか。

クロードは「こういう理由だから美味しくできるのだ」という内容をずっと語っており、周りの貴婦人たちは、その知識量とこだわりに感心しながら頷いている。

クロードの話に気づいていないのだろうか。少し遠くに居た貴族の男が料理を食べていたが、顔を思い切り顰めてから吐き捨てるように叫び始めた。


「何だ!この料理は!肉の焼き加減がなってないな!おい召使!この料理は不味いぞ!調理方法はどうなっている!?料理長は誰なんだ!?」


男の傍に居た召使は困ったように怯えており、クロードはその様子にいち早く気づいてツカツカと足音を立ててそこまで歩いていく。

召使を庇うように立ち、文句を言った貴族の男に向けて鋭い視線を送る。


「失礼。私の召使に何の用ですか?」

「こ、これは……公爵様、いえ……料理の肉の焼き加減に、ミスがあったように思った物ですから……ははは……」

「……貴方は、来客の方々が「美味しい」と食事を味わっているところで、1人「不味い」という最大の“マナー違反”をしてしまったことを気づいておられますね?そのような発言は料理人への侮辱にも繋がるのです。申し訳ないが、退場してもらいましょう」

「なっ……不味いと思いましたから、うっかりと言ってしまったのでありまして……何も貴方様への侮辱というわけではありませんよ!」

「料理人は私が責任を持って管轄をしております。よって私への言葉にもなるのです。それに、このような公の場で場を壊す発言は不適切だ!!!後で私にこっそり伝えるならまだしもですが」


クロードはかなり怒ったようで冷たい目線でピシャリと言い放った。

周りの人々は「公爵様は召使である立場にも気を遣われて、やはり素晴らしいお方だ!場の秩序についてもよく分かっておられる!」と感嘆の拍手を送りはじめた。

一方で僕は思わずプッと吹き出して笑ってしまった。ルシファーも「くくっ……」と笑っており、レオに至ってはうんざりとした表情を浮かべている。

アーデルは遠い目になりながら、「ああ、いつもの正義感な勇者様ね、はいはい」と呟いている。皆がクロードに注目している今ならアーデルに声を掛けてもバレないだろう。

僕はアーデルの傍でこっそりと声を掛ける。


「おい、アーデル……僕だ!」

「……っセリオン!?」


アーデルは驚いて声を上げたが、僕は周りを見てから「シッ」と呟く。アーデルは頷いて僕の隣に居たルシファーの姿に非常に驚いた。


「……その姿はどういうこと?天使!?どうしてセリオンが二人いるのよ!?」

「後で説明する。何とか屋敷に忍び込めた。何処かで会えないか?」

「これからダンスがあるの。それが終わったら自由時間になるわ……パーティ会場のバルコニーなら誰も来ないはずだから、そこまで来てくれるかしら?パーティ会場を抜け出すわけにはいかないの……」

「ああ、分かった。頃合いを見てそこで会おう」


僕が頷いてアーデルの傍を離れた途端、クロードは非常に怒っているようで、不味いと言った貴族の男に文句の声を大きく上げた。


「おい!聞こえなかったのか?早く退場してもらおうか!」

「は、はい……その……申し訳ありませんでした……」

「いいか、今後私のパーティに貴方の一家は招待しないだろう。そのような不適切な発言をされてしまえば、誠実な場を壊されてしまうからな。早く行け!!!」

「……っはい、申し訳ありませんでした……」


貴族の男はすっかりと傷心してしまったのか、トボトボと歩き出す。ルシファーはニッコリと笑って、指をパチンと鳴らした。


「本当のことを言ってしまった貴族の人は、このパーティからは追い出されてしまったかもしれないけれど、僕の船には招待してあげようかな!」


周りに中傷されながらトボトボと去っていく貴族の男の頭の上には、アヒルのおもちゃが乗っかった。貴族の男は直ぐにそれに気が付いて、「アヒル!?」とおもちゃを持ち上げる。男はアヒルのおもちゃを見るなり「ああ!!!」と叫んだ。


「そうか……今のはそういうことか!!!何てことだ!早く船に行かなくては!」


周りは男が可笑しくなったと思ったのだろう。哀れんだような視線を男に送ったが、男は何もかも解放されたような気分になったのか、上着を脱いでから「ははは!!!」と笑いながら嬉しそうにパーティ会場を去って行った。

アーデルの元に戻って来た怒りに燃えたクロードは、料理の皿を再び持ち上げて呟く。


「ここまで手を加えられた料理に対して、あのようなマナー違反の発言を見逃すわけにはいきませんね。さて、もう一度料理を味わってみましょ……ん?」


クロードが再び食事を食べようと皿を見ると、その瞬間料理はアヒルのおもちゃに変わってしまっていた。

アヒルのおもちゃはどういう訳か「ぐわっぐわっ!僕は美味しいよ!」と子供の声で叫んでいる。


(ルシファーの仕業か……)


横を見るとルシファーは「はははは!」と笑い声を立てながらクロードの反応を楽しそうに見ている。クロードは一気に訝し気な表情になり、辺りを見渡す。


「これは子供の仕業か?パーティ会場にどうやって入り込んだんだ?」


クロードは必死に下ばかり見つめて、子供の姿を探そうとする。一方でルシファーはクロードの前に行ってから「べろべろばー!!!」と舌を出して遊んでいるが、案の定クロードはルシファーのことは全く見えていないらしい。

見えているアーデルだけが呆然としながら、ルシファーを見つめている。


「どういうことなの?公爵様には見えていないの?」


アーデルはポツリと呟いてから、僕の方をジッと見てくる。僕が軽く頷くと、アーデルはハッとしたような表情になり「そんなことが……」と動揺してしまった。

必死に探していたクロードは大きくため息をついてから、首を横に振る。


「アーデル嬢申し訳ありませんでした……場の秩序を、あのような男に壊されて不快に思ったでしょう」

「……それは貴方じゃないの?」

「……は?」


アーデルは強い目線になってクロードを見つめていた。クロードは呆然と口を開けている。


「それは貴方が思ったことでしょう。私は先程の男性の発言は、ちっとも不快ではありませんでしたわ。正直な意見を言って何が悪いのです?正直な話を伝えるからこそ、お互いの意図が分かるんでしょう。貴方の言う「場の秩序」とは、何の基準で見ていますの?」

「……っいやそれは……このような公の場では、あのような発言は場の士気を下げるでしょう。兵士にも良く話しているんです。場の士気を大切にしなさいと……それが全体的な雰囲気の向上にも繋がりますし、私は場の全体を見て……」

「ちっとも、全体など見ている様には見えませんが。貴方は何も見えていないです。全部この貴族社会の価値観でお話されていることでしょう。あの男性は正直なことを言っただけです。何も悪いことなんてありませんわ。悪いことにしてしまったのは、貴方の価値観の世界感でしょう……もういいです。ダンスが始まるまで、失礼致します」


アーデルがあまりにもきっぱりと言い放ってしまったからか、クロードはかなり動揺したようだ。

周りの貴婦人はその発言を聞いて、「なんてことを!いくら公爵夫人になる方と言え、公爵様に対して思い上がりも激しいですわ!」と怒り出したが、アーデルはその発言を聞きもせず、去ってしまった。

取り残されたクロードは、よっぽどショックだったのかアーデルの後ろ姿を呆然と見つめている。


僕はアーデルの向かった方に着いて行くと、アーデルは人の目につかない隅の方で壁によりかかり、大きくため息をついていた。僕はテーブルに合ったグラスにワインを注いでから、グラスを手に持ってアーデルまで持っていく。


「ご令嬢……顔色が優れないようですね。ワインでもいかがですか?召使の僕からで申し訳ありませんが」


アーデルはハッと顔を上げて、嬉しそうに顔を綻ばせた。僕が丁寧に礼をしてグラスを差し出すと、高貴な女性の振りをして受け取ってくれる。


「あら……ありがとう。とても気が利く召使の方ね」

「はは……お役に立てて光栄でございます」


アーデルはグラスを持って、一口飲む。丁度皆からは見えない場所のため、誰にも気づかれてないだろう。僕はアーデルの横で壁にもたれかかった。


「アーデル……大丈夫か?」

「ええ……ありがとう。ごめんなさい。クロード公の発言のせいで、感情が抑えきれなかったわ……」

「僕から見ても、あの発言は酷かったよ。ちなみに今日のことだが、塔で襲ってきたアベルって男が君を襲ってくるかもしれない。だからこそ極力君の傍に居たいんだ。詳しい話はバルコニーで話そう。天使の姿をした僕のことも気になるだろうからな」

