第12話 故郷
全員が食べ終えると、僕は父さんを見る。父さんは相変わらず眠っており、これでは話も出来ないだろう。
「父さんは、完全に眠ったみたいだな……はぁ。どうするか……とりあえず、アーデル。今日君が使う部屋に案内しよう」
「私が使う?ああ、泊まる部屋ね!」
「そうだ。昔……母さんがよく部屋に籠って、村の仕事をするため作業していた部屋なんだ。だからベッドもある。その部屋でも、大丈夫か?」
アーデルは驚いた表情を見せたが、直ぐに頷いた。僕はそれにホッとしてから、エダンは放っておいてアーデルを二階に案内する。
二階に着くと、母さんが使っていた部屋の前で扉を見つめる。ここには、母さんが亡くなってから一度も入ってはいない。まだ母さんが居るようで、扉を開けたら……開けてしまったら母さんが居なくなってしまうように思えたからだ。
扉を開けると簡単に開き、部屋には誰の姿も見えない。ただ、静けさの空気が流れている。
「……ここだ。やっぱり父さんもこの部屋には入ってなかったみたいだな。綺麗なままだ。ベッドもそのままだ……」
僕はベッドの近くに行き、状態を確認する。部屋の中を見渡してからアーデルの方に振り返る。
「シーツを取り換えるから、待っていてくれ」
「え、ええ……」
アーデルはキョロキョロと辺りを見回している。僕は棚から洗ってあったシーツを取り出して、木のベッドに置かれた藁の上にかける。それから毛布を整えて、頷く。
「これでいいだろう。それと、さっき話していた地図を書いてもらってもいいか?」
「え、ええ!そうね!」
「羊皮紙と羽ペンとインクはここに入ってたはずなんだが……」
机の引き出しを開けると、その中には羊皮紙と羽ペンとインクが揃っていた。それを出してから引き出しの奥の方に本を一冊見つける。僕はその本を取り出してから、何気なく本を開く。
「……っ」
これは…母さんの日記だ。表紙に「日記」と書いてある。日記の存在があることなど、知らなかった。僕は恐る恐る本を開いた。
『私はもう長くないだろう。感覚的に……私の命が長くないことを悟ってしまった。あの人には……どう伝えればいいのだろう。どう伝えれば……セリオンは毎日私の元にやってきて、私の体調を心配してくれている。少し前までは可愛い赤ん坊だったのに、ここまで立派に成長してくれた。私は、その成長を見届けたかった。今できることは神に祈ることしかできない。願わくば、私が死んでも、家族が幸せでありますように……』
僕は何も言わずに、次のページを開く。手は震えていたが、そのまま読み進める。
『今朝、セリオンが部屋に来てスープを持って来てくれた。聞けば自分でスープを作ったという。私の真似をしてみたけど、上手にできなかったのだと……私はスープを食べた。涙が出そうになった。「美味しかった」と伝えると、セリオンは喜んだ。思わず抱きしめてしまうと、セリオンは不思議そうな顔をして私を見たわ。「早く学校に行きなさい」と言うと、渋々とセリオンは部屋から出て行った。私はこの子に出来ることが、あるのだろうか……生きているうちに、後どれくらい顔を見ることができるの?私はどうして……もう少し生きて、ただこの子の成長を見届けたかった。私は今日も神に祈るわ……返事がないとしても、私は……』
それ以降はページをめくれなかった。涙が出そうになったからだ。アーデルは本を読んだ僕を不思議そうに見つめて、僕に声を掛ける。
「……セリオン?」
「……っいや……すまない。羊皮紙とペンはこれだ。これで書いてくれ……」
僕は日記を元あった場所に仕舞う。とてもじゃないが、今の心情では母さんの日記は読めそうにない……それに母さんも僕に読んで欲しくはないかもしれない。
僕はごまかすためにアーデルから視線を逸らしてから、ベッドに座る。アーデルは此方を心配そうに見たが、直ぐに机の前の椅子に座り羽ペンにインクを付けて、地図を書き始める。
少し経ち、アーデルは立ち上がり僕に地図を書いた羊皮紙を手渡してくる。
「これが地図よ。簡単に書いたけど、分かるかしら?このお屋敷が私の家ね」
「見せてくれ」
僕は羊皮紙を受け取ってから、ジッと地図を見る。地図は簡易な物だったが、目印などが書いてあったため、これを頼りに向かうことはできるだろう。
「……大体は分かった。君の家にいつ行けるかは分からないが……早めに行く」
「……ねぇ、セリオン。嬉しいけど、無理だけはしないで。貴族街には警備兵も居るわ。平民街に居る兵よりも、強いのよ?もし見つかったら……牢獄行きだけでは済まないかもしれないわ」
「分かっている。気を付けるよ」
僕はアーデルの方を見て、頷く。アーデルは心配そうに僕を見ていたが、僕は立ち上がった。
「後はこの部屋で、好きにしていてくれ。僕はとりあえず父さんの様子を見に……」
アーデルに言った途端、突然部屋の扉がバン!と開いて、エダンが部屋に入ってくる。バッチリエダンと目が合うと、エダンはニヤリと笑った。
「よう、セリオンここに居たのか。せっかくだから外に行ってみないか?勿論美しいアーデルも一緒にな」
「はぁ?外だって?」
今はもう夜だ。一体外に行って何をしようと言うのか。エダンは僕の方を見て意味ありげに笑うと、アーデルの手を突然掴む。
「美しいお嬢さん……俺と星を見てくれませんか?夜空の下で美しいデートをしましょう……」
「……突然、何?エダン」
アーデルは冷静にエダンを見ている。エダンはアーデルの言葉を無視して、アーデルの腰に手を触れてそのまま歩き出そうとする。アーデルは驚いた顔をしてエダンから思い切り離れた。
「ちょっと何よ!?頭おかしいんじゃないの!?」
「アーデル……俺に冷たい部分も魅力的ってお気づきですか?冷たくされると、逆に燃え上がる……男の性質をよく分かっていらっしゃる。ああ!これも貴方の計算の内ですね?」
「……計算なわけないでしょ……本気で嫌なのよ!」
アーデルは引き気味にエダンを見ているが、エダンはそれを全く聞かない。そのまま何とエダンはアーデルの手を掴んだまま無理やり引っ張って行こうとしたため、僕は驚いてそれを制する。
「おい、エダン。何してるんだ!アーデルは嫌がってるだろ!」
「そうか?俺の魅力に惚れていると思ったが」
「んなわけねえだろ!!!もういい!一回離れろよ!!!」
僕はエダンをアーデルから無理やり引きはがすと、エダンを睨みつける。しかしエダンは笑ったまま、僕の手を突然引っ張ってアーデルに聞こえないように、小さく耳打ちしてくる。
「ここは男の勝負と行こうか?セリオン。どっちがアーデルを惚れさせられるかをな。俺は本気出すと強いぞ?」
「はぁ?お前何言ってんだよ……まだアーデルを諦めてないのか?」
「この些細な旅は、アーデルと近づくチャンスだろ。二人きりになれるからな」
「おい、お前僕とアーデルの為にお膳立てするだとか言ってたろ?一体どういうことだ?まさかアーデルに近づくために着いて来たのか?」
「さぁ、どうだとお前は思う?」
エダンはニヤリと笑ったまま、僕から離れる。それからアーデルを見て丁寧にお辞儀する。
「でしたら、セリオンも交えて一緒に星空を見に行きませんか?それならいいでしょう?」
「……それならいいけど……さっきみたいに突然私に近づくのはやめて」
「分かりました!さぁ、行きましょう!!!」
エダンはアーデルを引っ張って歩き出す。僕が慌ててそれに着いて行き、階段を降りる。
アーデルは何故か下に置いてあったアーデルの鞄を手に取った。
(まさかエダンの奴……本気じゃないだろうな?アーデルに近づこうとしているのか!?僕に協力する姿勢を見せていた癖に、あれは全部嘘なのか!?)
