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悲劇のパラノイア  作者: エデン
第3章
18/34

第18話 アーデル

散々羽目を外せばどうなるかくらい分かっていたはずだ。僕は馬鹿だった。どうやって自分の家に帰って来たのかすら覚えていない。少し寝ている間に可笑しな「獣の夢」も見て、散々な気分だ。

床にはジャックが倒れている。エダンだけは上機嫌のまま起きているが、僕は桶を持って強い吐き気に耐えていた。


「……もう飲まない。絶対に飲ま……ごほっ!!!」

「ははは、おいおいセリオン、大丈夫か?」

「笑い事じゃねえ……」


僕はエダンを睨みつける気力もなく、項垂れたまま再び来る強い吐き気に耐える。気づけば朝日が昇っていた。起きてから、夜中中僕はこの調子だった。ジャックのように半分気絶したように眠れればまだ良かったろうに。

それから少し経ち何とか復活すると、僕は床に倒れこんだ。エダンは能天気に僕を見つめる。


「おーい、今日は練習に行くのか?」

「この様子を見て僕が今答えられないことを、分からないのか?後少ししたら行く……絶対に行くからな……」

「おっ答えられてるじゃねえか。待ってろ、今水でも持って来てやるよ」


エダンは笑顔のまま立ち上がると、辺りを見回す。水が保管している場所を指差すと、エダンは「おおそうか」と言いながら、水を汲んで僕に手渡した。

受け取ってから、何とか水を飲むとやっと少しだけ落ち着いた気分になる。


「酷い目にあった……お前のせいだからな……」

「でも楽しかっただろう?それならいいじゃねえか。酒を飲んで楽しんで、羽目を外す。それが人生の最高の楽しみ方だ」

「羽目を外せば、代償が必ず来る。それが分かっていたから、僕は今までやってこなかったんだ。そもそも何でお前は、あれだけ飲んで平気なんだ?馬鹿は酒が強い法則とかあるのか?」

「はは、それは簡単だ。俺がハンサムで鍛えているからだな!楽しめば楽しむほど、酒も強くなるもんだ」

「もういい……どうせその後に「女の尻を叩くともっと最高だ!」とか続くんだろ?明日が作戦本番なんだ。結局アーデルとクロードのことをどうするか、計画を立てられなかったからな……」


僕はそのまま床にうつ伏せになる。ただ呑気な散歩をするように、アーデルの屋敷に行ったところで、アーデルを助けられるわけではない。しかし貴族の屋敷に行ってみなければ、現状がどうなっているかすら平民の僕では判断できないのだ。

平民の立場はそれほど弱い。このままでは僕は、アーデルとクロードが結婚する姿を見ているただのくそ間抜けになってしまう。

それは駄目だ、絶対に駄目だ。僕は何とか気合を入れて立ち上がった。


「駄目だ、アーデルに結婚させるわけにはいかない……駄目だ……何とか考えねえと。でもどうする?アーデルを連れて逃げたところで、直ぐに捕まる。相手は貴族だ。どうする?僕はどうすればいい?」

「セリオン、落ち着けよ。行ってから考えてもいいんじゃねえか?」

「おい、何もアーデルの屋敷に散歩しに行くわけじゃねえんだぞ!アーデルとクロードを結婚させない方法を考えないと……いや、待てよ?」


僕は腕を組んで、思考する。クロード・ベアリング……相手は貴族で公爵家だ。強い身分と、名前を重視している。だからこそ何か不祥事があった場合は、一気に墜落するだろう。

どんな貴族家にも“裏”はあるものだ。僕が貴族向けのネタを仕入れていたからこそ分かる、貴族がやっている裏商売の数々……それは、あのベアリング家にも存在するはずだ。

手に入れた情報を公表して裏から軽く揺さぶってやれば、ベアリング家は勝手に墜落するかもしれない。自分の命を助けてくれた貴族家ではあるが、世の中には仕方ないこともあるものだ。


しかし相手の性格が問題だ。あの“正義感で出来たクロード”だからだ。

クロードの性格は少し会っただけだが直ぐに理解した。この世の価値観の正義感で出来ており、法律を最も重視し「人々のために!」だとか、「私は弱い者の味方だ」とかをやりそうなタイプだ。

実はそのタイプが最も崩しにくい。引っかかり所がないからだ。しかし、張りぼての光には闇が生まれるものだ。作り上げた社会の正義感で人々の反感を買っていたとしても、クロードは全く気づかないだろう。

クロードに不満を持つ召使辺りから、裏情報を仕入れるのもいい。

貴族であるクロードは、お坊ちゃん思考で生きてきたはずだ。ここらで平民なりの方法を見せてやろうか。

もう分かっただろう。ここで僕がやってきた商売が役に立つ。裏事情を探すことは、最も僕の得意分野なのだから。


僕は腕を組んだまま、思わずニヤリと笑った。


「そうか……はは!分かった。このやり方だな?ベアリング家の“裏の姿”を探してやろうじゃないか。どんな貴族家にも存在するはずだろうな、違法商売なんてものは。薬物?裏取引?何だっていい。完全に白である貴族家なんて少ないことは分かっている。ははは!楽しくなってきたぞ!」

「おお……何だか分からんが、楽しそうだな?」

「はは、楽しいなんてものじゃない。僕は興奮してるんだ。正義感で出来上がったあのクロードを崩すことが楽しみでしょうがない。僕は元々ああいうタイプは嫌いだからな。ぐちゃぐちゃにあの貴族家を壊してみたくてしょうがないのさ。カーティスという老人には悪いが、何としてでもクロードに一泡吹かせてやりたいものだ」

「クロードって男の貴族家を壊すのか?何でだ?」


エダンは首を傾げている。エダンにはこの類の話が通じないことは分かっている。だが、ここはエダンにも分かるくらいに、分かりやすく説明してやってもいいだろう。


「いいか、貴族家ってものは名前を重要視している。公爵家が叶わない相手なことは分かっているさ。だが、少しの裏情報で貴族家は不安定になるものだ。得た裏情報で貴族家を揺さぶってやろう。そしてアーデルとの結婚をなかったことにしてやろうじゃないか。この舞台にはいくつもの伏線……ゴシップ好きの人脈が必要だろうがな。人脈を得て、一気に裏情報を他の貴族家全体に公開できるように仕組みを作ってやる必要がある。そうしないと脅せないだろ?くくく……流石に貴族全体に内部事情が公開されれば、公爵家だって危ういだろうな……まずはベアリング家に潜入しないとならんな。アーデルに方法を聞いてみるか。アーデルは必ずベアリング家に行くときがあるはずだ」

「ははー!凄い喋ったな!何だか分からんが、難しいことをやろうとしているな?」

「全く聞いてなかったな?まぁ、いい。子供にも分かるくらい簡単に言えば、ベアリング家の悪い面の情報を得てやろうって話だ。必ず隠していることがあるだろう……それを探して、相手を脅そうって話さ。大きく揺さぶれるくらいの、特大のネタなら嬉しいんだがな」

「おお、やっと分かったような、分からないような気がするぞ!」


エダンは呑気な顔で大きく頷いている。僕はもうエダンを無視しつつ、次々と思考し続けた。

最も身分が高い公爵家を潰すことは不可能に近いことは分かっている。だが何事も、やってみなければ分からないだろう。


そういえば……僕がベアリング家に最初に助けられた時、相手側は異様に奴隷商売を気にしていた。今回のことだってそうだ。わざわざマリアが関与していた奴隷商売の裏を暴くために、クロード自身が動いた理由は何だ?

