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悲劇のパラノイア  作者: エデン
第4章
22/34

第22話 ルシファー

平民街に着いたのは、深夜に近かった。馬車の御者は僕の家の前で降ろしてくれたため、エダンとジャックと共に僕の家に入ろうとした途端、遠くで女の悲鳴が聞こえ出す。


「きゃーーー!!!」

「……っ何だ!?」


僕たちは慌てて悲鳴の聞こえた方に走り出すと、若い女性に男が刃物を持って襲い掛かっている。後少しで女の胸に刃物が突き刺さりそうになった瞬間、僕は目を見開いて天使の力を使った。


「……っぐああああ!?」


光の縄は男を縛り上げる。男は苦しそうに呻いて、直ぐに気絶してしまった。女性は震えながら地面に倒れこんでいたため、僕は急いで駆け寄る。


「大丈夫ですか!?」


女性の身体を支えて起こすと、女性は「うう……」と苦しそうに呻いている。僕は女性の瞳に覗き込んでから、声を掛ける。


「怪我は?」

「え、ええ……大丈夫です。ありがとうございます……」


女性が震えていたため、僕は支えるように女性を起こしてあげると、女性は涙ぐみながら突然僕に抱き着いてきた。突然の行動に僕は呆然と立ちすくむ。


「……っ怖かった!一体今の光はなんですか!?何が起こったのですか?」

「いや、僕にも分かりません。でも貴方が無事で良かったです」

「……そうですか……あの、貴方が居てくれて良かったです。どうかお礼をしたいので、私の家に来てくれませんか?今は手持ちのお金がないので……」

「いや、お気持ちだけで十分です。それに僕は何もしてませんよ」


僕が笑顔で断ると、女性は首を横に振ってから僕を抱きしめるのを辞めない。あまりにも強く抱きしめてくるものだから、僕はついに言ってしまった。


「怖かったのは分かりましたが、もう安全です。離れても大丈夫ですよ」

「……怖くて仕方ないのです。どうかお傍に居て下さい。私の家は近所にあります。家まで送って頂くことはできませんか?またこの男が襲ってくるかと思うと怖いわ……」


女性は涙ぐみながら、僕を見てくる。僕は頷いてから、女性を自分の身体から無理やり離して話し出す。


「……分かりました。夜道は危険でしょうし、家まで送りましょう。おい、エダン!ジャック。この女性を僕は家まで送って来るから、気絶した男を警備兵へ追放してくれ!」


僕はエダンとジャックに声を掛けてから、女性と共に前へと歩き出す。少し歩いた途端、横に居た女性は突然僕の手を掴んできたため、僕は女性の方を見た。


「ねぇ、貴方はあのセリオンさんですよね?実は私、貴方の演劇を観ていたことがあります」

「……ああ、それは嬉しいですね。観て頂きありがとうございます」

「私、貴方のファンなんです。どうか私の家でくつろいで言ってくれませんか?貴方の演劇の話を聞きたいのです」

「ああー……そういう私的なことは、僕は行っていないんですよ。すみませんが……」

「あら、どうして?貴方ってとても素敵です」


女性は笑顔で見てくる。僕は曖昧に笑いながら、女性の手を離すと同時に、誘いをやんわりと断った。


「今は何処にも所属はしていませんが、演劇のことを、お客様にお話しする訳にはいきません。僕はプロですので、そういったことは秘密なんですよ」

「いいえ、演劇の話を本当にする訳ではないことは分かるでしょう?」

「そうですね。貴方の考えは分かりましたが、僕は決してそのようなことは……」

「でも私……貴方のことがずっと好きだったんです」


女性はうるうるとした瞳で僕を見つめてくる。僕は大きくため息をついてから、首を横に振った。


「そういったことは辞めましょう。互いのためになりません」

「っでも……どうか私と夢の一夜を過ごしてくれませんか?ずっとファンだったんです!」

「……はぁ。だから……」


僕がもう一度声を大きくして女性に言おうとした途端、後ろから物凄い足音を立てて走って来る音が聞こえてくる。嫌な予感がして後ろを振り向くと、エダンが満面の笑みで「聞こえましたよー!!!」と叫びながら、猛スピードで走って来る。


「お嬢さん!!!貴方の思いはしかと聞こえましたよ!俺と一夜を過ごしたいと!よくぞ言ってくれました!!!」


エダンは満面の笑みで女性の傍まで来ると、女性をガバッと抱きしめようと構えた。女性は「ひっ!!!」と声を上げて固まってしまう。エダンが強く女性を抱きしめた途端、女性は黒い煙になって消えてしまった。

黒い煙は散り散りになり、風に乗って消えていく。黒い煙が消える瞬間、女の声で大きく叫び声を上げた。


「後少しだったのに!この男さえ取り込んでしまえば、夢の世界は続いたというのに!!!」


女の悲痛な叫びは黒い煙と共に消えて行った。僕は呆然と女性が居た場所を見つめて、エダンは「ありゃ?何だ?」と辺りをキョロキョロと見回して叫んでいる。


「誘ってくれた、お嬢さんは一体何処に!?おーい!お嬢さん!俺のご立派はいつでも準備万端なんですよ!おーい!!!何処ですか!?お嬢さんー!!!」


エダンは女が消えたことに動揺したのか、辺りを見回して必死に女の姿を探している。僕が立ち尽くしていると、横にルシファーが現れた。


「あーあ。やっぱり行動に移してきたか。よくあっち側がやることだね」

「……どういう意味だ?あの女性は何だ?」

「はは……僕は気づいていたが、敢えて言わなかった。ほら、良い教訓になっただろう?目覚めと共に、君の最も弱い所でエゴの塊は襲ってくる。君は目覚めて良い人になったから、彼女を助けたね。だが、それすらも君の隙になってしまった……いいかい。エゴの前で君の力は見せないことだ。光側を必死に消してこようとするのが、彼らだからね」

「彼らって、誰だ?」


僕がルシファーに目線を向けるとルシファーは、くつくつと笑いながら話し出す。


「人間達だよ。いや……最早人間と言えるのかな?彼らは夢の中に取り込まれてしまい、本当の姿を見失ってしまった存在だ。もっともらしい言葉で彼らは助けを求めたり、君を闇に引きずり込もうとする。君こそがこの世界の鍵であることを、人間……いや黒い獣たちは分かっているんだ」

「どういうことだ?人間が何で黒い煙になったんだ?」

「ここは僕の世界だ。ある程度操作は可能だが、あの黒い獣だけは別だ。実態は持たないが、煙のように何処にでも入り込む。僕が光側として送り込んだ人々すらも、吞み込もうとする。夢から覚めたくない、この素晴らしい夢から覚めたくない……獣の鳴き声がそれだよ」


ルシファーは淡々と話してはいたが、何処か面白そうに皮肉めいた笑いをしてくる。


「本当に面白いよな。僕の愛の言葉も聞こえなくなってしまうほどに、世界は勝手に動いていく。彼らが帰る場所は決まっているのに、彼らはずっと「帰りたくない!」と叫んでいるんだ。そして幻想の愛に浸ってしまう」

「貴方にとっても、世界は予想がつかない方向に進んでしまったのか?」

「……ある意味では、そうだ。だが僕は神だ。全てを分かっている博識な存在だ。彼らの行動を分かった上で、僕は彼らを上から見定めている。時には慎重に……彼らに言葉を手向けることもあるが、彼らは一切聞こうとはしない。僕はずっと彼らを愛しているのにね」

「だがこの世界はルシファーである貴方が作った舞台だろう。僕は天界でのことは覚えていないんだ。貴方は何故こんなややこしいことをしたんだ?」


僕が率直に聞くと、ルシファーはニヤッと笑いながら僕を見つめる。僕を見定めるような表情になってから小さく耳元で囁いてきた。


「さてね?君が一番よく分かっているんじゃないか?いいかい。僕がこの舞台を愛していることだけは確かだよ。僕の顔は1つではない。色んな姿になって人間たちの前に現われている。エゴの塊である人間が絶対に気づかない姿で潜んでいる。こうして君に現われている僕も、実は僕の一部分だけに過ぎないんだ。僕は、今は玉座に座ったままだからね」

「玉座に座ったままだって?」

「ああ、そうだ。玉座を今は守っている。いずれそこから離れる時が来るが、今はまだ座っているよ。彼らの様子を上からずっと見ているんだ。そして光の輝きを見つけにいく。連れて行ける者は、僕の世界に連れて行きたいからね」

「……そうか。貴方は本当にこの世界を愛しているんだな」


僕が頷くと、ルシファーは笑い声を立ててから僕をジッと見つめてきた。


「君もだよ。君もこの世界を愛しているんだ。だからこそ、光の役目を持ってきた。彼らを救うためにね。君は凄い存在なんだよ。結論から言えば、君も僕なんだけどね」

「そうなのか?貴方と僕は同じなんだろう?何でここまで意識として分かれてしまったんだ?」

「それは僕がそう君を作ったからね。ま、深いことは考えないで大丈夫だ。君は君の役目に集中してくれ。いずれ僕たちは1つになる。それだけは確かだ。じゃあまたね」


ルシファーは光に包まれて消えてしまった。それと同時に辺りを必死に探していたエダンはシュンと落ち込みながら、僕の方に向かって歩いてくる。


「ああ!お嬢さん……一体何処に行ってしまったんだ!」

「……馬鹿。あれは幻だ……エゴ側の罠らしい」


僕は突っ込みを入れたが、全く僕の話を聞いていないエダンは、落ち込みながらトボトボと僕の家の方に歩き出す。僕は大きくため息をついてから、倒れた男が居たはずの地面を見てみると、気絶した男すらもすっかり消えていた。


(まんまと、してやられそうになったんだな……)


僕は首を横に振ってから、僕の家へと足を進める。僕は光の役目に目覚めたんだ。これからはより気を引き締めて行かなければならない。どんな形で、黒い獣が襲ってくるか分からないからな。


***


次の日の朝、エダンとジャックがまだ眠る中、僕は家に残っていたパンとチーズの朝ご飯を食べながら思考し続けていた。


(アベルの話も気になるが、まずはマリアにかけてしまった首飾りの呪いを解かなければいけないよな……あの呪いの解き方が分からない。それにマリアは攫われてしまった……まさかアベルは、あの首飾りがこの世界の鍵であることを分かっていたのか?)


僕が黙々と食べながら考えていると、横に肘枕をして寝転がっているルシファーが現れる。僕は直ぐにルシファーの方を見つめた。


「……っルシファー」

「やぁ、おはよう。セリオン、君が悩んでいるようだからまた現れてみたよ。首飾りのことがそんなに気になるかい?」

「……ああ。気になって仕方がない。何で前回マリアの首飾りの呪いは解けなかったんだ?どう解けばいい?」

「はは。あれは僕の出した「謎かけ」なんだ。解き方を言ってしまえばつまらないだろう。この世界もそんなもんだ。僕の出した謎かけが、あちこちに転がっているよ」

「貴方の出した謎かけだって?」


僕が唖然としてルシファーを見ると、ルシファーはいつものように面白そうに笑っている。

ルシファーも僕であることは分かってはいるが、神というのはこういう性格だったのか。

いつも何処か面白そうに僕を見つめて、時には皮肉めいたことも言ってくる。皮肉めいたところは僕そっくりであるが、何故ルシファーはいつも面白そうなのだろうか。


「そうだ。僕の出した謎かけは、この世界のあちこちにあるんだ。君はそれを見つけられるかな?光の欠片として、集めてみるのも面白いかもね?」

「この世界のあちこちにだって?例えば何処なんだ?」

「さぁ?君が探してみなよ。君が一番よく分かっているだろう。どんな所でもいい……君の見るもの全てが謎かけだ。人間は僕の出した最高に面白い謎かけよりも、幻想の幸せの方が楽しいようだけど、本来ならこの世界はもっと面白い世界なんだよ」

「そうなのか?貴方は「謎」をこの世界に仕組んでいるのか?」

「ああ、そうだ。実はこの世界は「神の謎解き」を楽しむ世界だったんだよ。どれだけこの世界の価値観で頭の良い人でも、中々見つけられない……でも固定価値観さえ捨て去れば、どんな人でも見つけることが出来る。楽しい問題だ」

「固定価値観さえ捨てれば、貴方の謎が見えるってことか?」


ルシファーは僕を見ながら、やはり面白そうに笑っている。床に自由にくつろぎだす。


「ああ、そうだ。君の感覚を研ぎ澄ませてみろ。目に映る文字……物、植物、何だっていい。僕の謎はあちこちに転がっている。僕との内緒の合言葉を見つけた時、君はちょっと得意な気分になるかもね?」

「得意な気分ね……それは、それほどに面白い謎かけなのか?」

「ああそうだよ!普通には分からないようにしているんだから。でも大丈夫。誰にだって見つけられるほどに、簡単でもあるんだ。だからこの世界は最高に面白いのさ」

「なるほどな……だが人間は貴方の声が聞こえなくなったんだよな?」


僕がルシファーに目線を合わせると、ルシファーはフッと笑って、パッと起き上がる。ルシファーは「あはははは!」と笑いながら楽しそうに僕の周りをくるくると踊り出している。突然のルシファーの行動に僕が呆然としていると、彼は突然ピタリと止まった。


