第20話 セリオン
再び馬車に乗り、クロードに連れて行かれたのは大きな塔だった。馬車から降りた僕は塔を見上げながら、呟く。
「随分と大きな塔ですね。ここにマリア嬢がいらっしゃるのですか?」
「……ここは特別な囚人を収容する塔だ。貴族でありながら罪を犯してしまった囚人は、ここに送られる」
「なるほど……貴族向けのご待遇がされる場所という訳ですね」
「貴族社会の仕組み上どうしようもないのだ。中は確かに整備されているが、仕組み上の問題だ」
「はは、別に気にしていないですよ。さぁ行きましょうか」
笑顔で答えると、クロードは厳格な顔つきで頷いた。
今頃アーデルはどうしているだろうか。エダンとジャックが居るのだから、何か行動を起こしているのかもしれない。僕としては通行証の方を優先して欲しい所ではあるが、彼女の行動に期待している自分も居る。
もしかしたらこっそりと僕に着いてきているかもしれないと周りを見渡すが、彼女の姿は何処にも見えなかった。
期待をしてしまった自分にフッと笑ってから、クロードと共に塔の中に入る。塔の中に入ると、入り口を見張っていた警備兵はクロードを見て姿勢正しく敬礼する。クロードは警備兵を横目で見てから「ご苦労」と短く挨拶して、塔の中を進んでいく。
塔の階段を昇っていくと、扉がいくつも見える。どの扉の前にも警備兵が二人立っている。暫く昇っていくと、ようやくクロードは立ち止まった。
「この階だ。着いてきなさい」
「……分かりました」
僕は神妙な表情に戻してクロードに着いて行く。そうだ。今なら首飾りの呪いが解けるかもしれない。あれはクロードの祖父カーティスが話していた通り、僕のかけた呪いであり、僕が自分自身に解いた究極の謎かけだということに気づいた。カーティスが何者かは分からない。だが、あの老人も何かしらの人物であることには間違いない。
廊下を進んで、クロードは三番目の扉の前で立ち止まる。警備兵は敬礼してから扉を開ける。
部屋の中に入って行くと、奥に大きな窓が直ぐに見えた。そしてその前には………
(―――マリア)
黒いドレスを着たマリアは後ろ姿で窓の前で佇んでいる。マリアは僕たちに気が付いたのか、此方を振り向いた。
「…………っ」
首飾りの呪いは確実に進行していた。マリアの首に纏わりついた首飾りは顔の方まで金属が食い込み、とても見ていられる状態ではない。首についた真っ赤な手跡はどす黒い血のような跡になっており、前より確実に酷くなっていた。
マリアはクロードを見た途端、頬を染めて嬉しそうにクロードに駆け寄ってきた。
「あら!クロード様……今日も来てくれたのですね!ああ、突然のことでしたから、お化粧もできませんでしたわ……」
「マリア嬢。この部屋には化粧道具はありません。お気になさらないように。貴方のご要望通り彼を連れてまいりました」
「ふふ、今はそんな些細なことは宜しいでしょう?ねぇ、今日はどれくらいお部屋に居て下さるのかしら?」
マリアはクロードの胸に手を伸ばしてすり寄ろうとしたが、クロードはマリアの手を思い切り拒絶した。マリアはクロードの対応にサッと顔色を変える。
「……っクロード様?」
「これ以上私に近づくのは辞めて頂きたい。貴方は貴族のご令嬢と言えども奴隷商売に加担した囚人であることには変わりない。そのことをお忘れなきように。さぁ彼を連れてまいりました。奴隷商売について話して頂けますね?」
「……クロード様。この男と、二人きりにしてくださらない?どうしても二人きりでなければ、話せない内容なのです」
「……っしかし……」
「ねぇ、二人きりにして頂けたなら、その後にお話ししますわ。それで宜しいでしょう?」
マリアは妖しく微笑んだ。クロードはため息をついてから、僕の方を見る。
「君は、決してマリア嬢に危害を加えないと約束できるか?」
「……ここで約束しますと言っても、貴方は僕のことを信用しないでしょう」
「約束できないのなら、彼女と二人きりにするのは無理だ」
「そんなにも口約束が欲しいのでしたら、危害を加えないと約束しますよ。この命にかけてもね」
「いいだろう。少しの間だけ二人きりにしよう。何かあったら直ぐに私に言うように」
「ええ、分かりました」
僕は笑顔を敢えて作ってクロードに言うと、クロードはようやく納得したのか部屋から出て行った。
部屋には僕とマリアだけが残った。マリアはクロードが出て行くなり、表情を豹変させて僕を冷たく見下ろした。
「早くこの忌々しい首飾りを取りなさい!!!これではクロード様にきちんと顔を合わせることもできないわ!!!早く取れ!!!」
「……落ち着いてください、マリア嬢。僕はもう貴方に危害を加える気はございません。僕の力で呪いも解けるはずです」
「何ですって?これが呪いですって!?貴方はこの私に何をしたのよ!!!」
「……言葉で説明するのは難しいですが、貴方に歩み寄っても宜しいですか?その首飾りに僕が触れることができれば……もしかしたら……」
マリアは僕の言葉を聞いた途端、怒りに歪めた表情を恐怖に歪めた。マリアは僕を怖がっている。今までの僕なら怯えたマリアを見て優越感を得ただろうが、今はもう違う。
この首飾りを解くことは、僕に問われた究極の謎かけだ。僕は必ずこの首飾りの謎を解かなければならない。そうしなければ彼女の命は……
「っそんなこと許せるはずがないでしょう!!!貴方はまた私を殺そうとしているのでしょう!!!」
「もう貴方に恨みはない!!!僕は……僕はずっと考えてきた。今のままでは、僕たちは重いカルマを背負ったままだ!!!ここで解かなければならないんだ!!!」
「……カルマですって?」
「このままでは駄目だ。僕たちはお互いに憎み合い……果てには殺し合いのカルマに繋がるでしょう。僕たちに起きた強いカルマは、最早個人の話ではない。この世界全体の話に繋がっています!今は僕の言葉が分からずとも、貴方もきっと気づくときがくるはずです。ただ今は……どうか僕のことを信用してください」
僕が強い意志でマリアに伝えると、マリアは大きくたじろいだ。後ろに一歩下がると、動揺したように瞳が揺らぐ。
「……簡単に信用はできないわ」
「でしたらどうして二人きりにしたのです?クロードが傍に居れば、安心できますか?」
「これ以上、この醜い姿の私を愛するお方に見せたくなかった……ただそれだけ……全ては貴方のせいで起こったことなのに!!!」
「……そうですか。分かりました。少し待っていてください」
僕はマリアを見ながら後ずさり、扉を開けると扉の前に居たクロードに声を掛ける。
「何か小さなナイフを持っていませんか?貴方の手でマリア嬢にナイフを一時的に貸してあげて欲しいのです」
「……何?そんなことをしてどうするつもりだ?」
「マリア嬢に、僕が首飾りの呪いを解くから近づいてもいいかと聞いても、納得しませんでした。彼女が直ぐに僕に対して抵抗できるようにすれば、彼女も納得するはずです」
「それは駄目だ!マリア嬢が、君を刺してしまったらどうするつもりだ!」
「……はは、急に何故僕の味方になるんですか。彼女を安心させるには、この手段しかない。彼女にはナイフを僕に向けて貰い、直ぐに僕の胸を刺せるようにしておきましょう。お願いです、僕を信じて下さい」
クロードは僕をジッと見つめてから、あり得ないとでも言いたげな顔をしてようやく頷いた。クロードは再び部屋に入って来て、マリアに豪華な装飾がされたナイフを手渡す。マリアは驚いてクロードを見た。
「いいですか、これはあくまでお守り程度のものです。実際に使用はなさらないで下さい……」
