35.懺悔の書簡
「いらっしゃい。」
国王陛下が下手に出ている。皆、気付いているが、誰1人として突っ込まない。
「はい。この度は過分なる御厚意を賜りましたこと、厚く御礼申し上げます。」
きちんと挨拶しておこう。社会人として。
陛下はずいぶんと汗っかきな人のようで、さっきからしきりにこめかみ辺りを拭いている。徐々に髪型が、頭そのものがずれているように見えるが、黙っていた方が良いだろう。
いや、この世界の常識が解らない。貴族はかぶる物なのだろうか。
「陛下、素敵なお帽子ですね。」とか言った方が良いのだろうか。悩む。
「緊張しなくても大丈夫よ、陛下。」
シルビアがにこにこしている。どちらかと言うと緊張するのはこっちだと思う。
先日、謁見室の窓が破壊されたことも有るが、何故かシルビアの離宮にある美しいサンルームにて、陛下に拝謁を賜っている。
「うん。そうね。楽にして。」
くだけた。
「ありがとうございます。」
「それで、今回の件だけど、ね。」
何があったのかな?と怖々聞いてくる。
「はい。恐れながら申し上げます。」
「その言い方やめようか。」
「はい。それでは、僭越ながらご説明させて頂きます。」
それから、私が10年前にこの世界に来て半年間だけ過ごしたこと。大司教に誘拐されてすぐにイサラ師団長に救出され、そのまま森で暮らしていたことなどを、憶えている範囲で答えた。
「では、大司教は何と言ってあなたを連れ出したのですか?」
宰相の質問に少しとまどう。
「実は、その辺りをよく憶えていないのです。」
記憶があやふやなのだ。来ないと何かすると言われた事だけはなんとなくだが憶えている。
「当時の私は、大人に強く言われると従ってしまう癖がありました。『言うことを聞かなければ皆が困る。』と言われただけで萎縮してしまう子どもでしたので…。」
シルビアが悲しそうな顔をする。そんな顔しなくても今はもう大丈夫だよと笑顔で答える。
「リッカはずっと記憶喪失だったの?」
「いいえ、憶えてはいたの。ただ。」
イサラ師団長のことを勇おじさん、ヒューゴのことを裕吾と記憶していて、場所も山の中の小屋だったので、日本の田舎だと勘違いしていた。
なぜか、戻って来た直後の記憶だけがすっぽり抜け落ちている。気付いた時には児童相談所の施設に入居していた。
確かその後、親戚に逮捕者が出たとか、そんな話を又聞きしたが、それもあまり記憶にない。そこで暮らすうちに、当たり前に食事をもらえたり、勉強を教えてもらったりしてるうちに忘れていった。幸運にも良い施設に入れたので、定時制高校にも入れた。
「つまり、異世界に行ったとは思わなかったと。」
「はい。元いた世界の別の地域に引っ越したと思っていました。」
「なるほどなあ。先代の聖女も妙なことばかり言っていたと書いてあったが、それと同じだろうか。」
先代の聖女と言えば戦争の発起人だ。何があったのだろうとずっと思っていた。
「妙なこととは何でしょうか?」
教えてもらえるのなら聞いておきたい。
「うん。宰相、あれ持って来て。」
「あれでは解りません。」
「そうね、君はずっとそうね。」
あれだよ、あの『懺悔の書簡』と国王陛下が言った。
はい、と返事をして宰相が持って来たそれは、結構な量の手紙の束だった。
「これが全て『懺悔の書簡』なのですか?」
「そう呼んでいるだけでね、『懺悔の書簡』とは、先代と先々代の国王宛に届いた手紙のことを指す。」
*
その手紙は
聖女の元いた時代、世界の話から始まり、彼女の狂気に言われるまま従った、師団長の後悔と悲しみに満ちた手紙だった。
彼女は、昭和20年、1945年の春に、東京の下町からこの場所へと召還された。
少女は保護されてすぐに狂ったように怯え騒いだと書いてある。
さぞ怖かった事だろう。この世界の人は欧米人の見た目をしている。この子は米兵に囲まれたと誤解したのだ。
彼女は自身を捕虜と勘違いしていた。少しずつ環境に慣れると、今度は自分が実験動物にされると思い込み、何度も逃げだそうとした。
その中で唯一信用を勝ち得たのが当時の師団長だった。聖女は彼に
『あの、B-29よりも強くなって、敵を殺してくれ』と願った。
