第19話 アーデル
少し経ってから、エダンとジャックと共に大広間を出た。
アーデルの言った通り、廊下には先ほどまで居たはずの私兵の姿は見えない。
だが堂々と歩いて何かあったら困るため、周囲を警戒しながら歩いてみるが、エダンは笑顔のまま通常通りだ。
僕はエダンに向かって腕で小突いてから、小声で話す。
「おい、少しは警戒しろ。自由に歩いている所を見つかったら、僕たちは牢獄行きだ」
「おっ?そうか?でも誰も居ないみたいだぞ?」
「何があるか分からないだろう!それと小声で話せ。ジャックもな」
僕がジャックに向かっても話すと、ジャックは無言のまま何度も頷いた。やはりジャックは僕のように一般人だ。きちんと状況を理解している。一般人ではないのは、エダンだけだ。
アーデルに言われた通りのルートを進んでいく。階段を登り、真っ直ぐ奥まで進んで右に曲がろうとする直前になった所で、話し声が聞こえてきた。
慌てて僕はエダンとジャックに向かって手を出して制する。
「待て!話し声が聞こえた。いいか、何も喋るな。様子を見てくるからここで待っていろ」
エダンは呑気な顔で頷き、ジャックは緊張した顔で頷いた。僕は二人を置いてゆっくりと曲がった先の扉に近づく。部屋の中から話し声は聞こえているようだ。
少しだけ開いていた扉の隙間から部屋の中を覗いてみると、その中にはアーデルと、何とクロードが立っていた。
(……っクロード!?何でここに?)
部屋の中を見ると、クロードがアーデルの前に立っている。クロードは笑顔をアーデルに向けながら、一歩アーデルに近づいた。
「アーデル嬢。昨日の湖への散歩はいかがでしたか?少しでも気持ちが軽くなって頂ければと思いましたが……まだ私に納得して頂けないでしょうか?」
「……え、ええ……湖は美しい景色でしたわ。まさか馬に乗って湖に行くとは思っておりませんでした。とても不か……ごほっ……いえ。爽快な気分でしたわ」
「アーデル嬢……どうやら喉の調子がお悪いようですね……ああ、良い物がございます」
クロードは笑顔のまま持った鞄の中から、小さな瓶を取り出す。瓶の中を見ると、中には色とりどりの球体の物が入っている。一体何だろうか?興味深く観察していると、クロードは瓶から球体を取り出し、アーデルに差し出した。
「此方は特別に同盟国から輸入致しました、“飴”という美しい菓子です。さぁ、手をお出しください」
「え、ええ……」
アーデルは何処かひいた表情で、クロードから小さな菓子を受け取る。アーデルが不審そうに菓子を見ているため、クロードは「はは」と爽やかに笑った。
「食べられる物ですよ。普通の菓子で、甘くて美味しいことで有名です。口の中で味わうと喉にも良いとか。食べてみて下さい」
「……このような菓子は初めてでしたから……食べてみますわね」
アーデルは引きつったような笑顔で菓子を口に含む。そのまま、「あら!」と大げさに嬉しそうな素振りをし始めた。
「ま、まぁ!とても美味しいですわ。ありがとうございます」
「気に入って頂けて幸いです。私も最近そちらの菓子を知ったのですが、甘い味が気に入りまして……恥ずかしながら子供のように、菓子を求めてしまったんです。色形が美しいので、女性に特に好まれるようですよ。良ければ貴方のためにお贈り致しましょうか?」
「い、いえ!!!結構ですわ……その……お恥ずかしい話ですが、あまりお菓子を食べすぎたらそうですね……体型の方が……」
「そうでしょうか?何も気にする必要はないと思いますが……貴方はどんな貴方であっても美しいですよ。それにほら……聞いてみて下さい」
クロードは笑顔のまま瓶を軽く振る。中で球体はカラカラと音を立てた。
「はは……面白い音がすると思いませんか?」
「ええ……それなら初対面で金貨の袋でも振ってた方が良……ごほっごほっ!!!おほほほほ!!!あら!?また喉の調子が!!!ごほっ!」
「アーデル嬢!?大丈夫ですか!?」
クロードは咳きこむアーデルに寄り添うように近づく。アーデルはわざとらしい咳をずっと零しているが、クロードは本気でアーデルが心配なようだ。
アーデルの咳が落ち着くと、アーデルはクロードに対して笑顔で話し出す。
「公爵様、本日はお越しいただきありがとうございました。ですが突然のご訪問でしたので、この後とても大切な用事がございまして……」
「急な訪問、大変申し訳ありません。応接間の方でお待ちしていたのですが、貴方の居場所が分からないと召使は焦っておりましたよ。それで貴方のお部屋の前なら直ぐにお会いできると伺ったのです」
「あら!そうでしたの……おほほ、実はちょっとした用事をやっておりまして、まだその用事が終わっておりませんの!」
「そうですか……お急ぎなのは承知の上ですが、1つだけ伺っても宜しいでしょうか?アーデル嬢は、お好きな物とかございますでしょうか?」
クロードは真剣な表情でアーデルに聞いている。アーデルは引きつった笑顔のままクロードにきっぱりと答えている。
「好きな物はございません!!!」
「……好きな物がないのですか?でしたら、宝飾品などはどうでしょう?例えば首飾りなどは?今あなたが身に着けている首飾りは失礼ですが、かなり安物に見えます。あなたに似合う美しい首飾りを見繕いましょう。それでどうでしょうか?」
クロードはアーデルが身に着けている首飾りをジロジロと見ながら話す。
クロード……この野郎。アーデルが身に着けている首飾りは、僕がアーデルにあげた首飾りだ!安物で悪かったな!!!と心の中で悪態づくと同時に、アーデルは思い切り顔を顰めてクロードを睨みつけた。
「これは大切な物です!!!貴方にとってこの首飾りがどれだけ安物に見えましょうが、どれほど高価な宝飾品であっても、代えることが出来ない大切な首飾りです!本当に失礼な方ですね!!!」
「…………っ」
アーデルはきっぱりとクロードに言い、クロードはアーデルが突然怒り出したことに驚いたのか目を見開いたまま呆然と固まっている。
(そんなにも、僕があげた首飾りを大切にしてくれているのか……)
アーデルの素直な思いが、純粋に嬉しいと感じる。クロードはアーデルの態度に動揺したのか、アーデルに向かって頭を少し下げた。
「……っ失礼いたしました。それほど大切な物とは存じておりませんでした」
「いいえ、もう気にはしていません。ですが、今後女性が身に着けている物に対して発言するときは、少しは気になさった方が宜しいかと」
「そうですね……申し訳ございません」
アーデルの冷たい視線に流石のクロードも諦めたのか、礼をしてから僕の方に振り向いて歩き出す。僕が慌てて隠れる場所を探そうとすると、クロードはどういう訳か立ち止まってアーデルの方に振り向いた。
「……婚約パーティで、再び会えることを楽しみにしております。貴方に対して失礼なことを言ってしまいましたので、後日お詫びの品をご用意いたします」
「お詫び!?お詫びなんていらないです!お気持ちだけで十分でございます!」
「いえ、それでは私の気が収まりません。我が家で行う婚約パーティは、貴方の為に念入りに用意させております。当日を楽しみにしていてください。そして……今一度発言に対してお詫び申し上げます。それではアーデル嬢、お元気で」
クロードは申し訳なさそうに微笑んでから、再び扉の方に歩き出す。
(今度こそまずい!一旦隠れねえと!)