「本当に気になるわ……あの姿が、貴方の本当の姿なの?」

「話せば長くなるが……あの人は天使である僕よりも上の存在だ。全ての……創造主なんだ。バルコニーの時に詳しく話そう。だから今は……」


僕はそっとアーデルの手を繋いだ。アーデルは驚いて僕の方を見て、頬を真っ赤に染める。手を繋いだ僕の方も何だか照れくさくなって、視線を逸らしておいた。


「少しなら……いいだろ?」

「……っええ……そうね……」


僕が強くアーデルの手を握っていると、いつの間にかやって来ていたルシファーがニコニコと笑顔で僕を見てくる。アーデルと僕はハッとして手を離した。


「ははは!別にそのままでもいいのに!楽しそうだなって思ったから、やって来ただけだから!」

「……ルシファー、それは皮肉か?」

「ううん、君たちは純粋でいいんじゃないかい?アーデルとお揃いの首飾りが象徴しているだろう。強い思いで君たちは繋がっているね」

「……ああ、そうだな……」


僕は首飾りを掴む。僕は……何処となく出航前に何が起きるのか分かっていた。

出航時にはアーデルと強い思いで結ばれた、この首飾りですらも持っていけない。今はアーデルには何も言えない。彼女に伝えるのは最後になる。

僕は天使ルシファーだ。最後には創造主と一体になるだろう。

だからこそ、この首飾りですら……最後には手放さなくてはいけないのだ。

僕は創造主の元に帰ることになるだろう。その瞬間僕は僕でもあるが、創造主の元に戻ることにもなる。これはアーデルとの別れと言うわけではない。

ただ……首飾りを手放すだけなのだ。

僕がより一層強くアーデルの手を握ると、アーデルは不思議そうに首を傾げた。


「セリオン?どうしたの?」

「……いや、何でもない」


アーデルに何も言えないで居ると、突然会場に男の声が鳴り響いた。


「皆さま!それではダンスの開始でございます!」


会場が騒めき始めて、貴婦人と貴族の男達が一斉に移動し始める。アーデルは大きくため息をついてから僕の方を寂しげに見た。


「はぁ……行かないと。ダンスが終わったら、バルコニーで会いましょう」

「ああ、分かった。周りには気を付けてくれ。いつアベルが来るかも分からない。ダンスはクロードと踊るのか?」

「分かったわ……踊りたくないけどね。本当は貴方と……っいえ!何でもないわ!!!」


アーデルは顔を真っ赤にして、手を離してパタパタと走り去ってしまう。僕はアーデルを見つめていると、ルシファーは笑顔で僕を見てきた。


「後でアーデルと踊ったらどうだい?楽しいんじゃないかい?」

「いや、そんな暇はないだろう。アーデルは間違いなく狙われている」

「ま、少しくらいなら大丈夫さ。でも彼女を1人にしてはいけないよ。その瞬間をアベルは狙ってくるだろうから。今もずっと……彼はアーデルを見ている」

「……っ見つけたのか?アベルを」

「うん。見つけたよ。僕の傍まで来たら、僕からは隠れられない。ずっと高い所からアーデルを見ているようだ。彼は僕がここに居ることも分かっている。だからパーティ会場では行動は起こせない。僕から隠れた場所で……彼は行動を起こすだろう」

「貴方が居ることも分かっているのか!?隠れるってどうやって隠れているんだ?」

「彼なりに方法を見つけたんだろうね。彼はこの会場にマリアを連れてきている。何か君に対して罠を仕掛けているね。何を言ってきても、マリアの言葉は罠だ。それだけは覚えておいてくれ」


ルシファーが強く此方を見てきたため、僕は静かに頷いた。その瞬間、会場にピアノの演奏が流れ始める。

ダンスが行われている方を見ると、アーデルは嫌そうな顔をしながらクロードと踊っていた。クロードの動きも何処となくぎこちなく、先程アーデルに言われた言葉が相当堪えたように見える。周りの貴族たちも一緒に踊っているが、アーデルがあまりにも不機嫌そうな雰囲気を全身から出しながら踊っているため、アーデル達の周りには誰も寄り付いてないようだった。


隣に居たルシファーはふんふんと鼻唄を歌いながら、曲に合わせて踊っている。それから僕の方を見てニヤリと笑ってきた。


「この後アーデルと踊りなよ。楽しいよ?僕は、踊りは好きなんだ」

「ああ……でも貴族の踊りなんてあまり知らないぞ。まぁ役どころで少しはやったが」

「はは、それでいいんじゃないかい?踊りに決まった形はないんだ。楽しければいいんだよ」

「そういうもんか……」


僕がルシファーと話している間に、いつの間にかエダン達もここまでやって来ていた。エダンは僕の方を見て声を掛けてくる。


「よう!セリオン!アーデルに会えたようだな!アーデルの尻は揉めたか?」

「……揉めねえよ……」


もう真面目にエダンの相手をするのも疲れてきた。エダンは「そうか?機会は逃すなよ!」といらないアドバイスをしてくる。尻を揉んでる暇などないのに、何を言っているのか。いや!決して尻を揉んでみたいとかそういう訳ではないが。

考え事をしていると、ルシファーには僕の考えが丸見えだったのか「くく……」と笑われてしまった。


「いつも君の考えは面白いよね。だからこそ僕としても興味深いんだよね。色々と……どうして全部隠してしまうのか……くくっ……天界でもそうだったね」

「……天界でも?」

「うん、そうだ。後で君は思い出すだろうさ。まぁ、今の君も大して変わってないことは確かだね。くくくっ……」


ルシファーは1人楽しそうに笑っている。天界でのことは思い出せてないが、やはり何かあったのだろうか。ルシファーは何処か面白がっている様には見えるが。


少し経って演奏が鳴り終わると、アーデルは一刻も早くクロードから離れた。クロードは何かを言いたげに手を伸ばしたが、直ぐにグッと手を握ってから首を横に振っている。

婚約のためのパーティで、パーティの時からここまで不仲さが見えてしまえば、公爵であるクロードの立場としても危ないに違いない。

アーデルは辺りを見回しながら、直ぐに会場の窓からバルコニーへ直行した。僕はそのタイミングを見計らって、こっそりとバルコニーへの扉を開ける。


扉を開けた途端に冷たい風が僕の髪を揺らし、バルコニーにはアーデルが背中を見せて立っている。僕はアーデルの後ろ姿に声を掛けた。


「……アーデル」


アーデルは直ぐに振り向いて、笑顔を見せてくれる。僕はルシファーと共にアーデルの近くまで行くと、アーデルは強い視線で僕を見た。


「セリオン……それで色々と説明してくれるのよね?」

「ああ……まず、僕の隣に立っているのが「ルシファー」……この世界の創造主だ。といっても今は僕の代わりをしてくれているだけだがな。彼は今、本来は僕の役目だったルシファーの仮面を被っているに過ぎない」

「……何ですって?」


アーデルはポカンと口を開ける。流石に言っている意味が分からなかったのだろう。ルシファーはくるくると踊りながらアーデルに近づく。


「やぁ、アーデル!僕はルシファーだ!ちなみに今は、ルシファーの仮面を被っているだけだよ。創世記の話は知ってるね。僕は全ての創造主なんだけど、天使であるセリオン……いや、本来の名前「ルシファー」は独自でこの「鏡の世界」を作ったんだよ。そんなことをすれば天界では「ルシファー役」が空いてしまうだろう?創造主である僕が、代わりにルシファーをやってたんだ。ま、創造主としての僕も居たから1人2役ってやつかな!」

「貴方が全ての創造主様!?一体どういうこと!?……セリオンに話を聞いて気になっていたんですけど、アラルド王国で信仰されている神様は何処にいらっしゃるのですか?」

「ああ、リネノール神のこと?そういえばそんなのも居たっけな……皆誰も居ないところを見て、一生懸命信仰しているようだね。僕はここに居るのに、誰も居ない席ばかり見つめてるみたいなんだ。ま、それはいいや。僕にとってはどうでもいいことだし」


ルシファーは退屈そうに欠伸をしてから、アーデルの方に更に近づいた。


「信じられないかもしれないけれど、この世界を作ったことは、創造主である僕の計画の内だったんだ。セリオンにやらせてみたのは紛れもない僕だからね。「そうだ。天界では天使や人間は色んなしがらみがある。なら種族を人間達だけにして世界を作ったらどうだい?」と提案したのも僕さ。僕もそんな世界を見てみたかったし、セリオンはどうにも気になって仕方なかったようだから……ま、結果としてはこうなってしまったけどね!ははは!」

