13.聖域
やっとこさ
カギをさした直後、私は光に包まれた。
徐々に光が落ち着いて、目が慣れてくると、風景の輪郭がはっきりと見えた。そこは
「あれ?!」
アパートの玄関だった。
「帰って来ちゃったわ…。」
靴を脱いで玄関をあがり、キッチンへ行くとあの日のままの状態だった。
「あらいやね。」
流しにあった食器を洗い、カゴにあげてキッチンペーパーでシンク周りを拭く。いつもの習慣で洗濯機の中を見て、自分の服を脱いで入れて洗剤と柔軟剤を入れてスイッチを入れる。
流れでそのままシャワーを浴びて、バスタオルを身体に巻いたまま部屋に行き、服を着替えると再びキッチンに戻り珈琲を入れる。コーヒーメーカーのブポポッポポッとお湯が全て出切った音を聞いてからカップに入れて一息つく。
「ふーっ。長い明晰夢だったわあ。」
落ち着いた。
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さて、娘はどうしているだろうか。
明晰夢が終わったと言う事は、娘は相変わらず部屋に入ったままだろう。
部屋のドアをノックして娘を呼んでみる。
「沙羅?いる?」
すると『おかあさん?!』とくぐもった声が聞こえた。
「え?」
何かあったのかと思い、「開けるわよ。」と一声かけてドアを開いた。
目の前に もよん とした薄ピンク色の壁があった。
「何これ?」
ドアの内側、部屋にみっちりとくっついた形で柔らかい壁がある。むにむに手のひらで押すが、絶妙の弾力で押し返される。
「ちょっと!沙羅!これ何?」
「知らない!開けて!」
怒鳴り返された。合間に猫の鳴き声らしき音が聞こえてくる。どうやら猫を持ち込んだらしかった。このアパートはペット禁止だ。
「開けてって言われても…。あんた、猫いるでしょ?」
「知らない!」
とぼけるつもりか。まあ仕方ない。私も猫は好きだし、しばらく保護するのもやぶさかでは無い。
だが、嫌な予感がする。このむにむにの壁はアパートには無かった代物だ。つまりここは私の知る世界とは少し違うやも知れない。
急いでカーテンを開けて窓の外を見た。何も無い。
「真っ白だったわ…。」
明晰夢の夢が潰えた瞬間だった。
「沙羅。ここね、アパートのあんたの部屋なのよ。何か内側に柔らかい壁があるけど。」
「え?!あたしの部屋?」
「そう。ご飯作るから出てきて頂戴。」
「にゃあ。」
娘の代わりに猫が返事をした。
キッチンへ行き、冷蔵庫の扉を開く。前日買い出ししたままだったので、食材は色々たくさん入っている。賞味期限が全く解らなくなってしまったが、時計が12時丁度で止まったままなので大丈夫だと信じて食べ物を取り出した。
とりあえず焼きそばを作って、常備菜の金平とひじきの煮物を出す。
沙羅には麦茶を用意し、猫にはなまり節の上におかかをふりかけ小皿に入れて準備した。
「できたわよ!」
と声をかけると、薄ピンクの壁が消えて娘と猫が出てきた。
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6年ぶりに娘とじっくり話しをした。
「じゃあいきなりここへ来たの?」
「そう。あのじじいキモくて…。」
「そうね。あのおじいさん捕まるそうよ。沙羅の誘拐で。」
「やっぱりあれ誘拐だったんだ。」
「そう。ごめんね、おかあさん何もできなかった。」
「いいよ別に…。」
普通に会話ができる。こんな事小学校低学年以来だなとしみじみ思う。
足下で謎の猫がガツガツなまり節を食べている。そう言えば普段なまり節など買ったこと無かったのに、あの日は何故か『なまり節を買う、なまり節を買う。』と頭に響いて、スーパーのカゴに入れた記憶がある。あれは何だったのか。まさかこの猫が?と疑いの眼差しで猫を見ると「うみゃうみゃ」と言った。美味しいそうだ。
「沙羅、ここを出たらまたあの世界に行くみたいなんだけど、どうしてこうなったか解る?」
すると娘が難しい顔をして、何かを思い出すようにして教えてくれた。
「多分…なんだけど…。思い当たることがあって…。
あそこに行く直前に、シャベッターにDMが来たの。」
SNSやってたのか。
「知らない人からだったんだけど…。」
いきなり届いたDMを開いて読んで挙げ句返信したそうだ。
「面白かったから。」
これだから子どもは!と怒りたい気持ちを抑えて話しを聞く。
それは妙なDMだったそうだ。
いきなり届いたそれは、送り主が不明、というか何も記載が無かったと言う。
そこには一行だけメッセージが書いてあった。
『ここから出られたら何をしたい?』と。
沙羅は救いを求めていたのだろう。誰とも解らない相手に返事をした。
『人生をやり直したい。』
僅か16歳で人生をやり直す事を望んだのだ。
私は唇を噛み、下を向いた。
「ごめんね。おかあさん、沙羅のこと何も解ってあげられなくて、ごめんね。」
涙がポロポロこぼれた。
「おかあさんが悪い訳じゃ無い。沙羅がバカだから。」
「沙羅はバカじゃ無い!」
泣きながら叫んだ。
「あんた!誰よりも優しいじゃない!おかあさんがダメ人間なのに、いつも我慢してくれてたじゃない!」
「あたし、すぐキレるし、お母さんのこと叩くし。」
「いいよ!それ位!大丈夫だよ!」
2人で抱き合って泣いた。
「沙羅、沙羅は我慢するの苦手なだけよ。少しずつだけど我慢できるようになってたの知ってるよ。
あんたは良い子よ。世界一大切な子よ。」
沙羅は私の腕の中で泣いていた。
いつの間にか私よりも大きくなっていた娘は、まだ幼い子どものままだった。
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「じゃあ、おかあさん行ってくる。」
「うん。」
「冷蔵庫にカレーとか入れて置いたけど、もどって来られそうな気がするから、また帰ってくる。」
「なにその自信。」
「何かね、玄関のカギで開けたらここに来たから、またこのカギ使えば大丈夫だと思うの。」
「にゃあ!」
猫が太鼓判をおしてくれた。
「あんたがこっちで暮らせるように、なんとかしてみるから!」
「解った。」
荷物を準備し、娘と約束をしてから、再び私はドアを開けて外に出た。
ありがとうございました。