クロードの祖父、カーティスと出会った時に「我々の問題で奴隷商売の首謀者を探している」と言っていた。“我々の問題”とは?貴族の一部が裏でやっているだろう奴隷商売を暴くことは、他貴族の反感を買うはずだ。

それだというのに、奴隷商売の首謀者を暴こうとしている理由は?そこに大きなネタが潜んでいるかもしれない。これは僕の勘ではあるが、経験から導き出した勘は楽しいネタの舞台に招待することだってあるだろう。


……いや違う。また闇にハマる所だった。裏事情を探ることは、僕がもっとも生きがいにしていた所だったから、思わず興奮してしまったが一旦落ち着こうと深呼吸をする。

咄嗟にエダンの馬鹿な顔を見ると、僕がまた舞台を構築していたことに気づいた。黒い思いが自然と消えていき、僕はやっと心を落ち着かさせた。


「エダン……お前も案外使えるな」

「ん?何がだ?」

「……いや、何でもない。僕の中で計画は立てられた。アーデルの屋敷に行った後、どうにかしてクロード家に潜入しないとな……よし、そろそろ練習場に向かうか。ジャックは……あ、起きたか?」


気絶したように眠っていたジャックが起き上がって、ふらふらと頭を揺らめかせている。この調子ではこいつは練習場には行けないだろう。僕は半分寝ぼけたジャックに声を掛ける。


「お前は一旦家に戻った方がいいんじゃないか?エダンの武道訓練場に今居るんだろ?」

「もう朝か……今日も練習場に行くのか?エダンさん、俺にいつ武道を教えてくれるんですか?」

「ははは、心配するな。二日後に教えてやるよ」

「昨日俺も話を聞いていたですけど、明日が本番っすよね?俺も貴族の屋敷に行きたいっす……行っちゃ駄目なんですか?」


ジャックはエダンに聞いているが、ここは僕に聞くべきだろう。僕はジャックに直ぐに声を掛ける。


「そのことは僕に聞けよ……来てもいいが、お前は何しに来るつもりだ?そんなに1人が寂しいのか?」

「いや!違う……寂しいわけじゃないが、知らない人ばかりで不安なんだよ……俺が知っている人は、お前とエダンさんしか居ないしな……」

「おいジャック。村に居た時はあれだけ調子に乗っていたが、本心は寂しがり屋だったって訳か。村の奴らに言いたいくらいだ」

「待て、それだけはやめてくれよ、セリオン……お前にも優しさはあるだろう?」

「ああ、それはどうだかな。1人で居ることに少しは慣れろよ。今日は一旦訓練場に帰れ。明日僕の家に来い、もし僕らに着いてくるならな」

「急に何で上から目線なんだよ……俺たち同い年だろ?」


ジャックはしょぼくれはじめて、僕は笑ったまま座ったジャックを見下ろす。“上から目線になっても仕方ない。僕は村を出てから、普通ではない経験をしてきた”といつもなら言うが、僕はもう前とは違う。


「いつもなら、「僕くらいお前が稼げるようになったら、同じ目線で見てやろう」って言う所だが僕はもう変わった。上から目線で人を見るのが、僕の癖なんだ。別にお前のことを馬鹿にしてるわけじゃないから安心しろよ」

「上から目線で人を見るのが癖なのか?どうなってんだよ、お前の頭は……」

「ははは!そうだな。良いことを教えてやろう。僕は人を客観的に観察する趣味がある。村に居た時からそうだったが、僕は人とは違うと他人よりも自分を上に立たせて生きてきた。ま、それすらも舞台上の話だったと今は気づいたがな。気づいたから、前のように他人を下に見ることはないだろう。まぁ、癖は中々抜けないな。時々上から目線の発言が出ることはあるから、からくりを先に言っておこうと思ってな」

「セリオンお前……村に居た時から、そういう風に人を見ていたのか!?それは初耳だな」


ジャックは心底驚いたように僕を見る。ジャックは学校時代いつも女に囲まれてたため、気付いてなかっただろう。僕はジャックのことを羨ましく思いながらも、ジャックを馬鹿にしていた。僕には昔から他人を客観的に見る癖があった。これはもう癖なんだ。

ジャックが女と囲まれて楽しそうな姿を見て、くだらないと客観視することで、僕は僕を保っていた。そうしないと自分を保てないほど、僕が弱かったとも今なら言える。


そんなこと思わなくても良かっただろうに。僕は他人を客観視することを“強さ”だと勘違いしていたんだ。


「まぁ、それも過去の話だ。そんな僕は既に離れた。だからお前のことは普通に村の知り合いだとは思ってる」

「えっ知り合いか!?ここまで来たら、友人でいいだろ!?」

「はは、そうだな。ま、友人でいいか。ああ、そろそろ練習場に行かないとな。とりあえずお前は休んだ方がいい。明日来たいなら来いよ」


僕はジャックに声を掛けてから出かける準備をする。昨夜は全然眠れてはいないが、ここは仕方ない。練習場で昼に仮眠でも取ればいい。



身支度を整えてから、僕はエダンとジャックと共に家を出る。ジャックとは道の途中で別れてから、エダンと練習場に向かった。

練習場に向かう途中で、今日夢に見た可笑しな獣の話のことを思い出す。

僕と同じ名前を名乗ったセリオンという黒い獣の夢とラモーナの話は、関係性が強いとしか思えない。


「なぁエダン。昨日ラモーナが、僕たちは出会うことが決まっていたって言ってただろ?それは本当なのか?お前は何か知ってるんだろ?」

「はは、ようやく気になってきたか?そうだ、ラモーナの言う通りだ。俺たちは前から出会うと決めていた。この世界に光を届けに来たんだ」

「光を届けに来ただって?どういう意味だ?」

「それはお前が気づくんだ。俺よりも、お前が真の役目を持っているからな。これからお前はアーデルと関わることで、もっと気づいていくだろう。それまでは俺は敢えて言わないが、ヒントは言ってやろう」


エダンはそこで立ち止まって、僕に目線を合わせてくる。僕も思わず立ち止まってエダンを見た。


「闇がなければ、光は分からない。だからお前は先に闇を抱え込み、俺がお前に光を見せた。この世界にもそれが言えるってことだ。俺には光しか表現できない。一方でお前は闇を味方にすることができる。ただ味方にするだけじゃ駄目だがな。まずはお前が光にならないとな。難しくは思うなよ、ただそうなればいいだけだからな」

「お前って時々、抽象的な言い方をするよな……どういう意味だ?」

「ま、簡単な謎かけみたいなもんだと思えよ。面白い謎かけだろ?お前なら絶対解けるさ。人は複雑に考えやすいが、答えは非常に簡単だ」

「答えがあるなら、今言えよ……」


僕が呆れたままエダンを見ると、エダンは面白そうに笑って僕の肩にポンポンと手を置く。


「直ぐに言ったらつまらないだろ?答えを導き出すからこそ、謎かけってのは最高に楽しいんだ。解いてみせろよ、お前なら絶対に出来る」

「……お前って、心底謎な奴だよな」

「ん?俺は最高な男だって?」

「いやもういい……さっさと練習場に行くぞ」


エダンに一声かけてから、僕はさっさと歩き出す。少しの間歩くと、練習場に着いた。大広間へと向かい大広間の扉を開ける。

大広間には、ジムとリリーが話し込んでいるのが見える。周りには他の劇団員たちも話し合っている。僕は直ぐにジムとリリーの元に行った。


「ジム、リリー。もう練習は始めたのか?」

「よう、セリオン!練習はこれから……何かお前、顔色悪いな」

「……昨夜あまり眠れてないんだ」

「はは!昨日飲みに行ったんだろ?明らかに二日酔いみたいな顔してるじゃねえか」


ジムが笑ってきたため、僕は何も言えなくなる。リリーは僕を見て、鼻で笑ってくる。


「あら、今日も練習って分かっていたでしょうに、夜通し飲んだわけ?若いっていいわねえ……あたしはもう最近それがきつくて。ジムもそうでしょ?」

「はは!そうだな……年々きつくなってきたな。昔はどんちゃん騒ぎしても、全然平気だったもんだが何でこう……身体って衰えるんだろうな」

「言っておくが、昨日が初めてだ。誰かと酒を飲むこと自体僕は少ない」

「おっそうなのか?ならいい経験になっただろ。だが、あまり無茶はしないようにな。よしやるか……おーい!全員来い!練習を始めるぞ!!!」


ジムの声掛けと共に劇団員たちが集まってくる。ジムは「配置に着け」と劇団員たちに指示をする。

明日が本番だ。本番の雰囲気を出すために僕たちは舞台衣装に着替えてから、次に演じる場面のことを話し合っていると、大広間の扉が突然バン!と音を立てて開いた。


扉の方に振り向くと、小柄の男が眉を顰めながら堂々とした態度で入ってくる。


(……は?あいつは……レオか!?今日の夢で見た?夢の奴が何でここに?どういうことだ!?)


