26.時の座標
アレッサンドロ・ビコーが身体強化の魔法に目覚めたのは、おそらくは12歳頃だったと記憶している。それ以前から徐々に人よりも身体が大きく強くなっていた自覚はあったが、はっきりと強大な力が自身にあると感じたのは怪我をした馬を片手で持ち上げたのがきっかけだったと自覚している。(本人談)
当時、国内で魔法が使える人間は僅か3人。ビコーで4人目だ。
彼がどれほど価値の有る人間かは言わずもがなだ。家族は喜び、他の貴族からは縁談が舞い込み、ビコー家は大騒ぎになった。その当時、
「私には妹が1人いました。」
アレッサンドロ・ビコーにはイゾルデと言う名の2歳年下の妹がいた。
イゾルデには8歳で婚約した平民の幼なじみがいたが、アレッサンドロに魔法の才能があると判明してすぐに多くの縁談が舞い込んだ。イゾルデは幼なじみとの結婚を強く望んでいたが、無理矢理婚約を破棄させられて、とある貴族の元に嫁がされた。
魔法が使える子が産めるかも知れないと、それだけの理由で、上位貴族からの半ば強制的な縁談の申し込みを断るだけの力はビコー家にはなかったのだ。そして、
「イゾルデは16歳で結婚しました。そして、その半年後に、自ら命を絶ちました…。」
婚姻後僅か半年で自殺。
その理由は、幼なじみにあった。彼にイゾルデとの結婚を諦めさせる為に、イゾルデの嫁ぎ先の貴族が、
「彼を襲ったのです。」
師団長は詳しい説明をしなかった。それほど酷い怪我だったのだろう。
彼は長く寝たきりの生活を送った後、息を引き取った。
彼女の絶望はどれほどのものだっただろう。そんな人間の元に嫁ぎ、逃げる事も叶わない暮らし。あまりにも残酷すぎる。
彼女が亡くなったのは、幼なじみの死を知らされた3日後だったという。
「イゾルデは、私と違い小さく、大人しくて弱い子でした。」
ビコーは、自分に魔法適正が無ければこんな事にはならなかったと、激しく自分を責めた。何より、
「こんな事を思ってはいけないと解っているのですが、私に聖女の血が混ざっていなければと、魔法を使える身体に生まれてこなければ…イゾルデは…。」
彼は、己の運命を嘆いた。
聖女とは何なのか。何の為に現れるのか。何故、聖女の子孫に魔法が使える人間が生まれるのか。それら不条理に憤りを感じつつ日々怒りを溜めていた矢先、悲しみさめやらぬ、その僅か1年半後に、彼は聖強院への移動を命じられた。
「腹が立ちました。どうして私が聖女なんかを護らなければならないのかと思いました。」
一度は断ったが、「聖女さえ来なければこんな事にはならなかった。」と、聖女が来ても追い返すつもりで師団長の任を引き受けたと教えてくれた。
だから最初に会ったとき、横柄な態度を取っていたのだ。そりゃそうだ。
私だってそうする。全力で帰れコールすると思う。
「すいません。私たち親子が来て嫌な事思い出させてしまったのですね。それなのに私、もの凄い態度で…怒鳴りつけちゃったし…。すみませんでした。」
師団長は、頭を下げる私を手で制して
「違うんです。リッカさんに会って、解ったのです。あなた方も望んでこちらに来た訳じゃない。」
歴代の聖女の記録には、幼い不幸な少女達の記録が書いてある。それらを読むうちに少しずつ考えが変わっていったそうだ。だが、
「最初にお合いしたとき、リッカさんは、その、あまりに元気で。」
疑ってしまったという。不幸で幼い少女の親が現れて『誘拐された』と騒ぎ立ててきた為に、ちょっとカチンときてしまったらしい。
「ですが、リッカさんを見ていて気付いたのです。」
「気付いた?何をですか?」
おそらくそれは『ミヨの日記』に書いてあると思われるのです。と言って、彼は一冊の古ぼけた本らしき物を見せてくれた。
