〜白銀〜
いつの時代でしょうか。誰も足を踏み入れない地の果てにこびとたちが住むお城がありました。
こびとは星に奇跡と恵みをもたらすため、さまざまなことをします。例えば毎年、こびとたちは神様のお達しで冬を刷ります。
城壁の上でこびとたちは作業を始め、麻袋から冬の力を取り出すのです。冬の力は練られて形を変え、冷気の塊になります。
とくに今年は夏の力が少し強くなってしまったので、春を迎えることを見越して寒くしなければなりません。いつもより多めにそれらを空に放ち、冷たい風と雪を降らせて冬を刷っていきます。
作業をしているこびとたちの中におっちょこちょいが一人、いました。
クルンピグという名前で、名の通り不器用という意味をそのままに表したような存在でした。
彼は夏の力の分量を間違えた原因でしたが、神様は間違えた責任を負わせるために冬を刷る作業も任せることにしたのです。
しかし、神様の判断は残念ながらもっと大変な結果を生むことになってしまいました。
冬の力が足りなくなったので仲間から袋を受け取り、運んでいる途中でした。クルンピグは足をつまずいてしまったのです。
たくさんの冬の力が大地に染みてしまいました。冷気に変えないまま流してしまうと力が大きく、とんでもないことになってしまいます。
「うわあああああああ!!誰か助けて!!!」
クルンピグはそのまま風に巻き込まれてしまいました。仲間が助けに行こうとしますが、冬の力を含んだ風は強すぎて近づけません。そのまま何処かへ吹き飛ばされてしまったのです。
仲間たちは困ってしまいました。
それを見ていた神様はため息をついてこびとたちに言いました。
「はぁ…クルンピグめ。お前たち、しばらくは冬の力のせいで冬を刷らないでもいい。そのかわりアイツを探してきなさい。」
こうして、人間の住む世界では例年稀にみる大寒波に見舞われてしまいました。普段はそこまで雪が積もらないところにも足が沈むまで積雪しています。
クルンピグが落ちたのは、里と呼ぶにふさわしい山村の近くでした。高い場所からの落下でしたが、ホイップのような雪がクッションになってくれました。
クルンピグは顔をブルブルと振り、雪を落として周りを見渡しました。木々に包まれた幻想的な風景は空の上や、自分たちの住む世界とはまた違った美しさがあります。
うわぁ!とクルンピグは大はしゃぎましたが、すぐに我を思い出し、事の重大さを思い出したのです。
とにかく帰らなければと散策してみますが、どこも雪、雪、雪。一面の銀世界です。
どうしたものでしょうか。
クルンピグは神様や仲間たちに見捨てられたかのように思えてきて泣き出してしまいました。
その時です。首につけた鈴をけたたましく鳴らしている黒い犬が雪を蹴り、こちらに走ってきたのです。
勢いは衰えず、クルンピグを咥えて去っていきました。きっと口で掴んでいるものの様子など気にしていないのでしょう。犬があまりにも力いっぱい走るのでグルンピグは目を回しました。
そうしているうちに犬は猛ブレーキをかけて大きな影の前で立ち止まりました。
「ダン!どうしたんだ?」
声の主は18歳くらいで狩人の格好をした青年でした。ベストを着て、肩には銃をしっかりと担いでいます。
犬は地面にそっとグルンピグを置きました。
「なんだ?人形か?」
青年は手に取って眺めます。
クルンピグはしばらく目を回したままだったので、ぼーっとしていましたが、目の前の巨大な存在にびっくりして飛び上がりました。
驚いたのは青年も同じです。退けぞった拍子に尻餅をつきました。
「な、なんで?僕が見えるの?」
青年はコクリと頷きましたが、目の前で起きている不思議な光景を受け入れられずにいました。
グルンピグは戸惑いました。人間です。こびとたちは普段人間に見えないようになっています。時々見える人間もいるようですが、もし見られても交流してはいけないと神様にきつく言われていたので余計にでしょう。
ここでじっとしていてもキリがないので、神様に叱られる覚悟で人間との会話を試みます。
「僕の仲間を見なかったかい?いろいろあって途中ではぐれちゃったんだ。」
青年は黙って首を横に振りました。もう狩猟どころではありません。青年は精霊や怪異といったものは全く信じていなかったので、この不思議な存在をどうやり過ごすか必死に考えていました。
ですが、ダンはとってもこびとに懐いています。舌でこびとのほっぺを舐めたり、頬をすりすりしていました。こびとも嬉しそうにして無邪気に笑っています。
青年はこのありえないような現実に呆れ、勇気を出してこびとに声をかけました。
