狩人と受付嬢の邂逅 前半
今にして思えば、アサカとの出会いは本当に些細な偶然だった。
今より2年ほど前、17歳になったリュカは冒険者になりたいという、幼き頃からの夢を叶えようとその場所を訪れた。
冒険者ギルドである。
いつか大物冒険者となって、故郷の連中を見返してやる。
そう息巻いて、この街にやってきた以上なんの成果もなしには帰れない。
村での狩りで日常的に弓や短剣は使っているし、日々の農業で養った体力には自信があった。やってやれないことはない。
リュカが足を踏み入れると中は非常に賑やかで華やかだった。
テーブルが整然と並べられ、そのテーブルを囲むように集う、沢山の老若男女。
木のジョッキを片手に一気飲みをする鎧を着た男性や、音頭をとるローブ姿の女も見受けられる。他愛ない世間話や、冒険譚に華を咲かせる楽しそうな人達。
ここはまさに活気と陽気に包まれた酒場だ。
リュカはそんな空気に圧倒されつつも、これから巻き起こる冒険に胸を弾ませながら、ギルドの受付へと向かった。
そこは酒場の空間から少し離れた場所にあった。
仕切り窓によって分かたれたカウンター。
その直ぐ横には、大口を開けた竜を模した穴の開いた壁がある。
大きな木製のボードを埋め尽くす程の張り紙。それらすべて依頼だというから驚きである。
そしてその依頼の受注や管理を行うのが受付嬢と呼ばれる人達だ。
カウンターテーブルで冒険者の相手をしている女性達。
白いカッターシャツの上から羽織った紺色のベスト。
膝丈の黒地のプリーツスカート。
一見すればそれは、それは地味な町娘風とも言える。
だが胸元を可憐に彩る蒼いタイ。なにより彼女達自信の整った顔立ちと、可憐さの中に漂う厳かな雰囲気が、普通の町娘とは一線を画す存在へと変える。
彼女達がギルドの受付嬢たちだ。
とくにこのギルドには評判のいい受付嬢が居るらしい。
明るくおしとやかで料理上手で器量よし、この街のお嫁さんにしたい候補ナンバー1だとか。その人を一目見ようと探してみると直ぐにその人は見つかった。
すらりと背が高く、シュッと尖った小顔に銀色のまとめ髪。
慈愛に満ちた優しそうな鳶色の瞳の上では、長い睫がゆれている。
きっと彼女がお嫁さんにしたい候補ナンバー1の受付嬢なんだろう。
リュカは自分とは縁がなさ過ぎると、すいている受付嬢の前に移動した。
その受付嬢は、ほかの受付嬢に比べずいぶん若かった。リュカと同じかそれよりも若く見える。
長い銀色の髪には蒼いリボンの髪留めが映え、強い意志を宿すかのような切れ長の目は深い海を思わせる瑠璃色の瞳。すじの通った鼻は小さく、柔らかく潤んだ薄紅の唇もほどよく小さい。頬から顎先にかけても綺麗な逆三角を描く可憐な少女に見入ってしまう。
「いらっしゃいませ、ご用向きは何でございましょう」
そんな少女に、にこやかに微笑みかけられるだけでリュカの鼓動がトクンと高鳴った。
頬が仄かに熱を帯びてきたが、青年は邪念を払うように首を振った。
ここには彼女達を拝みに来たわけでは無い。
名を挙げ、自分のことを馬鹿にした田舎の連中を見返す。
その為にこの街に来たのだ。
「冒険者として働きたいんだが……」
「……」
なぜか目の前の受付嬢が笑顔のまま固まった。
心なしか顔が若干引きつっているようにも見えた。
聞き違いではないだろうか? 彼女の心の声が聞こえた気がした。
確かに冒険者を志す者には見えないかもしれない。
服装は麻のシャツに黒綿のズボンといかにも農夫然としているし、武器と言えば小さな短刀のみと貧弱だ。
