閑話;マニラの受付嬢生活 その3
マニラにはこの世で、苦手なものが3つだけある。
一つは、魚貝類のうち、貝に該当するものが全般的に苦手だ。
あれを最初に口にしようと思った者は、きっと正気の沙汰じゃなかったのだ。あんなものは人間の食べ物じゃない。
二つ目は人形の類だ。
今でも時折夢に出てくる悍しい光景。
マニラが6歳の頃、当時のガリアでは、ある木彫りの人形が、女の子の間で流行していた。
可愛らしいドレスで着飾った女の子の木彫り人形。
その人形には魔法がかかっており、声をかけると首を動かしたり、にこりと笑いかけるのだ。そして所有者が眠りにつくと一緒に目を閉じるという機能までついている、正に生きた人形だった。
マニラもその人形を買ってもらい、一緒に眠るほど気にいっていた。
その夜までは……
それは寝苦しい蒸し暑い夏の夜ことだった。
稲光の音で目を覚ませば、隣で抱いていたはずの人形からもげた首が、白目を向いてマニラを凝視していたのだ。
そして口をパクパクと魚のように動かしていたのだ。
そんなトラウマ必至の夜のせいで、マニラは人形が怖くて堪らなくなったのだ。
例えそれが、人形にかかっていた魔法の効果が、マナを無尽蔵に吸い込むマニラの特性により瞬く間に効果を失い、その夜に限ってとんでもない動作不良を引き起こしただけにすぎないと分かった今でも、苦手なものは苦手だ。
そして三つ目が、言うまでもなくメガエラなのだ。
何故かというと、
「よお、マニラ。しばらく見ないうちに大きくなったな。どうだ、人形はもう平気か?」
と言いながらメガエラはどこからともなく木彫りの人形を取り出しては、マニラにグイグイと近づけてくる。
「ひっ、それを近づけないで!」
あの日の夜の光景が脳裏に浮かび、涙目なるマニラ。
「相変わらずお前ってやつは……はあ」
そんなマニラを眺めては、メガエラはため息をつくと同時に。
「お前ってやつは……可愛すぎか!」
と徐にマニラに抱きつき頬ずりを始めるメガエラ。
「ちょ、ちょっと姉さん! やめてよ!」
「嫌がる仕草も可愛すぎか!」
とさらにエスカレートするメガエラの抱擁。
「なんなんだよ畜生! 受付嬢の制服似合いすぎだろう! お姉さんを萌え殺すききか!」
と鼻の下を伸ばしまくる変質者よろしく、頭は愚か全身弄ってくる姉の手つきに、たまらず寒気を覚えた涙目のマニラは。
「た、助けてください……マスター」
レグザスに助けを求めたのだった。
「オホンっ! 家族との再会に水をさすようで申し訳ありませんが、今は大切な話の最中ではありませんかな? メガエラ様」
「おっと、そうだった。つい妹を見るとこうなってしまうのだ、すまないね」
メガエラは短く詫びを入れ、ソファーに腰をかけることでマニラはようやく解放されたのだ。
そう、この過剰なまでのスキンシップをしてくるメガエラを、どう扱えばいいのか分からないから苦手なのだ。
そんな嵐のような姉が落ち着きを取り戻したことで、レグザスとメガエラが話を始めるのだが、
「レグザス殿、中断して申し訳ないね。話を再会して」
「えっと、再会の前に、あたしがここに呼ばれた理由を教えてもらってもいいですか」
マニラは姉の会話にわって入った。
マニラは何も、姉に弄られるために、ここへ来たわけではない。
そもそも、姉がいるなんて知らされていなかったのだ。
よほど重要な理由で呼び出されたに違いない。
というか、そうであって欲しい。
「その理由ならもう終わった。十分すぎるほど弄らせてもらった」
「もうっ! それじゃ、弄られ損だよ!」
メガエラが満足そうに言うものだから、マニラは当然のように憤慨した。
もっとも怒った姿もまた可愛いと、メガエラがまた息を荒げだすだけの結果になったのだが。
「ふふ、まだ弄り足りない気がするぞ」
両の手をワキワキと動かし、じりじりと迫るメガエラ。
こうなれば奥義を使うより他にないと、マニラは必殺技を叫ぶのだった。
「もうっ! きちんと説明してくれないと、姉さんなんて嫌いになるよ!」
「ぐはっ!!」
血吹きながら倒れるメガエラ。
効果は抜群だ。
「グフっ……マニラ、わたしがただ弄っただけに思うか?」