「……敢えて人間という種族だけで世界を作ったのがこの世界でしたのね……天使や人間のしがらみとは何なのですか?」

「天使は人間の下に仕えるように伝えたのが、創造主である僕だったからね。それからはもう大変!天界で天使たちは慌てふためいちゃってね。僕は何度も「落ち着いてくれ!」って言ったんだけど、天使たちは口論ばっかりになっちゃった!僕の愛は変わらないのに、天使たちは言い争うようになってしまった。ま、それすらも計画の内だったんだけどさ。ははは!!!」


ルシファーは心底楽しそうに、笑い出す。天使が人間の下に仕えるように伝えたのだとしたら、天使たちが文句を言うのも無理はないだろう。だが主は何故こんなに楽しそうなんだろうか。

ルシファーはひとしきり笑った後、僕とアーデルをジッと見つめる。


「自由意志を持った存在を二通り別の物として作れば、言い争うのは目に見えていた。勿論言い争いに参加しない冷静な天使も居たけどね。でもセリオン……ルシファーは違った。僕の隣にずっと立って、沢山のことを手伝ってくれた存在だったからね。そりゃ色々と思うこともあっただろう。僕は何度も「君への愛は変わらない。皆を愛しているよ」って伝えたんだけど、ルシファーは聞かなかった。僕の造った物を全部愛するのは当然じゃないか!なのにルシファーは、そこでもまた自分への愛が下だと思い込んでしまった」

「でも貴方は天使が人間の下に仕えるようにお話されたのでしょう?それならそう思っても仕方ないのではないですか?」

「そうだね。僕の言ったことも彼らにとっては酷だったことは、よく分かっている。だけど気づいてほしかったんだ……天使たちにも……天使たちは僕の傍で仕えている存在だから、どうしても天使の方が上だと思ってしまうに違いない。だから僕はわざと……わざと言ったんだ」


僕はその瞬間、ルシファーを見つめた。ルシファーは僕の方を見て、静かに笑いかけてくる。


「愛に気づいてほしかったんだ……天使たちは、僕のことは愛してくれていたけれど、人間たちについては色んな意見があった。人間は馬鹿だとかね。そりゃあ天使の方が知識としては上に僕が造ったんだから、当たり前の話なのに、天使たちは人間より上であるという優越感で一杯さ!僕はそうなることが目に見えていた。だからわざと天使たちを試したんだ……天使たちのことを愛していたからこそ……僕は気づいてほしかった。本当は何よりも僕の傍で仕えていてくれていた君に……」


ルシファーは僕の方に近づいてから手を取って来た。僕は何も言えなかった。僕が思い込んでしまったのも、僕の性格が故なのだろう。創造主はずっと僕を試していたのか。


「君に気づいてほしかった。だからやりたいことは何でもやらせるつもりだった。鏡の世界を作るのでもいい、何だっていい。気づいてくれさえすれば良かったから……セリオン。君は思う存分世界を造ったんだ。僕の用意したおもちゃ箱の中で……君はずっと悩んでいた。葛藤していた。だけどそんな日を終わらせると、君自身が決めたんだよ」

「そうか……僕自身が決めたのか……」

「そうだね。僕と君と二人で決めたんだ。最後に君が創造してしまった罪を抱えてこの世界にやって来たんだ。アーデル、話は以上だ。君が混乱してしまったのは僕も分かっているけれど、どうだった?」


アーデルはルシファーと僕の方を呆然と見つめながら、何も言えないままで居るようだった。アーデルはふと呟いた。


「つまり……この世界を始めたのは、創造主様である貴方でもあり、セリオンでもあったということですか?」

「うん、そうだね」

「この世界は……この世界は一体何のために作られたのでしょう……まさか、何もなかったのですか?敢えて種族は人間のみにされたとお話されていましたね。でも私たち人間は貴族制度のように、分断してしまったはずです……」

「そうだね。結局何も変わらなかったと言えばそうだったのかもしれない。僕もこの世界の結果については興味があったからね。この世界のこと全部ひっくるめて、答えを探していたという理由もある。セリオンが考えるように、僕も同時に考えてきた。夢は夢の世界のままにして、この世界から楽園への船が出航することについてはセリオンに聞かされただろう?アーデルの意見としてはこのことは、どう思うんだい?」

「……私の意見?」


アーデルはハッとしてルシファーを見つめる。ルシファーは何故アーデルに意見を聞いたのかは分からないが、アーデルは首を横に振って小さく呟いた。


「このことが創造主様の決定なのでしたら……私は何も言えません……でも、この夢の世界に取り残されてしまう人が心配です……私、このことを家族に伝えたのですが、まともに取り合ってくれなかったんです。どうしたらいいのでしょう?」

「それは大丈夫だ。最後にセリオンが大きな光の柱になってくれるんだ。その大きな柱に気づいてくれた人が最後になる……君の家族もその時に分かるだろう」

「そうですか……良かった……お父様とお母様も特に貴族社会に染まってしまった人達ではありますが、実は二人と改めて話してみたんです。そしたら二人の考えがよく分かりました……お母様の孤独と、お父様が一家を立て直そうとしている話についても……妹のナンシーとも話してみました。ナンシーだけは、今回の船の話を信じてくれると言ってくれましたね……どうしてでしょう。私を嫌っているように思えたのですが」

「君の妹のナンシーは君を嫌ってはないよ。今日のパーティにも来ている。そして今……」


ルシファーがニッコリと笑った瞬間、バルコニーの扉が開く。まさか誰か入って来たのかと思って後ろを振り向くと、そこにはアーデルの屋敷で見た妹ナンシーが佇んでいた。

ナンシーは僕の方を見て驚いたように目を開ける。


「あら……セリオン様。どうしてここに?」


ナンシーはゆっくりと僕の方に近づく。まさかルシファーのことは見えていないのだろうか。アーデルは船の話を信じると話してくれたと言っていたが、どういう訳なのだろう。アーデルはナンシーに呟く。


「ナンシー……今日のパーティは来ないって言ってたじゃない!どうして来たの?」

「……お姉さまこそ、クロード公爵様の婚約相手ですのに、どうして別の男性と会っておられますの?このことが公爵様に知られでもしたら……」

「分かっているわ。でも……もうそれどころじゃないと話したでしょう。ねぇそれよりも……何か見えない?私の隣に居る存在が見えないの?」


ナンシーはアーデルの言葉に首を傾げてから、ため息を大きくついた。


「お姉さま……お体が悪いのですか?意味が分かりません」

「そんな……どういうこと?何でナンシーには見えないの?」


アーデルは動揺したため、ルシファーは笑って直ぐにアーデルに近づく。


「僕が見えなくても大丈夫。彼女と君の間にある壁を取り除いちゃえばいいのさ。大丈夫、君なら出来るよ」

「壁?壁があるのね……何となくそんな予感はしていました……」


アーデルはポツリと呟いてから、覚悟を決めたようにナンシーをジッと見つめる。ナンシーは心配そうにアーデルを見つめている。


「ナンシー……よく聞いて。私たち、お互いのことはあまり話せてなかったわね。私が貴族の屋敷を出て行ってしまったことに関して、何か思ったんじゃないかしら?」

「お姉さま……突然何を……」

「お願い。話して……ずっと貴方が私に対して何かを思ってることは気づいていたから……でも船の話を信じてくれるって貴方が言った時、私たちもっと話し合えるって思ったのよ」

「あのことはお姉さまに合わせて信じると言いましたわ……正直、お姉さまはおとぎ話の中に入られたのかと。お父様もお母様も私に言いました。「船の話など突拍子もないことを言われるかもしれないが、お姉さまを傷つけないようにしなさい」と……だから……」

「……っそうだったの……」


アーデルは落胆したように目を伏せた。アーデルは首を横に振ってから、ナンシーをもう一度強く見つめる。


「船の話は一旦いいわ。ナンシー、私への想いを今伝えて欲しいの。貴方がずっと思っていることについて……何かを言いたいのは気づいていたから……」

「…………」


ナンシーは少しの間考え込むような素振りを見せた。それからアーデルの方を強く見つめて、ようやく答えた。


「お姉さま……私はずっと……お姉さまと比較され続けていました。お姉さまの方が、美しいと聞かされ続けていました。お父様もそう言っておられましたし、服を売りつけに来る商人でさえも。男性は「美しさ」でしか女性を見ませんわ。お母さまは、お姉さまの美しさに分かりやすいほど嫉妬していますし、私は何と言えばいいか分かりませんでした。だからお姉さまが出て行った日、出て行くなら出て行けばいいと思ったのです」

