本当の私と現代世界
微笑みながらアイリが言葉を続けた。
「あなた悠里絵は、この世界では新しい神、モイラと呼ばれているの」
(モイラね……。ええ?)
「ええっ! 私がモイラだって? だって今はフレイヤの姿でしょ?」
フフ、と声にしたアイリ。
「モイラは新しい神になるためにフレイヤを殺すことを考えた。大好きな人を殺すことで、耐えがたい心の葛藤、後悔と満足を得るために。けれども、フレイヤを想う気持ちが強すぎて行動に移れなかった。だからモイラは自分を半身に分けたの。フレイヤを愛するモイラ、純朴なその心は、十二次元下の現代へ落ち、そして悠里絵へと生まれ変わった」
私はあまりの事に声も出せずに、アイリの言葉を聞いていた。
「悠里絵、あなたに生まれ代わったモイラは、まったく新しい道を歩んでいく筈だった。でもね、全てを完全に断ち切り事は出来なかった。モイラに剥ぎ取られた、フレイヤのエーテルは、あなたに受け止められた。それは偶然じゃなくて、フレイヤを慕うあなたが起こした奇跡」
私はアイリの言葉をなんとか理解しようと努力していた。何故なら、私がモイラの半身で有る事を、私の心が理屈なく受け入れているからだった。
「半身を、悠里絵を、捨てたモイラの気持ちに気付いた私は、モイラを消去しようとしたわ。それも見越して、モイラは準備をしていた。既に、私とモイラの識別番号が入れ替えてあった。私はモイラを消去しようと命令を出し、自分で自分を消してしまった」
「消された? アイリは、なぜ助かったの? どうして現代で愛莉になったの?」
少し落ち着いてきた私は、胸にわく疑問を声に出した。
「フレイヤが殺されたとき、そのエーテルは、繋がった別次元である現代へ飛んだ。もう帰れないと思ったフレイヤは、それまでの定められた未来を追うのではなく、新しい未来を生きることにした。自分が持っていた神の記憶を捨てて、人間として生きることを選んだ。その時にあなた、悠里絵と融合したの。でも忘れられるはずないのに。自分の故郷、この艦マスティマのこと。捨てる事が出来なかったフレイヤのその想いが”Stars Logbook”となった」
私が独りでいるのを好んだこと。
でもどこかで凄く淋しかったこと。
その理由が分かった気がする。
そして、その孤独と淋しさを紛らわすかのように、いつも側にいてくれた、愛莉。なぜか涙が出てきた。心が締めつけられる。なあに、この感情は? なぜこんなに心が苦しいの?
「アイリは私が淋しくないように、私の側に居てくれたのね。現代の私の側に愛莉として」
アイリである愛莉が頷いた。
「私はモイラのことが好きだった。姉妹の様にフレイヤに仕え、苦しいときも楽しいときも一緒だった。フレイヤから名前を貰って、人としての感情を持ったとき、苦しくて悲しくて正常な状況を保てなかった。それでも私は耐えたの。このマスティマに残ってフレイヤの側に居たかったから。でも、モイラは耐えられなかった。そして神の力を望んだ」
愛莉は、私の肩を抱いて言った。
「愛莉は幸せだった。あなたと一緒に居られたから。妹であるモイラとフレイヤの心に触れられて生きられたから」
私はひとりじゃなかった。
いつも側に私を想ってくれる人居てくれたんだ。
涙が溢れて止まらなかった。
「涙か。我々”判断する者”が持たない機能だな」
シヴァが私たち二人を見て言った。
「我々は、感情に流されず、部下が死んでも、友が死んでも泣くことが出来ない光の戦士だ。それが私達の宿命。それでも感情は持たされている。悲しくても辛くても、泣けない心を」
私はシヴァを見上げた。この美しい人は、自信と知性、揺るぎない意志を持ちながら、強さと弱さの両方持っているのだと思った。
そうか、私がフレイヤやシヴァに魅かれるのは、その強さや能力に憧れるからではない。
強くも弱くもあり、辛くても悲しくても、痛くても心が折れそうでも、前に進もうとする気持ちを持って生きているからなんだ。