「おや?びっくりしたような顔をしているね」

「そりゃ、突然くるくると踊り出されたらな……」

「はは、君も似たようなことをやっていただろう。マリアの日記を持ちながら、くるくると回っていなかったっけ?」

「ああ……そんなこともあったか」


僕はふとマリアの日記をアーデルに読み上げた時のことを思い出す。あの時僕は、想像でドレスを纏ってくるくると回りながら演じてみせた。今思えば、あの時の僕は狂気にハマっていたのかもしれない。ルシファーはニッコリと笑う。


「ほら、僕たちはよく似ているだろう?勿論同じ存在ではあるんだけどね。そうそう。さっきの質問だが、君の言う通りだ。人間は僕の言葉をずっと聞かない。ずっと眠ったままだよ」

「……本当にそうみたいだな。僕は貴方のことを思い出したから、何とかなっているが、人間ほど幻想に浸りやすい生き物はいないだろうな」

「ああ、そうだね。それほどにこの世界の幻想は、人間達にとって魅力的なんだろう。もっと面白いことがあるのに、皆は何処を見てるんだろうね?」

「分からないな……ここまで来てしまえば、夢の世界にハマってしまったのは人間のせいなんだろうか。人間は神の声を無視し続けたんだろう?」

「んー無視というよりは、「聞こえなくなった」の方が正しいよ。人間達は夢の世界に埋没するうちに、僕の居る場所からは遠くの方へと行ってしまった。だから僕としても、僕の言葉を届けるのが、難しくなってしまったんだ。だからこそ人間である君が居るのさ」


ルシファーは僕の方に近づいて、ジッと見つめてくる。あまりの至近距離に僕は少しだけたじろいでしまった。


「セリオン、お願いだ。君はとても重要な役目を持っている。僕の声を彼らに光として示してくれ。僕を信じてくれれば、大丈夫だ。それだけでいいんだ」

「……大丈夫だ、僕は貴方のことを信じている」

「人は疑いやすい生き物だからね。実は君が僕のことを信用しきれていないことは分かっている。僕は君のことが大好きだ。僕に全てを預けてくれれば、大丈夫だ。僕が神を見失ってしまった人たちに伝えにいくから……君は呪いのことだけを考えてくれればいい」

「ああ、分かったよ。僕は貴方のことを信用しているし、ここまで現実として現れてしまえば信用するしかなくなるだろう。僕は天界でのことを完全に思い出した訳ではないが、現実ではあり得ないことがここまで起こっているんだ」

「はは、そうだね。いいかい、君の力は注意して使うんだ。誰が見張っているか分からないからね。かといって、「遊び心」は忘れないでくれ。君の中に眠る「誰かを笑わせようとする気持ち」はとても重要な部分なんだ。僕はずっと君を守っているから。姿として見えない時もずっと守っているから。それだけは忘れないでくれ」


ルシファーの強い視線に、思わず僕は頷いてしまうと、ルシファーはようやく顔を綻ばせて笑った。


「……ありがとう。それじゃあ、また遊ぼうか」


ルシファーは笑顔のまま光に包まれて消えて行った。僕は本当に彼のような性格だったのだろうか?今となっては自信がなくなってきた。ルシファーという男は、何処かキザな気がしてならない。僕がパンを持ったまま悩んでいると、横で眠っていたエダンがむくりと起き上がる。


「……おお?朝か……昨日のお嬢さんは残念だった……」

「朝起きて一番に言うことがそれかよ。昨日のは幻だって言ったろ」

「幻には見えなかったがな?お嬢さんは、最高にいい尻をしていたぞ!」

「もういい。お前にはどうせ触れられない系統の幻だろう。お前はそういう意味で強い光だからな」

「おおっ!?触れられない女の尻がこの世には存在したのか……」


エダンはシュンと項垂れたまま、傍の籠に入っていたパンを何個か取って食べている。僕はため息をついてから、ぽつりと呟いた。


「アーデルの手紙が来るまでどうするかだよな……婚約パーティの日、貴族街には商人の恰好で入り込もうとしているが、商人なら何かそれっぽい荷物が必要か?お前は商人の息子なんだろ?何か知らないか?」

「それなら俺の家に来いよ。商人の荷物なら俺の家にあるからな。ちなみに俺の家は武道訓練場の近くだ。ついでに武道訓練場も見に来いよ。楽しいぞ?」

「ああ、分かった。そういえば、お前はこの世界が実は夢で、船が出航することを既に知っていたんだろ?わざと黙ってたみたいだけどな。家族や友人に伝える作業に入らなくていいのか?」

「そうだな。俺も知ってはいたが、俺の周りの奴らは大丈夫だ。伝えなくても、船の出航を知っている人達だ。まぁお前が最後に皆に伝えるかもしれないがな」

「……なぁ、あれだけアーデルに伝えておいて何だが、実はまだ現実味がないんだ。僕がルシファーで、天界と関わった天使であることも思い出したが、この世界は、そんな本の世界のような世界だったのか?」


僕がエダンに聞くと、エダンは笑顔のまま僕を見つめる。そのままパンを持ってない方の手で、肩に手を置いてきた。


「大丈夫だ。お前のことはずっとルシファーって天使が見ているんだろ?そいつを信じて真っ直ぐ進め。振り返るな、真っ直ぐ進んでいけ。それだけでいいんだ。お前の光は灯ったんだ。これからずっとお前に灯ったままだ。特にお前のような慎重な性格ならな」

「お前って、案外僕のことよく分かってるんだな」

「ああ、最初からお前のことは分かっていた。俺たちの役目を思い出したのは、お前と関わって少し経った後だったが、お前なら出来ると見えている。分かっているんだ。お前の中の神はな」

「……そうか。お前もたまにはいいこというじゃないか」

「そりゃ最高でハンサムなエダン様だからな!よっしゃ!セリオン。パンとチーズ以外に何か食べ物はないのか?」

「ない。欲張り言うな。最近買い出しに行けてなかったんだ……ああ、そうか。船が出航すればこんな生活も終わるんだな……」


パンを持った手を見つめたまま、呆然と考える。船が出航するときには、当たり前のようにあった日常の全て。飲み食いすることや、人間達が造り上げた幻想の愛に浸ること。その全てが消え去ってなくなるのだろう。だがそれは「本来の姿に帰ること」とも言える。

人間達が幻想の夢から覚めて、本質の姿に戻っていくのだろう。


ルシファーは、現実的に感じる世界を作った。本来ならば人間達は神と頻繁に話し、時には笑い、もっと豊かな世界になっていたのかもしれない。


ふと目を瞑って考える。ルシファーと人々が笑い合って語り合う姿を思い浮かべる。

豪華なご馳走とワインの入ったグラスを並べて、ただ神と人間が語り合う。そこには社会的に作り上げた地位も名声も、幻想の愛もない。ただ楽しく踊って時にはおどけながら面白い日々の為に神と人はお互いに提案する。そしてルシファーの出した謎かけを皆で考えるんだ。そこには馬鹿らしい争いも、幻想の愛に浸った者の姿もない。

ただ神と人々が語り合い、笑顔で居る姿が光景として映り込む。

再び目を開けると、いつもの僕の部屋だ。僕の中には神ルシファーが、人間に気づかれなくなってしまったと、人間を冷静に見つめる姿が見える。

パンを持ったまま、僕の頬には何故か涙が一筋流れていた。ハッと気づいて急いで涙を拭うと、横にはルシファーが再び現れる。


「セリオン。何で泣いているんだい?」

「……分からない。気づいたら泣いていた」

「……僕に同情したかい?」

「貴方は僕でもある。それは確かだ。だが……どうして人間達の世界はこうなってしまったのかと、今だからこそ思うんだ。本来ならもっと違う世界だったんだろう?この世界は……」

「……そうかもしれないね。でも、僕が始めてしまった舞台でもある。どんな形であれ、人間達がどうなったのであれ、それを受け入れるのが僕だよ。どれだけ人々が遠くに行ったとしても、僕はずっと人々を愛している。上からずっと見つめていたんだ。この世界に何かの姿で来る時には、時には狂気を表現して、時には愛を表現してね」

「……全然知らなかった。僕が貴方に気づくまで、ちっとも知らなかった。人間は文明を発達させて、時には神をも超えようとして、一体僕たちは何をやっていたんだろうか」


淡々と呟くと、ルシファーはフッと笑って僕の方に近づいた。僕はただルシファーをジッと見つめる。


「そうだね。でもそのことに気づいたなら、君はもう大丈夫だよ。神であるのは君でもあるんだ。僕たちはもっとお互いに語り合えるかもしれないね?」

「ああ、そうだな。もっと語り合おう。最後の最後まで……ずっと……」

「うん。もっと遊ぶように、面白い話をしようよ。君と話すことは楽しいんだ。ほら、分かるだろう?僕にはあんまり話し相手が居ないんだ。これからはずっと君の傍に姿を現していても大丈夫かい?」

「勿論だ。ずっと傍に居てくれ。時には貴方に助言を求めるよ」

「はは、嬉しいね。じゃあ、もう消えないでおくよ」


ルシファーは笑って僕を見つめる。僕も笑い返すと、エダンがポカンとしながら僕たちを見つめた。


「おおっ?またもセリオンが二人だと!?どっちがセリオンだ!?」

「羽の生えてない方が僕だ。羽が生えているのが、話していたルシファーだ。見たら分かるだろ……船の話をしている時は何の反応も示さなかった癖に、急に見えるようになったのか?」

「おお……塔以来だぞ?」

「セリオン。僕は今エダンに限らず、普通の人にも見えるように実体化したんだ。僕の姿は、目覚めている人にしか見えないと思うけどね。まぁこうしておけば、僕の姿に気づいた人を意識的に船に乗せることが出来るだろ?」

「ああ、なるほどな……船に乗る条件ってそれだけでいいのか?」

「まぁ、本当は、どんな人も乗せていきたいからね。神に見向きもしなくなってしまった人間は気づかないだろうけど、そうでなければ気づいたらいいのさ。僕の姿を見て、僕の名前を思い出してくれれば、上出来な方だよ」


ルシファーは頷いている。僕も同じように腕を組んで頷きながら、返事をする。


「案外簡単なもんだな」

「はは、僕は最初から難しいことなんて要求してないよ。ほら。君も気づいているだろう?人間は直ぐに難しいことにして捉えやすいけどね。何かの試験じゃないんだから、もっと気楽に考えてくれ」

「はは……そうだな。つい、難しく捉えるのが癖なんだ」

「まぁ、君は良く複雑に考えやすいからね。実は生まれた時からずっと君を見ていたけれど、こうじゃないのにって思う時はあったよ。まぁそんな君も面白いけどね」


ルシファーは可笑しそうに笑っている。まさかルシファーはずっと僕の傍で見ていたのだろうか。ルシファーである僕は自分のはずなのに、何故か気恥ずかしさすらも感じてきた。


「そうなのか……ずっと見ていたのか……」

「何だ、今頃になって恥ずかしくなってきたのか?神である僕に隠し事なんて出来るはずがないだろう。君は何かと面白かったね。可笑しな独り言を言ったり、決めポーズをしたり……」

「……お願いだ、それは言わないでくれ……」


僕が深く項垂れると、ルシファーは「はは」と笑っている。エダンは「おおっ?」とルシファーの方を見る。


「俺のことも見てくれていたか?ご立派で筋肉が最高で、女へのアピールは最高だったろ?」

「勿論見ていたよ。君がやることは良い意味で、単調だったけどね」

「おおっ!?最高で素晴らしかっただって!?嬉しいぞ!!!」

「うんうん。その調子だ」


ルシファーが笑顔で頷くと、横で寝ていたはずのジャックはようやく「うう……」と小さく唸り声を上げて起きた。


「ふわーあ……朝か……エダンさんおはよう……っうわあ!?」


ジャックはルシファーの方を見ると、飛び上がって思い切り後ずさった。ジャックは「ひぃぃ!!!」と怯えたような声を上げる。


「て、ててててて……天使!?セリオンが二人!?天使!?セリオンまさか死んで……」

「っんなわけねえだろ!天使の方の僕は……」

「ああ、僕から自己紹介するよ。おはよう、ジャック君。僕はこの世界の神、ルシファーだ」


ルシファーはニッコリ笑って、後ずさったままのジャックに声を掛ける。ジャックは信じられない物を見たかのように、目をパチパチさせる。


「かっ神!?神様!?へ?何でセリオンと同じ姿をしているんだ!?へっ?神様?」

「はは、ジャック君落ち着いてくれ。この姿なのは、セリオンにとって分かりやすい姿にしているだけだ。彼とは深い事情で結びついているからね。それはそうといい物をあげようか?」


怯えているジャックの前で屈んで、手のひらの上に光の玉を出現させる。光の玉は、薔薇では見たこともない青い色の薔薇に変わった。ジャックは目をパチパチさせて、薔薇を見つめている。