「クロード様、何故ナイフを私に?」
「……彼の要望ですよ。抵抗する手段が貴方にあれば、貴方も安心するだろうと……こんなやり方馬鹿げていますが」
「……ああ、そうですのね、分かりましたわ」
マリアは意外にも大人しくクロードの言葉に頷き、クロードは僕の方を見てから大きくため息をついて再び部屋から出て行った。扉が閉まる音が聞こえ、マリアはクロードから借りたナイフをジッと見つめている。
僕はマリアに笑顔を向けた。
「では、貴方に近づいても宜しいですね?僕が何か危害を貴方に加えようとしたら、いつでもそのナイフで僕を刺して下さって構いません」
「……ええ」
マリアが頷いたため、僕はゆっくりとマリアに近づく。彼女に強引に近づくこともできただろうが、それでは彼女との間に反発心が生まれ、首飾りの呪いを増大させるだけだ。
マリアは僕にナイフを向けてはいたが、ナイフを持つ手は小刻みに震えていた。
僕は彼女のすぐ傍まで来てから、ジッとマリアを見つめる。
「首飾りに触れても?」
「……いいですわ」
「……ありがとうございます」
僕は恐る恐る首飾りに手を伸ばした。後少しで彼女の首飾りに触れようとした途端、首飾りに黒い煙が纏い、僕の手は大きくはじかれた。
「……ううっ!?」
黒い煙は鋭く僕の手を傷つけた。手からは血がダラダラと流れる。マリアを咄嗟に見ると、マリアは僕の血を見て怯えていた。違う。こんなはずはない。呪いは絶対に解けるはずだ。
僕が再びマリアの首飾りに手を伸ばしても、再び大きくはじかれてしまう。新しい傷が手につき、新しい血がダラダラと流れる。
マリアは血に怯えたのか、ふらふらと地面に座り込んでしまった。
こんなことで諦めはしない。この呪いはカーティスの言っていた通り強い呪いだ。彼女の命までも蝕んでいる。
僕は彼女の前に座り込み、もう一度彼女の首飾りに触れようと手を伸ばした。再び強くはじかれてしまい、今度はあまりの痛みで僕は地面に倒れこんでしまう。
「……っくそ!!!何でだ!!!」
「おい!!!何があった!!!」
「開けるな!!!まだ呪いを解いていない!!!」
「その要求は聞けないな!!!今開け……っ!?何故扉が開かない!?」
扉の方を見ると、首飾りから出現した黒い煙は扉の方まで纏わりついていた。クロードはバンバンと強く扉を叩き始めている。まさかこの呪いを解く手段が見つかるまで、首飾りは僕たちを解放しないというのか。
マリアの方を見ると、マリアはナイフを持って怯えている。ああ、駄目だ。もう何も思いつかない。彼女を纏う黒い煙は強くなっていく。
「マリア嬢……すみません……この呪いは、今の僕では解けない」
「……っ何ですって!?」
「……すみません、もう僕には無理だ……どうすれば……どうすればいいんだ……」
僕はマリアを見てから、彼女の持つナイフを見た。ああそうか……僕が光になる手段はもしかしたら失われてしまったのかもしれない。彼女の呪いを解くことができなかったのだから、もう既に僕は光としての役目を失敗したのかもしれない。
彼女と共にこのカルマを救う方法は1つしかないだろう。
僕は地面に足を引きずってマリアに近づいてから、力なく微笑んだ。
「……マリア。僕を……僕を殺してください」
「……っ!?」
「……もういいんです。僕はきっと失敗したんだ……光としての役目を……僕が死ねばその呪いも解けます。この強いカルマを解く方法は、もう思いつかない……だからどうか……僕が死ねば貴方は解放されるでしょう」
縋るように話すと、彼女は怯えたままナイフを見つめる。マリアはナイフを強く持つと、僕に再び向けた。
アーデル……すまなかった。僕は役目を失敗したんだ。この世界での役目を……
僕が目を閉じると同時に、ナイフが床に落ちる音がする。咄嗟に目を開けると、彼女は涙を浮かべたままナイフを床に落としており、怯えたようにうずくまってしまった。
「マリア?何故僕を殺さないのです。僕が憎くはないのですか?」
「……そんなことできませんわ……私はただ……貴方との恐ろしい関係を終わりにしたいだけです……クロード様にもこの姿ではお顔を向けられません……ただ終わりにすることだけを望みます……」
「……分かりました」
僕は頷いて、マリアの落としたナイフを拾った。ナイフをただジッと見つめる。
僕は本当に光としての役目を失敗したのか。これは僕自身への最後の問いでもある。僕は覚悟を決めて、ナイフを自分自身の胸に振り下ろそうと力を込めた…………
「セリオン!!!いるの!?そこにいるのね!!!」
僕はナイフを自分に向けたまま、手を止める。何故アーデルの声が扉の向こうから聞こえるんだ。
「公爵様、邪魔よ!!!今私が開けるわ!!!開けるんだから!!!」
「アーデル嬢!落ち着いてください!!!」
「何よこの変な黒い煙は!何であの二人を、二人きりなんてしたのよ!この馬鹿!!!」
「アーデル嬢!!!落ち着いてくださいって!!!」
「落ち着けるものですか!あの二人は二人きりになんてさせちゃ駄目なのよ!貴方は事情を知らないでしょうけど!セリオン!私はここに居るわ!今開けるからね!!!」
アーデルは必死に僕に話しかけてくる。僕はナイフを持って、一体自分が今まで何をしていたのか分からなくなり、ナイフを床に落とした。
マリアを見ると、マリアはうずくまったまま怯えている。どういう訳か僕も涙を流していた。
ああ、そうか……僕はまたこの罪の強い罠にハマっていた。
冷静に考えれば分かるはずなのに、極端な闇に呑まれそうになっていた。
「アーデル!ここはエダン様に任せてくれ!さー!行きますよー!!!」
「ちょっとエダン、何をするつもり!?」
「この煙を突き破るんですよ!簡単です!さ、離れていてください!エダン様の突撃だー!!!」
扉の向こうからエダンの馬鹿でかい声が聞こえたと思ったら、物凄い轟音と共に後ろにあった扉は吹き飛んだ。吹き飛んだ扉は変な方向にひん曲がっている。
呆然と後ろを見ると、エダンは部屋の中に入って僕に向かってニヤリと笑った。
「よう、セリオン!さっきぶりだな!おお!?泣いているのか!?どうしてだ!?」
「……っセリオン!!!」
エダンは後ろから押しのけられて、アーデルが僕に飛びつくように抱きつく。アーデルの身体は震えており、僕の手の傷に気づくと顔を顰めた。
「……っ酷い傷!何があったの!?」
「アーデル……僕は、失敗してしまったのかもしれない」
「失敗?どういうこと?それより早く傷の手当てを……」
「僕の役目だ……僕はこの世界に光としてやってきた。そのはずなのに、マリアにかけてしまった呪いが解けないんだ……これは僕が光でない証拠だ……僕は失敗したんだ」
「光として?どういう意味なの?分からないけれど、失敗なんてそんなはずないじゃない!それにどうして、あなたの傍にナイフが落ちているのよ……セリオン……」
「僕は気づいたら……死のうとしていたんだ。でも、死ねなかった。この意味は僕の死が答えじゃないってことだ……僕はこの闇をどうすればいいかもう分からない……分からないんだ」
「どうして貴方が死ぬ話になっているの!?さっきまで元気だったじゃない!突然どうしちゃったのよセリオン!!!そんなことお願いだから、冗談でも言わないで……」
アーデルは強く僕を抱きしめる。僕が何も言えずに抱きしめられていると、突然肩に手を軽く置かれる。横にはエダンが居て、僕を笑顔のまま見ている。
「セリオン。落ち着け。お前の癖が出ちまっているぞ」
「……僕の癖?」