驚いたままレオの姿をした男を見つめていると、男は僕たちの前に来てから僕の方をジッと見つめた。


「おい、ジム……こいつは誰だ?」

「……おい、レオ……お前突然逃げ出しておいて、最初の第一声がそれか?」

「答えろよ!こいつは誰なんだよ!?何で俺の衣装を着てんだよ!?」


夢の中の人物と名前まで同じらしいレオは掴みかかる勢いでジムを睨みつける。ジムはレオを見ると、大きくため息をつきながら、こめかみに手を当てて首を横に振っている。


「……はぁ、お前なあ……随分な態度じゃないか。少しは反省ってものがないのか?」

「……どうせ他人のことだし、どうでもいいだろ?次の公演には間に合わせたじゃないか。次のをやるだろう頃合いにこうして俺は帰ってきた……で、生意気にも俺の衣装を着たこいつは新人か?ふーん、大して実力もなさそうじゃないか!」


レオという男は僕を見ながら、けたけたと笑い出す。こいつ……夢の中でも性格は相当悪かったが、現実でもまんまじゃねえか。そもそも何で夢の中の男が現れたのかは分からんが、あれはまさか、予知夢という奴だろうか。


レオは僕の方を見てから、何故かリリーの方を見てにやにやと笑う。


「まぁ女男の相手には丁度いいかもな、お前の方が。あー……俺は心底それが嫌だった。1人も女が居ないなんてこの劇団に価値はない。俺は女の子と戯れたかったんだ。なのに俺の相手がこの女男だって?冗談もたいがいにしろよ。おい、ジム。男同士だからこそできる劇があるだとか言ってたが、できるものなんてねえだろ!女の成分が無くて、何を表すつもりだ?野郎だけじゃ、劇は良くはならねんだよ。いい加減目覚ませよ」

「……………」


レオは早口でまくし立てたが、ジムは何も言わなかった。「この劇団の募集要項を見なかったのか?」と突っ込みたい所ではあったが、このレオは僕の過去の姿に重なる所がある。


僕がレオを冷静に見つめていると、レオは僕の視線に気づいたのか、夢の世界で見せたようなニヤニヤとした笑みを見せてくる。


「おい、お前もそう思うよな?この劇団には女が必要だ。何度も言ってるのに聞こうとしねえんだよ!この馬鹿共は。劇団をもっと良くするなら、女を入れろ!!!もっと女だよ!!!女!!!」


レオは女だ!女だ!と叫びまくってくる。僕は夢の中でアーデルを襲おうとしてた、屑野郎なレオと現実の姿が重なり、思わず口を開いてしまった。


「……それで女を劇団に入れたらお前は何をするつもりだ?」

「お前……男なら分かるだろ!お近づきになって、あわよくば……やることは1つだ。なぁ?そうだろ?」

「つまり、やりたいだけってことか」

「ははは!!!ご名答!!!」


夢の中で言ったことと同じことを言ってから、レオはけたけたと笑い出す。ああそうか……こいつは夢の中のレオと性格まで同一人物だ。こいつを野放しにすれば、平気で女を襲うだろう。いやもう既に襲っているのかもしれない。

レオは笑いながら僕の方に近づいてくる。


「なぁお前……こんな大して実力もない劇団なんて辞めろよ。俺と独立してみないか?お前なら、俺の下につけてやってもいいぞ?二人でバンバン儲けようぜ!どうだ、最高だろ?こんなくそ女男と、気色悪い男同士で仲良くする集団なんて、さっさとおさらばだ!ははは!どうだ?」


ここで反応すれば、相手の思うつぼだ。それだけは分かる……だが夢の中でレオがアーデルを襲おうとした姿が何度も何度も頭をかすめて、僕はついに自分を抑えられなくなった。


「うるっせえんだよ!!!もう黙れ!!!この屑野郎!!!」


僕は気づけばレオに飛びかかり殴りかかっていた。レオは思い切り地面に倒れ、周りは呆然と僕を見る。

一方でリリーは「よくやったわ!!!」と何故か僕を応援し始め、エダンは的外れに「よっしゃ!決闘だな!?ふー!!!決闘開始だぞー!!!」とわいわいと喜び始める。

レオは一瞬だけたじろいだが、直ぐに起き上がると僕の顔面に向かって拳を振り下ろしてくる。僕もまたレオに殴られて地面に倒れた。


「……っぐぁ!!!」


レオは拳を構えながら息を大きく荒げて、倒れた僕に近づきドスドスと足蹴にしてくる。


「この!!!くそ野郎!!!やろうってか!?いきなり殴りやがって!!!」

「……っ何で殴られたか考えろよ!お前の今言っていることを冷静に見つめてみろ!それくらいの脳もねえのか!?」

「あ?何だって!?どう考えてもいきなり殴ってきたてめえが悪いだろ!反省しろ!!!」

「馬鹿が!いや馬鹿はお前には軽すぎるな。脳みそ腐ってんだよ!気づけよ自分の姿に!金が何だ!名声が何だ!女が何だ!!!お前は一体何を見て生きてきたんだよ!!!」


僕はレオの足を思い切り持ってレオを地面に倒し、夢の時のように馬乗りになる。レオも僕を思い切り睨み、激しい取っ組み合いが始まる。

エダンは陽気に「いいぞー!セリオン、いけ!そこだー!最高にお前らしいぞ!!!」と応援し、リリーも「セリオン!もっと気合入れなさい!!!」と手を叩きながら僕を応援してくる。


僕は興奮したレオを押さえつけながら、再びレオに向かって叫ぶ。


「反省するのはお前の方だ!己の姿を鏡で見てみろ!金、名声、女にこだわる理由は何なんだ!?何なんだよ!!!」

「あ!?そんなの決まってんじゃねえか!俺の欲望が満たされるからだよ!金と名声が手に入れば女が寄って来る!女が来れば俺の欲望は満たされる!最高なことばかりじゃねえか!女を何人抱いたかは、男のアピールポイントだ!後はそうだな……恐怖に顔を歪めた女を犯してやりてえ!それくらいお前にだって分かるだろ!?」

「……っ全部自分のことしか考えてねえじゃねえか!何故それにこだわる!?お前の言うこと全部……全部、全部!!!幻だろ!お前、この世界を手のひらで踊らせている気分になってるかもしれねえが、一番この世界に踊らされているのは、お前の方なんだよ!この……“獣”野郎!!!」


夢の中で見た黒い狼の獣とレオが重なり、僕は取っ組み合いの果てに思い切りレオを殴る。

レオは地面に思い切り倒れて、僕は口に溜まった血をペッと床に吐きだした。

明日が本番だというのに舞台衣装を汚して、顔も怪我してどうすると言いたいところだが、今更もう遅い。

ついに見かねたジムが僕らの間に立つと、「やめろー!!!」と大きく叫んだ。


「もうやめろ!いいからやめろ!明日が本番なのに大怪我するつもりか!?」

「……はぁっ。ジム……止めないでくれ。僕は今重要なことを、こいつに言っている」

「セリオン!平民役はお前しかいないんだ。だからこれ以上怪我はするな。いいな?」


ジムに肩をポンポンと叩かれて、僕はようやくふぅっと息を吐き出す。深呼吸して落ち着かせてから、地面に倒れたレオを見下ろして首を横に振る。


「……もういい。お前にはいくら言っても無駄だろう。このことは自分で気が付くしかない。お前が心から望むことに気づいてくれ。幻ではなく、本当の光に気が付いてくれ……お前が今言っていたことは全部幻だ。ただお前は夢の世界から目覚めるだけでいいんだ。気づけよ、レオ」

「…………」


レオは僕を睨みつけたまま何も言わなかった。僕は後ろを振り向いてジムと一緒にその場から去ろうとすると、レオの声が「……何だよ」と小さく聞こえる。

僕が振り返るとレオはどこに隠し持っていたのか、小さなナイフを手に持ってギラギラとした目で僕を睨みつける。


「くそ野郎が!!!てめえ、殺してやる!!!」


(……っまずい!!!)