廊下を走ってエダンとジャックが居る曲がり角に戻った途端、アーデルの部屋の扉が大きく開いた。部屋からはクロードが気落ちした雰囲気で出てくる。クロードはもう一度部屋の中に向かって丁寧な礼をして扉を閉めてから、廊下をトボトボ歩いて去って行った。
(行ったか……よし行こう)
念のためエダンとジャックには待機させてから、もう一度アーデルの部屋の扉を開けようとした瞬間、アーデルの大きな怒声が聞こえたため、思わずピタリと手を止めてしまった。
「何が!!!湖への散歩よ!!!何が“飴”という菓子はどうですかよ!!!いいえ……お菓子には罪はないわ……ごめんなさい、ごめんなさいね……」
扉を少しだけ開けると、アーデルは何故か飴という菓子に謝りながら、ガリっと音を立てて口の中の菓子をかみ砕いている。そのまま部屋の中をぐるぐると回り始める。
「昨日の湖でもそうだったわ!私がわざわざ“公爵様”を馬で追い越して先に湖に行こうとしてたら、馬で追いついてきて「はは、競争ですか?」って笑顔よ笑顔!何!?あれがいいと思っているの!?湖に着いたら「アーデル嬢。空気が爽やかですね。自然は美しいものだと思いませんか?ですが今は……貴方の方が美しい……」とか1人で言って照れてて何なの!?馬鹿!?物語の中の王子様ぶってるわけ!?」
アーデルが物凄く怒っているため、部屋に入るに入りづらい。クロードと何が合ったかは知らないが、クロードはアーデルを相当怒らせたのだろうか。アーデルは時にはクロードの物まねをしながら、元気に怒っている。
「今あったことはもう論外だとしましょう……落ち着いて、アーデル……公爵から来る手紙1つ長ったらしく前置きは長いし、折り目もずれがなく完璧で、手紙に押した貴族の判子も綺麗に真っ直ぐ。逆にそれが気持ち悪いわ……そうそう。昨日湖から帰ってきて、公爵の馬の手入れを召使がやろうとしたら「ああ、君待て!私がやろう」って笑顔で自分の馬の手入れをしているんですもの……一体あいつは何なのよ!!!あれがいいと思ってるの!?」
アーデルは何故かクロードが馬の手入れをしたことに対して怒っているが、クロードのことだから正義感ぶってやろうとしたのだろうか。
アーデルは怒りが収まらないのか、歩き回る速度が速くなっていく。
「それにベルやフィオナちゃんのことも全然答えようとしないし!「安全な場所におります。ちょっとした事情聴取ですよ」って何よ!?二人は私が逃げたことと何も関係ないのに!もうあいつの家に乗り込もうかしら!二人共あいつの家に囚われているのよね……待っててベル、フィオナちゃん!あの正義感で固まった最悪な男から救い出してあげるわ!」
やはりアーデルの召使のベルと、酒飲みの父親から救ったフィオナはクロードの家に居たのか。アーデルはそれに対して怒っているようだ。
僕がようやく部屋の中に入ると、アーデルは僕の方を呆然と見ながら固まった。
「……あら?セリオン居たの……あはは……もしかして今の……見てた?」
「……ああ、バッチリな」
「そう……あはは!居るなら直ぐに言ってくれれば良かったのに!ええと……何処から見てたの?」
「丁度クロードが君と話して……湖の散歩はどうだったかと、クロードが君に対して話している所からだ。湖に行ったのか?あいつと?」
「え、ええ……そうよ!でも今あなたも聞いていた通り、最悪だったわ……つまらなかった。本当は行きたくなかったけれど、公爵様の命令だから……あっ座る椅子用意するわね!」
アーデルは今の怒りの現場を見られたことを誤魔化したいのか、慌てふためいたように椅子を探し出す。
あまりのアーデルの慌てっぷりに、僕は思わずプッと吹き出して笑った。
「はは……そんなに急がなくてもいい。実はエダンとジャックを廊下で待たせているんだ。呼んでも大丈夫か?」
「ええ!勿論!」
アーデルは笑顔で頷いたため、僕は部屋から出て周りに誰も居ないことを確認してから、曲がり角から此方の様子を覗いているエダンとジャックに向かって手招きをする。
エダンとジャックが此方に走って来て、部屋の中に入ったタイミングで扉を静かに閉めた。
エダンはアーデルを見るなり、笑顔のまま大きく手を広げた。
「ああ!!!美しいアーデル!!!話したかったです!!!お元気でしたか?久しぶりに見る貴方は美しい……いつでも俺のご立派は準備万た……」
「エダン?黙って」
「……はい」
アーデルの強い気迫にエダンはシュンと大人しくなる。最早いつものやり取りにまでなってきた。エダンはいつまでも学ばない。
僕は大きく咳を零してから、アーデルに話し出す。
「とりあえず座ろうか。今後のことを話そう」
「ええ、分かったわ。エダンのことは放っておきましょう」
アーデルと僕が椅子に座ると、ジャックも慌てて座る。エダンはシュンとしたまま椅子に座りようやく話し合いが始まった。
「それでアーデル。クロードと婚約パーティの話をさっき聞いたが、パーティに行くのか?」
「ええ、そうよ。順を追って説明するわね。まず突然私が馬車で連れて行かれたのは、私の家にクロード公が告げ口したせいなのよ。あの日馬車に乗せられた時に、最後にセリオン、貴方に挨拶したいって頼んだのに、クロード公に「奴隷商売帳は、あの男が持っているのですか?」って聞かれて私の鞄に入ってたから「私が持ってます」って言ったら、「そうですか。でしたらもう関係はないですね」って!!!本当に酷いわ!!!」
アーデルはわなわなと震えながら、怒っている。
その発言は大変クロードらしい。奴隷商売帳の為だけに平民の僕が必要だった。クロードは僕が犯罪者だからと、僕を危険扱いしてアーデルと実家に帰った時も変な見張りをつけたくらいだ。相当僕のことを警戒していたに違いない。
僕は首を横に振りながら、アーデルに話し出す。
「……そうか。それは僕が犯罪者のせいだろう。アーデルと僕とエダンで実家に帰った日、クロードは僕が犯罪者であることを警戒して、僕たちに見張りをつけていたらしいんだ。だから実家での僕たちの行動は全てクロードに伝わっていると思っていいだろう」
「……っ何ですって!?見張りですって!?自由にしてくれるって言ってたわよね!?誰に聞いたの!?まさかクロード公に?」
「クロードは最初からそのつもりはなかったんだろう。君を自由にするつもりはなかった。クロードに直接聞いたわけじゃないが、見張りをつけていたとクロードの下の警備兵がご丁寧に僕に教えてくれた。クロードは僕に会おうともしなかった」
「……っ本当に信じられないわ……三日間自由にするって約束したのに、約束を破ったじゃない!」
アーデルは怒りながら、唇を噛みしめている。その後大きくため息をついて僕を見た。
「本当に嫌になるわ。クロード公のことは、社交界のパーティで会った時から嫌いだった。貴族の女性たちはあの男のことが憧れで、皆色めきだって騒いでいた……私は、社交界のパーティ自体嫌いだったから隅の方で皆の様子を見ていたの。パーティの何度目かであの男はそんな私に声をかけてきたわ。私は適当に受け答えをしただけなのに、その翌日よ……結婚しないかと通達が来たのは……」
アーデルは目を伏せてから、首を横に振る。辛そうな表情をしてから、口を開いた。
「結婚なんてしたくなかったのに……私の家はお祭り騒ぎよ。だってあの公爵家からの通達ですもの。普通は公爵家にふさわしい家柄の良いご令嬢が選ばれるはずだったのに。ああ、ごめんなさい……私の話になってしまった……それで馬車で家に帰ってきた後、私とクロード公の結婚の話は着々と進んだわ。私は覚悟していたのに、何故かどうしても最初に結婚を強制させられたことが思い浮かんで……クロード公の嫌なところばかりが目につくようになって……それで貴方も見た通り、ストレスが溜まっていたの」
「クロードが今していることは、君の気持ちを全く尊重していない。クロードが君の話を少しでも聞いたことがあったか?」
「……全くないわ。私の話なんて聞いてくれなかった。勝手に正義感ぶって、貴族平民に限らず弱い者の味方で、人々に慕われて、犯罪者には容赦がないわ……そんな姿にしか私には映らなかった」
「そうだ。それがクロードだ。あの性格のことだから、人々に慕われていることは簡単に予想がついた。そこで僕は考えたんだ」
僕が言うと、アーデルはハッと顔を上げた。アーデルは真剣な表情で僕を見て、僕は言葉を続ける。
「それを逆に利用してやろうってな。アーデル。慕われている人が居たとしよう。そいつが良く思われれば思われるほど、逆のことが発覚すればどうなると思う?」
「それは……信用をなくす?」