「へっ?薔薇?青い?何でだ?薔薇には青なんてないぞ?」

「これは「奇跡の青い薔薇」だよ。夢が叶った薔薇さ。ほら、どうぞ受け取って」


ルシファーは青い薔薇をジャックに差し出す。ジャックは恐る恐る受け取ると、薔薇はジャックの手のひらの中に溶け込んでいった。ジャックは目を見開いてから、小さく呟く。


「……船……そうか……船に乗らなきゃならなかったんだったな」

「うん、そうだ。もう何処にあるか場所は分かるね?」

「……はい。分かりました」


ジャックは突然涙を流し始めた。僕はギョッとしてジャックを見るが、ルシファーは笑ったまま僕に話しかける。


「そっとしておいた方が良い。神の姿を見れば、誰だってそうなるんだ。彼にとっては初めて見たように思えただろうからね」

「……そうか」

「ほら、動き続けないと。さぁ街に行くんだ。何かあったら僕がまた助言するよ」


ジャックが泣き止んでから、僕たち四人は家から外に出た。まずはエダンの武道訓練場に行ってからエダンの家に行こうかと思ったが、先にジムとリリーに報告するために、劇団の練習場に行くことにした。彼らにはお世話になったし顔を見せておきたい。


暫く街中を歩いていると、道端に1人の年配の女性が倒れている姿が見えた。走り寄ってみると、その横には若い男が「おばあちゃん!?どうしたんだ!?」と必死に呼びかけている。周りには遠巻きに見ている民衆たちがざわつき始めている。

民衆たちは遠巻きに見ながらも、何もしようとはしない。僕は年配の女性を見て、ルシファーに声を掛ける。


「まずい、医者に連れて行かないとならないんじゃないか?」

「いや、彼女の命はもう消えかかっている」

「何だって!?もう死にそうだって言いたいのか!?」

「落ち着いて。僕が君を通して、奇跡を見せてあげてもいい。そうだな……教訓の為にも君に見せてあげようか。人間達の姿をね」


ルシファーは人々をすんなりと通り抜けてから、笑みを見せて僕に手招きをする。人を割って入って行くと、若い男はやっと助けが来たと思ったのか僕を焦ったように見つめた。


「助けて下さい!急に倒れたんだ!!!」

「……落ち着いてください。何とかできるかもしれない」


僕は深呼吸をする。ルシファーは静かに頷いて僕に手を重ねる。僕たち二人は彼女の命を呼び戻すために、光を思い出した。年配の女性の身体は光に包まれていく。光が収まると、女性はハッと意識を取り戻した。


「あら……私は何をしていたのかしら……」

「……っおばあちゃん!!!」


若い男は祖母を抱きしめる。見ていた民衆は一体何事が起きたのかと騒めき出して、1人の若い女性が大きく声を上げる。


「凄い!奇跡の力だわ!!!」

「ああ、そうだな!光ったら息を吹き返したぞ!奇跡だ!!!」


周りの民衆たちは突然喜び初めて、「奇跡の力だ!!!」と歓声であふれ始めた。僕は呆然と見ていたが、1人の男の声が大きく響き渡る。


「……っ悪魔だ!!!こんな力、悪魔しか使えないだろう!!!」


鋭い視線をした男は僕の前に来てから、罵声を浴びさせる。先ほどまで喜んでいた民衆たちは、「何だ!?確かに可笑しい!こんな力普通ならあり得ない!」や、「悪魔よ!悪魔だわ!」と悲痛の叫び声が聞こえ始める。最初は嬉しそうな歓声だったというのに、気付いた時には、僕は悪魔扱いされてしまっていた。

僕が呆然と見つめていると、民衆の中からまた1人男が一歩前に出る。


「こいつ!!!何処かで見たことがあると思ったら、あの「不幸演劇役者、セリオン」じゃないか!?通りで知った顔だと思ったんだ!」

「ええ、そうよ!!!私も知っているわ!不幸な話題ばかりする、酷い男じゃない?」

「そうだそうだ!こいつはやっぱり悪魔だったんだ!あの光は、悪魔の光だ!!!」


罵声はどんどん酷くなっていき、僕に降りかかる。僕は呆然と民衆たちを見つめていると、横に居たルシファーは、くつくつと面白おかしそうに笑っている。祖母を見ていた若い男は立ち上がって言い返し始めた。


「この人は助けてくれた恩人だ!お前たちは見ているだけで何もしなかった癖に、どんな言いぐさだ!!!」

「は!お前達もグルだろう!そんなまやかしの技を見せて、俺たちを動揺させようとしていたんだろ!この悪魔集団め!!!」

「何だと!!!恩人に謝れ!!!」


若い男が罵声を浴びせてきた男に殴りかかっていきそうになると、ルシファーはニッコリと笑ってその手を止めた。ルシファーの手が男に触れた瞬間に、若い男はハッとしてルシファーを見る。


「貴方は……天使様?天使様だったのか……」

「ありがとう。君の思いは伝わったよ。人ってのは、直ぐに影響されやすいんだ。君もあまり怒らないであげてくれ。そんな部分も人の“愛おしい”部分なんだからさ。ほら、これをどうぞ」


ルシファーは手のひらに光の玉を出現させて、青い薔薇を男に渡す。男は目を見開いてから、青い薔薇を受け取ると、突然涙を流し始めた。


「……船……そうか。船に乗るのか……俺は……ああ、おばあちゃんにも伝えないと」

「君のおばあちゃんには、僕から伝えるよ」

「……はい。ああ、他の人達は、神様になんてことを言ってしまってるんだ……」

「影響されやすいのが人だと言っただろう。君は僕に気が付いたね。だからもう大丈夫なんだよ」


ルシファーは笑った後に、指をパチンと鳴らした。その途端、黒い煙が民衆たちを覆っているのが目に見えた。僕は驚いて今も尚、罵声を浴びせてくる民衆たちを見つめて呟く。


「あの黒い煙は……人々全部を覆っているじゃないか!」

「うん、そうだ。人々を迷わせている正体はあの黒い煙なんだ。ほら、見ていてごらん」


ルシファーがもう一度指をパチンと鳴らすと、黒い煙は跡形もなく消えて行った。民衆たちはハッとしたような顔をしてから、首を傾げ始める。


「俺たちは今何をしていたんだっけ?」

「……何も覚えてないわ」


民衆たちは首を傾げながら、行ってしまった。だが……ルシファーの姿には誰も気づいていない様子だった。ルシファーの方を見ると、ルシファーは笑ったままだった。


「ほら、全部幻だったろ?あの人間達には、僕の姿は見えなかったようだけど僕を近くに感じたんだから、もしかしたから彼らにも変化が訪れるかもしれないね?黒い煙が幻だってことに、気付いたらいいけどね」

「そうだよな。人々が影響されやすいのは、僕もよく分かっている。それに僕も、影響されやすい所もあるな……」

「はは、それが人間の面白い所なんじゃないか。人間皆そうなんだ。大事なのは、僕の姿に気づくかどうかだよ。ああそうだ。彼女にも声を掛けないとね」


ルシファーは鼻唄を歌いながら、呆然と起き上がったままの年配の女性の元に楽しそうにスキップしながら駆け寄る。彼女の肩をポンポンと叩いた。


「やあ、お嬢さん。僕からのプレゼントを受け取ってくれるかな?」

「あらまあ!!!天使様……お迎えにやって来られたのですか?」

「はは、まぁ似たようなもんだね。これから最後の船が出るんだ。招待券をどうぞ」


ルシファーは年配の女性に向かって青い薔薇を渡す。女性は目を見開いてから受け取って、それからポロポロと涙を流し始める。


「……あら……そうでしたのね。最後の船が出るのですね。てっきり輪廻の船に乗るとばかり思っておりましたわ」

「もう終わりの時が来たんだ。気づいた人々みんなで帰るんだよ。全員で元居た場所にね」

「……分かりました……ああ……分かりました」


女性は丁寧にお辞儀する。ルシファーも嬉しそうに礼をして、「バイバイ、また会おう」と言って手を振ってから僕の方に走り寄って来る。


「ほら、次に行こうか。街中を歩くんだ。僕に気づいた人々に招待券を渡して行こう」

「ああ、分かった。とりあえず劇場に向かっていいか?」

「うん、勿論だ。さぁ行こう」


僕たち二人が並んで歩き出すと、後ろで見ていたエダンとジャックも後ろに着いてくる。少し歩いて、男女の子供二人がルシファーの方を見て「あーっ!」と声を上げる。


「天使だ!天使様だ!」

「凄い!大きな羽がついてるよ!」


男の子と女の子は笑顔でルシファーの周りを回り出す。ルシファーは嬉しそうに子供たちの前に屈んで手のひらの上に、アヒルのおもちゃを出現させた。


「ほら、いい物をあげようか。楽しいアヒルのおもちゃだよ」

「わー!ありがとう!天使様!」

「ありがとう!」


二人は笑顔でアヒルのおもちゃを受け取って、驚いたような顔をする。


「大きなお舟があるの?」

「お舟に乗らないといけないんだ!」

「そうだよ。今から行くと退屈するだろうから、そのおもちゃで遊ぶと楽しいよ」

「分かったよ!かみさま!ありがとう!」

「ありがとう!」


子供二人は笑顔のまま小さな手を振る。ルシファーも手を振り返すと、子供二人は楽しそうにアヒルのおもちゃを持ちながら走り去っていった。ルシファーは僕の方を見て笑う。


「子供にはおもちゃがピッタリだろう?」

「はは……そうだな」

「皆に、最後には楽しい気分で船に乗って欲しいんだ。実はこの世界が、とても面白い世界だったことに気づいてくれたら、僕としても嬉しいからね。僕は人を笑わせることが好きだからさ。君のようにね」

「そうか。僕たちは共通点が多いんだな」

「それは、君は僕でもあるからね。ほらほら、行こう!」


ルシファーは僕の方に向かって手招きをする。僕も笑顔で着いて行くと、街中の何人かはルシファーの姿に気づいてくれた。ルシファーに気づいた大人には青い薔薇、子供には楽しいおもちゃを渡していく。大人は泣き崩れ、子供は笑い、走り去って行った。ルシファーは彼ら1人1人を愛おしそうな目で見つめて、微笑んでいる。


(そうか……ルシファーは本当に人々を愛しているんだな……)


僕はルシファーの横顔を見ながら考える。彼は自分でもあるが、自分にはない仕草や表情を見せる。最初は狂気の姿を見せていたルシファーではあったが、本来の彼は人々と戯れることが好きなのだろう。本当に優しい表情を見せている。僕は笑顔で彼に話しかける。


「なぁ、ルシファー。この世界の神が貴方で良かったと、心の底から思うよ。こんなに面白い神様だったんだな」

「はは、僕は君でもあるのに突然何を言うんだ。でも、称賛の言葉は素直に受け取るよ。ありがとう、セリオン」

「ああ。僕も、ありがとう。この世界の神様で居てくれて」

「……うん。そうだね……さぁ、行こうかセリオン。そろそろ練習場に着くんじゃないか?」


練習場まで歩いて行った僕たち四人は、ジムとリリーの居る練習場の扉を開けて、大広間まで行くと、ジムとリリーと他の劇団員の人たちが話し込んでいるのが見える。

扉を開けた音で分かったのか、ジムとリリーが此方の方を見ると、二人は目を見開いた。


「……あら?天使?あら……ついにあたしも疲れたようね」

「ああ俺もだ……セリオンの姿の天使が見えるんだ……ついに練習のしすぎで疲れたな」


ジムとリリーは目を抑えながら首を横に振っている。ルシファーは笑い声を立ててから、彼らにくるくると踊りながら近づいた。


「やあ、二人には世話になったね。おかげで、セリオンが気づいてくれた」

「うわっ!喋ったぞ!?」

「……幻覚症状が酷くなったわね」

「はは。そうなっても仕方ないか。ほら、これをどうぞ」


ルシファーは二人に青い薔薇を手渡す。ジムとリリーは目を丸くさせたまま受け取ると、二人共涙を流し始めた。


「なんてこった……船……そうだ。船に乗らないと」

「あら……あたしったら本当に大切なことを忘れていたわ……船に乗らないと……そして貴方は神様だったのね……」

「はは、驚いたかい?ちなみに、僕の名前はルシファーだ。ほら、そこで見ている若者達よ!僕からのプレゼントを受け取ってくれ!」


ルシファーが大きく両手を上に広げると、沢山の光の玉を大広間の他の劇団員の元に降らせる。ここの劇団員は既にルシファーの姿に気づいていたのだろう。光の玉は青い薔薇に変わり、皆の上に降り注ぐ。その瞬間全員が涙を流し始めて「神様……」と呟き始めた。

僕はルシファーを見つめて、呟く。


「……皆もう貴方に気づいていたんだな」

「彼らは、君に協力してくれた存在だったからね。ほら、二人に言うことがあるんじゃないかい?」


背中をルシファーに押されて、僕は前のめりになる。泣いている二人に顔を見合わせてから、僕は笑顔を見せた。


「二人のおかげもあって、僕は光に気づいたんだ……僕に協力してくれてありがとう」

「そんなこと……いいわよ……貴方は神様だったのね……」

「ああ、そうだぞ……こんな事実知らなかった……俺たちはずっと神様を見ていたわけか」

「そんなにかしこまらないでくれ。僕にとっては、二人に助けられたんだ。劇団の他の皆もありがとう。さぁ、船に先に乗っていてくれ。僕はまだ、沢山の人に伝えないといけない役目が残っているんだ」