「……………」

「あら、黙らないで下さいな。こういうことを言われるのでさえ、お姉さまが嫌がることも私は気づいておりますわ。そしてこんなことを言われるくらいなら、貴方は自分自身の美しさですらも呪うのでしょうね。それほど真面目なお姉さまですもの。でもそんな所も……嫌いだった。私は……嫌いでしたわ!!!どれほどまで、真面目ぶれば済むのですか!?美しいのなら美しいと言えばいいでしょうに!!!貴方は自分自身を呪うように、自分を隠し続けていた!!!」

「……ナンシー……私は……」


アーデルは何も言えないのか、呆然と立ち尽くしたままだった。ナンシーは強い目線でアーデルを睨みつける。


「私は……ずっとお姉さまに言いたかった。美しいと思うなら、美しいと言えばいいと!確かにお姉さまと比較され続けて、思う所は私にもありましたわ。私は私の容姿を呪ったこともあります。でも気づいておられます?お姉さまが自分を責め続けているから、周りもそういう態度になることを……きっと平民街に出て、色んな事があったでしょうね。嫌な思いもされたでしょう。貴方は美しさすらも、お姉さまが思う「強さ」で隠して隠して隠して……何が悪いのです?生まれ持ったものでしょう!それを隠して何になるのです!?貴方は美しさ以外で人に認められようとしましたね。平民街では、歌姫をやっていたんでしょう?さぞ楽しかったでしょうね」


ナンシーは大きくため息をついてから、一歩アーデルに近づく。アーデルの瞳は揺れていた。


「それで貴方の才能は認められましたか?美しさ以外で認められて満足しましたか?そんなことをした時点で……所詮「令嬢のお遊び」と言われてしまうのですよ?私たち一家はお姉さまが居なくなったことに関して、どれだけ周りから悪い噂をされたか貴方は知らないでしょう。お姉さまは、男性と心中したのではという噂までされました」

「……っそんな……」

「貴方が全部招いたのです。でも……私は……噂を必死に否定しました。お姉さまは何処かに遊びに行っただけだと伝えました。でも貴族社会についてはお分かりでしょう。噂は止まらずに、お姉さまは死んでしまったことにさえなりましたわ。居もしない男性と」

「……そんなことになってたなんて……」


アーデルは唇を噛みしめて、肩を震わせた。ナンシーはまた一歩アーデルに近づく。


「お姉さまの行動は私たち一家に迷惑をかけましたわ。お母様とお父様はずっとお姉さまを探しておられましたし、お父様もかなり口は悪いですけど、心配しておられました。私は敢えてお姉さまが抜け出すのを見たことは言わなかったのです。お姉さまは、やるところまでやってみないと気が済まないタイプであると分かっていましたから……」

「ナンシー……ごめんなさい……」

「いいえ、謝らないで下さい。お姉さまは強い意志を貫くのがお得意でしょう?私に謝ってどうするのですか?それに……結婚制度については私もよく思っていましたから。好きでもない殿方と結婚するのが貴族社会ですね。それが当たり前で……それが貴族である私たちの日常で……お姉さまの気持ちも理解はしています。ただ、やり方が気に障っただけですわ。何かあったなら、私に一言言ってくだされば良かったのにと……」


アーデルも何も言えないのか、口を噤んでしまった。ナンシーはアーデルの近くまで行ってから、アーデルの手を取った。


「お姉さま、お姉さまが気づかれたように、私に様々な思いがあったのは事実です。……ですがこれだけは言わせて下さい。お姉さまは「強さ」を理由にして、何もかも本心を隠そうとしておりますがその必要はないと……お姉さまには私が小さい頃にとても良くしてもらいましたわ。だからこそ伝えます。美しいと思うなら美しいと思っていいのです。好きと思うのなら、正直に伝えて下さい。意志の強さで己を隠さないで下さい。無理して強くなる必要はございません。貴族たちは案外適当ですわ。それにずっと気づいてほしかったのです」

「…………」


アーデルがナンシーをジッと見つめると、ナンシーは笑顔のままアーデルを強く抱きしめた。その瞬間ナンシーからは光の玉が出現して、アーデルの胸に吸い込まれて行った。アーデルは目を見開いてからナンシーを見つめる。


「ナンシー……私……ようやく分かったわ。私はずっと強くなりたかった。でもその必要はなかったのね……だってこの「強さ」すら……」

「ええ、そうです。この世界の価値観ですわ。だから私は……あら?」


ナンシーはそこでようやくルシファーの存在に気が付いたようだった。ルシファーはニッコリ笑ってナンシーに駆け寄った。


「ナンシー、ありがとう。その言葉は君でないと伝えられなかった。これで完全にアーデルには光が灯ったよ」

「……そうでしたのね……ずっと私はこの言葉をお姉さまに伝えるために……」

「うん、そうだ。だから君はわざと僕のことを忘れていた。ほら、船への招待状だよ。先に行っておいで。アーデルは僕たちが守るから……」


ルシファーはナンシーに青い薔薇を手渡した。ナンシーは頷いて青い薔薇を受け取った。


「ええ、ありがとうございます。ルシファー様……お父様とお母様にも伝えに行きます。お姉さま。船の話を、嘘だなんて言ってすみませんでした。私も今やっと思い出したのです。私たちは先に船に乗っていますわ。だから必ず……必ず来てくださいね」

「ナンシー?わざと忘れていたってどういうことなの?」

「……私は創造主様……今はルシファー様にこの役目を志願してやって来たのです。貴方の魂に呼びかけるためには、この方法が一番いいとルシファー様はおっしゃられていました。貴方は光の役目を持ってこの世界にやって来られました。ですが貴方自身もこの世界で迷っていた……この世界の価値観の中、強さを探し求めていましたね。だからこそ、この世界の価値観を手放す必要があったのです。ただ「強さ」など幻だと、気づいてくれるだけで良かった……」


ナンシーはアーデルに向かって微笑んだ。ナンシーの背中には、光輝いた天使の翼が見える。アーデルは驚いてナンシーをジッと見つめる。


「ナンシー……貴方は天使だったの!?」

「……ええ。ずっとお姉さまに伝えたかった……やっと伝えられましたわ。ルシファー様、お姉さまをお願いします」

「うん、大丈夫だ。必ず連れて行くよ……」

「ありがとうございます……」


翼が生えたナンシーは深々と礼をした。ナンシーは僕の方を見てから、フッと微笑んだ。


「セリオン様、貴方の役目はとても重要なお役目ですわ……ただ全てを……全てを手放してください。それだけでいいのです。まるで重い荷物のような「罪」なんていらないのです。貴方は十分この場所で体験なされました……後は完全に天界に戻るだけですわ……それでは。船で会いましょうね」


ナンシーはその瞬間、強い光に包まれて消えてしまった。アーデルは目を見開いて名前を呼んだ。


「ナンシー!?ナンシー!!!」

「大丈夫。彼女は先に君の家に伝えに行ってくれたよ。君はもう大丈夫だ。全て……気づいただろう?」

「……ええ。やっと気づきました。ルシファー様、ありがとうございます……」

「はは、お礼を言うなら、ナンシーに言った方がいい」

「……後で必ず伝えます……創造主様、私のためにありがとうございました……」


アーデルもまた深々と礼をした。ルシファーはニコニコと笑ってから、僕の方を見て手招きをする。


「よし、今だ!アーデルと踊りなよ!折角のダンスパーティなんだからさ」

「ちょっと待ってくれ……今、アーデルは狙われている状況だ!そんなことをしている暇はない!」

「“今”は大丈夫だ。アベルは行動を移せないさ。彼はここで何かを仕掛けてくるだろうけど、この屋敷は僕のために「高い目」がいつも見ている場所なんだ」

「高い目だって?」


僕がルシファーに聞き返した途端、頭の中に突然クロードの祖父カーティスの姿が流れ込んだ。カーティスは此方を見てからフッと微笑んでくる。


「……っカーティス?どういうことだ?」

「彼は僕のための「目」だよ。目の役割を持ってくれているんだ。まるで鷹のようにね……ずっと見ているんだ。さてアベルはどうするつもりかな?祖父である彼の目から誤魔化せるかな?お手並み拝見だ」

「待て。そんな呑気なこと言ってる場合か?それと一体カーティスは何者なんだ?」

「カーティスかい?彼は僕のために「目」になってくれた……強い存在だよ。鷹のように自由自在に飛び回ることが出来る神獣さ!君に色々と言葉を投げかけるようにさせたのも、僕から彼に頼んだんだ。彼は快く引き受けてくれた。色々な謎かけを君に問いかけただろう?」

「確かにそうだな……カーティスは時には不自然に僕の家にやって来て……僕に問いを投げかけてきた。今考えれば、どう考えてもおかしい」


僕が腕を組むと、ルシファーは楽しそうに笑った。カーティスは最初から、僕のことが全て見えていたのだろうか。何故カインとアベルの祖父として神獣が居るのかは分からないが、何か理由があるのだろうか。