「そうだ。信用をなくす。だからクロードは絶対に不祥事は起こせない。本来何かをやるのなら、ある程度民衆に嫌われていた方がやりやすいんだ。上に立つ立場なら尚更だ。人々からの信頼は本人への憧れを生み、聖人にし、勝手に祀り上げるだろう……それで得る恩恵もあるが、崩せば一気に崩せるほど脆いものだ……これは僕が不幸演劇をやろうとしたときに心がけたことだが、ある程度民衆に嫌われようと思ったんだ。だからあの内容をやった」
「……え?わざと人に嫌われるですって?」
アーデルは驚いている。僕はアーデルに笑みを見せてから、続きを話し出す。
「君は、人に嫌われることが悪いことだと思うか?違うんだ。それは逆に自分へのメリットになる……人々の反発心を煽ることで、民衆は僕に注目するだろう?「何かこいつは嫌だ。でも見てしまう」人々はそう思いながらも、自然と僕に金を落とすんだ。だからいつかは、誹謗中傷されることは覚悟していた。僕の舞台でローガンが誹謗中傷をして、君が助けてくれたあの時でさえ……」
「……っ何ですって!?覚悟していたの?もしかして私余計なことをしてしまったの?」
「いや……今思えば君が助けてくれたことによって、僕が心までも舞台上に立っていたと最終的に気づくことになったんだ。だから君には感謝している。確かに僕の言葉で、ローガンや民衆の怒りを抑え込むことはできただろうが、それをしてしまったら僕はいつまでも気づかないままだった」
アーデルは申し訳なさそうに眉を顰めたが、僕は笑顔をアーデルに向けたままだ。
正直に言えば最初、アーデルが誹謗中傷から助けてくれた時に、余計なお世話だとは心の片隅では思っていた。だが人に助けられて嬉しい自分も居た。その二つが組み合わさり、僕は迷っていた。最終的にはその迷いすらも僕への課題だったと気づいたんだ。
人は反発をすることで、心が刺激され物事を考えることになる。まさに僕の中で二つの感情が起こったことが、心の何処かで引っかかることになった。
「話を戻すが、クロードは正義感に縛られている。恐らく自分でも気づかないうちにな……この世の価値観で金や名声が大切だと思っている人と何の変わりもない。クロードは金や名声にはこだわらないだろう。だが、正義感にはこだわっている。人々に迷惑をかけないようにだとか、人々のためにだとかな。自分のことは考えず、さも人の為にやっているように見えるから人々には好まれるかもしれないが、実はクロードは全部自分のためにやってるんだ」
「自分のためにやってるの?どういうこと?」
「自分を感じるからだ。それこそが自分だと思うからだ。人はこれこそが自分だと思う物を作りやすい。僕の場合は観察癖で、クロードの場合は正義感だ。クロードは自分のためにやっていることを認めようとはしないだろう。それこそ神のためにやっているとでも言いたがるかもしれない。それでは駄目だ。まずは自分自身がやっていると認めないと、始まらないんだ」
僕の言葉が、アーデルには本当に驚いたのだろう。目を見開いたままジッと僕を見つめている。
このことは、僕自身も最近になって気づいたことだ。アーデルがクロードに対して反発することにも理由がある。相手の正体を見破れば少しは軽くなるかもしれないと思ったから、僕は彼女にクロードの正体を説明することにした。
まぁ、クロードとの結婚を良いとするものではないが。何よりも僕が嫌だ。
「クロードの望みは、真実の奉仕を人々にしたいんだろうな……だがまぁ今やっていることは全て自己満足だということに気づかなくては、いつまでもあいつはあのままだろう。あいつは真実の光を何も分かっていない」
「……真実の光?そういえばお母さまにも、その言葉を言ってたわね……それは何なの?」
「……それは物凄く分かりやすく、手っ取り早く言えば……信じられないかもしれないが……こいつだ」
僕がエダンを指差すと、珍しく大人しく黙っていたエダンが「おおっ?」と椅子から起き上がる。こいつ……今まで寝ていたなと直ぐに気づいたが、アーデルはエダンを見て口をパクパクとさせた。
「何ですって!?真実の光がエダン?セリオン、一体どうしたのよ!?この男はただの馬鹿よ!」
「えっ俺がハンサムですって!?ははは、今は眠っていましたが、起きた途端その言葉は嬉しいですね!!!」
「ほらー!!!もう駄目よ!!!この男はただの馬鹿!!!」
「ん?この男はハンサムで素敵で最高ですって?筋肉も見たいと!!!ははは!それなら直ぐにお見せしましょう!!!」
エダンは突然立ち上がってバッと上半身の服を脱ぎだす。ジャックは「エダンさん!最高っす!」と笑顔で居るが、アーデルは「そんなこと一言も言ってないわ!!!服を着なさい!!!」とまた子供に言うように言っている。
僕はもう慣れているため曖昧に笑ってから、アーデルに話し出す。
「君が信じられないことは分かっている。このことは最早禁忌に近いほど、まずい真実だ。エダンのことを説明すると、まず人の話を聞かない。おまけに働かない。更に女好きで馬鹿な奴だな?」
「え、ええ……そうね」
「働かないこいつに僕は反発したことがある。「働け」ってな……この世の価値観じゃ働かない奴は無能だが、こいつは堂々と無能をアピールしていた。それだというのに、いつでも楽しそうなんだ。更にこいつに聞いてみたら「俺はいつでも楽しい」とまで言ってきた……信じられないだろう?」
「……全く信じられないわ。いつでも楽しい人なんて居るの?ああ……ここに居たわね」
アーデルは呆然とエダンを見つめているが、エダンは勝手に楽しそうに踊り始めている。ジャックは合いの手をやっており、既に僕たちの話は聞いていない。
僕はそれを見て笑ったまま、エダンを見ているアーデルに目線を合わせる。
「そうだ、こいつは変なんだ。だがな、それは何の価値観で“変”だと思うんだ?」
「一般的に見て、可笑しいからでしょう?」
「そうだな……だが、“一般”とは何なんだ?僕たちは気づかないうちに、硬くて崩れない枠を作ってしまった。それこそが正しい価値だと思ってな。地位や名声は分かりやすいが、実は愛の定義すら、勝手に人間が作ってしまったんだ」
「……愛の定義も?」
「人は他人に求めなくても既に愛を持っている。しっかりと自分の中にな。最初はそのことを知っていたはずなのに、いつしか他人に求めることになった。何がきっかけで起きたのか……人に知恵がついたから?ああそういえば、思い出した……神話でこんな話を聞いたことがあるな……」
何故か突然神話を思い出したため、僕は椅子から立ちあがって演じる前の丁寧な礼をしてみせる。アーデルは目を見開いて僕を見つめる。僕はアーデルに自然な笑顔を見せた。
「昔、人類の始まりの日、神は創造した世界に人を造った。最初の人は男であった。エデンに1つの楽園を造りあげ、人を置いた。神は男から女を造った。そして神は園の中央に善悪を知る木を生えさせた。神は「善悪を知る木から、木の実を取ってはならない」と人に話した。人はそれを聞き入れた……」
「それって創世記でしょう?あの有名な……リネノール神は神としてこの国独自で信仰されているけれど、その話は全体に通じる話よね?」
「……そうだ。僕もまぁ学校で少しやった程度だったがな。今思い出したくらいだ。神が何故人に食べるなと強制させようとしたのかは分からない。既に人が堕落することを分かっていて、それを食い止めたかったのか……それなら何故この木は存在していたのか……真相は分からないが、この話には続きがある」
僕は目を瞑って、神話の内容を思い出す。善悪の知る木の前に狡猾な蛇が現れる。その蛇は神の作った生き物の中で最も狡猾であった……
「女の前に、狡猾な蛇が現れた。蛇は女に言った。「その木の実を食べると、神のようになれます」と。女はその話を信じ込み、善悪の木の実を食べてしまった。共に居た夫にも分け与えてしまった。ここが堕落の始まりだと言われている」
「ええ、有名な話よね……でもどうして女性はそんな分かりやすい嘘に騙されてしまったのかしら?怖い蛇の姿をしていたのでしょう?」
「……いや、僕が思うに、蛇と表しているのはその生き物の心の姿だ。神にはその姿が最初から透けて見えたが、女には美しい姿を見せていたのだろう。いや……むしろ蛇と分かっていても、それが美しく見えたのかもしれないな……人は闇に惹かれる生き物だろう」
人は闇に惹かれる……その性質を利用して、僕も不幸舞台を行っていた。それは神話にも通じる話だろう。そしてこの蛇自体にも問題があることが分かる。