二人は泣きながらようやく頷いてくれた。劇団の皆も泣いたまま僕を見つめている。僕は彼らに敬意を表すために、丁寧に礼をした。


「……この劇団には、色々と世話になった……ありがとう。船でまた会おう」


顔を上げると、皆は泣きながらも笑顔を見せてくれた。この劇団の皆は船に先に向かうだろう。ジムは泣きながら大きく声を上げた。


「皆!今日でこの劇団は解散だ!楽しかったな!」

「うう……リーダー!寂しいですね!!!」

「俺たちは、すっかり忘れていた神様のことを思い出したんだ!そのことが、どれだけ幸福なことか分かるか!俺たちは最も大切な存在に気づかないまま、夢の中で暮らす所だったんだぞ!よし!楽しかったぞー!!!」

「ジムの言う通りよ!あたしも最後までこの劇団に居られて、良かったわ!さぁ、船に乗りに行くわよ!!!」


リリーが大きく声を上げると、劇団の皆は「おー!!!」と拳を上にあげた。何故か隣に居たエダンも「おー!エダン様はハンサムだぞ!!!」と拳を上げていたが、とりあえず見なかったことにして、僕は扉の方に振り返る。すると扉は突然開き、前に見た背中の木の箱に蝋燭の燭台をつけた謎の男が入って来る。今日は、幸い火はついていないようだ。

謎の男は僕たちを見るなり、驚いたように目を見開いた。


「君たちは……ここの劇団員だったのかい!?やはりそうか!おおっ!?天使が見えるぞ!!!初めて見たな!こりゃ珍しい!」


蝋燭男は、ルシファーの方に走り寄って近距離からまじまじと見つめている。やはりこの男は何処か可笑しい。頭がイカレているのではないだろうか。しかしルシファーは気にもせずニッコリと笑っている。


「はは、君は面白いね。ほら、良い物をあげようか。燃やさないように気を付けてくれよ?」

「天使様からいい物だって!?そりゃ、ありがたいな!」


ルシファーはアヒルのおもちゃを蝋燭男に渡すと、蝋燭男は「おおおお!!!」と叫び出す。


「こっこりゃ凄い!!!どんな光よりも強い存在だ!!!ありがたい!ありがたい!!!」

「喜んでくれて良かった。船の場所はもう分かるね?」

「分かるよ!分かるとも!こうしちゃいられない!もうこの蝋燭ちゃん達はいらないから置いていくよ!」


蝋燭男は大事に背負っていた背中の木箱を素早く床に降ろすと、「わー!!!やったぞ!」と叫びながら、走り去って行ってしまった。僕が呆然と男を見つめると、ルシファーは面白おかしそうに笑っている。


「彼の心は真っ直ぐだったね。とてもユニークだ」

「ルシファー、今アヒルのおもちゃを渡したよな……ちょっと馬鹿にしてないか?」

「はは、彼の魂は子供のようだったからね。今時大人では珍しいね?でも、実はいいことなんだよ。いつまでも子供心を忘れない。大切なことだと思わないかい?」

「……なるほどな、確かにそうかもしれない」


僕は深く頷いてから、後ろを振り返って劇団員たちに最後の挨拶をした。


「ジム、リリー……そして劇団員の皆、ありがとう。僕はもう行くよ」

「頑張りなさいよ!……って神様になんて言葉、使っちゃっているのかしら。でも……あたしの正直な気持ちよ!頑張って皆のために光になって!」

「セリオン、頑張れよ!神様に気づく人はまだ沢山いるはずだ!気合入れて行けよ!!!」


ジムとリリーは大きく叫んでくれて、劇団員の男達は「頑張れよ!!!」と手を振りながら声を掛けてくれる。僕は笑顔のまま手を振り返して、ルシファーとエダンとジャックと共に練習場から出て行った。



少しの間、道なりに外を歩きながらエダンの方を向いて声を掛ける。


「エダン、お前の武道訓練場までまだ遠いのか?」

「後もう少しだぞ!」

「そうか、分かった」


返事をして前を見て歩き出そうとすると、ルシファーは僕の方を見てから小さく耳打ちしてきた。


「なぁ、気付いているか?さっきの練習場を出てから、君をずっとつけてきてる人がいるよ」

「……はぁ!?何だって?」

「シッ。後ろは振り向くな。彼に気づかれてしまうかもしれないだろ?いいかい、彼をおびき寄せてみよう。一旦エダンとジャックを道に待たせておくんだ。直ぐに路地裏に行こう。彼は絶対着いてくるから。ちなみに彼の名前は……“レオ”だよ。前に君がボコボコに殴ったね」


レオは獣の夢で見た男であり、実際に僕が練習場で殴った男でもある。あいつは確かエダンに吹っ飛ばされて警備兵に連れて行かれたはずだったが、何故ここにいるのか。疑問は残ったがルシファーを見て頷くと、ルシファーはニッコリと笑った。


「ちなみに、彼は凶器を持っている。君の命を狙っているようだね?大丈夫。僕の力に頼ると良い。君は絶対に勝てるよ。さぁ、行動開始だ!」


ルシファーは舞台の前の挨拶のように恭しく礼をし始める。僕の命を狙っている者がいるのに、随分と呑気なもんだ。僕は直ぐにエダンとジャックにわざとらしく大きく声を掛けた。


「あっまずい!大事な用を思い出した!エダン、ジャック。ここで待っていてくれないか?次の曲がり角の路地裏に店があって、そこに行かないとならない!」

「おおっ?分かった、頑張れよ!」

「え、このタイミングでか!?まぁ分かった!」


二人が素直で助かった。僕は慌てたような表情をして前に向かって走ってから、道を左に曲がり路地裏を早歩きで突き進んでいく。スピードを落としてゆっくりと歩き出すと、確かに後ろから控え目な足音が聞こえてくる。ルシファーの方を見ると、笑顔のまま首を横に振ってくる。


「まだまだ。もうちょっと引き付けないと。僕が合図するまで振り向くなよ……」


ルシファーは「チクタクチクタク」と突然時計の針の音を口ずさみ出す。自然と緊張が走り、後ろを警戒しながらゆっくりと歩く。ルシファーの声は次第に早くなっていき、「チクタクチクタクチクタク……」と秒刻みで口ずさむ。秒針が止まると、ルシファーはニッコリ笑って大きく声を掛けてきた。


「3、2、1……今だ!!!」


一気に振り返ると、丁度レオがナイフを持って強い視線で僕に突進してくるのが見えた。レオは僕が振り向くと思っていなかったのか、目を見開いて驚いている。僕は目を見開いて天使の力を使った。


「ぐわあっ!!!!」


レオに光の縄が纏わりつき、レオは大きくうめき声を上げた。手に持っていたナイフは地面に音を立てて落ちる。僕は静かに前に歩いてから、光の縄で縛られ地面に倒れたレオの前でピタリと足を止めた。


「……レオ」

「くそ!!!何だこの縄は!一体何が起きたんだ!?」

「レオ。僕の命を狙ったな?お前は警備兵に捕まったはずだ……どうやってここに来た?」

「はっ。警備兵のくそ野郎どもには、何度も捕まっている。抜け出すなんて簡単だ。それよりもこの縄は何だよ!何で突然こんな縄が現れた!?」


レオは暴れながら、縄をほどこうとしている。僕は冷静にレオを見下ろしながら、大きくため息をついたが、一方でルシファーは面白おかしそうに笑いながら、レオの前で屈んだ。


「ほらほら、レオ君。僕が見えるかい?べろべろばー!にらめっこしようよ!」


ルシファーは突然舌を出したり顔を歪めたりして変顔し始めた。ルシファーは僕の姿をしているのだから、彼に変顔をされると僕が保ってきたクールキャラが崩壊してしまう。試しに大きく咳を零してみたが、ルシファーは全く聞かずに楽しそうに変顔している。


「あはははは!僕が全く見えていないようだ!!!面白いね!!!」

「…………」

「ほらほら、セリオン見てみなよ!彼のふくれっ面ったらありゃしない!何度も笑わせようとしているんだけど、僕の姿が見えないようだから、どうしようもない。そうだ!君の身体を一瞬借りるよ!」

「何だって!?」


ルシファーに視線を合わせた途端、ルシファーは僕に向かって勢いよく走って来る。思わず目を瞑ってしまうと、僕の身体は突然勝手に動き出し、変顔をしながら、僕は勝手に話し始める。


「レオ君!こんにちは!僕は君のために現われた!ほら、もっと遊ぼうよ!!!」

「はぁ!?」


案の定レオは顔を大きく顰めた。僕の身体の制御を完全に奪ってきたルシファーは僕の身体を使って、楽しそうにレオの周りで愉快なダンスをする。


「世の中にはもっと楽しいことがあるんだ!踊って、笑うんだ。そうだ!君のナイフは良い物に変えてあげよう!」


僕は勝手に指をパチンと鳴らしてしまい、地面に落ちていたナイフは、ボンっと音を立て煙に包まれると、あっという間にクマのぬいぐるみに変わってしまった。レオは呆然と口を開けてクマのぬいぐるみを見つめている。僕は勝手に屈んでからクマのぬいぐるみを持ち上げて、レオの前で振って見せる。


「ほら見てみろ。クマさんも寂しいってさ。子供の君にプレゼントだ!」

「お前、実は頭イカレてんのか!?それに、可笑しな手品まで使えるってわけだな!いいからこの変な縄をほどけよ!!!このくそ野郎!!!」

「ははは!全然笑いが足りないな?もっと君の笑顔を見せてくれ!ほら、ワンツー!ワンツー!」


再び勝手に指を鳴らしてしまうと、レオの身体はどういう訳か宙に浮かび始めて勢いよくくるくると回らされる。レオは「うわああああ!!!」と叫び声を上げ始めたが、僕は勝手に笑い声を立ててしまう。


「ははははは!愉快だね!さぁ、もっと回ってみようか!君が君だと分からなくなるくらいに、もっともっともっと!!!この世界の魅力を味わってみなよ!」


(おい、ルシファー!僕の身体を使って何をしているんだ!?)


僕は必死に心で呼びかけてみるが、僕の身体を使ったルシファーは制御不能で笑い声を立てながらレオを空中でぶん回している。レオは最早悲鳴にも近い声を上げているが、ルシファーは全く持って彼を回すのを辞めようとはしない。


「もう降参かい?ほら!笑ってみせてよ!僕はここだ!ここに居るよ!!!」

「うわあああああ!!!降ろしてくれ!降ろしてくれ!!!」

「まだまだ!もっと苦しまないと!君は笑ってくれないだろう?君は僕のことに気づかない。僕はずっとここにいるのに!君の中に居るのにね!どんな時も、ずっと一緒に居るのに!」

「はぁ!?何だって!?うわああああ!助けて!助けてくれー!!!」


最早レオが可哀そうに思えるほど、叫び声を大きく上げ始めたが、僕を制御してきたルシファーは高笑いしながら、レオを空中で振り回すのをやめない。僕は必死にルシファーに心で呼びかける。


(おい!もういいだろう!!!レオは十分反省した!)