怒り狂ったレオは勢いよく僕に向かってくる。リリーは悲鳴を上げて、先に歩いていたジムは今そのことに気が付いたのか振り向く。

近くまでやってきたレオが僕に向かってナイフを振り下ろすと同時に、いつの間にか来ていたエダンがレオをねじ伏せており、レオは苦痛に表情を歪めた。


「……っぐあああ!!!いてえ!」

「ははは!ちょいと決闘にナイフはやりすぎたな?エダン様が没収するぞー!」


エダンは笑顔のまま、ねじ伏せたレオからナイフを奪い取り、真っ二つに折った。レオはそれを見て「ひっ」と声にならない声を上げて怯えだした。


「……っくそ、何だこいつは……ぐああああ!痛い!いてえって!やめてくれ!!!」

「はは、俺は反省するまでお前のことを放さないぞ。セリオンを刺そうとしたのは何でだ?」

「そんなの、ムカつくからだよ!死ぬまであいつを刺してやる!!!」

「おっ?反省してねえな?よし、これならどうだ?エダン様と楽しい決闘だ!俺が勝てばセリオンにはもう手出すな。それでいいな?よーし、始めるぞ!」

「……ちょっ待て!!!何でお前と……うわああああ!!!」


エダンの笑顔と共にレオは綺麗に宙に吹っ飛ばされる。レオは舞台の木の枠に激突し、がくりと気絶した。エダンはパンパンと手を叩いてから、首を傾げた。


「おっ?もう終わりか?よしセリオン、決闘はお前の勝ちだー!」

「……お前、レオを殺すつもりか?」

「いいか、拳だけで戦う。それが最高の漢の戦い方だ。お前は堂々と男の勝負を仕掛けた。だがあいつは反則技を使ってきたな。それなら、俺が手出しても仕方ねえだろ?」

「お前まさか、戦いのことしか考えてなかったな?」

「ん?勿論そうだぞ?セリオン、お前の戦いは最高だったぞ!今度お前も武道訓練場に来いよ。構えから教えてやろう」


エダンは嬉しそうに、「シュッシュ!楽しいぞ!!!」と言いながら宙に向かって拳を振り上げたり何なりしている。エダンは無視して、驚いて固まったジムの方に振り向いた。


「……さて、練習を始めるか」

「おいおい、切り替え早いな!お前はレオに殺されそうになったんだぞ!?とりあえず警備兵は呼んでおこう」


ジムの冷静な声と共に、僕たちは動き出す。少し経ってから警備兵が呼ばれ、気絶したレオは運び出されるように警備兵に捕まった。僕は怪我の手当てをリリーにしてもらって、

やっと練習を始められたのは一時間後だった。ジム曰く、レオは当然の如く首らしい。

僕は大きくため息をついてから、一日中練習を続けることになった。


***


ついにこの日がやってきた。数日間だったはずが、ここにたどり着くまでが非常に長く思えたものだ。

僕は門の向こうにある貴族街を見つめながら、首にかけてあるアーデルがくれたネックレスを掴んだ。アーデルは今頃どうしているのだろうか。

僕とエダン、ジャックと劇団員たちで貴族街の門の前に立ち、通行証を門兵に見せると門兵は僕たちを訝し気に見てから、静かに頷いた。


「くれぐれも、余計な行為はしないように。用が済んだら、直ぐに帰って来るんだぞ」


門兵は低い声で僕たちに言ってくる。僕は軽く頷いてから、貴族の門をくぐった。どうやら警備兵が僕たちにピッタリと着いて、目的地まで見張るらしい。

その視線に居心地の悪さを感じながら、平民街とは違って綺麗に舗装され花で彩られた美しい街並みの貴族街を歩いていく。


ジャックは辺りを見回しながら、小声で僕に耳打ちしてきた。


「なぁ……凄いな貴族街って。こんなに綺麗だったのか……」

「おい、別に小声で話さなくてもいい。それとくれぐれも気を付けろ。綺麗な街の裏には闇が潜んでいるのが貴族だ。奴隷を飼ってる貴族も居るだろうし、裏商売なんてものもある。貴族に話しかけられても絶対に着いて行くな。いいな?」

「ひぇっ……奴隷だって?分かった……気を付けるよ」

「特にお前は純粋だから心配なんだよな……気を付けろ。まず何かあったら僕に相談しろよ」


ジャックに話すと、ジャックは顔を青ざめさせながら何度も頷いた。集団で行動していれば大丈夫だろうが、忠告しておくに越したことはない。

貴族の屋敷に着いたら、何とかしてアーデルに会わなければならない。彼女は今自分の家に居るだろうか。

アーデルが書いてくれた地図を見つめながら、警備兵に案内されて進んでいく。

暫く歩いて大きい屋敷が見え始めると、警備兵は厳しい顔つきをしてピタリと立ち止まった。


「ここがフローレス家だ。普通、平民は入ることが出来ない場所だ。平民は門に触れることすらも許されない。ナンシー様のお言葉があったから、お前たちは入れるんだ。そのことをくれぐれも忘れずにな。今話を通してくる」


警備兵は僕たちに向かって言い放つと、門の前に居る屋敷の門兵に声を掛ける。門兵は疑いの視線を僕たちに向けてから、渡された通行証を見てようやく口を開いた。


「ナンシー様、またか!?はぁ……お転婆癖だけは治らんな……気に入った平民たちを、直ぐに屋敷に入れようとする癖を何とかしないとならん!普通は許されないというのに!!!あー……ごほん。これは独り言だ。入りなさい」


門兵は眉を顰めて首を横に振りながら、渋々とした雰囲気で通行許可を出す。確かにナンシーと言う令嬢は変だ。平民を貴族街に、ましては屋敷に入れるなど一般の貴族家では許されないはずだ。

警備兵に着いて行くと、豪華な庭と舗装された道の先に美しい屋敷がそびえたっている。

召使の女が外に立っていて、丁寧に礼をされる。


「此方へどうぞ。正面の門は、貴方達は使えません」


召使の女が冷たい目で僕たちを見てきたため、何となく居心地の悪い気分になる。

召使に着いて行くと、古びた裏口に案内された。マリアの屋敷でもそうだったが、どこの屋敷にも使用人専用の入り口なんてものはあるだろう。僕たち平民は当然の如く、“正面玄関”は使えないらしい。


「警備兵に着いて行って下さい。倉庫の扉から左に廊下を進み、右に曲がった突き当たりの大広間にナンシー様はいらっしゃいます」


召使は冷たい目のまま礼をして去っていった。警備兵に着いて行き、裏口から貴族の屋敷に入る。中の倉庫らしき場所は暗かったがそこにある扉を開けると、赤い絨毯が敷き詰められた豪華な廊下に出た。

ジャックは息を止めたような顔をして辺りを見回している。呼吸をすると死ぬとでも思っているのだろうか。エダンだけは笑顔のまま能天気に歩いているが、リリーやジム、他の劇団員たち数人も緊張した顔つきだ。


廊下を進み、右に曲がった途端警備兵が立ち止まる。前を見ると、思わず僕は目を見開いてしまった。


(アーデルの母親か!?あの日に見た貴婦人じゃないか!)