でも宿に行けば手作りの革鎧もあるし、弓もある。さすがに見た目だけで卑下されるのは不愉快だ。
「聞いてる? 冒険者になるには登録が必要だと……」
語尾を強めてリュカは憤懣を露わにした。
「ああ、冒険者登録希望のかたでしたか。てっきりご依頼に来られたのだとばかり。これはとんだご無礼を。お許しください」
うやうやしく詫びられると、リュカは緊張していたことがばからしく思えた。
自分はかなり低く見られている。田舎でも、この場所でも。
初対面の人間にすら見下されるとは、気が滅入る。
「はあ……もういいよ。どうせ俺なんか、貧相な見た目だから冒険者には見えないだろうよ」
「はい、そうですね」
どうやらこの女は、本音を隠すということを知らないらしい。
「ですが悲観することはありません。冒険者登録に際しあなた様の身体的能力を鑑定致します。結果如何では、あなた様の隠れた才能を見いだせるかもしれません。その前にお名前を伺ってもよろしいですか」
「リュカ・レイブン」
「はい、リュカ様ですね。ではリュカ様、これを腕につけてくださいませ」
女は一つの腕輪を取り出した。表面に幾学的な模様が彫られた銅褐色の腕輪。
リュカは右腕にそれをはめ込んだ。
特にそれだけでは何の変化も起きない模様。
「これであなた様も立派な冒険者ですね。とてもお似合いですよ」
女は掌を可愛らしく叩いてみせる。
そんなに賞賛されるとなんだか照れくさい。
「ほ、ほんとうか?」
「ええ、とても立派な駆け出し冒険者にみえます」
「それは褒めてるのか、けなしてるのか?」
「もちろん褒めてますよ」
その笑顔がだんだん胡散臭く思えてきたが、その仕草はやはり可憐だった。
「さて、腕輪の装着はおすみなようですし、こちらへどうぞ」
「はい」
女はカウンターの横に据えられた、口を開けたおどろおどろしい竜のいる壁の前にリュカを連れて行く。口部には腕が通りそうな程の穴。
「この穴にその腕輪ごと腕を押し込んでくださいませ。少しチクリとしますが、ご心配には及びません」
「わ、わかった」
リュカはおそる竜の口に手を腕を入れる。
すろと竜の口が突然とじたのだ。
痛みは感じないが反射的に腕を抜こうとあがいたが、その力は凄まじく抜ける気配はない。
「な、なんだ!?」
リュカが慌てふためいていると腕輪を着けた手首に針で突かれたような痛みがちくりと走った。
「落ち着いてください。直ぐに済みますので、しばしご辛抱を」
女のいうとおり痛みはすぐになくなり、竜の口も直ぐに開かれリュカの腕は解放される。
するとそこに腕輪はなく、その場所には銅褐色の入れ墨が掘り込まれていた。
腕輪の中腹には星が1つ。1星冒険者の証だである。
「これで俺も冒険者なんだな」
「はい。冒険者登録の儀式はこれで完了です。さ、こちらをごらんください」
「こ、これは……この数字は」
竜の壁の頭上に文字が浮かび上がってくる。
「さまざまな身体的能力を数値に表したもので、ステータスと冒険者は呼びます」
「これが俺のステータス」
いつのまにかその周辺には、人だかりが出来ていた。
冒険者誕生の瞬間は往々にしてこうなるのだそうだ。
「さて、ステータスがでそろいましたね」
「それで、この数値はどうなんだ」
「……こ、これは! 大変素晴らしいです。こんな数値、なかなかお目にかかれません!」
興奮気味に女が言う。
俺にも秘められた才能が
「ものの見事にすべてにおいて平均を下回っていますね。普通、どれか一つぐらいは平均を上回るものなんですが。清々しい程に雑魚ですね」
なかった……周囲の人だかりが沈黙と共に捌けていく。
というかこの女、やっぱりむかつく!
