ああ、イエスの骸の脇腹を這った腹足類よ・・
キリストが貫かれ、
世界が哀しみに打ちひしがれた時、
それでも海では
橈脚類がハバネラを踊り、
底棲生物達が
デトリトを内在させ浄化する事を
証明したのは誰だ?
それこそが父なる神であり、
主キリストだったのでは?
悲しむ人よ・・
何一つ喪失などしてはいなかったのだ。
世界はありのままに
汝の魂に内在する。
ああ、イエスの骸の
脇腹を這った腹足類よ・・
この貝はキリストの
虚血したペリカーディアムを静かに冷やす・・
熱はあるべき楽園へ
帰郷していく。
その帰路は、
ああ、
海の底の様に美しく遠く、
そして暖かい日差しに包まれている。
我々の誰もが知っている
あのぬくもりだ。
その向こうに
求めていた暖炉がある。
瀕死の人よ・・
哀しみを愛すのなら、まだ留まれ。
この地には雨が降り、
存分にその灰の色も、
致死の冷たさも
味わう事が出来る。
躯に蛆の這うこの地では、
略奪者の刃は善人の肉に刺さり、
皇帝により
家臣の骨は圧し折られる。
破傷風の傷口は
決して癒える事なく
我々を痛め続ける。
あらゆるものが打ちひしがれ
汚泥に沈むのだ。
だが、その痛みを見よ!
ああ、イエスの骸の
脇腹を這う腹足類を見よ・・
楽園とは、
痛みを知る者が行くべき場所で、
記憶とは、垣間見る事で、
忘却とは、望郷に似て、
救われる事だ。