アーデルはエダンを受け入れないだろうということは分かっているが……エダンのことだから何をしでかすか分からない。それこそ突然アーデルの尻でも叩き出すかもしれない。
前にエダンと行った女の店では、女はエダンに尻を叩かれて喜んでいるように見えたが……アーデルの場合は……想像するだけで恐ろしい。恐らく血を見ることになるだろう。
エダンとアーデルに必死に着いて行って外に出ると冷たい風が顔に当たる。そのまま三人で歩き出す。エダンはアーデルの隣で歩きながら僕の方に振り向いた。
「星空を見渡せる、良い場所はあるか?」
「あることにはあるぞ。でも、夜は寒い。さっさと見るなら見ろよ」
「はは、安心しろよ。アーデルは俺が温めてやるからな。お前は隅っこで寒がってていいぞ」
「……お前、いい加減にしろよ……」
僕が冷静に突っ込むとエダンは「ははは」と笑いながらアーデルの隣で懸命に口説き文句を話している。この様子だと、友人面して僕と一緒に実家に来た本当の理由はやはりアーデルか。それに無性にイラついてくる。
(勝負するっていうなら、やってやろうじゃないか……)
決心してからとりあえず二人を、星空を見渡せる場所に案内する。村の石の階段を上った先にある、小さな場所だ。上を見上げると一面に星空が見える。
アーデルは驚いた表情を浮かべて空を見上げてから、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「わぁ!綺麗ね!これほど綺麗な星空は、平民街では見れないわね!」
「まぁ……ここらは田舎だからな。寒い分、星だけは綺麗だ」
「ええ……本当に綺麗……」
僕が答えるとアーデルは、はしゃいで星空を眺めている。エダンは嬉しそうに笑みを浮かべて、はしゃぎ回るアーデルを見つめる。
あの表情はまさか……エダンがアーデルを口説くのは、ただの遊びだと思っていたが、アーデルに本気で惚れているのか?いや、なら何故僕に協力をした?アーデルの首飾りの時だってそうだ。こいつは僕にアドバイスまでしたんだ。駄目だ、こいつの本心が全く見えない。
エダンはアーデルに近づいてから、「アーデル」と声を掛ける。いつもの遊び口調ではなく、何処か真剣な声だった。
アーデルがエダンに振り向くと、エダンはらしくなく、優し気に笑っている。
「アーデルは美しいが、可愛いな。星空で無邪気にはしゃぐ姿は、俺の心をとことん動かす……」
「……え?」
エダンはアーデルの手を取ってから、突然僕の目の前でアーデルを抱きしめ始める。アーデルは突然のことにされるがままだ。
(……この野郎!!!何してんだ!?)
アーデルは心底驚いた表情をして突然のことに反応できない。エダンは寂しげに笑ったまま、アーデルの前で話し始める。
「ずっと俺は貴方にアピールをしてきたが、貴方は俺にちっとも振り向かなかった……貴方の心を支配する男がいるのか?」
「……ちょっとエダン、何なのよ!?」
「俺はハンサムで背が高くて魅力的だ……俺に振り向かない理由は何だ?まさか、セリオンの方がいいとでも?こいつより俺にしておいた方がいい。貴方にとってセリオンは魅力的に見えるのもしれないが、セリオンは貴方に多くのことを隠している」
「隠している?何言ってるのよ!?もういいから離れて!」
アーデルはエダンを突き飛ばした。エダンは簡単に突き飛ばされると、体制をよろよろと崩して地面に座り込む。地面に座ったまま、エダンはアーデルを真顔で見つめる。
「気づいてないのか?こいつは……」
「……何?セリオンのことで何かあるの?」
エダンは僕を見ると、ニヤリと笑った。おい、一体何を言うつもりだ。それからアーデルに向き直り、真剣な表情で話し出す。
「ムッツリだ。ムッツリスケベなんだよ!それも“超”がつくな!!!超ムッツリスケベだ!!!心では女の胸が大好きだ!後女の尻もな!!!今も貴方の胸や尻を、触って触って無茶苦茶触りまくりたいって思っているぞ!!!こりゃ驚きだろ!?」
「……はぁ!?それは貴方でしょう!?」
「おい、エダン!!!何馬鹿なこと言ってんだ!?」
僕とアーデルがエダンに突っ込みを入れると、エダンはやれやれと肩をすくめてから立ち上がる。
「セリオンもちゃんと“要望”は伝えなきゃ駄目だろ?アーデルの尻を触らせてくれないかってな。いや、お前は胸の方が好みそうだな」
「おい馬鹿野郎!!!今それをしたいのはお前だろ!!!僕まで巻き込むな!!!」
「俺はいつでもオープンだが、お前は隠しているだろ。隠して隠して隠しまくっている。何でもな。欲望を隠した先には何をしたい?どのみち口説いた女とハッスルすることには変わりねえんだから、ちゃんと言わねえと駄目だろ」
「そんな馬鹿なこと考えてない!!!お前の考えに僕まで巻き込むな!!!」
「ほう?なら“本気”でアーデルを好きなのか?」
エダンは僕を見下ろして、ニヤリと笑う。アーデルの方を見ると、固まってしまっている。こいつが馬鹿なこと言うからだ!僕はむきになって、エダンに大声で答える。
「好きだよ!!!馬鹿野郎!!!僕はアーデルを好きなんだ!!!だから今そんなことは考えてな……あっ」
これは……完全に失言だ!こいつに嵌められた!!!僕が慌ててアーデルを見ると、アーデルは僕の方を見ながら、ぽかんと口を開けている。これはまずい。違うと訂正するわけにもいかない。
僕が慌てて何か言おうとしていると、エダンは「ははは!!!」と腹を抱えて笑ってくる。
「そうか、そうか!本気で好きなんだな!!!そりゃいいな!!!ははは!!!」
「おい、エダン!!!このくそ野郎!!!」
「俺はどうやらお邪魔のようだから、この場を去ろう!美しいアーデルは、俺の方に残念ながら振り向かなかった……俺の傷ついた心を癒さないとな」
「おい、待て行くな!」
引き留めても、エダンは笑いながら元来た道を去っていく。残された僕とアーデルはお互いに顔を見合わせてから、沈黙した。
「……ごほっ。いやこれは……その……エダンが変なことを言うからだな……」
「……今の好きっていうのは、本当?」
アーデルは恥ずかしそうに僕を見る。僕は、沈黙してから何かで誤魔化せないかを考える。しかしアーデルはジッと僕を見つめてくるため、仕方なく口を開いた。
「……もし本当だって言ったら、君は……どう思う?」
アーデルは僕の質問に沈黙する。僕をジッと見つめて、考え込むような素振りをする。ああ、だからこんなこと今はまだ言うつもりじゃなかったのに。こういうのは段階ってものがあるだろう。エダンのせいで段取りがぐちゃぐちゃだ。
僕はアーデルの答えを聞く前に頭を掻いてから、首を横に振った。
「いや、悪い。今のは忘れてくれ……すまなかった」
「……ごめんなさい、今は答えを出せないけど……でも……あのね、実はプレゼントしたいものがあるの」
アーデルはアーデルの持っていた鞄から包みを出すと、僕に差し出す。僕は驚いたままそれを受け取ると、アーデルは何処か恥ずかしそうに俯いた。
「ほら……これよ。この首飾りをくれたお礼にって思ったの……」