「全て自分のせいにするのが、お前の癖だ。この話は個人の問題じゃない、全体の問題だ。お前は強い役目を引き受けてきた。それほどお前は強い男なんだ。俺たちは、俺たちの意志でこの世界にやって来た。それが失敗するはずがないだろう?お前は最初から光なんだ。この世にはな、敢えて闇を背負う勇者みたいな奴も居るんだ。それがお前だ」
「僕は……僕は光なのか?まだその役目を持つことができるのか?マリアにかけた呪いが解けなかったのに……」
「お前は光だ。解けなかったことが悪かったわけじゃない。ただ今はその時ではなかった、それだけだ。お前が死ぬ必要はない。お前が途中半端でその決断をすれば、俺までも死んでしまう。俺たちは、それほどまでに強い約束で全て決めてきたんだ」
エダンは強い瞳で僕を見る。エダンとどんな約束をしてこの世界にやって来たかは分からない。だが前に見た「獣の夢」のように、どちらかが役目を失敗してしまえばこの世界にとっては、僕たちは用無しになってしまうだろう。
僕はエダンを見つめて、深く頷いた。
「……そうか、そうだったな。まだお前との約束は思い出せないが、僕はまた見失っていた。また闇にハマる所だった……アーデル……心配かけてすまない」
「……セリオンの馬鹿!!!」
「……っえ?」
アーデルは僕から少し離れて、涙目で僕を見つめている。その瞳は涙に揺れていたが、それでも強い意志で僕を見つめていた。
「何で簡単に死ぬなんて言うのよ!!!何でそんな悲しいことを言うのよ!!!私は貴方が……貴方が大好きなのに、そんなのってないわ!!!」
「……アーデル、すまな……」
「謝罪なんていらないわよ!!!もうそんなことは言わないって約束して!!!貴方が死ぬくらいなら、私は正義感しかない公爵と結婚してもいいわ!そんな恐ろしいことが起こるくらいなら、私が全て貴方の苦しみも悲しみも背負うから!だからもう……お願いだから……」
アーデルは僕を再び強く抱きしめてくる。僕はまたやってしまったんだ。自分であんなにも闇に行かないように気をつけていたはずなのに、マリアに会った途端駄目になった。
僕の手は震えながらも、アーデルの背中に手を回して強く抱きしめ返した。
一部始終見ていたクロードが大きく咳を零す。
「……ごほっ。アーデル嬢の数々の暴言は聞かなかったことに致しましょう。それより君は早く手当てを行った方が良い。一体マリア嬢との間に何があった?」
「……僕がマリアにかけた呪いが解けなかったんだ。僕が死ねば呪いが解けるかとも思ったが、そうでもないらしい」
「何?何故君が死ぬ話になっている?一体その呪いは何なんだ!?何にしろ、君が死ぬことで呪いが解かれるならば、呪いを解くことを許可するわけにはいかない。解くための別の方法を見つけなければならない」
「……僕たちは敵同士だったはずですが」
「敵以前にこれは命に関わる問題だ。君がマリア嬢にかけたという、呪いの話しを詳しく聞かせて貰おうか。君の手当てをした後にな」
僕は頷いてアーデルに支えられながら立ち上がると、ふらふらと歩き出す。マリアの方に振り向いたが、彼女は僕の方を呆然と見つめたまま、もう何も言わなかった。
僕も何も言わずに、もう一度出口の方に身体を向けると、アーデルとエダンと一緒に部屋を出て行った。
クロードは前に居た警備兵に声を掛ける。
「マリア嬢の様子を見ておいてくれ。かなり動揺したようだからな」
「……はっ」
警備兵はクロードに向かって敬礼する。僕はそれを横目で見ながら階段を下っていく。1つの階分下ると、クロードは医務室に僕たちを案内した。扉を開けると、部屋は清潔な雰囲気に包まれている。部屋の中に居る男にクロードは声を掛けた。
「この者の傷の手当てをしてやってくれ」
「……かしこまりました。公爵様」
「頼んだぞ。アーデル嬢、私はマリア嬢の様子を見に行きます。また後程此方に戻ります」
クロードはアーデルに向けて軽く礼をしてから足早に部屋を出て行った。僕は部屋の中の男に椅子に案内されて、男は念入りに僕の手に丁寧に薬を塗って、包帯を巻いていく。アーデルは僕の様子を見ながら、口を開いた。
「……セリオン、その傷はどうしたの?」
「……これは、マリアの首飾りの呪いを解こうとしたら、突然現れた黒い煙にはじかれて、手が傷ついたんだ」
「そうだったのね、あの黒い煙は何なのかしら……それと、ごめんなさい。もしかしたら、貴方が自分で傷つけてしまったかもしれないと思ったの……」
「心配かけて、すまなかった……今考えれば、僕はまた自暴自棄になっていたのかもしれない。冷静に考えれば、こんな呪いの解き方は可笑しいことに気が付くべきだった……そうか……僕はまだ……」
(まだ僕には、死にたい思いが残っているのか?)
アーデルの心配そうに僕を見つめる瞳で、気付いてしまった。もう闇は克服したと思っていた。舞台上には上がることはないと思っていた。だがどういう訳か、今もまだ僕が舞台上で泣いている姿が見えるんだ。マリアに会った途端、その思いが強くなった。
僕はまだ叫んでいる。僕が彼女を殺そうとした事実には変わりない。僕が彼女に裏切られた事実には変わりない。僕が彼女を……愛した事実には変わりないと。
もう全て憎しみは克服したと思っていた。彼女のことは頭の中で整理したつもりだった。
どうして、僕はまだ泣いている?やっと自分の正体も思い出した。神話の蛇が抱えた嫉妬の闇のことも思い出した。なのに舞台上の僕は、うずくまって泣いている。
ただ子供のように、泣いているんだ。
「セリオン?」
アーデルは僕の方に近づいてから、そっと僕を覗き込んだ。
……アーデル。何故君が居るのに、僕はまだマリアのことを執着してしまうのか。
ああそうか……このマリアへの執着心すらも「カルマ」だ。人間個人の話ではない。最初は神話の蛇が抱えた物であったが、それが世界全体にと広がっている。
蛇の思いは強くこの世界を支配した。僕たちはずっとこの深い闇と戦っている。
今もまだ、とめどなく僕に悲しみが襲い、「苦しい」「助けて」と舞台上の僕は叫んでいる。
だからこそ僕は、世界全体を覆ってしまったこの闇を解放しなければならない。
それが「最初の蛇」としての役目なのだから。
僕はアーデルに顔を合わせて、安心させるために微笑んだ。
「……いや、大丈夫だ。アーデル、どうやってこの塔にやって来たんだ?」
「その話は待って。大丈夫って表情に見えないわ。貴方は役者だから隠し通せたつもりでしょうけど、隠せてないわ……お願い、私に話せることは話してほしいの。さっき貴方が話していた、「光としてやって来た」って意味はどういう意味なの?」
「……君には隠せないか……そうだな。僕は大丈夫ではないのかもしれない。光の意味だが、この話を説明するには複雑で……目に見える部分だけの話ではないんだ」
「それはどういう意味なの?」
「あの、失礼します。手当ての方、終わりましたよ」
話している間に手当ては終わったらしい、医師の男が僕に声を掛けてくる。軽く頭を下げると、医師は別の作業に戻って行った。
僕は椅子を動かして、アーデルの方に向ける。
「ここはエダンにも話し合いに入って貰おうか……おい、エダンこっちに来てくれ。そういえばアーデル。ジャックはどうしたんだ?」
「ごめんなさい。馬に乗れないって言われて、私の屋敷に置いてきちゃったわ。貴方達、移動するのが早かったんですもの……公爵様に着いて行ってやろうって思っていたから、もたもたしていられなかったの。エダンは何故か馬に乗れたけどね……」
「おっ!アーデル、俺に惚れましたか!?馬は、俺は商人の息子なので遠出なんかでよく使うんですよ!」