「はは、そうだね。彼に問いを投げかけられて、君は考えただろう。カーティスはカインとアベルのことも心配していたんだ。だから最後に彼らの祖父としてこの世界にやって来たんだよ。神獣がこの世界に来るなんて前代未聞だよね!って笑ったら、「それは貴方様もでしょう」って返されちゃったよ!あはは!」

「……そうか、カーティスは獣のような存在だったのか」

「うん。僕によく仕えてくれる、大切な存在だ。お爺さんの姿をして君の前に現われるなんて、彼らしいよ。本当に。今呼んでみるかい?彼は答えてくれるよ!」


ルシファーはニッコリ笑って、指笛を吹いた。高い指笛の音と共に夜の空に鷹の声が鳴り響いた。僕とアーデルは驚いて空を見上げると、遠くの方からやってきた美しい鷹が丁度バルコニーの上を飛び回る。鷹は鳴き声を上げながら円を描くように飛び回ると、ルシファーは笑顔で手を振った。


「ありがとう!セリオン達に見せるために呼んだだけなんだ!戻っていいよ!」


鷹はルシファーの手に降りてきてから、静かに頷いた。そのあまりの迫力に僕が思わずたじろいでしまうと、鷹は此方をジッと見てから再び飛び去ってしまった。

ルシファーは去っていく鷹を笑顔で見送ってから、僕とアーデルの方を見つめてくる。


「さぁ、踊ろう。楽しく踊ろうよ!ワンツースリー!」


ルシファーは突然アーデルと僕の手を取り、僕とアーデルの手を繋がせる。そのままルシファーは少し離れて、緑色の横笛を取り出して僕たちに声を掛ける。


「いいかい。貴族たちは決まった踊りの方法ばかり教えてきたかもしれないけれど、踊りに決まった形はないよ!好きに踊ってこそ、踊りってもんだ!僕が演奏するから、君たちは好きに踊ってくれ!」


ルシファーはフッと笑ってから、笛を演奏し始める。アーデルと僕は顔を見合わせたが、ルシファーの音色につられて、ゆらりゆらりと手を繋いだまま踊り始めた。

貴族式の踊りではない。誰に教えられたわけでもない。それでも美しい音色につられて勝手に身体は動いていく。アーデルと顔を見合わせてから、僕は自然と笑っていた。こんな風に誰かと踊ったことはないから気恥ずかしかったが、そんな気恥ずかしさすら音楽は忘れさせてくれる。

アーデルと僕はお互いに顔を見合わせたまま、笑っていた。こんな状況だというのに、楽しかった。好きに踊って、ただ楽しむことが最高に思えた。

気づけば僕はアーデルに向けて、一言呟いていた。


「アーデル……ありがとう」

「あら、急にどうしたの?」


アーデルは少し首を傾げている。頬は少し赤く染まっていた。僕はフッと笑みを浮かべた。


「ただ……礼を言っておきたかっただけなんだ。時間的に考えれば僕たちは会ったばかりかもしれないが、君と会ってからかなりの時間が経ったようにも思えて仕方がない。この気持ちで、やっと君にこう伝えられる。だから……」


僕はアーデルの手を引き寄せた。驚く彼女を強く抱きしめた。本当は彼女にキスをしたかったが、それはやめておいた。

これから僕には創造主と一体になる運命が待っている。僕は、全て手放さなければならない。主と一体になるということは、最早「僕個人の思い」はなくなるということだ。


僕がアーデルを抱きしめていると、アーデルも僕の背中に手を回してくれた。僕は小さく呟いた。


「ありがとう……それだけを君に伝えるよ」

「ねぇ……セリオン。私、貴方のその言葉がどうしても……別れの言葉に聞こえるの……違う……よね?」


アーデルは僕から少し離れてから、不安そうに見つめてくる。僕はフッと微笑んだ。


「……すまない。今の言葉は……君が思うように受け取ってくれていい」

「セリオン……ねぇ、違うと言って……私たちまだ会ったばかりでしょう?創造主様の船で楽園に戻ったとしても、また一緒に話せるでしょう?まだ貴方に話してないことって沢山あるのよ。貴方の話ももっと聞きたいわ……お願い、別れだなんて言わないで……」

「これは別れじゃない。始まりでもあるんだ。僕たちは何も始まっていなかったんだ……ただずっと、この世界で迷い続けてきただけだ。これから起こることを君に話しておくよ。創造主と僕、ルシファーが元の一体に戻るだけだ。だから僕が居なくなるわけではない。僕には……僕が思っていたよりも責任があった。僕は最後にこの世界で責任を果たすんだ。だから一緒に、始まりの場所に戻ろう」

「…………」


アーデルは黙りこくってしまった。一筋涙を流してから、嗚咽を出して泣き始めてしまった。僕は驚いて、アーデルの手を掴む。アーデルは泣きじゃくりながら、何度も呟く。


「……っぐすっ……私、貴方が好きよ……貴方が好きなの……どうしてずっと素直に伝えられなかったのかしら……勢いで貴方に好きだと言ってしまったことはあったけれど、もっと早く伝えられていたら良かった……貴方がただ好きよ。女の強さだなんてくだらないこと、今となってはどうでも良いわ。ただ私は貴方が好きなのよ……」

「……ああ、ありがとう。僕も君が……君が好きだ」

「……っ私……貴方が好きなの……好きなのよ……ただ愛しているわ……」

「……僕も、愛しているよ」


僕もただアーデルに素直な言葉を伝える。今の僕たちですらルシファーにとっては神とは関係のないことなのだろうか。そう思ってルシファーの方を見ると、ルシファーはただジッと僕たちを見て何も言わなかった。

ルシファーは微笑んだまま、僕の心に語り掛けてきた。


―――セリオン。別れの言葉は、伝えられるときに伝えておいた方がいい。僕はこのことに、皮肉めいたことは言わないつもりだ。君が思うように……アーデルに伝えてくれ。


僕はルシファーに向かってただ頷いてから、泣きじゃくってしまったアーデルを再び抱きしめた。彼女はドレスのまま地面に膝をついてしまい、僕も膝をつく。僕たちは強く抱きしめ合った。

あの日、マリアの日記帳を読んでアーデルに慰めて貰うように抱きしめ合った時とは違う……アーデルへの心の底からの感謝を込めた。彼女が居なくては、僕は僕自身の役目を忘れてしまっただろう。

彼女の包み込むような優しさが、僕をここまで導いてくれたことは確かだ。

最後に、「ありがとう」とその言葉だけを彼女に伝えよう。

それだけで十分だ……それだけで、全てが満たされるだろう。


僕たちは少しの間何も言わずに、ずっと抱きしめ合っていた。


***


少し経ってからアーデルと一緒にバルコニーからパーティ会場の方に戻ると、変わらずパーティ会場は賑わっていた。どうやらアーデルがバルコニーに行ったことは誰にも気づかれてないらしい。アーデルは来客人と話し込むクロードの方を見てから、大きくため息をつく。


「はぁ……もうパーティ会場を抜け出しちゃいたい気分だわ」

「はは……後少しでパーティは終わるのか?」

「いいえ!まだまだ。最後に挨拶が残ってるもの。船の話を聞いたけれど、もうこんなパーティに用はないから、貴方と一緒に出て行きたいって言ったらだめよね?」

「……っそれは……」


僕は思わず言葉を濁してしまう。まさかアーデルを囮にアベルとマリアをおびき寄せようとしている何てことは言えない。本当はこんなことしたくなかったのだが、マリアの首飾りの呪いはマリアが居ないと解けないのだ。僕が下を向いたままグッと拳を握っていると、アーデルは急いで言葉を訂正した。


「ごめんなさい!時期があるのよね?」

「いいや……本当は今すぐにでも船に乗って欲しいんだ。ただ……」

「ただ?」

「実は……僕がかけてしまったマリアの首飾りの呪いが解けないと、僕はこの世界での光の役目が果たせないんだ。アベルはマリアを連れ去ってしまった。僕たちにも彼らの居場所が分からなくて……アベルはアーデルを狙っていた。だからこのパーティにマリアを連れて来るんじゃないかと……っくそ、こんなことしたくなかったんだ。だが……」

「……そうだったの……私なら大丈夫よ」


アーデルの言葉で僕はハッと顔を上げる。アーデルは強いまなざしで僕を見つめていた。


「言いたいことは全て分かったわ。気にしないで。私を囮にでも何でも使って。だって貴方のためだもの……私は何でもするわ。大丈夫よ。私はもう十分満たされたもの。だから何があっても大丈夫だから……」