アーデルと別れた日に見たアーデルの母親は、僕たちを見るなり腐ったものを見るかのような目になった。その途端、警備兵をキッと睨みつける。


「あの娘はまた勝手なことを!お父上がお許しになって下さっているのを盾に、卑しい平民をまた入れたわね!?警備兵!!!何故事前に、この私に伝えなかったの!」

「……っ!申し訳ございません!」

「本当平民たちは、奇抜で汚い服装だわね……汚らわしい!」

「おっ?俺たちの服装が最高にかっこいいと!ほー!嬉しいですね!更にこの中で一番ハンサムなのはこのエダン様と言いたいんですね?ははは!分かっておりますよ!」


エダンが貴婦人の言葉に反応してしまい、貴婦人は何を言われたのか分からなかったのか唖然と口を開ける。まずい!危惧していたことが起こってしまった。


(……っこの馬鹿!!!くそ、仕方ない)


僕はエダンを押しのけて、貴婦人の前に出て丁寧に礼をする。僕は貴族相手を何度もしてきた。だからこそ貴婦人がどのような言葉を好み、どのような仕草を好むかは知り尽くしている。


「……マダム、失礼致しました。卑しい平民が、お屋敷を汚すようなことがあってはなりませんでした。ご無礼をお許しください」


僕は床に片膝だけ跪いてから、貴婦人を見上げる。ああ、良かった。ようやく貴婦人の目は変わってきた。僕は丁寧に礼をしながら再び静かに立ち上がる。


「私たちは平民街の劇団員です。ご令嬢に演劇を披露しても良いとのお言葉を頂き、お屋敷に招待して頂きました。私たちのような卑しい平民には滅相もないことでございます。しかし頂いたお言葉は、大変光栄な思いでございます。貴方のような美しいご婦人に恥じない演劇を、披露して見せましょう」

「……あら、そうなの……」


僕が自然な笑顔で貴婦人を見上げると、貴婦人はようやく怒りが収まったのか、睨みつけたような目が普通に戻っている。

貴婦人が僕を見定めるようにジロジロと見ている間、奥からパタパタと走る音が聞こえてきた。奥を見ると、ドレスを着た令嬢が走って来る。


ドレス姿を見て一瞬アーデルかと期待したが、アーデルと同じ栗色の髪ではあっても一般の平民街に居てもおかしくない、目は細く普通の顔をした女だ。貴族と言っても美しい令嬢ばかりではないだろうが、まさかこの女がナンシーだろうか?


「お母様!いらしていたのですね!!!」

「ナンシー!また勝手に平民を入れましたね!?」

「ええ、でも……とてもこの劇団が気に入ったんですもの。帰って来られたアーデルお姉さまも気に入ると思って、今お部屋にお呼びしに行こうかと思っていたんです。劇団の皆様に来て頂くことは前から予定しておりましたけど、丁度良いサプライズですわね。公爵様との結婚のことで随分とお悩みのようでしたから、気分転換にと思いましたわ」


(アーデルだって!?やっぱりこのナンシー嬢はアーデルの妹か!?)


アーデルに似ていなかったから、名前を聞くまで信じられなかった。僕がナンシーをジッと見ていると、アーデルの母親は「はぁっ」とため息をついた。


「……もう行きなさい。後で貴方は教育係に厳しくご指導頂くでしょう。そのことを忘れないように」

「……お母さまったらいつもお厳しいですわね……ねぇ、お母さまもお芝居を観たらどうでしょう?きっと気に入りますわ!」

「卑しい平民のお芝居を!?そんなことは絶対にあり得ませ………」


貴婦人は嫌そうな表情を浮かべたが、何故か僕の方を見てから考え込むような素振りをする。


「……まぁ、時にはいいかもしれませんね」

「まぁ!本当ですの!?とても嬉しいですわ!今アーデルお姉さまをお呼びしてきますね!場所は大広間ですよ!平民の皆さんは、向かっていて下さいな」


ナンシーは明るい笑顔を見せながらパタパタと足音を立てて去って行った。立ち止まった貴婦人の視線を後ろに感じながら、再び廊下を歩き出す。ジムが近づいてきて、こっそりと僕に耳打ちしてきた。


「色々と危なかったな……機転を利かせてくれて助かった。なぁ、劇の前後の挨拶は俺がやることになっていたが、お前がやってくれ」

「は?何で僕が?」

「お前がやった方が良い。さっきのご婦人の様子を見たろ?お前の機転で態度が変わったんだ。頼むよ……もしこれが上手くいって報酬を貰えたら、お前の分の報酬は弾む」

「……分かったよ。僕は勝手に着いてきた身でもあるからな」


本来ならば劇団のリーダージムがやるべきだとは思うが、貴族相手に慣れていない劇団には難しいだろう。それよりアーデルは本当にやって来てくれるんだろうか。何とかしてアーデルと話さなくては。今後の計画と、クロードのことをどうしていくか話し合わないとならない。


大広間の扉を開けると、部屋の中は美しい装飾と薔薇の壁紙に彩られていた。大広間はパーティが出来るようになっているのか、お目当てであるピアノも設置してある。


(よし……これで何とかなりそうだぞ)


僕は呑気に歩くエダンを腕で小突いてから、近くに寄って小声で話す。


「ピアノはあったな。予定通り演奏を頼んだ」

「はは!任せておけ!エダン様の演奏で、全員俺に釘付けだな」

「……言っておくが、何も喋るなよ。一言も喋るな。さっきも危なかったんだ。もし夫人を怒らせることになったら、僕たちは牢屋行きだ」

「おっそうなのか?エダン様のハンサムな声があった方が、場は盛り上が……」

「いいから喋るな!!!いいな!?」


念を押すようにはっきりとエダンに言うと、エダンは首を傾げつつもようやく頷いた。いつものことだが、こいつには疲れる。この際仕方ないだろうが。


大広間で演技前の準備をしていると、大広間の扉が再び開いた。直ぐに振り返ると、一番にアーデルの母親が入って来て、後ろにナンシーが嬉しそうに着いてくる。その後ろには……


(アーデル……)


美しいドレスを着たアーデルが気落ちしたような雰囲気で、顔俯かせながら部屋に入ってきた。俯いているため僕には気づかない。僕がジッと視線を送っていると、何かを感じ取ったのかアーデルはパッと顔を上げた。


互いの視線が交差する。アーデルは目を大きく見開いて僕を見つめる。僕もただ美しいドレスを纏い、更に美しくなったアーデルを見つめる。お互いに何も言わなかった。

アーデルは口元に手を当てながら、周りも見ずに僕だけを見つめている。

横に居たエダンはアーデルのことに気が付いたのか、パアッと顔を輝かせた。


「おっ!アーデ……っうおお!?」


エダンが手を振って何かを言おうとしたため、僕は思い切りエダンの足を蹴った。咄嗟に周りを見渡すと、幸いアーデル以外には今の声は気づかれてないようだ。

これからアーデルと二人きりで何とか会おうとしているのに、知り合いだとバレれば動きづらくなるだろう。

僕はエダンに周りに聞こえない程度の小声で話す。


「馬鹿!やめろ!知り合いだとバレたらまずい」

「おっそうか?」

「そうだ。いいから準備するぞ」


エダンにはっきり言った後に、僕は演技のための準備に戻る。アーデルを横目で見ていると、アーデルは僕の方を呆然と見たまま、何かを言いたそうにして広間に置いてある席に座った。アーデルの母親とナンシーも席に座る。

少し経ちようやく劇の準備が整うと、僕だけが前に立ち丁寧に礼をしてみせた。

三人の視線が僕に注ぐ。特にアーデルの視線は強く感じた。僕はまずアーデルの母親である貴婦人に対して、笑みを見せる。


「マダム。演劇をもっと美しくするために、演技中に些細な物ではございますが、ピアノ演奏をさせて頂きたいと思っております。広間にある物を使用させて頂いても宜しいでしょうか?」