私の視線に気が付くと、シヴァは恥ずかしそうに窓の外に視線をそらした。
「それで、ミジンコはどうするんだ? このまま、フレイヤとアイリの言うことを聞くのか?」
「え? どう言うことなのシヴァ」
「暴走した闇のモイラは、爆弾みたいなもので、いつその力を解放するか分からない。新しい神となったモイラが、この世界で爆発したら、世界に大きなダメージを与えてしまう。だから、フレイヤは決断した。おまえの住む現代にモイラ封印すると……な」
「モイラを封印するために、フレイヤは私と別れて、もう一度現代へ飛んだ……。えっ? 待って。モイラが封印されたら、私の世界、現代はどうなるの?」
シヴァが面倒くさそうに答えた。
「モイラが現代の人々を、直ぐに殺す可能性は三十パーセント。女王として君臨する可能性八十パーセント。その後、全てに飽きて世界を消す可能性は……百パーセント」
シヴァの言葉に私は絶望的な気持ちになった。
「そんな……。私達の世界は消えてもいいってこと?」
「時空は、世界はディレクトリ構造になっている。つまり一本の大きな木なのだ。この世界が幹ならば、お前たちの世界は枝だ。枝が折れても、また生えてくる。だが幹が傷つくのは、避けなければならない。木自身が死ねば、この時空の何億の世界が消えることになる」
あくまでもシヴァは冷静だった。
「でも私達の世界なのよ。消えていいなんてことはない」
「ならば、戻るか? 戻っても何にも出来はしないが、ここに居れば、おまえだけは助かる」
両親や学校や時輪、八束。色んな人の顔が頭に浮かんだ。独りでいいと思っていたのに。怒りと悲しみが同時に襲って来る。
「そうね、何も出来ない。私には特別な力はないもの。特別な力を持つあなたには分からないかもしれないわね」
シヴァは美しく知的な瞳で私をまっすぐに見た。
「アガレスの主砲を防いだ。予想値としての成功率は二十五パーセントくらいだった。ついでに言えば、そのエネルギーの余りで時空を開いてフレイヤとアイリを呼び戻し、この艦のセキュリティを解除してモイラとフレイヤを現代へ弾き飛ばす。その全て成功する可能性二パーセント以下だった」
私はシヴァの言葉に耳を疑った。
「そんな、あやふやな、少ない可能性で、全てを行ったって言うの? あなたは神なんでしょう?」
「事を成す時はできるか、できないか、所詮二択だ。成功する可能性が百パーセントであっても可能性に過ぎない。必ずできる、そう考えて、最善を尽くす。それ以外に何ができる? そうではないのか?」
シヴァの言葉に私は目が覚めた気がした。
そうだ神であるシヴァでさえ、少ない可能性をを信じている。
戻ろう。私の世界へ。例えなにも出来なかったとしても。
「私もやってみる。現代に戻ってモイラを説得する。失敗しても消える人間が、一人増えるだけだものね」
私は今の自分の気持ちをシヴァとアイリに伝えた。
不安げに私を見ていたアイリが、シヴァに何かを言おうとした。
シヴァは静かに首を振った。
「この娘の行く末は、自分で決めさせるべきだ。分からずとも全てを話し、自分で自分の未来を決めせる。何も知らずに命を守ってもらったとしても、それではペットと同じだ」
アイリは頷いた。
「そうですね。悠里絵の未来は悠里絵に決めてもらいましょう。それでシヴァ、お願いが……」
最後まで聞かずに、シヴァは美しい蒼い瞳を閉じて言った。
「この艦隊は預かろう。フレイヤが無事に帰ってくるまで、この光速のシヴァがな」
アイリは私の方を向き、手を握った。
「さあ、行きなさい悠里絵。そして必ず戻ってくる。そう約束しなさい」
頷く私に、シヴァが小さな蒼い石を差し出した。
「この石は……」
「単なるお守りだ、ミジンコ娘。次空の扉は、もうすぐ閉じる。急げ!」
シヴァが右手を挙げると現代への輝く扉が開き始めた。




