閑話:マニラの受付嬢生活 その2
「ええ、それでは皆様、本日から共に働いてもらう仲間をご紹介したいと思います、マニラさん」
「は、はじめまして。マニラ・ヴィラントと申します。よ、よろしくお願いします!」
もとより人前で喋るのがあまり得意ではないマニラが、ギルドのロビーに集まった4人の受付嬢と、料理人と思しき2人の男性を前に、たまらず吃ってしまうのは仕方のないことだった。
しかし、そんなマニラの様子が逆に「緊張しちゃって、可愛い」と受付嬢達に受けたのはいうまでもない。
料理人達もウンウンと頷いており、印象は悪くない模様。
マニラにもその空気感が伝播したのか、少し緊張がほぐれてきて、自然と表情が緩むと、受付嬢達も、「笑顔も可愛い」と朗らかになった。
しかし、そんな朗らかな空気感も彼の手によって容易く壊される事になる。
「マニラさんですが、見ての通り若く、まだ13歳です。マダム・ギュレット様の紹介とはいえ、右も左も分からない状況でしょう。年相応の女の子として接してあげてください」
このレグザスの優しさに満ちているようで全くそうではない発言は、場の空気を一瞬にして凍りつかせるには十分すぎた。
ギルドに勤めるものにとってマダムは生きた伝説も同然の存在、それほどの人物が紹介する人物が普通であるはずもないと、高を括ってしまうのは当然のこと。
あのマダムの紹介!?
こんな子供なのに!
ただものじゃないって事!?
と瞬く間に伝播し、それは直ぐに疑念や嫉妬、猜疑心に満ちた目に変わる。
マニラの緩んだ表情が、冷や汗まじりの苦笑いに変わるのに時間はかからなかった。
「え、えっと、マダムとはとあるギルド関係者を通じてたまたま知り合いになりました。そしてあたしの受付嬢になりたいという夢を、見習いという形で叶えていただいたのです。不束者ですが、よ、よろしくお願いしましゅ…はっ! 噛んじゃった!」
ただでさえ恥ずかしいのに慌てて噛んでしまうとは、恥ずかしくて死にそう!!
とマニラが耳まで真っ赤にして俯くと、逆にそれが年相応の女の子の対応と受け止められたのか、再び皆の表情が緩んだ。
が
「そうそう、マニラさんの夢は特級になる事だそうですよ。立派ですね」
わざと、わざとなんですか! レグザスさん!!
再び微妙な空気にさらされたマニラはあたふたと事情を説明をする。
そんな問答を何度か繰り返すうちに、受付嬢達のマニラに対する印象は概ね「可愛い変な子」で定着するのだが、それはマニラの預かりしらぬ事だった。
ともあれマニラの挨拶は終わり、受付嬢としての生活が始まったのである。
◇
「へえ、貴女の出身はガリアなんだ。それは随分遠くまできたね。どんな理由があってこの街に?」
マニラの出生地ガリアは、イムペリスとは巨大な山脈を挟んで真反対に位置する大きな港町である。規模でこそ首都に劣るが、経済状況は首都よりも発展していると言って過言ではないだろう。名実ともにこの国で二番目に大きい街である。
よってガリアから首都へは、商でやってくる人こそ多いが子連れで移動してくる人は稀である。ガリアには大抵のものが揃っているのだから。
だからこの手の質問はされるだろうなと事前に答えを用意しておいた。
「実はあたしの家族に、マダムでしか直せない難病を患っている人がいまして、その治療のためにやってきたんです」
嘘ではない。他ならない自分がそうなのだから。
「うっそお! マダムの治療を受けれるって凄いことよ! 限られた人しか受けれないって聞いたことがあるわ。それこそ首都の一等地に、豪邸を2軒構えるくらいの大金を用意するしかないって」
「そ、そうなんですか」
知らなかった!