「……っすまない。僕が……僕が必ず君を守るから」

「ありがとう。でも私、覚悟はできたわ。最後に貴方のためになれるなら……何だってやるわ」


アーデルのまなざしは変わらなかった。強い意志で僕を見つめていた。僕は唇を強く噛みしめてから、呟く。


「本当は君を危険になんて巻き込みたくない……マリアの問題は、僕の問題だ……」

「セリオン、もう私を他人事にはしないで。私は貴方とずっと一緒よ。貴方の役に立つならとても嬉しいの。だから何も気負う必要なんてないわ」

「……僕は、君に助けられてばかりだな」

「いいえ。私も貴方に助けられてきたわ。だからお互い様よ」


アーデルはフフッと微笑んだ。僕はアーデルを見つめて、抱きしめる。アーデルは優しく微笑んで、僕の背中に手を回した。ここが誰にも見られない隅の壁で良かった。

そう思ったのも束の間、いつの間にかやってきたエダンが「おお!!!アーデル!!!!」と馬鹿でかい声で騒ぎ始めたため、僕はアーデルから離れて思い切り突っ込みを入れる。


「馬鹿!!!静かにしろ!!!誰かに見られたらまずい!」

「お前だけお楽しみ中か?ずるいぞー!!!」

「ずるいとか言ってる場合か!」


エダンが騒いでる後ろに、ジャックとレオが此方の様子を伺ってくる。周りに見つかってないことを確認してから、僕は小声でアーデルに紹介する。


「アーデル、ジャックの隣に居るのはレオって名前の僕の友人なんだ。会うのは初めてだったよな?」

「あら、そうだったの?私はアーデルよ、よろしくね」


アーデルはフッとレオに向かって微笑む。レオはハッとアーデルを見つめたが、何も言わずにフッと目を反らしてしまった。


(何だこいつ……照れているのか?)


そういえばレオはエダンとジャックともあまり話していない。他人を警戒しているのだろうか。まぁ気持ちは分かるが。他人を直ぐに警戒するのは僕の癖でもある。

アーデルがレオの反応に首を傾げた同時に、クロードの声がパーティ会場中に響き渡った。


「アーデル嬢!どちらにいらっしゃいますか!!!」


アーデルはクロードの声を聞くなり、顔を思い切り歪めてからため息をつく。


「セリオン。公爵様に呼ばれたから、ちょっと行ってくるわね」

「ああ、分かった。くれぐれも周りには気を付けてくれ……アベルがどう君を狙ってくるか分からない」

「大丈夫よ!いざとなったら、全速力で逃げるわ!」


アーデルが大きく頷いてから、クロードの方に駆けていく。僕が心配そうにアーデルの後ろ姿を見つめていると、レオが声を掛けてくる。


「それで?よくは知らないが、女とちゃんと話せたのか?」

「……あ、ああ。まぁな」

「ふーん。付き合ってるのか?あの綺麗な女と」

「……っいや、そういう訳ではないが、彼女とは付き合いが深いってだけだ。色々とあってな」

「そうか。なんかあの女を何処かで見たような気がするんだよな……初めて見る顔なのに、何処かで見たような……何処だったか……」


レオは腕を組んでから考え込むような素振りをする。まさか獣の夢の話を言ってるわけではないよな?と気になったが、レオは思い出せなかったらしい。「ま、いいか」と呟いている。

アーデルの方を見ると、アーデルはクロードと話し込んでいるようだ。


僕は直ぐに周りを警戒しようと一歩踏み出した瞬間、突然パーティ会場の入り口から慌てたような召使が入って来た。


「……っ大変でございます!!!火事が!!!火事が発生しました!!!お逃げ下さい!!!激しい火がここまで!!!」


その瞬間、場の和やかな雰囲気が一変する。隣に居たルシファーがフッと笑った。


「……アベルは、行動開始したみたいだね」

「火事だって!?ルシファー、一体どうなってるんだ!?」

「なるほど。彼は僕が全て行動を読んでいることを逆手にとって、僕たちをここに閉じ込めるつもりだ。へー。屋敷の外にマリアを使って僕たちをおびき寄せるはずだったろうに、僕に読まれてるって分かってたみたいだね。ま、このことすらも読んでいたんだけどね」

「おい!意味が分からない!!!逃げないとまずいだろ!」


僕は急いでアーデルの元に走り寄ろうとしたが、周りの貴族たちが慌てふためいて扉の方に逃げようとしているため、中々アーデルに近づけない。悲鳴が屋敷中に響き渡り、クロードの「落ち着いてください!!!」という声は虚しく悲鳴にかき消されている。

クロードはアーデルを守るように立ち塞がり、扉から入って来た召使は逃げようとして、「ひぃっ!!!」と声を上げた。


その瞬間、大きな火柱が横に廊下に走るのをみた。あんな火柱は見たことがない!召使は必死にパーティ会場に入って来て、貴族たちは慌てふためいて会場の方に戻っていく。

ルシファーは僕の方をパッと見た。


「これは大変だ!アベルは火を起こしたみたいだよ。天界の力を使ったね。あんまり使ったらミカエルに怒られるのに」

「……っそんなこと言ってる場合か!どうやったらアーデルを守れる?」

「仕方ない、僕たちの力を使うしかないか。さぁ、こっちだ!」


ルシファーは手招きをしてきたため、僕はルシファーと共に走っていく。ルシファーに着いて行くと混乱する貴族たちの中を簡単に抜けられて、アーデルの前まで来ることが出来た。アーデルは直ぐに僕に気づいた。前に居たクロードは僕を見るなり目を見開く。


「……っセリオン!!!どうなってるの!?」

「僕にも分からない!!!僕が君を守るから、絶対に僕から離れないでくれ!!!」

「待て。君は……君は何故ここに居る!?」

「クロード、今はこんなこと話してる場合じゃないだろ!……っまずい!!!」


パーティ会場の扉は周りの召使の協力により閉じられたが、火は簡単に突き抜けて傍の召使が火柱に巻き込まれた。僕は直ぐに前の方まで走ってから、ルシファーの方を見る。


「どうすればいい!火を防ぐことはできないのか!消せないのか、あの火は!!!」

「消すことはできない。あれはアベルの「怒りの炎」だからね。それがこの世界で現象化されたに過ぎないんだ。だから守ろうよ!」


僕はルシファーの言葉に頷いて、ルシファーと手を合わせる。そのまま目を瞑り、強い力を念じた。ルシファーの白い翼は大きくはためき、僕とルシファーの身体は宙に浮かぶ。

僕は強く守る力を念じた。その瞬間、光の大きな壁が目の前に出現し、強い火柱が此方に勢いよく来たと同時に、光の壁で炎を防いだ。

僕たちは壁に防がれた火柱を上から見つめて、横のルシファーはフッと笑う。


「さて、今頃屋敷の周りも火柱でいっぱいだろうね。だから僕たちはここから逃げられなくなってしまった。よく考えたよ、アベルも」

「つまり閉じ込められたってことか!?」

「窓を見てごらん。赤い色の空になっているだろう?アベルは命がつきようとも、全ての力を使うつもりだ。カインに気づいてもらうためにね……」


宙に浮かんだまま窓の方を見ると、空は不気味に赤く稲妻が光っていた。突然の天候変化に僕は驚いたが、ルシファーは僕の方をジッと見つめる。


「大丈夫。ここに居てくれれば、僕が守るから……外で何が起ころうと、僕が神の民を守るから……ここに居てくれ」

「ルシファー?」

「ただここに居てくれさえすれば、僕は守れる。外で戦いが起ころうとも、稲妻が光ろうとも、僕の力で守ることが出来る。大抵の人々は混乱するかもしれない。だけど必ず僕が守るから……僕が光の壁で守るよ。神の民たちをね」


ルシファーは誰かに向かって話すように僕に話してくる。きっとこの言葉は、神の民に向けて話しているのだろう。戦いが起きても、疫病が起きても、「死」を前にして人々が迷ったとしても……ルシファーが守ると話しているのだろう。僕も強く頷き返してから、後ろを振り返る。

貴族たちは僕を見上げて、唖然と口を開けていた。一体何が起きているのか分からないのだろう。クロードとアーデルも驚きながら僕を見つめている。

僕とルシファーが床にゆっくりと降りると、アーデルは僕の方に直ぐに駆け寄って来た。


「セリオン!大丈夫!?」

「ああ、大丈夫だ。僕たちは閉じ込められてしまったようだ……このパーティ会場にな」

「何ですって!?閉じ込めるって一体……」


アーデルが顔を歪めると、ルシファーはフッと笑ってから、アーデルの方に近づく。


「大丈夫。アベルはアーデルを狙っているけれど、僕とセリオンが守るよ。アベルの狙いはセリオン、君でもある。君をここに閉じ込めてしまえば、夢から醒めないって思ったんだろうね。僕がここに居る限り無意味なのに、彼の抵抗も必死なようだ」