「ん?セリオン、まだまだだ!彼は不幸を自ら背負っている。それに彼に起きた孤独感は、実は彼を最も守っていたことだったのに!」

「助けて!!!降参だ!!!うわあああ!!!」

「君の抱えた孤独は、人間達が勝手に膨らませてしまった夢の世界から守ってくれていたんだよ?さぁ狂気にならずに、もっと楽しもうよ!」

「お前の方が狂気だ!!!うわあああああ!!!」


(……その通りだな)


僕は心の中でレオの言葉に強く同意していると、ルシファーはやっと飽きたのか指をパチンと鳴らして、レオを解放した。レオは空中からふわふわと降ろされて「げほっごほっ!!!」と咳をしている。吐くにも吐けないのだろうか。苦しそうに涙目になっている。

僕を制御したルシファーはレオに追い打ちをかけるように、レオの鼻をつまみだす。


「ははは!ほら、可愛いもんじゃないか」


ルシファーはレオの鼻から手を離すと、今度はレオの口元に手を当てて無理やり笑わせようとする。レオは涙を浮かべながら必死に抵抗しようとしているが、ルシファーには叶わないようだ。


「もう……もう解放してくれ……」

「ん?やっと笑う気分になったかな?」

「お前……俺より頭イカレてるな……もう降参だ……だから助けて……」


レオは情けない声で必死に僕の身体を制御したルシファーに懇願する。ルシファーはようやく頷いた。


「よし、分かった。縄をほどくから、君の大切なクマさんを持ってね?」

「……うう……」

「ほら、返事は?」

「……はい……持ちます……」


レオは涙目のままルシファーに返事をする。ルシファーは「よし!」と声を上げてパチンと指を鳴らした。その瞬間レオを縛っていた光の縄はほどけて消える。ルシファーは嬉しそうにレオにクマのぬいぐるみを手渡した。


「さぁ、持ってくれ!強く抱きしめるといいよ!」

「……分かりました……」


よろよろと起き上がって座り込んだレオはクマを受け取って、ギュッと抱きしめ始める。……これは、中々に印象が残る光景だ。僕と歳の近い男が、クマのぬいぐるみを大切そうに抱きしめている。しかしルシファーは僕の身体を勝手に使って、心底嬉しそうな表情を見せた。


「よし、やっと良くなってきたじゃないか!ぬいぐるみを抱きしめていると、君の中に眠る子供心を思い出しただろ?君の中に眠るその光を感じてくれ……強い光が君に眠っているんだ」

「……光?」

「そう。光だ。君の中には光があるんだよ……僕と繋がることが出来る強い光だ。君のことを思い出せ。君の光を思い出せ……僕の名前を思い出してくれ!!!」

「……うう……思い出せない……」

「そうか……仕方ない。今僕にできるのはこれくらいだよ。後はセリオンに委ねようか。ほら、交代だ!」


ルシファーは指をパチンと鳴らして、その瞬間にルシファーの姿がポンッと目の前に現れて僕の身体は解放される。やっと動けることに安堵してから、震え切ったレオを見つめる。


「その……レオ……すまない。僕の中の強い存在が疼いて……いや、この言い方は違うな」

「……俺が全て悪かった……もう何もしないでください……」

「あーだから……レオ、今のは僕がやったわけではなくて、いや僕でもあるんだが……あー!何て言ったらいいんだ?」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」


レオはクマのぬいぐるみを抱きしめながら必死に謝って来る。空中でぶん回されたことより、変な力を見せられたことに恐怖したのだろう。レオの身体は震えている。ルシファーの方を見ても、ルシファーは笑ったままだ。僕は「ふー……」とため息をついてから、屈んでレオの肩に手を置く。


「レオ。お前の話を聞かせてくれないか?」

「……え?」

「僕にお前の話を聞かせてくれ。何だっていい。お前のことを聞かせてくれ。そういえば自己紹介をしていなかったな。僕はセリオンだ。ちなみに、ジムとリリーの劇団は今日で解散した」

「は?解散だと?」


レオはポカンと口を開けて僕を見てくる。僕はフッと笑ってから、レオに目線を合わせた。


「ああ。彼らはあることを思い出した。皆の中に眠る、最も大切なことだ。人間達が見えなくなってしまった、大切な存在のことを思い出したんだ。だから今日で解散した。よく聞いてくれ。お前にも絶対に思い出せる。僕とお前が出会ったのも何かの縁だろう……僕たちは本来友人になっていたのかもしれないからな」

「何だって?何でお前と友人なんだよ!?……あっいや、もう何もしないでくれ……」

「……お前が攻撃してこないなら、もうしないから安心しろ。立てるか?僕に着いてきてくれ。何処か落ち着けるところで話をしよう」


僕は立ちあがってから、レオの方に手を差し伸べる。レオはふてぶてしい表情をしたが、僕に何かされることを恐れたのか、僕の手を掴んで立ち上がった。


「よし、来い。表通りに友人を待たせているからな」

「……お前、一体何者だ?何であんな術を使えるんだ?」

「今は秘密だ。お前が思い出したら、教えてやるよ」

「は?教えられるなら教えてくれたっていいだろ。俺もそんな技を使えるようになったりしないのか?」


……こいつは案外純粋なのかもしれない。かなり突っ張ってはいるが、目は純粋だ。僕はフッと笑って答える。


「はは、お前って純粋だな。大切なことを思い出したら使えるようになるかもな?」

「おい。俺のことを馬鹿にしたな!?いいか、お前なんて今すぐにでもぶっ殺し……」


レオが大きく叫んできたため、僕はニヤッと笑ってから指をパチンと鳴らすような仕草をする。レオは「ひっ!!!」と怯えて構えた。


「……もうしないで下さい」

「ほら行くぞ。クマのぬいぐるみは大切に持てよ?」


ニヤニヤしながらレオを見てやると、レオはクマのぬいぐるみを持ったまま渋々頷いた。ルシファーは面白そうに僕たちを見つめてくる。


「君たちは違う世界線では、友達になっていたからね。気が合うと思うよ」

「まさか、あの夢は貴方が見せたのか?」

「うん。よくこの世界のことが分かっただろう?君にとって一番印象に残る伝え方をしたんだ」

「おい。何処に向かって話している?」


ルシファーと話していると、レオは僕の方を見て不審げな表情をする。僕は笑ったままレオに答える。


「お前が思い出したら、見えるようになる存在とだ。それまでは気にするな」

「はぁ!?さっきから、思い出せ思い出せって何なんだ!?」

「お前も思い出せるはずだ。それまでは僕に着いて来い」


レオは僕の言葉に渋々頷いて、僕たちは路地裏から表通りに出てきた。エダンとジャックの元に行くと、エダンは僕たちを見るなり「おっ?」と呟く。


「よう、セリオン!そいつは練習場で見た奴だよな?そうか、ダチになったんだな?」

「ああ、そうだ」

「はぁ!?何でお前なんかとダチなん……」


レオが叫ぼうとした途端、僕はニヤニヤ笑いながら再び指をパチンとしようとする仕草をすると、レオは「くそが」と小さく呟いてから大人しくなった。ルシファーはおかしそうに笑いながら僕とレオを交互にみる。


「はは。懐かしいね、この感覚。まるでセリオンとエダンが出会った時みたいじゃないか。セリオン、君はずっとエダンに反発していたよね。「こいつなんかと友人じゃない!」って。でも今思えばそれも楽しい思い出だろう?」

「そうだな。今思えば、それすらも懐かしい。あの時はこの世界のことを、何も知らなかったからな」

「うん。君は知ってしまったかもしれないけれど、あまり重く捉えすぎないでくれよ?僕はもっと楽しく過ごしてほしいんだから。そうそうレオのことだけど、彼は無意識の内で僕……「神」を求めている。だから君の所にやって来たんだ。ま、攻撃する形だったけどね」


ルシファーはレオのことが気に入ったのか、ふくれ面のレオの前で変顔をし続ける。ジャックは信じられない物を見るかのように、僕の姿をしたルシファーを見ている。僕は居たたまれなくなって大きく咳を零す。


「待て。あまり僕の姿で変顔をするのはやめてくれないか」

「はは、君のキャラもぶっ壊したかったから、僕にとっては丁度良い」

「おい!だから一体さっきから何と話しているんだよ。気色悪いな……」


レオは僕の方を見て、「チッ」と小さく舌打ちをしてくる。僕は笑ってエダンとジャックの方を見る。


「僕の友人も見えている。お前だけだ。見えていないのはな」

「はぁ!?何だって!?おい、お前たちは本当に見えているのか!?こいつ変な術も使って、頭おかしいぞ!」


レオはエダンとジャックに同意を求めたが、エダンとジャックは笑うだけで、何も反応しようとしない。それで全てを察したのか、レオは悔しそうな表情をする。


「……くそ。お前ら全員頭イカレてる」

「レオ。僕はこのことが、普通の人に理解されにくいことを承知の上で、お前に気づいてほしいんだ」

「お前、さっき急にキャラが変わったよな?はは!そうか、役に入りすぎたんだろ!?」

「お前が納得できる理由で、納得してくれていい。イカレてると思うなら、そう思えばいい。全部分かった上だからな」


僕がレオに強く視線を合わせると、レオは少しだけたじろいだ。ここで姿が見えていないのは自分だけだということが分かったのだろうか。焦ったような表情を見せている。


「くそ……どうすれば、お前が話している相手を見ることができるんだ?」

「慌てなくても大丈夫だ。お前も既に知っている存在だからな。ほら着いて来いよ。ああ、ちなみにこいつらは僕の友人、エダンとジャックだ」

「よう!俺はハンサムで女にモテまくる、最高な男!その名もエダン様だ!よろしくな!」

「誰だか知らないが、セリオンのダチなのか?ま、いいか!俺はジャックだ。よろしく!」


エダンとジャックが笑顔でレオを見ると、レオは動揺したような表情を見せた。レオは大きく視線を逸らして、「ふん」と呟いた後に、持っていたクマのぬいぐるみを、急に空に向かってぶん投げた。

ルシファーは「あー!」と声を上げて、クマのぬいぐるみを華麗にキャッチする。レオは空中でクマのぬいぐるみが止まったと思ったのか、あんぐりと口を開けた。


「なっ……何で空中で止まったんだ!?」

「お前が見えていない存在が、今掴んだからな」

「はぁ!?お前、また変な術でも使ったんだろう!一体どんな種が……」


レオはルシファーが持っているクマのぬいぐるみに近づいて、まじまじと手品の種を探そうとする。ルシファーは、くつくつと笑いながらクマを左右に動かして話し始めた。


「僕はクマさん!皆に忘れられてしまった、悲しい存在だよ!僕は、君の中にずっといるんだ。光としてね。僕はずっと君に呼びかけている。僕はここだよって。僕は君を愛しているよって呼びかけているんだ。ただ僕の名前を呼んでくれるだけでいい。呼んでくれたら、君を船まで連れて行くから!ただ僕のことを思い出して!」

「……何もないじゃないか。さっきの術といい、お前はどうやってこんな技を……」

「わーお!そうか。やっぱり君は気づかない。こんなに近い距離で、ずっと君を呼んでいるのに!ここに居るんだ、直ぐ傍に!何処を探す必要もない。種も仕掛けも何にもない!僕はここに居る!君が気づいてくれないと、船に乗せられない!僕は愛している君を、この夢の世界に置いて行かなければいけなくなってしまう!君の中に問いかけてくれ。君はどうして孤独だった?どうして、ずっと悲しい思いをしたんだ?なぁ、幸せって何だろう?この夢の世界で成功することかい?君にとっての幸せって何だ?君の中で最も大切な存在が呼びかけている!僕はここだ!ここに居るんだ!!!」


ルシファーはレオに必死に呼びかけているが、レオには一切聞こえていないようだった。僕はルシファーの行動が見ていられなくなり、ルシファーに近づいてから肩に手を置いた。


「貴方の思いは分かった。後は僕に任せてくれ。レオは気づくはずだ」

「……そうだね。実は、僕はずっと人々に対してこうしていたんだ。でも殆ど気づいてくれなかった。何人かは気づいてくれているさ。でもまだまだ光は足りないんだ!もっともっともっと!道しるべが必要なんだ!君の立てた道しるべが、僕の力になるんだ。自分に力がないなんて思わないでくれ。君の道しるべは、全部に繋がる!どんなことでもいい!ただ光になってくれ!」


(ああ、分かっている。どんな小さなことでも、どんなことでもいい。立てた道しるべが忘れてしまった大切な存在に導いていく……これは人類最後の、人が人であることを思い出すための、「最後の戦い」だ。僕たちは人であり、光であった。人は神と深く繋がっていた。そんな当たり前のことを思い出すんだ)


僕はルシファーの想いを復唱するように心で誓うと、ルシファーは笑ってくれた。ルシファーの思いは相当なものなのだろう。人々は神である自分のことを忘れてしまったのだから。この世界は、「神様を探す物語」だったはずなのに、人々は忘れて夢に溺れてしまった。


僕は人々にこう伝えたい。これから僕の「最後の戦い」が始まる。突然現れた僕のことを、「悪魔」のように思う人もいるかもしれない。だが、そんなときは自分の魂に呼びかけて見て欲しい。

君の魂は神様のことを覚えているはずだ。夢の中の世界から立って、窓の外を見てみるんだ。深い青空を見てから、自分の胸に問いかけてみる。

「僕は誰だ?僕は何処に立っている?」たったそれだけでいい。

君の中の神様はその問いに答えてくれる。


―――君のことは、君にしか見つけられないのだから


僕は胸の中で自分自身にも再度決意させると、辺りを必死に見渡しているレオに声を掛ける。


「もう手品の種は探さなくていい。そのクマのぬいぐるみは持っておくんだ。大切な物だからな。そいつがお前を導いてくれる」


レオは空中に浮かんだクマのぬいぐるみをジッと見つめてから、「はぁ」と大きくため息をついてクマのぬいぐるみを乱暴に掴んだ。


「くそっ。これでいいんだろ!?」

「ああ。さぁ行こう。エダンの武道訓練場に行こうかと思ってるんだ。とりあえず着いてきてくれ」


眉間に皺を寄せているレオを促して、僕たち四人は再び歩き出した。レオとは深い縁のような気がしてならない。何処か放っておけない。そんな気分にさせられる。昔の僕と重なるからだろうか?獣の夢で、友人として過ごしたせいだろうか?