当たり前のように治療してくれたし、普通に毎日顔を合わせては魔法についてのイロハを教えてもらっている。今回のギルドで働く件も、マダムに将来の夢を聞かれたマニラが特級になることだと告げたところ、新設のギルドによく見知った人物がいるから紹介してあげるとのことで、実現した話だ。
よってあまり深く考えていなかったが、やはりマダムは普通の人がおいそれと会えるような人ではないらしい。今後マダムについて触れるのは極力避けよう。
「それにしても貴女よほどのお嬢様なのね。その歳でギルドに入れるし、マダムとも顔見知りだなんて、やっぱり只者じゃないわ」
「いえいえ、たまたまですよ」
そうたまたまだ。
あたしが師匠に出会い、師匠の伝でマダムと出会い、こうしてギルドで働けるのは本当に運が良いだけのことだ。
「そうかしら?」
「そ、それよりもティラマティアさん」
マニラはこれ以上根掘り葉掘り聞かれるのも煩わしく思い、早々に話題を切り替えた。
「ティティでいいよ」
レグザスからマニラの指導役を命じられていた受付嬢の名はティラマティア・ミュンヘン。
短く整えられた赤毛に似合う、快活な女性である。
肩につけた腕章は黄色だ。
腕章は黒の特級を最高に、青、赤、緑、黄、白色とランクが低くなっていく。
マニラはもちろん見習いの白だ。
ちなみにブローチをつけられるのは赤以上のランクで、役職についていないと付けれない。
よってティティにもブローチはない。
でも、先輩であることになんら変わりはないし、教わるべき事は沢山ある。
しかし、
「これも受付嬢の仕事なんですか?」
マニラが今行っている仕事は、先程まで飲んだくれていたお客さんが帰った後の食器の類を片付けだ。
「そうだよ。酒場もギルドの一部なんだから。お客さんの注文を聞いて、厨房に伝えて、食事ができたらテーブルまで運ぶ。そしてお客さん帰ったら即座に片付ける。これも立派なギルドの仕事よ。とはいえこれは本業じゃないから、お金と人材に余裕があるところは、ホール回す専属の人員を雇っているらしいわ。うちらのギルドみたいに人にもお金にも余裕がないところは仕方ないけどね」
と言いながら肩を透かした。
「きっと師匠も最初はこれから始めたんだ……」
マニラは少し思っていたの違うと思いながらも、師匠も同じ道を歩んだ、ならばその道をなぞるのもまた弟子なら当然のこと、そう思い一心不乱に仕事に打ち込むのだが。
「……お客さん、来ませんね」
「まあ、うちは大体こんなものだよ」
数時間おきに数組の工事関係者が足を運ぶだけで客足はまばら。
もはや、掃除するところすらない……
初日はこうして時間だけが過ぎて行ってしまた。
続く二日目、三日目も特に代わり映えはない。
お昼時だけは凄く忙しくなるのだが、それはもっぱら、工事関係者もとい飲兵衛たちの相手が大変なだけで、肝心の依頼者はこの3日間で僅か10名ほどだ。
おまけにマニラとティティは出番なし、今日も今日とて飲食店の看板娘よろしく働くのだ。
「おおい、マニラちゃん、ティティちゃん。 今日も来てやったぜ!」
4日目のお昼時、流石に毎日顔を出してくれるお客さんの名前は覚えた。
5人の子分を連れてやって来る割腹のいい髭の男性は親方。
清潔感に欠ける見てくれだが、この辺りの建築現場を一手に引き受けている大工達の元締めだ。
「いらっしゃいませ」
慣れた様子でティティが首を垂れるのに対して、
「い、いらしゃいませ」
マニラは依然として緊張気味。
「相変わらず緊張してるねえ。そこがまた可愛いいんだけどな」
「おじさん達! マニラちゃんをそんな目で見ないの!」
「おいおい、間違えてもそんな気はねえよ。自分の娘よりも若い子なんざ、手が出せるか。そもそも、お前さんですら論外だ。モデナの姐さんみたいに色気を纏ったら話は別だが」