「……っそれは……いや、僕は君に礼を言わないといけないことが増えてしまっている」
「なら!その……友人としてのプレゼントって思ってほしいの」
「……そうか。それなら分かった」
僕は頷いてから、ゆっくりと包みを開ける。包みの中には、銀の首飾りが入っており、比較的シンプルなものだった。しかもアーデルに贈った首飾りとデザインが似ている。アーデルの首飾りのように装飾はついていないが、形がそっくりだ。
「……これは……どうしたんだ?君に贈ったものに似ているな」
「あのね、ローガンが兵に捕まった夜の後、私が朝に商店街の向こうにある兵舎まで行った帰りに女の人に呼び止められたの。セリオンと一緒に行った貰った首飾りのお店の前でね。そこで……その首飾りは、ペアとして男性用に作られたものがあるから、友達のプレゼントにどうですかって……商売上手よね!あはは!」
アーデルは誤魔化すように笑っているが、僕は首飾りを見て、思わず笑みを浮かべてしまう。この首飾りをくれたということは……アーデルの気持ちを、少し期待をしてみてもいいんだろうか。僕に何も思っていないのなら、プレゼントなどくれないだろう。
「ありがとう……首飾りをつけてもらってもいいか?僕が前に君にしたように」
「えっええ!勿論よ!」
アーデルは僕に近づいて、僕の後ろにやってくる。僕から首飾りを受け取ってゆっくりと僕に首飾りを付けてくれた。その時、自然とマリアのことが思い出される。マリアを殺そうとしたあの日から……かなりの月日が経った。マリアはあの日、本当の操りの首飾りだと思い込んで首飾りを僕につけた。マリアは恍惚とした表情で首飾りの効果が本当だと思い込んだ。そして僕は……その恍惚とした表情をぶっ壊して、彼女の首を絞めた……
あの日僕はまだ16歳だった。あれから二年が経った。そうだ、マリアは生きていた。マリアは確かに生きていた……その事実は、僕が人殺しをしていないという事実に変えた。
僕は罪を背負ってずっと生きていくつもりだった。人と深く関わらず1人で生きていくつもりだった。分かっている。人を殺そうとした事実には変わりないことは。
僕は兵士でもない、戦争の場所でもない街で、一般人として人を殺そうとした。それも貴族をだ。普通なら死刑は免れないだろう。結果的に僕は捕まって殺されそうになった。だが僕は……目の前のアーデルに救われたんだ。
救われて、僕は嬉しかったのか?と自分に問いてみる。僕は……僕は嬉しかった。アーデルが牢獄まで来てくれて、嬉しかったんだ。
僕はアーデルの方に振り返った。アーデルは笑って僕を見つめる。
「アーデル……ありがとう。今までのこと全てに、礼を言っていなかったな……僕は君に助けられて凄く動揺したんだ。僕は……ずっと……死にたかったのかもしれない」
「……セリオン?」
アーデルは驚いて僕を見つめる。僕はアーデルに心配させないために、笑顔で誤魔化す。
「すまない。こんな暗い話を言うつもりじゃなかったんだ……僕は……ずっと母親の死を引きずっていた。何とか忘れようと、何とか思い出さずにいようと、僕は夢を追うことに決めた。その結果が劇団だ。だが……劇団でも上手くいかずに、僕は悩んだ。そこで……マリアが現れた」
僕はアーデルから目線を反らす。マリアのことは、僕がそろそろ整理つけないといけないことだ。僕は今、彼女を見たらどんな行動をとるのか、自分でも分からない。憎しみと、僕自身の冷静でいようとする気持ちが交互に入れ替わっていく。
「マリアは……マリアは優しかったんだ。ああ。分かっているさ。所詮“優しい振り”に過ぎなかった。僕が優しさに飢えていたから、引っかかったと今は思う。怪しい点はいくつかあったのに、僕は馬鹿みたいに気が付かなかった。それからマリアに裏切られ、僕は……ずっと……死に場所を探していた」
「…………それは、今もなの?」
「いや。今は違う……僕はもう死なない……今は、沢山のことに気づいたんだ。僕は見失っていた。何も見えなくなっていた。暗闇の中で、更に深い闇ばかりを見つめていた。でも分かったんだ。僕は……闇の中に居ることが好きだから、敢えてそこに居たんだ」
僕は今から光の方向に行くことが許されるのだろうか?僕は闇が好きだった。それこそが自分の居場所だと思っていた。家を出てからは何度も世界に傷つけられた。僕自身はそれを糧にしてやっていくつもりだった。
だが、僕自身の本質は何だ?僕は……僕は初め、本当の初めに、何処に立っていた?この世界で、僕に起きた事実全てに答えがあるのではないか?
―――必ず答えは自分の中にある。そう信じなさい
僕は突然、クロードの祖父、カーティスに昔言われた言葉を思い出す。僕は貰った首飾りを握りしめる。
僕は見つけて見せよう。僕自身の本質の答えを。僕の進む方向の答えを。僕は今、光と闇の丁度真ん中に立っている。僕はアーデルに顔を合わせる。
「アーデル。ありがとう。僕を牢獄から助けてくれて、感謝している」
アーデルは目を見開いてから、優しく笑って頷いた。
僕が「ありがとう」と言葉を出した途端、僕の周りを覆っていた暗闇が晴れていくように見えた。「命を救ってくれてありがとう」なんて言う日が来るとは思っても居なかった。僕はずっと死にたかった。なのに何故……今ありがとうと、君に言うのか。
僕の中の闇はずっと抵抗していた。光の方向になんて行きたくなかった。僕はアーデルの横に立つと、星空を見上げる。
「凄く綺麗だ。そう思わないか?」
「……ええ。そうね。本当は……ずっと見ていたかったわ」
「……ああ、そうだな。だけど今は……忘れてみないか?僕が言えることではないかもしれないが……僕は君とこうして一緒に居られて嬉しいんだ」
「セリオン……」
僕はアーデルに笑顔を向ける。アーデルは僕に笑顔を返してくれた。アーデルと手を自然と繋ぐ。アーデルから「好き」に対する返事は貰えなかったが、それでも今はいいだろう。彼女自身屋敷に帰らなければならないのだから、返事をしてくれないだろうとは思っていた。
僕たちはそれ以上もう何も言わずに、ただ上を見上げて美しい星空を眺め続けた。
少し経ってから、僕たちは実家に戻り部屋の中に入ると、アーデルと部屋の前で話す。
「アーデル。それじゃあ、おやすみ」
「ええ、おやすみなさい。良い夢を」
アーデルは僕に微笑んでから、母さんが使っていた部屋の中に入っていった。下では父さんが相変わらず熟睡してたため、とりあえず毛布だけは掛けておいた。僕も昔使っていた自分の部屋に戻るため僕の部屋の扉を開けると、何故かエダンが僕の部屋の中に居て、此方を見てくる。
(……ああ、そうだった。こいつのこと忘れていた……)
エダンは僕を見るなり、「よう!どうだ?上手くいったか?」と近づいてくる。僕は淡々と答える。
「何で僕の部屋が分かった?まぁいい。別にアーデルとはどうもしてないが?」
「ほー?それじゃあお前の首にかかっている首飾りは何だ?」
「……こ、これは……アーデルがくれたんだ」
「それで、アーデルと付き合ったのか?」
エダンはニヤニヤと笑って僕を見てくる。こいつが何をしたいのかさっぱり分からない。僕はとりあえず部屋の中の椅子に座る。
