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悲劇のパラノイア  作者: エデン
第3章
14/34

第14話 輝き

カーティス家の屋敷の召使に声を掛けてから、出してくれた馬車で僕の家まで帰って来ると、僕は放心状態のまま深夜に家に戻った。カーティスの話を聞いた後から、ますます言葉に出来ない妙な感覚が襲うようになったのだ。頭がぐらぐらする。部屋に入るとライアンが元気に迎えてきたが、僕は頭を押さえながらライアンに言う。


「……見張りありがとう。お礼の金を渡しておこう……すまない、頭が痛くて……帰って貰ってもいいか?」

「大丈夫ですか!?金はいらないっすよ!!!」

「いや……貰っておいてくれると僕が嬉しい。じゃあ僕は寝るから……」


半ば強引に金貨を押し付けてから、荷物を床に置いてベッドに横になると、ライアンは心配そうな表情をしながらも、帰ってくれた。

僕はため息をついてから、目を瞑る。頭に手を当ててみると熱く感じる。熱があるかもしれない。きっと考えすぎたんだろう。

アーデルのことや、無職になったことを、どうするか考えないといけないのに、ここで倒れるわけにはいかない。



目を瞑って暫くしてから……突然何かが見え始めた。真っ白い世界に僕は立っている。

僕はただ真っ直ぐ突き進んでみる。白い世界は突然崩れ始めて、闇の世界に変わる。驚いて辺りを見回してみると、暗闇ばかりで何も見えなくなる。遠くで声が聞こえ始める。


「神よ、今まで貴方を信じたことはなかったが、もしもいるならば、どうか俺の命を助けてくれ!あの女をこのままにはしておけない!どうか……俺に復讐をさせてくれ!!!」


……これは僕の声だ。奴隷馬車が橋から落ちた時、咄嗟に居ない神に祈った言葉だ。僕は自分の声が聞こえた方に向かって歩いてみる。次第に視界は晴れて行き、あの日の奴隷馬車が落ちた現場が見える。何故僕はここに居るんだ?まさかここは過去だと言うのか?

奴隷馬車の破片が見える。血だまりになっており、破片の下には沢山の手が見える。破片からやせた手が見えていた。その手は直ぐに僕だと分かった。


「……あり得ない」


震えた手のまま破片から僕を何とか救い出すと、僕の身体は酷く傷つき目を瞑ったまま動いていなかった。


「……まさか、死んでいるのか?」


僕は呆然と立ち尽くして、僕の姿に声を掛ける。僕の姿は血まみれで、とてもじゃないが助かる状態ではない。いや……もうすでに死んでいる。一体どうすればいいか分からない。僕がこのまま死んでいたとしたら、僕はどうなった?僕は、たった今通ってきた闇に呑まれてしまうのではないか?

咄嗟に行動していた。僕は屈んでから、僕の姿の胸に手を当てた。白い光が僕の手から解き放たれる。僕の姿は癒えていき息を吹き返したように、僕の姿は目覚めた。

僕の姿は目を覚ましたが、目の前に居ると言うのに僕のことに気づかない。

僕を通り抜けて、完全には癒せなかった足を引きずってから、僕の方に振り返って悲痛そうな表情をする。

呆然とその様子を眺めていると、奥からクロードが走ってくる。


「……っ大丈夫か!?」


僕の姿はその瞬間、倒れた。クロードは倒れた僕に向かって走ってくる。ああ、そうだ。この時の僕に伝えなくてはならないことがあるじゃないか。マリア殺しても、何も僕自身は満たされないこと。余計道に迷ってしまうことを伝えなくてはならない。僕は倒れた僕に駆け寄ってから、話しかける。


「聞け!セリオン……僕はお前に伝える。今のお前は憎しみで見えなくなっているだろうが、マリアを殺したところで、僕は満たされないんだ……殺しを原動力にして、お前は金や名声を追うだろうが、何をしたところで僕は満たされない。だからもういいんだ!!!もうそんな憎しみなんて、手放してしまえ!!!」


僕は大きく声を上げる。倒れた僕は何も言わない。クロードは僕を抱きかかえてから、歩き出す。


「聞けよ!!!いいから聞いてくれ!!!殺したところで、僕は満たされることはないんだ……お前が愛し続けたところで届かないんだ!!!だからもういいんだ!!!」


その瞬間、突然黒い煙が僕を襲い、場面が変わる。辺りを見回してみると、ここは……ここは、マリアの部屋だ。前を見ると僕の姿が、マリアに一歩ずつ向かっている。

僕の姿は、どす黒い闇に覆われていた。その姿は最早僕ではなかった。僕ではない何かだった。

僕の姿は不自然な笑みを浮かべて、マリアを床に突き飛ばす。ナイフを一度は持ったが、直ぐにナイフを床に落とした。


「こんなものじゃ生温いよな?俺の手で、殺してやりたかった。俺の両手で、お前を殺してやるよ!!!」

「駄目だ、やめろ!!!」


僕は僕自身に駆け寄った。僕の姿はマリアの首を絞め続ける。僕の姿を見ると、その姿はどす黒い闇に覆われていて、何も表情は見えなくなっていた。必死に止めようとしたが、手はすり抜けるばかりで僕の姿は止まらない。


「全てお前が悪いんだ!全部……全部だ!!!お前が俺を裏切った!その罰をお前は受けなきゃならないことは分かるよな?ははは!声も出ないか?俺に謝りたいか?そうだよな?な?お前の罪は一生晴れないぞ?死ぬまでな!だから……」


どす黒く覆われた物から、ようやく僕の姿の表情が見え始めた。僕は……泣いていた。笑いながら、泣いていた。泣きながら、マリアの首を絞めて息を吸った。


「俺のために死んでくれ!!!」


僕の姿は、最後の力をマリアにかけた。マリアは不自然に身体を揺らして、ぐったりと力を無くす。そうだ。あの日僕はマリアの心臓音を聞いていない。僕は咄嗟にマリアの心臓音を聞く。……マリアの心臓は止まっていた。

僕の姿はマリアに首飾りをかけてから、不自然に微笑んだ。


「僕からの……最後の贈り物ですよ、マリア。ずっと貴方が求めてやまなかった、首飾りを貴方の胸に……」


僕の姿がマリアから離れると同時に、僕の姿を覆っていた闇が、煙のように首飾りに吸い込まれていくのがはっきりと見えた。あれは……何だ?咄嗟にマリアにかけた首飾りを見ると、首飾りは不気味に赤く光っている。恐る恐る首飾りに触れると、突然光と共に視界が覆われた。


その瞬間、意識を取り戻した。僕がハッと目を開けると、エダンが緊迫した表情で僕を見ながら僕の肩を掴んでいた。


「……セリオン……起きたか……大丈夫か?随分とうなされていたぞ……ライアンから聞いた。セリオンの様子がおかしいってな。ライアンはお前が言ったから訓練場に戻ってきたらしいが、もしも何かあってからじゃ困るだろ?お前の家に俺が来たんだ」

「……え?……あれは……夢か?」


僕は目を何度か瞬きさせてから、僕の部屋の中を見回す。エダンは僕から離れると、ジッと僕を見てくる。


「悪夢でも見たのか?」

「……夢を見ていた……僕が死んでいて、手を当てると僕は何故か息を吹き返して……マリアが……マリアは死んでいた……」

「典型的な悪夢だな……」


エダンは安堵したように肩を竦めると、立ち上がる。僕の姿を見てから、ため息をつく。


「そういえばお前……拷問されたとか言ってなかったか?」

「ああ、マリアの屋敷に連れて行かれた時にな……」

「……何をされたんだ?」

「……水の中に頭を突っ込まれて、呼吸が出来ないようにされた。息が出来なくなってきたころに、少しだけ息を吸わせてから、また直ぐに水の中に戻す……典型的な拷問だな……」


エダンはそれを聞くと驚いたのか目を見開く。大きくため息をつくと、僕の肩にポンポンと手を置く。


「お前な……そんなことをされた後に、実家に帰ったのか?少しは休めよ」

「いや……直ぐに帰らないといけないと思ったからな。アーデルと過ごす時間も限られていた……そうだ……アーデルのことを考えないと」

「今は休め。お前が寝ている間に、俺も考えてみよう」


僕は頷いてから、再び目を閉じる。夢にしては妙にリアルな夢だった。僕の死体と、マリアの死体を思い出す。しかし、感じていた妙な感覚はやっと収まっていた。



目が覚めて起き上がると、部屋の中に居たエダンは、直ぐに起き上がった僕に気が付いたのか笑顔を向けてきた。


「ようセリオン。起きたか。体調はどうだ?」

「……ああ、大丈夫だ。今何時だ?」

「ああ、昼になったぞ」


もうそんな時間になったのか。僕が慌てて起き上がると、エダンは可笑しそうに笑った。


「はは、そんなに慌てなくてもいいだろ」

「早めに起きて、考えるつもりだったんだ」

「アーデルは逃げないさ。ゆっくりいこうぜ」

「クロードが結婚を強行しようとしたらどうする。結婚してしまうかもしれないだろ」


ベッドから出てから、部屋の中を見回す。帰ってきた時よりも綺麗に部屋が片付いている。僕がそれに驚いていると、エダンはニヤリと笑った。


「暇だったからな。部屋を片付けておいてやった。感謝してくれよ?あとは壊れた鍵も、鍵屋に頼んで直しておいた。ライアンの奴、肝心の家の鍵を直してなかったからな!はは、あいつらしい」