「エダン。別に惚れていないわ。そういえばセリオンは、馬に乗れるの?」
「ジャックも気の毒な奴だな……僕も馬には乗ったことはない。いつも移動手段は徒歩か馬車だった。今度乗馬をやってみるのも手かもしれないな」
「あら!叶うかどうかは分からないけれど、こんな貴族社会のもめ事が終わって、平和になることができたなら……私が貴方に乗馬の仕方を教えてあげるわ!任せて!私は厳しい教師に乗馬を教えられていた経験があるの」
「それは心強いな。それと平和になるさ……絶対にな」
アーデルに向かって微笑むと、アーデルも微笑み返してくれた。アーデルは僕の手の傷を見て、そっと傷がない方の僕の手にアーデルの手を重ね合わせる。
「早く傷が治るといいわね……どうか、神様。セリオンの傷を癒して下さい……」
「はは、突然どうして神頼みをしているんだ?」
「……神様、セリオンの心の傷も癒して下さい……深い悲しみを彼が感じているのなら、全て私が背負います。だからどうか……彼を癒して下さい……」
「……アーデル?」
驚いてアーデルを見つめると、アーデルは目を瞑ったまま泣いていた。これは……彼女に相当な思いを僕はさせてしまった。アーデルは涙を拭ってから「ごめんなさい」と呟く。
「……セリオン、話を聞かせて貰ってもいい?」
「ああ。この話は、信じられないかもしれないが聞いてほしい」
僕はアーデルに、僕が思い出したことを話していった。
神話の創世記の蛇に、僕が関わっているかもしれないこと。僕はどうやらエダンと約束をして、この世界にやって来たのかもしれないこと。
僕はこの世界に「光の役目」という天界の役目を持って、やって来たこと。
僕の正体が「天使」なのかもしれないということは、彼女には伏せておいた。まだ完全に思い出した訳ではないからだ。
そしてマリアとの間に起こったことは……天界の役目の意味として捉えると、神話の蛇が抱えた「カルマ」が問題だということ。
「……つまり、僕はマリアとの間にカルマを作ってしまった。その闇を解かなければ、彼女も僕も浄化されないだろう」
「それは……カルマってお話とかでよく聞くけれど、つまり貴方の前世とかのお話?」
「いいや、違う。これは違うんだ……前世で起こったカルマは、天界の意味としては最も単純だ。理として起こっているだけだからな。基本的にはな、前世の話はあまり気にしない方がいい。僕たちは今だけを見つめて、考えることが必要なんだ。僕とマリアに起こった罪のカルマは、天界で起きたカルマだ。その闇がこの世界全体にも広がっていき……僕は世界全体を浄化する役目を引き受けた。それが「光としての役目」の意味だ」
「世界全体を浄化?天界の意味?ごめんなさい……よく分からないわ」
「分からなくて当然だ。普通こんなことを聞いても、怪しいと思うだろうからな。このことを「怪しい物」としてしまったのも、僕の後継者たち……蛇たちの仕業だが今はいいだろう」
「いえ、貴方の言うことは信じるわ。だから教えて欲しいの。私も神様に関することは気になっていて、良く書籍も読んだのよ。貴方の言っていた蛇の話も信じるわ」
アーデルは真剣な表情で僕を見ている。突拍子もない話を、ここまで真剣に聞いてくれるとは思わなかった。僕の場合、もし何も思い出さないままだったら「現実味がない話だ」と突き放していたような話なのに。
僕は彼女と顔を見合わせてから、微笑んだ。
「……君は凄いな。普通は聞きたくもないと思う話を、ここまで真剣に聞くのは凄いことだ。君も役目として考えると、「光」の役目を持っているな」
「え、私が光の役目?」
「ああ、そうだ。君は貴族社会と家に反発していたかもしれないが、そのことも実は、天界の役目を果たしに来たんだ。貴族社会と君の家族に「光」を与えるためにな……普通は貴族社会の闇に吞まれてしまうだろう。でも君は呑まれなかったな。君はまず初めに、ご両親に「光の言葉」を伝えに来たんだ」
「……え?」
アーデルは口を開けて僕を呆然と見ている。僕は何故、今の言葉を言ったのだろうか。自分の発言に驚いたまま、アーデルを見つめる。咄嗟にエダンの方を見るとエダンは此方を見て笑ってから、呟いた。
「その言葉こそが「光の言葉」だな。セリオン」
「……エダン、これはどういうことだ?」
「もうお前も気づいただろう。お前の正体も、お前の役目も。お前のことは、ずっと光が守ってくれている。俺は何度も伝えてきただろう?お前は「光」だと。お前は闇に呑まれるかもしれない危険な賭けをしてきたが、お前自身の光は打ち勝ったんだ。確かに俺が光の言葉を伝えたことはある。だが、全てはお前の力だ」
「エダン……これは本当に正しいのか?僕は……僕は今の道で、正しいのか?」
僕は自分が思い出したことのはずなのに、まだ自分の道に迷っていた。エダンは僕の方に近づいてから、僕の肩に手を置いた。
「俺はずっとお前に着いてきたな。後はもう分かるだろう?俺は光だ、そしてお前も光だ。そして美しいアーデル……貴方も光です」
「ちょっと待って、エダン。貴方もこの意味が分かっているの?「光」ってここではどういう意味なの?とても抽象的だわ」
「はは、この世界では抽象的に聞こえるかもしれませんが、「光」は天界の言葉として、最初に生まれた言葉なんですよ。俺たちの始まりであり、その言葉が全てでもあります。俺……いやセリオンと俺は、ただその言葉を貴方に伝えましょう」
エダンは僕の方を笑顔で見てから、アーデルにも笑顔を向ける。アーデルは驚いた顔をしたまま、僕たちを見つめて、頷いた。
「……ええ、分かったわ。何故か分からないけれど、この言葉は……とても重要な言葉なような気がするの。ありがとう……セリオン、エダン」
「はは、お安い御用ですよ!!!俺にもっと惚れましたか?」
「エダン。何度も言うけれど、惚れていないわ。ねぇセリオン。貴方もエダンも急に不思議なことを言い出すからびっくりしたわ……」
「普通はそう思うだろうな……僕も思い出すまでは、エダンの言葉に反発してたんだ。ことあるごとにエダンは僕に「お前は光だ」って言ってきてたからな」
「あら、そんなことをエダンは貴方に言っていたの?同じことを言うなんて、その言葉には意味があるのね。ねぇエダン。どうして「天界の言葉」みたいなことを知っているの?天界の言葉って、神話でありそうな話だわ」
「おっアーデル!俺に興味がありますか!?それは俺が筋肉最高な良い男であり!!!更にスペシャルな光だからですよ!!!」
「うん。貴方に聞いた私が馬鹿だったわ」
アーデルはエダンがいつもの謎の格好つけたポーズをし始めたため、真顔になっている。僕は笑いながら、アーデルを見つめる。
「それで?お転婆な君は、どうやって僕に着いてきたんだ?馬を使ったのか?こっそり馬車に着いてくるなんて凄いな。全然気づかなかった」
「ちょっと、お転婆な君ってどういう意味よ」
「それはもう言葉通りの意味だ。君はお転婆だろう?」
「ええ、そうですね。私はお転婆ですよ。まぁ、こっそり着いて行くなんて簡単よ!でもエダンのせいで、何度も貴方達が乗る馬車の御者に気づかれそうになったけれどね……ふふふ……」
「おお、アーデル!俺がハンサムすぎて、最高ですと!?嬉しいですね!」
「そんなこと一言も言ってないわよ!!!何度同じやり取りをすれば済むわけ!?もう飽きてきたわ!!!」
「ハンサムなエダン様と、もっと話したいだと!?よし、どんどん話しましょう!!!」
「あー!もういいわ!もうエダンとは話さないから!!!」