「……いや。返事は貰えなかった。普通考えたらそうだろ……アーデルは屋敷に戻らないといけない。別れないといけない状況だ。だから言うつもりじゃなかったんだ」
「……そうか……残念だな。ま、気持ちを伝えておくに越したことはないだろ?屋敷に戻って、誰かと一緒になられたらお前も困るだろ?」
「それはそうだが……いやそれより、さっき何でお前あんなことを言った?尻や胸を触りたいって女に言ったら、嫌われる。お前が言う分にはどうでもいいが、僕まで巻き込むな」
僕の言葉を聞くと、エダンは「ほー?」とやはり笑っている。エダンは机にもたれかかってから、此方を見る。
「なら全くそのつもりはなかったのか?アーデルに一ミリも興奮しないだって?」
「いや!そうじゃなくてだな、興奮はそりゃするだろ……だがな、段階ってものがある。物事にはな」
「そうだな。段階ってものが必要だな!ははは!!!一応言っておこう。女は案外気づいてないぞ?男の欲望にはな。女はそういう部分は心底純粋なのが多い。「わたしのことを純粋に好きなのね!」って言いたがる。それだけは分かっておいた方がいいぞ。突然行動に及んで嫌われたくないだろ?」
「……分かっているさ。そんなことくらい。お前は何でもかんでもオープンにしすぎなんだよ……」
「そうだ、俺はいつでもオープンだ。その方が分かりやすいだろ?」
エダンはニヤニヤ笑ってから、辺りを見回して、腕を組んだ。
「そういや、俺が寝る場所はどうしたらいい?」
「知らん。どっかの部屋の床で寝たらいいんじゃないか?」
僕はそっけなく返事をしてから、ベッドまで行って横になる。エダンは「床は固いな……」と呟いている。
「なら、アーデルのベッドに入れてもらうか……お前は毛布すらも貸してくれないんだろ?」
「……そんなことしたら、お前……死ぬぞ」
「おー?案外いけるんじゃねえか?夜は寒い、一緒に温め合いませんかという口説き文句を言えばな!」
「はぁ……夜に騒がれたら困る。近所迷惑だ。分かった。毛布を出すよ。それでいいんだろ?だが、寝る場所は床にしろ」
僕は立ち上がってから、棚から予備の毛布を出した。そのままエダンにぶん投げる。
毛布は、エダンの顔面に思い切り直撃した。僕は思わずそれに笑う。
「うお!?」
「ははっ!直撃だな!」
さっき僕を「アーデルを好き」と言わせるように仕組んで、嵌めたからだ。エダンは毛布をかぶりながら、僕を見て肩をすくめる。
「おいおい、普通に渡せよ、びっくりするだろ……」
「望みのものは渡した。僕はもう寝る」
エダンを無視してベッドに横になると、エダンは毛布を取ってからジッと此方を見てくる。
「セリオン。なぁ、少し話さないか?」
「は?何をだ?」
「あー……お悩み相談室でも開催するか?」
「何だ?お悩み相談室って」
僕がベッドから起き上がると、エダンは僕の方を見たままだ。エダンはため息をついてから、椅子を持って来て僕の傍に座り込んだ。
「お前の親父さんだよ。親父さんは酔っぱらいながら俺に話してくれたんだ。息子と上手く付き合えないってな」
「は?父さんが?」
「そうだ。お前の親父さんは俺に話したんだ。お前のお袋さんが亡くなってから、どう息子に接したらいいか分からなくなったと。ただでさえ子供に対する接し方が分からないようだ。子供の愛し方が分からないと語っていたよ。お袋さんのように子供を無条件に愛することが自分にはできないと。子供に対する情が湧かないとな」
「……情か……勿論ないんじゃないか?僕のことはどうでもいいようだったしな」
僕が淡々と語ると、エダンはまた再びため息をつく。エダンは腕を組んでから再び此方を見る。
「親子関係ってのは複雑だな。俺は養子だったからまた別だったが、この俺でも、親に対する思いはあるしな」
「……妹さんのことでか?」
「ああ、そうだ。よく分かったな。血の繋がった妹の存在を隠して俺を育てたことは……どうしても煮え切らない思いがある。だけど深く考えてみたよ。両親には両親の思いがあっただろうと。仕方ない事情だったのだと。だから俺は……両親を許すことにしたんだ。お前に妹のことを話してから、ずっと考えていた」
エダンは目を伏せてから、神妙な表情をする。やはり……こいつは相当血の繋がった妹のことを想っているのだろう。自分だけが両親に引き取られ、妹は引き取られなかった思いは、相当なものだろう。
「……セリオン。何かを許すってことは難しいもんだな。自分自身の葛藤と戦って、それに打ち勝つ必要がある。だけど、許してみてやっと気づいたんだ。俺は結局……葛藤を抱え込んでいたに過ぎないと。許してみて、やっと次に行けるってな。それは結局自分自身を許すことにも繋がるんだ」
自分自身を許す?僕はその言葉に驚いて、エダンを見つめる。エダンはただ笑っている。
「だからセリオン。そろそろ自分を許してみないか?お前自身を、ただ受け入れてみろよ。受け入れて、相手をただ見つめるんだ。そうすればお前の親父さんが、悩んでいることにも気が付くだろうさ。例え情が無くても、親としてな」
「父さんが親として……自覚があるかどうかは微妙だな。いつも無口な人だ」
「さっき見たろ?ジョークで笑ってくれた親父さんも居るんだ。後はお前自身で決めてみろ。親父さんとどう接するかをな。ただ俺は……そう伝えたかっただけだ」
僕はエダンを見てから、ため息をつく。そのまま、腕を組んだ。
「エダン。前から思っていたが、何でそこまで僕のことを気にする?お前は妹のことを思ったと前に言っていたが、僕は妹とは別人だ。何の関係もない。例え歳が同じだろうがな」
「……そうだな。お前は関係ないってことは分かっているよ……俺は昔妹のことで悩んで、お前と行った店に居た、占い師のラモーナに相談したことがあるんだ。俺はどうしたら妹に会える?これからどうしていけばいい?ってな」
エダンはジッと僕を見つめる。それからただ、フッと笑みを浮かべる。
「ラモーナは俺に言った。貴方は誰かを助ける役目としてこの世界にやってきた。貴方は光そのものだ。光を世界に届けて、全てを変える力を持っている。ただ貴方がこれだと思う人を助けていきなさい。そうすれば貴方の望む人にたどり着けるだろうってな」
「は?光だって?」
「……ああ。詳しいことは良く分からないがな。厳しくないか?と俺はラモーナに言ったんだ。助けることが妹に繋がるのは本当か?とも聞いた。だが、ラモーナはただ頷くだけだった。後は自分自身で考えなさい。貴方の思う道が、その答えだと言われたよ」
「助ける役目ってのが本当のことなら、お前も大変だな」
僕が淡々と呟くと、エダン「ははは!」と声を出して笑った。何故突然笑い出したのか、意味が分からない。
「そうだな。なぁ、俺は思うんだ。お前もその役目を持っているってな」
「……何だって?僕は人助けなんて趣味じゃない」