「何だって?僕も狙いだったのか?」

「うん。君はこの世界の神だよ?忘れているかもしれないけどね。アベルは同時に、創造主である僕も閉じ込めてしまいたいらしい。ははは、面白いね」

「今笑っている場合じゃないだろ!この壁はどれくらい保つんだ?」

「ずっとだよ。ずっと守ることが出来る。無意味な戦いからね……僕が先頭で守るから、君は後ろに居てくれればいい。後は僕に任せてくれ。僕がこの戦いに決着をつけるよ……最後にね。君はそこで楽しみにしておいてくれ」


ルシファーは片目を瞑って見てきた。今の言葉は、今の場面のことではなく、世界全体のことを言ってるような気がしてならない。強く頷き返すと、クロードは僕の方に走り寄って来た。


「一体何が起きてるんだ!まさか、君の仕業か!?」

「……っんなわけねえだろ!どう考えても!どれだけ犯罪者に仕立て上げてえんだよ!」

「そうよ!そんなわけないでしょ!正義感男なのもいい加減にしてよ!!!」


僕に続いてアーデルも暴言を吐いたため、クロードは唖然と口を開けたが、直ぐに僕に言い返してくる。


「君をパーティには招待をしていなかったはずだが!?それに今の力は何だ!?」

「用があってきたんだよ!そもそもお前のせいで、今のとんでもない状況が引き起こされているんだが!?いい加減アベルのことを思い出せよ!!!」

「何の話をしている?直ぐに話を逸らすのはやめたまえ!今私は君の不審行動について話して……」

「今は僕のことよりも、目の前の状況だろ!お前の屋敷が燃えているんだぞ!?少しは危機感を持てよ!」


図星なことを言われたからか、クロードはようやく口を噤んだ。僕が息をつくと、エダン達は僕の方に走り寄って来た。

レオは眉を顰めて、今も尚光の壁を襲う火の柱を見つめる。


「おい……一体何が起きてるんだ?」

「僕にも分からない……アーデルを狙っている男が何かしているようだ」

「はぁ!?こんな火は見たことがない。不自然に俺たちの方に向かってるじゃないか!」

「ああ、そうだな……人工的に起こされた火らしい。ここに居れば安全だ……だが同時に、アベルの思惑通り、檻の中に閉じ込められたとも言える」


僕が冷静に光の壁の向こうのを見つめていると、炎が急に揺らめいて、中から二つの人影が見えた。警戒してアーデルを後ろに庇うと、フードを被った仮面の男アベルと、冷静な表情のマリアが炎を抜けて現れた。僕は思わず息を呑んで、二人を見つめる。


アベルは心底嬉しそうに笑いながら、僕たちを見つめた。


「ははははは!!!これはこれは。皆さんご機嫌よう!まるで閉じ込められた小鳥のようじゃないか!中々面白いことになってるな!どうだ!?クロード!熾天使様……そして……主よ……」


素顔が見えないアベルはルシファーの方を見つめる。ルシファーはニッコリと笑って見せた。


「やぁ、アベル。元気そうだね。僕の声はとっくに聞こえて、僕の姿も見えているというのに、何で僕の元に帰って来ないんだい?」

「……それについてはお話したでしょう?俺はまだ終われない。終わることは許されない……俺が俺に!!!はははははは!許せねえんだよ!!!何もかも!!!なぁ、許せると思うか!?」

「ううん、君の場合は許す必要はない。ただ僕の元に戻って来てくれるだけでいいんだよ」

「はっ!主は相変わらずだな!俺は敢えて迷ったんだ。この物語は終われない……終わらせるものかよ!殺人!?いいじゃねえか!天界に行けば何もなくなる!つまらねえだろ?なぁ……熾天使“ルシファー”」


アベルは、今度は僕の方を見て低く“ルシファー”と名を呟いた。僕はジッとアベルの方を見つめる。


「何でお前は“そっち側”についているんだ?お前はこっち側だったはずだ。闇を愛してこそ「ルシファー様」だろ?何で光側になんて戻りやがった!光側は何もなくなるだろ!この最高に楽しい殺人劇も見れなくなるぞ!?それの何が面白いってんだ!?なぁ!?」

「……僕は、気付いたんだ。無意味な舞台を続けていたことに……アベル。お前も迷っていると言うのなら、早く気づいた方が良い。何も始まってすらない。この世界では……」

「始まってすらいないね?ははは!面白いことを言うじゃないか!ここがなんであれ、俺にとっては最高の居場所だ!楽しくて仕方ねえよ!人間達が狂う姿!馬鹿みてえに「情報」に踊らされる姿!最高だろ!?お前はこの世界の神だろう!何してんだよ!なぁ!最高に「狂気な世界」を作るんじゃなかったのか!?なぁ!!!」


アベルは段々と声を荒げて、僕に向かって叫んでくる。僕が何も言わずにアベルを見つめたままで居ると、アベルは「つまらねえなあ」と呟いた。


「そこまでお前がつまらねえ奴になったとはな。なら次の神は俺だな!!!ははは、いいだろ?お前を消して俺がなればいい!!!」


アベルは高笑いをした後に、手を前に出す。すると壁に迫って来る炎の勢いは強まり、光の壁の内側に居た貴族たちは怯えたような悲鳴を上げた。しかし光の壁はビクともせずに、僕たちを守り続けている。アベルは冷静に炎を見つめた後、舌打ちをした。


「ああ、そうかよ!!!結局主のお力には俺は叶わないってわけかよ!ここまで力をつけたのによ!結局無駄骨か!?ははは……冗談冗談。俺にはまだ手段が残っているがな!!!」


アベルは呆然と立っていたマリアを引き寄せると、マリアは目を見開いた。

アベルは「くくく」と楽しそうに笑い出す。


「ほら、この女だろ!?この女が鍵なんだよなあ!?なぁ!!」

「クロード様……助けて……」


マリアはクロードの方を見て一筋涙を流す。アベルはその瞬間、フードを降ろし仮面を取った。クロードが大きく目を見開く。アベルの髪と目は青く、怒りに満ちた表情をしていた。クロードは信じられないものを見るかのように大きく叫んだ。


「何で!!!何故だ!!!ずっと行方不明だったはずだ!!!ルーベン!!!何故お前が……お前がまさかこんなことを!?」

「さぁ?ご想像にお任せしますよ、クロード公爵様……いえ、お兄様とお呼びした方が宜しいですか?」

「待て、その姿は何だ!?その髪色と目の色は一体……」

「はは、どう思います?貴方のことですから、可愛い弟が反抗期に入ったくらいに思いますかね?ははははは!!!マリア……さぁ、全てを開始しようか!!!」


アベルはマリアの首飾りを力強く掴んだ。その瞬間、首飾りの黒い煙はマリアを纏い、マリアは黒い煙に包まれた。マリアはいびつな音を立てて姿形を次第に変えていき、前に夢でみた大きな黒い狼に姿を変えた。

狼の見た目をしていたが、角は四本あり、口を開けると鋭い牙が光っていた。呆然とそれを見つめると、獣は何処か物悲しそうに唸る。

アベルは獣を見て、満足そうに笑みを見せた。


「はは、良い姿になったじゃねえか。やはり素晴らしいですね、熾天使ルシファー様のお力は……貴方はこんな素晴らしい力を、手放そうとしているのですよ?自分がやろうとしていることが、分かっておられるのですか?」

「……っマリアに何をしたんだ!?」


僕が壁越しに叫ぶと、アベルは可笑しそうに笑い声を立てる。


「貴方がやったことでしょうに!貴方がこの女に呪いをかけたんでしょう!そのおかげで世界はめちゃくちゃだ!まぁ、いいんですがね。おかげで俺にとっては、最高に楽しい世界になった。貴方がいなかったらこの世界はつまらなかったでしょう。貴方がいなければ、創造主様がおもちゃでも出して、子供たちをあやして終わっていたでしょうからね!どれだけそれが退屈か……まぁ創造主も全て分かっていたのでしょう。なぁ、創造主よ……飽きたと言うのなら、俺に神の権利を渡してはいかがですか?」

「はは、アベル。そんなに僕の権利が欲しいなら勝ち取らなきゃ!僕は最後にこの世界にゲームを残していくんだ。「神の玉座を奪い取れ!」ってゲームをね。さ、こんな無意味な戦いはやめにしようよ。君は楽園に帰りたくないのだろう?君が地獄を選ぶなら、強要はしないよ」