「……ああそうなのか……ありがとう。随分と気が利くな」

「ははは!俺は案外気が利くぞ?女に惚れられるため、色々と考えたからな!」

「その割にお前、アーデルに嫌がられているよな……」

「ああそれなんだが、考えてもよく分からない。やっぱ最初の挨拶がまずかったのか?ご立派な俺をアピールしただけなんだがな……」


エダンは苦悩したような表情を浮かべて、腕を組む。アーデルの様子から想定すると、明らかに教会前でのエダンの言葉がまずいのだろうが、こいつにそれを言ったところで伝わるかは微妙だ。僕は適当な言葉で濁しておく。


「まぁ……言葉を選べば良かったんじゃないか?ほら、女が好きそうな言葉とかあるだろ。演劇の話ではよくあるぞ?「君だけしか見えない」とかな。女にはあれがいいんだろ」

「ほーそれがいいのか?俺は男の魅力をアピールする方が最高に惚れると思うがな。こっちの方がよっぽど分かりやすい。ハンサムで背が高くて、ご立派な俺に女は惚れるのさ。ああ……アーデルだけは別だったか」

「僕は前に入っていた劇団で恋愛劇をよく見ていたから、恋愛劇には詳しいぞ。だからこそ言える。お前のそれは女に嫌われるだろうってな。僕から見たら男側が馬鹿にしか聞こえないセリフの方が好きなんだ、女は……いやこんな話をしている場合じゃない。早く計画を練らないと」


僕が部屋の中を行ったり来たりし始めると、エダンは深く頷きながら、話し始める。


「そうか!よし分かったぞ。君の尻しか見えない!と次の口説き文句では言ってみるか」

「……お前、今の話聞いてたか?」

「ん?バッチリ聞いてたぞ。それより早く飯食わねえか?腹減った」

「馬鹿野郎。計画の方が先だ!」


僕が突っ込みを入れた途端、盛大にエダンから腹の音が鳴り始める。エダンは項垂れてから、僕をジッと見つめてくる。


「腹が減ってる状態じゃ何もできないだろ……何か酒場に食いに行こうぜ……」

「……はぁ、分かった。準備をするから待っていろ」


僕が大きくため息をついてから返事をすると、エダンは「流石セリオン!分かる男だ!!!」と謎の言葉を言ってくる。僕はとりあえず着替えるため、服を探し始めた。



エダンと家を出てから、酒場までの道を二人で歩いていると、先程のエダンの言葉を自然と思い出していた。そういや男はハンサムだの体つきだのでアピールする奴は一定数は居るだろうが、女では私が美人だとアピールするのはあまり見たことがない。何となくそれを思いつき、呟いてみる。


「なぁエダン。そういや女ってあんまり自分の魅力をアピールしないよな」

「ん?そうか?俺がよく行く店ではアピールしているぞ?身体を武器としている店だからな。男の武器と女の武器の性質は違えど、どちらも最高な武器だ」

「……僕が言っているのは一般の女だ。例えばアーデルのような女だよ。あんなにアーデルは美人なのに、美人だってあんまり言わないじゃないか」

「はは、もしアーデルが女の魅力を他の男にアピールし始めたら困るのはお前だろ?口説き実戦がないセリオン君に言っておくが、夜の店の女と、一般の女だとお前が言うアーデルは同じ“女”だぞ?夜の女は自分がどんな風に見られているか分かった上で、誇りを持って金儲けに魅力を活用している。アーデルのような女は自分の魅力は分かっているんだろうが、別の部分の魅力をもっと見て欲しいんだろう」


さりげなくエダンに馬鹿にされたような気がしたので、僕は仏頂面のままエダンを睨みつける。


「お前、今僕のことを馬鹿にしただろ?これでも知識はあるんだ。知識は」

「ははは、知識じゃ実戦とは程遠いぞ?女を口説くのに必要なことは、まずは己の魅力のアピールと、相手のことを見てやることだな。ほら、お前がアーデルに惚れたところはどこなんだ?胸か?尻か?」


僕は立ち止まってから、腕を組む。アーデルの姿を思い出し、可愛い笑顔を自然と思い出す。思わずにやけてしまいそうになったが、寸での所で止めてからエダンの方を見る。


「……最初は顔だ。だが付き合っていく内に意志が強くて、笑顔が可愛い所に惹かれて……って何を言わせるんだよ」

「おいおい、何模範解答してるんだよ。胸と尻も見るだろ?」

「おい。確かに見ることは見るが、僕が惚れる基準は何も姿だけじゃない。アーデルの中身がくそ女だったら好きになんてならなかった。彼女の強さは僕にはない強さだ。純粋に凄いと思う……僕にはない優しさも彼女は持っている」

「ほー?だがお前は昔、美しい女に引っかかったとか言ってなかったか?」


エダンは自然な笑みで僕を見てくる。今、それを普通言うか?僕が過去にマリアの企みに引っかかったことに、どれだけの思いを持っているのか分からないだろうに。もう一度思い切り睨みつけると、エダンは「ははは!」と笑い出す。


「悪い悪い。お前にとってはきついことだったな」

「なら言うなよ……まだ……整理がつかないんだ。頭の中がぐちゃぐちゃしている」

「そうかそうか。よし、エダン様からアドバイスをしておこう。アーデルのような女には、意志が強くて笑顔が可愛いということをまず伝えろ。それから胸か尻をちょっぴり触らせてくれないかって頼むんだ。大抵これで上手くいく」

「……おい。お前は上手くいってないだろ。僕を失敗に追い込もうとしているな?」


僕が仏頂面のまま再び歩き出すと、エダンは後ろからのんびり着いてくる。


「エダン様は女の扱いの達人だぞ?沢山の女と付き合ってきた。同時に少しばかり失敗もしたがな。最初は警戒されても、自然と女は俺の魅力に惹かれていくんだ。そして最高に楽しい時間を過ごせた」

「何だ、それは自慢のつもりか?」

「はは、女についてアドバイスが出来るほど、最高の経歴とステータスを持っているエダン様の言うことをきちんと聞けば、お前はアーデルとは付き合えるだろうさ。ま、問題はそこからだがな」


僕が「はぁ?」と呟いてからエダンの方に振り向くと、エダンは歩きながら僕に話してくる。


「お前はアーデルと今後どうしたいんだ?一夜限りの関係か?それか、彼女にしたいのか?」

「っ……おい。一夜限りなわけねえだろ!そりゃもし付き合えたら……自然とそうなったらいいとは思っているが……それからほら……で、デートとかな。そんな感じで……いや、さっきから僕に何を言わせるんだよ」

「ほー?なら最終的にアーデルと結婚でもしたいのか?お前には今アーデルしかいないが、アーデルには他の男も居るぞ?」

「……さっきから僕をけなしたいのか、何なのかはっきりしろよ……それとアーデルは貴族だ……結婚は厳しいだろ」


エダンの方を見ると、エダンは思わせぶりにニヤニヤしながら、僕の肩に手を置く。


「いいか、まず俺こそが最高だっていうことをアピールしなきゃならない。他にはない魅力を見せつけるんだ。それからが分かれ道だ。一夜限りならそこまでだろうが、先に行きたいならもっと考えないとな。女と付き合うことは案外難しい技が必要だってことを知っておけよ。エダン様のように口説きマスターまでは、まだまだお前は程遠いさ」

「はーん?本当にお前がマスターしているとは思えないけどな。そもそもお前は何人の女と付き合ったことがあるんだ?」

「ああ、そういや数えたことないな。片っ端から気になったら女に声掛けまくってたからな!昔夜の店で女に声を掛けた時、どういう訳かエダン様お悩み相談室が開催されちまってな。遊びに行ったはずが、女に悩みを相談されたこともある。ま、最高のムードを作れたから結果的には良かったが」


エダンは昔を思い出すようにしみじみと語り出す。何故女はこいつなんかに悩みを相談したんだろうか。こいつに悩みを相談したところで一体何に……


(いや……案外こいつ、的を得たことを言ってるような……)


エキストラ劇団で不幸話に群がる人々を見下して優越感に浸りながらアーデルに二回目に演劇に招待し、ローガンに邪魔をされた次の日、エダンに「お前自身で縛り付けた物に囚われ続けると、いつか自分を見失うぞ。昨日の観客席の人々のようにな」と言われたことを急に思い出す。

まさにエダンの言う通りで、僕は気づかない内に観客席に座って僕自身を見惚れるように見ていた。

エダンには最初から僕の姿が分かっていたのかもしれない。あの時の僕にはその言葉の意味が分からなかった。


「エダン……お前って案外分かってるんだな」

「ん?何がだ?」

「……人のことだよ。僕のことも前から見抜いてたんだろ?前に僕に観客席のような人々になってしまうって言ったことがあるじゃないか」

「ああ、そういやそんなことも言ったな。それを俺に言うってことは、今のお前はそれに気づいたんだろ?ならいいじゃねえか」


エダンは笑いながら「おっ酒場に着いたぞ」と前を見ている。エダンのことは妹の悩み以外は、調子に乗っている馬鹿な奴だとばかり思っていたが、実は真の馬鹿ではないのかもしれない。