「人を助けるのは慈善活動だけだって考えたか?そうじゃないだろ。お前自身が経験したことは、お前だけのものだろ?お前が考えて、導き出した答えはきっと誰かの助けになる。誰かが困っていたら、言葉を伝えることもできる。経験ってのはそういうもんだ。闇の中に居る人に、光の言葉を伝えることができる。たったそれだけで、人は救われることもあるんだ」
エダンは立ち上がってから、僕を見下ろした。いつものようにニヤリと笑って僕を見る。
「お前は、光だ。光なんだ。お前自身で誰かを救うことが出来る。お前の言葉で何かを伝えることが出来る。だからこっちに来いよ。ただ光の方に。俺が光だというのなら、俺はいつでもお前を歓迎するぞ?だから、いつでもこっちに来い」
「……何言ってんだ?」
「ああ、分かりづらかったか?まぁ、いいか。さて、俺も寝るか!」
エダンは満足したように頷いてから、床に寝転がり始める。エダンの言った言葉の意味はさっぱり分からないが、僕もとりあえずベッドに横になってみる。
目を瞑って、僕は考えた。エダンが言った謎の言葉の意味を。僕は当然人助けなんて趣味じゃない。慈善活動なんてやる気もない。それをするだけで無駄だと思う。
慈善活動をしたところで、それはこの世界の善良的価値観に踊らされているだけだ。
昔、平民街の道端で馬鹿みたいに叫んでいた男が居た。「慈善活動をすれば幸せになれる!私たちは罪を背負っている!その罪は許されるだろう!罪があるから全て悪い!」と話していた。その男の声を聞く者も居た。そうすれば幸せになれるだの思い込んでいる奴もいるようだった。そいつらはその男に着いて行った。どうせ金を取られるだけだろうに。
突然僕は気づいた。全て罪が悪いというのなら、何故この世界は誰かの罪だらけで出来ているんだ。
罪で出来たこの世界全てが悪いということになってしまう。もし本当に悪いのなら……この世界はとっくのとうに消えてしまっているだろう。そんな世界など、必要ないのだから。全部なくなっているはずだ。なのに、この世界は存在している。誰かの罪があり、一方では誰かの慈善活動の中で、ただ事実として存在しているんだ。
この世界では、光の中に居る者もいるが、闇に呑まれる者もいる。どちらが正しいということもなく、ただその事実だけが淡々と起きている。
僕はそんな世界の中で、何が出来るのだろうか?ただ、僕は考えよう。僕が今できることを。
気づかないうちに僕は、深い眠りへと落ちて行った。
目を覚ますと、部屋には誰の姿も見えなかった。窓から太陽光が入ってきている。朝になったのだろう。エダンが寝ていたはずの場所には毛布が丁寧に畳まれて置かれていた。
(案外几帳面な奴だな……)
普段あれほどうるさい奴だから、丁寧に毛布を畳む性格をしているとは思ってもいなかった。僕はそれを見てから部屋を出て下に降りると、アーデルは既に料理が置かれたテーブルの前の椅子に座っていた。僕を見るなり、アーデルは笑顔で此方を見る。
「あら!おはよう、セリオン」
「……ああ、おはよう……アーデル。よく眠れたか?」
「ええ、よく眠れたわ」
「そうか……あー……父さんは何処だ?」
僕は寝ぼけた頭のままで、部屋を見回すが父さんの姿は見えない。アーデルは笑みを浮かべたまま答える。
「外にちょっと出てくるって言っていたわ。エダンと一緒にね」
「は?エダンと?何をしにだ?」
「大荷物を運ばないといけないとかで、早朝から出て行っちゃったの」
「そうか……早朝からって、どれくらい帰ってきてない?」
「ええと、もう結構経つんじゃないかしら。あ、まだお昼じゃないから、安心していいわ」
僕は長い時間眠っていたようだ。考えてみれば、様々なことがあったが、ようやく安心できる場所で眠れたのか。やっと頭がスッキリしてきた。
僕はアーデルの前の椅子に座ってから、テーブルの上に置かれた料理を見る。
「これは?アーデルが用意してくれたのか?」
「え、ええ!お昼は食べてから出発するんでしょう?昨日の食材はまだ残っていたから、それでちょっと料理してみたの。帰ってきたら食事にしたらどうかなって」
「そうか、ありがとう……僕は長い時間、眠ってしまったようだな……」
「大丈夫よ、セリオンも疲れていたんでしょう?色々とあったもの……」
「それは、アーデルもだろう。僕のために、かなりの労力を使ったはずだ」
アーデルはそれを聞くと、フフッと笑った。それから静かに首を横に振る。
「私は大丈夫。貴方を助けられて、本当に良かったと思っているの」
「あ、ああ。ありがとう……あー……ちょっと父さん達の様子を見てくるよ。何処に行ったか分かるか?」
「商店の品物の入れ替えとかをしに行ったわ。早朝に商店の女性がここにやってきたから、そのお手伝いに行ったのよ」
「商店だって?分かった。見てくるよ」
僕はアーデルに向けて頷いてから部屋から出て行く。そのまま外に出ると、商店に向けて足を進める。商店に近づくにつれて、女の楽しそうな声が聞こえてくる。その方向を見ると、何やら村のおばさん達数人が、エダンの周りに集まっていて人だかりが出来ていた。
「本当、何でもやってくれて助かるわ!ずっとこの村に居てくれたらいいのに!」
「ははは、そりゃ嬉しい言葉ですね!!!美しいお嬢さん達に言われたらかなわないな」
「エダン君ったらお上手なんだから!私たちはもうお嬢さんって歳じゃないわよ!」
「ん?俺にとっては、全ての女性たちがお嬢さんだ」
「あらやだ!!!もー!!!エダン君ったら!!!」
村のおばさん達は一際大きく声を出しながら、頬を染めてエダンに話しかけている。エダンは随分と調子いいことを言うもんだ。僕がそれを冷静に見つめていると、奥には父さんが疲れたように地面に座り込んでいる姿が見える。よく見るとエダンの手は汚れており、商店の荷物を整理している最中なのか、あちらこちらにまだ荷物が見える。
おばさん達に囲まれていたエダンは僕の姿に気づいたのか、僕を見るなり笑顔を見せた。
「おっセリオンじゃないか!やっと起きたのか?」
「一体、何をしているんだ?」
「商店の女性に頼まれたんだよ。店の在庫整理をしたいってさ。俺の筋肉を見込んで頼みに来てくれたんだ。後は村の女性たちご要望の、筋力を使う雑用仕事だな!俺の本領発揮ってわけだ!ははは!」
「……そうか。良いように使われてないか?」
「この村の男達は殆ど筋力がないって話だぞ?直ぐ根をあげるから困っていたようだ。力仕事は俺の男の魅力が最高に輝くからな!!!」
エダンは最高に嬉しそうに笑っている。まぁ、良いように使われているという自覚があろうとなかろうと、こいつ本人が楽しいならいいのだろう。地面に座り込んでいる父さんを見てから、エダンに声を掛ける。
「父さんも手伝っていたのか?何か随分と疲れて見えるが」
「ああ最初の内はな!途中から歳できついと、リタイアしちまったよ。どうだセリオン。続きはお前も一緒にやってみないか?後少しで終わるんだが、お前も手伝ってくれればもっと早く終わるだろう」
「……まぁ、いいが。何を運ぶんだ?」
力仕事が得意なわけでは決してないが、後少しというのならやってもいいかもしれない。そう言うとエダンは嬉しそうに笑った。
「そうか!いいぞ!お前のおかげで早く終わるな!後はこの木箱共を店の中に運んで終わりだ!」