「蛇にも問題はあった。蛇は恐らくだが、二人に嫉妬したのだろう。蛇にとっては人間が美しく目に映り、己の姿をどれだけ美しくしようとも叶わないと思ってしまった。神からは自分は“蛇“と思われていると、心の中で思ってしまった……蛇が男側を騙さなかったのは、男側には叶わないことが分かっていたからだ。隙がなかったんだ。だが、女側が自分に惹かれていることには気づいていた……更に蛇にとっては、女側が魅力的に映ったのだろう。神は同じように男女を造ったはずだが、女には既に男とは違う物が生まれていたのかもしれない」
「違う物?」
「……知恵だ。知恵が既に女に生まれていたんだ。そのことに神が気づかないはずがない。だが、神は人をそのままにした。善悪の知る木を食べたから知恵が生まれてしまったと伝えられているが、人が蛇を見ることによって、知恵を学んだとすれば?早く学んだのが女だったとすれば?そうすれば、蛇に惹かれた女のことは説明つくだろう」
僕は再び椅子に座ると、アーデルは大きく頷きながら僕の話を聞いている。僕は話を続けていく。
「ここで言う蛇は恐らく男のような生き物だ……それこそ神に仕えていた天使の象徴かもしれない。天使は神と共に世界を創造したと言われている。知恵を持つ男と、知恵を持つ女……惹かれ合わないはずがないだろう。だが神は女に、知恵を持たない男と番になれと言ったんだ。神には知恵を持つ者同士が共になることで、どうなってしまうか目に見えていたのかもしれない」
アーデルは僕の話を真剣に聞いている。少しの神話程度の知識しか持っていないはずなのに、何故僕がこんなことを話しているのかも分からないまま、僕は話続ける。
「知恵は時に資産になるが、人を固定価値観で縛り付けてしまう危険な物にもなる。それこそ、伝えられている神話ですらもな……それほど扱いが難しいものだ。神が人を造った時に、人に知恵が生まれないことを知らないはずがない。神は全て分かっていて、僕たちを試してきた。僕たちは思う通りに楽園を造り上げてきた……最初の男女と狡猾な蛇が協力し、反発し合いながらな」
「蛇も協力をしているの?蛇は神に追放されたって聞いたわ」
「蛇は楽園から追放された。だが神が蛇の本当の思いを知らないはずがない。神が追放したとしてもわざとだろうな……神は蛇すらも試していた。蛇の狡猾な考えが、この世界をどう変えることになるか見てみたかった。そして僕たちは……ずっと最初の考えが宿ったまま、背負ったままこの世界を生きている。神話はいいことばかりではない。人の弱みにつけこみ、人を支配することに使う蛇も居る。最終的に僕たちは、人の正体を見極めて、神に繋がらなければならないんだ」
僕が足を組むと、アーデルは本当に驚いたのか、ただ呆然と僕を見つめる。僕はアーデルを安心させるために、ただ微笑んだ。
「僕たちは神に試されている。試しているのは、自分自身でもある。蛇の狡猾さが神から遠ざける結果になってしまった。だが、狡猾なことによって生まれた物語もあった……それこそ愛や、名声、地位……全てのことだ。何も必要ないのに、蛇は自分を象徴するものを造っていった。最初から蛇本人が愛の象徴であるのに、それに気づかない振りをしてな」
「……蛇が愛ですって?蛇は悪いものだってずっと伝えられているじゃない」
「はは、そうだな。そう伝えられているのには理由がある。実は蛇自身が悪い存在になりたがったんだ。神は、そんな悪者になりたがる蛇を面白い存在だと思った。神が何かを否定するはずがない……神は何かにつけ、面白がる性質を持っているからな……何でこんなことを知っているんだ?僕は……」
僕がハッと目の前を見ると、アーデルが座っていたはずの席にはまたも背中に白い翼が生えた僕が座っていた。面白そうに、僕を何処か見定めるように微笑んでいる。
周りを見ると白い世界に変わっており、僕と白い翼が背中に生えた僕しか居ない。
僕は咄嗟に口を開いていた。
「また貴方か……一体何なんだ?何でいつも僕の前に現われる?」
「はは……君が面白いことを話していたからね。神が面白い物好きだなんてよく言うじゃないか。よく分かったね。神は君のように面白い存在が大好きだよ」
「……貴方はまさか神なのか?」
「君が僕を神と見るならば、神だろう。この世界には僕たちしかいないんだ。もっと言えば君しか居ないんだ。君は本当に面白いね。君は強い光だからこの世界にやって来た。さて、ここでヒントだ。君のように、狡猾な闇を背負うことが出来るのは今の神話の中で誰だと思う?」
「……何だって?」
僕は微笑んでいる。僕は僕自身をただ見つめて、考えた。創世記には、神の他に三人の登場人物が出てくる。男と女……そして狡猾な蛇だ。ああ、何てことだ……
「そうか……蛇だ……蛇だけが、狡猾な闇を持つことが出来るじゃないか……まさか僕は……」
「ははは!よし!気づいたね。闇を持つセリオン……獣の名を持つセリオン……さぁ君の正体は?」
僕自身は目の前で立ち上がり、手を大きく広げると、背中の白い翼が大きく広がった。僕はただ僕自身を見つめた。白い翼の持ち主は、ただ楽しそうに笑った。
「ほら、僕の名前を言ってごらん。僕の名前は、なーんだ!」
「……貴方は……天使だ……そして僕は……僕も「天使」だ!!!嘘だろ!?」
「はは!いいね!さぁ、次は君の名前を見つけてごらん。今の君の名前は神に与えられた名だ。君自身の新しい名前だ。君の過去の名前を次は探してみてくれ。書物を見るのもいいかもしれないね?もう君は新しい存在になったのだから、過去に執着することはない。だけど名前は君自身のことを思い出すことに役に立つからね」
僕自身は片目を瞑ってから僕に楽しそうに近づく。白い翼がふわふわと宙で舞っておりおり、僕はただそれを呆然と見つめる。
「君は自分の正体に気づいた。思い出したのだから、今は君本来の力が君に宿ることになった。君は世界の常識では考えられない、力を発揮するときが来るだろう。その力をどう扱うか楽しみに見ているよ。セリオン」
僕自身が微笑むと、再び世界は白い光に包まれた。僕が咄嗟に目を閉じてから再び開けると、目の前にはアーデルが心配そうに僕を見ている。
「……セリオン?ちょっとセリオン、どうしたの?」
「……いや……まさか、僕は……いや、そんなはずはない」
「セリオン?」
僕は動揺して、頭を抱え込む。僕は「天使」だった?そんなはずはない。僕自身はこうして人間として生きているじゃないか。何故そんなことを思ったのだろうか。いや……思い出してしまったのだろうか。
咄嗟に踊っているエダンの方を見ると、エダンは僕の悩みが分かったのか踊りを止めてから、ニヤリと笑った。
「おっセリオン。その様子はどうやら、自分のことを思い出したようだな」
「……エダン。お前は僕のことを知っていたのか?お前は一体何者だ?」
「ハンサムな俺のことを知りたいのか?はは、直ぐに明かしちまったらつまらないだろう?答えは簡単だがな。俺がお前と協力することになったのは、お前の狡猾さが必要だったからだ。この世界には今、お前が造り上げた価値観が多く知れ渡っているからな」
「ちょっとセリオン、エダン、何を話しているの?」
アーデルは僕たちの方を交互に見つめる。僕はエダンを見つめながら、エダンのことを思い出そうとする。後一歩で思い出せるような気がするのだが、何故か思い出せない。
エダンは笑いながら再び椅子に座った。
「俺の正体よりも、重要なのはお前の正体だ。お前は思い出した。それが重要だ。ほら、アーデルとの話し合いに戻った方がいいんじゃないか?」
「そうやって直ぐに誤魔化そうとするなよ……既に全部知っているなら、教えてくれたっていいだろ!?」
「はは、そうムキになるなよ。そこまで思い出せたなら上出来だ。後一歩だな」
「……お前、何も言う気がないようだな」
僕はため息をついてから、アーデルの方を見る。
アーデルには今思い出したことは言わない方がいいだろう。変な奴だと思われるだろうし、まだ確かな証拠も確信もない。自分の背中を見てみるが羽が生えたわけでもない。
僕は自分の考えに笑いながら、アーデルの方を見る。
「いや、すまなかった。何でもない」
「……絶対何かあるでしょ?」
「はは……本当に何もないんだ。話が大きくずれたな……それでクロードのことだが、どうにかしてクロードの屋敷に潜入したいと思ってる。クロードの弱みを握って、公爵家を脅すことで、君との結婚をなかったことにしたらどうかって思ったんだ。クロードが弱みを持っているかは分からないが、極端な正義には闇が生まれるはずだ」
「……っそれは思いつかなかったわ。でも良い考えだと思う。クロード公の屋敷に行きたいなら、いいタイミングがあるわ。婚約パーティの日よ。三日後に色んな貴族を呼んで、婚約発表のためのパーティが公爵家の屋敷で開かれるの。私は婚約者だから当然招待されたわ……」