ふらつきながらも立ち上がるメガエラ。
最後の一押しが必要なようだ。
「はい」
もっとも、手加減も何もなく、マニラは率直に答えた。
「……マニラ、もしかしてわたしの評価、姉妹の中でもそれほど高くない?」
「はい」
それも包み隠さず答えた。
大袈裟にソファーに寄りかかりながら倒れることで、今度こそノックダウンだ。
「な、なんてことだ、レグザス殿。妹に嫌われてしまっては、もう生きていけない!」
「メガエラ様、貴女が死ぬことは許されませんよ」
「レグザス殿……わたしにもまだ価値があると」
「はい、せめて商談がまとまってからにして下さい」
「生きてとは言わないのだな」
流石はギルドマスター、メガエラ姉さんの扱いもお手の物のようだ。
レグザスに真面目な顔で言われると姉も正気に戻ったのか。
何事もなかったかのように元のソファーに腰掛け、足を組む。
ようやく終わったみたいだ。
「では、用事も済んだみたいですし、あたしはこれで失礼します」
不本意だし疲れただけだが、久しぶりに姉に会えたことは、マニラにとって素直に喜ばしいことだった。
メガエラは苦手でこそあるが、好きか嫌いかで問われたら、好きだと答える。
だって家族なんだから。
一礼するとその場をさろうとするのだが、今度は何故かレグザスがマニラを呼び止めるのだった。
「マニラさん、もう少し話を聞いて下さい。これは貴女にも関係のあることですから」
「あたしに、ですか?」
今度こそ真面目な話だといいのだが。
不安が拭えぬまま、レグザスの指示のもと、マニラはメガエラの横に座らされれた。
対面するような形で、レグザスとその隣にはモデナも席についた。
ようやく本題に入るようだが、これはこれでどこか居心地が悪い。
ギルドマスターと受付嬢のリーダーという、このギルドにおける、序列一位と二位が揃い踏みしている重い空気感。
そしてそんな2人を前に顔色一つ変えない、不遜な態度の客人であるメガエラという組み合わせ。
一体何が始まるというのだろうか。
「では、メガエラ様、本題に入らせていただきます。すでにお話しましたとおり、受付嬢の制服を卸して頂いていた会社の失態で、その製法が漏洩し、海賊版とも言える安価で粗悪な受付嬢の制服が近年ギルドに降ろされているのは、すでにご存知ですね」
「無論知っている。幸いこのギルドは大丈夫なようで何よりだが」
そう言いながら、メガエラはマニラを一瞥した。
正確にはマニラの着ている受付嬢の制服を。
メガエラはただ単に弄っていたのではなく、制服の素材をチェックしていたのだ。
「そのためにあたしを」
「他人の服を弄るわけにはいかないだろう」
どこか得意げなメガエラだが、目の前にいるレグザスに頼めば、服の確認などいくらでもできるのに。
思ったが口には出さなかった。
どうせ出したところで、「そんなことを言ってしまったら、マニラを弄れないだろう」と言われるに決まっている。
そんなマニラを尻目にレグザスは話を続ける。
「そこで、御社にて新たな受付嬢の制服の卸をお任せしたい、と言うのは既にお手紙にて告知させて頂いたとおりです。今日はそのお返事のために、縁の遥々ご来訪頂き誠に有難う御座います。本来ならこちらからお伺いすべきところなんですが」
「なあに、レグザス殿の頼みとあれば、わたし自らが足を運ぶのは当然のこと。わたしと貴殿の中なのだから」
マニラは今の会話で姉が何故ここにいるのかを、完全に理解した。
「ああ、なるほど。だから姉さんがここに」
「マニラ、何を理解したのかは知らないが、それはわたしの仕事だから、余計なことは言うなよ」
「分かってますよ」
苦笑いするメガエラを尻目にマニラは1人何かを納得していた。
そう、姉はここに商談をしに来ているのだ。
服飾屋レッドヴィジョン。
祖母が立ち上げた老舗として名を馳せるその店は、多数の紳士服を手掛け、紳士服といえばレッドヴィジョンと言わしめるほどの人気店だった。
レグザスが仕事で着ている一張羅も、レッドヴィジョン制だ。
そして近年、姉が3代目としてこの店を引き継いでからと言うもの、紳士服以外にも手を出し、若い女性向けのレッドスマイルという新たなブランドを立ち上げ、好調を博していることはマニラも知っている。