アーデルは耳を塞いでエダンの言葉を遮っている。確かにエダンは真実の光だと僕は言ったが、こいつの捉え方は行き過ぎている。
エダンがいつも全て自分の都合の良いように受け取るのは、一体どういう仕組みになっているのだろうか。興味が湧いたので、エダンに試してみることにした。
「おい、エダン。お前は馬鹿だな!!!」
「おっ!?何だ突然!?エダン様はハンサムだって!?はは!セリオンからそんな嬉しい言葉を言われるとはな!!!」
「………エダン、お前は働かない無能だ!!!」
「おおっ!?エダン様は筋肉が最高で、力持ちで女にモテて、凄いなだと!?突然どうしたんだよ、セリオン……嬉しいぞ!!!」
「よし。アーデル。こいつには何を言っても無駄だ。完全に思考が光側に偏りすぎている」
「……そのようね。分かったわ。実戦してくれてありがとう、セリオン……」
アーデルは虚ろな目になったまま頷いた。僕は椅子から立ち上がって、辺りを見渡す。
「クロードの奴、何処に行ったんだ?随分と遅いな」
「様子を見てくるって言っていたわよね?そういえばセリオン。公爵様に何か言われたの?こっそり着いて行ったけど、屋敷の中には入れなかったから……」
「ああ、それなら大したことじゃない。それに、君は不快に思うかもしれない」
「えっ……なら何か言われたってことじゃない!お願い、教えて!」
アーデルは真剣な顔で僕を見てくる。クロードに金を出すから、アーデルから手を引けと言われたと言えば、アーデルはどういう反応をするだろうか。
「クロードは僕の存在が不快だったんだろう。クロードは僕に言った。「アーデル嬢の交友関係はこの私が管理する。金を出してやるから、アーデルからは距離を置け」ってな」
「はぁ!?信じられない!あの公爵、正義感ばかりじゃなくて、そんなことまで!?」
アーデルは顔を思い切り顰めて、めらめらと燃えたように怒っている。
「勿論僕は聞いてないぞ。適当に受け流しておいた。いかにも貴族っぽい発想だしな。相手にするまでもない」
「他には!?何か言ってた!?」
「いや、それだけだな。クロードは、犯罪者である僕をアーデルに近づけたくないと思ったんだろうな」
本当の内容は少し違うが、今回の話し合いは、男の戦いだ。アーデルに聞かせるわけにはいかない。これくらい柔らかく濁しておくのがいいだろう。
「もう分かった!私決めた!公爵様と真っ向勝負してやるわ!この結婚は納得いかないって言ってやるのよ!」
「そうするのが本当はいいが、君は約束してしまったんだろう?」
「……ええ、そうなのよ……実は貴方を助けるとき、結婚誓約書まで書かされちゃったわ……貴族の公式文書だから、あれをなかったことにするのは難しいのよ……」
「やはり当初予定していた通り、クロードを影から徹底的に潰す方向で行くしかないだろうな。あっ」
そういえばこの部屋には僕らの他に医師が居たじゃないか。今の内容を聞かれてしまったかもしれない。医師の方を見てみると、バッチリと僕たちの話を聞いていたが、「何も聞いてません!!!私は何も聞いてません!」と言いながら大げさに首を横に振っている。
僕はフッと笑って立ち上がり、懐に入れておいた金貨の入った袋を取り出し、数枚金貨を取り出してから医師に近づく。医師と顔を見合わせてから、しっかりと手に金貨を握らせた。
医師は僕を呆然と見て、僕は笑顔で医師に話す。
「“これ”で今の話は何も聞かなかったことにしましょう。いいですね?」
「い、いえ!貰えませんよ!!!それに何も言いませんって!」
「いえ、それでは僕の気が収まりません。この場合の金貨は「約束」という意味も含まれているのです。どうぞよろしくお願いします」
「は、はぁ……」
医師がようやく受け取ったため、僕は「よし」と満足しながら頷いて、アーデルの方を見るとアーデルは可笑しそうに「ふふ!」と笑っている。
「……何で笑っているんだ?」
「だってお医者様にまで、金貨で取引しようとするなんて思ってなかったんだもの!貴方って相変わらずね!」
「これはもう僕の癖なんだ。その方がお互いに安心できるだろう?」
「あはは!そうね!本当にセリオンらしいわ。それと……さっきより元気が出たみたいね。良かったわ」
「……ああ。今度こそ、僕は大丈夫だ。アーデル……ありがとう」
僕がアーデルに向かって微笑むと、アーデルはいつものように明るい笑顔で僕を見てくれる。
何故彼女が居るのに、僕は死のうとしてしまったんだろう。彼女の笑顔を見ていると、暗い気持ちも忘れていく。彼女の純粋な優しさが、僕を癒してくれるのだろう。
アーデルに話した通り、神話の蛇が僕だったことは思い出したが、神話の蛇としての記憶は一切思い出せない。
1つ言えることは、神話の蛇も人と同じように嫉妬して闇を抱えていた。蛇自身が自分を悪者だと思い込み、悪者として1人舞台を演じていたことは確かだろう。
そして蛇もまた人と同じように、「お前は悪者だ!」と人々に言われることで、自分を感じていたのかもしれない。
この世界は案外単純だ。物語を演じるうちに、人々は自分の正体を忘れてしまった。深いカルマを作り、浄化しなければならないほど物語は広がってしまった。
だが、皆は1つだったのだ。1つの光だった。これから僕たちはそんな当たり前のことを思い出し、本当の自分に気づいていくだろう。
僕は辺りを見渡してから、もう一度呟く。
「クロードの奴、本当に遅くないか?」
「そうね……何かあったのかしら。もう勝手に出て行っちゃう?」
「はは、そうだな……もう少し様子を見た方が……っ!?」
突然扉の向こうから「侵入者だ!!!警戒しろ!ぐあっ!!!」と男の叫び声が聞こえる。アーデルとエダンも立ち上がり閉まった扉を見る。
「……っこれは何かあったのか!?」
「セリオン……どうしよう!?侵入者って言ってたわよね!?」
「アーデル!僕が様子を見てくる。君はそこにいてくれ!」
「でも!外は危険かもしれないわ!」
「よーし!!!敵だな!?俺も行くぞー!」
「エダンはここに居ろ!アーデルに何かあったら……」
僕が扉を開けようとした瞬間、先に扉が開く。焦った顔をした警備兵の男が入ってくる。
「アーデル様!ここは危険です!謎の侵入者数名が塔に侵入しました!私に着いてきて下さ……っぐはっ……!?」
警備兵が話す途中で警備兵は後ろから突然剣が突き刺されて、血を吐いてドサリと倒れた。
倒れた警備兵の後ろには、黒い服装の謎の仮面をつけた男が立っており「この部屋か?」と小さく呟いている。アーデルは悲鳴を大きく上げた。
「きゃああああああ!!!!」
「アーデル!!!」
僕がアーデルに走り寄り、アーデルを後ろに守るように立ち塞がってから、謎の男を見る。
謎の男の表情は仮面に隠れて見えないが、男は僕たちの方をジッと見つめてきた。
「ほう?この女が“アーデル”か……ボスが言ってた女だよな。よし、女!来て貰うぞ!はは、大きな傷をつけるつもりはないから安心しろ」
「……何ですって!?貴方は誰よ!?」
「俺か?俺はまぁ……しがない盗賊だ。正体は明かすなってボスに言われているからな」
「誰か知らねえが、アーデルに近寄るな!!!」
僕が男に顔を見合わせると、男は「やれやれ」と小さく呟いてから、小型のナイフを取り出して僕に向けると、急に僕たちに向かって走ってくる。
「……っアーデル!!!」
アーデルに危険が来ないようにアーデルを後ろに押しのけて、僕は男に立ち向かおうと準備する。武術も何もやっていない僕がどうすれば奴に勝てる!?エダンは男に向かっていたが、男のスピードがあまりにも早く、僕の目の前までやって来る。
(―――っ刺される!!!)