「何かと理由をつけて貴族はパーティをするよな……はっ、貴族らしい。だがパーティは君の言う通り、情報を仕入れるために忍び込む絶好の機会だ。人の出入りが多い。召使だって沢山入れ替わるだろう。動くときは召使の姿で動けばいい。後はどうやって三日後に貴族街に行くかだが……」
「そのことだけど、お父様に頼んでみるわ。貴族街への通行書が発行できるなんて私、情報すら知らなかった……ナンシーだけに貴族街への通行書の発行を許しているなんて不公平だもの!お父様のことは苦手だけど……頑張ってみる」
アーデルは立ち上がって、うんうんと頷いた。僕はアーデルを見上げる。
「嬉しいが、どう言い訳して通行書を発行するつもりだ?」
「それは……パーティに劇団の人を入れたいとか?ああでもクロード公が許さないかもしれないわね……「正式な貴族のための劇団を呼びましょう」って言いそうだもの!あの男のことだし!もういいわ……貴族街への通行証を偽造しちゃいましょう」
「は?偽造だって!?」
アーデルからそんな言葉が出てくるとは思わなかった。アーデルは「ふふふ」と意地悪そうに笑っている。
「一度くらいなら、バレないでしょう?お父様にはパーティの日ではない日付に、平民街の商人を呼びたいって頼むわ。新しいドレスをどうしても平民街の商人に頼みたいと、頼み込むことにする。ちょっと日付を偽造すれば、パーティの日に貴方は忍び込めることになるでしょう?でもそれには、貴方に商人の恰好で来てもらわないと駄目かもしれないけど……」
「はは、君も悪知恵が働くんだな」
「勿論よ!私はこの家から逃げたこともあるのよ?色んな事を考えたわ。貴族の箱庭の娘が考えられる精一杯のことだったけど……知識を得るために、沢山の書物を読んだわ。貴方が話してくれた神話のこともね。さっきの神話の話、私にはない発想で……とても興味深かった。また後で詳しく聞かせてね」
「ああ、分かった。アーデル、そういえば君の母親だが大丈夫なのか?さっき泣いていただろう」
アーデルは僕の方を見てから、ハッと思い出した表情を浮かべる。直ぐに「そうね……」と呟いた。
「お母様のことだけど……私にとって母親は悪い存在にしか映っていなかったの。勿論お父様もだけど……お母様は何故貴方の言葉で突然泣いたのかしら?もし貴族の生活で何か思っているのなら、私とクロード公の結婚を強制する理由が分からないのよね……」
「それは……単純に家のためじゃないか?きっと君の母親も貴族の生活に苦労してきたんだろうな」
「……お母様が?そうだったらいいのだけど、私にはそうは見えないのよね……私とナンシーに、いつもマナーを大切に。口を開けば「マナー」しか言わないのよ。そういえばさっきナンシーが変なことを貴方に言っていたけれど、妹の言葉は気にしないでね」
「ナンシーというご令嬢と君はあまり似てないみたいだな。ナンシーというご令嬢は普通の令嬢で、君は普通の令嬢とは違うようだ。君は貴族の女性の中では、面白いタイプだな」
僕が何の気なしに言った言葉ではあったが、アーデルにとっては嬉しかったらしい。アーデルはパアッと顔を輝かせて僕を見つめる。
「えっ本当!?私って面白いかしら?」
「あ、ああ……君は、面白いと思う」
「ふふ、嬉しいわ!私、一番なりたくなかったのが普通の貴族のご令嬢だったから……貴方にとって面白く映っているのなら、良かったわ」
アーデルは嬉しそうだ。何となく言った言葉ではあったが、アーデルを喜ばせることになったなら良かった。
僕が笑みを浮かべてアーデルを見ていると、アーデルは僕の方を見て頬を染めて照れだした。
「どうしてそんな風に私を見るの?私の顔に何かついている?」
「え?いや……君が楽しそうで、僕も嬉しいからな。今日会った時の君の顔は沈んで見えたから、楽しそうな姿を見れて嬉しいんだ」
「あらそうなの?……実は貴方のおかげで楽しいの。貴方がここに居るから……」
「アーデル……」
僕とアーデルが二人の世界に入って見つめ合っていると、突然扉の方から控え目なノック音が聞こえた。
「アーデル様。クロード様が先ほどのお詫びの品を貴方にお渡ししたいと、再度ご訪問されております。お通ししても宜しいですか?直ぐにお渡ししたら、お帰りになるようです」
「……っ何ですって!?」
女の召使の言葉に、アーデルは立ち上がって扉を見つめる。僕も慌てて立ち上がって、アーデルを呆然と見つめる。アーデルは慌てながらも、はっきりと扉に向かって話す。
「待って!!!待って頂戴!今は駄目!!!後日にして貰って!!!」
「ですが……公爵様は、どうしても貴方にお会いしたいとのことです。婚約者のお方ですし、お会いになられた方が宜しいかと思いますが……あっ公爵様!もう少しお待ちください」
「……この様子は、部屋の前にクロード公はいるわね……仕方ないわ……三人共、こっちよ!」
アーデルは小声で、手招きする。僕とエダンとジャックはアーデルの方に行くと、アーデルは部屋にある大きな衣装棚を開けて、スペースを開けるためか何個かドレスを床に散らばせてから、僕たちの方を振り向いた。
「この中に入って!もう隠れられる場所と言ったら、ここしかないわ!三人だと窮屈かもしれないけど入れる!?時間がないわ!急いで!」
「あ、ああ!分かった。よし、エダン、ジャック。入るぞ!」
「えっセリオン、ここに入るのか!?」
「エダン様のたくましい筋肉で二人を押しつぶすかもしれないが、いいのか?」
「ごちゃごちゃ言ってないで入るぞ!!!アーデル。後は頼んだ」
僕の言葉にアーデルは大きく頷く。僕はエダンとジャックを無理やり押して衣装棚の中に押し込む。かなりきついが、三人が隠れられない訳ではない。僕も無理やり飛び乗って中に入って棚の扉を閉めた途端、アーデルの声が聞こえた。
「いいわ!入れて頂戴!」
「かしこまりました!公爵様、お待たせしました……」
扉を開く音が聞こえる。衣装棚に隠れるなんて、アーデルと出会ったばかりの時を思い出す。だが今の場所はかなりきつい。野郎三人でくっついて入るべき場所でないのは確かだ。
ジャックは苦しそうに小さく唸っており、エダンに至っては「俺の筋肉はここには収まらない……最高な筋肉だからな……」と1人で呟いている。隠れているのに聞こえたらどうするという意味を込めて、エダンに向かって腕で小突いておく。
「アーデル嬢……突然のご訪問失礼いたしました。先ほどのお詫びの品をお持ち……何故床にドレスが……」
「おほほほほ!たった今、パーティの日のためのドレスを吟味しておりましたの!これが用事でしたのよ!」
「ああ!そうだったのですか!それは失礼致しました。ですが、ドレスをお選びになる必要はないでしょう。どんなドレスであっても、貴方は美しくなるでしょうから……はは……失礼致しました」
「ええ、本当にしつれ……おほほほほ!!!それでお詫びの品って何でございますの?」
アーデルの口調がかなり変になっているが、クロードは気づかないのか、「実は迷いましたが……」と呟いている。
「これを……貴方に似合うと思った宝飾品です。特別な職人に作らせたものです」
「ま、まぁー!!!ブレスレット!?この短い間に用意したのですか!?」
「実は貴方のために二日前に、作らせたのです。お詫びの品には、良くないものかもしれませんが、どうぞ貴方に……」
「おほほほほほ!!!嬉しいですわ!!!それではさっさと帰……もう遅いですから、ご帰宅のお時間では?」
僕が耳を澄ませて聞いていると、後ろから不穏なエダンの声が聞こえ出す。
「まずい、セリオン……くしゃみしそうだ」
「はっ!?何で今だよ!?馬鹿!我慢しろ!!!」
「も、もう無理だ……女の尻を撫でるのを我慢しろと俺に言ってるもの……ふ……」
「や、やめろ!!!」
僕は振り向いてエダンの口を押えようとしたが、もう遅かった。エダンの最高に馬鹿でかいくしゃみでエダンの頭が前屈みになる。背中を押された反動で、僕は衣装棚の外に押し出されることになった。
「ふ……ぶわっくしょん!!!!!」
「うわっ!」
僕は衣装棚から転がり落ち、床に散らばったドレスの上に着地する。ジャックが何かを判断したのか、衣装棚はすぐさまもう一度閉じられた。
バッチリとクロードと目が合う。クロードは直ぐに、剣を引き抜きこちらに駆け寄ってくる。
僕の目の前に鋭い剣先が当てられて、思わず冷や汗が出る。
「アーデル嬢の部屋に忍び込むとは!!!君はやはり真の犯罪者だったわけか!!!」
「待って!!!公爵様、これは違うわ!!!」