僕たちは目当ての酒場に入ってから、テーブル席につく。この酒場は昔演劇のネタ探しと演劇を披露するためによく訪れていたことがある。顔見知りの酒場の店主に軽く会釈すると、酒場の店主の男は「おっ!」と僕を見て笑った。


「坊主、久しぶりじゃねえか!元気にしていたか?」

「お久しぶりです。まぁ、元気でした」

「はは!そうか!もうここでは演劇しなくなっちまったのか?常連の奴らが、またお前の演劇を久しぶりに見たいって言ってくるんだ」

「そうですか……今の僕はフリーなので、また考えてみます」


店主の要求に答えを濁してから、いつも頼んでいたメニューを注文すると、エダンは店主を見てニヤリと笑う。


「この酒場に来たのは結構前だったな。酒のメニューって何か変わってるか?」

「おっ兄ちゃんのことも覚えているぞ!とことん馬鹿騒ぎしてくれたからな!メニューは酒なら有名どころは何でもあるぞ!何でもだ」

「ははは!酒場での馬鹿騒ぎは、最高のパーティになるだろ?なら、とりあえずエール一杯だな。それと今日のおすすめメニューも頼む」

「はは、メニューを聞いた意味がないだろ!エールならどこの酒場でもある。ま、座って待ってろ」


店主が笑いながら去っていくと僕は腕を組んでから、エダンの方を見た。


「とりあえず今の現状を整理しなきゃならないな。アーデルもそうだが、連れ去られただろうベルとフィオナも心配だ。あの警備兵にもし拷問でもされたらまずいことになる。どうやって見つからずに、アーデルの屋敷にたどり着くか……」

「ああ、そうだな。俺も考えてみたんだが、どうやれば貴族街に潜入できるか、さっぱり思いつかなかった。お前は何か考えついたか?」

「……いいや、全くだ。こういう時は、まず情報収集をするのが典型例だな。果たして、平民の中に貴族に詳しい奴がいるのか?」

「あー……こう考えても思いつかない時には、片っ端から聞いてみるしかねえかもな。おっそこのお嬢さん!尻も素敵ですが、貴族街について詳しいですか?」


エダンに声を掛けられたこの酒場で働いている女は、明らかに嫌そうな顔をしてから、警戒心の強い瞳でエダンを見る。


「えっと何ですか?貴族街?」

「はい、そうです!絶対に見つからないように貴族街に入る方法なんて知りませんよね?」

「……は?」

「おい、エダン!この馬鹿!!!いや、何でもないです。すみません」


僕が慌てて女に謝ると、女は警戒心の強い視線を向けたまま去って行った。僕はエダンに小声で話す。


「おい。分かってるのか?情報を聞くのは、もっと慎重にやらなきゃならん。僕たちは今貴族への犯罪をしようとしてるんだ。もし警備兵に告げ口でもされてみろ!」

「そうなのか?情報を聞くだけだろ?」

「どこから漏れるか分からんだろう!!!慎重にやらないと駄目なんだ。いいか?羊皮紙に聞くことを書いて、情報を聞きたい相手にそっと手渡す。手には金貨を隠し持ってな。金貨を手からちらりと見せることで、情報をくれれば金貨を渡すという意思表示をするんだ。相手が目配せなりしてくれば成功だ。ここの場合は酒場の裏に呼び出してから、情報を聞いて金貨を渡す。取引完了だ」

「ほーなるほどな。随分と回りくどいことをするもんだな」


エダンは退屈そうに僕の話に頷く。やはりこういう所は、馬鹿は馬鹿だ。情報を聞くと言うのがどれだけ危険な行為なのか、こいつは何も分かっちゃいない。

そういえば昔、マリアに聞いた貴族街への侵入ルートは、マリア一家に全て手配されていたのだろう。今思えば、警備兵が1人も居ないなんてあり得ない。僕はとことん馬鹿だった。

昨日カーティスに連れられて貴族街に行った時、しっかりと馬車から貴族街の警備兵の数を確認したが、警備兵の数は多く警戒心は強そうだった。


僕が目を閉じて思考していると、店主がやってきてテーブルの上に料理と酒を置いていく。


「ほら、坊主の分のエールはサービスだ。坊主、酒は頼まなかっただろう?酒は誰かと一緒に飲むと、もっと美味いんだ」

「えっああ……ありがとうございます」

「はは!遠慮すんなって!」


ここの店主は人との距離感が結構近い。僕が曖昧に笑っておくと、店主は機嫌よく去っていく。さっそく来た料理にエダンは直ぐにがっつきはじめて、僕はそれを見てため息をつく。


「お前は随分と呑気なもんだな。こっちは真剣に考えてるんだぞ?」

「おいおい、まずは食えよ。それから考えようぜ」

「……はぁ。そうだな」


ため息をついてから、僕も食事に手を付け始めると、酒場の入り口の方から騒々しい声が聞こえ始めた。


「ねぇ、ジム。どうしたらいいの?いきなり貴族からの要望なんて聞いてないわよ……あたしたちの劇団で出来るの?」

「リリー、こういう時は気を強く持つしかない。まさかお忍びで観に来た貴族に気に入られるとは思ってなかったが……もし貴族の屋敷に行って、なんかやらかしたら死刑だよな?」


……どこかで聞いたことがある声だ。直ぐに顔を見上げてみると、最初に入った劇団の副リーダージムと、女言葉を使う男リリーにバッチリ目線が合う。何故こんなところで昔の劇団の奴らに会うんだ。これは何だ、何かの嫌がらせか?

ジムとは割と最近に会ったが、二年前演劇のリハーサルの時に散々喧嘩腰で言い合ったリリーとは、できれば会いたくない関係だ。

それはリリーも同じだったのだろう。僕を見つけた途端、顔を思い切り顰めた。


「……ジム。他の店にしましょう。いいわね?強制よ」

「おい、ちょっと待て。これはチャンスだろ!お前らずっと、このままのつもりか?」

「このままでいい時もあるの。私はこの男とはぜっっったいに分かり合えないわ。ほら、行きましょ」


リリーは必死にジムの腕を引っ張って酒場の外に出て行こうとする。僕は先程のリリーの会話を聞き逃したわけじゃない。

まさか、ジムとリリーの劇団で、貴族の屋敷に行こうとしているのではないか?

僕は慌てて立ち上がると、リリーを呼び止める。


「リリー、待ってくれ!!!今貴族について言わなかったか?」

「……は?何?言ったけど?それで?あたしたちは他の酒場に用事があるの。貴方なんかと話してる場合じゃないから」


リリーは無表情のまま酒場から出て行こうとしたので、僕は走ってリリーに追いついてから手を掴んだ。リリーは驚いて、僕を見つめてくる。


「お願いだ。待ってくれ。僕は今貴族の屋敷に行きたいんだ。もしかしたらそっちの劇団で貴族街に行くつもりなのか?」

「ええ、行くつもりよ。それで何なの。まさか一緒に行きたいの?はっ馬鹿じゃない?行くなら貴方1人で行けばいいでしょ。まぁ違法になるかもね。あたしたちは特別な通行証が貰えたから堂々と行くのよ。捕まりたいならどうぞご勝手に」


リリーは大きく振って僕の手を無理やり放すと、挑発するように舌を少し出してから酒場を出て行こうとする。僕はそれでも負けずとリリーに声を掛ける。


「待ってくれ……リリー、あの時はすまなかった」


僕はリリーに向かって、頭を下げる。リリーは僕のした行動に驚いたのか、目を大きく見開いて立ち止まった。


「……え、ちょっと何なの?急に」

「僕はあの時、心ないことを君に言ったな。女言葉を男が使うなんて可笑しいと、固定価値観でな……僕は君の言う通り、自分の名誉のことしか考えてなかった。あのリハーサルの日、君に図星なことを言われて悔しかったんだ。だからついカッとなった。あの時僕は、僕の価値観で全部他人を枠に収めようとしてたんだ。だから勝手に決めた“普通”と違う他人が、許せなかった。でも今は僕の方が馬鹿だったことが分かる。だから……本当にすまない」


この言葉は貴族の屋敷に行きたいから出た言葉じゃない。僕の本心だ。やっと今になって、過去に僕がやってしまったことを知り、リリーに本当に悪いことを言ったんだと気づいたんだ。

僕がもう一度深々と頭を下げると、リリーは動揺したのか、「えっちょっと……」と、焦ったように呟く。


「何で今更謝るのよ……ねぇ、ジムどうしたらいいの?」

「それは、お前が決めるべきなんじゃないか?リリー、お前が最初にセリオンに仕掛けたことは確かだ。更にセリオンは、心ないことをリリーに言ってしまった。だがセリオンは素直に謝ってきた。お前はどうしたいんだ?」

「……それは……確かにあたしも一方的に嫌って、悪かったわよ……実はずっとセリオン、貴方が劇団に入ってから、貴方に何処か嫌われてるって気づいていたから……だからあたしも反発心が湧いちゃったの。でもこういう時ってどうしたらいいか分からないわ……」