思わず目を瞑ってしまった瞬間、男は僕の方にはナイフを振り下ろさず横に避けてから、後ろに向かう。
(……っしまった!!!最初からこいつはアーデル狙いだ!!!)
アーデルの方に振り向いた瞬間、アーデルは大きな悲鳴を上げる。
男のナイフがアーデルに刺されようとした瞬間、僕の身体から突然強い光が沸き上がるような感覚が襲う。
突然僕の身体から現れた光は、縄のように男に纏わりつき、男は「ぐあああっ!!!」と悲鳴を上げる。
「……っ何だこれは!?ぐああああ!!!」
「アーデルに近づくな!!!このくそ野郎が!!!」
僕は何も知らないのに、この光の使い方を知っていた。男は強く縛り上げられて、苦しそうに呻いている。
「ぐあっ!!!いてええ!!!」
男は必死に喚いて抵抗している。僕は男の方に静かに歩いて近づき、笑みを見せてやる。
「なぁ、もう分かっているよな?身を持って罰を味わえ!味わえ!!!」
「……っやめろ!!!降参だ!!!ぐああああ!!!」
「ははは!!!こんな物じゃ足りない!お前の罪はこんな物じゃ足りないぞ!僕がじんわりとなぶり殺してやる!!!」
突然、僕自身の心が何かに囚われるような感覚がした。アーデルが僕を怯えて見ていることは分かったが、どうしようもできなかった。僕自身を何者かが乗っ取るような感覚が襲い、僕は男を宙に浮かせて、笑みを浮かべる。
「さぁ!早く死ねよ!死ね!!!ははははは!!!」
「おい、セリオン!!!待った!!!」
突然エダンが僕に向かって、体当たりしてきた。僕は反動で地面に倒れこみ、その瞬間男に纏わりついていた光は消えた。男の方を見ると、床で口を開けながら気絶している。
エダンに抱えられたまま、僕がゆっくりと起き上がると、エダンは僕の方を見てから何度も肩を揺さぶる。
「ちょっと待て!!!お前はセリオンだぞ!」
「………そうか……僕はセリオンだ……今のは……っ!?」
エダンの後ろを見ると、僕の姿をした天使が冷たく見下ろしていた。僕の姿をした天使は、退屈そうに「あーあ」と呟くと、僕の方にゆっくりと近づいてくる。エダンにもその天使の姿が見えたのか、後ろを振り返ると目を見開いている。
天使の姿をした僕は、不気味に笑った。
「なぁ、僕を良い存在だと君は思っただろう?ははは!実は、僕すらも君の試練なんだ。悪かったね。君をずっと騙すような真似をして」
「……待て。どういうことだ?まさか貴方は僕を乗っ取ったのか?」
「言っただろう?僕は君で、君は僕だって。僕は君の元々の姿だよ。神話の狡猾な蛇の姿だ!実はずっと僕は君の中に居たんだよ?感情が昂ると、君に現れる存在……それが天使の僕であり、それが……天使「ルシファー」さ!」
天使の僕は、突然「ルシファー」と名乗り、けらけらと可笑しそうに笑い出す。
エダンは「もう一人のセリオンか!?おおっ!?」と呟いたまま、天使の姿をした僕を呆然と見つめており、天使の僕はエダンを冷たく見下ろしている。
「まさか君が、よりにもよって「光の男」と共に、この世界にやって来るとはね……これは僕への裏切りだ!ずっとそう言ってやりたかった!でも僕は……君を僕として愛しているから……そんなこと言えるわけもない」
天使の僕は残念そうな顔をしてから、一歩下がって、アーデルの方を見る。アーデルは僕が誰と話しているのか分からないのか、呆然と辺りを見渡しながら佇んでいる。
「この女には僕が見えてないみたいだね。はっ!こんな女なんてやめてしまえばいい。君はずっとマリアが好きなんだろう?」
「……何?」
「君は今もマリアに執着している癖に、「アーデルの優しさによって癒された」だのくだらない戯言を聞きたくはない。何よりも僕はくだらない恋愛事を舞台に表現して、茶化していたはずだったが。ああ、そうか。君が人間になったから?なぁ、僕はこんなくだらない存在ではない。舞台の上から皆を見ていたじゃないか!楽しいな、くだらないなって!もう忘れたのか?」
天使の僕が僕を見定めるように笑っていると、突然扉の向こうからもう一人仮面をつけた謎の男がこの部屋に入って来て、床に倒れた男を見るなり叫んだ。
「……っくそ!!!何があった!!!まさかやられたのか!?」
男が剣を持って、僕たちに走り寄ってこようとした瞬間、天使の姿をした僕はニンマリと笑って男に向かって手を向ける。
「はは、こいつも殺してやろうか!!!」
「……っぐあ!?何だこれは!?うわああああ!」
仮面の男は光の縄に縛り上げられ、宙に浮かぶ。僕は天使の僕に向かって大きく叫んだ。
「おいやめろ!!!お前が僕なら、今すぐやめろ!殺す必要はない!」
「君は、そんな甘いこと言っていていいのか?やらなきゃやられる。それがこの世の法則だろう!殴られたら殴り返せ!!!やられれば徹底的にやり返せ!!!ムカつく奴はぶん殴れ!!!殺したって構わない。だって僕を苛立たせたんだぞ?」
「お前の気持ちは分かるが、今はやめろ!アーデルも居るんだ!!!」
「へぇ?アーデルの前では格好つけたいのか?君も本心は相手をぶん殴って殺してやりたいって思ってるよな?まずはそれを認めろよ。最近の君は可笑しいぞ!!!」
天使の僕は、顔を顰めながら僕を見てくる。天使の僕は飽きたのか、宙に浮いた男を突然光から解放すると、僕に近寄って来た。
「最近の君の行動が可笑しいと思ったから、こうやって僕は離れてしまった。僕はただ伝える役目として、君に決められただけの存在だったのに……なぁ、本物は僕だ。僕がお前のことを乗っ取ってやるよ。このまま光側に行くなんて、この僕が許さない」
「貴方を置いていくわけじゃない!貴方も僕なんだろう!?光側は僕ら二人だ!」
「ならどうして、死のうとしたんだよ!!!」
エダンは突然天使の僕に吹っ飛ばされる。僕が呆然とエダンを見ると、天使の僕は光の縄を使って、今度は僕の首を絞めてくる。僕の身体が宙に浮かんだ。
「……ぐあっ!!!」
「死にたいんだろ!?僕が殺してやるよ!!!僕はお前の狂気だ!また僕に戻ればいい!その方が楽だろう!?光側なんてつまらない!闇の方が面白いだろ!?」
「……っくっ……」
「舞台は心地いいよな?君の悲しみも孤独も忘れさせてくれる。獣である「セリオン」がこの世を支配してくれている。後はセリオンに任せればいいんだ。どうせ馬鹿な人間共は気づかない。土で出来た金貨を握りしめて涎を垂らしている。馬鹿らしい恋愛劇で、腰を振りまくっている。涎を垂らして、息を吐いて……「貴方が好きよ!」「お前が一番だ!」この世が支配されていることにも気づかず、泥まみれで誓いのキスでも交わそうか?幻想の愛を抱いて、酔って酔いまくって、最後は夢に溺れていることにも気づかずに、閉幕だ!」
天使の僕は高らかに笑っている。笑って、笑いまくって、腹を抱えている。
……そうか。これは僕の狂気なんだ。僕が光側に行こうとしたから、僕を必死に引き留めてくる。見捨てられたくない、可愛い子供のようなものだ。
僕は天使の僕を受け入れるため、光の縄にそっと手を当てる。全てを受け入れる気持ちになると、光の縄はするりと解けて僕は地面に降り立った。
天使の僕は、驚いたように僕を見つめる。
「何故解けたんだ!?その縄は僕にしか解けないはずだ!!!」
「貴方も僕で、僕も貴方だと、貴方が教えてくれたじゃないか。僕は全てを受け入れよう。それに君はどうやら悪者になりたいようだが、ずっと翼は白いままだぞ?」