その茶色い皮の表紙には、拙い日本語の文字で『ミヨとあにさま』と書いてあった。
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『ミヨとあにさま』
私は「拝見します。」と一言発してから日記を受け取った。
ページを開くと最初の数ページは日本語で書いてあった。その後ろはこの国の文字で書いてあるため全く読めない。
とても可愛らしい文字だ。時間をかけて丁寧に一文字一文字書いている。
「あの、ミヨさんは何才でこれをかき始めたか解りますか?」
「いえ、そこまでは知りません。ただ、最初の数ページに関しては『こちらに戻ってすぐの物』だと聞かされています。」
「戻ってすぐ?」
「はい。彼女も『護国の聖女』と同じように、一度消えて、再び戻って来たのです。」
これは沙羅の仮説が正しいと立証できてしまうかも知れない。出戻り聖女の記録。知りたかった事がここに書いてある。私は緊張で冷たくなった指で、ミヨの書いた文字に触れた。
『きょう から あにさま と もじ の べんきょう を します』
から始まるミヨの日記は、『あにさま』への素直な感謝の気持ちが綴られていた。
と言うか、『ありがたい』ばかり書いてある。恋愛結婚と聞いていたが、なんだか妙な文章だ。2番目が『たすかった』だ。
『すき』も『うれしい』も無い。
「何これ?どういう事?」
眉間にしわが寄る。必死に情報を漁ると、とんでもない文字が目に入った。
『くろふね』
「嘘でしょ?」
私は新撰組が好きだ。幕末ネタは追いかける。唯一の趣味と言っても良い。
その私の記憶が正しければ、黒船来航は嘉永6年、1853年の筈だ。後でもう一度調べよう。いや、それどころじゃない。1853年、数字が合わない。
「あの、ミヨさんはこの世界でおよそ300年前に、こちらに来たんですよね?」
「そうです。」
妙に落ち着いている。不安になってくる。
「あのですね、ミヨさんは私の世界の、同じ国の人でした。」
「はい。」
「ですが、数字が合わない…です。私の世界ではミヨさんは、およそ200…180年位前の時代の人なんです。」
「そうですか。」
どうしてこの人は平然としているのか。私には全く理解出来ない。
「時間が…どうして…。」
焦りながら他の文字を、何か手がかりになりそうな文字を探す。全てひらがなな為、もの凄く読みにくい。そして見つけた。
『あにさま の ところへ もどると わたしだけ としを とっていた』
時の流れが違うのか。でもどう違うのか解らない。
顔を上げてビコー師団長を見ると、彼は私をじっと見つめていた。
「リッカさん。そこにはミヨが大人になって戻って来たと書いてありましたか?」
「はい…。もしかしたら時間の流れが違うのではと、娘と話しをしていたんです。それで…。」
「聖女であるミヨが成長して戻って来た。これは、ビコー家の秘密だったのです。」
彼は一度下を向き、それから顔を上げて私に言った。
「リッカさん。あなたは10年前の聖女ですね?」
「……はい?!いやいやいやいや!私違いますよ?!そもそもこっちに来たのは今回が初めてですし?」
この人はいきなり何を言っているのか。
「護国の聖女もミヨも3、4年で大人になって戻ってきました。」
「時間的には…合うと、思いますけど…。でも私知らないですし。」
「そうですか。」
師団長は納得いかない顔だ。悪いがこっちだってそうだ。
まさかそんなネタが……いや、もし私が……違うな。違う。
私にはそんな大それた記憶が無い。私の人生は地味で目立たなくて、誰にも気付いてもらえない、そんな特別は私には無い…。
だけど、もしもこの時間のカラクリがそうだったとしたら…。
ヒューゴが可哀相だなと思った。
ありがとうございます。