ジムはリリーと僕を交互に見てから、「よし!」と大きく声をあげる。


「これならどうだ?リリーずっと悩んでいることがあるって言ってたろ?昔お前が世話になったあの親子の家庭のことだよ」

「ええ、あるけど……あの家族、あんなに良いお父さんが亡くなっちゃってそれから元々こもりがちだった娘さんがもっと……いえ、それを言ってどうするつもり?」

「セリオンに助けを求めたらどうだってことだ。もしかしたらあの家庭の娘さんに、もう一度明るい笑顔を取り戻せるかもしれないだろ?セリオンは俺らの劇団を出てから、実力者として演劇をやってきたようだ。娘さんの笑顔を取り戻せても取り戻せなくても、セリオンはお前に協力をしてくれた。それで結果的に許してやったらどうだ?」


リリーは腕を組んでから、暫くの間考え込む。ジムは「座って考えようぜ」と声を出し、僕たちが座っていたテーブル卓の直ぐ隣のテーブルの椅子に座りだす。僕とリリーもとりあえず席についてから、お互いに顔を見合わせる。


「リリー、セリオン。お前たちのことはあの時から気にしていたんだ。俺はお前たちはきっと仲良くなれるはずだと思っている。さっき聞いたが、セリオンは貴族の屋敷に行きたいんだよな?」

「ああ、そうだ。僕はとある事情で貴族の屋敷に行きたいが……公の通行証なんてものは持ってないんだ」

「なら丁度良かったな。三日前に、俺たちの劇団にある貴族の娘さんがお忍びで観に来てな……えらく娘さんに気に入られて、俺たちは貴族の許可を得て貴族街に行くことになったんだ。娘さんの屋敷のパーティで、演劇を披露するためにな。そこにセリオンが着いてきてもいいが、お前たちの仲を取り戻すために俺が条件を敢えて出そう。リリー、話してくれ。あの親子の家庭のことを」


リリーはジムを見てからため息をつくと、僕の方に視線を向ける。


「いいわ。あたしは昔とある家族にお世話になってね。特にその家族のお父さんにお世話になったの。セリオン、貴方が入る前に私が自分の演劇の実力に自信を失っていた時……家族であたしの演技を楽しみに観に来てくれて、その家族のお父さんが特にヒロインの役がいいって、これからも応援してるって、毎回言ってくれて差し入れまでくれたの。でもある日観に来なくなって、心配していたらある日……あたしたちの劇団にお母さんと娘さんだけが来て、「夫は突然病気で亡くなりました」って……」


リリーはそこで目を伏せてから、膝の上で両手を握りしめる。


「本当に現実って残酷よね……あんなに仲良さそうな家族だったのに……あたしはお父さんのお墓参りに行かせてくださいと、無理言って一緒に行かせて貰ったけれど……娘さんがずっと無表情のまま何かに耐えてるようだったの。あたしはそんな娘さんのことを放っておけなくて、よくその家族の家に行くようになったんだけど、娘さんの心は開かなくなってしまった。元々平民街の学校でいじめられがちだったそうなのよ……」


リリーは一気に話すと、押し黙ってしまう。ジムは咳を零してから、話し始める。


「……というわけだ。なぁセリオン。お前の様子を見ていると、直ぐに貴族の屋敷に行きたそうだが、どのみち俺たちが貴族の屋敷に行く日は三日後だと決まっている。リリーの世話になった家族の娘さんを……何とかできないか?」

「三日後か……結構日数が経ってしまうな……その娘さんとやらが、どれほどの状態なのか分からないから、何とかできるかどうかはまだ判断つかない。だけど……やるだけやってみるよ」

「おお!!!やってくれるか!!!そりゃ良かったよ……」


ジムはホッとしたように息をつき、リリーは何処か居たたまれなさそうにぶつぶつと呟きだす。


「別に……もし無理だったらいいのよ?あたしがあの家族に勝手に感情移入してやってることだし……」

「いや、大丈夫だ。僕は君に酷いことを言った。言葉だけでは謝れないことだ。だから、やってみるよ」

「……急にどうしたのよ……随分と昔と変わったわね、貴方……ああ、もういいわ。ごめんなさい。あたしも悪かったわ……一方的に嫌ってごめんなさい」


リリーは突然頭を下げる。僕は首を横に振ってから、リリーに目線を向ける。


「色々とあってそれから僕は……自分自身を見つめなおしたんだ。リリーが心配している家族のところに行ってみるよ。もしそれで僕が何もできなかったらすまないが……」

「あーなんか貴方のそんな言葉聞いていると、変にむずがゆくなっちゃうわ!もういいわ!店主さん!あたしに一杯頂戴!!!」


リリーが手を挙げて店主を呼ぶと、店主は「あいよ!!!」とリリーの方にやってくる。リリーとジムは店主に次々と料理名を言い始めたため、僕は再び料理に手を付け始める。

とっくに食べ終わっていたエダンは僕の方を見て、ニヤリと笑ってくる。


「そこの奴らは誰なんだ?何かあった間柄か?」

「前の前に入っていた劇団の人たちだ。僕が初めて入った劇団だ。そこで昔、ひと悶着あってな。僕はそれを謝らないといけなかった」

「そのリリーって奴が心配してる家族のところに、お前が率先して行くのか?」

「なんだ、悪いか?別にお前は来なくてもいいぞ。僕がリリーに協力してリリーに謝る……それからアーデルの屋敷に行けるだろう」

「面白そうなことには俺は着いて行く。だから俺も行くに決まってるだろう?」


エダンは笑いながら店主に「もう一杯頼む!!!」と大声を出す。昼間から良くそこまで酒を飲めるものだ。


それから僕たちは食事を終えてから、金を払って酒場を出ると、リリーとジムと、僕とエダンとで顔を見合わせる。ジムはエダンの方を見てから、僕に声を掛けてきた。


「そういや、セリオンの隣にいる奴は誰なんだ?」

「ああ、これは……」

「俺はエダンだ!セリオンのダチだ。俺のことはどんな女も俺に惚れる、最高にハンサムな男と覚えてくれれば分かりやすいだろう。どうぞよろしく!!!」

「え?あ、ああ……よろしく。俺はジムだ」


ジムは若干引き気味に答える。隣に居るリリーも引き気味にエダンを見ている。全く気付いてないエダンは笑顔でリリーにも声を掛ける。


「リリーって言うんだよな?よろしく!!!俺はエダンだ」

「えっええ……よろしく」

「気軽にエダンって呼んでくれよ!これからその家族の所に行くんだろう?俺も着いて行っていいか?」

「ええ、いいけど……暇になるかもしれないわよ?それでもいいなら」

「その家族のことが俺も気になり始めたからな!よし、着いて行かせて貰うな!」


エダンはテンションをいつものように上げながら、歩き始める。僕はエダンの様子を横目で見てからリリーに声を掛ける。


「その家族の家は一体どこにあるんだ?」

「あたしたちの劇団の練習場から、ちょっと進んだ所よ。案内するわ。それと……娘さんだけど、多分貴方が想像しているような、大人しい性格じゃないから注意してね。娘さんの名前は……“エルバ”よ」

「エルバか。分かった。その子は、何が好きとかあるか?演劇を何か見せたら、少しは気持ちも楽になるんじゃないかと思うが……」

「好きな物……何なのかしら……あたしも気になって、その子のお母さんに聞いてみたんだけど、結局分からなかったわ。お母さんも娘さんのことに参っちゃってるようで、毎日教会に通っていて鬱気味なのよ……ちなみに娘さんの年齢は14歳よ。ぱっと見10歳くらいに見えるかもしれないけど、14歳の女の子だからね」


リリーは年齢に念を押してきたため、僕はそのことを気になって聞いてみる。


「14歳のことは分かったが……何でそこまで年齢を念押すんだ?」

「年齢を低く見られるのが嫌いな子なのよ……学校でその事で、同学年の女の子達からいじめられたらしいの。典型的な仲間外れね。私もその気持ちは分かるの……同じような目にあったことがあるから。人と少し違うからって直ぐに仲間外れ。今も昔も変わらないわよね」

「……そうか……14歳と言えば、後1年で学校生活は終わりだろ?学校は行ってないのか?」

「ええ。お父さんがいる頃は、少しは行ってたらしいんだけど、亡くなってしまってからはずっと……あたし何度も笑わせようとしたのよ?でも無理だった。だから貴方も無理しなくていいからね」


リリーは気落ちしたように、肩を落とす。僕が何か言おうとすると、突然前の方から走ってくる足音が聞こえる。


「おっ!!!エダンさん!!!それにセリオンじゃないか!!!」


声の聞こえた方を見ると、ジャックが笑顔のまま此方にやってくる。エダンは「よっジャック!」と片手を挙げると、ジャックは嬉しそうにエダンの方にやってくる。


「エダンさん。まさかこんな所にいるとは……今日から訓練してくれるって約束だっただろう?セリオンと何かあったのか?」

「ようジャック。お前も来るか?これからセリオンが14歳の女の子を助けに行くんだ」

「え?どういうことだ?」

「おい、エダン。誤解を招く言い方はやめろよ……実は、前の前に入っていた劇団の人に協力をする必要があってな。ある家族の家に行かないといけなくなった」


ジャックは僕の話を聞いて納得したように何度か頷くと、僕の方に顔を向ける。


「おお、なるほどな?アーデルだけど、貴族の屋敷に帰っちまったとエダンさんに聞いたんだが、大丈夫なのか?」

「ああ、分かっている。アーデルに会うために、まずはこっちの問題から解決しなきゃならないんだ」

「そうか……何だか分からないけど大変そうだ。よし、エダンさんが行くなら俺も行くよ」

「別にお前は部外者じゃないか……」


呆れたようにジャックに言うと、エダンは「ははは、別にいいじゃねえか!」と言い出す。

リリーに顔を合わせてみると、「まぁ別にいいわよ」と言われたため、僕は腕を組んでからジャックに顔を見合わせる。


「まぁ、来てもいいか。何がその子の心を開かせることになるか分からないしな。僕は子供に対してそういうことをするのは初めてだ……いつも演劇は大人相手だったからな」

「何、心を開かせるだって?女の子のか?」

「ああ、そうだ。14歳の女の子で、家に引きこもってるらしい。学校で傷ついたんだと……ジャック。お前ならどうする?」

「そうだな……女の子の心を掴むことに関しては、俺は得意だぞ!ほら、お前もよく分かってるだろう?これでも昔は村の女の子に……あー今は……全員に嫌われちまったか……」