「いいですか、アーデル嬢……貴方は何か勘違いされているのでしょうが、この男が犯罪者であることには変わらないのです!貴方の部屋に忍び込んでいたのでしょう。まさか衣装棚に隠れているとは……貴方のことを襲おうとしたに違いありません!ここで成敗致しましょう!」
クロードは有無を言わずに僕に剣を振り下ろそうと構えたが、アーデルがクロードの腕を持って必死に止めた。
「これは違うわ!!!彼には劇団として、正式に貴族の屋敷に来て貰っていたのよ!!!」
「でしたら、何故衣装棚に隠れているのですか?はっ……まさか彼に脅されているのですか!?そういうことですか……」
「勝手に変な理屈で納得しないでよ!!!この正義感男!!!」
アーデルはついに怒りが最高潮まで昂ったのか、クロードに向かって暴言を吐く。クロードは相当驚いたのか「正義感男……?」と呟いたまま固まっている。
アーデルは僕の前に庇うように仁王立ちして、クロードをキッと睨みつけた。
「正式に劇団でやって来た彼に偶然会いましたから、彼には相談にのってもらっていたのです!」
「相談を?男性と部屋で二人きりで、ですか?何故、貴方はその犯罪者にこだわるのですか?私と結婚することを貴方は同意した。私と貴方は婚約関係であり、将来夫妻となるでしょう。このことはあからさまに、可笑しくはないでしょうか?」
「お嫌いになられたのなら、私をどうぞ!追放してくださいな!貴方のお好きな権力を使ってね!私は貴方に干渉するつもりもございませんし、どうぞ外で女を作るなり好きになさっていただいて構いません。私は結婚には同意しましたが、貴方を愛することとは全くの別です。幻滅致しましたか?私を突き放して下さって構いません」
「…………っ」
クロードはアーデルの気迫に驚いたのか、言葉を詰まらせている。その間に僕は立ちあがってクロードに向かって笑みを見せてやった。
「クロード……丁度良かった。お前に言いたいことがあった。アーデルの家の前で散々やってくれたな。変な警備兵を使って、アーデルと僕を会わせなかったな?お目当ての奴隷商売帳は役立てましたか?公爵様」
「……確かに君とアーデル嬢を会わせなかった。それは君が犯罪者だからだ。君自身の罪は己が良く分かっているな?君はアーデル嬢とは一緒に居てはいけない。本来なら君は牢に捕まえる存在だと言うことを、忘れないで貰いたい」
「……っ!もしセリオンを捕まえたら、貴方を恨みます!!!公爵様!!!」
アーデルは強くクロードを睨む。クロードは僕とアーデルを交互に見てから、僕の胸元をジッと見つめて、非常に嫌そうな表情を浮かべた。
「そうか……アーデル嬢の首飾りと君の首飾りは……そっくりだ。そういうことか……」
「はは……どうやら、何かを察したみたいですね?もう認めたらどうでしょうか?公爵様。貴方はアーデルの意志とは真逆のことを強制しようとしているのです」
「真逆のこと?だが、フローレス家の方々は非常に喜んでくれた。アーデル嬢も同意したではないか……君を助けるためにではあったが」
「そうです。僕を助けるために、アーデルは犠牲になった。僕が汚い犯罪者だったから、僕は捕まった……アーデルは僕を助けようとしただけだ。アーデルを解放しろよ。もう気づいているだろう?アーデルを誰よりも縛り付けているのは、お前だ!!!」
「これは公式に決まったことだ。それに君は関係がない部外者だ。口を挟まないで頂きたい。どれだけアーデル嬢と“親密”な関係であったとしてもな。それと君には問題が残っているだろう。どのみち君に会いに行くつもりだった。“マリア嬢”のことでな」
「……何?」
マリアのことが何故今出てくるのか。僕が思わず動揺してしまうと、クロードは上に立ったと思ったのかフッと微笑んだ。
「やはり君は、マリア嬢のことが弱点のようだな?マリア嬢の名前を出すだけで顔色を変えるではないか。君が持って来てくれた、奴隷商売帳は確かな証拠になった。マリア嬢は犯罪者となったが、肝心の奴隷商売の取引相手と場所を言わない。何度も交渉したが、最終的にマリア嬢は、君がマリア嬢の前に来ることを条件とした」
「何?マリアが僕を?どういうことだ?」
「マリア嬢は君と会いたいようだ。首飾りのことで怯えている。彼女は憔悴しきって、君が真実を知っているだろうと、直接聞きたいらしい。あの首飾りは我が家の物だと説明したが、マリア嬢は納得しなかった。首飾りのことが分かれば、奴隷商売について情報を提供すると話した」
「首飾りの呪いはまさか進行でもしているのか!?」
「それは君が良く知っているんじゃないか?君は呪術師か?専門家に見せたが、呪いの類だろうと判断された。怪しい呪いをかけられるとは、君は普通の人物ではないな。尚更警戒しなくてはならない。今会えたことは丁度良かった。一緒に来て貰おうか」
「ちょっと待ってよ!!!何で貴方がセリオンを連れて行くの!?」
クロードは突然僕の腕を力強く掴んで、僕を強く引っ張り出す。アーデルはクロードの腕を掴んで、それを止めようとしたが、クロードは静かに首を横に振った。
「ここからは私の家の問題です。貴方はまだ私と結婚されていないのですから、口を挟むことはできないでしょう」
「……っそう来るわけね!?ならベルとフィオナちゃんを早く貴方の家から解放してよ!それが納得いかないから着いて行くわ!」
「ああ……そちらの女性二人は本日解放する予定でした。何も情報は得られませんでしたし、貴方の家にお帰しましょう。それに今分かりました。貴方の屋敷からの脱走を協力したのは、この男ですね?」
「なんですって!?セリオンは何も関係ないわ!!!」
アーデルは強くクロードを睨みつける。クロードはフッと静かに笑った。
「何も隠さないで下さい。この男と、どう知り合いになったかは知りませんが、この男が犯罪者である事実は変えられないでしょう。貴族のご令嬢を巧みな言葉でそそのかしたことが分かれば、私は正当な罪でこの男を裁けます。貴方に証明してみせましょう。この男が貴方には相応しくないことを」
「貴方は何も私の話を聞こうとしないわね!!!本当セリオンの言う通り!私は自分の意志で、自分の力で家を出て行きました!誰にも協力なんてしてもらっていないのよ!」
「いいですか、誘拐の可能性だってあるのです。貴方は自由意志で出て行ったと思っていますが、この男の言葉に騙されている。この男は今も貴方の命を狙っているかもしれません。機会を伺っているんでしょう。では、私は出発致しますので」
クロードは僕の腕を強く掴んだまま、礼をした。一方で僕はマリアのことで頭がいっぱいだった。マリアは何故今更僕に会おうとするのか?僕は、あの首飾りに本当に呪いをかけてしまったのか?アーデルは最後まで叫んでいたが、クロードがアーデルを無理やり制して、僕たち二人だけで部屋の外に出ることになってしまった。
クロードは冷たい瞳のまま、前を向いて廊下を進んでいく。このまま大人しく連れて行かれるのも癪なので、僕はクロードに声を掛ける。
「おい……別に普通に歩ける。腕は離してくれ」
「君が逃げるかもしれないからな。君にはマリア嬢のこと以外にも、事情聴取しないといけない」
「本当に僕がアーデルが屋敷から逃げる時に、そそのかしたと思っているのか?はっ!随分と想像力が豊かな頭をしているもんだ。僕とアーデルはな、アーデルが屋敷から逃げてきて暫く経ってから会ったんだ。何も関係がない。彼女は強い意志を持って、屋敷から出てきたんだ。何故彼女のことを認めない?」
「それはしっかりと事情徴収しなければ分からないだろう。君の言い分が正しいと此方が判断すれば、正式に君のことは解放しよう。だが今後アーデル嬢には近づかないで頂きたい」
「はーん?何の権利でだよ?」
「……本当は権力をひけらかすように使いたくないが、公爵家の権利を使うしかないな。公爵家が強制的に君を捕まえることができることは知っているな?」
クロードが立ち止まって僕を冷たく見下ろしてきたため、僕はプッと吹き出して笑ってしまう。
「ははは!やっと本性を現しましたね!公爵様。一生僕を、牢にでもぶち込むおつもりですか?それこそマリアの家のように拷問付きで?」
「拷問だと!?そんな下劣なことはしない!!!」
「そうですか。本性をさっさと現した方がいいですよ。変に正義感ぶらないでね。お前はアーデルのことを認めようともしないし、自己主張を貫いているだけだ。その事実に気づけよ、クロード」
僕が低い声でクロードに言い放つと、クロードはようやく僕の視線にたじろいだ。さっきはマリアの名前で隙をつかれたが、僕は決して黙っている性格ではない。