「……貴方が演奏しますの?」

「いいえ、私は役者でございます。此方の者が披露をさせて頂き……」

「どうも!!!俺はハンサムで最高なエダ……」

「おっと!まだ芝居は始まっておりませんよ。セリフにはまだ早いでしょう。ははは……練習をしすぎたせいでしょうか。困ったものですね。マダム宜しいでしょうか?」


エダンが暴走しそうになったため、僕はエダンを思い切り睨みつける。エダンは視線の意味が分かったのか、シュンと寂しそうに項垂れた。

アーデルは呆れたようにエダンを見ていたが、アーデルの母親は僕の方を見て頷いた。


「まぁ……演奏が出来ると言うのでしたら、してもよろしいですけど……」

「ありがとうございます。それでは演劇の方を始めさせて頂きます」


僕はエダンを軽く小突いて小声で「ピアノの前に座れ。後は指示通りにな」と声を掛ける。エダンは何処か寂しそうにピアノの前に座って、最初の挨拶が始まった。他の劇団員たちとジャックは後ろの方で待機している。

僕はアーデルの方を見つつ、笑顔を見せて三人の前で丁寧に礼をする。


「初めまして。先ほどお話した通り、私たちは平民街の劇団員でございます。ナンシー様、この度は私たちのような平民を美しいお屋敷に招待して頂き、ありがとうございます」

「あら……貴方、前に劇場に行った時にはおりませんでしたよね?とても礼儀正しくて素敵ですわね。お名前を伺っても宜しくて?」

「大変光栄でございます。私の名はセリオンです。今は臨時としてですが、此方の劇団で披露させて頂いております」

「臨時ですって!?勿体ないわ……雰囲気がとても素敵ですのに」


ナンシーは僕のことを気に入ってくれたのか、しみじみと頷く。一方でアーデルは何故か唖然と口を開けてナンシーを睨みつけている。

こうして見ると、アーデルとナンシーは本当に姉妹なんだろうか。顔は似ていないし、性格も違うように思える。言葉遣いとしてはナンシーの方が貴族の令嬢らしい。僕は笑みを見せたまま、もう一度礼をする。


「ありがとうございます。それでは、劇団の主演メンバーを紹介させて頂きます」


僕がジムとリリーに前に出るように合図すると、慌てて二人は前に出てきて挨拶をしながら礼をしている。次に僕は演技の話の説明をする。


「今回披露させていただくお話は、平民の間で好まれているお話です……タイトルは、「薔薇の野望」……ナンシー様には前回一章の方を披露させていただきましたね。一章の説明を含めながら、二章を披露させて頂こうと思っております」

「あら!あのお話の二章を観れますの!?また抜け出して続きを観に行きたいと思っておりましたの!」


ナンシーは喜んでいるが、アーデルの母親はキッときつくナンシーを睨みつけている。ナンシーという令嬢が喜んでいるのなら、計画は成功と言えるのではないだろうか。

僕は内心安堵のため息をつきながら、丁寧に礼をする。


「お話と演劇を気に入っていただき、ありがとうございます。このお話は二章で終了です。まずは一章の平民のレオと、貴族のご令嬢ロゼッタ嬢の解説をしていきたいと思います」


後から聞いた話だが劇中の「レオ」という名前は、昨日劇団で殴り合ったレオとたまたま被ったらしい。レオは名前も被り、実力もあったから抜擢されたと聞いた。役のレオとは違い、僕の知っているレオの方は性格が悪いが。


軽く一章の説明をし終えると、アーデルの母親は「はぁっ」と大きくため息をついた。


「こんなお話が平民の間で好まれているのですか?平民が私たちのような高貴な貴族と共になろうとするなど……何と恥ずかしく傲慢なお話なのでしょう。ナンシー……このような下品なお話を見るのは辞めなさい」

「お母さまったら!いつもお厳しいんですから!お芝居はお話ですよ、お母様。それにとても素晴らしいお話でしたわ!アーデルお姉さまも、こういったお話はお好きでしょう?わざわざ平民街に“遊びに”行かれたくらいですもの」


ナンシーは自然な笑みで笑っているが、アーデルはナンシーの言葉が勘に触ったのか、眉を顰めている。アーデルはようやく口を開いた。


「ナンシー……私は遊びに行ったのではないわ。それだけは分かって……」

「あら、そうですの?でしたら、わざわざこの素敵なお屋敷を抜け出して何をしに行かれたのです?お勉強をしにかしら?私のように好奇心が強いからこそ、遊びに行かれたとばかり思っておりましたわ」

「はぁ……もういいわ。役者さんがお芝居を披露してくれるのだから、それに集中しましょう」

「もう……いつも肝心なことは言ってくれませんのね、お姉さまは」


ナンシーは残念そうな表情を浮かべているが、アーデルはイラついた様子を見せる。

アーデルの母親もアーデルとは一言も話そうとはせずに、イライラした様子だ。

この雰囲気を何とか変えようと、僕は少し大きめの声で話出す。


「それでは!二章の方を披露させて頂きましょう」


僕がエダンに向かって手で合図を送ると、エダンは楽しそうにピアノを弾き始める。やはりピアノの腕だけは良いようだ。こいつが喋らずにピアノだけを弾いていたら、少しはまともに見えるだろうに。

アーデルは驚いた目でエダンを呆然と見つめている。アーデルにとってもエダンがピアノを弾けることは予想外だったのだろう。

全く持ってその通りだ。エダンがピアノを弾くなんて不釣り合いで、ピアノを弾くと同時にピアノをぶっ壊しても可笑しくない。それだと言うのに、エダンはよくここまで楽しそうに弾くものだ。


その間に僕は後ろに下がって、ようやく劇は開始だ。僕とリリーとジムが表に出てセリフを叫ぶ。


「待て!!!グレイソン!!!いい加減ロゼッタのことは諦めろ!」

「……レオ!」


お決まりのセリフで劇は始まった。「薔薇の野望」という脚本は内容としてはチープだが、単純なロマンス物が女には好まれるのだろう。

演劇が進むにつれてナンシーとアーデルの母親の目が物語に入った物に変わっていく。

内容が幾らチープだったとしても、物語に心を入り込ませるのが役者の仕事だ。


演技をしながらアーデルの方を盗み見ると、僕の方をジッと見つめていた。次の場面が終わった後も、アーデルは僕の方だけを見つめている。

これは……どうやらアーデルは僕しか見ていないようだ。それに少し優越感を思いながら、物語は佳境に突入する。


全ての演技が終わり、レオとロゼッタが幸せな二人だけの結婚式を挙げて、この物語は終了した。

物語の結末に「結婚」を持ってくるところが、この物語のチープさを際立たせているが、それもまた女にはいいのだろう。


僕が三人の前で丁寧に礼をして見せると、熱い拍手で舞台は包まれた。

ナンシーはこの話を気に入ったのだろうか。うっとりしたような目で僕を見つめている。


「これにてお話は終了です。レオとロゼッタ嬢は幸せに暮らしました」

「まぁ!何て素敵なお話ですの!愛に溢れた結婚は、いつ見てもいいものね……」


ナンシーは物語の結末を喜んでいるようだ。アーデルの母親はナンシーを睨みつけてはいるが、目を見ると芝居には何処かでは納得したように見える。しかしアーデルは、特に反応を示さずに僕だけを見つめている。


僕は笑顔で三人を見たまま、冷静に考えを巡らせていた。


人は究極に孤独だ。孤独を悪いことだと抱え込み、泣き叫んだ末に、「薔薇の野望」の脚本のように形ある愛や繋がりを求める。

形あるものを求めたところで、埋まるはずがないだろう。既に自分自身が愛を持っていることをずっと忘れたままなのだから。


僕もまた、自己陶酔と皮肉めいた世界から抜け出して真っ向からアーデルと向き合わなくてはならない時が来た。

獣の夢の自分のように、皮肉めいた世界に居ては駄目だ。己自身がさも「世界を客観視している」と舞台上に居ては駄目だ。他人を真っ向から拒絶するのも駄目だ。極端な方向は闇に繋がる。