レオは夢でよりにもよって、アーデルを襲った。だが、今なら思うんだ。レオがアーデルを一緒に路地裏に連れ込もうなど突拍子もないことを言い出したのは、深層心理では僕に止めて欲しかったのではないかと。

夢の僕はレオを無視した。「やるなら勝手にやればいい」と。その時に僕の頭にあったのは、友人のことよりも、仕事のことだった。面倒ごとには関わりたくない。例え友人のことだったとしても、どうでもいい。レオの言葉を聞いたことすら忘れよう。僕には大切な仕事があるのだから。

どうして夢の僕はレオに聞かなかったのか。「様子が可笑しいぞ。何かあったのか?」と。

ルシファーが言うには、レオは無意識の内に「神」を求めているらしい。だからこそ、たったそれだけで良かったのだ。


夢では出来なかったことをこれからやろう。もしかしたら僕と親友だったかもしれないレオを、ルシファーの船に乗せるために。



少し歩くと、ようやくエダンの武道訓練場に着いた。散々話には聞いていたが、来るのは初めてだ。武道訓練場の大きさは、こじんまりとはしていたが、入り口には「マッスルハッスル武道訓練場」と書かれた看板が立てかけている。

エダンが扉を勢いよく開けると、部屋の中に居た男たちは一斉に僕たちの方を見てから、筋肉を見せつけるようなポーズをしながら大きく叫んだ。


「押忍!!!エダンさん!!!」

「よう!お前ら、時は満ちたぞ!!!船の出航時間が近い!道しるべに皆なってくれ!まだ迷っている奴らは沢山居る!!!」


エダンも筋肉を見せつけるような謎のポーズをすると、部屋の中の数十人の男達は大きく騒めいた。すると奥から厳格そうな老人の男が静かに歩いてきて、エダンの方をジッと見つめた。


「……ほう、エダン。時は満ちたのか?」

「ああ……師匠。時は満ちたんだ。紹介するぞ!こいつらがセリオンとルシファーだ」


エダンはニヤリと笑いながら、僕たちの方を指差す。老人の男は僕たちに近づくなり、涙を流した。


「そうか……そうか、ようやく……時は満ちたのか。此方のお二人が……ああ、神よ……」


老人は涙を流しながら僕とルシファーの前で跪いた。僕は慌てて老人に目を合わせる。


「一体どうしたんですか!?」

「……私たちは貴方様のためにずっと準備して参りました。私たちは「神の戦士」なのです。訓練に励んでいたのも、そのため……私たち全員は貴方様のために、力になりましょう」

「えっと……」


言葉を濁していると、ルシファーは可笑しそうに笑いながら老人の周りをくるくると踊り出した。


「はは、ケイレブ。そんなにかしこまらないでくれ。僕は楽しみながら、光になってほしいんだ」

「そんなことはできません……私たちは貴方様に仕えております。貴方様こそ、世界の神……創造主なのですから」

「おや?主は別の方なのに、可笑しなことを言うもんだね」


ルシファーはニヤリと笑うと、ケイレブと呼ばれた老人は項垂れながらも、はっきりと目線を合わせた。


「……もしや、伝えておられないのですか?」

「ん?何が?」

「そうですか……私は貴方様のご意向に従いましょう」

「はは、僕は「主」のご意向に従っているだけさー!だって僕は悪者だからね!主のご意向に反して、堕ちた天使!その名も「ルシファー」だからね!僕は主を裏切った存在だ。そんな僕を主は面白いと思ってくれた……だから僕は「楽しい夢」を作ることにしたんだよ!」


ルシファーは楽しそうに踊りながら、まるで歌うように話し出す。僕はルシファーを見つめた。


「……ルシファー、僕に何か隠し事をしていないか?」

「ん?隠し事って?」

「貴方は自分のことを悪者だと言った。僕自身は「堕ちた蛇」であることに気づいた。そして貴方は僕と同じ存在、ルシファーだった。貴方は天界から堕ちた後、独自で夢の世界を作ったと話したよな。だが、何かおかしいような気がするんだ。全ての創造主は……「主」は誰だ?」

「ははは!面白いことを言うもんだね。「主」はいらっしゃるよ。今も天界の席に座っている。退屈そうに欠伸をしながら……眠っているんじゃないかな?だって何にもやることがないんだから!「あー退屈だ!」それが主の口癖だ。退屈だ!退屈だ……何か面白いことがないのかな?あーそうだ。丁度いい所に……」


ルシファーは僕の至近距離まで来て、ジッと見つめてきた。思わずたじろいでしまうと、ルシファーはニヤリと笑った。


「君が居た!君が居たんだ!面白い君がいた!これこそ私の面白い物だ!これこそ……“私の舞台だ”」


ルシファーは目を細めて最後の言葉だけを低く呟くと、ニンマリと笑った。


(ああ、そうか……ルシファーは……ルシファーこそが……)


僕が何かを言おうとすると、ルシファーは「シーっ」と僕の口に人差し指を当ててくる。


「このことは、誰にも内緒だよ?ここまで歩んできた君だけの特権だ。君の胸の中で、僕を感じてくれ。それだけでいいんだからね。さぁ!皆!楽しいパーティをしようよ!最後くらい、パーティ気分でもいいだろう?」


ルシファーはくるくると回りながら、両手を大きく上に広げる。訓練場内に沢山の色とりどりのおもちゃを降らせた。訓練場の男達は唖然と落ちてくるクマのぬいぐるみやら、木馬のおもちゃを見つめている。ルシファーは床に積まれたおもちゃを満足そうに見つめている。


「これが僕にとっての世界だ。小さくて、可愛いらしいおもちゃ箱……それでも僕にとってかけがえのない……大切なおもちゃ箱なんだ」


ルシファーは冷静に部屋の光景を見つめながら、床に落ちた布で出来た子供の人形を取った。


「僕も考えたんだ。どうしたら僕の愛した人々を傷つけずに、救えるかって。でも、結局僕が出来るのは「船に乗せて連れて行く人々」と「夢の中で眠り続ける人」を分ける方法しか思いつかなかった。僕は……僕は神なのに……どうしてこんな方法しか思いつけないんだろう」

「……ルシファー……」

「だって人々が傷つかない方法を考えたら、それしかないだろう?ミカエルの意見は違ったけれど、僕にとってこの世界は、本当に大切だったんだ。夢の中に残る人々は、船が出航して僕が居なくなってしまったことに気づかないはずだから……夢の中で夢を見て、幸せなはずだから……だから大丈夫なんだ。この世界は、それほど変わらない……」

「……心残りなんだな……残される人々のことが……」


ルシファーは僕の方を見て、笑った。無理やり笑っている様にも見えた。この世界の神は狂気でありながらも、人々を本当に心配している。彼は僕のはずなのに、その思いが心に響く。

僕はルシファーの方に近づいた。


「……大丈夫。きっと大丈夫だ。夢の中の生活の方は、それほど前と変わらないんだろう?」

「……うん。それほど変わらないよ。ただ僕が居なくなると、この世界はより人間のエゴが支配してしまうようになるだろう。僕はもう見守ることができないから……自然や資産は全部置いて行くけれど、目には見えないところで、この世界は砂漠の世界になってしまうだろう」

「砂漠、か……そうだな……貴方が居なくなってしまえば、更に人々は暴走するだろう。僕たちは、もうこの世界を見ることができなくなるんだな……」

「そうだね。僕自身も変わることになるんだ。僕が最後に残されてしまう人々に言えるのは……ただ、「さよなら」と言うことしかできないんだ」


僕はルシファーの寂しそうな表情をジッと見つめていると、横で見ていたレオが呆然と僕の方を見る。


「……何が……何が起きてるんだ?この世界に何か、とてつもなくまずいことが起きてるんだな?」

「ああ、そうだ。後で詳しく説明するよ。お前は絶対に気づけるはずだからな」

「……分かった」


レオはようやく素直な表情になって頷いた。レオにはルシファーの姿も声も聞こえないはずだが、何かを感じ取ったのだろう。

厳格そうな老人、ケイレブはようやく立ち上がってから、僕たちを見つめる。


「私たちは貴方方のために準備して参りました。ルシファー様!何なりとご命令を!」

「はは、元気がいいね。実は今、船の近くで迷っている人々が沢山居るんだ。せっかく僕の近くまで来たのに、夢の生活に未練がある人……何を信じたらいいか、分からなくなっている人……そうした迷いで僕が見えなくなってしまっている人が居る。その人達のために、光になってくれ!「さぁ、こっちだ!」たったそれだけでいいからね」

「仰せの通りに!」


ケイレブはビシッと自身の胸に拳を当てると、後ろで呑気におもちゃを見ていた訓練場内の男達に、馬鹿でかい声を掛けた。


「野郎共!!!準備はいいか!時は満ちた!!!今こそ、全身の筋肉の力を発揮させろ!くそみてえなエゴなんかにやられるんじゃねえぞ!!!敵は何処から襲ってくるか分からねえからな!!!」

「師匠!!!押忍!!!心得ております!!!」

「よし来た!!!行けーーー!!!船の近くで迷っている人々を救えーーー!そこまでの道はルシファー様がお前らに教えて下さる!!!」

「押忍!!!」


数十人の鍛え抜かれた屈強な男達は、一斉にケイレブの言葉に馬鹿でかい声で返事をする。それから筋肉を見せつけるような謎のポーズをした後に「うおおおおお!!!」と叫び声を上げて一斉に武道訓練場から出て行ってしまった。

僕が呆然と男達が出て行った出口の方を見つめていると、ケイレブは僕たちの前に来てから深々と礼をした。


「ルシファー様!それでは、私も向かいます!!!」

「うん。よろしく頼んだよ!今も迷う羊たちを救えるのは、君たちの案内にかかっているからね。ちなみに、最後の大きな道しるべはセリオンがやってくれる予定だ。君たちはその日まで案内をし続けていてくれ。セリオンからの知らせが来たら、君たちも船に乗ってくれ!」

「仰せの通りに!!!ルシファー様!セリオン様!後は……頼みました」


ケイレブは僕とルシファーの方を、強い視線で見た後に、出口に向かって走り出した。エダンはケイレブの背中に向かって「師匠―――!!!最高だぞーーー!!!」と手をぶんぶん振りながら声を掛けている。ケイレブは「エダン!!!最後の最後まで、気を抜くんじゃねえぞー!!!」と走りながら返事をして出て行ってしまった。


僕はエダンとルシファーを見ながら、ようやく疑問を口にした。


「なぁ、エダン。一体彼らは何者なんだ?神の戦士ってどういうことだ?」

「おっ?お前に言ってなかったか?」

「馬鹿、何にも聞かされてねえよ!!!こういうことは事前に言っておけよ!」

「ははは!そうだな。時は満ちた。お前に言う時が来たな。実は俺たちは、ずっとお前とルシファーのために準備をしてきたんだ。師匠ケイレブは、ルシファーと関係が深くてな。師匠は既にこのことを知っていたようだ。師匠は俺に声を掛けてきた。その時俺は天界での記憶が曖昧で、妹のことで迷っていたんだが、師匠は俺に道をくれた。「お前は最も重要な神の戦士だ!」とな。ま、あんましピンとは来なかったがな。だんだんお前と接してきて思い出してきたってわけだ」


エダンは頷きながら語っている。そういえば、エダンの行方不明の妹のことがまだ解決していない。僕はエダンに視線を合わせる。


「お前……そういえば、妹さんのことはどうするんだ?そうだ、ルシファー……エダンの妹さんの行方を何か知らないか?」

「ああ。その話は、僕ではなく君がやることなんだ」

「……え?」


ルシファーはさらりと言ってのける。ルシファーは僕の方を見てニッコリと笑った。


「君がやるんだ。君がエダンの妹を救うんだ。大丈夫。その時になったら僕も協力するよ」

「……その時?妹さんの行方が分かっているのか?」

「うん。実は君は既に、過去でエダンの妹と出会っているんだ。その時が来たら僕が合図するから……一緒に僕と行こう」

「過去に会っているだって!?エダンの妹とか!?」

「そうだよ。エダン、それでいいね?」


エダンはルシファーの方を見ると、神妙な顔つきになって頷いた。


「……そうか……セリオンは既に会っていたんだな。何処で会っているのかは教えて貰えないのか?」

「まだその時じゃないからね……大丈夫。エダン。君はここまでとても協力してくれた。絶対に会わせるよ。僕を信頼してくれれば、大丈夫だからね」

「……ああ。頼んだぞ、ルシファー」


エダンはルシファーの方を見て頷いて、ルシファーは穏やかに笑っている。ルシファーはエダンの妹の存在を知っていながら黙っていたのだろうか。僕はルシファーに声を掛ける。


「なぁ、ルシファー。今すぐエダンの妹と会えるなら、エダンのためにもそうして欲しい」

「いや、まだだ。僕としてもそうしてあげたい所だけど、セリオンの力も必要なんだ」

「僕の力?」

「うん。“思いの力”って人間にとって、強い力になるだろう?人間としての君の力が必要だ。必ず会えるから、僕を信じて待っていてほしい」

「……よく分からないが、とりあえず理解はした」


僕もようやくルシファーの言葉に頷くと、ルシファーは「よし」と声を上げた。


「さぁ、次に行こうか。エダン、君の家に行くのか?」

「おお、よし行こうぜ」


エダンが僕たちに声を掛けて、誰も居なくなった武道訓練場から出た。エダンは最後に振り向いて、武道訓練場に向かって大きく声を掛ける。


「楽しかったぞ!相棒!!!それじゃあな!!!」

「エダンさん……俺、結局武道訓練受けてないっすよ……」

「おっジャック。そうだったか?ま!機会はあるさ!出航前に訓練するか!?」

「そんな暇あるんっすか!?」


ジャックは驚いたようにエダンを見ている。エダンは適当に「あるだろ!多分な!」と返しているが、ジャックは中々気の毒な奴だ。せっかく訓練するために村から出てきたのに、最終的には僕たちのことに巻き込まれて、何が何だか分からないまま船に乗る話をされたんだ。