「くそ……くそ、くそおおお! なんなんだよさっきから! 言っていいことと悪いことがあるだろ!」
頭に血が上ったリュカは怒鳴り散らしながら女の腕を乱暴に掴んだ。
はずだったが、その体は宙を舞っていて、気がつけば背中からドサリとギルドのゆかに叩きつけられていた。足を猛烈な勢いで救い上げられた感覚があった。
「施設内のでの暴力行為は禁止されています。以後お気をつけください」
女がにこやかにそういった瞬間、ギルド内に嘲笑の渦が巻き起こる。
完全に舐められていた……リュカは悔しくて、惨めで泣きたくなるのを堪えるように喚いた
「なんだよ! ちくしょう! 言いたいことがあるならはっきり言えよ!」
「そうですか……なら包み隠さず言いましょう」
女は今までにこやかな目つきでは無く、鋭く突き放すような目を向けてくる。
そしてその唇がゆっくり動く。それは最もリュカが恐れていること。
「あなた、冒険者に向いてーーきゃうっ!」
突然、女が可愛い悲鳴をあげながら、頭を痛そうに押さえてうずくまった。
見上げれば女の背後で拳骨を作っている一人の白髪の男性。
皺一つ無い黒い燕尾服と、緑のクラバット。胸元まで伸びた三つ編みの顎髭が独創的だが、物静かで威厳あふれる雰囲気に不思議と調和している。
「リュカ様。大変申し訳ございません。当ギルドの受付嬢がとんだご無礼を働いたようで。これ、あなたも頭を下げなさい」
「ええ、でもお父様ーーひゃう!」
「マスターと呼びなさい!」
再びの拳骨により女はまたうずくまった。
女がお父様と呼ぶあたり家族なんだろう。
そんなお父様は少しお待ちくだい一礼すると、娘を引きずってカウンターの奥へと消えていくと、唐突に彼女の悲鳴がギルド内に木霊した。
「大変申し訳ございませんでした!」
ほどなくして謝りにきた少し涙目になっている女をみて、リュカは胸の内が晴れた。
父親も同伴しながら平謝り。
「わたくし、ギルドマスターのレグザスと申します。こちらは恥ずかしながら我が娘、アサカと申します」
「いえ、もういいです。俺のステータスが低いのは事実なようですし、実際彼女にも投げ飛ばされるほどですから、やはり冒険者に向いていないのでしょう」
「悲観されることはありません。努力次第でステータスはいくらでも伸びますゆえ」
「そ、そうですか?」
「はい、そういった冒険者も少なからずおりますので……そうですね、せっかく冒険者として登録されたのです。訓練もかねて一つわたくしからの依頼を受けてみませんか?」
「依頼ですか」
冒険者らしいその響きについ胸が膨らむ。
「街の街道付近の廃墟に出没するコボルト5匹の掃討をお願いします」
「い、いきなり大丈夫なんですか」
コボルトがどのような生き物かは知っている。
犬を思わせる顔と茶色の毛皮が生えた二足歩行をする小型のモンスターである。繁殖期には人里をおとずれ、家畜や作物を荒らす困ったモンスターでもある。
人自体を襲うことはあまりないが、牙は鋭く棍棒や投擲やりといった武器も使用し、なによりも群れて行動することが多く、不用意に彼等の縄張りを荒らした迂闊な旅人が死に至ることはままある。
「一人では危険では……」
「ご心配なく。今回はご迷惑をかけた分、特別にギルドから人材を派遣させていただきます。そこそこ腕は立ちますので、危なくなったら盾代わりにでも使ってやってください」
といいながら父親は自分の娘をリュカの前に引っ張り出した。
「お父様?」
「アサカ。彼の面倒はあなたがしっかりみるのですよ」
「「ええええええっ?」」
リュカとアサカの悲鳴が木霊した。
後半へ続きます。