そして、その残酷な願いは叶えられた。彼の強さが『龍の如き強靱な肉体』だったのはこれか。
この子は戦争しか知らない子だったのだ。だから解らなかった。
彼女にとって敵とは社会全体だったのだ。
師団長は何年もかけて、自身にかけられた守護の魔法という呪いと戦い、後に聖女を連れてあの魔獣の森にこもった。凄まじい精神力の人だったのだろう。
晩年はずっと、単独で魔獣を狩り続けた事が記されていた。
彼は死後、『森の守り神』と呼ばれるようになったそうだ。
*
「全く解らんのだよ。このショウイダンとか、トウキョウダイクウシュウとか。」
「スミダガワという場所が死体で埋まったとも書いてあります。」
おそらく師団長も理解出来なかった事だろう。自身にかけられた『敵を殺す』魔法が、死ぬ迄彼を苦しめ続けた。その理由が知りたくても知る事も叶わず、我が身を呪い続けながら、最後まで戦い続けたのだ。
「酷い…。酷い…。」
涙が止まらない。
「あなたにはこれが解るのか?」
「はい…はい。余りにも酷い…戦争が、ありました…。その時代の終わり頃に、その子はやって来た。」
「人を殺す、敵を殺す事がどれだけ恐ろしいことか、その子には解らなかったと。」
「はい…。長く、長く暴力に晒されると、人は感覚が麻痺します。それが、当たり前になります。」
自分1人が暴力に晒され続けると、自分の事がどうでも良い『物』になる。
集団が、社会全体が、世の中全てが暴力に満ちると、人は『命の価値を見失う』。
「命が、人の命がとても軽くて、もろい時代の、一番辛い瞬間に、彼女はやってきました。彼女はここが敵の中だと思ってしまった。」
それでも彼女は誰かを護ろうとしたのだ。でなければ魔法は発動しなかった筈だ。誰かを助けたいと思ったその気持ちがあったと信じたい。
だけど、答えが解った所で過去は取り戻せない。
戦争は無かったことにはできないのだ。
*
「辛い話をさせてしまったかな。」
「いえ、私の時代はそのずっと後です。皆、歴史の授業で習うのです。」
全てが正しい情報かは解りかねますが、と付け加えた。
「今後は聖女の育った環境も考慮した対応をするように記録を残しておくべきです。」
私は提案した。
もし、また同じような事があったら、きっともっと酷いことが起こるだろう。
この子は広島と長崎を知らない。もしも知っていたら、考えただけでも恐ろしい。
「そうだな。」
私たちは今後にそなえ、記録を後世に残す約束をした。
「あなたには辛い事もあるだろうが、手伝ってもらえるだろうか。」
正直、思い出したくない事がたくさんある。今でも苦手な事がたくさんある。
「すみません。少し、考えさせて下さい。」
即答はできなかった。
「ところで、話は変わるが、これなんだが。」
そう言って国王陛下が先日見た国語の教科書を出して来た。
「もしかして、これはあなたの持ち物だったのではないだろうか。」
「はい。おそらくそうです。記憶になくて恥ずかしいのですが。」
返事をして受け取った。
私は親戚にたらい回しにされて育った。だからあまり学校へは行ってなかった。
小学校に上がってすぐに、母親が私を祖父の所に預けて消えた。その二年後に祖父が亡くなり、数件の親戚の家をぐるぐると回って預けられていたので、どの地域でいつどんな教科書を使用していたのか解らないのだ。
「でも学校に行きたかったので、きっと一緒にこの世界に来たのだと思います。」
シルビアが号泣しているのを見て、言うんじゃなかったと少し後悔した。
*
陛下との話を終えて、シルビアとのんびりお茶をする。
あの元気で明るいシルビアがめそめそしているのは辛い。
「そうだ、ちょっと待っててね。」
と言ってからカギを取り出してアパートに入る。
それから何か良い物は無いか探してうろうろすると、猫が現れた。
「にゃにゃにゃ。」
「あ、なまり節?今出すわね。」
お皿に乗せて鰹節をかけて食べさせる。
「何か良い物ないかなあ。」
そう呟くと、猫が前足でカシカシと何かを叩く。これは何かの合図だろうか。
「ん?お前、やっとファンタジー能力に目覚めたの?」
猫はこぼれた鰹節を食べているだけだった。
私は諦めてコーヒーを持って部屋を出た。
ありがとうございます。