「玉座を勝ち取れね?貴方はいつも通り、面白いゲームを考えついたつもりでしょう。その態度が、俺のような人間を腹立たせていることにお気づきですか?最後に貴方に傷の1つでも負わせねえと気が済まねえな。だから俺は……最後まで貴方に抵抗して見せますよ。どれだけ人間が愚かであろうともな!!!!!」


アベルは最後の言葉を大きく叫ぶと、手を大きく前に出した。横に居たマリアだった黒い獣は「ぐるるるるる」と唸ってから壁に向かって突進してくる。黒い獣は光の壁を突き破ってしまった。

咄嗟に僕はアーデルを後ろに庇うと、黒い獣はジッと此方を見つめる。僕は獣に向かって叫んだ。


「マリアなのか!?いや……これは僕が造り出した罪の証か……だからこの壁すらも通り抜けた……そうか……ついに僕自身と戦わないといけない時がきたのか……」


呆然と立ち尽くしていると、獣は僕に向かって突進してきた。直ぐに光をイメージして、獣を光の縄で縛り付けようとする。しかし光の縄は簡単に取れてしまい、獣は僕の腕にかみついてきた。

獣の牙が強く僕の腕に食い込み、思わず苦痛に叫び声を上げてしまう。


「……っぐあっ!!!!」

「セリオン!!!」


アーデルの声と共に、僕は獣と一緒に吹っ飛ばされた。腕からは血がダラダラと流れて、身動きが取れない。獣は僕を喰い尽くそうと口を大きく開けた。


(……喰い殺される!!!)


獣の勢いに思わず目を瞑ると、目の前にはルシファーがいつの間にか来ていて僕を強く抱きしめた。獣はルシファーの白い羽に噛みつき、噛みちぎろうとしてきた。僕は咄嗟に叫ぶ。


「ルシファー!!!」

「……大丈夫だ。僕を傷つけることはできないさ。耐えてくれ……僕は、大丈夫だから」


獣がルシファーの羽を噛みちぎっても、ルシファーは獣から僕を必死に守るように、僕を強く抱きしめたままだった。僕は……僕は何をしているのだろうか。

そうか……創造主を最終的に傷つけることになったのは、僕のせいでもあるのかもしれない。なのにルシファーは笑ったまま、僕を守り続けていた。

その瞬間、横からクロードが走って来て、黒い獣に剣を振り下ろした。しかし黒い獣に剣は当たらず、クロードは思い切り跳ね返されて倒れた。


「……くそ!何だこの獣は!!!おい、ルーベン!!!もう辞めろ!!!」


クロードはアベルに顔を向けたがアベルは不気味に笑ったままだった。次にエダンが奥から走って来て、獣に向かって体当たりしようとしたが、黒い煙によって簡単に吹っ飛ばされてしまった。


「うおおお!?」


エダンまでも床に倒れてしまうと、獣はより勢いを増してきた。ボロボロになったルシファーの羽を完全に掴むと、ルシファーを宙に放り投げた。


「……っルシファー!!!」


ルシファーは光の壁に激突して、そのまま床に倒れた。僕はもう一度光の縄で獣を縛り付けようとした。だが、獣には効かない。もう一度獣は大きく口を開けた。今度こそもう駄目だと思った瞬間だった。アーデルがいつの間にか僕の目の前にやってきており、僕の目の前で背を向けて、庇うように両手を広げた。


「もう辞めて!!!お願いよ!!!もう辞めてよ!!!」

「……っアーデル、危ないから離れていろ!!!」

「……無理よ、セリオン……貴方が傷つくのなんて見ていられない!ねぇ私が目的なんでしょう?私はここよ!だからどうかセリオンを傷つけないで!!!お願い!!!」


アーデルは泣きながら獣に向かって叫んだ。獣は強く唸ってから、アーデルに向かって口を開けた。僕は何とか立ち上がってアーデルを庇おうとしたが、腕の傷が酷いせいで立ち上がることは出来ず、アーデルは獣に噛みつかれてしまった。

黒い獣はアーデルを簡単に口に咥えた。その瞬間アーデルの周りに黒い煙が纏い、突然アーデルは気を失ってしまう。


「……っアーデル!!!待て、おい……そんな……」


獣はアーデルを口に咥えたまま満足そうに僕を見下ろしてから、アベルの方にゆっくりと戻っていく。アベルは心底可笑しそうに笑い声を立てる。


「ははははは!中々やるじゃないか!おい、見ろよ!クロードのあの表情を!なぁマリア、お前にとっても最高の復讐になっただろう?さぁ何処までも行こうぜ。俺たちでな!!!」


アベルは高らかに笑いながら僕たちを見てから、大きな黒い獣に簡単に飛び乗った。獣に乗ったまま僕たちをニヤリと笑って見下ろして炎の中立ち去っていく。僕は何とか立ち上がって獣を追いかける。


「……っ待て!!!アーデルを連れて行くな!!!」

「……うるせえな、熾天使もおしまいだな!今更正義感ぶりやがってよ……」


アベルは一瞬だけ振り返ってから、僕に向かって炎を放ってきた。僕は何とか光の壁を作って防いだが、衝撃は強く思い切り吹っ飛ばされて、エダンが何とか僕を受け止めた。エダンに抱えられたまま、僕は何とか意識を失わずに口を開く。


「ごほっ……待て……アーデルを連れて行く必要はない……僕を連れて行けばいいだろ!?」

「はっ!そこまで堕ちたお前なんて今更必要ねえよ!前のお前なら別だけどな!」


アベルは最後に言い残してから、獣に乗ったまま扉から出て行ってしまった。クロードはその後を追いかけて行こうとして、エダンに止められる。


「今行っても、お前はやられるだけだぞ?」

「アーデル嬢を取り戻さなくては!!!あの獣は一体何なんだ!?」

「いいか、どんな戦いにも見極め時がある。今は引け。引いてから考えるんだ」


エダンは真剣な瞳でクロードに言うと、クロードは言葉の真意が通じたのか、「くそ!!!」と吐き捨てるように言い放ってから剣を下した。

奥に倒れていたルシファーは起き上がると、ボロボロの翼のまま僕の方に走って来て、エダンに抱えられた僕の顔を覗いてくる。


「エダン、今のは良い判断だ。セリオン、傷が酷いね……直ぐに直さないと。君が弱っていると僕の力も使えない。医者に見せようか」

「……っ僕が弱っていると力が使えなくなるのか?」

「うん。今は君の中に現われることによって、僕の力は表現されているんだから」


それを聞いたエダンは、落胆していたクロードに直ぐに声を掛ける。


「よしクロード!医者を連れてきてくれ!セリオンがまずい」

「……そうだな。今すぐ手配しよう。こんなことになるとは……今の男……ルーベンは私の弟だ……ずっと行方不明だった。そうだ……私の召使は無事か!?」


近くに居た召使に声を掛けると、召使は怯えた表情のまま「公爵様、私たちは無事です……」と声を震わせて答える。クロードは頷いてから、僕の方を見る。


「君を疑ってすまなかった……塔の騒動、そして今の全ては……私の弟によるものだったようだ……今すぐ医者を手配しに行ってこよう」


クロードは僕に素直に謝ってから走り出して扉から出て行ってしまった。ルシファーはクロードの背中を見つめたままポツリと呟く。


「はは……本当に彼らしいね。セリオン、君は忘れてしまったかもしれないけど、実は天界の時から、ずっと彼はああなんだ。彼の思う正義こそが正義としか認めない、堅物さ。ま、そこも面白い所なんだけどね。カーティスと良く話していたよ。「彼は変わらないよね」ってね」

「……そう、なのか……」

「怪我が酷いね……軽くだけど治療しよう。治癒の力までは今は使えないけど、包帯くらいなら出せるよ」


ボロボロの翼のルシファーは指をパチンと鳴らすと、薬と包帯を取り出す。僕の服を上半身だけ脱がせてから、器用に薬を塗った後包帯を巻いていく。僕はルシファーの手際の良さを見てから、目を見開く。


「……手際がいいな……貴方が居たら……医者もいらないのかもな」

「はは、そうだね。クロードに考える時間を与えるために医者を呼ぶのは必要だったのさ。アーデルを追いかけたい気持ちも分かるけれど、まずは別室に移動しようか。君は少し休んだ方が良い。さっき光の力が上手く使えなかったのは、君がまだ迷っているからだ。そのことについて後で話そうよ。さ、移動するよ。エダン!セリオンを抱えてくれ」


ルシファーの合図でエダンは直ぐに僕を抱えると、歩き出す。周りの貴族たちは恐怖で震えながらその場に留まっていたが、エダンとレオとジャックと僕はルシファーの後ろに着いて歩き出した。


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