そう言ってからエダンが指をさしたのは、酒瓶などが大量に入った大きい木箱が30箱以上あった。僕は思わず遠い目で木箱を見つめる。
「……は?これか?これを全部だって?」
「ああそうだ。ま、お前は一箱ずつ運んで行けよ。俺は適当に重ねて運ぶが、お前は真似すんなよ?」
エダンは笑顔のまま木箱を何段も次々と重ね始め、大量に酒瓶が入った大きい木箱を5段も重ねた物を持って、店の方向に歩き出す。
「5段以上重ねるとバランスが取りづらいからな!店の中に運んでくれればいいってさ!」
「あ、ああ……」
(おいおい、馬鹿力すぎるだろ。真似しようにもできねえよ……)
アーデルを襲ったローガンをエダンが吹っ飛ばした時も思ったが、エダンの力は恐らく人外レベルだ。エダンが店に入って行く姿を冷静に見つめた後、酒瓶が大量に入った大きい木箱をとりあえず1つ持ってみる。
「……っこれは……持てない訳じゃないが、これを5箱だって?あいつ馬鹿か?」
僕は何とか腰を入れて、両手を使って持ち上げる。そういえば、久しく重いものは持っていなかった。一番初めの劇団では荷物運びばっかりやっていたからか、筋力は中々ついていたのだが今は……もしかしたら衰えたかもしれない。酒瓶の木箱1つでここまでとは。やはり筋力トレーニングは必要だろう。こんな姿アーデルに見られたらどう思われるか……
本腰を入れて運ぼうとすると、遠くから足音が聞こえてくる。見てみると、アーデルが此方に走り寄ってくる。
「セリオン!どう?商店の仕事は終わりそうなの?」
「ああ。後はこの木箱を運んで終わりらしい。だから僕も手伝うことにした」
「そうなの!あら、大きい箱……中身はお酒かしら?随分と重そうね……」
「これは重いから男の仕事だ。だから商店のおばさんも頼んだんだろう」
「ねぇ、私も手伝う?」
「いや、駄目だ。これは女性には厳しいだろう」
僕はアーデルにきっぱりと断ってから、軽々しく持っているという振りを装うため、笑顔のまま大きい木箱を持って歩き出す。どれだけ困難な状況であろうとも、表情を崩さないのも役者の仕事だ。そのまま店に運び入れようと歩き出していると、エダンが手ぶらで颯爽と此方に戻って来て僕を見る。
「おっ!セリオン。運び始めたか!」
「……お前、ペース早くないか?」
「ははは!これくらい武術の訓練に比べればな!よいしょー!!!」
エダンはそう言うと、軽々しく再び5箱重ねて持ち始める。アーデルが驚いたようにエダンを見つめたため、そのまま歩き始めたエダンのペースに僕は無理やり合わせて店の中に入って行く。エダンは店に入るなり僕の方に振り返る。
「おいセリオン。無理すんなよ。お前のペースに合わせていいんだ」
「は?これくらい何ともない。別に無理はしていない」
「アーデルにいいところを見せたいんだろ?」
「そうじゃない。これくらい普通にできる」
「お前はお前なりのアピール方法でいいだろ。力は男の魅力になることは確かだがな!俺は筋力で女にアピールするが、お前は……あー演劇か?それでいいんじゃないか?」
「演劇は仕事だ。力のない男なんて、弱そうに見えるだろ」
僕がそのまま木箱を置いていると、エダンも木箱を置いてから、やれやれと肩を竦めて僕の方を見た。
「確かに力で女が惚れてくれることもあるかもしれないがな、お前には別に得意分野があるんだ。アピール方法はそれでもいいだろ?ま、女を助けるときは別だがな。最高にあの時は女が惚れてくれるチャンスだ!ははは!」
「……まぁ、そうかもしれないな」
「おっやけに素直だな?どうした?」
エダンは驚いた表情をして僕を見つめる。たまにはエダンの意見を聞き入れる時はある。時と場合によってだが。
「別にお前の言う通りだと思っただけだ。力は僕の得意分野じゃない。他に方法があるだろうとな」
「……そうだな。お前はお前なりのアピールポイントを育てていけよ。そうすればアーデルも惚れるだろうさ。ま、お前じゃなくて、俺の方に惚れるかもしれないがな!」
「はぁ……お前はそろそろ諦めろ」
「今はお前に譲ってやっているが、今後どうなるかは分からないぞ?お前が道に迷えば、俺はいつでもアーデルにアピールを再開するだろう。だからそのつもりでいろよ」
エダンを見ると、真剣な表情で僕を見ていた。やはり、こいつはアーデルを好きなのだろう。昨日見た星空の下でのアーデルへの意味ありげな表情はアーデルを好きだという証拠だ。そもそもこいつは初め、ずっとアーデルの居る教会に通っていたんだ。なのに何故僕にアーデルを譲ったのだろうか。
「エダン。なぁお前……アーデルを本気で好きなんだろう?勝負するって言っていた割に、結局昨日も僕に託したな。何でそんなことをする?」
「そりゃ、アーデルがお前を好きだからだ。明らかにお前の方に惹かれている」
「おい。確かに諦めろとは言ったが、それは僕の思いもあるからだ。別にアーデルが好きな相手は僕ではないかもしれないだろ。アーデルに直接聞いたわけじゃない。それにお前なら僕と勝負するって言いそうだけどな」
「何だ?俺とアーデルを巡って勝負をしたいのか?ライバルを敢えて増やしたいって?」
エダンはニヤリと笑って僕を見てくる。僕はため息を大きくついてからエダンを見る。
「違う。別にそうじゃない。ただお前の思いだってあるだろ。嫌じゃないのか?それがもしお前にとって辛いことなら……」
「はは、お前も相手のことをよく考えるようになったんだな」
「いや、これは……僕だったら簡単に好きな人を譲れないと思ったからだ。だからこそ、お前の気持ちがよく分からない」
「今回はお前に譲るのが得策だと思った、それだけだ。だから気にすんなよ。俺には他にも星の数ほど女は居る。だがお前にはアーデルしかいないだろ?」
エダンは笑いながら僕の肩に手をポンポンと置いてから、店の外に去っていく。僕にはエダンの気持ちはよく理解できない。何故簡単に好きな人を他人に譲れるのか。僕はため息をついてから、残りの木箱を運ぶために再び店の外に出た。
少し時間はかかったが、やっと木箱を全て店の中に運び入れると、商店のおばさんは笑顔で僕とエダンと、そして遠くの疲れ切った父さんを見る。
「本当に皆ありがとう!助かったわ!」
「いえいえ、こんなのお安い御用ですよ!」
エダンが誇らしげにポーズを取ると、周りに居た村のおばさん達はワイワイと騒ぎ出す。
「エダン君、恰好良かったわ!本当に今日帰っちゃうの?」
「ははは!格好良いは、俺の最高のアピールポイントですね!残念ながら、今日帰ってしまいますが、お嬢さんたちの素晴らしい笑顔はいつまでも俺の胸に残っています!また遊びに来ますよ!」
「キャー!!!嬉しいわ!!!また来てね!!!」
おばさん達は、まるで少女に戻ったかのように頬を染めてエダンを囲む。一体エダンの何をおばさん達が好きなのかはよく分からないし、エダンは村のおばさん達に囲まれて嬉しそうに見える。まさかエダンが星の数ほど女が居ると言ったのは……恋愛における年齢の許容範囲が広いってことか?だから俺のことは気にするなって訳か?