「今回のことで分かった。もう僕はお前に容赦はしない。例えお前が貴族の権利を使おうと、僕はお前にはやられない。ジワジワとお前の家を攻撃してやってもいいんだぞ?」
「公爵家を攻撃しようとするのか?その言葉は君を今すぐに捕まえる材料になるな!」
「おお、そんなに慌てなくても。平民で力のない僕に公爵家を攻撃されることが、そんなにも恐ろしいのですか?僕を捕まえると言うことは、既に貴方は負けをお認めになったということだ……それで宜しければ、どうぞ僕をお捕まえになってはどうでしょう?」
僕が笑顔でクロードを見てやると、クロードは何処か悔しそうに僕を見た。やはりこいつはただの貴族のお坊ちゃんだ。煽りの言葉少しでこんなにも分かりやすく表情を変える。
クロードは僕から視線を逸らして、首を横に振った。
「そうか……君は私を怒らせようとしているな?それが君のやり方なのだろう。君のような輩のやり方など、此方は知り尽くしている。警備兵を管轄するうえで、沢山の犯罪者を見てきたからな」
「そうですか。そうお思いでしたら、どうぞ平常心を保って下さい。そうそう、奴隷馬車から僕を救い出してくれた恩は忘れていませんよ……ですから今は、貴方に着いて行きましょう。それこそアーデルをそそのかした話でもしましょうか?貴方の望み通りにね」
「……もういい。早く着いてきなさい」
ほら見たことか。クロードは僕に負けた。クロードは前を向いて、僕の腕を力強く掴んだまま廊下を早足で歩き出す。僕はクロードに向かって、わざとらしくお手本の笑みを見せたまま、クロードに着いて行った。
***
クロードに馬車に無理やり乗せられて、フローレス家から馬車は出発した。エダンとジャックはまだアーデルの部屋に残されているから、今頃大騒動になっているかもしれない。
僕は憮然と目の前に座るクロードにわざと笑顔で話しかける。
「まさか公爵様と一緒に馬車に乗る機会があるとは。平民の人生も捨てたものではございませんね」
「…………」
「ああ、平民の人生では納得しませんか?犯罪者の人生と言えば、納得しますでしょうか?」
「……君は今置かれている立場が分かっているのか?」
「はは、しっかりと存じておりますとも。マリアが僕に会いたいと望み、身分高き公爵様が疑いを僕にかけられた……僕は大人しく着いて行くしかない状況です」
ニコニコと笑ってやると、クロードは怪訝そうに眉を顰めて、それ以上何も言わなかった。
馬車が再びベアリング家に着くと、僕は強制的に馬車を降ろされた。警備兵が僕の周りを取り囲み、警戒する。ベアリング家とは縁が強いようだ。
「ここまで警戒なさるとは。馬車では僕と二人きりでしたのに」
「あの時点で何か危害を加えようとすれば、私だけで対処できた。ここからは私の屋敷に入るのだから、警戒するのは当然であろう」
「おや?危害を加える前提なんですね。言ったでしょう。僕は貴方に恩があると。何故貴方の命を狙うと思うのです?」
「私の命を狙わずとも、他の者の命を狙うかもしれない。君には前科があるからな」
「……くくっ……僕がまるで無差別殺人者みたいな言い方ですね、これは面白い」
「君は何も言えない立場だ。それは分かっているな?マリア嬢のことを殺そうとせずに、私に最初から言えば良かったものを。ここまでこじれずに済んだ。奴隷商売の行方も直ぐに掴めたかもしれない……君の身勝手な行為で、どれだけの者が奴隷にさせられたか」
僕はクロードの言葉に、思わず吹き出して笑ってしまう。クロードは僕のことを冷たく見下ろしたままだ。
「ははは!面白いですね!貴方達貴族が主に奴隷商売を行っているでしょうに。食い止められなかった責任を、まさか平民で力の無い僕のせいにするのですか?」
「私の家は関与していない!君がもっと早く情報を提供すれば……」
「そんなに見つけたいのなら、貴族家全員の家宅捜査でもしてやれば良かったでしょう。公爵家の貴方ならそれくらいの力があるはずだ。奴隷商売の証拠も見つかったでしょうに」
「……君は分かっていない。公爵家が大々的に見つけようとすれば、必ず犯罪者は証拠を隠してしまうだろう。家宅捜査をしている間にな」
「ああ、そうですか。気づかれないようにやるからこそ、調査と言うのでは?「正式」にこだわっているからでしょうね。僕と会った時、貴方が馬で奴隷商売人を追跡して失敗した時も、奴隷商売人に「今から馬で追跡します」とでも公式発表なさったんでしょう?」
僕が煽りの意味でクロードに言ってやると、クロードは少し表情を変えたが、わざと煽っていることに気づいたのか、首を横に振った。
「……もういい。屋敷に入るぞ」
クロードはため息をついて進み出す。僕もまた警備兵に囲まれて着いて行く。屋敷に通されて、僕は応接間のような所に通された。丁重なおもてなしにわざと驚いたふりをする。
「応接間に?てっきり牢獄にでも連れて行かれるのかと思っておりました」
「……話しただろう。事情を調査したいだけだと。調査終了後、君をマリア嬢が囚われている塔に連れて行く。マリア嬢が奴隷商売について話せば、調査次第で君を解放しよう」
「いいですよ。僕も忙しい身であるので、早く調査とやらを始めましょうか?」
僕が応接間の椅子に座ると、後ろに警備兵が配置される。それに気にしない振りをしてクロードを笑顔で見てやると、クロードは真顔のまま目の前の椅子に座った。
「君はアーデル嬢の脱走に関与していないとのことだが、その証拠はあるのか?」
「証拠?証拠なんてものはないですが、アーデルに聞いてみたらいかがですか?先ほども言いましたが、僕たちが出会ったのはアーデルが屋敷から出てきて暫く後ですよ。出会った日のことを聞きたいですか?」
「なら聞かせて貰おうか」
「随分と個人情報に興味がおありみたいですね?まぁいいですが。アーデルは平民街で歌姫として活躍しておりました。一方で僕は貴族向けの劇団に所属しておりまして、そこで公演する場所がお互いに被ってしまったんです。僕はアーデルに劇場を譲ってもらうことを交渉しに、アーデルの家に向かいました。アーデルは僕の演劇を観てみたいと話し、それから付き合いが生まれたという訳です。ただそれだけですよ」
クロードは僕の話を真剣に聞いているようだ。僕が笑顔のままで居ると、クロードはようやく頷いた。
「……そうか。1つ聞くが、君とアーデル嬢は恋人同士なのか?」
「はは、それはご想像にお任せしますよ。それに何故個人情報を貴方に話さなくてはならないのです?」
「重要なことだろう!私とアーデル嬢は結婚して夫妻となる。そこに君が居れば、こじれてしまう」
「まぁ、こじれたままでもいいんじゃないですか?貴族の間ではよくある話でしょう。夫や妻に別に愛人がいることなど……貴方も愛人の女性でも作ったらどうですか?ほら、アーデルも勧めていたでしょう?」
「……っこれ以上、ふざけたことは言うな!」
クロードは突然怒り出した。僕は驚いたふりをして、「おお」とクロードをなだめてやる。
「何故、そこまで怒られているのです?愛人など、貴族の間では常識のはず」
「一部の貴族では確かに行っているな。だが我が家では、正当な妻のみだ!私は1人しか妻は取らない!妻も愛人は持たない。それが由緒正しき貴族の在り方だ!!!」
「そこまで自分を制限されているのですね。大層立派な考えをお持ちだ……貴族の皆さんにお聞かせしたいくらいです」
「……その鼻につく喋り方はいい加減やめたまえ」
「ああ、すみません。気に障りましたか?僕は貴族向けの公演をかなりの数やっていたので、その時の話し方になってしまったんです。もっと友人のように、話したらいいのでしょうか……っ!?」
僕が話していると、後ろから首と肩の間に剣を向けられた。後ろの警備兵が剣を引き抜いたらしい。僕が身動き取れずに固まっていると、クロードは手で警備兵を制した。
「……良い」
「……っしかし!!!この男は公爵様に無礼な言葉ばかりを!!!」
「良いと言っているだろう」
「……はっ」
クロードの言葉に、警備兵は剣を収めた。まさか急に剣を向けてくるとは。発言は慎重にいかなくては。それこそ言葉1つで首が飛びそうだ。
僕は姿勢を少し変えてからクロードに目を向ける。
「随分と攻撃的な家ですね」
「警備兵は私に忠実だからな。君も発言には気を付けた方がいい。間違えてことが起こった場合は此方としても責任が取れない」
「ああ、それは怖いですね。分かりました、気をつけますよ。それで尋問は終わりですか?」
「……このまま尋問を続けていても埒が明かないな。君はアーデル嬢から手を引く気はないのだな?」
「ええ、ありません」
「そうか……幾らだ?」
「はい?」