ジャックは分かりやすいほどに肩を落としたため、流石に僕も同情心が湧きジャックの肩に手を置く。


「起こったことは仕方ないだろう。これからいつでも挽回できる」

「はは……的確なアドバイスありがとよ……そうだな、これから挽回だ!」


ジャックはやっと顔を上げると、意気込むように何度か頷きだす。

それから僕たちは道なりに進み、ようやくリリーが言っていた家族の所に着くと、リリーは家の前に立ってから僕の方に振り向いた。


「いい?気を付けるのよ。もしエルバちゃんの機嫌が悪い日だったら、大変だから」

「機嫌が悪い日だったらどうなるんだ?僕は何かする必要があるか?」

「いえ、何もしないで……とにかく防御よ。防御してね。さて、エルバちゃんのお母さんはいるかしら……」


リリーが扉を何度か叩くと、少し経ってから扉がゆっくりと開く。そこから1人の黒髪の女性が出てくる。目は虚ろでリリーを見るなり「あら……」と呟いた。


「リリーさんじゃない……よく来てくれたわね。あの子なら部屋よ……ねぇもういいのよ?貴方は十分やってくれたわ……」

「お疲れみたいね……実は、エルバちゃんの笑顔を取り戻すために、助っ人を呼んだの。もう一度やってみたいわ。お願い!」

「あら、そうなの……沢山の人達ね……おもてなしできるかしら……どうぞ入って下さい」


黒髪の女性は気落ちしたような虚ろな目線を僕たちに向けると、扉を開ける。この様子だとかなり参っているのだろう。僕たちが家に入ってみると、家の様子は想像した以上に酷かった。

家は荒れ果ててあちらこちらに物が散乱している。しかし、よく神話の絵で描かれるリネノール神の姿で作られた像が置いてある棚だけは、丁寧に整えられていた。

辺りを見回してみても、肝心のエルバという子の姿は見えない。

リリーは、女性に声を掛ける。


「エルバちゃんは、自分の部屋にいるのね……」

「ええ……今日も娘は物を手あたり次第投げてみたり、壁をひたすら殴ってみたり……リリーさん、気を付けてね」


女性は奥に歩いて行き、扉の前に立つとノックする。僕たちは自然と構えた。先ほどの母親の話によると、相当狂暴的な性格の女の子かもしれない。

母親は部屋の中に居る子に、声を掛ける。


「エルバ?入るわよ?」

「入ってこないで!!!」

「ほら、リリーさんが来てくれたわ。開けるわよ」


母親が扉を開けた途端、突然クッションが扉の方に飛んでくる。母親が慣れた様に物を受け止めると、部屋の隅でうずくまって顔を見せない小さい女の子に「エルバ」と声を掛ける。

エルバの部屋の壁を見てから、僕は思わず固まってしまった。

木造の壁一面に「死ね」と文字が刻まれている。刃物で壁に文字を刻んだのだろうか?死ね、死ね、死ねとひたすら同じ言葉が刻まれている。乱暴に書き殴ったように少女の悲痛の叫び声が、壁一面から主張されている。

驚いたまま壁を見つめていると、少女は何度も髪を掻きむしるようにさせてから、ようやく顔を上げた。僕と目線が合ってしまい、小さな少女の視線だというのに、僕はたじろいでしまう。少女の瞳に光は見えなかった。少女の瞳は「闇」そのものだった。


リリーはエルバにゆっくりと近づいてから、少女の前で屈んで笑顔を向ける。


「エルバちゃん。こんにちは。今日はね、あたしのお友達も来てくれたわ。良かったら挨拶を……」

「リリー……また来たの?何度来ても無駄。私は出て行かない。出て行って!!!」

「エルバちゃん、お願いよ……後ろの人たちはね、あたしの劇団の仲間のジムと……」

「出て行けって、言ってるでしょ!!!」


エルバが大きく声を荒げた為、リリーはびくりと身体を揺らせてたじろいでしまう。流石に見かねたのか、エルバの母親がエルバに優しく声を掛ける。


「エルバ。リリーさんに何て態度なの……ねぇ、こんなに沢山の人が、貴方を心配して来てくれたのよ?そろそろ私と教会に行ってみましょうよ……そうすれば貴方も神に救われて……」

「はぁ?神なんて居ない!!!ママは馬鹿だ!!!いつまでも居もしない神に頼ってばかりで、自分では何もしないじゃない!!!それに教会なんて、ただで幸せを願う屑で馬鹿共が行く場所って分かってる?あそこは“弱者”が行く場所!弱者!ねぇ分かる?ママも弱者なの!私は弱者になんてなりたくない!だからこのままでいい!」

「エルバ、教会はそんな場所じゃないわ。私たちは神を想い感謝することで、神に繋がるのよ……神に繋がればエルバも……」

「神なんて居ない!!!ママはいつまで“神様”で妄想してるつもり!?出て行け!!!早く出て行けえええええ!!!」


エルバは叫び声をあげて、母親に向かってそこらにあった本をぶつけていく。僕の方にも本が飛んできたため、何とかそれを受け止めると、その本の表紙の手書きのタイトルを見て、驚愕してしまった。


(私の価値と証明……?おい、嘘だろ……)


まるで僕が昔書いた日記のタイトルじゃないか。前にエダンにアーデルの前で読まれた日記のタイトルとそっくりだ。こっそりとその本を隠し持つと同時に、エルバの母親から「出ましょう」と大きく声を掛けられて、僕たちは部屋から出て行く。

怒声と共に何とかエルバの部屋の扉を閉めると、僕たちは同時に息をついた。

ジャックは半笑いの表情で、声を出す。


「何か……凄い狂暴的な女の子だったな……あっ!すみません……」

「いえ、いいのよ……エルバはね。昔は良く笑う子だったの。でも学校でいじめられて、心を閉ざすようになって……それでも夫が居る時はまだ良かった。でも……今は……」


エルバの母親は泣きそうな目をしながら、口を閉ざしてしまう。それからテーブルの前に置いてある椅子に座ると、首を横に振った。


「もう無理だわ……何度も私は神に祈った。私の声は神様に届かないのかしら……エルバは救えないというの?神様を私はずっと信じていた。でももう……見放されてしまったかもしれないと、最近では思うのよ……」


気落ちしたエルバの母親にエダンが近寄ると、にこやかに笑顔を向ける。


「大丈夫です!!!今は俺たちが来たじゃないですか。俺たちがお嬢さんの笑顔を取り戻してみせましょう!!!な、そうだろ?セリオン」


何故そこでエダンは僕だけに話を振るのか。エルバの母親や、リリーが気落ちするのも無理はない。あの女の子はかなり厳しい所まで闇にハマってしまっている。仕方なく、エバが投げつけてきた本を広げてみる。手書きの文字でエルバの想いが綴られていた。


『私の価値と証明は簡単にできる。私をいじめてきた、あの女共を見返してやることだ。今はここに居るが、いつか必ず見返してやる。私は誰よりも勉強して、社会の頂点に立ってやる。そうしてあの女共に言ってやるんだ。「どうだ!私はここまで来た!お前らが到達できなかった頂点まで!」と。それから笑ってやるんだ。お前らに勝ったぞって笑ってやる。あのくそ女共は私をいじめたことを後悔するだろう。あのくそ共は、私を散々否定してきた。私に突然怒鳴ってきた!私を仲間外れにした!お前の居場所なんてないと言ってきた!私の大好きな女友達のあの子さえ……私を否定したんだ』


何処かで見たことのある文章だ。この憎しみは、僕の抱えていた憎しみにそっくりじゃないか。僕は驚いたまま次のページをめくってみる。


『あの子の別れの言葉は突然だった。私はあの子を信用していたのに……あの子は他の女の子の友達の方がいいって言ってきた。それからは知らんぷりだ。ずっと本当の姉妹みたいに仲良くしていたのに……私が一体何をしたというの?あの子の誕生日に私が贈ったプレゼントのキーホルダーは、ずっとあの子の鞄についていた。なのに急にその言葉を告げられた次の日、学校のゴミ箱に捨てられていた。それからあの子は他の女の子に微笑んで、私を見た途端、冷たい目で見てきた。私の……私の居場所はなくなった』


あの子とは、エルバの友達だろうか?この文章から想像すると、エルバは突然、他の女の子の方がいいと友達に別れを告げられて一人ぼっちになったのかもしれない。そして誕生日プレゼントに贈った物をゴミ箱に捨てられたと……これはますます僕そっくりの境遇だ。