流石に20歳以上も年の差があるのは、厳しくないかとは思うが、そこはエダンの思う所だ。僕は口を挟まないでおこう。
僕は商店のおばさんに向けて軽く礼をしてから、奥で座り込んだままの父さんの方に近づく。父さんは無言で僕を見てから、何故か居たたまれないように僕から目線を反らした。
「……父さん、あー……大丈夫か?」
「…………」
父さんは何も言わずに、立ち上がろうとする。しかし立ち上がろうとした瞬間、思い切り顔を苦痛に歪めて倒れこんだ。
「……うっ……腰が……」
「…………」
父さんは腰を抑えて倒れこんでいる。僕が何も言えずに苦笑いで父さんを見ていると、父さんは何もなかったことを装って、再び立ち上がろうとする。しかしまたドサリと地面に倒れこんでしまう。僕は流石に見かねて、父さんに手を差し伸べた。
「掴まれよ、父さん」
「……ああ……」
父さんは渋々といった表情をして、僕の手に捕まって、何とか立ち上がる。しかし立ち上がっても尚、腰を決死の顔で抑えている。父さんを見ながら僕はため息をつく。
「早く家に帰った方が良さそうだな」
「……おい、セリオン」
僕が歩き始めようとすると、父さんは僕に向かって声を掛ける。僕が振り向いた途端、父さんは仏頂面のまま話し出した。
「……昨日のことは忘れろ。いいな?」
「ああ……酔っぱらったことを覚えていたのか?いや、忘れようにも忘れられないな」
「……忘れろ。今すぐに。父親の言うことは聞け」
「は?今更父親面か?……いや、もういいよ。父さんのことが分かったような気がする。父さんは、心底大したことなかったんだな!」
「何?」
父さんは僕に向かって睨んでくる。僕は笑い声をあげて、仏頂面の父さんに返してやる。
「はっ!あんなくだらないエダンのネタで大笑いか?大したことなさすぎだろ!父さんに怒っていたのが、馬鹿みたいに思えてきた」
「いいか、酒が入ると、そうなるものだ。お前もいずれ分かるようになる」
「それに父さん、エダンに僕のことを相談したんだって?僕のことは僕に直接聞けよ。父親らしくないな」
僕は笑顔のまま、父さんに向かって指を差してみる。父さんは少しだけたじろいだ。
「母さんに全部愛情から家のこと、何から何まで任せていたのは、他でもない父さんだろ?母さんがやってくれているから自分はいいと思っていたのか?父さんだって誰かの息子であったはずだ。存在を無視されれば、どう思うかくらい分かるだろ」
「セリオン。聞け。俺の父親もな、放任主義だった」
「は?そんなこと知らねえよ。父さんの父親が何であれ、僕にとって父さんは父さんしか居ない。父さんとは……切りたくても切れない家族なんだ。ああ、母さんが居たらこんなこと言わないさ。父さんのことを無視していたと思う。それに父さんにお互い支え合うなんて言葉が通用しないことも分かっている。僕のことがどうでもいいこともな!!!」
「セリオン、お前は俺の息子だ。ある程度は思っている」
「ある程度?僕が出て行った後何をしているのか、一切聞かない癖にか?何で突然帰ってきたと思う?僕は……」
僕はそこで言葉を詰まらせる。横を見ると、アーデルが心配そうに僕を見ている姿が見える。
僕はただ首を振った。
「……いや、いいよ。僕のことを言ったところでしょうがない」
「……気になってはいた。お前のことはな。だがアンジーが居なくなってから、俺は何も考えられなくなった」
アンジーとは、母さんの名前の愛称だ。父さんは僕を静かに見つめたまま、淡々と話し始める。
「分からなくなった。生活をする意味がな。お前のことを支えようとは思ったことは思ったが、頭が回らなくなった。今まで生活をしていたことすらも忘れてしまった」
「……だからあんなゴミだらけの家になったわけか?」
「そうだ……普段出来ていたことが出来なくなった……だが、こればかりはお前の言う通りだ。俺はお前の存在を無視していた」
「母さんが居た時も、僕のことを無視していたような気がするけどな。まぁ、そういうことにしておいてやってもいいけど。お互い、母さんのことで悲しんだのは事実だ……だけどな、僕は父さんの居るところにもう居たくない。それほど僕を無視したんだ。父さんは」
父さんに向かってそう言うと、父さんは目を伏せた。何も言えなくなったのだろう。僕は図星なことばかり父さんに向かって言っている。
「その事実にいい加減気づけよ!!!僕のことを誰かに相談する前にな!!!母さんのことで悲しむのは僕たち二人のことだ。僕は痛いほどそれを分かっている。だけど僕たちがこんな状態で居て、一番悲しむのは母さんじゃないのか!?」
僕は部屋にあった母さんの日記を思い出す。日記には僕たち二人のことを心配する気持ちが書かれていた。母さんは僕たちに幸せであってほしいと願っていた。母さんは、家族のことばかり心配しながら亡くなってしまった。なのに僕も父さんも、母さんの願いを聞かずにろくでもない人物になり、ただ彷徨い続けている。
「母さんが残した日記を見たよ!僕らのことばかり心配していた!僕はそれを見て、居たたまれない気分になった。僕は屑だ!父さんも屑だ!どっちも屑になった!!!何も成長してないじゃないか!これじゃあ母さんがどう思うと思う!?いつものように、僕たちのことを怒ってくれるのか?いいや違う。もう母さんは居ないんだ!!!母さんは……もう……」
僕はそれを言ってから、肩を震わせる。両手を握りしめて、歯を食いしばって父さんを睨みつける。
「そろそろお互い成長するべきだ!!!成長しないといけないときが来たんだ!たった今からな!父さんがそのままで居るなら、僕はもう止めはしない。いつまでもそこに居ろ!!!僕は僕で進んでいくからな!!!」
僕は振り返ってから、ズンズンと歩き出す。アーデルやエダンの周りに居るおばさん達は驚いたように僕を見ていたが、僕は何も言わずに家の方向に歩いていく。後ろから、走ってくる足音が聞こえ、肩を掴まれた。振り返ると父さんが僕を見ている。腰を抑えながら、不格好な姿勢で。
「セリオン……すまなかった」
「……もういい。放してくれ」
僕は父さんを振り払ってから、無言で歩き出す。しかし、父さんはそれでも僕に着いてくる。
「……お前のことを考えていなかった。確かに俺は父親失格だな……」
「もういい!……分かったから」
「セリオン、聞いてくれ……」
「……もういい。いくら父さんが謝っても、時間は戻せない。父さんの言い分は分かった。だから今は……それだけでいい」
僕は父さんにそう言うと、父さんは無言のまま俯いた。エダンの言うように親を許すことはできない。僕が母さんの看病をしていても、父さん自身は母さんの病気を重く捉えず、とりあえず薬を平民街から持って来るだけだった。母さんが亡くなった後、母さんの墓に行こうと言っても、父さんは何も答えず俯くだけだった。
悲しんだのは分かる。僕だって悲しんだんだ。だけど息子がまだ居るのに、父さんは僕に何も言葉をかけなかった。ただジッと壁を見つめているだけだった。僕を居ないものとして扱い、僕を放置した。
僕が母さんのことをひきずって、何も食べずに部屋で倒れていても、父さんは僕を見なかった。唯一助けてくれたのは商店のおばさんだけだ。
だからこそ、これは簡単に許せる問題ではないんだ。でも、今の父さんはあまりにも弱く見える。だから僕が気づいた全てを、父さんに言葉で伝えることだけは出来る。
「父さん、僕らは成長して、見えていなかったことに気付いていく必要がある。僕は何故か、大切な何かを忘れているような気がするんだ。それが何かは分からないが……僕はずっと何かに気づいていないような、そんな気がする。だから僕がそのことに気づいたとき、また父さんに会いにいくから」
僕が父さんに向かってそう言うと、父さんは驚いたような顔をして僕を見た。僕はようやく、笑顔を父さんに向けた。
「少しずつでもいい。ただ成長していくんだ。僕たちが今母さんに出来ることは、それくらいしかもう出来ない。だから僕はもう進むよ。闇の中から、やっと進むんだ。これからだ。これから僕は始まるんだ」
僕は歩みを止めて、目を瞑る。風を感じる。光を感じる。僕は今まで辛いことや、憎しみの気持ちを糧にしてやってきた。そんな僕はここで終わる。僕はやっと進み始める。原動力がない僕は無防備になってしまうだろう。だがこれでいい、これで良かったと母さんは僕に向かって言ってくれているような、そんな気がする。