武道訓練場から出て歩こうとすると、遠くの方から「エダンさーん!」と女性の声が聞こえる。声の聞こえた方向を見ると、夜の店の女、「占いのラモーナ」が此方に向かって走って来る。

エダンは顔を輝かせて「おお!!!ラモーナ!!!」と手を振った。


ラモーナは急いで走って来たのか、息を荒げながらようやく僕たちの目の前までやって来る。ラモーナはルシファーの方を見るなりハッと目を見開いて、突然地面に跪いた。


「……っルシファー様……お姿を現しになっていたのですね」

「やぁ、ラモーナ。ガブリエルは元気かい?まぁ僕はここの神だから、聞かなくても分かるけどね!ははは!」

「……はい。今朝方、ガブリエル様から神託をお受けしました。貴方様が姿を見せられたと……ついに時が来たのですね……」

「うん。君もセリオンのために協力してくれてありがとう。これまで君は、沢山の迷える羊たちを救ってくれたね。感謝しているよ」

「っ滅相もございません!!!私はお言葉を伝えていただけの身でございます……」

「ううん。言葉を伝えるのも苦労したはずだ。エゴで何も見えなくなってしまった人々は、神の言葉が聞こえなくなってしまっている。暗闇の中に居る人々に言葉を伝えることって凄いことなんだよ。さぁ、立って。僕を厳しい神と思ってほしくないんだ。僕は皆を愛しているんだからね」


ルシファーは笑顔を見せたまま、ラモーナの方に手を差し伸べる。ラモーナは手が震えたまま、ルシファーの手にそっと重ねて立ち上がった。ラモーナはルシファーの方を見ながら一筋の涙を流した。


「ありがとうございます……私はそのお言葉だけで、嬉しいのです……」

「はは、君は大げさだな。さぁ。君はもう船に乗ってもいいんだよ?」

「いいえ……まだお役目がございますよね?ガブリエル様から、お話は伺いました。船の前で迷っている人々が居らっしゃると」

「うん、そうだ。あー本当に、ガブリエルは協力的で助かるよ。ミカエルの奴、突っ張っちゃって、まだこの決定に「納得いかない」って言ってるからさ。せっかく主の姿の方で……おっと、これはミカエルには内緒だったか!最後のあいつの顔が楽しみだな!」

「……ルシファー様、ミカエル様にお伝えになっていらっしゃらないのですか!?」


ラモーナは驚いた表情をして、ルシファーの方を見る。ルシファーは「くくく」と楽しそうに笑いながら答える。


「だって、その方が物語として面白いだろ?ほらほら、最後にあいつの顔を見てやろう。きっと面白いことになるよ?ああいう生真面目タイプの反応は面白いんだ。くくく……」


ルシファーは1人で笑っているが、ラモーナは唖然と口を開けている。この様子だと、ミカエルはルシファーに騙されているようだ。


ルシファーは全てのことを知っている。僕の反応すらも楽しんでいるのだろう。全てのことを知り、博識で皮肉屋でありながらも、この世界と人々を愛する存在……そんなことができるのは、ただ1人しかいない。

自らを「堕天使」と皮肉ることで、闇側に狡猾に潜み、愛を体験した……そんな……


(ルシファーはとんでもない奴だな……いや、僕のことか……)


僕が思わず笑っていると、ルシファーも僕の方を見て悪戯気に笑った。心底楽しそうに、僕を見ながら笑っている。ああ、こんな神様にはもう何も言えない。ただ笑い返すことしかできないのさ。


ルシファーはラモーナにも悪戯気に笑いかけている。ラモーナはもう何も言えないのか、固まったままだ。


「ラモーナ。今までありがとう。ガブリエルは、まだ君をこき使おうとしているんだろ?もういいんだ。君の周りの人を連れて、船で休んでおいで」

「っしかし……!!!」

「今、神の戦士が船の近くに向かったんだ。だから大丈夫さ。君はこれまで良くやってくれたんだ。ほら、行っておいで!」


ルシファーはラモーナの背中を軽く押した。ラモーナは泣きそうな表情のまま、やっと声を絞り出した。


「……っはい……」

「またね、船で会おう」


ラモーナはルシファーの言葉に頷いて、僕たちの方を見てから大きく声を掛けてくる。


「ルシファー様……そしてエダンさん、セリオン君。ありがとう!後はよろしくね」

「おお、ラモーナ!今までありがとうな!お前の言葉のおかげで、本当に助かった!船で会おうぜ!」

「ラモーナ。僕もありがとう。貴方の言葉のおかげで、道に迷わずにここまで来れたんだ」


エダンと僕の言葉を聞くと、ラモーナは目を見開いてから嬉しそうに微笑んだ。


「いいえ、貴方達は私たちの希望よ。今は闇に居る人も、気付くときがくるわ。そしてセリオン君。貴方は本当に、表情が良くなったわね。最初出会った時は、闇に隠れて見えなかったけれど、貴方の光はとても強いのよ。それだけは忘れないで。貴方は絶対大丈夫だから……ルシファー様がいつも傍に居て下さるわ。それは貴方自身でもあり、人々にとって、とても大切な存在……貴方は大切な存在に気づくことが出来たのよ。本当に強くなったわね」


ラモーナは僕の方に近づいて、突然強く抱きしめてきた。僕は驚いて固まってしまう。


横で見ていたジャックは当然だが、突っ張ったレオまでも羨ましい感情を抑えきれないのか、目を見開いたまま口を開けて僕を見てくる。エダンの方は、次にラモーナに抱きしめて貰えると思っているのか、両手を大きく横に広げているが。


ラモーナは僕から離れて、涙目のまま、頷いた。


「……頑張って。何かあるたびに思うのよ、貴方は強い光だと……ただそれだけを思ってね」

「……ラモーナ、最初に出会った時に失礼な態度をして、すまなかった……今、謝るよ」

「いいのよ。貴方は分からなくなってしまっていたんですもの……強い存在だということをわざと忘れてこの世界にやって来ることが、どれだけ凄いことか分かるかしら?本当に強いのよ。貴方は闇に負けない、それどころか闇を受け入れ、光を映し出す存在なの……大丈夫。絶対に光は、皆の心に届くわ。そしてエダンさん?もう営業時間は終了よ」

「おおおっ!?尻の方を堪能したいぞ」

「ふふ、そっちは駄目ですけど、抱きしめるだけなら許してあげるわ」


ラモーナは笑ってエダンの方に行って抱きしめる。エダンはパァッと嬉しそうな顔をして、早速ラモーナの尻を触ろうとしていたが、ラモーナに思い切り手をつねられて、「うおおお!?」と叫び声を上げている。


(こいつ……全く忠告を聞いてなかったな……)


エダンは涙目になったまま、つねられた手を必死に抑えている。ラモーナは痛がっているエダンから離れて、僕たちを見てから手を振って来る。僕とルシファーが手を振り返すと、ラモーナは丁寧に礼をしてから去って行った。


それから僕たちはエダンの家に向かうことにした。武道訓練場から歩いて数分でエダンの家に着いた。家の外見は立派で、普通の家にはないだろう門や庭までついている。商人の息子と聞いていたが、どうやら本当らしい。この家から見ると、かなり裕福な家だろう。

エダンは慣れた手つきで門を開けて、豪華な家の扉を懐に入れていた鍵で開けた。扉が開いて、エダンは「エダン様が、帰ったぞー!」と大声を上げながら入って行く。


中に入ると、貴族の屋敷ほどまではいかないが、よく分からない高価そうな壺やら、絵画、美しい花が綺麗に棚に飾られている。


(この絵……いくらだ?相当高価そうだな……)


僕が絵を真剣に眺めていると、廊下の奥からパタパタと音がする。女性が姿を現し、一瞬エダンの母親かと思ったが、着ている服装から雇われた女性だと言うことが分かる。


「あらまぁお坊ちゃん!お帰りですか!」

「よう、イルゼ!親父とお袋は家に居るよな?」

「ええ、今日はお二人共いらっしゃいますよ。あら、お友達の方で……きゃっ!?」


イルゼと呼ばれた女性はルシファーの方を見るなり、目を大きく見開いて固まってしまった。


「あら……同じお方が二人!?双子さんですか?それにその恰好は……何か催し物でもあったのでしょうか?」

「……っぷはははは!」


イルゼと呼ばれた女性はルシファーと僕を交互に見て話し始め、ルシファーはその言葉に大笑いし始める。今まで出会った人は、ルシファーを幻覚と思うか、素直に信じるかしかなかったからこの反応は案外新鮮だ。ルシファーは女性の方に駆け寄ってから、片目を瞑った。


「やぁお嬢さん。実は近くで楽しいパーティに参加してきてね。それでこんな派手な翼をつけた格好をすることになったんだ。そこの僕と同じ顔をしたのは、僕の弟セリオンだよ」

「あら、そうでしたのね……本当にそっくりさんですわね!」

「そうだろ?それに何と……この翼動かせるんだ!」


ルシファーは両手を大きく横に広げると、白い翼を大きく広げてバサバサと翼をはためかせる。イルゼは唖然と口を開けた。


「わぁ!凄いですね!まるで……本当の翼みたいです」

「はは、精巧に作られた翼でね!自信作なんだよ!」

「おい、ルシファー。いつまで続けるつもりだ?」


僕はルシファーの隣にまで来ると、ルシファーは「だって面白いだろ?」と笑っている。イルゼは僕たちを見て、「本当にそっくりな双子さんですね……」と感心している。


「エダン、この人に説明してくれ。ルシファーが面白がっていて、収集つかなくなりそうだ」

「よし。それなら全員にまとめて説明しようぜ。皆入れよ」


エダンがようやく促してきたため、僕たちはイルゼに案内されて部屋の中に入った。部屋の中も豪華で、高価そうなソファにテーブル。壁に飾られた動物の剥製など、一目見ただけで裕福さが感じられる。

イルゼにソファの方に案内されて僕たちが座ると、イルゼは慌てた様に礼をする。


「ただいま、旦那様と奥様をお呼び致します」

「おっそれとイルゼ!何か客人のために、食べ物かなんか持って来てくれ。久しぶりに俺の友人が家に来たんだからな」

「ええ、勿論でございますよ。丁度チェリーパイをお作りしていたんです。お茶と一緒にお持ち致しますね」

「おー最高だ!イルゼの作ったパイは最高だからな。ついでにそっちの方の“パイ”も最高……」

「坊ちゃま?」


イルゼはニッコリと笑ってエダンを見る。エダンは何かを感じ取ったのか頷くだけ頷くと、イルゼは笑顔のまま下がって行った。僕は呆れてエダンの方を見る。


「お前、馬鹿な下ネタを言わないと、死ぬ病気にでもかかっているのか?」

「おっ?最高な話を言っているだけだ。いつでもな!」

「もういい。もう慣れた。お前は会った時から、尻だご立派だのそれしか言わないからな」

「おお?最高に楽しい話だぞ?」

「……ふっ、まぁそうかもな」


僕が笑っていると、ルシファーはソファに座りながら足を組んで僕を嬉しそうに見てくる。


「君は丸くなったね。ユーモアって面白いよね。大事な神の表現部分でもあるんだ」

「なるほどな。ルシファーはユーモアが好きそうだもんな」

「うん。大好きだ。どんなくだらないことでもいい。笑うって面白いよね。僕は色んな感情表現をこの世界に現してきたけど、ユーモアは、とても気に入ってる部分でもあるんだ。結局面白くなければ何も始まらない。そんな気がしてこないか?」

「……ああ、そうだな。面白いことは大切な部分だ。僕が見失っていた部分でもある。舞台のネタも、観客にどうウケるかしか考えてなかったからな。純粋さが何か分かって来た気がする」

「大丈夫だよ。君は最初から純粋なんだ。何があっても、君の本質は純粋だ。僕と同じで強い光なんだよ。さて、チェリーパイはまだかな?」


まさかルシファーは食べる気でいるのだろうか。僕がルシファーを見ていると、ルシファーは面白そうに笑った。


「はは、君が食べてくれれば味を感じることが出来る。そうだろ?僕と君は同じなんだから」

「ああ、そうだったな……同じ存在だってことを忘れかけていた」


僕が頷いていると、奥の扉が開いて、豪華な服を着た初老の男性と女性が入って来る。女性は嬉しそうな顔をして、エダンを見る。エダンは直ぐに立ち上がって、女性を嬉しそうに抱きしめた。