「何を! うちには魅力がないっての!?」
「はは、後3年は頑張りな。マニラの嬢ちゃんは、まだまだ種だな」
と豪快に笑う始末。
なんだか屈辱的だ。女として見られていないことがこんなに悔しいとは。
まあ、13歳の生娘と妻子もちの50代のおじさんでは釣り合いも何もないのだが。
それにしても、モデナの姉さんは確かに綺麗だ。
鼻筋の通った小顔に、切れ長の目、艶のある黒髪。
豊満な肉体美は受付嬢の制服越しにもわかるほど。
落ち着いた物言いだが、その雰囲気の中にも漂う気品。
大人の色香とはまさにこれのことだ。
「うちのこと呼びはりました?」
おじさん達の話を聞いたのか、当惑するマニラと憤慨するティティの前にふらりと現れた受付嬢。
独特のなまりは、彼女の生まれた島国では一般的だそうだが、この国では非常に珍しい。
黒髪妖艶の受付嬢ことモデナ姐さんだ。
青い腕章と胸元の赤いブローチ、彼女がこのギルドの受付嬢達を束ねているリーダーだ。
「モデナの姐さん。いつになったら一緒に寝てくれんだ?」
「ふふ、嫌どすわ。子供の前ではしたない。余裕のない男は嫌いどす。まあ、どうしてもと言はるなら、後1000万ヤールほど飲み食いしていただけたなら、考えてもいいいどすえ」
「くそ、1000万か、俺が死ぬまでになんとかできるか!?」
と親方は真剣に頭を抱えていた。
そんな親方を笑う一同。
マニラはもっぱらにが笑う。
しかし、こういう平和な空気も悪くない。
これもギルドの仕事なのだろう。
「マニラはん、ちょっといいかえ? ギルマスがお呼びどす」
「は、はい」
モデナに連れられて、レグザスが待っているであろうその部屋に通された。
この4日間で、マニラが抱くレグザスに対する印象は、随分と変わった。
依然として何を考えているのか分からない奇抜な発言に困惑することは多いが、それも意図があってのことだと分かるようになったのだ。
初日に会えて誤解を招くように言ったのも、マニラを受け入れやすくするためだと後日聞かされた時は心底驚いた。
レグザス曰く、13歳の若さで首都のギルドに配備されるのは異例のことだそうだ。
首都に配備されるのは、受付嬢でもエリートとされている人物のみだからだ。マニラについで若く、階級が低いティティですら、名門と言われる学校を卒業しているし、4星の冒険者の資格を有している。
マニラも地元の初等科は卒業しているが、名門とは呼べない学校だ。
おまけに冒険者の資格はない。師匠達に勝手に付き纏っているだけだ。
だが、ここにきてまさかのマダムの紹介という異例。
変な噂が立つよりも先に、良くも悪くもマニラという人物を、皆に知ってもらう必要があったそうだ。
その結果どうなったのかは言うまでもない。
だから、今更レグザスからの呼び出しに疑念を挟むようなことはないし、多少変わったことを言われても今更驚きはしない自信があったのだ、レグザスがいるであろう執務室を開いた瞬間、事情が変わった。
「久しいな、マニラ」
「……ど、どうして」
そこに変わった人物がいるとなると話は別だった。
驚きのあまり口を抑えたまま、目を丸くするマニラ。
レグザスと対面するような形でテーブルを囲む、男性が切るようなスーツを完璧に着こなす1人の女性。
そんな女性はマニラを見るなり似たりとその口元を歪めた。
短く切りそろえられたおかっぱの鳶色の髪に、見るものを威圧するかのような緋色の瞳。
きつく吊り上がった目尻に、長い睫毛。
長い足を優雅に組み、ソファーに不遜とも言えるような態度で座る女性に、マニラは心当たりがありすぎた。
「メガエラ姉さんが、どうしてここに……」
ヴィラント家4姉妹の中でも彼女が、もっとも目つきが悪く態度もでかい。
それが、次女のメガエラ・ヴィラントであり、マニラが姉妹の中で最も苦手とする人物だった。