「ここじゃ寒いだろう。よかったら仲間が見つかるまで俺の家に来ないか?」
「え?いいの?ありがとう人間さん!」
「………アーロンだ。」
こびとは一瞬、理解が追いつきませんでしたが人間にも一人ひとり名前が与えられるという話を聞いたことがあったので、自分の名前を元気よく名乗りました。
「僕はクルンピグ!よろしくねアーロンさん!」
こびとのこともあるので、アーロンは今日の猟はやめました。ダンの上にクルンピグを乗せ、自分の家がある街の方に向かいます。
昼間ですが、白い雪に包まれた人間の街は自分の存在を示すかのようにオレンジ色の光が煌々と光っています。
やがて、彼らは煉瓦造りの街並みにでました。雪が多く降っているので外に出ている人は誰もいません。街灯だけが寂しく突っ立っています。
タイルの道を進む途中でアーロンは立ち止まりました。クルンピグはダンの背中から降りて、どうしたんだろうと様子を伺いました。
「ここが俺の家だ。」
アーロンは指をさして言いました。赤い屋根に煙突がついているログハウスです。中に入ると、とても整頓された部屋が広がっていました。
暖炉とキッチンと4人分の椅子に、テーブルです。階段もあったので、2階もあるのでしょう。
青年はどこからか薪を持ってきて暖炉に火をつけました。煌々と燃え始めた炎が部屋中をあっためます。
こびとは犬の毛をワサワサしながら目をキラキラさせて暖炉の前に入り浸っています。
炎は長い時間を燃料に、悠久を踊るかのように感じられましたが、クルンピグとダンはコトンという音で炎から意識が離れました。
何やら濃厚な香りがします。
「こびとも飯は食うのか?」
アーロンは木のテーブルに食器を並べて尋ねました。奥のキッチンの方では鍋から湯気が出ています。
「うん!たべるよ!でも人間の食べ物はあんまり口にしたことはないなぁ。ま、大丈夫でしょ。」
それを聞いたアーロンは鍋から牛乳に似ているようで似てない、ドロっとした液体を皿に注ぎました。具には馬鈴薯や人参、肉が入っています。
そのままダンを呼びました。クルンピグもついていきます。大人しくお座りしたことを確認すると床に別の皿を置いて、大きな生肉の塊を乗せました。
「よし。」とアーロンが合図を送ると肉にがっつき始めました。普段はおとなしくでもこういうところに猟犬さを感じさせます。
その間にアーロンはグルンピグへ、テーブルの上に登るように伝えました。椅子をうまく使って頂上に辿り着きます。湯気が出ているお風呂くらいの大きさの皿を指差して言いました。
「これは何?おいしいの?」
「シチューって言うんだ。俺にとってはご馳走だよ。そこにスプーンがあるだろう?ちょっと大きいがすくって食べてみるといい。」
グルンピグは、なんとか両手でスプーンを持って食べてみました。
「!」
たった一口が稲妻のような衝撃を与えました。体に満ち満ちていくのは、いつも作業で扱っているものとはまた違った自然の恵みです。
ただそこにあるだけではないのです。調和と秩序がそこにはもたらされています。
思わずクルンピグは絶句しました。そして、夢中で口の中にかきこみます。知らぬ間に皿の底が見え始め、もうないのかと残念な気持ちになりました。
それを見かねたアーロンが尋ねました。
「鍋にまだいっぱいあるから、食うか?」
クルンピグは目にいっぱいの輝きを以ってアーロンを凝視しました。
いつもは明日の朝用に鍋いっぱいシチューを作っているのですが、突然やってきたこびとがあらかた食べ尽くしてしまいました。
あの小さな体でどうやって…と疑問は尽きません。でも、こびとという存在を目の当たりにしていること自体よくわからないことなのでアーロンは考えるのをやめました。
食器を片付けて洗い物をします。
後ろからは無邪気そうなクルンピグの声がしました。
「そういえば、アーロンさんはずっとここに一人?お父さんとお母さんは?」
一瞬手が止まって、どきっとしました。それは触れないようにずっと胸にしまっていたことでした。こうやって指摘されると、胸を抉ったものが引っかかって息を詰まらせているような感じです。
「…………………」
わざと何もなかったかのように黙って皿洗いを続けます。クルンピグは何かを察したのか、何も言ってこなくなりました。
全部の皿洗いが終わって振り返ると、テーブルの上で仰向けにぐうぐう寝ているクルンピグがいました。
アーロンは少し申し訳なくなったので、2階の自分の部屋まで手のひらで包んで持って行き、ベットにそっと入れてやりました。
2階までついてきたダンも横で少し丸まってクルンピグを守るように優しい眠りにつきました。