この世界にはまだ僕の知らないことが沢山ある。僕はただそれを知りたいと思う。

いや、エダンの言う通り僕自身のことを思い出さなくてはならない時が来たのだ。


「自分自身のことを思い出す」それが世界……そして神に繋がる鍵だということを、やっと今思い出した。


ナンシーは笑顔で喜びながら、隣に居る母親に向かって話しかけている。


「ねぇお母さま!素敵なお話でしたわね!」

「……このようなお話、下劣でくだらない話ですよ。汚い平民の娘が見るような物です」

「でもお母さまも、夢中になっていらしたじゃない!私には分かりますわ!」

「……これは若者が好む物でしょう。歳を取ると、これがくだらなく下劣な物だと貴方も気づくようになります」

「あら……歳を取ると、人はそのようにつまらなくなってしまうのですか?どうしてですの?」


ナンシーがキョトンとした目で母親に聞くと、母親は突然音を大きく立てて席を立った。眉間には皺が寄り、ナンシーの言葉にイラついたのが目に見えた。


「貴方には分かりません!この思いなど分かりません!分かるものですか!!!」

「……っお母さま?」


ナンシーとアーデルは驚いて母親の方を見つめる。一方で母親は辛そうに眉を顰めたまま、唇を噛みしめた。

僕はそんなアーデルの母親の様子を見て、貴婦人が普通の女だということに気づいた。アーデルに接する姿は厳しく思えたが、この母親自身は強い闇を抱えている。


気づけば僕は貴婦人の方に近づいて、はっきりと言葉にしていた。


「マダム。希望を失っていらしてるのではないですか?」

「……何ですって?」

「……失礼致しました。私には貴方がとても寂しそうなお姿に思えたのです……貴方には抱えていらっしゃる悩みがございますね」

「悩みですって!?そんな物ございません!!!」


アーデルの母親は唇を震わせた。婦人が僕の言葉に怒ったように見えても、一瞬だけ瞳が揺らいだのを僕は見逃さなかった。僕はその場に跪いて貴婦人を見上げる。


「人は、悩みを抱え込めば抱え込むほど辛くなるものでございます。いつしか闇に取り込まれ、絶望に陥ってしまいます。これだけは伝えさせて下さい。己の闇に気が付くことができる人物……それはご婦人、貴方自身しか居ないのです。貴方が持つ闇に貴方自身が本当の意味で向き合ったとき……光は現れるでしょう」

「……何ですって?」

「どなたにも言えることでございますが、真実の光を人々は見失っております。光は必ず貴方自身の元にございます……ただ貴方自身が気づくだけで宜しいのです。ただ私は……貴方自身の心に、光と幸せが訪れることを願っております」

「……………」


僕が最後の言葉を言うと、貴婦人の目は大きく目を見開き僕をただ見つめた。目を見開いたまま、ただ涙を一筋流した。


「……っ……失礼致します」


貴婦人は自分の流した涙に驚いたのか、僕の方を見ずに振り向いて広間から去って行ってしまった。僕が立ち上がって後ろ姿を見送ると、アーデルは母親の様子に驚き、ナンシーは首を傾げている。


「お厳しいお母さまが涙をお流しに?一体どういうことでしょう?ねぇお姉さま、分かりますか?」

「……お母さま……でも……」

「お姉さま?」

「……私には分からないわ。母親の気持ちなんて……分かるはずがないもの。それなら何で私に結婚を強制するのよ……分からないわ……分からないのよ……」


アーデルは辛そうに首を横に振っている。ナンシーはアーデルの様子を不思議に思ったのか、キョトンとしてから僕の方に笑顔で近づいて僕の手を突然取った。


「ねぇ貴方って、とても魅力的ですわね!お芝居もとても素敵でしたわ!そしてここだけのお話……役者さんの中で貴方が一番素敵でしたわ!本当に素敵……貴方のファンになっても宜しくて?」

「ナンシー!!!迷惑でしょう!!!」

「あらお姉さま……此方のお方が一番素敵でしたでしょう?」

「……ええまぁ……そうね。此方の役者さんが……一番恰好良かったわ」


アーデルが照れたように僕を見たため、釣られて僕も照れてしまう。ナンシーは僕たちの様子に一切気づかないのか、僕の方に更に身体を密着させてきた。


「ねぇ……この後私のお部屋に来てくださらない?二人きりでお話したいわ……どうでしょう?」

「ナンシー!!!やめなさい!迷惑です!!!やめなさいってば!!!」


アーデルは突然大声を出して、ナンシーの身体を強く引っ張りだす。しかしナンシーは頑固として僕から離れようとはせず、甘い声で僕に囁いてくる。


「お茶やお菓子はお部屋にございますわ……私たち二人だけで、楽しく語り合えると思いませんこと?」

「あー……いえ、折角のお誘いでございますが、私は平民でございますので……」

「あら!身分なんて関係ありませんわ!私の場合、結婚はもう少し先ですしお姉さまと違って自由ですもの。ねぇ、前向きに考えて下さらない?」

「ナンシー!!!その人から離れなさい!!!」


アーデルが最終的に思い切り強く引っ張ったのか、ようやくナンシーは僕から離れてくれた。ナンシーは不貞腐れた様にアーデルを見る。


「お姉さまはクロード・ベアリング公爵と結婚なさるのでしょう?あのお方は気高く美しく、社交界では貴族の女性の憧れの的……誰もがお姉さまを羨むでしょうね。公爵様が私ではなくお姉さまをお選びになったのは、お姉さまが美しいからお選びになられたのだと思いますわ。とても素敵ですわ!ですがまぁ私は……クロード公爵はあまり好みのお方ではございませんけど」

「はぁ!?クロード公が勝手に私に想いを寄せていただけじゃない!私は頼んでもないわ!何も頼んでないのよ!それに全く持って!!!好みではないわ!!!」

「あらそうですの?それは……お気の毒ですわね……ですが公爵様のお言葉をお断りはできませんわ。それに私も美しいお姉さまなら、公爵様にピッタリだと思いますわ!お二人は子宝にも恵まれて、美しい生活になるでしょうね」

「……っ子宝!?ふざけんじゃないわよ!!!」


アーデルはどんどん言葉が崩れていき、ついに平民言葉に戻っていった。ナンシーはそんな姉の様子に呆然と口を開ける。


「あら……とても下品な言葉遣いですわね……平民街にはそのようなお言葉を学びに行ったのかしら?」

「……ナンシー……もういいわ。貴方に何を言っても無駄よ。もう行きなさい」

「でも……セリオン様のお返事を貰っていませんわ……」

「はぁ!?セリオン“様”!?……セリオン“様”は「駄目です」って!「絶対に行きません」ですって!」

「あら、どうしてお姉さまが代わりにお答えしますの?」


ナンシーは首を傾げながらアーデルを見つめる。ナンシーの態度にアーデルはイラついたのか、唇を噛みしめている。こうして表情を見れば、アーデルの方が母親に似ているようだ。

僕が何とか場を収集させようと思考していると、いつの間に来ていたのかエダンが傍に立っていた。


「ははは!お嬢さん方……セリオンのことで盛り上がるのはいいですが、このハンサムな俺!!!エダン様と一緒に遊びませんか?」


突然のエダンの登場に、アーデルは嫌そうな顔をして、ナンシーは不思議そうな顔をする。

二人は同時に口を開いた。


「あら……貴方はピアノ演奏をしていらっしゃったお方ですよね?演奏は素敵でしたけれど……申し訳ありませんが……」

「エダン!!!今は邪魔よ!!!重要な話し合いをしているの!黙ってて!!!」


エダンはナンシーからは断られ、アーデルからは怒られている。今度は話が通じたのか、エダンはシュンと寂しそうに項垂れた。

その間にナンシーは扉の向こうに居る召使に呼びかけている。


「ねぇ召使!来て頂戴!報酬をお渡ししないと!」


ナンシーの呼びかけで扉が開き、銀のトレイに革袋が載せられている。ナンシーはそれを見て眉を顰めてから、召使に呼びかける。


「ねぇ、もう一つ用意してくださらない?そうねぇ……金貨を三百枚もう一つ包んで頂戴」

「……はっ!ただいま……」


ナンシーの声で召使は下がっていき、直ぐに革袋を二つ用意して戻ってくる。ナンシーは満足そうに金貨の入った袋を二つ取り、「素敵なお芝居をありがとう」とジムに手渡す。ジムは「ありがとうございます!」とお礼する。