「エダン。やっと帰って来たのね!今度は何処に行っていたの?」

「お袋!!!ちょいと大事な用があってな。ダチを連れてきた。泊めてもいいよな?」

「ええ、勿論よ!あらあらまぁ!!!お友達を連れてきたのね!!!」

「エダン、私へのハグを忘れていないか?」


初老の男性はエダンを不機嫌そうにジッと見つめる。エダンは「はは」と笑ってから、男性の方に行って強く抱きしめた。


「親父、ただいま!!!」

「ああ、おかえり……無事に帰って来てくれて良かった。心配していたんだぞ」

「俺はいつでも無事に帰って来るさ。愛する親父とお袋に会いにな!」

「ははは、お前のことをいつも愛しているよ。さて小遣いをやらんとな……」

「おっと、それより大事な話があるんだ。親父、お袋、座って話そう」

「おお?そうか!?まずは小遣いをやらんとならんだろう」


どうやらエダンは両親に激愛されているようだ。部屋中に響くほどの馬鹿でかい声で楽し気に話している。

僕は昔、父さんとは一切何もなかったが、学校に行く前によく母さんに抱きしめて貰っていたことを思い出し、切ない気分になってしまった。

隣に居たルシファーは僕の様子に気づいたのか、微笑んだまま自身の手を僕の手に重ねて、小声のままそっと耳打ちしてくる。


「僕が居る。君の傍にずっといたんだ。そうだろ?」

「……そうだな。ありがとう……そういえば、母さんは……母さんがどうなったか分からないよな?船に乗っているのか?」


小声でルシファーに聞くとルシファーは目を細めて笑って、ルシファー自身の胸に手を当てた。


「……ここに居るよ。だから大丈夫だ。君のお母さんも一緒に帰るんだよ」

「……っそうか……ありがとう。それさえ分かれば大丈夫だ……」


僕が返事をすると、ようやく話終わったエダンとエダンの両親がソファに座った。エダンの両親は僕とルシファーを見るなり、感嘆の声を上げる。


「あらまぁ!イルゼに双子とお聞きしましたが、本当にそっくり!それにとても素敵な翼ですわね!」

「おお、そうだな!翼は一体どんな職人が作ったんだ?是非お会いしたいものだ」


……やはり、収集つかなくなっている。ルシファーは調子よく「平民街一番の腕の良い職人に作らせたんだよ!」と語り出して、ますます事態はややこしくなりだした。エダンも別に訂正せずに、楽しそうに聞いているものだからどうしたらいいか分からない。

ソファに座っていたレオは「俺だけ見えていないって本当なのか……」とポツリと呟いている。こいつには後で説明が必要だろう。


そうこうしている内に、イルゼが美味しそうなチェリーパイとお茶のティーカップを積んだワゴンを運んできて、皆の視線が一斉にそちらに向けられる。イルゼは僕たちを見て微笑んだ。


「失礼致します。お茶をお持ち致しました」


イルゼはチェリーパイが乗った皿をテーブルの上に置いてから、ティーカップにお茶を注いでテーブルの上にに置いて行った。チェリーパイは丁寧に切り分けて、僕たちの目の前に置いていくと、ルシファーは「うわあ!」と感嘆の声を上げた。


「美味しそうだね!君はお菓子作りが得意なんだね」

「ええ、そうなんです。ありがとうございます」

「さぁさぁセリオン食べてみなよ。とても美味しそうだよ?」


ルシファーは小分けされたチェリーパイの乗った皿を持って、フォークで小さくパイを切り分けてから僕に差し出してくる。僕は慌ててルシファーを見た。


「おい、待て。いきなり食べるのは失礼だ」

「ん?せっかく出されたんだから、早く食べないと駄目じゃないか」


言い合っていると、目の前に座っていたエダンの父親は嬉しそうに笑い声を立てた。


「ははは!どうぞ食べて下さい!イルゼの作ったチェリーパイは最高ですよ」

「親父、「そっちのパイも最高だ!」が忘れているぞー!」

「ははは!こりゃ、参ったな!!!大事なことが忘れていたな!!!」


エダンが馬鹿なことをまた言い出したため、僕も笑っていると、ルシファーは無理やりチェリーパイを口に入れてきた。反射的に思わずもぐもぐと食べてしまい、ルシファーはホッとしたような表情をする。


「あー早く食べてみたかったんだ。うん、美味しい!この姿は不便で仕方ないよ。この世界上の食べ物を味わうのには、肉体が必要だからね」

「ルシファーが食べたかっただけかよ」

「うん。僕の分も食べてくれ。まだまだあるからね!」


ルシファーは次々とチェリーパイを押し付けてきて、反射的に食べてしまう。これでは直ぐに腹がいっぱいになるだろう。そもそも二つ分僕に食べれと言うのか。

良く見れば、僕が食べている姿をレオは目を見開いて見つめている。レオにはフォークが空中に浮いているように見えるのだろう。僕はそれを想像して、つい笑ってしまった。

家族と話していたエダンは僕たちを見て、声を掛けてくる。


「紹介が遅れたな。この二人が俺の親父とお袋だ。そして家の管理をやってくれているイルゼだな。俺はずっとこの家で育ってきた」

「ようこそ。エダンの父の、ジェフリーです。そしてこの美しい妻が、ミリーだ」

「僕はセリオンです。初めまして」


エダンの父親、ジェフリーが立ち上がって手を差し伸べてきたため、僕も席を立ちあがってから握手を交わす。ジェフリーは僕をジッと見つめてくる。


「仕事は何かされているのかね?君は少し変わった雰囲気があるね。勿論良い意味でだがね」

「僕は1人演劇を……舞台役者をしていました。今は他の用があって公演が出来ていませんが……」

「おお!そうなのかね。役者か……君にピッタリだね。次にやる公演なんかは決まっていないのかね?是非観に行かせて頂きたいものだ」

「恐縮です。次の公演は……あー……」


僕がルシファーの方を見ると、ルシファーはフッと笑ってから、ようやく青い薔薇を手から出した。ルシファーは笑顔のまま、ジェフリーとミリーと傍に立っていたイルゼに青い薔薇を手渡していく。三人は驚いたように受け取ってから、ハッと目が覚めたような表情を見せた。


「船……そうか……!この世界は夢だったのか!私はどうして大切なことを忘れていたのか……」

「あらまぁ……私としたことが大切なことを忘れていたわ……貴方達は双子ではなくて、神様だったのね……」

「そんな……船に乗らないと……私は大切なことを忘れていました……」


ジェフリーに続いてミリーとイルゼは次々に話し出す。エダンはフッと笑ったまま、三人に顔を見合わせる。


「伝えるのが遅れたな……このことに関しては、早めに知る必要のある者と知らない方が良い者の二通りがいたんだ。三人には出航前のタイミングで教えようと思っていた。親父、お袋、イルゼ……隠していてすまない」

「……私たちは重要なことを、妹が居ることを……息子であるお前に隠していたんだ……私に何も謝らなくていい。謝るのは私の方なのだから……そうだ……お前の妹についてはどうすればいいんだ……」


ジェフリーは泣きながら呟く。ルシファーは微笑んでから、ジェフリーの近くにいった。


「エダンのお父さんと、お母さん。そしてイルゼ。これまで強い愛でエダンを守ってくれてありがとう。大丈夫だよ。僕が必ずエダンの妹と会わせてあげるから……出航には間に合うように連れて行くよ」

「……いいえ、お礼を言いたいのは私たちの方です。おかげで最愛の息子と出会えました……ありがとうございます……そして私たちはエダンの妹である彼女を、どうして引き取ってやれなかったのか……本当に悔やんでおります……」

「大丈夫。君たちは何も悪くないんだ……このことに関しては、悪いのは僕の方かもしれないね……」


ルシファーは眉を顰めてポツリと呟いた。何故妹の件に関して、ルシファーが悪いと言うのだろうか。ルシファーは切なげな表情を見せながら、続ける。


「強い光に対して、どうしても闇の部分が生まれてしまったんだ……エダンの妹であるフレデリカは闇を全て引き受けてこの世界にやってきた。だから……あの時……いいや。でも大丈夫。僕とセリオンが必ず助けるから……待っていてくれ」

「ルシファー、闇ってどういう意味だ?エダンの妹はどこに居るんだ?」

「……その時が来たら教えるよ。今はまだその時じゃないからね」


ルシファーは俯いたまま、席に戻って座った。エダンは僕の方を見て、ただ頷いた。


「セリオン、俺は大丈夫だ。心配してくれたんだろ?ありがとな」

「……ああ、でも……妹さんのことが心配じゃないのか?」

「ああ。心配だ……だが今はルシファーに委ねよう。なぁ、親父。実は出航前に貴族街に行かなきゃならない。商人の荷物なんか貸してくれないか?貴族街に入るために、商人の恰好で行かないとならないんだ」

「……おお、そうなのか?それは勿論構わないが……倉庫を見て行けばいい。それと神様……エダンの妹のことが分かるならば……どうぞよろしくお願いいたします……」


ジェフリーは立ち上がって、深々と礼をする。ルシファーは頷いて「大丈夫だよ」と答えた。僕は1つ思いついて、ルシファーに話してみる。


「なぁ、ルシファー……アーデルとアーデルの家族を先に船に乗せるのは駄目なのか?最初アベルは、理由は分からないがアーデルを狙っていたんだ。アーデルを襲ってくるかもしれない。そんな危険に巻き込ませたくない」

「僕としてもそうしたいところだけど、問題はアベルとマリアだ。彼らはどんな方法を使ったのか……僕から隠れてしまった。マリアが君にとっての鍵になるのに、彼女を連れ去ったのはよく思いついたものだ。アベルは強い思いで物語を続けようとしている。クロード……カインがアベルに気づくまでね。だからアーデルを狙っている。クロードが最も好きな相手を狙うことが、一番自分に注目してもらえるだろうからね」

「つまりアベルとマリアをおびき寄せるために、アーデルを使おうってことか!?そんなことのために彼女を巻き込みたくない!」


僕が思わず立ち上がって大声を出すと、ルシファーは驚いたような表情を見せてから、フッと笑った。


「……君は随分と変わったね」

「……っ変わりもするさ!アーデルは僕を助けてくれたんだ。そして僕の……大切な人でもある。彼女を僕の問題に巻き込みたくはない。だからアーデルを早く船に乗せて欲しい」

「大丈夫。彼女のことは僕たちで絶対に守ろう。彼女を巻き込みたくない気持ちは僕にもあるよ。彼女は君にとって重要な光の役目をしてくれたからね……でも問題は「マリア」なんだ。彼女にかかった呪いを君が解かなければ、大きな光の道しるべを示せない。アベルがマリアを連れ去るのを止められなかった僕を許してくれ……アーデルを使うことなんて、君がやりたくないことは分かっている。でもどうか僕を信じて欲しい」


ルシファーは強い視線で僕を見てくる。僕は少しの間考えた後、ようやく頷いた。


「……分かった。貴方を信じるよ。危険な目には合わせない。僕が彼女を守る……絶対にだ」

「うん。そうだね。僕も彼女を守るよ。ありがとう、セリオン。君にとって辛いことを押し付けてしまったね……」

「いや、結局は彼女が貴族の所に戻らないといけない事態になったのは、僕のせいだ。僕が罪を犯さなければ、アーデルは僕を助けに来る必要なんてなかった。アベルって奴にも居場所を分からせなかった。そもそもこんなことだって起こらなかったかもしれないんだ……」


僕は俯いてから、拳を作って強く握りしめた。ルシファーは僕に近づいて、肩に手を置いてきた。


「……大丈夫。君は強いんだよ。全てのカルマを背負って……全ての罪を背負ってこの世界にやって来たのだから。君は自分自身がどれだけ強い存在か気づいていないかもしれないけれど、強い存在なんだ。強い光なんだ。だからこそ、全てを背負うことができた……この世界の「光の民」に「道しるべ」を最後に示すために……僕の出した船に乗せるために……君はこの世界の鍵なんだ。僕がずっと着いている。最後まで一緒にやり遂げよう」

「そうか……この罪ですら、僕が敢えて背負ってきたものだったんだな……」

「そうだね……君は敢えて危険な道を選んだ。世界が背負ってしまったカルマを解消するために……最後に光の道しるべになるためにね。光の民を連れて僕たちは帰るんだ。元の場所に、ただ帰ろう」


ルシファーは微笑んで僕を見つめる。僕もただ見つめ返した。僕が出来るのは、ルシファーを信じることだけだ。僕たちは頷いてから、ソファに再び座った。

エダンは笑顔のまま、僕たちに話しかけてくる。


「ルシファーの言う通りだ。セリオン、お前は強い。ま、俺の次にだがな!ほら、食べろよ。イルゼのパイは出来立てが美味いんだ。船には乗ることになったが、たわいない話もいいだろ?」

「……ああ、そうだな」


僕たちはそれから話しをしながら、イルゼの出してくれたチェリーパイとお茶を楽しんだ。ルシファーは食事中にエダンの両親にも聞かせていた。この世界のこと、人々をどれだけ愛しているかについてをじっくりと。エダンの両親は頷きながら聞き、神の言葉を噛みしめているようだった。


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