天使の僕はハッとしたような表情を浮かべてから、自身の羽を見ている。一瞬だけ悔しそうな表情になったが、直ぐに冷静を取り戻したのか天使の僕はニヤリと笑った。
「こんなもの、お前を騙すためのまやかしだ!僕の翼は黒いはずだ!!!」
「なら黒く染めてみたらどうだ?出来るのならな」
「…………っ」
天使の僕は戸惑ったような表情をした。もう狂気の部分の僕すらも、黒く翼を染められなくなってしまったのだろう。口ではどれだけ言おうとも、白い翼が証明してしまっている。
僕はゆっくりと天使の僕に近づいた。天使の僕は僕から遠ざかろうとする。
「大丈夫だ。僕は貴方の全てを分かっている。死のうとしたことはすまなかった。貴方はずっと僕を愛してくれていたのに、僕は気づいていなかったんだ。貴方の心を置いて行ったまま僕が光側に行こうとしていたから、貴方は不安になったんだろう?」
「違う!!!僕は……こんな舞台上の世界なんて、くだらなくて!馬鹿らしくて!だから見下したまま笑ってやろうと……」
「……そうか。大変貴方らしい……いや、僕らしいことだ。僕が貴方を置いて行くはずがない。僕の狂気すらも、僕は全て受け入れよう。全てをただ肯定しよう」
僕は最後に、天使の僕をただ抱きしめた。天使の僕は立ちすくんだまま、突然泣き出した。
「君は受け入れるのか?こんな狂気な僕を……闇に染まった天使ルシファーを……」
「もう貴方は光側じゃないか。いや……最初から僕たちは光側だったんだ。僕たちは、ただ自分で悪者だと思い込んでしまった。そう演じてしまっただけだ……全て分かっただろう?ただ僕は貴方を受け入れよう」
僕は天使の僕に笑顔を向けた。天使の僕は、「……そうか」と呟き、僕を見て自然に笑った。
天使の僕は、光に包まれたまま消えていった。僕は呆然とそれを見つめる。
「ずっと僕はこうして、僕に向かって叫んでいたんだな……」
「セリオン、なんか分からんが凄かったな!!!ちょっと痛かったが、エダン様は強いからピンピンしてるぞ!」
後ろを振り向くと、こんな状況にも関わらずエダンは何故か踊っている。ずっと黙ったままだったアーデルは、僕に向かって走り寄って来た。
「……一体、何があったの!?貴方は誰と話していたの!?何も聞こえなくて見えなかったわ……突然貴方が光に包まれて、人が宙に浮かんで、エダンは飛ばされて、貴方までも宙に浮かんで……どういうこと!?」
「アーデル、大丈夫だったか!?今は駄目だ。後で話そう。連中は君を狙っているかもしれない!今の男達だが、死んではないよな?」
念のために倒れた男に近づいて、呼吸を確認してみるが、ただ気絶しているだけということが分かった。後でこいつたちに正体を聞けるだろう。それに誰かを殺すことは、また闇に繋がる可能性が高い。
光側にはそもそも、人を殺す発想や概念そのものがない。殺すという行為すら、物語に繋がるからだ。
部屋の中を見ると、医師の男は怯えながら部屋の隅で縮こまってしまっている。僕は男にも声を掛けた。
「おい!早くここから逃げるぞ!」
「……ひぃっ……貴方が光って……宙に浮かんで……一体何が起こってるんですか?」
「まずは逃げないと駄目だ!そこで縮こまったままでもいいが、いつ奴らが入って来るかも分からない。来るなら今しかないからな!よし、アーデル!エダン!逃げよう!」
アーデルとエダンは頷く。医師の男もふらふらと立ち上がってから、僕の方に走り寄って来る。医師も含めた僕たちは開け放たれた扉から外に出ると、外は酷い惨状が広がっていた。
警備兵の死体数名が廊下に転がっており、血を流している。アーデルはそれを見るなり、「ひっ」と声を上げて口を押えた。
「……そんな……そんな!!!こんなことって……」
「アーデル、あまり見ない方がいい。まずは逃げるぞ!」
僕たちは階下に逃げようとするが、階下からも大きな悲鳴が聞こえており、下が危険だと言うことが分かる。そういえば、クロードは上の階……マリアの部屋に居るはずだ。
「ここはクロードと合流した方がいい。彼は戦力になるだろう」
「ええ、そうね……嫌いな人ではあるけれど、今の状況では、無事か心配だわ……」
「そうだな……無事だといいが。よし行くぞ!」
僕たちは急いで階段を上がると、廊下を進んでいく。再び目の前から、仮面の付けた男が走って来る。仮面の男は嬉しそうに叫んだ。
「はは!獲物を見つけたぞ!!!」
男は剣を引き抜き、僕たちに襲い掛かって来る。しかし真正面からの攻撃にエダンは簡単に男と対決し、なぎ倒して一瞬のうちに気絶させた。エダンは嬉しそうにポーズを決める。
「この決闘は、エダン様の勝ちだぞ!やったぞー!」
「そんな呑気なこと言ってる場合か!早くマリアの部屋に行くぞ!!!」
こんな状況で喜んでいるエダンを促して、僕たちはマリアの部屋に向かう。
マリアの部屋に入ると、クロードがマリアを後ろに庇いながら必死に仮面をつけた男と剣で戦っている様子が見える。
剣と剣がぶつかり合い、距離を取りながらどちらも引けを取らない。クロードは必死に叫んでいる。
「貴様!何者だ!名を名乗れ!!!」
「お前の状況が分かっているか?ボスはこれからやってくる!そうすればお前も終わりだ!!!」
「ボスだと!?この奇襲は誰の指示だ!?」
「はは!言うはずがないだろう!」
「そうか。ならば、私が成敗しよう!」
クロードは思い切り男に向けて剣を振り下ろし、隙を見せた男に突き刺した。男は「ぐあああっ!」と声を上げてから、床に倒れこむ。マリアは呆然と男を見つめており、クロードに寄り添っている。
「クロード様!私……とても恐ろしかったですわ!」
「……ここまでの相手だとはな……っ君たちは!アーデル嬢ご無事でしたか!!!」
寄り添ってくるマリアを振り払って、クロードはアーデルに向かう。マリアは一瞬悲しそうな表情を見せたが、直ぐに恨みの表情に変えて、わなわなと震えながらアーデルを睨みつけている。
一方でクロードはアーデルに近づき、必死にアーデルを心配している。
「アーデル嬢!何者かに奇襲されたようです!まず私は貴方を逃がします。それから私が塔に戻り、この奇襲の犯人の相手を……」
「分かっているわ!この部屋の警備兵の皆さんは……全員……」
「……っ助けることができませんでした……この私が、このような者共を侵入させてしまう失態をしてしまうとは!くそっ!!!」
クロードは感情が昂ったのか、悔しそうに表情を歪める。部屋の床には仮面をつけた男の死体数名と、警備兵の死体数名が転がっており、マリアの部屋に居た警備兵だと言うことが分かった。
僕はクロードに急いで話しかける。
「公爵!塔の中にはこの仮面男以外にも沢山敵がいる!共通事項は全員仮面を被っていることだ。下の階が襲われて、僕たちは振り切って上に来たが、今もまだ他の階は奇襲を受けている!敵は大勢いるぞ。お前だけで対処はできない!」
「……っ数名と聞いたが、大勢いるのか!?下の階に助けにいけなくてすまなかった……君がアーデル嬢を守ってくれたんだな?それには感謝する……いいか、私にはこの塔を管轄する責任者として、塔を守らなければならない義務がある」
「義務とか言ってる場合じゃないだろ!敵の実力と、数を見ろよ!敵の実力はかなり高い。お前の正義心だけで済む話じゃないんだ!まずは敵を見極めて、適切に行動しろよ!」
「そうだな……今回ばかりは君の言う通りだ……君は戦えるのか?」
クロードは僕に向かって真剣に目を合わせてくる。僕は胸の中に居る、先程の天使の僕に聞いた。
(……貴方は、僕に力を貸してくれるのか?)