クロードは僕をジッと見つめてくる。幾らとは?まさか金貨で僕を買収しようとしているのだろうか。大変貴族らしいが、そんな金を使わずとも僕を捕まえれば済む話だろうに。
「まさか金貨で僕を買収しようと?」
「買収ではない。これは“交渉”だ。君のような輩は良く見てきたと言っただろう。全員に共通したのは金貨好きということだ。それで、幾ら欲しい」
「はは……でしたら「公爵家が持つ全財産を私に下さい!」とでも言いましょうか?」
「……何?」
僕はわざと言ってやった。クロードはあからさまに顔を顰めて僕を見つめる。
「ふざけてないで、真面目に言いたまえ」
「ジョークだとお思いですか?貴方はアーデルのために公爵家の全財産をかけられますか?それが出来たら拍手致しましょう」
「君も出来ないだろう。そんな馬鹿なことは言わない方がいい」
「はは!僕は貴方に比べれば全財産はちっぽけでしょうし、簡単に出来ますよ。それにまた稼げばいい。僕はこれでも考えながら生きてきたんでね。ましては金ほど、この世の幻の代表格なものはない」
「幻だと?」
クロードは今の言葉の意味が分からなかったのか、間抜けな顔をしている。
この世界は神話の男女と蛇によって作られた幻の世界だ。狡猾な蛇によって金貨も生まれた。そのことを思い出したから、幻だと言うことに気づいたわけだ。
人々はいつまでもこの仕組みにこだわり、手放しはしないだろう。手放さないからこそ、金貨には価値があると錯覚しているようだが。
もしかしたらその仕組み自体にも、僕が関わっているのかもしれない。
「いずれ気づくときがくるでしょう。そのままの価値観ですと、厳しいかもしれませんがね」
「……つまり君は金貨がいらないと言う訳だな?何をしたら手を引く?」
「そうですね……貴方が僕の靴を舐めることが出来ましたら、手を引きましょうか」
「……何?」
「っ公爵様!!!もう我慢なりません!!!」
クロードが心底嫌そうに表情を歪めた途端、後ろの警備兵の男が剣を引き抜く。僕は咄嗟に両手を上げて降伏したが、後ろの警備兵は怒りに震えている。
クロードは大きくため息をついて、眉間に手を当てた。
「……剣を収めろ。挑発に乗れば、此方も同等の場所へ落ちてしまう」
「……っ何なんですかこの男は!!!」
「二度私が助けた男だ。今となっては助けたことが本当に最善かどうか、神に伺ってみたいところだがな」
「はは、本気になさらないで下さい。今のは簡単なジョークですよ。公爵様は神に対して強い信仰心をお持ちのようですね」
クロードは此方を強く睨みつける。クロードがこれほどまでに扱いやすい奴だったとは。
貴族社会でしか生きてこなかった人間だろうし、小賢しい知識とは程遠いようだ。
「神を信仰するのは当たり前だ。貴族家と神が大きく関わっているのを知らないのか?神のために私は行動し、神のご意志を持って私は生きている。神のご意志で弱い者の味方であり、権力をひけらかすようなことは極力しない。私は常に最善を考え、人々の為にどうすればいいかを思考し続けてきた。これからもそうするだろう」
「まるで聖職者のようなことをおっしゃるのですね。それこそ「私は神の道具になった!」とでも、おっしゃりたいのですか?」
「ふっ……神の道具か……それもいいだろう。私は神のために生きている。犯罪者に容赦しないのはその為だ。神が犯罪者を許すはずがないからな。ましては弱い者を傷つけるような行為や発言など……あり得ない。人々を傷つける輩でこの世は溢れている。そんな者を許せるはずがないだろう。神の名の元に、私が代わりとなって罰を執行するだけだ」
「……っぷはははは!!!!」
耐えきれなくなった僕が腹を抱えて笑い出すと、クロードはより一層怪訝そうな表情に変わった。僕はひとしきり笑ってから、クロードに視線を向ける。
「公爵様も案外面白いお方ですね?つまらないばかりではないようだ」
「……面白い?一体今の何が面白い」
「神のご意志と格好つけていますが、「クロード・ベアリングのご意志」の間違いでは?貴方は神を何だと思っているのです」
「何?神は犯罪者には容赦せず、善人で、人々に平等に心優しく、なおかつ強いお方だ。私は神の名の元にいつも行動してきた。心までも神でありたいと願ってな」
「ははは!!!ここでエダンが前に言っていた言葉を使うのは癪だが、今の場面には丁度いい。貴方らしい言葉だが、大変考え方が凝り固まっているようだ」
「……君は神を知るまい。何も言う権利がないはずだが」
クロードは笑っている僕の意味が分からないのだろう。またもお間抜けな顔で僕を信じられない物でも見るかのように冷たく見てくる。
僕はお手本のような笑みを見せて、足を組んだ。
「ええ、私も神のことは知りません。ですが、貴方はそれこそが「神の光」だと思って行動しているようですが、全ては貴方の意志でやっていることに気づいた方が宜しいですよ。貴方は大変分かりやすく、蛇の考えにのせられている。ただそれこそが「光」だと思い込まされているのです」
「何だと?蛇とは一体どういう意味だ?」
「有名な創世記をご存じではないですか?最初の男女は狡猾な蛇によって堕落した……その蛇のことですよ」
「その話は私も良く知っている。蛇は悪者で、神の名の元に追放された。ああ、そうか……これは現実にも通用するな。蛇のようなものが居たとすれば、全て神の名の元に滅ぼさなければならない」
「何故滅ぼさなければならないと思うのです。貴方はそれが本当に神のご意志だとお思いですか?」
僕が笑顔のままクロードを見てやると、クロードは突然押し黙ってしまった。
僕は禁忌に触れてしまった。これは人間にとっては大変危険なことだ。
だが、僕は……ああ、そうだ。その考え全てをひっくり返すために、この世界にやって来た。たった今僕は思い出した……
僕はかつて神話の「蛇」であった。過去のことや、どのようにしてこの世界にやって来たかは、まだ思い出すことはできないがそれでも蛇として存在していた。
僕がこの世界の物語を始めてしまった。だからこそ、変えられるのは僕しか居ないのだ。
ああ、何てことだ……僕は……僕は蛇ではありながら、「光」としてこの世界にやって来てたんだ。
クロードが押し黙ってしまったため、僕はフッと笑う。彼のような考えが生まれたことも、全て僕が始めてしまったことだったのか……
「……このことを思い出さなかったら、僕は貴方のような人に滅ぼされることになったのかもしれないな……」
「君の言っていることは、理解できないな。神のご意志は弱い者の味方であることだろう」
「もういいです。これは僕の責任でもある。だからこそ、僕は変えに来たんだ。エダンにしてやられたな……全部あいつは知っていただろうに」
「何を言っている?」
「此方の話ですよ……尋問は一旦切り上げてもいいですか?マリア嬢が僕を呼んでいるのでしょう?」
僕はもうクロードに何も言う気はなかった。言えば言うほど彼の中の物語を増大させるだけだ。彼は僕の言葉に反発し、僕に嫌悪感しか抱かないだろう。
クロードはため息をついてから、僕を見る。
「……そうだな。このままでは埒が明かない。君とは意見が嚙み合わないようだ。先にマリア嬢の元に君を連れて行こう」
「ええ、分かりました。貴方に着いて行きますよ」
クロードが立ちあがったため、僕も立ち上がってクロードに着いて行く。
僕が今思い出したことは、エダンのように「既に分かっている人物」でなければ、理解できないだろう。それこそ聖職者には「異端者だ!」と言われ、排除されてしまうかもしれない。
経緯は思い出せないが、僕はこの世界で普通の人間として人生を歩むことにした。
人の立場に立たなければ意味がない。「自分の正体に気が付くこと」を最初の一歩とした。
僕の姿として現れていた天使はある程度まで僕が気付いたら、発動するように仕組んでおいた。そして「天使の姿の僕」は、僕の次の課題でもある。
僕は天使の彼を越えなければならない。僕はこの世界の法則すらも、越えなければならない。
僕は人間達のやり方に合わせて、光を導き出さなければならない。
僕は自分の正体に気づいてしまった。もう後戻りはできない。今から僕は、僕自身が作り出した闇と戦う時がきた。
僕は前を見据えた。クロードは背筋を伸ばして規則正しく歩いており、僕はのんびりと着いて行く。
正義心の固まりであるクロードは気づくときが来るだろうか。クロード自身は、自身が持つ正義心をぶっ壊すために、敢えてこの世界にやって来ているようだ。ここで助言をしたところで彼は聞かないだろう。僕に今出来ることは、見守ることしかできないのだろうな。