「レグザス殿の依頼を受け、我が社で試供品を用意させてもらった。レグザス殿の元で、その使いがってを公平に見定めてもらいたい」
「流石はメガエラ様。仕事が早い、してその試供品とは?」
「会心の出来栄えで、軽くて丈夫、さらにはお手入れも楽にできるという、新世代の受付嬢の服だ。是非試してもらいたい」
メガエラは足元に置いていたバッグから複数の制服を取り出し、机の上に並べた。
「……これは」
紺色のベストに白いカッターシャツという出立は同じだが、襟の形がより丸みを帯びたデザインに変わり、袖部にはフリルがあしらわれている。
首元を彩るリボンも、上品な青いタイに変更されている。
スカートの裾も真っ直ぐ切り揃えられたものから、前から後方にかけて斜めに切り込まれたデザインに変わり、色味もチェック柄に変更。
可愛いい、素直にマニラは思ったが。
「失礼しますが、少し子供っぽすぎやしまへんか?」
と苦言を呈したのは、大人な色気漂うモデナだった。
「その点は心配ない」
とメガエラは別の制服を取り出した。
基本的な見た目は新しいデザインの制服と一緒だが、襟元や袖のフリルはなく、以前の制服とよく似ている。
スカートの丈がより長くなり、ボディラインにフィットするように変更されていた。
これなら、大人びた女性にもぴったりだ。
「多種多様な年齢層に合わせたデザインが用意してある。受付嬢に個性を最短で、がこの制服のコンセプトだからな」
「オーダーメイドといわけどすな。でもそれは以前も」
「いや、それとは似て非なるものだ。何パターンかあらかじめ用意し、その組み合わせを受付嬢が選択する仕組みだ。オーダーメイドより早く仕上がるし、安価ですむ。我が社ではセレクトシステムと呼んでいる」
「なるほど」
自信満々にシステムを説明し、モデナを説き伏せてみせたメガエラ。よほどこの制服に自信があるらしい。
「それは素晴らしい、早速このギルドで試してみましょう。しかし、ここで働く受付嬢全員分となると6着必要ですが、いつ用意できますか?」
「ここにカタログを置いていく。全員で吟味し、連絡をくれればすぐにでも運び込ませよう。発注から3日もあれば全員分用意できる」
「3日とは! それはすごい」
レグザスも驚くほどの最短納期回答。
オーダーメイドとは違うシステムだからこそできる早技だ。
短く笑顔で握手を交わした、レグザスとメガエラ。
「やはりメガエラ殿に頼んで正解でした」
「レグザス殿にそう言ってもらえるのは嬉しい限りだ。それにしてもいつも思うのだが、こういう言い方は失礼だが、レグザス殿は只のギルドマスターだが、今回の件もそうだし、他にも様々な案件を独自に進めていると聞く、幹部連中は大丈夫なのか?」
確かに、レグザスは数いるギルドマスターの中でも、ギルドの本部かなりの評判を得ている人物であるということは、他の受付嬢達から聞き及んでいる。
しかし、ギルドの看板ともいえる受付嬢達の制服を、レグザスの一存で決めれるはずもない。だというのにどうして?
マニラはそのことだけはどうしても理解できなかった。
「まあ、幹部の1人に気心しれた知り合いがいるだけですよ」
「そうか、ならば我々も心強い。制服の件は全力で任せてくれ」
メガエラはレグザスの言葉を聞いて、ニタリと口元を歪めた。
レグザスもどこか不敵に笑みを零す。
師匠そっくりな全てを見抜いたかのような笑みは、不気味にさえ思える。
やはり、大人の世界はややこしい。
マニラはこれ以上考えないようにした。
でも、この新しい制服には興味が湧いた。
あたしの分はあるのだろうか。
「ちなみに今ここに置いたものは、一つはモデナさんようで、もう一つはマニラ、お前のために用意した」
モデナ姐さん用は分かるが、どうしてあたしのサイズが用意されているのだろうか。
姉のどこか勝ち誇った、もといどこか気持ちの悪い笑みを見て、マニラは深く考えないようにした。
ともあれ、マニラはこうして新しい受付嬢の制服を手に入れ、気持ちを新たに日々の業務に励むのだった。
まあ、仕事内容は依然として女給の仕事なのだが、それはそれ、これはこれだ。