直ぐにナンシーは僕の方に走り寄り、恐らく金貨が三百枚入った方を、笑顔で僕に手渡してきた。


「これは貴方だけに特別手当よ。劇団の皆さんにはお渡ししましたけれど、セリオン様、貴方は臨時で来られたのでしょう?」

「……ありがとうございます。しかし特別手当にしては、いささか多い気が致しますが……」

「あら!貴族の私には、とても軽いお金だと分かるでしょう?本当はもっとお渡ししたいくらいですけど……ねぇ本当にお部屋には来てくださらないの?」

「……この後も別に仕事がございます。大変申し訳ございませんが……」

「もう!それは断る口実でしょう?今日がお忙しいなら、また後日にお屋敷に来てくださらない?私だけはお父様に特別な許可を得ていますから、貴族街への通行許可証を出すことができるのです。ああ、私にしか駄目でございますが。お姉さまには力がありませんわ」


ナンシーは笑みを見せながら、姉であるアーデルの方を見ている。これはまさか……よくある姉妹同士のいさかいという奴ではないだろうか。ナンシーは笑顔ではあるが、姉のことを敵視しているようだ。

ナンシーは僕を見ながら、妖しく笑みを見せる。顔は似ていないが、その表情は何処かマリアと重なった。


「ねぇ、貴方は何処にお住みでございますの?私、お忍びで押しかけても宜しくて?」

「ナンシー!いい加減になさい!!!」


アーデルはナンシーの腕を掴んだ。ナンシーはアーデルの方を冷たく見てから、フッと笑みを見せる。


「私……分かっておりますのよ。お姉さまのお気持ちくらい、分かりますもの。本当は平民街に遊びに行かれたわけではないことも、気付いております。お姉さま、貴方は何の夢を見ていらしたのですか?それで何かが変わると思っていらしたのかしら?何も変わらなかったでしょう?お姉さまが出て行かれたあの日の夜……私お姉さまが出て行くことに気づいておりましたわ」

「……何ですって?ナンシー……気づいていたの!?」

「ええ……気づいておりました。行先までは詮索しませんでしたが。好きにしたら宜しいと思いましたもの。お屋敷に戻ってくることなんて予想できましたわ。だってお姉さまは夢いっぱいのお花畑にいらっしゃったものね。あら、悪い意味ではございませんのよ」


ナンシーはアーデルを強い意志で睨みつけている。姉妹関係についてはあまり聞いてはいなかったが、これはひと悶着ありそうな関係だ。ナンシーは僕の方を見ながら、笑みをもう一度見せた。


「またお会いできるといいですわね。今度は、お姉さまがいらっしゃらない場所でお会い致しましょう?」


ナンシーは妖しく微笑みながら、大広間から出て行った。室内には静寂が訪れる。

僕がアーデルの方を見ると、アーデルは突然僕に走り寄って抱きついてきた。


「……っうお!?」

「セリオン!!!私……会いたかったわ……本当に会いたかった」


皆の前で突然アーデルに抱き着かれてしまい、僕は身動きが取れなくなる。劇団の皆が僕をジッと見てきたため、何とも言えない気持ちになってくる。アーデルの背中に手を回すと、アーデルの肩は小刻みに震えていた。


「……アーデル?まさか泣いているのか?」

「……もう色々と耐えきれなかったの……たった何日かだったのに……辛くて仕方なかったわ。貴方がどうやって劇団として屋敷にやって来てくれたのかは分からないけれど……本当に嬉しいわ」

「アーデル……僕は……」


僕がアーデルに何かを言おうとしていると、リリーとジムの視線を強く感じる。リリーは「あらあら」と口に手を当てており、ジムはニヤニヤしている。ジャックに至っては呆然と口を開けて僕たちを見つめている。

それに居たたまれなくなり、僕は大きく咳を零す。


「……ごほっ。アーデル。とりあえず離れた方がいいかもしれない……ほら、人目もあるだろう」

「……そうね……ごめんなさい。感情が抑えきれなかったわ……」


アーデルは反省したように笑って僕から離れる。アーデルの目には涙が溜まっており、たった数日間でどれほどまでに思い詰めていたかがよく分かる。アーデルは僕を助けたことによって、この窮地までに追い込まれてしまったんだ。

アーデルは僕の様子に気が付いたのか、涙を浮かべたまま微笑んだ。


「私……後悔はしていないわ。屋敷に戻ってからは辛いこともあったけど、貴方を助けたことはちっとも後悔していない。それだけは分かって欲しいの……貴方は何も気負う必要はないのよ」

「でも、アーデルは辛いんじゃないか?平民街に戻りたいんじゃないか?」

「それは……」


アーデルは言葉を詰まらせる。僕はアーデルの方をジッと見て、言葉を続ける。


「君に協力しよう。今度は僕が君を助ける番だ。このままだと僕は君に助けられっぱなしで終わるからな……何よりも、君の悲しそうな顔は見ていたくはない」

「……セリオン……でもどうやって?」

「それは……この大広間では話せない。何処か二人きりで会える場所はないか?」

「ええ……それならこの広間から出ると直ぐに階段が見えるわ。上がって真っ直ぐ奥まで行って……右に曲がった最初の扉に私の部屋はあるわ。そこまで来て欲しいの。私は先に行って、私兵が廊下を見張らないように手配しておくわ。少し経ったら、私の部屋に来て欲しいの」


アーデルは僕に目を合わせて、僕は頷いた。アーデルは慌てて大広間から出て行く。僕はジムとリリーに話しかける。


「ここからは僕の個人的な用事だ。先に帰っていてくれ。ジム、リリー……僕を一緒に連れてきてくれてありがとう。本当に助かった」

「助かったのはこっちの方だ。俺たちだけじゃ、今回の公演は失敗していた可能性が高い。それよりお前、さっきの綺麗な女性がお前の想い人か?」

「……ああ、そうだ……それとナンシーというご令嬢から貰った金だが、僕が別に貰ったものは後で分けよう。明らかに不公平だ」

「はは!そんなこと気にするなよ。お前が貰った金だろ?それにお前今は無職なんだろ?金はあるだけいいだろう。どうしても納得しないならそうだな……俺たちからお前が想い人と上手くなるようにと、成功を祈った金だと思っておけ」


ジムとリリーと他の劇団員たちは僕に向かって笑顔を向けている。僕は何故、昔この劇団が嫌いだったのだろう。いい人ばかりじゃないか。僕は何も見えていなかったんだ。

ジムは僕の方に近づいてきて、肩に手を置く。


「ほら、さっきのご令嬢と上手くいくといいな。何でお前、泣きそうな顔をしているんだ?」

「……っ別にいいだろ」

「ははは!昨日のレオとのことで思ったが、お前って案外純粋でいい奴だな。ほら皆、行こう」


ジムとリリーと劇団員の皆は歩き出す。エダンとジャックは当然の如く僕に着いてくるらしい。リリーは大広間から出る直前僕の方を見て、笑顔を見せた。


「……上手くいくといいわね。ご令嬢と、とても素敵な関係じゃない。応援しているわ」

「リリー……ありがとう」

「ふふ、それじゃあね。ご令嬢のことが落ち着いたら、必ず会いに来るのよ?結果を聞きたいわ」


リリーは笑顔のまま、手をひらひらさせて出て行った。僕とエダンとジャックは顔を見合わせて頷く。僕たちは、広間で少しの間待つことにした。


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