この子は女の子であるにも関わらず、女を憎んでしまっている。そして僕そっくりの発想をして、自分をいじめてきた女達から勝とうとしているのだろう。

だが……この子の胸にずっとあるのは、いじめてきた女の子よりも、“あの子”のことだと僕は直ぐに分かってしまった。

何故なら僕も同じだからだ。最も人にとって傷つくことは、「愛の裏切り」だ。エルバの場合は友愛で、僕の場合は恋愛だ。だがどちらも愛には変わりない。

どれほどエルバは辛かったのだろうか。14歳という幼い歳で父親も居ない状況で、ずっと部屋に籠り、自分を否定し続けている。


僕は静かに日記を閉じてから、黙ってしまったエルバの母親に目線を合わせる。


「もう一回娘さんの部屋に行ってもいいですか?できれば、僕1人で」

「え、ええ……いいけれど……でもエルバは危害を加えてくるかもしれないわ」

「大丈夫です。何故か僕がこの子に声を掛けないといけないって思ったんです。だから僕に行かせてください」

「ええ、分かったわ。貴方お名前はなんて言うの?あの子を見放さないなんて凄いわね……母親の私ですら、あの子をどうしたらいいか迷っていたというのに……」

「僕はセリオンです。きっとこの子は……また光の方に戻ってくれると思います。僕が行ってみます」


僕は母親に目線をしっかりと向けると、エルバの母親は泣きそうな表情をして頷いた。リリーは驚いた様に声を掛けてくる。


「本当に?あの子を救えるって思うの?あたしはもう今回の事で……正直諦めてしまいそうになったのに……」

「まずは全力で頑張る。声を掛けてみないと分からないだろ?あの子は光の方向に戻ってくるかもしれないし、戻ってこないかもしれない。でもまだあの子の心には掴める部分がある。だから僕は……あの子の光を取り戻してみせる」

「あら、本当に貴方に何があったの?随分と言うようになったじゃない」

「考え直す機会があったんだ……とにかく行ってみるよ」


僕はリリーに笑顔を向けてから、エルバの部屋の扉の前に立つ。ノックを何度かしてみるが返事は返ってこない。静かに扉を開けると、エルバは先程と同じ場所でうずくまったまま泣きじゃくっていた。僕は扉を閉めてから、ゆっくりとエルバに歩み寄る。


「……エルバ。僕はセリオン。リリーのお友達だ……挨拶をしてもいいかな?」


エルバに声を掛けてみるが、エルバは泣きじゃくったまま何も言わない。僕はエルバの前で膝をつくと、顔を俯かせたままのエルバにもう一度声を掛ける。


「そのままでいいから、聞いてほしいんだ。さっき君の日記が僕の方に飛んできたから……だから君に黙って僕はその日記を見てしまった」

「……は?何をやってるの!?」


その言葉で、ようやくエルバは顔を上げてくれた。エルバの顔面は涙にぬれてぐちゃぐちゃで、髪はボサボサだ。目は虚ろのまま敵意を持った視線で僕を見つめてくる。


「黙ってみたことに関してはすまない。でもこれには……興味深いことが書いてあった」

「……っ返してよ!!!返せ!!!」


エルバは突然僕に掴みかかると、僕が持っていた日記を無理やり取る。僕が特に抵抗もせずにいると、エルバは息を大きく荒げた。


「何なの!?リリーも変な男を連れてくるんだから……それで?人の日記を盗み見て清々した?」

「清々はしていない。僕はその日記を見て君に話したくなった」

「何を話すっていうの?私の想いはもう止められない。絶対に社会の頂点に立って、誰よりも凄い人になって、皆を見下ろすんだから!だから邪魔しないで!」

「邪魔をするつもりはないよ。だけど僕は……君の本当の望みを知りたかった」


僕がそう言うとエルバは怪訝そうに眉を寄せる。僕は女の子の瞳にしっかりと目線を合わせた。


「君はずっと、ある女の子のことで傷ついているんだろう?友達の女の子が君を裏切り、他の女の子の元に行ってしまった。そうじゃないのか?」

「……そのくそ女は私とずっと仲良くしていた癖に、私を裏切った。だから悪いのはあの女よ。それから私は突然他の女にも目を付けられて……私はずっと……いえ、何で貴方にこんなこと言わなきゃならないの!?」

「そうか……君はその女の子のことが大好きだったんだろう?そして……何処かで裏切られたのは自分のせいだったかもしれないと思っている」


エルバは僕の言葉を聞くと目を大きく見開いた。僕はエルバに目線を合わせたまま、言葉を続ける。


「このちっぽけな部屋で、ずっと自分を責め続けている。君の日記と、壁一面に刻まれている文字を見た時……僕には君が他人事とは思えなくなった。自分なんか消えてしまえばいい、私は価値のない人間だ。だから価値をもっと高めなくてはならない。その価値を証明するには、社会の価値観を利用するのが一番だ……価値を高めていけば、いつか自分の心が満たされるかもしれないと……そう思っているんだ」

「……っなっ……何なの……何でそんなことが貴方に分かるって言うの!?」

「……僕も同じだったからだ」


僕がエルバに目線を合わせていると、エルバは少しだけたじろいだ。暗い瞳にほんの少しだけ光が見えた。


「僕はある日から社会の価値を求めた。僕は劇団の役者になって全部1人でやろうとした。社会の価値を求め続けても、心が満たされなかった。苦しくなって、僕はある人に自分自身の体験を演劇して見せたんだ。僕はずっと死にたかったから、僕の話を見せることで答えが得られるだろうって思ったんだ」


僕は立ちあがって、丁寧にエルバの前でお辞儀をしてみせた。エルバは驚いたように僕を見つめる。


「君に見て欲しい。あの日の演劇を……これは僕自身の実話であり、僕の傷ついた心の全てだ。僕には愛していた女の人が居た……名前は、マリアだ。君に僕自身の話を演じて見せてもいいか?」


マリアに関する話は、14歳の子供向けの内容でないことは分かっている。だが僕は見せるべきだと思った。僕はプロだ。精神的ショックを与えないように、演技することはできるだろう。エルバは僕をジッと見つめて、頷いた。


「リリーの友達なんだよね?貴方も役者だったのね……いいよ。見せて欲しい」

「……ありがとう。題名は「愛するマリアよ、永遠に」……この話は僕自身の全てだった」


僕はもう一度丁寧にお辞儀をしてから、演技をする前に目を瞑る。

公園で隣に座っていたマリアの姿を自然と思い出す。そして僕は……あの日マリアとベンチに座っていた僕自身の方を見つめた。僕の表情は笑顔だった。一心にマリアを見つめている僕を見る。

僕は目を開けて小さな女の子のエルバを見つめた。笑顔を向けて、僕は過去の話を演技し始める。

演技が始まると、エルバは熱心に僕の話を聞き始めた。僕はマリアと僕を演じていく。

奴隷馬車に乗せられて、僕が復讐を決意したところまで演じると、エルバは信じられない物を見たかのように驚いて僕を見つめる。

いつも演技をしている時は世界に完全に入っていたから、こうして観客達の目を客観的に見つめるのは初めてかもしれない。こんな表情をして観客達は僕を見ていたのか。

クロードに助けられカーティス家に行った後マリアの屋敷に向かい、マリアの部屋に行くところまで演じてから、僕は突然演技を辞めた。

エルバは僕の行動に驚いて、僕を一心に見つめる。


「それで?それでどうなるの!?」

「……君はどうなったと思う?」

「当然そのマリアって貴族の女を殺したんでしょう?そうよね?そして復讐は果たされてハッピーエンド!貴方の心も満たされたんでしょう?」

「……ハッピーエンドじゃないんだ。この話はね」


僕が自然に笑ったままエルバを見つめると、エルバはどういう意味か分からないのか首を傾げる。


「どうして?復讐を果たせたらハッピーエンドでしょう?あ、もしかして復讐の邪魔が入ったとか?兵に見つかったの?」

「……復讐は果たせた。いや、果たせたと僕は思った。僕の心は満たされたはずなのに、僕は泣いていた。どういう訳か、心がぽっかりと開いたままだった。僕はそれを埋めたくてそれからは何でもやったよ。まず目を付けたのは君も思った通り、「社会の価値」だ。社会の価値さえ高めれば心が埋まると思ったんだ。僕は誰でも見下ろすことが出来ると思った……」


僕は演技するのを辞めて、もう一度エルバの前に屈む。エルバはジッと僕を見つめていた。


「僕は迷ってしまった。人々を下に見るようになり、嘲笑うようになった。金を稼いでいない奴なんて価値がない。この世界の価値は金と権力が証明していると……そう思ってしまった。それから僕自身のことに気づかせてくれる人たちに出会った。沢山のことがあった……そして……結局マリアは死んでいなかったんだ。確かに復讐を果たしたはずなのに」

「どうして!?復讐は失敗しちゃったの!?貴方はマリアを殺せなかったの!?」

「……そうだね。“復讐”は失敗だ。そしてある人に言われたんだ……僕がマリアに呪いをかけてしまったと。実は復讐を果たす時、マリアに首飾りをかけたんだ。生きているマリアと再び会った時、不自然にマリアの首に絡みついていた。まるで僕の想いを象徴するかのように」


エルバは悲痛そうに顔を歪めている。僕が復讐を果たせなかったことを哀れんでいるのだろうか。この子はこういう考え方まで僕と似ているようだ。復讐を果たせない被害者なんて、弱いままだ……「弱者」そのものだと僕も昔なら思っただろう。