僕は目を開けた。それから何も言わずに歩き始める。足音が聞こえたため振り返ると、アーデルが僕に向かって走ってくる。
「セリオン!」
「……アーデル?」
アーデルは僕に追いついて、笑顔を向けた。それから僕の片手を握って、歩き始めたため、僕は驚いてアーデルを見つめる。
「セリオン、今のとても恰好良かったわ」
「えっ何でだ?」
「お父さんに、ただお互い成長していこうって言えること。それが恰好良いのよ。私にはいつまでも両親に対して、出来ないことだったもの。だから素直に恰好良いって思うわ」
アーデルは少し頬を染めてから僕を見る。僕はただ素直に思いをぶちまけただけだ。アーデルが何故今のことを格好良いと言うのかは分からないが、僕はアーデルに笑顔を返す。
「……そうか?ありがとう」
「ふふっ、ほら行きましょう?」
僕とアーデルが手を繋いで歩き出すと、後ろから商店のおばさんの驚いたような声が聞こえる。
「あら……ねぇエダン君。セリオン君は平民街で素敵なガールフレンドを作ったのね?」
「はは!そうですね!!!あいつも中々やるでしょう?俺が見込んだだけありますから!!!」
何故僕ではなく、エダンが自慢しているのか。アーデルを見ると頬を染めて俯いたまま歩いている。アーデルは貴族の屋敷に帰ってしまう。今一緒に逃げたとしても、クロードは警備兵も扱うため、手強い相手だ。逃げることが得策ではない。だからこそ……僕が必ずアーデルを迎えに行こう。
……必ず。
家に戻ってから、僕たちはアーデルの作ってくれたご飯を食べた。食べ終わった頃には帰りの馬車が来る時間になってしまった。僕は荷物を持ってから父さんの方を見て、声をかける。
「次来るのはいつになるか分からない。僕はこれから忙しくなるんだ……だから……父さん。元気で」
そのまま家を出ようとすると、父さんは突然僕の肩を掴んだ。僕が振り返ると、父さんは何とも言えない表情をしている。
「父さん?」
「……セリオン。お前が俺を許さないのは分かっている。だがこれだけは言わせてくれ。お前、昨日お前の友人に聞いたが、演劇をやってるんだろう?アンジーが……母さんが憧れていた職業に就いたんだな」
父さんは静かに僕を見つめる。昔母さんが元気だった頃、家族三人で平民街まで出かけたことがある。その時に劇場で演劇を見たんだ。父さんはさほど興味はなさそうであったが、僕と母さんは演劇に夢中になった。その時母さんは僕に話してくれた。「若い頃、母さんは父さんと演劇を見たのよ。その時素直に凄いって思ってね。私は子供の頃、皆を笑顔にさせるような人になってみたいって思ってたの。だから、一度でいいからこういうお仕事をやってみたかったわ」と。母さんは笑顔で僕に話してくれていたが、父さんは興味ない振りをしながらも母さんの話を聞いていたのだろうか。
僕はフッと笑って、父さんに答える。
「ああ。母さんも憧れていたな。そして僕も演劇に憧れていたんだ。母さんにはよく話していた。父さんは知らないだろうけど」
「……そんな話お前から聞いたことがない。てっきりアンジーが好きだからお前も選んだのかと思った」
「聞いたことがないじゃなくて、僕に聞かなかったんだろ?僕のことも僕の夢も父さんは僕に聞いたことがない。母さんとは、父さんが知らない父さんに関する秘密の話もよくしたよ」
「……っ秘密の話だって?それは何だ?」
父さんは驚いて僕を見る。僕はそれに笑い声をあげてから、返してやる。
「ははは!秘密の話を言ったら秘密にならないだろ?せいぜいずっと考えていろよ。僕は言うつもりはないけどな。ああそれと……僕は今演劇の仕事を首になったんだ」
「待て。首だって?それはどういうことだ」
「首だよ。契約を切られたんだ。文字通り無職さ。僕は今、演劇の仕事がなくなった」
「……お前は大丈夫なのか?」
父さんはやっと心配そうな表情を浮かべた。僕はその表情に心底おかしくなり、もう一度笑ってやる。
「はは!父さんが僕のことを心配するのか?まぁいいや。僕はまた考えるさ……これからな。仕事もそうだが、僕は今やることがある。だから計画を練らないと」
「計画?何の計画だ?」
「今後の計画だ。僕はいつも計画熱心にやってきた。ああでももしかしたら、そんな計画はいつでもひっくり返されるかもしれないよな。これからは何が起こるか分からない。でもそれもまた……いいんだろうな」
僕は笑顔を父さんに向けてやってから、アーデルとエダンと共に家を出る。それから父さんの方に振り返って、ニッと笑った。
「それじゃあな。次に会う時にはもう少し父さんもマシな男になってろよ」
「おい。それが親に言うセリフか?」
「はっ!それじゃあもっと胸を張れるような生活をしてみろよ。息子に胸を張れる男になってこそ、父親だろ?」
「……ああ、そうだな。セリオン。もし何かあったら、いつでも家に帰ってこい」
「そうか?何かない限りはもう帰ってこないかもしれないけどな!」
はははと笑うと、父さんは少しふてくされたような表情をした。僕がそのまま笑顔で歩き出すと、エダンは振り返って父さんに声を掛ける。
「セリオンの親父さん!お世話になりました!!!楽しかったですよ!また一緒に酒でも飲みましょうね!!!」
父さんはそれを聞くと、居たたまれなさそうに頷いた。父さんにとっては昨日の酔っぱらった姿は失態なのだろう。アーデルも続けて父さんに向けて丁寧に礼をする。
「私もお世話になりました。この村に居たのは少しでしたが、楽しかったです」
父さんはアーデルの言葉に、何も言わずに頷いた。僕たちがそのまま馬車が来るはずの村の入り口まで足を進めていると遠くから僕たちを呼ぶ声が聞こえる。
「おーい!!!セリオン!!!待て!!!待てよ!!!」
声の方を見ると大荷物を抱えた、昔は村のモテ男だったジャックが此方に向かってくる。僕たちの目の前まで来てから、息を大きくついた。
「ふー……間に合った。エダンさん!家族と話をしました。そしたらやれるだけやってみなさいって返事だったんです!だから俺を!!!」
その瞬間ジャックは荷物を地面に置いて、直角に頭を下げる。それから息を大きく吸って全てを吐き出した。
「弟子にしてください!!!!!!」
それからジャックが恐る恐るエダンの方を見ると、エダンは突然腹を抱えて笑い始めてから「よっしゃ!」と大声を出した。
「いいぞ!まずは俺の弟子ってことでもいいか。一応訓練場に師匠は居るんだけどな!」
「エダンさんの言葉が嬉しかったんです!なので俺はエダンさんの下につきたいです!」
「はは!いずれは俺を超えるかもしれないな?よし、まずはその為に訓練だ!きついこともあるが、楽しいぞ!」
「はい!よろしくお願いします!!!」
エダンはジャックに肩を組んでから、そのまま歩き出す。昨日の約束通り、村に来てくれていた馬車の前までいくと、商店のおばさんが此方に駆け寄ってきた。僕をジッと見てから瞳を涙で潤ませる。
「セリオン君、もう行っちゃうのね……元気でね!」
「おばさん、昨日は食材をありがとうございました。おばさんも、元気で」
「ええ!本当に身体には気を付けて……あら?」
おばさんが振り返ると、奥から父さんが此方に向かって走ってくる。腰を痛めているからか懸命に腰を庇いながら変な恰好で走ってくるものだから、僕は思わず吹き出した。
「くくっ……何だありゃ……」
僕が見かねて父さんに近づくと、父さんは息をはぁはぁと切らしてから、肩を揺らした。
「何だよ父さん?腰が痛いんだろ?無理するなよ」
「……お前を見送ろうと思っただけだ」
「見送りなんて前は村を出て行く時にしなかった癖に、急にどうしたんだ?」
「心が変わることだってある。お前は俺の息子なんだ」
突然息子呼ばわりしてきた父さんに呆れて僕は大きくため息をついてから、はっと笑う。
「そうだな。父さんは僕の父さんだよ。じゃあ僕はもう行くから」
僕は片手を軽く上げてから、馬車に乗り込む。続いてアーデルとエダンが乗り込むと、ジャックの両親が走り寄ってきて、ジャックを思い切り抱きしめた。ジャックはそれに不格好に泣きながらもようやく馬車に乗り込んで、馬車は御者の合図でようやく出発する。
振り返ると父さんと、商店のおばさんとジャックの家族が手を振っている。ジャックは泣きながら手を振り返して、エダンは大げさに手を振り返し、アーデルは控えめに手を振り返している。僕は笑顔のまま、次第に遠くなっていく父さんを見つめる。僕を見る父さんは少しだけ、泣きそうな表情に見えた。
二章完