目を瞑って問うと、天使の僕は笑って頷いてきた。僕はその返事に「ありがとう」と心で呟いてから、クロードに目を合わせる。
「ああ、僕は戦える。普通の戦い方とは違うがな……」
「何?君は見かけによらず、何か武術をやっているのか!?」
「今は無駄話をしている場合じゃない。まずは逃げ……っ!」
僕が入り口の方に振り向いた瞬間、扉の方から仮面をつけた男が三人部屋に入って来る。剣を携えたまま、僕たちに襲い掛かって来た。
「あの恰好は公爵だ!女の方はボスの指示だ!狙え!!!」
「待て!どっちがアーデルだ!?ボス、肝心の姿を言わないからな……」
「どっちでもいい!どっちも誘拐すればいいだろう!」
(……っ何で狙いがアーデルなんだよ!!!)
咄嗟に僕はアーデルを後ろに庇うように立つと、自分自身の光を思い出すように胸に問いかける。天使の僕が沸き上がって来る感覚が襲った途端、僕は光に包まれて、強い光の柱が三人の男を襲った。
「うわあああ!!!何だ!?ぐわああっ!」
男達は叫び声を上げながら宙に浮きあがると、光の柱は男を強く縛りつけて、壁へと激突させた。その衝動で男達は三人共気絶する。
「……っはぁ、はぁ……やったか……僕にも使えたか……」
「……君は、何者だ?」
クロードは呆然と僕を見つめる。アーデルもまた僕を呆然と見ている。突然現実ではあり得ない力を使われてしまえば、その反応も無理はない。
過去のことは完全には思い出せないが、天使の姿の僕は、本来の僕の姿だということは確信できた。
この世界には元々僕が関わっていた。僕は敢えてレベルを限界まで落とし、この姿としてやってきた。ここで圧倒的な力をひけらかしても大して意味を持たず、幼稚な行為になる。
僕は敢えて力を抑えてきたが、目覚めと同時に起きた天使の僕からの試練が、真の力の発動の条件にしていた。
光の役目に目覚めなければ、力を使えないようにしてから、この世界にやって来た。
もし初めから力を使えてしまうと、僕は調子に乗ってしまう。力に溺れて幼稚な行為を楽しみ、光としての本来の役目を忘れる可能性があったからだ。
僕は人間として歩む必要があった。人間としての僕が目覚めることが、最も重要だった。彼らの立場を学ばなければいけない。闇に深く入り込むことが必要だったからだ。
僕は二人に顔を見合わせてから、ただ頷いた。
「僕は、「光」だ。光の存在だ。ただそれしか今は言えない」
「……何だって?」
「今の僕にはまだ名前はない。それよりも、まずは逃げないと……」
僕が二人より後ろに立つマリアに顔を向けると、マリアは呆然と僕を見つめている。僕はマリアから視線を逸らして、エダンを見つめる。エダンは何処か満足そうに頷いていた。
「なぁエダン。これで満足か?」
「ん?何がだ?」
「お前は全部分かっていたんだろう。僕の役目も、僕の正体も……こうなることですら」
「ははは!そうだな!お前は、エダン様の次に最高な男になったぞ?」
「……そうか。分かった……っ!?またか!」
入り口の方を見ると、1人の仮面をつけた男が入って来た。今度の男は仮面のデザインが他とは違い、ゆっくりと歩いてくる。
僕は直ぐに構えたが、男が襲い掛かってこようとしないので、力は敢えて抑えた。
男は辺りを見渡しながら、感心したように頷いている。
「ほう?ここには凄腕の力を持つ奴がいるようだな。中々に面白い……」
「貴様は何者だ!!!」
クロードは剣を引き抜いたまま、男に向ける。男は高らかに笑ってから、クロードに手を向ける。その瞬間、クロードは見えない力に突き飛ばされたように身体が宙に浮きあがり、強く壁に激突した。
「……っぐああ!!!」
「ははははは!これはこれは。ここまで貴方が弱くなっているとは……いや今は公爵様とお呼びするべきか。今日の戦いを楽しめたか?本来なら貴方はここで死ぬはずだった……ここで貴方が死ねば、こんな馬鹿な物語は終わっただろう。まぁこれも余興だと思えということか。さて……ああ、マリア嬢ではないか」
男がマリアを見た途端、何かの力によって強い突風が起こり、僕たち全員は壁に激突した。
(……っくそ!油断していた……)
強い痛みに立ち上がることが出来ず、僕は床にうつ伏せになったまま呻く。油断したのが敗因だった……アーデルをまず守るべきだったのに!
アーデルは少し離れたところに気絶しており、エダンまでも気絶していた。マリアは仮面の男を見つめたまま、震えているのが分かる。
仮面の男は、怯えるマリアに近づいた。
「予定変更だ。お前は中々に使えそうだな。もっと物語を面白くしなくては……この馬鹿な公爵はいつまでも正義感をひけらかしたまま、気づかない。アーデル嬢は……ああ、そこに倒れている女か。本当はお前が目的だったが、今は狙わない……マリア嬢にするとしよう」
仮面の男は、マリアの頬にゆっくりと手を当てた。マリアは怯えたまま男を見つめる。
「なぁ、お前はアーデル嬢が憎いだろう?俺と一緒に来い。最高の復讐をしてやろう」
「何ですって!?この私に近づくな!!!クロード様に何をしたの!?」
「おいおい、そこまで警戒しなくても。この俺を覚えていないか?ずっと話していただろう」
「……っまさか貴方は!?」
「はは、何も言うなよ。正体を明かしたら、クロードは俺にひれ伏してしまう。いまだに俺の正体に気づかない馬鹿だからな」
仮面の男は、痛みでうめいているクロードを見つめたまま、笑っている。男は抵抗しようとしているマリアを簡単に担ぐと、部屋を見えない力で割ってから、窓辺に立つ。
僕は咄嗟に声を出していた。
「……っ……待て……お前は何者だ……何故アーデルを……狙った……」
「……お前は……何てことだ。いつの間に、そこまでみじめな姿になった?殆ど力も出せてないようだな。熾天使もそこまで堕ちれば、おしまいだな」
「……何?僕の正体を知っているのか……お前は誰だ……」
「ははっ……“貴方様”には特別に教えて差し上げましょうか?俺は“アベル”だ。この世界での名前はとっくに捨てたから、天界の方の名前だがな」
アベルと名乗った男は、ゆっくりと僕に近づいてくる。僕を見下ろしてから、突然僕の身体を強く蹴って来た。
「……っぐあ!?」
「ははは!あの熾天使様もここまで堕ちたか!今までは、この世界を貴方が支配していたでしょうに、人間のように世代交代でもしたんですか?……残念だ。貴方は闇のままでいるべきだった。闇のままで居れば、全てを魅了し、輝くことができたでしょうに……まぁ、何をしに来たかは知りませんが、楽しみにしていますよ。熾天使様」
アベルという男は高らかに笑うと、部屋の窓からマリアを担いたまま飛び降りてしまった。僕はその姿を呆然と見ながら、強い痛みに耐えきれなくなり、少しずつ意識は暗闇に落ちて行った…………
三章 完