だが今は、あの時僕がどうするべきだったのか気づくことが出来る。

本当は僕自身の心に目を向けるべきだった。あの時誰よりも傷つき、誰にも愛されないのだと思ってしまった自分自身に目を向けていかなければいけなかった。


僕は自分の価値を外に求め続けた。その方が楽だったからだ。愛を他人に求める方が楽なように、自分の価値も他人に決めてもらう方が楽なんだ。

人は、他人という存在に自分の埋まらない心を埋めて貰おうともがき続ける。

それでも埋まらない。埋まらないのだと人は泣き叫び続ける。まるで小さな子供のように、エルバがこうして部屋の隅で泣いているように、僕は孤独だ、私は孤独だと泣き叫んでいる。


同情心でエルバを慰めてあげることは幾らでも出来るだろう。だが、慰めたところで余計にエルバを闇の世界に浸からせることになる。

だからこそ僕は、僕のような思いをしたまま、闇の中から出られない……いや出たくないと望む小さな子供に、こうやって問いかけるんだ。


「エルバ、君の本当の望みは何だ?君はどうしたいんだ?君には絶対に隠していることがあるはずだ。憎しみの裏には必ず隠していることがある。そして誰かに隙間を埋めて貰おうと求めているんじゃないのか?」

「……私の望み?」

「例えば、君の親についてはどうだ?お父さんとは仲良かったのか?」

「……パパとは仲良かったわ。でも病気で死んじゃって……そしたらママは、変な宗教にハマるでしょう?ママはいつも神様のことばかり。私のことなんて気にしなくなってしまった。私より神様の方が大切なのよ」


エルバは寂しそうな表情を見せた。最初に出会ったときに見せていた敵意を持った表情ではなく、自然な子供の表情だった。僕はエルバの肩に手を置いて、笑顔を向ける。


「そのことをそのまま、君のお母さんにまずは話してみたらどうだ?君の友達のことは誰かに話すのはまだ難しいかもしれない。だけど今は、僕が全部受け止めたから」

「……全部受け止めるの?貴方が?」

「ああ。僕が全部受け止めたよ。君の寂しさも、孤独も、君自身の抱えていたその闇すらも……全部僕が受け止めた。だからもう安心していいんだ。君はもう心に想いを押し込めたまま、隠すことはなくなったんだ。自分を責め続ける、孤独の想いすら隠さなくていいんだ」


エルバは驚いたように僕を見つめる。その瞳は泣きそうで、再び女の子は泣きじゃくり始めた。


「隠さなくていいの?悪いことじゃないの?孤独な私は悪いことだって……ずっと思っていた。ママはいるけれどママも私を見ない。誰も傍にいないのよ……私はずっと1人ぼっち。このままだと私はずっと1人で……死んでいくんじゃないかと思ってたの」

「……悪いことではない。君のお母さんが言う、神様が本当に居るかどうかは僕にも分からない。でももし神様が居るとしたら、そんな孤独である君ですら愛おしいと……そう思うだろう。本当はこの世界には悪い人なんて居ないはずなんだ。でも僕たちは……ずっと自分たちで作った価値観に溺れてしまっている。そして何も見えなくなっているんだ」


エルバは泣いたまま、僕を見つめてから突然僕に抱きついてきた。僕は驚いたが、そのままエルバを受け入れて抱きしめると、エルバは泣きながら僕に話し始める。


「私は寂しい。寂しくてたまらない……このまま孤独に死んじゃったらどうしようって怖い……私はこの世界に生まれた意味がないんだって……孤独に死ぬのは怖いけど、私なんか早く死んだ方が、この世界にとってもいいだろうとも思っているの」

「これは僕の勘だが……君は何か役目を持ってきたのかもしれない。ああ、それがやらなきゃいけないことだとか、そういう難しいことを考えないで欲しいんだが……君の背負ってきたその心で、誰かの心に光を取り戻せるのかもしれない」

「もし誰かの心に光を取り戻せたとして、私はどうなるの?何か意味があるの?」

「……意味か。きっと人は直ぐに理由に結び付けたがるんだと思う。そう考えた方が楽だからね。この世界がどういう方向に進むかはまだ分からない。いや……とっくに分かっているはずなのに、僕たちはそうなりたくないんだ。光で満たされてしまったら、消えてしまうと怯えている」


僕は目を閉じた。突然白い世界で、僕の持つ燭台の蝋燭から、エルバの持つ燭台の蝋燭に火が移されるようなイメージが見えた。僕が目を開けた時には、エルバに自然と笑いかけていた。


「光を持つことを、どうか怯えないでくれ……その孤独感も寂しさも全部僕が受け止めるから……だから安心して光を持ってほしい。君は、最初から光なんだから。何もしなくても、傷つかなくても、ずっと光なんだよ」

「私が孤独のままでも、光だというの?私が苦しいままでも?」

「まだ苦しいと思うなら、僕が全部受け止めよう。エルバ、目を閉じてみてくれ。今僕は火が灯っている蝋燭の燭台を持っている。君の燭台の蝋燭には火が灯っていない。君はどうしたい?」


僕は試しに心の光を蝋燭に例えてみた。エルバは僕から少し離れて、言われた通り目を閉じる。僕も一緒に目を閉じて、エルバの答えを待っている。エルバは迷っている様子だった。少しの間沈黙をした。


「……何だか、怖い……怖いわ。もし私が蝋燭を持っているとして、本当に火を灯していいの?」

「君が決めるんだ。僕が君の蝋燭に火を移すことも出来る。それでも最終的にその燭台の蝋燭に火を灯すかどうか決めるのは……君なんだから」

「……私、貴方に近づいてみるわ。ここは暗闇で寒いもの……」


その言葉を聞いたと同時に、自然と頭の中でエルバが僕の方に近づいてくる光景が見えた。エルバは怯えている様だった。僕は何もせずに、エルバの前に立っている。

エルバは何度か僕の持つ燭台に蝋燭を近づけては離し、迷っている様子だった。僕はただエルバに笑顔を向ける。エルバも僕を見ると、ようやく笑ってくれた。


「私、貴方が好き。あ、変な意味じゃなくてね。何故かただ好きだなって思ったの。私は貴方が好きだから、私はこの蝋燭に火を灯すことを決めるわ」


エルバは笑顔のまま、火の灯っていない蝋燭を僕の持つ火の灯った蝋燭に近づけた。エルバが僕の持つ蝋燭に近づけ、エルバの蝋燭に火が灯った瞬間、火は燃え上がった。

次の瞬間には、蝋燭はどういう訳かたった1つになった。


その蝋燭の火は、先程よりも確かに大きく光り輝いていた。驚いて目の前を見ると、そこにはエルバは居なかった。エルバではなく、僕自身の姿をした人物が笑顔で立っていた。

驚いてパッと目を開けてみるが、そこは先程まで居たエルバの部屋ではなく、脳内で見ていた光景がずっと続いている。持っていたはずの蝋燭は消えていた。

僕は息を吞んだまま、僕自身を見つめる。


「そんな……何で僕が……ここは何処だ?エルバは?」


僕自身は自然な笑みを浮かべて、僕を見つめてくる。すると突然僕に近づいて、抱きしめてきた。


「君は、ようやく自分を見つけたんだ。自分の心の寂しさを……心の孤独感を……君は自分自身に光を灯すことが出来た。悪かったよ、君を試すような真似をしてね……君なら絶対に僕を救えるって分かっていたはずなのに」


僕自身の姿が僕から少し離れると、ただ笑った。僕は何も言えずに、己の姿をただ見つめることしかできない。僕自身は僕の肩に手を置いた。


「僕の正体は、今はまだ明かさないよ。君はきっと気づくはずだから。君は気づくことが出来る男だからね。そういう意味で僕は無条件に君を愛し、信頼している」

「……待ってくれ、貴方は誰だ?エルバは何処に……」

「エルバも君だ。そして僕も君だ。ああ、分かりづらいかい?エルバは特に“他人”に見えるだろう。だから僕は君のために、君自身の姿をして現れたんだ。その方が分かりやすいと思ったからね」


僕自身は、僕の肩から手を放すと、後ろを向いた。それから僕に向かって振り向いて、笑顔を見せた。


「よし、最後にヒントを見せてあげようか。僕からのヒントだ。いや、答えとも言うのかな?大切にしてくれよ?普段は直接答えを見せることは少ないんだから、ははは!」


そう言って僕自身の姿が笑い声をあげると同時に、僕の姿の人物の背中に、大きな白い翼が生えた。僕は驚いてその翼を見つめる。大きな白い翼が生えた途端、僕自身の姿は翼を羽ばたかせて、目の前から飛び去って行ってしまった。

その瞬間、目の前の光景は消え去り、再び僕はエルバの部屋に戻って来ていた。目の前を見ると、エルバが何度も僕の名前を呼んでいる。


「ちょっとセリオン!ねぇセリオン!どうしたのよ!?ねぇったら!!!」

「……エルバ?」

「やっと返事した!何で突然固まっちゃったのよ……蝋燭に火を灯したのに!」

「ああ……そうか……今のは何だ?白昼夢ってやつか?」


僕がぼやけた頭のまま、部屋の中を見回していると、エルバは呆れたようにため息をついた。


「ちょっと何なの、ぼけたの?」

「ぼけてはない!いや……僕はぼけたのか?最近変なことばかり起こるな……」

「もういいわ。この辛気臭い部屋から出ましょ?」


エルバは立ち上がると、僕に手を差し伸べてくる。エルバが突然、何故ここまで変わってくれたのかは分からないが、僕はエルバの手を掴んで立ち上がる。それから二人で部屋の外に出ると同時に、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。


「それでは行きます!!!エダン様の一発芸!!!己の魅力は全身で語る!!!」


部屋の外では、何故かパンツ姿のエダンがテーブルの上で変な踊りをしている。

それを呆れたような目で見るリリーと、笑い転げるジャックと、ジムも楽しそうに手を叩いている。エルバの母親はポカンと口を開けたまま、エダンを見つめている。

ジャックは何故か憧れるような視線で、エダンに合いの手をする。


「よっエダンさん!!!カッコいいっす!男の魅力は筋肉で語れって奴ですね!」

「ははは!そうだ。筋肉以外にも魅力的な部分は沢山あるぞ?ま、ハンサムな顔で語れるのは俺しかいないけどな!」

「エダンさん、待って下さい!俺も負けてないっすよ!!!」

「はは、ジャック中々言うじゃねえか!どっちがハンサムか踊りで勝負しようぜ!受けて立ってやってもいいぞ?」


そう言った途端、ジャックは「どんとこい!」と何故か叫び、裸足になってテーブルの上に乗り出す。人様の家であいつらは何をしているんだ。僕は思わずエダンに声を掛ける。


「おい、エダン。この馬鹿!!!やめろ!迷惑だろ!」

「おっセリオン!その様子だと上手くいったようだな!ほら、エルバお嬢さんも踊ろうぜ!!!テーブルの上が舞台ステージだ。楽しいぞ!」


僕がエルバに「真に受けなくていい」と言おうとすると、エルバはどういう訳か笑顔になって、「行くぞ!」と裸足のままテーブルの上に乗り出して踊り出した。流石にテーブルの方が心配だ。テーブルが崩れそうだ!!!僕が慌ててテーブルを抑え込むと、調子に乗ったエダンは更に騒ぎ出す。


「よしセリオン!!!頑張れよ!このテーブルの命はお前にかかっている!」

「そう思うなら降りろよ!!!今すぐに降りろ!!!この馬鹿!!!」


木造のテーブルではあるが、簡易的な作りのため頑丈なわけではない。テーブルの上に乗ったエバも楽しそうに僕を見下ろす。


「セリオン頑張れ!!!このテーブルはちょっと古いから危ないかもね!」

「なら降りてくれエルバ!!!怪我をするぞ!!!」

「じゃあ降りるから、受け止めてよ?いくよ!!!」


エルバは突然僕の方向に降りてきた。僕が驚いてエルバを受け止めると、そのまま床に倒れこむ。……背中がかなり痛い。エルバは直ぐに立ち上がって、僕を楽しそうに見下ろす。


「ははは!何だか滑稽ね!!!クッションになってくれてありがとう、最高よセリオン!」

「……エルバ、僕のことを馬鹿にしてないか?」

「ううん。生まれて初めて、貴方はこんなに私の話を熱心に聞いてくれたんだもの。馬鹿になんてしないよ。さっき話していたことを、そこで放心したままのママに後で話してみるね。ねぇ、セリオン」


エルバは倒れた僕に向かって、目を細めてから穏やかに笑いかけてきた。


「ありがとう。私、嬉しかった。貴方も沢山の思いを抱えているのね。これから私頑張ってみる。だからセリオンも頑張って!きっとこれからも人生で、何かの障害があるかもしれない。でも貴方なら大丈夫。絶対大丈夫だよ」

「……エルバ?」

「ふふ、何となくそう思っただけ。絶対大丈夫だからね!それだけは覚えていてね」


エルバは照れくさそうに笑ってから、母親の方に駆けて行った。気づけばここに来てから大分時間が経ってしまっていたため、エルバの母親が料理を作ってくれて、僕たちはご馳走になった。

僕はエルバの母親に、ご飯のお礼と言って金貨を手渡そうとすると、エルバの母親は驚きながらそれを断り、「エルバの笑顔を取り戻してくれただけで、もう十分です!私の方がお金を払いたい気分ですのに!」と必死に首を横に振っていた。隣で見ていたエルバには「セリオンは律儀すぎる!」と笑われた。

それから外の扉の方まで行ってから、僕はエルバに向かって振り返った。


「エルバ、頑張れよ。実は僕は今どこの劇団にも所属していないから、何処に行けば会えるとかはないんだが……また会えたらいいな」

「えっ!?あんなに演技が凄いのに、劇団に所属してないの?」

「おいセリオンお前……俺たちの次に入ったらしい劇団はどうしたんだ?」


エルバとジムは同時に僕の言葉に驚いた表情を見せる。僕は居たたまれない気持ちのまま咳を零した。


「あー……首になったんだ。だから僕は今、簡単に言えば……無職だな」

「あら……それは流石に可哀そう……改心した理由って無職になったからなの?あら、ごめんなさい……」


リリーがとても哀れんだように僕を見つめてきたため、僕は大きく首を横に振る。


「いや、違う。無職になったのは僕が僕を見つめ直す過程で、そういう流れになっただけだ。だから……偶然って奴だな。そうだ、時の流れだ」

「でも、落ち込んでるんでしょう?ねぇあたしが、何か考えてあげましょうか?うちの劇団もまだ受け入れられるわよ。もう貴方の役どころで文句を言わないわ、あたしもね」

「ありがとう。まずは、色々と考えてみようと思うんだ。もし何かあったら頼むかもしれない」

「ふふ、貴方も素直になったわね。最初からそうだったら良かったのに」


リリーは笑いながら外に出て行ったため、ジムも一緒に笑顔で外に出ていく。ジャックも外に出てから、エルバの家の中にはエダンと僕だけが残っている。エダンは笑いながらエルバとエルバの母親に向かって笑いかけた。


「お二人さん、俺がいつでもついているぞ!それだけは忘れないでくれ!」

「あら……エダンさん、ありがとう。心強いわね」

「ついている?どうやって私たちについているつもり?現実的に無理じゃない?」

「おお、エルバお嬢さん。まるでセリオンみたいなことを言うな……ほら、人の心は繋がっているってよく言うだろ?」

「そんなこと聞いたことないよ!どうやって他人同士で繋がるっていうの?」


エルバがエダンの意味不明な言葉に怒り始めたが、エダンは笑いながら、平然とした様子で答える。


「さぁな!俺の場合は“勘”だ。勘で生きているからな!それがハンサムな男、エダン様さ!」

「まぁ、そう思っておけば、他人同士で心が繋がっている気分になるかもね?そうそう、エダンのパンツ姿は一生忘れそうにないわ。どうしてくれるのよ……目にこびりついちゃった」

「そりゃ良いぞ!俺の最高のハンサムな姿は一生覚えておいた方がいいぞ?最高の宝物になるからな!」

「……やっぱりエダンって馬鹿でしょ?ね、セリオン!」


突然僕に話しを振られたため、エルバの方を見ると、エルバは楽しそうに笑っている。僕もそれには同意して何度か頷いてみる。


「こいつも言う時は言うが、馬鹿は馬鹿だな」

「おーいお二人さん、しれっと俺に関して、悲しい話題が聞こえてきたんだが……」

「やっと僕の話が聞こえたか。いつもハンサムだの何だの言って僕の話を聞かないからな……少しは自分が馬鹿だって気づけよ。ほらエダン行くぞ、これ以上居ると迷惑になる」

「悲しいぞセリオン……エルバお嬢さんだけは違うと言ってくれ……」


エダンは大げさに項垂れてから、エルバを見つめる。エルバはそんなエダンの様子が可笑しかったのか、「あはは!」と笑い声を上げた。


「エダンは面白いよ。とっても面白かった。学校の奴らとなんて比べ物にならないくらいに、最高よ!セリオン、エダン!また会おうね!!!」

「エルバお嬢さん、最高にハンサムな男が道に居たら、絶対に俺だからいつでも声を掛けてくれよ?」

「あはは、覚えておく!じゃあね!!!」


エルバとエルバの母親は笑顔で手を振ってくれたため、僕らも手を振り返すと、外に出て扉を閉める。

夜道をゆっくりと歩いてから、明日ジムとリリーの劇団で今後の話し合いの為にまた会おうと約束をしてから、ジムとリリーと道の途中で別れる。

僕が息をついて、アーデルを思い出しながら家の方向に帰ろうとしていると、何故かエダンとジャックが、僕の家の方向に着いてくる。


「エダン、ジャック。何で僕の家の方向に着いてくるんだ?」

「ん?泊まろうと思っていたぞ。お前の家にな!」

「……は?」

「えっエダンさん、セリオンの家に泊まるんっすか?てっきり、こっちの方向に用事があるんだと……俺まだ平民街には詳しくないっすから。でもいいですね!セリオンの家も見てみたかったしな!」

「……ベッドは貸さないからな。床で寝ろよ」


僕はもう断るのも面倒になっていたため、淡々と答えると、エダンとジャックは喜んだ様子で笑顔になった。たまにはこういう日もいいだろう。僕たち三人はくだらない話をしながら、夜道を歩き続けた。

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